1768 東京も千葉も福島も桜の季節 「人はいかに生きるべきか」

 かつては「桜前線が北上」という言葉が一般的だった。だが昨今、この言葉はあまり使われなくなった。異常気象といわれた世界の気象がいまや恒常化してしまい、東京と福岡の桜の開花日が同じになっている。自然界も異常を普通にしてしまう「トランプ現象」と足並みをそろえてしまっているようだ。私の住む千葉がまだ満開の一方で、原発事故から8年が経た福島でも美しい桜の季節を迎えている。福島の人たちはどのような思いでこの季節を送るのだろう。  共同通信社の現在の福島支局長は、ロシア問題専門の私の信頼する佐藤親賢という後輩記者だ。佐藤記者が最近、書いた社内文書を読む機会があった。福島の現状を紹介した後、彼の思いを書いていた。私はその文章に惹かれた。 「人はいかに生きるべきかという問いに、全ての人が向き合っているわけではあるまい。しかし震災・原発事故を経験したことで、自分はこれからどう生きたらいいのかを考えさせられた人がたくさんいた。福島の記者たちが日々取材しているのは、そういう人々の思いである。原子力災害にどう向き合うか。急速な過疎化と高齢化にどう対応するか。どんなやり方でエネルギーを、そして安全な食料を確保するのか。福島は、こうした課題についての『学びの場』になったらいい。県外や国外から視察を受け入れ、自分たちの苦しい経験を分かち合い、今後予想される災害や課題への解決策を共に考える。いまだに続く『風評被害』もその中で克服されていくに違いない」 「人はいかに生きるべきか」という後輩のこの問いに、私はどう答…

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1765 春眠暁を覚える? 雉を見に行く 

「雉が増えすぎて困るから、野良猫がいた方がいいって言ってる人がいる」「それはおかしいよね」ラジオ体操仲間が、こんなことを話していた。その場所は私の散歩コースに当たり、なるほどこの数年、よく雉を見かける。それにしても「増えすぎる」とはどういうことなのだろうと思った。 「春眠暁を覚えず」(中国唐代の詩人、孟浩然の詩「春暁」=春はよく眠ることができるから、夜明けに気づかず寝坊してしまう)の季節だが、現実には寝坊するのはもったいない光の季節がやってきた。近所の公園広場で続いている朝のラジオ体操は、寒い季節になると極端に参加者が少なくなる。冬季の日曜日には10人に満たないときもある。夏場の最盛期には40人ほどになるから、その落差は大きい。しかし3月になると休んでいた参加者が次第に戻ってきて、20人近くになってきた。寝坊よりも朝のすがすがしい空気を吸いたいという人が増えてきたのだ。  ラジオ体操が終わると、急ぎ足で散歩に向かう人たちの姿があった。その一部は私の散歩コースでもある調整池まで雉を見に行くという。先ほど、雉のことを話題にしていた人たちだ。辞典を見てみると、雉は日本古来のもの(1947年に国鳥に指定)と高麗雉と呼ぶ外来種のものがいて、特に後者は繁殖力が強く、増えすぎているという話もある。私はたまたま望遠レンズ付きのカメラを持っていたので、後ろに付いていき、美しい姿をした一羽の雄雉を撮影した。その画像は掲載した写真だが、どう見ても日本固有の雉のように見える。  この周辺では野良猫に餌を…

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1682 夢二の逆転の発想 「宵待草」の花が咲く

 今夏も近所の調整池を周る遊歩道に、月見草の花が咲いた。早朝の散歩で黄色い、可憐な印象の花を見た。この花の正式名称はアカバナ科のマツヨイグサで、南米チリ原産の帰化植物だそうだ。江戸時代に渡来し、野生化したものだが、太宰治の『富嶽百景』という私小説の中にもこの花が出てくる。太宰が「富士には、月見草がよく似合ふ」と書くように、この花はいつの間にか日本の風景の中に溶け込んだようだ。  月見草は、夕方に開花することが名前の由来という。待宵草という呼び方もあり、以前のブログにも書いている通り、大正ロマンを代表する画家(美人画)で詩人竹久夢二の詩による「宵待草」(よいまちぐさ)という名曲がある。文芸評論家杉本秀太郎は「『宵待草』は『待宵草』を転倒させて、勝手に夢二が作り出した名』(花ごよみ・講談社学術文庫)と説明している。だが、この歌が一世を風靡したためか宵待草という言葉も辞書には紹介されており、地下に眠る夢二も苦笑いしているかもしれない。  手元の辞典には「宵待草」について、次のように載っている。「オオマツヨイグサの異称」(広辞苑・岩波書店)、「マツヨイグサの別称」(明鏡国語辞典・大修館書店)、「オオマツヨイグサ・マツヨイグサの異称→つきみそう」(新明解国語辞典・三省堂)、「オオマツヨイグサの別名」(デジタル大辞泉・小学館)、「まつよいぐさの別称」(国語辞典・旺文社)  ちなみに、デジタル大辞泉などによると、「宵待草」は夢二の三行詩で、1913(大正2)年刊行の絵入りの詩集「どんたく」に収…

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1584 咲き続ける朝顔 季語は秋でも夏の風物詩

 小学校1年生の孫娘から預かった鉢植えの朝顔が咲き続けている。わが家にやってきてから111個、実際に咲き始めてからちょうど150個になる。この先どれほどの花が咲くのだろう。俳句歳時記によると、朝顔は夏の季語ではなく秋の季語だ。「朝顔市」をはじめとして、朝顔にちなんだ行事は夏の風物詩ともいえるのもので、季節感とはややずれがある。旧暦の二十四節季を基にしているためだが、季語は別にして、朝顔は日本の夏を象徴する花といえる。  朝顔は、小学生には植物の観察の対象として最適なのだろう。全国の多くの小学校で毎年夏、鉢植えの朝顔を育てていると聞く。孫娘が通う小学校もその1校で、1年生全員が種から育てた4本の朝顔の鉢に花が咲くのを楽しみに、毎日水やりを続け、夏休み直前には自分の名前が入った鉢を自宅に持ち帰った。休みの期間、水をやるなど手入れをして花がいくつ咲くかを観察するのが宿題の一つという。しかし、孫娘は夏休みの大半を、沖縄に単身赴任している父親のところで母親と一緒に過ごしているため、朝顔の世話をできない。  そのお鉢が暇な私に回ってきて、水やりと花(大輪の青と赤紫、小ぶりな青の3種)の数を記録するのが日課になった。毎日電話で連絡し、孫娘はそれを自分のノートに記録するのだ。こうして累計が150個になったというわけである。担任の教師は「ちゃんと手入れをすれば200個は咲くでしょう」と言ったそうだ。多い朝は10個以上、少ない日でも1個は咲くので、教師の言っていることは誇大ではなさそうだ。現在、全国の庭や…

