1927「本の表紙を変えただけでは」 理想の政治家像とは

 「本の表紙だけを変えても、中身が変わらなければ駄目だ」。自民党の総裁選のニュースを見ていたら、こう言って、総理大臣(首相)になるのを固辞した政治家がいたことを思い出した。私は政治家は嫌いだ。だが、当時この政治家の気骨ある姿勢に驚き、自民党にもこんな人物がいるのだと感心した。時代は変わって、今こうした政治家の存在を知らない。

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1926 学べき悔恨の歴史 秘密文書に見るユダヤ人問題

 前回のブログで、ナチス・ドイツの強制収容所アウシュヴィッツにあったオーケストラのことを書きました。引き続きこれに関連したことを記したいと思います。太平洋戦争中、日本政府が人口・民族政策に関する研究を行い、秘密文書をまとめていたことはあまり知られていません。この研究ではユダヤ人問題でナチスの政策を追認していたのです。この文書の存在が明らかになったのは戦後36年経た1981(昭和56)年のことでした。あれから39年の歳月が経ているのですが、地球上から差別問題は依然消えていません。

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1923 刀折れ矢尽きた首相 現代の政治家が失ったこと

 本来なら有終の美を来年の東京五輪で飾るはずだった。だが、安倍首相は28日、辞任を表明した。持病の難病、潰瘍性大腸炎が再発したためだ。あと1年の任期を残しての辞任は、刀折れ矢尽きる状態といえるようだ。病によって精魂ともに尽き、政治のリーダーを続ける意欲がなくなったのだろう。(それほど懸命に政治に取り組んだとは思えない。取り巻きの官僚の言いなりになったにすぎないのではないか、裸の王様だった、という声も聞こえてくる)安倍政権の功罪は様々だ。私から見たら罪の方が大きい(うそが多かった)のだが、野党に力がないから次のリーダーも自民党の誰かがなるだろう。その条件は?

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1921 金に頼る政治家たちへ 寅さんの怒りの口上が聞こえる

「天に軌道があるごとく、人はそれぞれ自分の運命というものを持っております。とかく気合いだけの政治家はうわべはいいが、中身はない。金を使えば何でもできると思っていたら、そりゃあ、間違いだよ。な、そうだろう」。暑い日々、家に籠ってぼんやりと新聞の川柳を読んでいたら、映画『男はつらいよ』の、寅さんの切れ味のいい口上が聞こえるような気がしてきた。そうか、金に頼って不正が発覚した政治家たちをいまいましく思って、寅さんは声を掛けてきたのだ。先月も寅さんに怒られる夢を見た。最近、どうやら天国の寅さんは地上の人間たちの行状にイライラしているのもしれない。                

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1919 近づく新米の季節  玄関わきに田んぼあり

 今年も新米の便りが届く季節になった。散歩中に、近所の家の玄関わきで稲を栽培しているのを見つけた。水田というにはあまりにも小さい。高さ約30センチほどのコンクリートで囲った、1坪程度の小さな田んぼだ。中の稲は元気に育って実をつけ、頭を垂れている。ままごとのような田んぼでも、猛暑による熱中症を恐れコロナ禍にたじろぐ私たち人間を尻目に、自然界は実りの秋へと少しずつ移行を始めていることに気づかされるのだ。

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1917 8年間に6000キロを徒歩移動 過酷な運命を生き抜いた記録

 今年5月、このブログで「今しかない」(埼玉県飯能市の介護老人保健施設、楠苑・石楠花の会発行)という小冊子を紹介した。この中に「「私の人生は複雑で中国に居たんです。抑留されて8年間いました。野戦病院だったから、ロシアの国境近くから南の広東まで6000キロ歩いて移動したこと、助け合いながら一緒に歩いた友達を思い出します」と書いた女性がいた。この女性が記憶を頼りに記した「中国抑留の記録」を読んだ。75年前の8月、突然それまでの人生が暗転し、それから8年間中国に残り、共産党軍(八路軍=人民解放軍)と行動を共にした記録である。「中国革命に参加して」という副題が付いた記録を読むと、過酷な運命と闘いながら懸命に生き抜いた若い女性の姿が蘇るのである。(やや長いが、お付き合いください)

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1916 別れの辛さと哀しみ 遠い空へと旅立った友人たちへ

    私らは別れるであらう 知ることもなしに   知られることもなく あの出会つた   雲のやうに 私らは忘れるであらう   水脈のやうに         (立原道造詩集「またある夜に」より・ハルキ文庫)  梅雨が明けたら、猛烈な暑さが続いている。そんな日々、友人、知人の訃報が相次いで届いた。人生は出会いと別れの繰り返しだ。そんなことは百も承知だとしても、懐かしい人たちとの別れは辛くて、悲しい。彼らは遠い空へと旅立った。  Aさんは、環境問題を専門に取材した。たばこの煙がもうもうする中で、彼よりも若い記者と2人で嫌煙権を主張した。当時の120人近い記者集団の中では異質だったが、Aさんの行動は正しかった。年末になると、宮崎の知り合いから車海老を取り寄せる注文を取った。多くの部員がそれを楽しみにしたことを忘れない。記者をやめた後、故郷の北海道に帰り、そばを作り、琉球空手を教えた。ひげを伸ばした姿を見ると、私はアイヌの人々を連想した。物静かな先輩だった。  Bさんは、防衛問題の専門記者だった。心優しく、悪を憎んだ。粘着質という言葉は彼のためにあると、私は思ったことがある。現在、もしこんな気骨がある人が記者活動をしていたら、現政権に激しく立ち向かったと想像する。足で稼ぎ、きちんとした論理を構成した質問に、官房長官もたじたじしたに違いない。晩年、病魔との闘いの連続だった。神が存在するなら、なぜ彼にこのような試練を与えたのか、答えを聞いてみたい。  Cさんは、ある政治家の孫…

