1911 私利私欲を憎め 小才子と小悪党がはびこる時代

 現代の日本社会を見ていると、小才子(こざいし)と小悪党が跋扈(ばっこ)し、私利私欲のために権力を動かしている者たちが大手を振って歩いている。これは独断と偏見だろうか。決してそうではないはずだ。コロナ禍に襲われた今年も残りは5カ月余になっている。このように書くのは気が早いと言われそうだが、災厄が早く去ることを願うが故のせっかちな表現をあえてしてみた。この間コロナで多くの人々が苦しむ中で、一部の人間は甘い汁を吸い、私利私欲のために走りまくったのは間違いない。  小才子は「小才の効く人、ちょっとした才知のある者」という意味だ。「残念ながら 今日 の日本の社会はこういう奴が沢山にあって、小才子 の天下になっている」(新渡戸稲造 『今世風の教育』)というように、人を誉める言葉ではなく、マイナス評価として使われる。この言葉で思い浮かぶのは、首相に忖度を続け全体への奉仕者であることを忘れた官僚の姿であり、小悪党といえばあの人、この人、あいつもそうだと何人かの政治家の顔がちらつく。毎日の新聞を読んでいてそうした話題が尽きないから、現代はまさに「悪貨は良貨を 駆逐する」グレシャムの法則を思わせる時代だと思う。  この法則は16世紀のイギリスの財政家・国王財政顧問トマス・グレシャム(1519~1579)がエリザベス女王(1世)に進言したといわれる経済法則だ。1つの国に価値の異なる2種類以上の貨幣が同一の額面で通用している場合、質の高い良貨は退蔵、溶解、国外への流出などにより市場から消え、悪質の貨幣だけが…

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1910 奇跡を願うこのごろ 梅雨長し部屋に響くはモーツァルト

「奇跡」を辞書(広辞苑)で引くと、「(miracle)常識では考えられない神秘的な出来事。超自然的な現象で、宗教的真理の徴(しるし)と見なされるもの」とある。2020年の今年こそ、奇跡が起きてほしいと願う人が多いのではないだろうか。ある日突然、この地球から、新型コロナウイルスによる感染症が消えてなくなるという奇跡である。だが、どう見ても、この奇跡は起きそうにない。  かつて、私は奇跡に近い出来事に遭遇したことがある。太平洋戦争の激戦地だったガダルカナル島(現在のソロモン諸島国)に平和慰霊の公園が完成、この取材に行った際、高台の公園から町に下りるバスに乗った。そのバスがブレーキ故障のために曲がりくねった坂道を暴走し、そのままでは右側の谷に転落する可能性が強かった。谷は深いジャングルになっていて、バスが転落したら乗っていた35人全員の命はなかっただろう。しかし、危機が迫った時、運転手はバスを谷と反対の左側の切り立った崖にぶつけて止めようとした。バスは横転して止まり、30人が重軽傷を負ったが、死者はいなかった。    実は、助手席に乗っていたガダルカナル戦で生き残った人が大きな声で「レフトサイド!」と叫び、それを聞いた運転手が左にハンドルを切り、ジャングルへの転落は免れたのだった。運転手は右腕をなくす重傷だった。助手席の人は修羅場を経験していたから、危機的状況にあっても冷静で、あのような機転を利かせたのだろう。その後、この事故で死者が出なかったのは奇跡に近いと、記者仲間から言われた。あれからか…

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1909「人生は死に至る戦いになる」かみしめる芥川の言葉

