1990 雲海のような絶景 朝霧の散歩道

 今朝の散歩途中、「雲海」のような現象が目の前に広がっていた。正しくは雲海ではない。散歩コースの調整池から発した霧が周辺を覆い、高原に見られる雲海と似た風景を演出したのだ。コロナ禍で気持ちが沈む私たちに自然が贈ってくれた美しい風景は、気温の上昇とともに1時間ほどで消失した。  

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1989 1本の花の物語 幻の「海棠の歌」

 庭に1本だけある海棠の花が満開になった。昨年よりかなり早い。歳時記の本の説明には「4~5月に薄紅色の花をつけた花柄が長くうつむきかげんになるのをしばしば美女にたとえる」(角川学芸出版『俳句歳時記』)とあり、庭の一角が華やかに見える。題名や歌詞に花を取り入れた歌は数多く、かつて海棠も歌になったことがある。この歌をめぐって悲しいエピソードがあった。それは一本の花の物語といえる。   

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1988 春を待つ思いは世界共通 浮かれることはできない日々

 3月も中旬になった。私が住んでいる千葉市周辺ではミモザや水仙、レンギョウといった黄色い花だけでなく、早咲きの桜も咲き出した。ソメイヨシノの開花はまだだが、数日中には開花の発表があるかもしれないほど暖かな日和が続いている。だが、今もコロナ禍の渦中にある。花見に行こうと、浮かれることはできない。

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1978 寒い朝に…… 『四季・冬』を聴きながら 

 2月は1年で一番寒い季節だといわれる。朝6時前、まだ暗い中を散歩に出る。東の空に三日月が浮かんでいる。北風が顔に吹き付けてくる。吉田正が作曲した『寒い朝』という歌のメロディーが頭に浮かぶ。昭和の代表的作曲家(流行歌)といえば、吉田、古賀政男、古関裕而だろうか。古賀と吉田は死去後国民栄誉賞を受賞(古関は遺族が辞退)している。吉田はシベリアに抑留されたつらい体験を持ち、自身の作曲した多くの歌の中で『寒い朝』が特に好きだったそうだ。    

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1963 空飛ぶ宝石との出会い 戻ってきたカワセミ

 新型コロナ感染症の第3波によって、首都圏で2回目の緊急事態宣言が出されることになった。コロナ禍によって、昨年から続いている閉塞感は強まるばかりだ。そんな時はぶらぶらと散歩をする。近くの遊歩道を歩いていたら、道のわきを流れる小川の岩の上に青い鳥が止まっていた。カワセミ(漢字表記、翡翠)だった。望遠レンズのカメラを向け、何枚かシャッターを切った。カワセミは愛くるしい表情で私を見ているように思えた。

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1962 繰り返す歴史 知恵を絞ろう

 歴史は繰り返すという。この言葉は、人類が成長していないことを表しているのではないか。コロナ禍のこの1年、世界、日本の動きを見ていると、そう思わざるを得ない。このブログで何回か書いている通り人類はウイルスに襲われ、それを克服した歴史といっていい。だが、今度のコロナは凶暴であり、立ち向かうにはあらゆる知恵を振り絞る必要があると思うのだ。

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1954 コロナに負けない言葉の力 志賀直哉と詩誌『薇』と

 コロナ禍の日々。時間はたっぷりある。考える時間があり余っているはずだ。だが、世の中の動きに戸惑い、気分が晴れない日が続いている。そんな時、手に取った志賀直哉の『暗夜行路』の一節に、そうかと思わせる言葉があった。その言葉は、私たち後世に生きる者への警告なのだろうか。    

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1953 小説を読む楽しみ 開高健の眼力

 「小説は無益であるからこそ、貴重である。何もかもが、有効であり、有益であったならば、この世はもう空中分解してしまう」。ベトナム戦争取材記や釣り紀行で知られる作家の開高健(1930~89)の小説に対する見方((大阪市での教職員対象の講演録・28日付朝日より)だ。小説は無益だから読まないと公言する人もいるが、私は無益、有益を考えては読まない。まあ、面白ければいいし、暇を持て余すより、小説を読んだ方がいいと思うから、相変わらずランダムに選んだ本を読み続けている。    