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1915 20年後の新聞 紙の媒体は残るのか

「20年後も(新聞が)印刷されているとしたら、私には大変な驚きだ」。アメリカの代表的新聞であるニューヨーク・タイムズ(NYT)のマーク・トンプソン最高経営責任者(CEO)の発言を聞いて、驚く人、悲しむ人、当然だという人……さまざまな感想があるだろう。私は思う。というより願いである。新聞は必ず残る、と。でも、それは神のみぞ知るである。  トンプソン氏はCNBCテレビ(米国のニュース専門放送局)のインタビューで冒頭のような言葉で、20年後に紙の新聞はなくなることを予測した。報道によると、NYTの契約者数は6月で84万部。コロナ禍によって広告収入が半減したが、デジタル(電子新聞)での契約数は570万になっていて、この4~6月期の売り上げはデジタルの方が紙媒体よりも上回ったという。米国やオーストラリアで地方紙が廃刊に追い込まれたニュースも目にした。新聞業界には今、猛烈な逆風が吹いているのだ。  ドイツ出身の金細工師であり、印刷業者だったグーテンベルクが印刷に改良を加え、活版印刷を発明したのは15世紀のことである。活版印刷は紙媒体の発達に多大な貢献をし、新聞の発行部数増、発達にも寄与した。そして、今ライバルとして登場した電子媒体によって、紙媒体は苦戦を強いられ、NYT・CEOのような紙媒体の衰退を予測する人も少なくない。  世界ではコロナ禍による広告の激減が新聞経営に大きな打撃を与え、日本の新聞も例外ではないと思われる。日本新聞協会によると、日本の新聞発行部数は2019年が3781万124…

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1914 核の脅威依然減らず 安らかに眠ることができない時代

「安らかに眠るに核は多すぎる」 小栗和歌子さん作のこの川柳は、1975年9月号の「川柳 瓦版」に掲載されたものだ。「安らかに眠る」とは、広島の原爆慰霊碑(1952年建立)の碑文「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」(雑賀忠義広島大学教授が揮毫)にあり、よく知られている言葉だ。広島に続き、長崎に原爆が投下されて75年。この川柳から45年を経ても世界の核廃絶は一向に進まない。  6日の原爆の日。慰霊式典での松井広島市長の平和宣言と安倍首相のあいさつは、今年もかみ合わなかった。市長は平和宣言の中で国連の「核兵器不拡散条約」(NPT、1970年発効)と核兵器禁止条約(2017年に成立)について触れ、共に核兵器廃絶に不可欠な条約であり、日本政府には核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかり果たすためにも核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いを受け止めて、この条約の締約国となるよう訴えた。これに対し安倍首相は、「立場の異なる国々の橋渡し役に努め、各国の対話や行動を粘り強く促し、核兵器のない世界実現に向けた国際社会の取り組みをリードしていく」と述べたものの、核兵器禁止条約には全く触れなかった。  この条約は「核兵器の使用によって引き起こされる壊滅的な人道上の結末を深く懸念し、そのような兵器全廃の重大な必要性を認識し、廃絶こそがいかなる状況においても核兵器が二度と使われないことを保証する唯一の方法である」とし、開発から使用まで全面的に禁止することを目的にしている。2017年7月7…

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1913「 シンプルに生きる日々」 作家のような心境にはなれない

 この時代をどう見るか。それは世代によっても、これまでの人生経験でも違うかもしれない。コロナ禍が世界各国で日々拡大し、死者が増え続ける事態に人類が試練に直面していると思う。私のこうした焦りは、戦争という修羅場を体験していないのが原因なのだろうか。作家の沢木耕太郎は「みんながこの状況を過度に恐れすぎている」と、「Yahoo!ニュース 特集編集部」のインタビューで答えている。だが、私は沢木のような心境にはなれない。  沢木がインタビューに答えたニュースを読んだ。『深夜特急』でノンフィクション作家としてデビューした沢木は、この分野だけでなく小説も手掛け、幅広い活動を続けている。冒頭の言葉の背景には、『深夜特急』の旅があるという。インドという混沌の国を歩いた沢木は、同書で以下のように書いている。「そのうちに、私にも単なる諦めとは違う妙な度胸がついてきた。天然痘ばかりでなく、コレラやペストといった流行り病がいくら猖獗(しょうけつ)を窮め、たとえ何十万人が死んだとしても、それ以上の数の人間が生まれてくる。そうやって、何千年もの間インドの人々は暮らしてきたのだ。この土地に足を踏み入れた以上、私にしたところで、その何十万人のうちのひとりにならないとも限らない。だがしかし、その時はその病気に『縁』があったと思うべきなのだ」  コロナ禍の中で、沢木は仕事中心の生活を送っていると述べた後「語弊があるかもしれませんが、ごくごくシンプルに、大したことではないんじゃないかなと思う」「仮に僕が、この新型ウイルスにか…