 先日、俳優の三浦春馬さん(30)が自殺し、テレビのワイドショーでは連日過熱報道が続き、行き過ぎだという声も出ている。そんな折、今月24日が「河童忌」であることを思い出した。大正文壇の寵児といわれた芥川龍之介の命日(1927年7月24日)だ。芥川の死は、当時の社会に大きな衝撃を与え、後追い自殺をする若者が相次いだという。芥川が35歳で自死してから今年で93年。三浦さんを含めた著名人、さらに無名の人たちとの突然の別れは悲しく残念でならない。  芥川の命日の名称は生前好んで河童の絵を描き、『河童』という短編を残したことから命名されたそうだ。芥川は「我鬼」という俳号で俳句も嗜んでおり、命日は「河童忌」とともに「我鬼忌」とも呼ばれる。  図書館の片隅を占め河童の忌 丸山景子  河童忌や涙流して若かりき 山口青邨  茄子紺の空と暮れける我鬼忌かな 鈴木しげを  青年の黒髪永遠に我鬼忌かな 石塚友二  石塚の句のように、写真に残る芥川は面長で黒髪の長髪、知的な表情だ。芥川は遺書を5通残し、3通が公開されており、岩波書店の『芥川龍之介全集 23巻』に収録されている。そのうち「遺書」は親友の画家、小穴隆一(おあなりゅういち、1894~1966)に宛てたものといわれ、「僕等人間は一事件の為に容易に自殺などするものではない。僕は過去の生活の総決算の為に自殺するのである」というのが、その書き出しだ。芥川は服毒自殺をした。その理由は諸説あって定説はない。それほど、人が自死する動機は複雑なのだ。 …

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1908 魔手から子どもたちを守れ コロナ禍の少数山岳民族地帯の現状

「人里離れた地域や経済的に困難な家庭環境にいる子どもたちが、様々な危機に直面しています」。山岳少数民族地域など、アジアの辺境で学校建設を進めているNPOアジア教育友好協会(AEFA)の会報30号に、新型コロナウイルスがこの地域の子供たちに深刻な影響を及ぼしている実情が掲載されていた。そんな子どもたちに「一条の光」が差し始めているという。 「『新型コロナ』その先を考える」と題した会報には、ベトナム、タイ、ラオス、スリランカの状況が現地NGOからの報告として掲載されている。いずれも外出禁止や休校といった社会隔離政策がとられたが、タイの非常事態宣言が今月31日まで延長されたものの、既に経済活動を再開している。4カ国のAEFAが支援活動をしている地域では、コロナによる感染者は出ていない。しかし、社会的に隔離された状況下、子どもたちに魔手が伸びているというのだ。以下の記述を読んで、コロナの影響の深刻さを感じるのは私だけではないだろう。 「村の封鎖等、地理的な移動が制限されたことにより、日雇い労働に従事していた村人たちが収入を失い、食料不足や経済的困窮が迫っています。精神的なストレスが女性や子どもへの家庭内暴力や、少数民族へのいじめにつながるケースもあるようです。また、学校が休校になったことで、子どもたちは思わぬ危険にさらされることになりました。親が畑仕事に出ている間に怪我をしたり、勉強する手段がないため無為の生活(ただ、ぶらぶらしている)に陥ってしまったり、人身売買のリスクも高まっているようです…

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1907「それを言っちゃあおしめえよ」 寅さんに怒られる

「それを言っちゃあおしめいよ」。寅さんが怒っている夢を見た。天国で楽しい生活を送っているはずの柴又の寅さん(山田洋次監督、渥美清主演「男はつらいよ」シリーズの主人公)は、いつもの、あのスタイルで、普段の柔和な表情とはかけ離れた厳しい顔で、コロナ禍に戸惑う私たちを叱咤しているのだった。政府はコロナ禍によって客足が途絶えた観光地対策のために、「Go Toキャンペーン」を前倒しで22日から始めることを公表した。これに対し危ぶむ声が強くなっている。寅さんはこれにも怒っているようだった。  そうか、寅さんでさえも、と思っていると、頭をガツンとやられた。俺はお前が思っていることなんて、お見通しなんだぞ、というわけである。妙な夢だった。寅さんが私にげんこつを振るったのは、天国から見ていて現代に生きる私たちがあまりにも不甲斐ない、その代表として私を覚醒させようとしたのかもしれないと、思った。  寅さんの夢から覚めた朝、新聞を開くと、やはりコロナ関係の記事が大半だった。緊急事態宣言解除後、収まるかに見えた感染のペースが、このところ再燃し危険な状態になっている。こんな中、政府がスタートさせようとしている「Go Toキャンペーン」に延期を求める声が出ていることを中心に、大きなスペースが割かれている。多くの観光地を持つ地方紙はどんな記事を載せているのか。調べてみると、ほとんどが社説でこの問題を取り上げ、実施時期の延期や、苦境に立つ事業者の直接支援策の必要性を訴えている。そんな地方の声に政府は聴く耳を持たないの…

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1906 気になることを調べる楽しみ「紫陽花、曲師、風呂」について