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1950 散歩の途次にて 見上げる空に不安と希望が

「私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして坐した。その後半は黒板を後にして立った。黒板に向って一回転をなしたといえば、それで私の伝記は尽きるのである」。哲学者、西田幾多郎(『続思索と体験・続思索と体験以後』は、自身の半生をこんなふうに書いている。学問の道を貫いた人の、何とも簡潔な表現ではないかと思う。    

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1949 時無草~行く秋に

「時無草」(ときなしぐさ)という名前の草はない。詩人の室生犀星と友人の萩原朔太郎は、詩の中にこの言葉を使っている。季節外れに芽吹いた草のことを犀星がイメージして詩にしたといわれ、朔太郎も使った、造語といえる。つい先日、散歩の途中、枯れた雑草の中で、紫色の小さな花が咲いているのを見た。名前は知らない。私にとって、その花は時無草のように思えた。  

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1946 朝焼けに向かう風見鶏 耳袋を外して音楽を聴く

 今朝は「朝焼け」が見えました。これは日の出間際の東の空が赤く染まる現象で、夏に多いため俳句では夏の季語になっています。近所の屋根の上の風見鶏が、この空に向かって何かを話しかけているような光景が目の前に広がっていました。少し足を延すと公園の木々の葉が赤や黄となり、芝生の緑とのコントラストに見とれてしまうほどでした。

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1944 柿を愛する人は「まっすぐな道でさみしい」

 少し寒さが増してきているこのごろ。とはいえ、いい季節であることは間違いない。さすらいの自由律句の俳人、種田山頭火の句を読む。「何おもふともなく柿の葉のおちることしきり」。葉が落ちて赤い実だけの柿が目立つようになった。柿を含め、果物もおいしい季節である。山頭火が道端にある柿の木から実を取って、食べながら歩く姿を想像する。  

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1937 花の終りに ある秋雨の日の風景

 いつもの年より遅くまで咲いていた彼岸花。街中が異常なほど甘い香りに包まれたキンモクセイ。それも、このところ降り続いた雨と低い気温で終わりの日を迎えた。  霧雨の中、遅くまで咲いていると、ニュースでやっていた彼岸花の名所に行く。だが、もう花はなかった。自然の動きは人を待たない。

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1932 ちいさい秋がやってきた 山頭火とともに

 秋おだやかなお隣りの花を見るなり 種田山頭火  今朝5時半の気温は16度しかなかった。つい最近まで猛暑などと言っていたのがうそのような気候の変化である。きょう30日で9月も終わり、秋本番ともいえる季節の到来だ。コロナ禍を忘れ、束の間だけ秋をテーマにした歌を口ずさんでしまうほど、さわやかな日和になった。

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1931今年も咲いたアメリカデイゴ 台風禍からの復活

 自然界の復元力、なんていうとやや大げさかもしれない。  近所の遊歩道脇に植えてあったアメリカデイゴ(和名・海紅豆=カイコウズ)が昨年9月の台風15号で倒され、市から依頼された業者によって根元からきれいに切り取られた。毎年初夏から晩夏まで花を咲かせていたアメリカデイゴ。今年はこの花を見る楽しみはなくなったと思っていた。しかしその予想は外れ、春になると「ひこばえ」が次々に出てきて例年通り赤い可憐な花が咲いた。  それは、やはり自然の復元力であり、花を見ながら、人間もこうありたいものだという言葉をつい口にしてしまった。

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1922 早朝の二重(ふたえ)虹 天まで続く七色の階段

「こんな美しい虹を見たのは初めて」「二重の虹はなかなか見られないよね」。朝6時前、雨上がりの北西の空に虹が出ているのを見た。しかも二重の虹である。散歩を楽しむ人たちは、束の間の自然界のパノラマに見入っている。何かいいことがありそうな、そんな自然界からの朝の贈り物だった。