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1912 電動でもペダルを漕いで! 2020年夏の小話

 「電動自転車というのに、ペダルを漕がないと動かないのかねえ?」 「乗るだけでは動きませんよ。バッテリーのスイッチを入れ、ペダルを漕ぐ必要があります」  このところ急速に普及している、いわゆる「電動自転車」をめぐる落語のような話を聞きました。新型コロナによって暗いニュースが続く中での笑い話のようにも思えますが、私自身の失敗を思い出させるやり取りでもありました。  先日のことです。ことし購入した電動自転車を点検してもらうため、自転車店に行きました。私の前に同じ電動自転車を押した高齢の男性が入って行き、店の人とやり取りを始めましたので、私の耳にも入ったのです。電動自転車は正しくは電動アシスト自転車といい、充電式のバッテリーを搭載し、ペダルを漕ぐ力を手助けしてくれるますので、走行が普通の自転車よりかなり楽になっています。そして、高齢の客と自転車店の店員のやり取りは次のように続いたのです。(以下、客と店で表記)  客「電動というからには、何もしなくとも動くと思っていたんだ。でも、動かないからペダルを漕いでみたら、重くてねえ。普通の自転車より疲れるよ」  店「それはバッテリーのスイッチを入れないからですよ。スイッチを入れてからペダルを漕ぐと、軽く進みますよ。お客様。ここのスイッチは入れていましたか。(ハンドル左側のバッテリーの電源スイッチのこと)入れてない! ほら、この電源を押してペダルを漕ぐと楽になりますよ」  客「この自転車を買ってから1カ月経つけど、走るのに重くて大変だった。ペダル…

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1911 私利私欲を憎め 小才子と小悪党がはびこる時代

 現代の日本社会を見ていると、小才子(こざいし)と小悪党が跋扈(ばっこ)し、私利私欲のために権力を動かしている者たちが大手を振って歩いている。これは独断と偏見だろうか。決してそうではないはずだ。コロナ禍に襲われた今年も残りは5カ月余になっている。このように書くのは気が早いと言われそうだが、災厄が早く去ることを願うが故のせっかちな表現をあえてしてみた。この間コロナで多くの人々が苦しむ中で、一部の人間は甘い汁を吸い、私利私欲のために走りまくったのは間違いない。  小才子は「小才の効く人、ちょっとした才知のある者」という意味だ。「残念ながら 今日 の日本の社会はこういう奴が沢山にあって、小才子 の天下になっている」(新渡戸稲造 『今世風の教育』)というように、人を誉める言葉ではなく、マイナス評価として使われる。この言葉で思い浮かぶのは、首相に忖度を続け全体への奉仕者であることを忘れた官僚の姿であり、小悪党といえばあの人、この人、あいつもそうだと何人かの政治家の顔がちらつく。毎日の新聞を読んでいてそうした話題が尽きないから、現代はまさに「悪貨は良貨を 駆逐する」グレシャムの法則を思わせる時代だと思う。  この法則は16世紀のイギリスの財政家・国王財政顧問トマス・グレシャム(1519~1579)がエリザベス女王(1世)に進言したといわれる経済法則だ。1つの国に価値の異なる2種類以上の貨幣が同一の額面で通用している場合、質の高い良貨は退蔵、溶解、国外への流出などにより市場から消え、悪質の貨幣だけが…

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1910 奇跡を願うこのごろ 梅雨長し部屋に響くはモーツァルト

「奇跡」を辞書(広辞苑)で引くと、「(miracle)常識では考えられない神秘的な出来事。超自然的な現象で、宗教的真理の徴(しるし)と見なされるもの」とある。2020年の今年こそ、奇跡が起きてほしいと願う人が多いのではないだろうか。ある日突然、この地球から、新型コロナウイルスによる感染症が消えてなくなるという奇跡である。だが、どう見ても、この奇跡は起きそうにない。  かつて、私は奇跡に近い出来事に遭遇したことがある。太平洋戦争の激戦地だったガダルカナル島(現在のソロモン諸島国)に平和慰霊の公園が完成、この取材に行った際、高台の公園から町に下りるバスに乗った。そのバスがブレーキ故障のために曲がりくねった坂道を暴走し、そのままでは右側の谷に転落する可能性が強かった。谷は深いジャングルになっていて、バスが転落したら乗っていた35人全員の命はなかっただろう。しかし、危機が迫った時、運転手はバスを谷と反対の左側の切り立った崖にぶつけて止めようとした。バスは横転して止まり、30人が重軽傷を負ったが、死者はいなかった。    実は、助手席に乗っていたガダルカナル戦で生き残った人が大きな声で「レフトサイド!」と叫び、それを聞いた運転手が左にハンドルを切り、ジャングルへの転落は免れたのだった。運転手は右腕をなくす重傷だった。助手席の人は修羅場を経験していたから、危機的状況にあっても冷静で、あのような機転を利かせたのだろう。その後、この事故で死者が出なかったのは奇跡に近いと、記者仲間から言われた。あれからか…

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1909「人生は死に至る戦いになる」かみしめる芥川の言葉