 新聞を広げると、このところ毎日暗いニュースが紙面を埋め尽くしている。世の中の動きを正確に伝えるのが使命だから、紙面が豪雨被害、コロナ禍を中心になるのは当然なことだ。そして、豪雨の被害者やコロナで亡くなった人たちを思うと、気持ちが落ち込んでしまう。少しでも気持ちを落ち着かせようと、本棚からたまたま並んでいた3冊の本を手に取った。「本を読む楽しみ」を味わおうと思ったからである。  まず初めに頁を開いた本は、中村幸弘『難読語の由来』(角川文庫ソフィア)だった。この中で、梅雨の季節を象徴する花「紫陽花」について中村の解説を読んだ。以下はその概略。 「この熟語訓(熟語に訓読みを当てたもの)は古くから見られる。『和名抄』(和名類聚抄、平安時代に作られた辞書)には、「紫陽花 白氏文集律詩に紫陽花と云う 阿豆佐為(あづさゐ)」とある。現代訳にすると、中国唐時代の白楽天の詩文集である『白氏文集』、の律詩の中に『紫陽花』とあり、その「紫陽花」に相当する日本語があづさゐだ、という意味だ。     「あじさい」(という平仮名)はもっと古く、上代の文献の中にもある。「あじさゐの八重咲くごとく彌(や)つ世をいまわが背子(せこ)見つつ偲(しの)はむ」(万葉集。紫陽花が八重に咲くように、幾重にも栄えておいでください、わが君よ、私はその立派さを仰いで讃嘆いたしましょう)である。  その本文には万葉仮名で「阿豆佐為」と書かれているが、解説には「味狭藍(あじさゐ)とある。「味」は褒める言葉で、「狭藍」は青い花の色を言…

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1905 アメリカへ社会の病根の深さを抉った本 対岸の火事視できない日本

 アメリカ中西部ミネソタ州の白人警官による黒人男性暴行死事件(ことし5月発生)に抗議するデモが全米に拡大している。この背景にあるのは、言うまでもなく人種差別と深刻な格差社会である。その象徴のような存在に思えるトランプ大統領を「金儲けと貪欲一辺倒の時代のリーダー」と断じる本を知人が薦めてくれた。ジョセフ・E.スティグリッツ著、山田美明訳『プログレッシブ キャピタリズム 中流という生き方はまだ死んでいない 』(東洋経済)である。最近、ジョン・ボルトン前米大統領補佐官とトランプの姪、メアリ・トランプによる相次ぐ暴露本が話題になっているが、その前に出版されたスティグリッツの本はアメリカ社会の病根の深さを抉り出し、アメリカンドリームの幻想を断ち切るものだ。  スティグリッツは2001年にノーベル経済学賞を受賞した経済学者(コロンビア大学教授)で、ミクロ経済学(注1)の論客として知られている。タイム誌の「世界でもっとも影響力のある100人」に選ばれたこともある。本書は1970年代以降のアメリカ流資本主義(グローバル化と脱工業化→金融化)は行き詰まっているという視点から論を進め、この弊害が富裕層と貧困層の格差の拡大という分断社会を招いたと説いている。  資本主義の基本は自由競争だが、スティグリッツによれば、アメリカ経済はごく少数の企業が市場を支配し、利益を独占し続けている。これらは「反トラスト法」(注2)を弱体化させたことにより実現したもので、本書は市場での分配が労働者の不利にならないよう、緩くなっ…

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1904「医」と「恥」から想起すること 国手が欲しい国は