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1920 旭川を愛し続けた人 少し長い墓碑銘 

「せきれいの翔(かけ)りしあとの透明感 柴崎千鶴子」 せきれいは秋の季語で、水辺でよく見かける小鳥である。8月も残りわずか。暑さが和らぐころとされる二十四節気の「処暑」が過ぎ、朝夕、吹く風が涼しく感じるようになった。晩夏である。遊歩道に立つと、写真のような透明感のある風景が広がっている。空には今日も雲がない。そんな空を見上げながら、北の地に住んでいた先輩の旅立ちを偲んだ。  

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1919 近づく新米の季節  玄関わきに田んぼあり

 今年も新米の便りが届く季節になった。散歩中に、近所の家の玄関わきで稲を栽培しているのを見つけた。水田というにはあまりにも小さい。高さ約30センチほどのコンクリートで囲った、1坪程度の小さな田んぼだ。中の稲は元気に育って実をつけ、頭を垂れている。ままごとのような田んぼでも、猛暑による熱中症を恐れコロナ禍にたじろぐ私たち人間を尻目に、自然界は実りの秋へと少しずつ移行を始めていることに気づかされるのだ。

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1918 夏の風物詩ヒマワリ物語 生きる力と悲しみの光と影

 ヒマワリの季節である。8月になって猛暑が続いている。そんな日々、この花は勢いよく空へ向かって咲き誇っている。「向日葵の百人力の黄なりけり」(加藤静夫)の句のように、この黄色い花がコロナ禍の世界の人々に力を与えてほしいと願ってもみる。よく知られているゴッホの《ひまわり》の絵もまた、その力強い筆致でコロナ禍におびえる私たちにエールを送ってくれていると思いたい。

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1903「星月夜」に一人歩いた少年時代 想像の旅フランス・長野・茨城・富山へ

 ゴッホが、代表作といわれる『星月夜』(外国語表記=英語・The starry night、フランス語・ La nuit étoilée、オランダ語:・De sterrennacht=いずれも邦訳は星の夜)を描いたのは1889年6月、南フランスサン・レミ・ド地方プロヴァンスにある修道院の精神病棟だった。日本では星月夜は「月は出ておらず、星の光で月夜のように明るく見える夜」のことを言い、秋の季語になっている。しかし、ゴッホの絵は夏に描いたもので、右上方に大きな三日月が描かれている。月が出ているのだから、日本でいえば星月夜ではない。だれがこのような日本語に訳したのだろうか。だが、この絵の題はセンスがよく、ロマンもあって違和感はない。  この絵は、部屋の東向きの窓から見える日の出前の村の風景を描いたものだという。ゴッホは弟テオへの手紙の中で絵について「今朝、太陽が昇る前に私は長い間、窓から非常に大きなモーニングスター(明けの明星・金星)以外は何もない村里を見た」と書いている。左下から延びる糸杉、右手には教会の尖塔や村の建物があり、背景には青黒い山並みがあり、上空には星々が輝く。中でも明けの明星がひときわ輝いている。星々の軌跡は渦を撒くように白く長く伸び、右上方には三日月が大きく描かれている。  日本各地には星空が美しい地域が点在している。例えば、長野県阿智村(中国残留孤児の救済に生涯をささげた山本慈昭さんが住職を務めた長岳寺はこの村にある)のもみじ平や茨城県と福島県境の茨城県常陸太田市里川町…

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1898 住みにくい世こそ芸術を 沖縄戦終結から75年の日に