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1573 「鷹乃学」のころ 猛暑を乗り越えて

 鉢植えのインドソケイが咲いた。別名、プルメニアともいう。中米、西インド諸島が原産といわれる亜熱帯・熱帯の花である。香りがよくハワイのレイにも使われるから、日本人にもなじみの花といえる。このところ猛暑が続いていて人間にはつらい日々だが、植物によっては、この花のように歓迎すべき高温なのだろう。  旧暦の七十二候によれば、いまごろ(7月17日~21日ごろ)は「小暑」の中の「末候 鷹乃学(たかわざを)を習う」に当たるそうだ。その意味は「鷹のひなが、飛び方をおぼえるころ。巣立ちし、獲物を捕らえ、一人前になっていく」(白井明大「日本の七十二候を楽しむ」というのである。 「父子鷹」(おやこだか)という言葉がある。江戸城を無血開城に導いた勝麟太郎(海舟)とその父小吉の生き方を描いた子母沢寛(しもざわかん)の同名の小説がこの言葉の由来だという。「目標に向かって努力する父と息子のこと」あるいは「共に優れた能力を持つこと親子のこと」を表すそうだ。その意味でも人々に希望をもたらす言葉である。  このタイトルを決めたのは子母沢寛なのか編集者なのか分からない。だが、うまいネーミングである。当然ながら「鷹乃学」の言葉を承知していたのだろう。しかし、世の中は正しい飛び方(生き方)を教えず、子どもを甘やかす親ばか、親から悪いところばかりを学ぶ子ばかが多いのも現実だ。世襲が横行する政界はその象徴と言っていい。 「鳶が鷹を生む」とは平凡な親から優れた子どもが生まれることのたとえだが、日本では昔から鷹の方が鳶よ…

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1496 難しい植物の名前 夕菅とヘメロカリス

「われらが花を見るのは、植物学者以外は、この花の真目的を耽美するのではなくて、多くは、ただその表面に現れている美を賞観して楽しんでいるにすぎない。花に言わすれば、誠に迷惑至極と歎つ(かこつ)であろう。花のために、一掬の涙があってもよいではないか」 植物学者、牧野富太郎は『植物知識』(講談社学術文庫)の中で、こんなことを書いている。私も牧野が言うように、花には迷惑な、表面の美を楽しんでいる一人である。しかも花の名前もよくわからないままにである。そのことに散歩コースにことしも咲いた花を見つめて気がついた。これまで、夕菅と思っていた花がいま咲き誇っている。数年前に初めて見たころは少なかったのに、ことしはやけに株が増えている。旺盛な繁殖力があるのだろう。 その花を図鑑で見て「夕菅」と思い込んだ。俳句歳時記には「夕菅や叱られし日の懐かしく」(伊藤敬子)など、懐かしい思いにさせてくれる4句が載っている。だが先日、朝の散歩から帰って、インターネットで夕菅の画像を検索してみると、さっき見た花とは微妙に違うことに気が付いた。 様々なページを調べると、「ヘメロカリス・レモネード」というのが酷似していることが分かった。どう見ても、夕菅よりもこちらではないか。ヘメロカリス(ギリシア語の「一日」の「へメロ」と「美」の「カロス」)を合成)は、ユリ科ヘメロカリス (ワスレグサ) 属の総称で、長い花筒部がある。ユリに似た花をつける夏緑多年草で、日本や中国原産のユウスゲやカンゾウ類(ノカンゾウ、ヤブカンゾウなど)…

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1405 見えそうな金木犀の香り 開花した秋の花

見えさうな金木犀の香なりけり(津川絵理子) 金木犀が開花した。例年よりかなり早い。辞典には「中国原産で、仲秋のころ葉腋に香りの高い小花を多数つける。橙色の花を開くのが金木犀、白いものは銀木犀という」と出ている。わが家には金木犀が2本、銀木犀が1本あるが、後者は花が咲いても香りはあまりなく、気をつけないと、いつのまにか花が散っていたりする。 『地球の歩き方』(ダイヤモンド社)という旅行案内書の中国・桂林編には「桂林の桂は中国語で金木犀の意味。つまり、桂林は金木犀の林の街ということになる。その名のとおり、桂林市内には45万本の金木犀の木があり、秋にはいっせいに花が開き、街中が黄色の花と香りに包まれるという」とある。45万本の金木犀の香りは想像がつかない。どれほどのものなのだろう。かつて桂林への旅を計画し代理店に費用を支払ったあと急用で中止したことがあり、金木犀が開花すると、この苦い経験を思い出す。 金木犀の強い香りをかいていて、花はなぜ香るのかを考えた。一般的には、花の香りは昆虫などを引き寄せるためのカクテル(香気成分)だといわれている。ただ、私たち人間にとってユリやバラのように心地よく感じるものと、逆にハッカクレンのように悪臭に近い香りを持つ花もある。いずれにしても花が美しく、芳香のある植物は、人間世界の争いを鎮める力があると、信じたい。 最相葉月はノンフィクション作品『青いバラ』(小学館)で、「青いバラをつくろうとするのであれば、バラの重要な要素である香りも念頭に入れるのが当然で…