 山形県酒田市出身の詩人吉野弘(1926~2014))の詩『漢字遊び』の中に「医」「恥」という短い作品がある。コロナ禍の現代を端的に表すような詩を読んで、私は漢字の妙を感じ、同時に多くの政治家の顔を思い浮かべた。  吉野の「医」は以下の通り。     「医」の中に「矢」があります   病む者へ、まずは矢のように駆けつける心情   そして、矢が的の中心を射当てるように   “ズバリ的中”の診断をするのが身上――ちなみに   国の病気を治す名手が「国手」――今一番欲しい人  (ブログ筆者注・「国手」とは。国を医する名手の意。名医。名人の医師。また、医師の敬称。以上広辞苑)  朝刊に「移動自粛『不要』菅氏が都に反論」(朝日)という見出しの、全文12行のベタ記事が載っていた。このところ毎日100人を超える感染者を出している東京のコロナ対策として、小池都知事が都外への不要不急の移動自粛を要請したことに対し、菅官房長官が記者会見で「移動自粛を要請する必要はない」と反論した、という内容だ。これを読んだ読者は、どちらを信じたらいいのか戸惑うだろう。緊急事態宣言解除後、感染者が増え続ける事態に対し、官房長官発言は経済優先の国の方針を踏襲したものだろう。だが、それでコロナ対策がうまく行くのかどうか全く分からない。このままで本当に大丈夫なのだろうかと危惧する。  コロナ担当の西村という経済再生担当相も危なっかしい。きょうの衆院内閣委員会で「危機感を持って対応する」といういつもの言葉を…

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1903「星月夜」に一人歩いた少年時代 想像の旅フランス・長野・茨城・富山へ

 ゴッホが、代表作といわれる『星月夜』(外国語表記=英語・The starry night、フランス語・ La nuit étoilée、オランダ語:・De sterrennacht=いずれも邦訳は星の夜)を描いたのは1889年6月、南フランスサン・レミ・ド地方プロヴァンスにある修道院の精神病棟だった。日本では星月夜は「月は出ておらず、星の光で月夜のように明るく見える夜」のことを言い、秋の季語になっている。しかし、ゴッホの絵は夏に描いたもので、右上方に大きな三日月が描かれている。月が出ているのだから、日本でいえば星月夜ではない。だれがこのような日本語に訳したのだろうか。だが、この絵の題はセンスがよく、ロマンもあって違和感はない。  この絵は、部屋の東向きの窓から見える日の出前の村の風景を描いたものだという。ゴッホは弟テオへの手紙の中で絵について「今朝、太陽が昇る前に私は長い間、窓から非常に大きなモーニングスター(明けの明星・金星)以外は何もない村里を見た」と書いている。左下から延びる糸杉、右手には教会の尖塔や村の建物があり、背景には青黒い山並みがあり、上空には星々が輝く。中でも明けの明星がひときわ輝いている。星々の軌跡は渦を撒くように白く長く伸び、右上方には三日月が大きく描かれている。  日本各地には星空が美しい地域が点在している。例えば、長野県阿智村(中国残留孤児の救済に生涯をささげた山本慈昭さんが住職を務めた長岳寺はこの村にある)のもみじ平や茨城県と福島県境の茨城県常陸太田市里川町…

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1902 手塚治虫が想像した21世紀 「モーツァルトは古くない」

「鉄腕アトム」の作者、手塚治虫(1928~1989)は、21世紀とはどんな世紀と考えていたのだろうか。「原子の子、アトム」というキャラクターを漫画に描いた天才だから、私のような凡人とは異なる世紀を夢見ていたに違いない。人類を苦しめる新型コロナウイルスの出現まで考えていたかどうか知る術はないが、手塚なら救世主を生み出したかもしれないと思ったりする。 「このオペラが21世紀にたとえ火星上で、人工太陽の照明のもとに地球植民地歌劇団によって演ぜられても決して古くないと信じる」。これは『音楽の手帖 モーツァルト』(青土社)に「フィガロの結婚と私」と題して、手塚が寄稿したエッセーの中に出てくる言葉である。  このエッセーの中で、手塚はフィガロの結婚とロッシーニの「セヴィリアの理髪師」について「すべてが天下太平で、幸福感に充ちている」と記したあと、「フィガロの結婚」に関し冒頭のような評価をし、「それはモーツァルトの音楽が古典などを通り越して永遠だからで、その理由はやはり驚異的なオリジナリティをふまえたポピュラリティ(大衆性)だと思う」と続けている。手塚は子ども時代、宝塚歌劇団のある兵庫県宝塚で育ち、小さいころから男装の麗人が出てくる歌劇には慣れ親しんでおり、アニメ『リボンの騎士』の主役は男装の麗人である「フィガロの結婚」のケルビーノをモデルにしたという。  手塚の「フィガロの結婚」への思い入れは相当強いことがこのエッセーで分かるのだが、それはさておき、20世紀の終わり近くに死んだ手塚は、その後…

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