 世界のコロナ禍は収まらず、1000万人感染(日本時間23日午前9時現在、感染者905万7555人、死者47万665人=米ジョンズ・ホプキンス大集計)という恐ろしい現実が近づいている。日本は梅雨、そして劣化という言葉を通り越したひどい政治状況の中で鬱陶しい日々が続いている。本当に「住みにくき世」になっている。そんな時、夏目漱石が『草枕』の冒頭部分で書いた芸術の効用を思い出した。そうだ、私たちの周りには本があり、絵があり、音楽があるではないか……と。  明治の世も文豪から見て、住みにくい世だったのだろう。そこで文豪は、芸術に目を向けることを提示したのだ。(以下、『草枕』から。私見では、現代の日本は「人でなしの国」に近い) 「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国に行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう」 「越すことがならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職ができて、ここに画家という使命が降(くだ)る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするがゆえに尊い」 「住みにくき世から、住みにくき煩(わずら)いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるいは音楽と彫刻である」  漱石が『草…

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1896 地図の旅、札幌へ そこはアカシアの季節

 地図を見ながら想像の旅を続けている。山形を出発した旅は九州へと移り、さらに沖縄を経てヨーロッパまで行った。今回はヨーロッパから帰国し、北海道へと歩を進める。想像の旅だから、強行軍でも疲れることはない。札幌の知人のフェースブックを見ていたら、「アカシアの季節」という文字が飛び込んできた。そうか、あの白い花が札幌の街を包んでいるのかと想像した。新型コロナの感染者は東京と北海道で連日発生している。遠い空の下で、知人たちはどのような生活を送っているのだろう。  私はこれまでの人生で2回、合わせて3年半札幌で暮らしたことがある。地名を聞くと、ある程度はどのあたりかを想像することができる。「陽気で人なつっこく進歩的」が北海道人の気質だそうで、そうした人たちと知り合いになり、北海道は第二の故郷と自称している。人だけでなく、自然にも魅了された。アカシア(アカシヤとも表記)の花もその一つだった。  知人はフェースブックに「アカシアの季節」と題しこの花の2枚の写真とともに以下のような文を載せている。「一気にアカシアの花が咲いた。初夏の訪れ。風薫り、リラ冷えはもうない。何故か花房が小さい。かつては手に取ると肘にかかるほど豊かだったが、今、手のひらに載ってしまう。これも温暖化のせい?……の花が咲いてた「この道」、……の花の下で「赤いハンカチ」、……の雨に打たれて「アカシアの雨がやむ時」……記憶に刻まれた歌、歌……その季節に浸る」。詩的で素敵な文章だ。  私もアザミの花の写真を提供した『メロディに咲い…

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1892 青春の地は金峰の麓村 地図を見ながらの想像の旅(2)

  閑古啼くこゝは金峰の麓村 山形県鶴岡市生まれの作家、藤沢周平(1927~1997)の句(『藤沢周平句集』文春文庫)である。藤沢の死後、主に鶴岡で集められた色紙や短冊などに見られた7句のうちの1句で、藤沢は鶴岡師範学校を出た後、当時の湯田川村立湯田川中学校(現在は鶴岡市立鶴岡第四中学校へ統合)の教師(国語と社会)をしていたことがある。後に、この村の風景を思い出しながら、こんな句をつくった。若い教師時代、藤沢はどのような思いで故郷の山を見ていたのだろう。地図を見ながらの私の想像の旅は続いている。  30歳代、庄内地方を放浪した森敦は、芥川賞を受賞した『月山』の中で次のように庄内にある山について記している。「月山は、遥かな庄内平野の北限に、富士に似た山裾を海に曳く鳥海山と対峙して、右に朝日連峰を覗かせながら金峰山を侍らせ、左に鳥海山へと延びる山々を連亙させて、臥した牛の背のように悠揚として空に曳くながい稜線から、雪崩れるごとくその山腹を平野へと落としている」。ここに登場する3つの山のうち金峰山(きんぼうさん、471メートル)が、若い時代の藤沢が見慣れた山だった。  金峰山は鶴岡市の南部にある信仰の山として知られ、山頂に金峯神社がある。山頂や登山道から庄内平野が広がるのが見え、鶴岡市民にとっては憩いの山だそうだ。「閑古鳥」は郭公(かっこう)の別名で「閑古鳥が鳴く」は「物寂しいさま」の意味だから、藤沢は湯田川温泉で知られる村の風景を、こんな風に思い出し、自作の句にしたのだろう。同じ「金峰山」…

