1815 米大統領とオオカミ少年 ハリケーン進路騒動

 古代ギリシア(紀元前6世紀ごろ)の寓話作家イソップ(アイソーポス)の『イソップ寓話集』は、様々な事象を寓話(教訓や風刺を含めたたとえ話)にしたものだ。その中にある「オオカミ少年」(あるいは「嘘をつく子ども」)の話は、よく知られている。朝刊の国際欄にこの話を連想させる記事が載っていた。オオカミ少年のように思えるのは、またしても米国のトランプ大統領だった。  またしても、という表現を使ったのは、トランプ氏がこれまで何度もツイッターで騒動を起こしてきたからだ。今回もお騒がせに使われたのは、ツイッターだった。新聞報道によると、今月上旬、米東部にハリケーン・ドリアン接近したが、トランプ氏は1日、ツイッターで上陸が予想されたフロリダ州だけでなく西側にあるアラバマ州も「直撃して予想以上の被害が出そうだ」と、警告した。  当時、同州に被害が出ることは予想されておらず、国立気象局の地元事務所は直後、「アラバマはドリアンの影響は受けない」という否定のツイッターを発信した。結果的に気象局の予想通り、アラバマで被害はなかった。このため米国メディアが「トランプ氏のツイートは不正確」と批判すると、トランプ氏は自分が正しいと主張し、批判報道を「フェイクだ」と攻撃しているのだ。  騒ぎに輪をかけたのは、国立気象局を所管する米海洋大気局(NOAA)が無署名でトランプ氏を支持する声明を発表したことだ。これに対しても米メディアは、政府高官がNOAAの幹部に解任をちらつかせながら対応を迫ったということなど、具体的事実…

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1814 北海道に生きた農民画家 神田日勝作品集から

 絶筆の馬が嘶く(いななく)夏の空 農民画家といわれた神田日勝さんが32歳でこの世を去ったのは、1970年8月25日のことである。絶筆となった絵は、この句(妻の神田美砂呼=本名ミサ子さん作)にあるように馬をモチーフにした作品(未完成)だった。私がこの画家を知ったのは初めて北海道に暮らした時で、30年近く前だった。その後、この画家のことは忘れていたのだが、最近になって美術館の図書室でたまたま1冊の本に出会い、中央画壇では知られていない農民画家のことを思い出した。  その本は『神田日勝 作品集成』(神田日勝記念美術館=鹿追町教育委員会)という題が付いた神田さんの作品集で、今年3月に発行された。神田さんが亡くなって49年が過ぎたが、その力強い作品は生きる力を見る者に与えてくれるのである。作品集に寄せた手記で美砂呼さんは、夫との絵に関するやり取りを書いている。このやりとりから、神田さんにとって絵を描くことは、生きる上で欠かすことができないものであることが理解できる。 「絵を描きたいって、どんな気持ち?」 「他人のことは解らないが、僕にとっては生理現象かな」  神田さんは1937年12月に東京・練馬で4人きょうだい(2人の姉と兄が1人)の次男として生まれ、太平洋戦争で東京大空襲に遭った。終戦の前日である1945年8月14日、一家は十勝平野の鹿追町に移住する。中学時代から、のちに東京芸大に進んだ兄一明さん(元北海道教育大学名誉教授)の影響で油絵を描き始め、農業をしながら通信制の野幌高等酪農…

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1813 天災と人災「小径を行く」14年目に

   台風15号によって私の住む千葉県は甚大な被害を受けた。中でも大規模停電は、昨年北海道地震で起きた「ブラックアウト」の再現かと思わせた。東京電力によると、全面復旧にはまだかなりの時間を要するという。これほど深刻な災害が起きているのに、なぜかこの日本はのんびりとしている。新聞やテレビを見て私はため息をつくばかりだ。  被害が深刻化している最中、安倍内閣の改造があり、新聞はそのニュースでもちきりだった。どう見ても、取り巻きと政治家歴が長いだけの実績不明の人たちが登用されている。ホープといわれる小泉進次郎氏が環境相(兼内閣府特命大臣)に起用され、直後に福島県を訪れ、前任者の原田義昭氏の発言(10日の記者会見で、東京電力福島第1原発の放射性物質トリチウムを含んだ処理水について「所管を外れるが、思い切って放出して希釈するしか方法がないと思っている」と述べた)を謝罪した。得意のパフォーマンスである。彼が弁明することではなく、原田氏の問題のはずである。謝られた福島県も当惑しただろう。  この後、ヤフーがファッション通販サイトZOZOTOWNを買収し、ZOZOの創設者、前澤友作氏が代表取締役社長を退任するニュースが大きく扱われた。同時に前澤氏が自身の保有株を売却し、2400億円を手にすると報じられた。世の中にはこんな人もいるのである。停電によって炎暑地獄に暮らす人々とは別世界の話であり、不快になって途中でテレビを消した。  ブラックアウトは、電力会社の管内全域が停電することを言う。今回の千…