 先日、俳優の三浦春馬さん(30)が自殺し、テレビのワイドショーでは連日過熱報道が続き、行き過ぎだという声も出ている。そんな折、今月24日が「河童忌」であることを思い出した。大正文壇の寵児といわれた芥川龍之介の命日(1927年7月24日)だ。芥川の死は、当時の社会に大きな衝撃を与え、後追い自殺をする若者が相次いだという。芥川が35歳で自死してから今年で93年。三浦さんを含めた著名人、さらに無名の人たちとの突然の別れは悲しく残念でならない。  芥川の命日の名称は生前好んで河童の絵を描き、『河童』という短編を残したことから命名されたそうだ。芥川は「我鬼」という俳号で俳句も嗜んでおり、命日は「河童忌」とともに「我鬼忌」とも呼ばれる。  図書館の片隅を占め河童の忌 丸山景子  河童忌や涙流して若かりき 山口青邨  茄子紺の空と暮れける我鬼忌かな 鈴木しげを  青年の黒髪永遠に我鬼忌かな 石塚友二  石塚の句のように、写真に残る芥川は面長で黒髪の長髪、知的な表情だ。芥川は遺書を5通残し、3通が公開されており、岩波書店の『芥川龍之介全集 23巻』に収録されている。そのうち「遺書」は親友の画家、小穴隆一(おあなりゅういち、1894~1966)に宛てたものといわれ、「僕等人間は一事件の為に容易に自殺などするものではない。僕は過去の生活の総決算の為に自殺するのである」というのが、その書き出しだ。芥川は服毒自殺をした。その理由は諸説あって定説はない。それほど、人が自死する動機は複雑なのだ。 …

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1908 魔手から子どもたちを守れ コロナ禍の少数山岳民族地帯の現状

「人里離れた地域や経済的に困難な家庭環境にいる子どもたちが、様々な危機に直面しています」。山岳少数民族地域など、アジアの辺境で学校建設を進めているNPOアジア教育友好協会(AEFA)の会報30号に、新型コロナウイルスがこの地域の子供たちに深刻な影響を及ぼしている実情が掲載されていた。そんな子どもたちに「一条の光」が差し始めているという。 「『新型コロナ』その先を考える」と題した会報には、ベトナム、タイ、ラオス、スリランカの状況が現地NGOからの報告として掲載されている。いずれも外出禁止や休校といった社会隔離政策がとられたが、タイの非常事態宣言が今月31日まで延長されたものの、既に経済活動を再開している。4カ国のAEFAが支援活動をしている地域では、コロナによる感染者は出ていない。しかし、社会的に隔離された状況下、子どもたちに魔手が伸びているというのだ。以下の記述を読んで、コロナの影響の深刻さを感じるのは私だけではないだろう。 「村の封鎖等、地理的な移動が制限されたことにより、日雇い労働に従事していた村人たちが収入を失い、食料不足や経済的困窮が迫っています。精神的なストレスが女性や子どもへの家庭内暴力や、少数民族へのいじめにつながるケースもあるようです。また、学校が休校になったことで、子どもたちは思わぬ危険にさらされることになりました。親が畑仕事に出ている間に怪我をしたり、勉強する手段がないため無為の生活(ただ、ぶらぶらしている)に陥ってしまったり、人身売買のリスクも高まっているようです…

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1907「それを言っちゃあおしめえよ」 寅さんに怒られる

「それを言っちゃあおしめいよ」。寅さんが怒っている夢を見た。天国で楽しい生活を送っているはずの柴又の寅さん(山田洋次監督、渥美清主演「男はつらいよ」シリーズの主人公)は、いつもの、あのスタイルで、普段の柔和な表情とはかけ離れた厳しい顔で、コロナ禍に戸惑う私たちを叱咤しているのだった。政府はコロナ禍によって客足が途絶えた観光地対策のために、「Go Toキャンペーン」を前倒しで22日から始めることを公表した。これに対し危ぶむ声が強くなっている。寅さんはこれにも怒っているようだった。  そうか、寅さんでさえも、と思っていると、頭をガツンとやられた。俺はお前が思っていることなんて、お見通しなんだぞ、というわけである。妙な夢だった。寅さんが私にげんこつを振るったのは、天国から見ていて現代に生きる私たちがあまりにも不甲斐ない、その代表として私を覚醒させようとしたのかもしれないと、思った。  寅さんの夢から覚めた朝、新聞を開くと、やはりコロナ関係の記事が大半だった。緊急事態宣言解除後、収まるかに見えた感染のペースが、このところ再燃し危険な状態になっている。こんな中、政府がスタートさせようとしている「Go Toキャンペーン」に延期を求める声が出ていることを中心に、大きなスペースが割かれている。多くの観光地を持つ地方紙はどんな記事を載せているのか。調べてみると、ほとんどが社説でこの問題を取り上げ、実施時期の延期や、苦境に立つ事業者の直接支援策の必要性を訴えている。そんな地方の声に政府は聴く耳を持たないの…

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1906 気になることを調べる楽しみ「紫陽花、曲師、風呂」について

 新聞を広げると、このところ毎日暗いニュースが紙面を埋め尽くしている。世の中の動きを正確に伝えるのが使命だから、紙面が豪雨被害、コロナ禍を中心になるのは当然なことだ。そして、豪雨の被害者やコロナで亡くなった人たちを思うと、気持ちが落ち込んでしまう。少しでも気持ちを落ち着かせようと、本棚からたまたま並んでいた3冊の本を手に取った。「本を読む楽しみ」を味わおうと思ったからである。  まず初めに頁を開いた本は、中村幸弘『難読語の由来』(角川文庫ソフィア)だった。この中で、梅雨の季節を象徴する花「紫陽花」について中村の解説を読んだ。以下はその概略。 「この熟語訓(熟語に訓読みを当てたもの)は古くから見られる。『和名抄』(和名類聚抄、平安時代に作られた辞書)には、「紫陽花 白氏文集律詩に紫陽花と云う 阿豆佐為(あづさゐ)」とある。現代訳にすると、中国唐時代の白楽天の詩文集である『白氏文集』、の律詩の中に『紫陽花』とあり、その「紫陽花」に相当する日本語があづさゐだ、という意味だ。     「あじさい」(という平仮名)はもっと古く、上代の文献の中にもある。「あじさゐの八重咲くごとく彌(や)つ世をいまわが背子(せこ)見つつ偲(しの)はむ」(万葉集。紫陽花が八重に咲くように、幾重にも栄えておいでください、わが君よ、私はその立派さを仰いで讃嘆いたしましょう)である。  その本文には万葉仮名で「阿豆佐為」と書かれているが、解説には「味狭藍(あじさゐ)とある。「味」は褒める言葉で、「狭藍」は青い花の色を言…

