1874 窓をあけよう 風は冷たくとも

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 前回に続いて、詩の話です。大分県出身のクリスチャンで詩人、江口榛一(1914~1979)の「窓をあけよう」をこのブログで取り上げたのは8年前の2012年のことでした。あらためてこの詩を読み返してみました。最近の社会情勢に合致するような言葉が、この詩には含まれていました。

  窓をあけよう。
  窓をあけると風がはいる。
  風はいつも新しい。
  地球をひと回りしてきた風だ。
  その風を深呼吸のように吸っていると
  心が空のように広くなる。
  海のように豊かになる。

 新型コロナウイルスの感染拡大のために、部屋の窓、電車の窓を開けて換気することが求められています。換気の悪い密閉空間は感染リスクの一つといわれ、クラスター(集団感染)の恐れがあるそうです。実際に密閉空間ともいえるライブハウスでクラスターが発生したことがニュースになりました。

 テレワークができない人は少なくありません。自宅勤務なしに電車通勤をしている家族によると、このところ利用する電車の窓は必ず開けられているそうです。窓から入り込む風は冷たくとも、我慢して乗り続ける日々だそうです。私は、そんな時こそ江口の詩を思い浮かべるのはどうだろうと思うのです。

 このブログを書いている部屋の南側の窓を開けました。窓の外には、新緑が目に優しいけやきの街路樹に囲まれた遊歩道が見えます。外出自粛が続いているせいでしょうか、人影はそうありません。時折、散歩やジョギングの人が通り過ぎて行きます。犬の散歩や自転車の前後に子どもを乗せたママさんの姿もあります。その多くがマスク姿です。この人たちをけやきの新緑が包み込んでいるように見えます。私といえば、窓の外から流れ込んでくる新しい風を吸いながらあれこれ妄想し、ふと、アンネの日記のことを思い浮かべたのでした。
  
 閉塞感に覆われた今日です。オランダ・アムステルダムの隠れ家に息を詰めながら暮らした「アンネの日記」の著者、アンネ・フランクに比べれば、極限状況にはないかもしれません。父親のオットー・フランクのペクチン(食品添加物)工場奥の別館3階と4階に2年間にわたって隠れていたアンネたち8人は、何者かに密告され、ゲシュタポに逮捕され、悲劇を迎えます。アンネの部屋の窓は、いつもわずかに開け放しになっていたことが日記(1942年9月21日)に書かれています。「わたしのベッドの枕もとに、小さな明かりとりがつけられました。万一、銃声でも聞こえた場合は、紐をひいて消すことができます。ただしいまのところはまだ使えません。部屋の窓がいつもわずかにあけはなしてあるからです」(深町眞理子訳『アンネの日記』(文春文庫)

 アンネは、心から気持ちを新たにして風を感じることができたのでしょうか。そんなことはなかったと私は思うのです。私の部屋からの眺めは、上述のように一見平凡です。ただ、通り過ぎていく人々の顔色は冴えません。それは当然です。コロナ禍の不安が消えそうにないからだと思うのです。

 長い連休(例年はゴールデンウィーク)に入り、窓を開けて過ごすのが快適な季節になりつつあります。さて、遊歩道を歩く人々の顔から憂いが去る日はいつのことになるのでしょうか。それは神のみぞ知るということなのでしょうか。

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915曇りのち晴れの元旦 窓をあけよう


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