1904「医」と「恥」から想起すること 国手が欲しい国は

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 山形県酒田市出身の詩人吉野弘(1926~2014))の詩『漢字遊び』の中に「医」「恥」という短い作品がある。コロナ禍の現代を端的に表すような詩を読んで、私は漢字の妙を感じ、同時に多くの政治家の顔を思い浮かべた。

 吉野の「医」は以下の通り。
 
  「医」の中に「矢」があります
  病む者へ、まずは矢のように駆けつける心情
  そして、矢が的の中心を射当てるように
  “ズバリ的中”の診断をするのが身上――ちなみに
  国の病気を治す名手が「国手」――今一番欲しい人

 (ブログ筆者注・「国手」とは。国を医する名手の意。名医。名人の医師。また、医師の敬称。以上広辞苑)

 朝刊に「移動自粛『不要』菅氏が都に反論」(朝日)という見出しの、全文12行のベタ記事が載っていた。このところ毎日100人を超える感染者を出している東京のコロナ対策として、小池都知事が都外への不要不急の移動自粛を要請したことに対し、菅官房長官が記者会見で「移動自粛を要請する必要はない」と反論した、という内容だ。これを読んだ読者は、どちらを信じたらいいのか戸惑うだろう。緊急事態宣言解除後、感染者が増え続ける事態に対し、官房長官発言は経済優先の国の方針を踏襲したものだろう。だが、それでコロナ対策がうまく行くのかどうか全く分からない。このままで本当に大丈夫なのだろうかと危惧する。

 コロナ担当の西村という経済再生担当相も危なっかしい。きょうの衆院内閣委員会で「危機感を持って対応する」といういつもの言葉を繰り返したうえで、東京の現状を「緊急時代宣言を出した4月上旬の状況とはかなり違う」と述べ、再度の緊急事態宣言に慎重な見解を示したという。対策として、これまでのマスク着用や3密の回避などを挙げたが、それができないから多数の感染者を出し続けているのだ。しかも他県にまで拡大しつつある現状に手を打たないのは「拱手傍観」という言葉が当てはまる。今の日本に国手はどう見ても存在しないと言わざるを得ないのだ。

 いつの時代でも、どこの国でも国手が欲しいのは当然だ。だが、なかなかそうした人物は出てこない。逆に危うい人物が権力を握ると、その国だけでなく世界が大きな災厄に見舞われることは歴史が証明している。現代のコロナ対策は、各国の指導者が国手といえるかどうかを試すリトマス試験紙のようなものといっていい。指導者の動き・対策が、結果としてその国の感染者・死者の割合に反映しているからだ。安倍首相の力量は何点か。それは最近の世論調査結果を見れば、想像が付く。

 米国(トランプ大統領の対応は論外)に次いで感染者、死者数とも世界第2位のブラジルは、コロナ対策を軽視してきたボルソナーロ大統領がリーダーだ。「ちょっとした風邪だ。人はいずれ死ぬものだ」と述べ、公の場でマスクをつけないなどの姿勢を取ってきた大統領自身が、検査で陽性の反応が出るという、ブラジル国民にとって憂うべき事態が続けている。
 
 次は吉野の『漢字遊び』にある「恥」という詩。

  心に耳を押し当てよ
  聞くに堪えないことばかり

              (上掲の詩も含め『吉野弘詩集』ハルキ文庫より)

 角川漢和辞典によると、恥という字は「心」と音を示す「耳」(ここでは、はじる意)とを合わせて、心に「はじる」ことをあらわす――という意味だという。吉野の詩はそれを分かりやすく伝えている。東京地検特捜部はきょう8日、前法相の河井克行、案里夫妻を公選法違反罪で起訴した。2人は心に耳を当て、恥じることはないのだろうか。

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