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1905 アメリカへ社会の病根の深さを抉った本 対岸の火事視できない日本

 アメリカ中西部ミネソタ州の白人警官による黒人男性暴行死事件(ことし5月発生)に抗議するデモが全米に拡大している。この背景にあるのは、言うまでもなく人種差別と深刻な格差社会である。その象徴のような存在に思えるトランプ大統領を「金儲けと貪欲一辺倒の時代のリーダー」と断じる本を知人が薦めてくれた。ジョセフ・E.スティグリッツ著、山田美明訳『プログレッシブ キャピタリズム 中流という生き方はまだ死んでいない 』(東洋経済)である。最近、ジョン・ボルトン前米大統領補佐官とトランプの姪、メアリ・トランプによる相次ぐ暴露本が話題になっているが、その前に出版されたスティグリッツの本はアメリカ社会の病根の深さを抉り出し、アメリカンドリームの幻想を断ち切るものだ。  スティグリッツは2001年にノーベル経済学賞を受賞した経済学者(コロンビア大学教授)で、ミクロ経済学(注1)の論客として知られている。タイム誌の「世界でもっとも影響力のある100人」に選ばれたこともある。本書は1970年代以降のアメリカ流資本主義(グローバル化と脱工業化→金融化)は行き詰まっているという視点から論を進め、この弊害が富裕層と貧困層の格差の拡大という分断社会を招いたと説いている。  資本主義の基本は自由競争だが、スティグリッツによれば、アメリカ経済はごく少数の企業が市場を支配し、利益を独占し続けている。これらは「反トラスト法」(注2)を弱体化させたことにより実現したもので、本書は市場での分配が労働者の不利にならないよう、緩くなっ…

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1904「医」と「恥」から想起すること 国手が欲しい国は

 山形県酒田市出身の詩人吉野弘(1926~2014))の詩『漢字遊び』の中に「医」「恥」という短い作品がある。コロナ禍の現代を端的に表すような詩を読んで、私は漢字の妙を感じ、同時に多くの政治家の顔を思い浮かべた。  吉野の「医」は以下の通り。     「医」の中に「矢」があります   病む者へ、まずは矢のように駆けつける心情   そして、矢が的の中心を射当てるように   “ズバリ的中”の診断をするのが身上――ちなみに   国の病気を治す名手が「国手」――今一番欲しい人  (ブログ筆者注・「国手」とは。国を医する名手の意。名医。名人の医師。また、医師の敬称。以上広辞苑)  朝刊に「移動自粛『不要』菅氏が都に反論」(朝日)という見出しの、全文12行のベタ記事が載っていた。このところ毎日100人を超える感染者を出している東京のコロナ対策として、小池都知事が都外への不要不急の移動自粛を要請したことに対し、菅官房長官が記者会見で「移動自粛を要請する必要はない」と反論した、という内容だ。これを読んだ読者は、どちらを信じたらいいのか戸惑うだろう。緊急事態宣言解除後、感染者が増え続ける事態に対し、官房長官発言は経済優先の国の方針を踏襲したものだろう。だが、それでコロナ対策がうまく行くのかどうか全く分からない。このままで本当に大丈夫なのだろうかと危惧する。  コロナ担当の西村という経済再生担当相も危なっかしい。きょうの衆院内閣委員会で「危機感を持って対応する」といういつもの言葉を…

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1903「星月夜」に一人歩いた少年時代 想像の旅フランス・長野・茨城・富山へ

 ゴッホが、代表作といわれる『星月夜』(外国語表記=英語・The starry night、フランス語・ La nuit étoilée、オランダ語:・De sterrennacht=いずれも邦訳は星の夜)を描いたのは1889年6月、南フランスサン・レミ・ド地方プロヴァンスにある修道院の精神病棟だった。日本では星月夜は「月は出ておらず、星の光で月夜のように明るく見える夜」のことを言い、秋の季語になっている。しかし、ゴッホの絵は夏に描いたもので、右上方に大きな三日月が描かれている。月が出ているのだから、日本でいえば星月夜ではない。だれがこのような日本語に訳したのだろうか。だが、この絵の題はセンスがよく、ロマンもあって違和感はない。  この絵は、部屋の東向きの窓から見える日の出前の村の風景を描いたものだという。ゴッホは弟テオへの手紙の中で絵について「今朝、太陽が昇る前に私は長い間、窓から非常に大きなモーニングスター(明けの明星・金星)以外は何もない村里を見た」と書いている。左下から延びる糸杉、右手には教会の尖塔や村の建物があり、背景には青黒い山並みがあり、上空には星々が輝く。中でも明けの明星がひときわ輝いている。星々の軌跡は渦を撒くように白く長く伸び、右上方には三日月が大きく描かれている。  日本各地には星空が美しい地域が点在している。例えば、長野県阿智村(中国残留孤児の救済に生涯をささげた山本慈昭さんが住職を務めた長岳寺はこの村にある)のもみじ平や茨城県と福島県境の茨城県常陸太田市里川町…