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1362 野の花アザミ 連想する言葉は「ありがとう」

道のわきに紫色のアザミの花が咲いている。何気なく通り過ぎていたが、かなり以前から咲いていた。俳句では「薊」が春、「夏薊」が夏の季語になっており、アザミの花期が長いことがうかがえる。種類が多く(世界で約250種、日本では70~80種)、春から秋にかけて花が咲いているそうだから、散歩途中に目を楽しませてくれる野の花といえよう。 アザミといえば、3月で終わったNHKの連続ドラマ「マッサン」のモデル、竹鶴政孝がウイスキー修業をしたスコットランドの「国花」はこの花である。スコットランドが所属するイギリスは正式国名を「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」というように、それぞれの地域で「国花」があるようだ。イングランドはテューダー・ローズ(紅白のバラを統合した架空の花)、北アイルランドはシャムロック(マメ科のクローバー)だそうだ。 スコットランドで、なぜアザミが国花になったのだろうか。こんな言い伝えがあるという。 「1263年当時、22歳の若き王、アレグザンダー3世率いるスコットランドはノルウェーと戦っていた。その戦いでノルウェー軍は夜襲を仕掛けた。足音を立てないよう裸足になって暗闇を進む中、兵士がアザミの棘を踏んで叫び声を上げてしまった。それを聞いてスコットランド軍が夜襲に気付き、ノルウェー軍を追い払うことができた」 これが事実かどうかはわからない。ただ、1263年にスコットランド軍はノルウェーと戦い西部クライド湾でノルウェー王ホーコン4世を討ち破ったことは歴史的事実である。そ…

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1354 百周年のハナミズキ 耐え続け日本の春の花に

ハナミズミがアメリカから日本に渡来してことしでちょうど100年になる。1912年(大正元年)、当時の東京市長だった尾崎行雄(のちの咢堂、憲政の神様、1858~1954)が日米友好のために約3000本のソメイヨシノを贈り、ワシントンのポトマック河畔に植えられた。そのお礼として3年後の1915年(大正4年)にハナミズキが日本に贈られたという。アメリカ山法師ともいい、いま私の住む周辺では白と紅の花が満開だ。 花水木咲き新しき街生まる 小宮和子 私が住む街は、住宅・都市整備公団(現在の独立行政法人UR都市機構)が開発した。同公団が開発した他の地域と同様、一部地区の街路樹としてハナミズキが植えられた。その街路樹(ほとんど白色)が咲く道の両側は、白く輝いているように見える。北限は東北地方と言われ、多くの地域でこの木が街路樹に採用されたようだ。小宮さんの句からは、そんな新しい街の姿を想像することができる。 2004年2月、一青窈さんの代表曲になった「ハナミズキ」がリリースされた。 空を押し上げて 手を伸ばす君 五月のこと どうか来てほしい 水際まで来てほしい つぼみをあげよう 庭のハナミズキ  薄紅色の可愛い君のね  果てない夢がちゃんと終わりますように  君と好きな人が百年続きますように(以下略) 一青窈さんはテレビ番組で、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロの犠牲になった知り合いへの思いを込めてこの曲の詞を書いたことを明かしている。平和への…

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1350 「散った桜散る桜散らぬ桜哉」 上野公園を歩く

花びらが散りはじめ、「葉桜」になりつつある上野公園を歩いた。報道の通り、雨にもかかわらず公園には中国人をはじめとする外国人の姿が目についた。いつから外国人がこの公園の桜に興味を持つようになったのかは知らない。しかし、花を愛でる気持ちは人種を超えたものなのだろう。 いつごろから上野の山には花見の人たちが集まるようになったのだろう。上野には徳川家の安泰と江戸城鎮護のため天海僧正によって寛永2年(1625)に寛永寺が建立され、境内に桜が植樹された。それが寛文年間(1661~72)には上野の山全体に拡大したとみられる。『桜信仰と日本人』(青春出版社・田中秀明監修)によると、寛文の後の延宝5年(1677)に出た江戸の名所案内の本『江戸雀』には、上野の花見の風景が詳細に記されているそうだから、約340年前ごろから、上野の春はにぎわっていたようだ。 上野の地名の由来についてはさまざまな説があるという。 元共同通信記者(社会部で私の同僚だった)で民俗研究者の筒井功氏は、著書『東京の地名』(河出書房新社)のなかで「いちばん妥当な説は、いまの上野駅の北西側、上野動物園などがある小高い丘(いわゆる上野の山)によるとの指摘ではないか。(中略)一方、『上野』の地名の初見は戦国期であり、このころから上野の呼び名が定着しはじめたようである。江戸初期には『上野村』の正式村名が成立していた。現在、台東区上野の中心は丘の南側になっているが、これは17世紀の前半、徳川氏の菩提所、寛永寺を台地上に創建するため上野村の住…

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1349 桜絶景 花散る道を歩く

桜は日本を代表する花である。現在、列島は桜前線が北上中だ。今月末には青森まで達するだろう。なぜ、日本人は桜を愛するのだろう。一時期、桜は暗いイメージでとらえられた。 しかし、平安時代から現代までを通じて、基本的に人は桜の下に集まり、楽しく酒を飲んでいる。テレビ映像で見る上野公園は外国人の姿も多く、中東、アフリカで吹き荒れるイスラム過激派による蛮行を想像することはできない。当然、「現代の花見には悲壮感などかけらもない。散る花を惜しんで物思いにふける人など花見の席には見当たらない」(田中秀明監修『桜信仰と日本人』)のである。 吉野山の桜を愛した平安時代の歌人で僧侶の西行は2つの桜に関する歌を残している。この春、桜を求めて歩き、西行の気持ちが分かった気がした。 「ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ (山家集)」 「ねかはくは はなのもとにて 春しなん そのきさらきの 望月の比 (続古今和歌集)」 この願いの通り、西行は河内弘川寺で『如月の望月のころ』(2月16日)に死んだという。春の最中であり、涅槃の日だった。「落花に埋もれて死にたい」という願いが叶ったのだ。 東京の桜の名所といわれる王子・飛鳥山の桜を見て、こんな句が浮かんだ。 花筏眺めて語る旧き友 飛鳥山花散る道に老い二人 きょうは強風が吹き、花吹雪が舞っている。 以下は私が撮影した桜絶景である。 1~3は私の近所の桜、2~8は飛鳥山、9は王子駅前の高層…