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1890 空いっぱいに広がる山の輝き・さやけき鳥海へ 想像の旅(1)

 ここにして浪の上なるみちのくの鳥海山はさやけき山ぞ 山形出身の歌人、斎藤茂吉の歌集「白き山」(1949=昭和24年)に収められている山形、秋田県境にある鳥海山(標高2236メートル)を称えた歌である。名作『日本百名山』(新潮社)で、深田久弥は「名山と呼ばれるにはいろいろの見地があるが、山容秀麗という資格では、鳥海山は他に落ちない。眼路限りなく拡がった庄内平野の北の果てに、毅然とそびえ立ったこの山を眺めると、昔から東北第一の名峰とあがめられてきたことも納得できる」と記している。山形の県北地域に住む友人から、美しい鳥海の写真が届いた。茂吉の歌を味わいつつ、地図を見ながらつかの間、鳥海への想像の旅をした。  鳥海は標高が東北で1、2位を争う高峰(トップは福島県の燧ヶ岳=ひうちがたけ=で2356メートル。鳥海は2番目)とはいえ、茂吉が生れたのは山形県南東部の南村山郡金瓶村(現在の上山市金瓶)だったから、家から鳥海を見ることはできなかっただろう。ただ、茂吉の心の中には、故郷の山としての鳥海が大きな位置を占めていたに違いない。深田久弥は「東北地方の山の多くは、東北人の気質のようにガッシリと重厚、時には鈍重という感じさえ受けるが、鳥海にはその重さがない。颯爽としている。酒田あたりから望むと、むしろスマートと言いたいほどである」と、この山の特徴を書いている。  友人が送ってきた写真は「赤鳥海」と「白鳥海」というキャプションが付いている。前者は夕日に赤く染まる風景で、後者は真っ青な空の下、残雪が白く輝…

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1879 5月の風に吹かれて タケノコとイノシシの話

 世界も日本もコロナ禍によって、大きな打撃を受けている。命が、生活が奪われていく。だが、自然界はこうした人間界とは無縁のようだ。散歩コースでは野ばらやアザミが咲いている。蛇の姿も見かけた。季節は巡り、二十四節気の一つ、立夏(ことしは5月5日)から1週間が過ぎた。さわやかな5月である。季節の便りのタケノコが友人から届いたと思ったら、故郷からも送られてきた。旬の味である。  山形の友人が送ってきたのは「月山タケノコ」だった。昨年もいただいたので、この味は忘れない。月山(1984m)は山岳信仰で知られる出羽三山(ほかに羽黒山と湯殿山)の主峰である。このタケノコはその麓で採れるほか北海道から東北の山地に自生しており、根元が湾曲するため根曲がり竹と呼ばれる笹のタケノコだ。アクが少ないうえ、独特の風味と甘みがあり、月山周辺のものは特に味がいいことで人気があるそうだ。届いた時、たまたま居合わせた小学4年生の孫娘とさっとゆでたタケノコの皮をはぐのを手伝いながら、味見をしてみた。確かに何もつけないでも甘くてうまい。マヨネーズや味噌をつけてもいい味だ。孫娘も嬉しそうに食べている。  同じ日、私の実家のある福島から、孟宗竹のタケノコが届いた。こちらは太めのタケノコで、月山のものとは風味も味も異なる。昔からアク抜きをしなくとも食べられる品質だと記憶している。適度に歯ごたえがあって、私はこのタケノコを食べると、東北にも5月がきたことを実感したものだ。かつては、食べきれないほどのタケノコが出た、この孟宗竹の竹林も…

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1877 絶望の裏返しには希望が 東野圭吾『クスノキの番人』を読む