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1902 手塚治虫が想像した21世紀 「モーツァルトは古くない」

「鉄腕アトム」の作者、手塚治虫(1928~1989)は、21世紀とはどんな世紀と考えていたのだろうか。「原子の子、アトム」というキャラクターを漫画に描いた天才だから、私のような凡人とは異なる世紀を夢見ていたに違いない。人類を苦しめる新型コロナウイルスの出現まで考えていたかどうか知る術はないが、手塚なら救世主を生み出したかもしれないと思ったりする。 「このオペラが21世紀にたとえ火星上で、人工太陽の照明のもとに地球植民地歌劇団によって演ぜられても決して古くないと信じる」。これは『音楽の手帖 モーツァルト』(青土社)に「フィガロの結婚と私」と題して、手塚が寄稿したエッセーの中に出てくる言葉である。  このエッセーの中で、手塚はフィガロの結婚とロッシーニの「セヴィリアの理髪師」について「すべてが天下太平で、幸福感に充ちている」と記したあと、「フィガロの結婚」に関し冒頭のような評価をし、「それはモーツァルトの音楽が古典などを通り越して永遠だからで、その理由はやはり驚異的なオリジナリティをふまえたポピュラリティ(大衆性)だと思う」と続けている。手塚は子ども時代、宝塚歌劇団のある兵庫県宝塚で育ち、小さいころから男装の麗人が出てくる歌劇には慣れ親しんでおり、アニメ『リボンの騎士』の主役は男装の麗人である「フィガロの結婚」のケルビーノをモデルにしたという。  手塚の「フィガロの結婚」への思い入れは相当強いことがこのエッセーで分かるのだが、それはさておき、20世紀の終わり近くに死んだ手塚は、その後…

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1901 富山平野は「野に遺賢あり」 中国古典の言葉から

「野(や)に遺賢(いけん)なし」。中国の古典「書経」(尚書)のうち「 大禹謨(だいうぼ)にある故事である。「民間に埋もれている賢人はいない。すぐれた人物が登用されて政治を行い、国家が安定しているさまをいう」(三省堂・大辞林)という意味だ。現代日本の政治にこの言葉が当てはまるかだろうか。私はそうとは思わない。日本だけでなく、海外諸国に目を向けても首をかしげざるを得ない情けない状況が続いている。  ここに出てくる「大禹謨」というのは、今から約4000年前の紀元前1900年ごろに、夏王朝(伝説、実在説双方に分かれる)を創設した禹という人物の政策(はかりごと)のことをいう。禹は黄河の氾濫を収めた功績により帝位を受け、中国最初の王朝を創設し民を安定させたといわれる伝説の英雄である。  作家の陳舜臣は『中国五千年』(平凡社)という中国の歴史を書いた本の中で、禹を神話時代の人と記している。陳によると、「名君が名宰相を得て、国運を盛んにするというのも、中国史の一つのパターン」であり、禹は益という人物(賢者)に政治を任せて成功したという伝承があるそうだ。禹は現在の浙江省会稽で巡幸中に死んだとされ、後継者に益を指名したが、益が遠慮したため禹の子の啓が王位に付き、夏の世襲王朝(17王、14世)が続くことになったという。 「野に遺賢なし」ではなく、「野に遺賢あり」という言葉が宮本輝の『田園発港行き自転車』(集英社文庫)という長編小説に使われていた。富山平野で流水客土(赤土を水と混合し用水路を通して水田に…

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1900 コロナ感染者1000万人超 壮大なる無駄遣いアベノマスク 「ブログ1900回!」

 ブログ「小径を行く」は今回で1900回です。初めてから14年。ここまで到達しました。この記念すべき回にコロナ感染対策の「アベノマスク」、感染者1000万人について書いてみました。これも歴史なのでしょうか。  政府が新型コロナ感染拡大防止を目的として全世帯に配布(1世帯当たり2枚、計1億3千万枚)をした「アベノマスク」といわれる布マスクを利用している人を見たことがない。不思議な話である。私の家に届いたのは、安倍首相がマスクを配りますと、記者会見で宣言してから1か月半後の6月15日のことだった。周辺の家庭にも同時期に届いているはずだが散歩、ラジオ体操、日常の買い物、電車での買い物や通勤……。家族に聞いてもこれらの範囲内でこのマスクの人はいまだに見かけない。首相だけがつけている不思議なマスクは、新型コロナに右往左往した時代の象徴として、多くの人の記憶に残るだろう。  一時期マスクは店頭から消えたから、記者会見でマスクを配るという首相発言に期待を持った人もいるだろう。だが、その期待は裏切られた。マスクは小さいし、容易に届かない。届いたものは汚れているものも含まれていた。多くの世帯に届いたころは、ほとんどの店頭に様々なマスクが並んでいた。しかも日本は梅雨。布製のマスクは付けているだけで苦しいから合わない。(まだ届いていない地区もあるという) 「次なる流行にも十分反応できるよう、布マスクを多くの国民が保有することに意義がある」。菅官房長官の言葉は第2波の際に使ってほしいという言い訳にしか聞…