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1255 待宵草が咲いている hanaの死から1年

朝、いつもの散歩コースである調整池の周囲を歩いていると、黄色い花がひっそりと咲いているのを見かけた。帰宅して図鑑で調べると「マツヨイグサ」(待宵草)と分かった。この花はたしか昨年の夏も見た。しかし、わが家で飼っていた犬のゴールデンレトリーバー(メス11歳)のhanaが重い病気にかかっていて、散歩をしていても花を楽しむ余裕はなかったから、写真も撮っていない。 hanaはちょうど1年前のきょう、7月30日に死んだ。あれから365日が過ぎている。hanaを失った悲しみは次第に薄れているが、折々にhanaと暮らした日々が浮かんでくるのである。 久保田修著「散歩で出会う花」(新潮文庫)の「マツヨイグサ」には、こう書いてある。「アカバナ科。南アメリカ原産。荒れ地や草原などで見られる。花は夕方から咲き、朝にはしぼむ。花の直径は5センチまでで茎上部に咲くが、北アメリカ原産のメマツヨイグサのような、穂状花序にはならない。花の直径が8センチに達するのはほぼヨーロッパ原産のオオマツヨイグサ(別名月見草)。北アメリカ原産のコマツヨイグサは花も小さく、茎は地面をはうことが多く、葉は羽状に裂ける」 竹久夢二作詞、多(おおの)忠亮作曲の「宵待草」という名曲がある。 「待てど 暮らせど 来ぬひとを 宵待草の やるせなさ 今宵は月も 出ぬそうな」 こんな詩である。 文芸評論家の杉本秀太郎によれば『「宵待草」は「待宵草」を転倒させて、勝手に夢二が作り出した名』(花ごよみ・講談社学術文庫…

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1247 懐かしきは夕菅の花 季節の花に寄せて

ことしも私の散歩コースにユウスゲ(別名、黄菅)と似た黄色い花(ヘメロカリスらしい)が咲き始めた。かつてユウスゲはそう珍しくはなかったが、都市化現象が進んだ影響で一部の地域では絶滅危惧種に指定されるほど、姿を消しているという。高原に自生し、軽井沢を代表する花といわれる。一方、ヘメロカリスはユウスゲやカンゾウ(ワスレナグサ)類を品種改良したもので、絶滅の心配はない。まだ一輪しか咲いていないが、花期はまだ続きそうだから、しばらくの間花を楽しむことができる。 「夕菅の一本足の物思ひ」(石田勝彦) ユウスゲはユリ科の多年草で、7月から9月にかけて淡黄色の花が咲く。夕方に開いて芳香を放ち、翌日の午前中にはしぼむ。高原に自生する。(角川、俳句歳時記)しかし、乱開発のため、この花が首都圏から次第に姿を消してしまい、最近ではほとんど見かけなくなった。残念なことである。 俳句歳時記には石田勝彦の句以外にも、「夕菅のぽつん~と遠くにも」(倉田紘文)、「夕菅や叱られし日なつかしく」(伊藤敬子)、「黄菅咲く父に小さき画帳あり」(山西雅子)という3句が載っており、以前は夏の花として、そう珍しくはなかったのかもしれない。ヘメロカリスは変わった名前で、俳句歳時記には句はない。萱草(忘れ草)では「萱草が咲いてきれいな風が吹く」(大峯あきら)など、数句が紹介されている。 ユウスゲの4句を見て感じるのは、寂しさ、郷愁である。そういえば、軽井沢を愛した詩人、立原道造の最初の詩集『萱草(わすれぐさ)に寄す』の中に「…

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1246 憂鬱な季節でも 梅雨には読書を

 気象庁主任技術専門官の宮尾孝さんが書いた「雨と日本人」(MARUZEN BOOKS)という本を読んだ。今は雨とは一番縁が深い季節である。このところ、梅雨の晴れ間がのぞいて、憂鬱さは少し解消されたが、やはり、この季節はうっとうしい。石原とか鈴木とかいう政治家(屋)たちの妄言・暴言がこれに輪をかけている。紫陽花が咲いていなければ、さらに気持ちが落ち込むのではないかとさえ思ってしまう。    宮尾さんの本によれば、日本人はこんな憂鬱な季節は早く過ぎ去ってほしいという願望を持ち、良寛和尚でさえその気持ちを漢詩に託したと紹介している。   回首五十有余年 人間是非一夢中    山房五月黄梅雨 半夜蕭蕭灑虚窓   頭を回(めぐ)らせば 五十有余年 人間(じんかん)の是非は 一夢の中(うち)   山房五月 黄梅の雨 半夜蕭蕭虚窓(はんやしょうしょうこそう)に灑(そそ)ぐ  「気持ちがすっかり沈んでしまう時候。思わず人生を振り返ってしまう。蕭々と降る梅雨時の雨が、山房の虚ろな窓に灑ぐ。濡れた窓に映る自分の顔は、孤独感と憂鬱に満ちている……」(同書)  良寛より時代は過ぎて。日本近代詩の父といわれる萩原朔太郎の純情小曲集という詩集の中に「こゝろ」という詩がある。   こゝろをばなにたとへん   こゝろはあぢさいの花   もゝいろに咲く日はあれど   うすむらさきの思い出ばかりはせんなくて。     こゝろはまた夕やみの園生のふきあげ   音なき音の歩むひゞきにはひとつ…

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1245 森に響くキツツキのドラミング 梅雨の晴れ間の朝に

毎朝、ラジオ体操に参加している。遊歩道の一角に広場がある。そこには色とりどりの花が咲いている花壇があって、この周囲を取り囲むような形で40人近い人たちが体操をしている。けさは梅雨の晴れ間、暑さもたいしたことはなく、さわやかだった。広場の隣の小さな森ではホトトギスが鳴き、「トントントン」という音がする。見上げると、キツツキ(啄木鳥)が雑木の幹をつついでいる。 体操から帰って、俳句の歳時記を見た。ホトトギスは夏の季語だが、キツツキの季語は秋なのである。「キツツキ科の鳥の総称で、小啄木鳥(コゲラ)・赤啄木鳥(アカゲラ)・青啄木鳥(アオゲラら)など。秋、山林を歩いていると、タラララというドラミングと呼ばれる音が聞こえてくることがある。これは樹木に啄木鳥が嘴で穴をうがって、巣を作ったり、虫を捕食したりする音である。羽はそれぞれ美しく、雀から鳩の大きさである」(俳句歳時記・角川学芸出版編)。 ドラミングというのは、動物が鳴き声以外の方法で音を立てる動作のことをいい、キツツキが木の幹をつつくことやゴリラが両腕で胸をたたくことがこれに当てはまる。私が聞いたキツツキのドラミングは巣作りなのか虫の捕食のためかは分からない。その音は「タラララ」というより「トントントン」と聞こえた。それは一定のリズムで、聞いていて心地よかった。 歳時記に載っているキツツキに関する俳句は季語が秋とあって、いまの季節に程遠い作品ばかりなのは当然だ。だが、キツツキは梅雨の季節でも見ることができる。埼玉県所沢市から1年半前…