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1812 炎暑地獄の9月 台風去って難が来る

   9日未明に千葉市に上陸した台風15号は、最大瞬間風速57・5メートルを記録し、同じ千葉市に住む私は眠れぬ夜を明かした。台風のすごさはテレビの映像で知ってはいたが、それを目のあたりにした。あちこちで街路樹が倒れ、屋根のテレビのアンテナが横倒しになり、瓦も飛んでいる。屋根が飛んでしまったガレージもある。遊歩道にはけやきの倒木と飛ばされた枝が散乱している。夜になると、街の半分が停電で暗闇の世界になっていた。そして、1日が過ぎた。停電の家で暮らしている体操仲間は「炎暑地獄ですよ」と話した。  台風が去った後、9日の夕方になると、美しい夕焼けが広がった。それは、右足の大けがをした2年前の9月の夕焼けと匹敵する絶景だった。沖縄から近所に移ってきた娘は「沖縄と同じくらいきれいな夕焼けだ」と感心した。時間差はあるものの、自然は荒々しさと美しさを私たちに与えくれたのだ。まるで、ごめん、ごめん、さっきの乱暴は許してね、その代わりにきれいな空を見せてあげるね、とでも言うかのように……。  テレビや新聞で報道されているためか、昨日から今日にかけ、お見舞いの電話がかかり、メールが届いている。庭中を、飛んできた枯れ枝とけやきの葉が埋め尽くしたが、それ以外は特に被害はない。だから「お陰様で私のところは大丈夫です」という返事を繰り返した。「二百十日」という言葉がある。立春から210目(2019年は9月1日)のことをいい、このころは台風や風の強い日が多いといわれる。最近は春から台風がくるので、この言葉は死語にな…

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1811 ツバメ去り葛の花咲く 雲流れ行く季節に

 朝、調整池の周囲にある遊歩道を散歩していたら、多くのツバメが飛び回っていた。そういえば、七十二候の四十五候「玄鳥去(つばめさる)」は間もなく(18日)だ。ツバメは南へと帰る日のために、ことし生まれた子ツバメを訓練しているのだろうか。残暑が続くとはいえ、自然界はツバメだけでなく、次第に秋の装いへと移り始めていることに気が付く。  ツバメは神奈川県や千葉県で絶滅の恐れがある日本版レッドリストに指定されており、私の住む千葉市では「要保護生物」になっているという。それだけ都会からツバメが少なくなっているのだろう。とはいえ、近所の大型スーパーの出入り口の一つに、ツバメが巣をつくっていて、毎年ここで雛を育てているし、調整池の周辺でも見かけることが珍しくない。私の住む地域に限って言えば、ツバメは激減していないのかもしれない。  この遊歩道の傍らは、調整池と草地が広がっている。最近は予算が減らされ、役所の雑草の刈り取りは年1回しかない。そのため、いつしか繁殖力の強いツル性の葛が増え続け、遊歩道の一部まで葛が勢力を拡大してしまっている。始末が悪い雑草だと思っていたが、今朝この葛の花が咲いているのを見かけた。濃紺紫色の花穂である。葛は秋の七草のひとつで、花はまあまあきれいだ。葛を季題とした俳句も数多い。「山葛の風に動きて旅淋し」 正岡子規の句である。このように風情を感じる句が少なくないが、毎朝調整池でどんどん伸びる姿を見ているためか、私は葛を好きになれない。  調整池の遊歩道とは別に、この街には1…