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1899 あの閃光が忘れえようか  広島を覆う暗雲

  あの閃光が忘れえようか   瞬時に街頭の三万は消え   圧しつぶされた暗闇の底で   五万の悲鳴は絶え    峠三吉の「八月六日」という詩は、こんな書き出しで、以下原爆投下後の広島の惨状を綴っています。あと1カ月余で、広島に原爆が投下されて75年になります。その広島は今、原爆とは異なる黒い雲に覆われているのです。前法務大臣河井克行、案里夫妻による公選法違反(買収)容疑事件であることは言うまでもありません。  案里氏が昨年夏(7月21日投開票)の参院選に立候補した際、広島県内の首長や議員ら94人に2570万円をばらまいた疑いが濃厚になっているのです。渡した疑いが持たれる夫妻は東京地検特捜部に逮捕され、もらった方も次々にその事実を認め、市長をやめるという人や、頭を丸刈りにして市長続投を主張する人など、さまざまな関連ニュースが続いています。「金権選挙」という言葉を思い出しました。  試みに「故事ことわざ辞典」(東京堂出版)で「金」にまつわる故事を引いてみました。たくさんあります。このうち、負の側面が強いと思われることわざを記してみましょう。  金があれば馬鹿も旦那 金があるおかげで、ばかがだんなといわれて世間をとおること  金が敵 金銭がわざわいのもと。金銭のために身を滅ぼす。金銭のために不和や反目を生じやすい  金が物言う 金銭の力で世間のことは解決できるのをいう  金で面(つら)を張る 金銭の力でむりやりに反対者をおさえつけること  金の切れ目が縁の切れ目…

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1898 住みにくい世こそ芸術を 沖縄戦終結から75年の日に

 世界のコロナ禍は収まらず、1000万人感染(日本時間23日午前9時現在、感染者905万7555人、死者47万665人=米ジョンズ・ホプキンス大集計)という恐ろしい現実が近づいている。日本は梅雨、そして劣化という言葉を通り越したひどい政治状況の中で鬱陶しい日々が続いている。本当に「住みにくき世」になっている。そんな時、夏目漱石が『草枕』の冒頭部分で書いた芸術の効用を思い出した。そうだ、私たちの周りには本があり、絵があり、音楽があるではないか……と。  明治の世も文豪から見て、住みにくい世だったのだろう。そこで文豪は、芸術に目を向けることを提示したのだ。(以下、『草枕』から。私見では、現代の日本は「人でなしの国」に近い) 「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国に行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう」 「越すことがならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職ができて、ここに画家という使命が降(くだ)る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするがゆえに尊い」 「住みにくき世から、住みにくき煩(わずら)いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるいは音楽と彫刻である」  漱石が『草…

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1895 地図の旅海外へ 今年はベートーヴェン生誕250年

 コロナ禍により世界各国で様々な分野の芸術活動が休止せざるを得ない状況に追い込まれた。クラシックの演奏会もキャンセルとなった。6月になった。経済活動の再開とともに3カ月ぶりにウィーン(オーストリア)でウィーンフィルによる公演が再開され、ダニエル・バレンボイムの指揮でベートーヴェン(1770~1827)の交響曲第5番「運命」とモーツァルト(1756~1791)のピアノ協奏曲27番が演奏されたというニュースを読んだ。ことしはベートーヴェンの生誕250年。コロナ禍という歴史的災厄の中で、音楽を取り戻したいという人々の願いは、クラシック界の双璧に届いているのかもしれない。  私の地図を見ながらの旅は沖縄からヨーロッパへと続き、ドイツやオーストリアなどの地名をたどっている。ベートーヴェンが生まれたのは神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現在のドイツ)のボン(1949~1990まで西ドイツの首都)で、亡くなったのはウィーンだ。誕生した正確な日時は不明だが、1770年12月16日ではないかといわれている。当時この地方では誕生後、24時間以内にカトリックの洗礼を受けさせる習慣があり、ベートーヴェンはボンのレミギウス教会で17日に洗礼を受けたことから、前日の16日に生まれたのではないかと推定されている。  ベートーヴェンやモーツァルトが生きた当時の日本は、江戸幕府による鎖国政策真っただ中にあり、老中田沼意次による賄賂政治や次の老中松平定信による寛政の改革、伊能忠敬の日本地図作成、浮世絵の葛飾北斎の活躍などが歴…

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1894 涙の沖縄への地図の旅 ひめゆり部隊の逃避行

 私の地図を見ながらの想像の旅は、今回で4回目になります。前回の九州から海を隔て、沖縄へと旅は続いています。6月。それは沖縄の人々にとって、忘れることができない鎮魂の月といえます。太平洋戦争末期の1945(昭和20)年3月26日、座間味島など慶良間諸島に上陸した米軍は4月1日に沖縄本島に侵攻、6月23日に日本軍の組織的抵抗が終わったのです。住民十数万人が犠牲になった沖縄戦。ひめゆり学徒隊の悲劇を読む度に、平和を希求する思いを深くするのは私だけではないでしょう。  私の机の上には2冊の本があります。石野径一郎『ひめゆりの塔』(講談社文庫)、小林照幸『ひめゆり 沖縄からのメッセージ』(角川文庫)です。2冊の本を読み返しながら、私の沖縄行は「涙の旅」になりました。  沖縄県糸満市にあるひめゆりの塔には何度も足を運びました。いつも厳粛な気持ちになるのですが、首都圏から沖縄に移り住んだ私の知り合いは、初めてここを訪れた際、語り部の説明を聞いて号泣したというのです。ひめゆりの塔に関しては、多くの本があります。たまたま私の手元にあった本を見ただけでも、沖縄の人々が戦争によって過酷な運命をたどったか知ることができると思うのです。  ひめゆりの塔は、糸満市伊原(いばる)に建立された慰霊の塔です。この塔について、ここで書くまでもないほど、多くの人が現地を訪れ、映画を見て、本を読んで由来を知っているはずです。太平洋戦争末期、那覇にあった沖縄県立女子師範学校と第一高等女学校の生徒によって編成された「ひめ…