 古来、日本には神が木に依り付くという言い伝えがあった。全国の樹齢が千年以上という巨樹は御神木として、多くの人々の信仰の対象になった。東野圭吾の近刊『クスノキの番人』(実業之日本社)は、御神木である巨樹のクスノキに何かを求めようとする人たちと、そうした人たちをクスノキに案内することになった若者の物語だ。ベストセラーを連発するこの著者の作品はほとんど読んだことはない。2008年の『さまよう刃』を読んで以来である。この著者の作品の多くは推理小説だそうだが、近作は違っていた。それは……。  私が日本一の巨木といわれる鹿児島県蒲生町の「蒲生のクス』を見に行ったのは、2010年1月初めのことだ。森林ボランティアたちを取材した後、鹿児島空港に行く途中、少し時間があるため立ち寄った。八幡神社境内の西南にそそり立つこの巨樹は、樹高が30メートル以上もあり、近寄り難い雰囲気があった。詳しくは当時のブログ(下段、関連ブログから)に譲るが、それまで見てきた数多くの樹々とは違い、神々しさを感じた。  この木自体は本州、四国、九州、済州島、沖縄、中国南部、インドシナからの暖帯から亜熱帯に分布するが、古来各地に植栽されているので自然分布地域はよくわからないとされおり、我が国の樹木の中では最も巨木になる性質をもった木である」(八木弘『巨樹』講談社現代新書)という。  さて、東野の近作である。「多くは推理小説だそうだが、近作は違っていた」と上述した。確かに、殺人や誘拐、強盗、あるいは高齢者をだます「オレオレ詐欺…

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1874 窓をあけよう 風は冷たくとも

 前回に続いて、詩の話です。大分県出身のクリスチャンで詩人、江口榛一(1914~1979)の「窓をあけよう」をこのブログで取り上げたのは8年前の2012年のことでした。あらためてこの詩を読み返してみました。最近の社会情勢に合致するような言葉が、この詩には含まれていました。   窓をあけよう。   窓をあけると風がはいる。   風はいつも新しい。   地球をひと回りしてきた風だ。   その風を深呼吸のように吸っていると   心が空のように広くなる。   海のように豊かになる。  新型コロナウイルスの感染拡大のために、部屋の窓、電車の窓を開けて換気することが求められています。換気の悪い密閉空間は感染リスクの一つといわれ、クラスター(集団感染)の恐れがあるそうです。実際に密閉空間ともいえるライブハウスでクラスターが発生したことがニュースになりました。  テレワークができない人は少なくありません。自宅勤務なしに電車通勤をしている家族によると、このところ利用する電車の窓は必ず開けられているそうです。窓から入り込む風は冷たくとも、我慢して乗り続ける日々だそうです。私は、そんな時こそ江口の詩を思い浮かべるのはどうだろうと思うのです。  このブログを書いている部屋の南側の窓を開けました。窓の外には、新緑が目に優しいけやきの街路樹に囲まれた遊歩道が見えます。外出自粛が続いているせいでしょうか、人影はそうありません。時折、散歩やジョギングの人が通り過ぎて行きます。犬の散歩や自転車の…

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1867 ライラックがもう開花 地球温暖化ここにも

 つつましき春めぐり来てリラ咲けり 水原秋櫻子      近所を散歩していたら、ライラック(リラ)の花が咲いているのを見つけた。まだ4月に入ったばかりだから、例年よりもかなり早い開花だ。空は青く澄み渡り、紫色の花からは微かな香りが漂ってくる。世界を覆う新型コロナウイルス感染症の猛威という現実を忘れ、つかの間美しい花に見入った。  札幌で暮らしたことがある。街の中心にある大通公園には約400本のライラックが植えられており、毎年5月の下旬にライラック祭が開かれている。ことしも5月20日~31日の開催が予定されている。この花を見ると長い冬の終わりを実感したが、ことしは予定通り祭りが開かれるだろうかと危惧する。(このブログをアップしたあと、中止が決定した。6月のよさこいソーラン祭りも同様に中止が決まったという)  ライラックといえば、花の絵を好んで描いたゴッホの《ライラックの茂み》という作品を思い浮かべ、インターネットで検索して絵を見てみた。自然のエネルギーを感じさせるゴッホ特有の劇的な表現が目に付き、絵から花の香りが漂ってくるような錯覚さえ抱いた。フランスのアルルに住んだゴッホは、同居したゴーギャンとの芸術感の違いから自分の左耳の下部を切り取るという事件を起こし、1889年5月サン=レミの精神療養院に収容された。療養院の室内から庭を見ながら、《アイリス》などとともにこの絵を描いたという。(現在はロシア・サンクトペテルブルクにある国立エルミタージュー美術館が所蔵)  療養院でゴッホは…