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1238 一面が白い幻想の世界 ノイバラ咲く調整池

散歩コースに調整池があることは、このブログで何回も書いている。周囲が1周1キロほどの散歩コースになっていて、すり鉢状の底の部分に池が3分の1、残りが雑草地帯(野原)になっている。雑草のほかにいつの間にか雑木も育ち始め、現在は一面白い花のノバラ(ノイバラ)が咲いている。野原に咲くノバラは幻想的である。ノバラで多くの人が思い出すのは、「童は見たり…」の「野ばら」というあの歌だろう。しかし、この歌に出てくるノバラは白ではなく赤い色である。なぜなのだろう。 この歌は、ドイツの文豪、ゲーテ(1749-1832)の詩にシューベルトとウェルナーが曲を付けた。日本では近藤朔風の訳詞で知られている。3番まであるが、いずれも最後は「紅(くれない)におう 野中の薔薇」となっている。 「童は見たり 野なかの薔薇 清らに咲ける その色愛でつ 飽かずながむ 紅におう 野なかの薔薇」(1番) 「野いばら」という梶村啓二の小説がある。江戸幕府の軍事情報探索のため、生麦事件直後の横浜で暮らした英国軍人の手記を偶然手にしたビジネスマンが英国軍人のその後をたどる内容だ。題名の通り、ノイバラがキーワードになっている。この本にはノイバラの説明として以下のように記されている。 バラ科シンステラ節。東アジア、日本原産。落葉低木、半つる性、1~3メートル。分岐多数、奇数羽状複葉、枝に鉤形の刺あり。花期5、6月。白、小輪、五弁。枝先に円錐花序を出し、芳香のある白い花を多数咲かせる。果実は小球形、光沢あり紅熟…

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1237 悲しみのために花となる 殿堂入りバラ園にて

「薔薇は薔薇の悲しみのために花となり青き枝葉のかげに悩める」 若山牧水 (薔薇がまるで心を持ったもののように歌っている。作者は自分の心の悲しみや悩みを、薔薇に移してうたった。山本健吉・句歌歳時記 夏・新潮社) 前回のブログで薔薇について書いた。友人の一人は「お世話になった先輩のことを思い出した」というが、人は薔薇を見ながら何を思い、考えるのだろう。 今回は、あらためて薔薇の写真を特集としてアップしてみる。(薔薇の名前は省略します。どんな名前かイメージするのも楽しいはず) 1-5枚目がわが家の庭の花、それ以降が佐倉市の「草ぶえの丘バラ園」で撮影した。このバラ園は、このほどアメリカ・サンマリノにある「ハンティントン図書館、美術館及び植物園」によって「殿堂入りバラ園」に選ばれた。「草ぶえの丘バラ園」がボランティアの協力で貴重品種・ヘリテージローズ(オールドローズ)の収集と保存に寄与し、ヘリテージローズ保存の重要性の啓発に貢献した―というのが選出の理由という。 同園には原種やオールドローズを中心に1050種、2500株があり、一番美しい季節を迎えている。日本にはここよりも数が多いバラ園は存在するだろうが、ボランティアの全面協力で維持されているのはそうないのではないか。敷地内ではさらに薔薇の植栽が進んでおり、今後バラ園としての規模も拡大するはずだ。   札幌に住んでいた当時、よく通ったバラ園があった。市内を眺望できる藻岩山麓の標高93メートルという高台にあった「ちざきバラ園」であ…

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1119 ことしの花は寂しい アジサイを見に行く

アジサイの季節だ。だが、ことしのわが家周辺のアジサイは精彩がない。わが家の数本と、遊歩道に植えられたアジサイとも花芽が少なく、梅雨入りしてこの花の開花の時期になっても、例年のような瑞々しい花の饗宴はない。インターネットで調べると、花が少ない理由として枝の剪定のやり過ぎや夏場の温度不足、肥料過多、冬場に霜や寒さのためつぼみが十分に育たなかった―などがあるという。私の家の周辺のアジサイは、冬の寒さが影響したらしい。 以前、車で行ったことのある千葉県多古町の「あじさい公園」(遊歩道)に行ってみた。ここもやはりというか、花芽が少なく、何となくさびしい。比較的花が多い場所を選び、カメラのシャッターを切った。俳句心があれば一句というところだが、ここでは先人の句をいくつか鑑賞してみる。(山本健吉・句歌歳時記=新潮社) あじさゐが藍となりゆく夜来る如(ごと) 橋本多佳子(夜がやってくると、すべてのものに藍色のフィルターをかける。紫陽花は七変化と言って、長い花期をさまざまに色の変化を起こす。藍色を夜になり行く色と見たのである) 紫陽花の藍きはまると見る日かな 中村汀女(七変化するという花の色のきわまったと思われる日。「あじさゐ」「あゐ」と同音を重ねて快い) あじさゐの藍を盗みに闇迫る 長谷川秋子 (夕闇が次第に紫陽花の藍色を消していく。「藍を盗みに」と擬人的に言って、季節の色っぽさをただよわせる) 多古の遊歩道は、栗山川をはさんで約1万株のアジサイがあるそうだ。川ではボランティ…