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1889 信頼性を失った新聞の衰退 インテグリティを尊重せよ

 新聞の契約更新にきた販売店の人に「コロナで折り込み広告も少なくなって大変でしょう」と聞いてみた。すると「うちはそんなにありませんが、コロナの感染拡大で新聞を取るのをやめる人がかなり出ています。折り込みの減少でやめた店(販売店)もありますよ」と、苦渋の表情で話してくれた。そんな矢先に東京高検検事長と産経、朝日の記者たちが賭けマージャンをしていたことが発覚し、検事長は辞職した。新聞の信頼性にかかわるニュースであり、販売への影響(部数減)は少なくないだろう。  本棚にあった藤田博司、我孫子和夫共著『ジャーナリズムの規範と倫理』(新聞通信調査会)という本を取り出し、読み直した。「信頼性を確保するために」というサブタイトルが付いており、日米のジャーナリズムの実情を点検し、日本のジャーナリズムへの提言も掲載されている。首相とメディア各社首脳との会食についても触れている。検事長と記者の賭けマージャンは権力と新聞との癒着として批判を浴びているが、この本にもある通り首相とメディア首脳との癒着の実態も問題視されなければならない。やや長いが、その主要部分を以下に掲げる。 《2013年のメディアと権力の力関係を如実に示していたのは、第2次政権として復活した安倍晋三首相とメディア各社首脳との(見掛けだけにせよ)親密な付き合い振りだった。前年の暮れに政権の座についた安倍首相は、1月早々から読売新聞、朝日新聞、共同通信など日本の主要メディアの会長、社長らを相次いで招き、会食していた。招待された主要メディア首脳の…

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1888 烈風に飛ばされる人命 コロナ禍は21世紀最大級のニュース?

 20世紀最大のニュースは「第2次世界大戦」だ。世界で軍人・民間人総計5000万~8000万人が死亡した(8500万人説もある。日本は約310万人)といわれる。20世紀は戦争の世紀だった。このほかにも第1次世界大戦をはじめ朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸・イラク戦争等々、様々な戦争があり、多くの命が失われた。そして、「スペイン風邪」(1918年~3年間。罹患者は推定で5億人、死者は4000万人~1億人)という猛威に翻弄された。今、私たちは21世紀を生きている。世界的流行が収まらない新型コロナウイルス感染症。21世紀になって5分の1しか経ていないが、この狂暴なウイルスは今世紀「最大級のニュース」になるだろう。今後のことは分からない。だが、コロナ禍が世界に与えている影響は多大で、人類の歴史に残る極めて深刻な災厄なのだ。  新型コロナが最初に見つかった中国(武漢市)の取材を担当する日本人記者たちは、防護服を着て取材をしたという。コロナ禍の現場取材が危険な状況下にある一方、コロナ禍が新聞経営に重大なダメージを与えている。オーストラリアでは広告減のため地方紙36紙が廃刊となり、76紙が電子版のみの発行にするという衝撃的なニュースも流れた。世界の産業界は軒並み苦境に立たされているが、日本の新聞も例外ではない。  このブログを書いている今(5月30日午後6時過ぎ)、米ジョンズ・ホプキンス大学によると、世界で594万1992人が新型コロナウイルスに感染し、36万5252人が死亡している。世界の感染者が1千…

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1887 蘇るか普通の日常 絵と詩に託す希望の光

  私の自宅前の遊歩道を散歩する人が少なくなったように感じる。昨25日、政府が新型コロナウイルスに関して北海道、埼玉、千葉、東京、神奈川の5都道県の緊急事態宣言を解除することを決め、長い間自宅勤務をしていた人たちが出勤したためだろうか。公園の人影もまばらになった。こんなとき体操仲間のNさんが体操広場の風景を描いた水彩画を見せてくれた。見慣れた風景である。コロナ禍が早く収まり、平凡な日常風景が戻ってほしいという祈りが込められているような1枚の絵に、心が和むのである。  アート小説という、絵画をテーマにした多くの作品を手掛けている作家の原田マハさんの「いちまいの絵』(集英社新書)という本に、以下のようなことが書かれている。 《1枚の絵はあるときは祈りの対象であった。またあるときには欲望の権化であった。そしてまたあるときには、革命であり、マニュフェストであり、魂の叫びであった》  確かに、人は1枚の絵を見て、様々な感懐を抱く。その人の境遇や取り巻く環境、感受性によって違いがあるのは当然だ。突然思いもよらぬ形でやってきた新しいウイルスに遭遇し何かに祈りたいという思いがあったとき、この絵に接した私は、つい祈りを感じたのだ。この絵の作者のNさんは以前、反対方向からの絵を描いた。今回は花壇をメーンとして、後方にマロニエの木が左右対称にあり、さらに一番後方真ん中にもマロニエの木を描く遠近技法によって絵を仕上げている。完成までに約3週間要したが、日々花が成長し変化する花壇の様子をどう描くかに苦労し…

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