1666 正義の話について 膨らむ疑問

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 昨今、「正義」という言葉を考えることが多い。森友学園問題で大阪地検特捜部は国有地の8億円もの大幅値引き売却に対する背任や決裁文書を改ざんした虚偽有印公文書作成など全ての告発容疑について、佐川宣寿前国税庁長官など財務省幹部ら38人全員を不起訴処分にした。一方、愛媛県今治市への加計学園の獣医学部新設を巡り、加計孝太郎理事長が安倍晋三首相と面会したとの県や市への報告は虚偽だったと学園が発表した。釈然としない捜査結果だし、不可解な学園の釈明(その場の雰囲気でふと思ったことを言った=事務局長談)だ。いずれも正義とはかけ離れていると思うのは私だけではないだろう。
 
 正義の概念は、一般的には「道理にかなっていて、正しいこと」(三省堂・新明解国語辞典)「人が行わなければならない正しいすじみち。正しい道理」(旺文社・国語辞典)――というものだ。岩波書店の広辞苑には「正しいすじみち」に加え、「正しい意義または注解」「社会全体の幸福を保障する秩序を実現して維持すること(以下略)」とある。東日本大震災が発生した2011年、異例ともいえる哲学書がベストセラーになった。アメリカ・ハーバード大学教授、マイケル・サンデル著『これから「正義」の話をしよう』(ハヤカワ文庫)という本だった。

 この本でサンデルは、正義について3つの考え方を提示した。①功利主義(最大多数の最大幸福)②リバタリアニズム(選択の自由の尊重)③美徳(倫理、道徳的正しさ)――である。サンデルはこの中で③を支持するのだが、各個人によって正義に対する見解は異なるのかもしれない。前記の2つの事象についても様々な反応があることは知っている。それにしても……、私の頭の中で疑問は膨らむばかりなのだ。森友学園問題で検察は、逮捕起訴した籠池泰典夫妻の関係先は捜索した一方で、告発を受けた財務省・近畿財務局については、家宅捜索もしなかった。さらに、国会でこの問題が追及される中、毎日新聞が早々に4月13日、「佐川氏ら立件見送りへ」という観測記事を掲載、結局その通りになった。

 検察の事情に詳しい知人によれば、現政権に近い法務検察幹部の存在はよく知られており、この結果は当初から予想されたことだという。だが、元検事からは、不起訴について「関連する14の文書を300カ所も改ざんすれば、文書自体の性質が変わる。それなのに『本質的な部分は変えられていない』という陳腐な理屈で虚偽や変造と判断しないのは残念だ」(落合洋司弁護士・朝日朝刊)という声もあるのだ。

 戦後、検察の鬼といわれた人物が2人いた。造船疑獄や日通事件を捜査した河井信太郎、ロッキード事件を主任検事として捜査した吉永祐介である。2人は以下のような言葉を残した。こうした正義を追求する検察の伝統は消えてしまったのだろうか。

「政官界の要人たちが癒着して生まれる”汚職“は、いわば国家の癌だ。これを放置すれば法律無視の風潮を招き、癌は全身に回って、その国家は衰亡の道をたどる。特捜検事は国家機関に巣くった癌を切除する外科医の役割を果たさなければならない。さらに脱税、選挙違反などの特定の被害者のいない犯罪は、検察自ら発見し、摘発しなければならない。それを遂行するのは検察官の情熱と正義感だけだ」(河井信太郎=元東京地検特捜部長、大阪高検検事長)

「厳正公正、不偏不党で犯罪と対決し、より充実した検察を推進すること。より具体的には基本に忠実であり、当たり前のことを当たり前にやる。平凡なことだが、実行は必ずしも容易ではなく、平凡なことを日常積み重ねることが非凡な結果につながる前提だと思う」(吉永祐介=元東京地検特捜部長、第18代検事総長)


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