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zoom RSS 1706 戦争を憎む強いまなざし 最近読んだ3冊の本

<<   作成日時 : 2018/09/17 12:11   >>

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 女性作家による太平洋戦争〜終戦直後を扱った3冊の本を読んだ。乃南アサ『水曜日の凱歌』(新潮文庫)、須賀しのぶ『紺碧の果てを見よ』(新潮文庫)、中脇初枝『神に守られた島』(講談社)である。乃南は1960(昭和35)、須賀は1972(昭和47)、中脇は1974(昭和49)年生まれであり、当然ながら戦争を知らない世代だ。だが、3冊からは戦争を憎む強いまなざしが感じられ、それぞれに深い余韻を味わった。いまも新聞の投書欄には戦争体験が特集されている。戦後73年とはいえ、あの戦争は遠い存在ではないのだ。

 以下は簡単なストーリと感想――。

『水曜日の凱歌』
 戦争によって母と2人暮らしになり、東京都内を転々とする14歳の鈴子が主人公だ。戦後母は死んだ夫の友人の愛人となり、英語の能力を生かして大森海岸にできた進駐軍相手の特殊慰安施設で働く。ここはダンスホールを装った性的サービスをやっていた日本政府肝いりの施設で、実在した施設がモデルである。鈴子は施設に働きに来た年若い女性が絶望して自殺することに遭遇する。

 この後、鈴子と母は都内の施設から熱海に移り、ここでも母はキャバレーの通訳をやり、連合軍将校の愛人になる。この街で鈴子は、進駐軍相手に売春をさせられていたキャバレーの閉鎖によって、多くの女性たちが仕事を失い途方に暮れる姿を見る。そうした女性の中に一人敢然と戦後初の衆院選に立候補する若い女性がいる。その結末が本の題名につながる。この本は思春期の少女の視点から描かれ、国家による女性の人権じゅうりん、戦争が国民にもたらした悲劇といった社会性あるテーマを具体化した切れ味の鋭い労作といえる。

『紺碧の果てを見よ』
 戊辰戦争で敗れて賊軍となった会津出身の頑固で寡黙な父親を持つ会沢鷹志と美貌の妹雪子を軸にした、大正時代末期から太平洋戦争が終わる昭和20年までの物語だ。浦賀の町(現在は神奈川県横須賀市)で軍艦を造る造船所の工員として働く父親の正人は、常々幼い鷹志に「けんかは逃げるが、最上の勝ちだ」と言うが、息子は反発する。成長した鷹志は海軍兵学校を出て海軍士官となる。一方、妹の雪子は彫刻の道を志すが挫折する。太平洋戦争末期、鷹志の兵学校時代の親友や先輩、後輩は次々に命を落としていく。雪子に一目ぼれして結婚した同期の江南もその一人だった。

 鷹志が艦長として最後に乗り組んだのは『白雨』という乗組員284人の駆逐艦だった。最後の航海は朝鮮羅津港から内地に食料を運ぶ輸送船の護衛船団としての役割だ。そこには米軍の潜水艦と戦闘機からの激しい攻撃が待っていた。だが、鷹志は艦長として乗組員を死なせないという重大な決意で臨み、航海長、機関長の協力を得て之字(のじ)運動(漢字の之の字を描くように、短時間に針路を変化させジグザグ進行する航法)という潜水艦対策に有効といわれる航法を使いながら米軍の攻撃をかわし、犠牲を最小限に抑えて8月15日を迎える。この物語のキーワードともいえるのが「逃げるが勝ち」という父親の言葉であり、題名の「紺碧の果てを見よ」という兵学校途中で病死する親友の言葉である。彫刻家としての挫折を経て陶芸の世界で理想の青を求める雪子の自由で芯の強い生き方も、この物語では欠かせない重要な要素になっている。「真に人として問われるのは、負けた後のことだ」という鷹志の言葉を、胸を張って聞くことができる最高指導者はいたのだろうかと思う。

『神に守られた島』
 実在の沖永良部島(鹿児島県大島郡和泊町、知名町。沖縄本島の北60キロに位置する)での戦争末期から終戦直後までの子どもたちの姿を、島言葉を交えながら活写した作品だ。読んでいて島尾敏雄の名作『島の果て』を思い出した。『水曜日の凱歌』でも描かれている通り、戦争が始まるとだれもがその魔性の手から逃れることはできない。沖縄に近い美しい島、沖永良部島もその例外ではなかった。『世界の果ての子どもたち』で戦争にほんろうされた3人の少女を描いた中脇は、今度も子どもと戦争を視点に戦時下、米軍の攻撃におびえながら暮らす島の人々の姿を描いている。随所に島の言葉や民謡が使われており、戦争を扱った作品にもかかわらず童話を読むような詩情を感じ取った。

 この作品は特攻機の不時着や激しい空襲、食べ物にも窮する島で暮らすマチジョーという少年とカミという少女の2人が中心だ。そうした厳しい生活の中でも2人は屈しない。一方、内地の工場で働き寝たきりになったマチジョーの兄は、終戦まで生き延びるのに終戦直後死んでしまう。このような非情な出来事など、島の人々の悲哀も色濃く盛り込まれており、戦争によって日々の生活が歪められた島の歴史を見るような思いになる。


 戦後、島は米軍の軍政下に置かれた。本土との自由な行き来はできなくなり、マチジョーの一家は密航船に乗って島を去る。それをガジュマルの木に登って見送るカミ、イチカ節という島唄を歌うマチジョー一家。大人になっての2人の再会を祈るマチジョーの姿に、私は絶望を乗り越え希望の光を見出そうとする少年の強い祈りを感じた。沖永良部を含む奄美群島は1953年12月25日、日本に復帰した。一度は悲しい別れをした人々も、再会を果たしたに違いない。




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