1791 続スティグマ助長の責任は 熊本地裁のハンセン病家族集団訴訟

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 熊本地裁は28日、ハンセン病元患者の家族の集団訴訟で、国に責任があるという判決を言い渡した。当然のことである。国の誤った隔離政策で差別を受け、家族の離散などを強いられたとしてハンセン病の元患者の家族561人が国を相手に損害賠償と謝罪を求めた裁判で、総額3億7675万円の支払いを命じたのだ。2001年5月、同じ熊本地裁は元患者への賠償を命じる判決を出した。国が控訴せず、この判決が確定したのは当時の小泉首相の政治判断だった。今回政府はどう対応するのだろう。「大阪城にエレベーターをつけてしまったのは大きなミス」と語った安倍首相だけに期待は?である。

 以前書いたハンセン病に関するブログから、隔離政策の歴史に関する部分を読み直してみた。以下のように書いてある。

《日本では1907(明治40)年に制定された「癩予防ニ関スル件」(法律第11号)によってハンセン病患者を強制隔離する人権無視の政策が始まった。この法律は1931(昭和6)年に「癩予防法」(旧法)となり、さらに1953(昭和28)年に「らい予防法」(新法)と改められたが、ハンセン病患者排除の思想を継承し、ハンセン病患者は国立の療養所(全国13カ所)に強制的に入れられ、社会と隔絶された生活を送らなければならなかった。1998(平成8)年になってようやく「らい予防法」が廃止になった。この後、鹿児島県と熊本県の2つの療養所の入所者が起こした国家賠償請求訴訟で熊本地裁は2001(平成13)年5月11日、①旧法(癩予防法)を1953年まで廃止しなかった立法不作為②新法の違憲性、1953年以降廃止しなかった立法不作為―について国の責任を認め、原告勝訴の判決を言い渡した。国のハンセン病対策の誤りを厳しく問う画期的な判決といわれ、国は控訴せず判決は確定した。》

 元患者による裁判である元厚生省(現在の厚生労働省)官僚が注目を集める証言をした。日本の医療行政を担う医務局長を最後に退官した大谷藤郎さん(2010年に死去)だった。大谷さんは原告側の証人として出廷した熊本地裁の裁判で「らい予防法は人権を侵害する法律だった」と述べ、これが驚きを持って大きく報道されたのだ。元官僚による国への造反であり、厚生官僚としてこの法律に縛られ、現役時代には廃止できなかったという反省を込めた証言だったのだ。大谷さんの証言もあって、この裁判は原告が勝訴し小泉首相の政治判断で国は控訴を断念し、判決が確定したのだ。

 スティグマ(社会的烙印)という言葉(英語stigma)がある。「汚名、恥辱。元来はギリシャ語で奴隷や犯罪者に焼き付けられた烙印のこと。キリストが十字架にはりつけにされた際の傷跡。聖痕。精神疾患などへの差別」(旺文社「現代カタカナ辞典」)の意味で、ハンセン病の回復者と家族もスティグマ(社会的烙印)によって差別を受け続けてきたのは言うまでもない。大谷さんが初めてこの言葉を使ったのは『現代のスティグマ―ハンセン病・精神病・エイズ・難病の艱難』(1993年、勁草書房)という本だった。大谷さんは「ハンセン病患者の隔離政策は国家による犯罪」と書いている。

 今回の判決は隔離政策に対し「大多数の国民らによる偏見・差別を受ける社会構造をつくり、差別被害を発生させ、家族関係の形成を阻害した」と明確に判断をした。国によってハンセン病回復者と家族にスティグマ政策がとられたことを追認したといっていいだろう。この判決が出た翌日の28日、安倍首相はG20サミット(主要20カ国・地域首脳会議)後に大阪城公園内の大阪迎賓館で開かれた夕食会で「明治維新の混乱で大阪城の大半は焼失したが、天守閣は約90年前に16世紀のものが忠実に復元された。しかし一つだけ、大きなミスを犯した。エレベーターまでつけてしまった」とあいさつした。ジョークのつもりだったのかもしれないが、常識以前の話である。だれかがこのあいさつ案をつくり、そのまま話してしまったのだろうが、社会的弱者に対する思いやりに欠けた発言として批判を浴びている。こうした発言を聞くと、今回の判決に対し控訴しないという政治決断をするのかどうか首をかしげてしまうのだ。7月に控えている参院選が判断に影響するのか……。

 生かされて生きて今あり豆の飯 ハンセン病のため国立療養所で生涯の大半を送った静岡県藤枝市市出身の俳人、村越化石さん(1922~2014)の句だ。「苦難の道が長かったからこそ、『生かされて今あり』の感慨が胸に迫ります」と、倉坂鬼一郎は『元気が出る俳句』(幻冬舎新書)で書いている。勝訴したハンセン病回復者家族たちの今の思いも同じかもしれない。

 1474 「スティグマ」助長の責任は ハンセン病患者の隔離法廷

 1629 俳句は健康の源 金子兜太さん逝く




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