1884 永遠ではないから尊い 薬師如来とお地蔵さんのこと

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 薬師如来という仏像がある。諸病を癒し寿命を延ばしてくれるという功徳があるといわれ、わが国では7世紀ごろから信仰されている。国宝である奈良・薬師寺の薬師三尊像(薬師如来、脇侍の日光菩薩・月光菩薩)はよく知られているが、私は福島県会津地方にある古刹・勝常寺(真言宗豊山派)の薬師三尊像に接した日を忘れることはできない。この仏像は新型コロナから人々を守ってくれそうな、大きな包容力がある。そんなことを思わせる力感あふれる仏像なのである。

 勝常寺は東の方向に磐梯山を臨む、雪深い会津盆地中央の福島県河沼郡湯川村にある。創建当時は七堂伽藍が備わり、多くの附属屋、十二の坊舎、百余ヵ寺の子院を有する一大寺院であったと伝えられている。寺が発行している寺伝には創建の由来が以下のように記されている。

 勝常寺は平安時代初めの807(大同2)年あるいは810(弘仁元)年に法相宗の徳一上人によって創建された。会津地方の象徴である磐梯山は昔から病脳山(やもうやま)と呼ばれ、魔物が棲みいろいろな災いを及ぼしていた。このため会津地方は1年中霧に閉ざされて作物が実らず、病気になる人が続出したという。この話が平城天皇(51代天皇。在位806~809)の耳に入り、天皇は弘法大師を会津に遣わし、法力をもって魔物を退治し、将来にわたって会津の人々が平和で豊かな暮らしができるように守ってくれる薬師像を5体造り、東西南北と中央にまつろうとした。しかし、弘法大師に対し、急に都に戻るよう指示があり、大師は後事を徳一上人に託した。徳一は指示通り5体の薬師像を造り会津地方の5カ所に寺を建てた。勝常寺はその中央になるため、会津中央薬師とも呼ばれているという。

 薬師寺のものが蝋型鋳造なのに対し、勝常寺の薬師三尊像は、それぞれけやきを利用した平安初期に造られたとみられる仏像(本尊の薬師如来はけやきと思われる一材を前後に割って内部をくりぬき、再びはぎ合せる割萩という技法。脇侍の日光・月光両菩薩はそれぞれけやきの一材で制作)で、1996(平成8)年に仏像としては東北地方で初めて国宝に指定された。本尊の薬師如来は魁偉な相貌といわれる厳しい表情をしており、会津の人々を災厄から守ろうとする徳一と仏師の思いが込められているように私は感じた。

 仏像に対する接し方は人それぞれだろう。「信仰の対象」とする人や「美術作品」、「仏教美術」として見る人に分けられようか。私は以前学んだ「仏教美術」の延長線上で5年前、この寺の仏像に接したのだが、コロナ禍の現代、この感染症の収束への願いを託す人もいるに違いない。11年にわたって戦火が続いた「応仁の乱」最中の文明3(1471)年に、京都、奈良では赤痢や疱瘡という疫病が大流行し、多くの死者が出た。奈良興福寺の別当(寺務を統括する長官に相当する僧職)経覚が疫病を鎮めるため、薬師如来の図絵を掛けて法会をしたという記録が残っている。

 仏像の中に「地蔵菩薩」もある。「釈迦の入滅(肉体が死んで涅槃に入ること)から弥勒菩薩が登場するまで、この世には如来がいない。そこでその間地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間(じんかん)、天上の六道の輪廻で苦しむ人々に教えを説き、救済する役目を担っているのが、地蔵菩薩である」(田中義恭『面白いほどよくわかる仏像の世界』日本文芸社)という解説を読むと、身近な仏像であることに気が付く。だからお地蔵様として、各地に祀られているのだろう。前々回から2回にわたって紹介した『今しかない』の冊子の中にも、「ディの前何時もにっこり地蔵さん道行く人のまもり神」という短歌とお地蔵様の絵が載っている。冊子を編集した1人、斎藤八重子さんも毎日、楠苑前にあるお地蔵様に手を合わせているという。
 
 初期仏教の教訓的詩を集めた経典、「法句経(ほっくきょう)182」に「人間に生まるること難し やがて死すべきものの いま生命(いのち)あるは有難し」という言葉がある。出家した作家の瀬戸内晴美さんはこれを「命は永遠ではないからこそ尊い」と説明(『仏教新発見 薬師寺』朝日新聞出版)している。コロナ禍によって、既に世界では33万2900人の命が失われている(米ジョンズ・ホプキンス大学まとめ。日本時間5月24日午前11時現在)。この言葉の重さを痛感する日々が続いている。

 
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 写真1、勝常寺の国宝、薬師如来坐像(小学館『古寺をゆく 勝常寺と会津の名刹』より 2、『今しかない」に描かれたお地蔵様。表情が何とも優しい。


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