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1109 立夏は過ぎたが… 季節の変化の「小さな嵐」

新緑の季節である。このころが一年で一番好きだという人が多いのではないか。ことしは連休後半のこどもの日の5日が「立夏」だった。 白井明大著「日本の七二候を楽しむ」には、「次第に夏めいてくるころのこと、あおあおとした緑、さわやかな風、気持ちいい五月晴れの季節です」とある。ところが、翌日の6日は北海道帯広市で雪が降り、宮崎県では30・2度という真夏日になるなど、この日本列島は「真冬と真夏が混在する」異常な天気の一日だった。 5日の端午の節句には菖蒲湯に入り、柏餅とちまきを食べるという古来の習慣を現代の日本人のどの程度が経験したか見当がつかない。私の子ども時代の数十年前なら、90%以上の人たちが菖蒲湯と柏餅のセットを楽しんだのではないかと思われる。 菖蒲は葉から香りが立ち、茎には保温と血行促進の効果があるという。柏餅に使われる柏の葉は新芽が出るまで葉が落ちないことから、家系が絶えない縁起物といわれた。そして、ちまきは中国戦国時代の詩人で政治家だった屈原に関する故事が由来だそうだ (屈原は中国・戦国時代の楚の忠臣で博覧強記の人といわれたが、政敵によって失脚し、5月5日に入水自殺した。屈原を慕う民衆が弔いの意味を込め、さらに魚が屈原の亡骸を食べて傷つけないようにと、魚に米の飯を食べさせる目的で命日の5月5日に笹の葉で包んだ米の飯を川に投げ入れたことが、端午の節句にちまきを食べるようになった習慣の始まりだそうだ) 私はことしも菖蒲湯に入り、柏餅を食べたが、これが平均的な日本人なのだ…

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1108 出会いの瞬間が大切 本間秀夫写真集「純白の貴婦人 オオバナノエンレイソウ」を見る

北海道で生活したことがあり、少し野の花に興味を持つ人なら、「オオバナノエンレイソウ」(大花延齢草とも書く)の存在は知っているだろうと思う。この花の魅力にひき寄せられた川崎在住のフリーフォトグラファー・本間秀夫さんは長年にわたって北海道に通い、4月に「純白の貴婦人 オオバナノエンレイソウ」(ナチュラリー社刊)という写真集を出した。20年来のこの花に寄せる思いが凝縮された写真集は、可憐な花の姿を通じて自然保護の重要さを訴えている。 この花との出会いについて本間さんは次のように書いている。共同通信社札幌支社在籍当時の1993年6月のことだ。釧路市で開催されたラムサール条約締約国会議の関連取材で釧路湿原に行くと、入り口付近に花弁が3枚のシンプルな白い花を一輪見つけた。花の名前も知らないまま、風変わりな花と思い一枚だけシャッターを押した。 帰ってから図鑑で調べると、その白い花は「オオバナノエンレイソウ」という名前で北海道に多い野の花と分かった。翌94年の春、千歳市郊外の林道で、本間さんは小川のほとりに群生するこの花を見つけた。木漏れ日の中でそよそよと揺れる純白の花に胸がときめき、被写体としてこれから付き合っていくのかなと、予感めいたものを感じたのだという。 その予感を大事にして本間さんは東京本社に戻って以降もライフワークとして純白の貴婦人を求めて、北海道に通い続け遅い春を味わう。 いまでは全国的に有名になった北海道・美瑛。その丘の街の四季を美しい写真で世に知らせたのは前田真三だ。前田…

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1104 ふと見るいのちのさびしさ 福島の滝桜と花見山公園に行く

原発事故がいまだ収束しない福島を旅した。桜前線は既に県北部まで到達していたから、住民たちが避難した地域の桜もひっそりと咲いたはずだ。今回の旅は福島の2つの花の名所を訪ねるのが目的だった。日本三大桜といわれる三春町の「三春滝桜」と、写真家の故秋山庄太郎が「福島に桃源郷あり」と称えた福島市の「花見山公園」である。そこには多くの人が詰めかけていた。やはり、人は花に心の安らぎを求めるのだろうか。 平安末期から鎌倉初期にかけての歌人で漂泊の旅を続けた西行は、陸奥(東北)の旅で「類ひなき 思ひいではの 桜かな うすくれなゐの 花のにほひは」という歌を残している。西行が見た桜は山形市滝山の大山桜といわれているが、現代の2つの花の名所は、西行でなくとも「類なき思い」に浸ってしまう。 ベニシダレザクラの巨木である滝桜は、推定樹齢が1000年を超えているそうだ。三春町の滝という地区にあり、四方に広がる枝に咲いた花が流れ落ちる滝のように見えることもあって、こんな名前が付いたのだという。いまでは全国的に有名になり、この季節にはテレビでもその姿が中継される。たしかに実際目にすると、薄紅色の花模様は滝のように見えた。これまで多くの桜を見た多くの人たちにも記憶に残る姿だったに違いない。 三春町から高速道路に乗り福島市に向かい、途中からシャトルバスに乗り換え、花見山公園に到着した。秋山庄太郎は「桃源郷」と表現したが、私は「百花繚乱」という言葉を連想した。黄色いユニフォーム姿の花案内人というボランティ…

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1103 花束を拾う姿に浅田の区切りを思う 挫折を乗り越えたスケート人生 

フィギュアスケート女子の浅田真央が、ソチ冬季五輪シーズンとなる来季限りで現役を引退する意向だというニュースが流れた。東京で行われていた世界国別対抗戦のフリーのあと「ソチ五輪を集大成としていい演技ができるようにしたい」と、引退表明と受け取れる発言をしたという。 フリーの演技のあと、リンクに投げ入れられた花束を一生懸命に拾う姿を見て、何かがあると思っていた。花束を拾ったのは、彼女自身の区切りの気持ちが表れたのだろうか。 2月に神戸を旅した帰りの新幹線の同じ車両で、浅田のコーチの佐藤信夫さんと一緒になった。小柄だが、ただ者ではない雰囲気があった。天才スケーターと言われながら、挫折を繰り返す浅田を辛抱強く育ててきた佐藤コーチ。世界国別対抗戦のショート、フリーとも切れのない演技で個人5位に終わった浅田をどのように思ったのだろう。テレビではいつもの柔和な表情だったが、浅田以上に悔しかったに違いない。 スポーツ選手の競技人生は、さまざまだ。モーターボートレースで最近、71歳の加藤峻二が史上最年長で優勝し、2012年のロンドン五輪の馬術には加藤と同じ71歳の法華津寛が出場した。プロ野球でも中日の山本昌投手が47歳で勝ち星を挙げ、これも史上最年長の記録を更新した。だから、現在22歳の浅田が来シーズンで引退と聞くと、「まだやれるのではないか」と思う。 しかし、それは第三者が勝手に思っているだけで、浅田のこれまでのひた向きに氷と格闘したスケート人生を見ていると、これ以上引き止めることはできない。…

