1891 アルメイダの共助の精神 「大分の育児院と牛乳の記念碑」再掲

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 帚木蓬生の『守教』(新潮文庫)は福岡県大刀洗町の国の重要文化財、今村天主堂が建つまでの長い背景(戦国時代から明治まで約300年間)を記した大河小説だ。この上巻に、九州で布教活動をした一人のポルトガル人が登場する。ルイス・デ・アルメイダである。私は2009年大分を訪れた際、県庁近くの公園で「育児院と牛乳の記念碑」というアルメイダを顕彰した碑を見つけた。アルメイダは共助の精神でキリスト教の布教活動と医師としての奉仕活動に生涯を送った人物だ。新型コロナウイルスをめぐって、米中の対立が深まっている。こんな時だからこそ、アルメイダの「共助の精神」が求められるのだ。以下は第448回のブログ再掲。
  
 大分市内の県庁近くの遊歩公園に「育児院と牛乳の記念碑」という変わった碑がある。その碑には以下のような文章が記されている。

 ここ府内(大分市)に日本最初の洋式病院を建てたポルトガルの青年医師アルメイダは、わが国に初めてキリスト教を伝えたザビエルが去って3年後の1555年には既に府内に来ていた。当時日本は戦乱が続き、国民の中には貧窮のあまり嬰児を殺す習慣があった。これを知ったアルメイダは自費で育児院を建て、これらの嬰児を収容し、乳母と牝牛を置いて牛乳で育てた。これは近世に於ける福祉事業の先駆である。(『守教』上巻に、アルメイダの業績が詳しく紹介されている)

 アルメイダはルイス・デ・アルメイダという医師免許を持ったポルトガルの商人だ。地元大分や福祉・医療関係者には知られた存在かもしれないが、一般にはなじみの薄い名前だ。大分には彼の名前を取った「大分市医師会立アルメイダ病院」があるという。貿易商人として財を成した後、キリスト教の布教活動や医師としての奉仕活動に生涯を送り、天草で亡くなった人物だ。ザビエルほど有名ではないが、日本人には恩人といっていい存在だ。

 アルメイダが来日してから450年以上が過ぎ、新型インフルエンザが世界的流行になりつつある。日本でも感染者が広がり、政府や自治体は対策に追われ続けている。空港での水際対策は限界に近い。メキシコから広がった新型インフルエンザはアメリカ、カナダにと急速に広がり、低毒性といいながら、その伝染力の強さから不気味な存在といえる。

 現在のように、グローバル化した時代では、このようなウイルスの進入を完全に防ぐのは困難だ。抵抗力の弱い人たちが感染すると大事に至ることは自明の理であり、途上国で流行すれば、低毒性だからとって安心することはできないのではないか。ある途上国の医療関係者はテレビのインタビューで「新型インフルエンザが蔓延したら、対応することは難しい」と語っていた。こういうときだからこそ、アルメイダの共助の精神が必要なのだと思う。

 冒頭の碑文の隣には左上に牛、左下に乳母と乳児、中央にアルメイダを描いた彫刻もある。母国を離れて遠い異郷の土になったアルメイダは、国際人だった。

 大分を歩いた。福沢諭吉や滝廉太郎といった大分出身の有名人以外に、アルメイダを知ったことは何よりも大きな収穫だった。(アルメイダの足跡は長崎県五島列島の福江島にも残っていて、堂崎天主堂には、アルメイダが五島で布教した際の様子を描いたレリーフが飾られている)
「2009年05月22日 448 育児院と牛乳 アルメイダの精神」

『守教』キリシタン大名大友宗麟の命で一万田右馬助は武士の身を捨て、20カ村の高橋組大庄屋に着任する。その際、宗麟から「そこにいかに小さくとも、デウス・イエズスの王国を築いてくれ」という願いとフランシスコ・ザビエルから授かった絹布を託される。この小説は、キリシタン弾圧に耐え、絹布を守りながら隠れキリシタンとして歴史を歩んだ高橋組・今村信徒の歴史を描いている。

 
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 注「今村信徒」について 江戸時代を通じ、潜伏し信仰を守った今村(福岡県大刀洗町)の隠れキリシタン信徒たちのこと。国内で少なくとも4千人もの殉教者を出したキリシタン弾圧をくぐりぬけ、ひっそりと祈り続けた今村信徒は、1867(慶応3)年「発見」された。殉教者の墓の上に建てられた赤レンガ造りの今村天主堂は、空襲を免れ、国指定重要文化財となっている。大刀洗町は福岡市西鉄福岡駅から1時間余。(『守教』下巻・帯より)

 写真 1、大分市中心部にある遊歩公園の「育児院と牛乳の記念碑」2、アルメイダの布教の様子を描いたレリーフがある福江島の堂崎天主堂。

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