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1865 マロニエとクスノキの対話 困難な時代だからこそ

 3月もきょうで終わり。木々も芽吹き始める季節である。私が体操広場と呼ぶ広場にあるマロニエ(トチノキ)も少しずつ葉を出しつつある。葉の出し方は個体差があり、新緑が美しい木もあれば、まだ全く芽吹きのない木もある。明日から4月、広場は急速に緑に包まれる。そう、4月は「生命力」を感じる季節なのだ。2年前のブログでキンモクセイとけやきの架空対談をお届けした。ことしはマロニエと近くにあるクスノキの架空対話(マロニエは「マ」、クスノキは「ク」と表記)を聞いてみた。  マ クスノキさんもいよいよ葉が入れ替わり始めましたね。私たち落葉樹と違って、クスノキさんたち常緑樹は姿かたちがきれいですね。  ク マロニエさんの新緑が出始めるころは、ああ春がきたと感じて、私たちから見ていてもうらやましいくらいだよ。  マ そうですか。そうそう。このところ、私たちが植えられている広場に子どもたちの姿が目立ちますね。新型コロナウイルス感染症の流行で学校が休校になり、引き続き春休みに入っているので、平日でも子どもたちが遊んでいますよ。  ク 私の近くにあるベンチでは、定年になったと見える高齢者が座って、よくおしゃべりをしているよ。今朝も2人で難しい話をしていたな。  マ どんな話ですか。  ク 1人が新聞に載っていた、京都大学名誉教授の佐伯啓思という人の「異論のススメ」について話していたんだ。この人は保守派で知られる人で以前は産経新聞の常連執筆者だったそうだ。今朝の朝日新聞の朝刊には「現代文明かく…

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1860 東日本大震災から9年 被災地訪問記再掲

 きょうで東日本大震災から9年になる。9年という歳月は日本社会に様々な変化をもたらした。大震災のあと私が初めて被災地に入ったのは岩手県だった。以下に当時、別の媒体に書いた訪問記を再掲する。(政治は民主党から自民党政権に代わり、第2次安倍政権は現在も続く長期政権になった。 今、日本だけでなく世界では新型コロナウイルスとの闘いに目が向けられている。そうした中で安倍政権の危うさが顕著になっている。原発事故の福島の後遺症はあまりにも大きく、浜通り地方の原状回復の見通しは立っていない) 「被災地で感じる胸の痛み それでも人間は……」  長い人生では様々な事象に出会い、驚くことも少なくなる。感性や感受性が次第に鈍くなるからだろうか。そうしたことを意識していた矢先の東日本大震災だった。テレビの映像や新聞、雑誌、インターネットの写真を見て震えるほどの衝撃を受けた。その衝撃度は現地に入ってさらに増した。震災から1カ月以上が過ぎ、被災地ではがれきの撤去が始まり、街の復興を目指して動き出していた。日本人に突き付けられた大災害の痛みを感じながら、岩手県の被災地を歩いた。  高度1万メートル以上で飛ぶ飛行機の窓から三陸の町や村がかすかに見える。建物はマッチ箱のようだ。自然界で人間の営みははかなく心もとないことを実感する。その営みは自然の脅威にさらされると、もろくも壊されてしまう。悔しいのだが、その典型が今回の大震災だったと認めざるを得ない。だが、はかない存在の人間は、実はしたたかで簡単には降伏しないエネル…

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