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1099 被災地陸前高田の街から 満開の桜の花の下で

東日本大震災によって死者1556人、行方不明217人(2月末の岩手県発表)と、岩手県で最大の被害が出た陸前高田市。高田の一本松の保存問題でも全国的に知られた街だ。最近、この街に住む親類(いとこ)と連絡がとれ、九死に一生を得たことを知った。大震災から2年が過ぎたが、被災者の心は晴れないことをいとこの話を聞いてあらためて思い知った。 いとこは福島県塙町出身で74歳。同町の総合病院に勤務していた石巻市出身の理学療法士と結婚、夫の岩手県立高田病院への転勤で陸前高田に移り住んだ。2人の子どものうち長男は医師、長女は助産師になり、夫が亡くなったあとは独りで市内に住んでいた。3月11日は自宅から離れた所にいたが、地震があった後、急いで車で自宅に戻った。家の前には川が流れており、津波が来るというニュースで山へ逃げ助かった。 「友達のところに行っていたら、どうなっていたか分からない」という彼女は、家族との思い出が深い家は流されてしまい、その後、避難所にいて子どもたちと再会、長女が住む釜石に移った。この年の8月からは、陸前高田市内の仮設住宅で独り暮らしを始め、ことし1月末からは同市内の高台の米崎町和方地区に娘が建てた家で2人で暮らしている。 私はこのいとこには子どものころしか会っていないが、大震災後福島に住む兄から、いとこが陸前高田に住んでいて被災したという連絡を受けた。最近、親類の葬式に出席した姉からこのいとこも岩手からやってきたという話を聞いて、電話をしたのだった。 いとこは、私の電話…

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1096 白い可憐なコーヒーの花が 庭ではカイドウも満開に

 久しぶりに、わが家のコーヒーの木に白い花が咲いた。2008年と次の年の09年に花が咲いたこと、実がなったことなどをこのブログで紹介している。その後は花が咲かなかったので、大げさにいえば4年ぶりの開花だ。手入れが足りなかったのかもしれない。この4年の間には東日本大震災をはじめ、いろんなことがあった。コーヒーの木はそれを黙って見ていたのだ。 花はまだ咲き始めたばかりで、花の数も少ない。だが、花をつけるだけの元気を取り戻してくれたことがうれしい。コーヒーはエチオピアが発祥の地といわれているそうだ。紀元前の昔、遊牧民の山羊飼いと修道僧が野生の赤い木の実を食べたところ、全身に精気がみなぎった。そのため、この実を食べる習慣ができ、13世紀ごろには焙煎という方法を経て、飲み物として世界に定着したのだという。現在、約70カ国で生産され、世界で最も嗜好飲料として飲まれているのがコーヒーだそうだ。 コーヒーの花を見た後、豆をコーヒーミルで挽いて飲む。最近、朝のコーヒーを入れるのは、私の担当だ。以前は手挽きのミルを使っていたが、時間がもったいないので、電動に切り替えた。こんな可憐な花が実をつけて、独特の香りの飲み物になるのだから自然界は驚異だと思いながら、ミルで挽いた粉に湯を注ぐ。 今朝もいつもの調整池を散歩した。周辺はかなり濃い霧発生し、池もかすんで見える。自室のカレンダーの写真は、中国の桂林地方だ。観光名所といわれる漓江を挟む切り立った岩山が霧に包まれた幻想的な風景だ。霧は見慣れた風景に変化を与…

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1001 たった1本のオリーブでも いつかは陽気さ伝わる日が

隣の家との境に植えていたツルバラを思い切って切り、オリーブのレッチーノ(イタリア原産)という小さな苗を1本植えた。九州のオリーブ畑を見て、わが家にもほしくなったからだ。先日訪ねた長崎・平戸では、知人が耕作放棄地にオリーブを植えることになったと話してくれた。通信販売やホームセンターでも苗木が売られているので、昨今は日本でも静かなオリーブブームなのかもしれない。 平戸の知人は、地域興しの活動をしているNPOから、自分の家の耕作放棄地に「国から補助金が出るのでオリーブを植えないか」という話があり、50本程度植えることで契約したそうだ。平戸には、2年ほど前から耕作放棄地にオリーブを植えているNPOがあり、将来は平戸をオリーブの産地にしたいという夢を持っている。その夢の一環として、知人も協力することになったようだ。 日本のオリーブの産地は、香川県小豆島であることは以前のブログに書いた。しかし、長崎のNPOだけでなく、九州オリーブ普及協会というしっかりした団体が九州の耕作放棄地や遊休地にオリーブを植える運動をやっているので、今後、九州はオリーブの一大産地として名乗りを上げることになるかもしれない。 世界的に見れば、オリーブの産地はスペインやイタリアで、優れた品種もそちらにあるようだ。そこで九州オリーブ普及協会は、ことし3月、イタリアのオリーブ産地、トスカーナから5000本の苗木を輸入したという。これをめぐっては、以下のような話があったと聞いた。 輸入した苗木が植物検疫でストップをか…

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985 モクレンが狂い咲き 梅雨明けは近いのか

駅へと通じる道路の両脇にある街路樹のモクレンの花が咲いている。3月末に一度咲いた花が、梅雨空の中「もう一度顔を出しましたよ」と言いたげに空に向いている。いわゆる、狂い咲きというやつらしい。3月末に比べると花の量は少なく、白い花も紫の花も1本に数個しかない。6月に台風が上陸し、このあたりもかなりの強風に襲われた。それが背景にあるのだろうか。 インターネットで調べてみると、この花はけっこう狂い咲きがあるらしく、数年前にも発生したという話が載っている。しかし、この道路のモクレンがいまの季節に咲いたのを見た記憶は全くない。台風によって、植物の開花時期を調整するアブシジンという物質に影響があったのかもしれない。 山村暮鳥は「雲」という詩集の中でこんな詩を書いた。 ―ある時 木蓮の花がぽたりとおちた まあ なんという 明るい大きな音だつただらう さやうなら さやうなら― 狂い咲きの花は、明るく大きな音を立てて落ちるというよりは、湿った空気の中でひっそりと静かに短い花期を終える。 自然界が人智を超えたものがあることをこの狂い咲きで感じたのだが、夕方に晴れ間がのぞくと、散歩コースの調整池周辺では赤とんぼと同じくらいの大きさのおびただしいトンボが飛び回っていた。梅雨が明けたと勘違いしたのかもしれない。 写真1、狂い咲きの白モクレン 2、紫のモクレン 3、大きな実がついたモミ(これも初めて見た)

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983 散歩コースに咲くユリ科の花 絶滅危惧種のユウスゲかあるいは?

毎朝、犬とともに散歩をする。そのコースには大雨の場合などに川の流量をコントロールするすり鉢状の調整池がある。その周りが遊歩道になっていて自転車もほとんど通らないため、散歩を楽しむ人が少なくない。遊歩道脇は斜面の部分が多く、その一角に最近、写真のような花が咲いているのを見つけた。家人は「ニッコウキスゲではないか」というが、それよりも花の色が薄い。では、何の花なのだろう。 ニッコウキスゲは日光の霧降高原や尾瀬などに群生していることで知られる。和名は「禅庭花」(ゼンテイカ)というそうだ。この花に近い種類を調べると、「ユウスゲ」(夕菅とも書く)という花があり、写真の花にそっくりだった。図鑑には「本州から九州の丘陵地の草原に生育する」との説明があり、特に伊豆地方や棚田の町である兵庫県香美町、熊本・阿蘇高原などで群生しているのを見ることができるという。 しかし、都市化現象で全国的にこの花が姿を消し、多くの県で絶滅種、絶滅危惧種、準絶滅危惧種に指定している。私の住む千葉県では野生絶滅(EX)に指定しているので、違うかもしれない。 さらに図鑑を調べてみると、ヘメロカリスという花が一日でしおれてしまう「デイリリー」とも呼ばれる花かもしれない。毎年花を咲かせる多年草で、ヘメロカリスはギリシア語で「一日」を意味する「へメロ」と「美」と言う意味の「カロス」の2つの言葉が由来だそうだ。図鑑によれば「花茎はつぼみが出てくるごと直角に向きを変え、渦を巻くように伸びる「かたつむり状花序」が特徴らしい。 こ…

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977 アジサイの花を求めて 道の駅の川沿いを彩る心の花

アジサイの花を求めて、ドライブした。成田空港からそう遠くないところに多古町がある。「たこ」という地名である。道の駅に隣接した川の両側にはアジサイが植えられており、いまが見ごろになっている。町の人たちが丹精を込めて栽培をしているのだろう。見事な花がどこまでも続いていた。 萩原朔太郎は「こころ」という詩(純情小曲集)を書いた。以下はその全文だ。 こころをばなににたとへん こころはあぢさゐの花 ももいろに咲く日はあれど うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。 こころはまた夕闇の園生(そのお)のふきあげ 音なき音のあゆむひびきに こころはひとつによりて悲しめども かなしめどもあるかひなしや ああこのこころをばなににたとへん。 こころは2人の旅びと されど道づれのたえて物言ふことなければ わがこころはいつもかくさびしきなり。 いまの季節を詠った詩であり、梅雨に降りこめられた詩人の気持ちが伝わってくる。 梅雨寒の日が続いた。午後からようやく晴れ間が見えたらと思っていると、急に暑くなった。歩いていて汗をかいたのは久しぶりだ。家に戻り、慌てて扇風機を出した。さて、この夏は酷暑なのか、しのぎやすい日が続くのか。

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895 ことしも咲いた皇帝ダリア 青空に映える11月の花

昨年、ホームセンターで買った2本の皇帝ダリアを庭に植えた。秋になって花が咲き、霜が降りたあと、茎を10センチほど残して切り落とした。切った茎は30センチ程度に切りそろえ、地中に埋めた。今年春、2本の株から新しい芽が出て昨年よりも成長、茎の長さは4・5メートルほどになった。今週月曜日につぼみが大きくなり、青空が広がったきょうはかなりの花が咲いた。 土に埋めた方からも芽が出たので、何本か植えてみた。成長度は悪いが、こちらも花が咲き始めている。11月の乾いた空気の中で、咲き続ける皇帝ダリアの姿は凛としていて、美しい。 ミカンや金木犀を追い越したので、2階から花がよく見える。 3

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877 ことしもセイタカアワダチソウの季節に 元気失った散歩コースの花

毎年、この時期になると「セイタカアワダチソウ」のことを書いている。 手元の「散歩で出会う花」(久保田修著)によれば、「北アメリカ原産。荒れ地、川辺などで見られる。頭花は3ミリ以下と小さいが、花序は大きく、茎上部につく。葉は披針形で表面は加賀ありざらつくが、よく似たオオアワダチソウはざらつかない。以前は大群落となり繁茂したが、最近は減少している」と書かれてある。 このブログを始めて5年が経過した。振り返ってみると、毎年必ずこの花(雑草)について触れている。毎朝の犬の散歩コースである調整池の周辺に以前はかなり繁殖していたので、秋の話題に取り上げているのだ。06年10月16日「セイタカアワダチソウ考」から07年は10月23日「秋のお花畑」08年10月4日「秋を知る」、09年10月10日「自然界の勢力地図」、10年11月2日「遅い秋」まで一つの花について我ながら続けて観察したものだと思う。 それだけ、目立つということなのだろうか。しかし、今年の花は何となくいつもの年に比べると元気がない。ススキとの生存競争は完全にあきらめたかのようで、ススキの周辺にからこの花は撤退してしまったし、群生している花も勢いが感じされないのだ。久保田の本にあるように調整池だけでなく、私が住む地域周辺の道端からこの花は間違いなく減少している。それは自然界の栄枯盛衰を示しているようだ。 ところで、この花の天敵といわれているススキの花穂がついた茎を手当たり次第に折っている人を見かけたことがある。犬の散歩をしながら…

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