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1803 涼を呼ぶ寒蝉鳴く 猛暑の中、秋を想う

 猛暑が続いている。暦の上では立秋(8月8日)が過ぎ、きょう13日は七十二候の「 寒蝉鳴」(かんせんなく)に当たり、盆入りである。寒蝉は「かんぜみ・かんせん」と読み、秋に鳴くセミであるヒグラシやツクツクボウシのことをいう。散歩コースの調整池の小さな森で朝夕、涼を呼ぶようにヒグラシが鳴いている。この鳴き声を聞くと、私は秋が近いことを感じる。とはいえ残暑は厳しい。今年の本格的秋の到来はいつになるのだろう。  手元にある七十二候の本には「寒蝉鳴(ひぐらしなく)」と紹介されているが、「寒蝉」について広辞苑には「秋の末に鳴く蝉。ツクツクボウシまたはヒグラシの古称か」とあり、大槻文彦・言海「つくつくぼうし」の項の最後にも「寒蝉」と記されている。民俗学の柳田国男は『野草雑記』で植物の土筆(ツクシ)について考察し、地域によってこの植物が「ツクツクボウシ」と呼ばれ、寒蝉=ツクツクボウシと同じ呼称であることを紹介している。このように寒蝉鳴のセミの古称は複数存在するのである。  七十二候はもともと古代中国で考案された季節を表す方式だが、日本では江戸時代に渋川春海(1639~1715。天文暦学者、囲碁棋士。冲方丁の小説『天地明察』は渋川の生涯を描いている)ら暦学者によって日本の気候風土に合うように改訂されたというから、江戸時代に立秋を過ぎてから鳴くことが多いヒグラシやツクツクボウシを「寒蝉鳴」という七十二候に含め、秋の到来を示す風物詩として言い伝えてきたのだろう。  書に倦むや蜩鳴いて飯遅し 正岡子規は…

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1795 前倒し夏休みなのに 梅雨寒続く7月

 梅雨寒や背中合わせの駅の椅子 村上喜代子  梅雨寒の気候が続いている。昨年の今頃は猛暑になっていたが、今夏は天候不順で肌寒い日がなかなか終わらない。私の住む千葉市の市立小中校(165校)は、例年より1週間繰り上げて夏休みになる。3連休だから、実質的にきょう13日から8月いっぱいまでの長い休みである。前倒しの理由は予算不足を補うための苦肉の策だという。  実は千葉市の小中校にはエアコンの設備がなかった。市長も市議会も校舎の老朽化対策が優先だといって、子どもたちに我慢を強いてきた。市議会ではエアコン設置を求める請願に対し、自分たちは涼しい議場にいるにもかかわらず強い精神力・忍耐力を養うためにエアコンは不要という何とも前時代的な意見で不採択にした経緯もある。だが、昨年の猛暑により文科省からエアコン設置を求める通達が出され、千葉市も渋々ながら設置を決めた。  しかし、予算の関係もあって工事がなかなか進まず、結果的に代替え手段として夏休みの前倒しを決めたのだ。だが、皮肉なことに今夏は梅雨が長引き、しかも冷夏の状況が続いていて、夏休み前倒しの意味は薄らいでしまった。一度決めた以上はそれを変更するという柔軟さは役所(教育委員会)にないから仕方がないのかもしれないが、子どもたちの長い夏休みにお母さんたちも戸惑っていることだろう。  旧暦七十二候で、いまごろは「小暑 (次候)蓮始めて開く」とされている。そういえば、私の住む街に通ずる道の脇に昔ながらの池があり、蓮の花が咲いている。千葉市の千葉公園蓮池に…

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1789 雨の日に聴く音楽 アジサイ寺を訪ねる

 きょうは朝から雨が降っていて湿度は高い。ただ、午後になっても気温は約21度と肌寒いくらいだ。それにしても梅雨空はうっとうしい。CDでショパンの「雨だれ」(前奏曲15番 変ニ長調)をかけてみたら、気分がさらに重苦しくなった。仕方なく別のCDをかけ直した。モーツァルトだ。ショパンには悪いが、雨の日もやはりモーツァルトだと思う。 「雨だれ」について仙台在住の作家、佐伯一麦が『読むクラシック』(集英社新書)の中で、私と同じことを書いている。佐伯は高校生のころ、雨が降ると家に引きこもりたくなって学校を休み、この曲に耳を傾けたそうだ。ところが、大人になると……。「正直の所、今はあまり好まなくなってしまった。そもそも雨だれとは、他人が付けた名前で、そう名付けたくなるのも無理もないけれど、この曲から受ける雨の感じは、いかにも重苦しすぎる。悪夢の名残のように、こちらにつきまとって離れない気配がある」(ブログ筆者注。スペイン、マジョルカ=マヨルカ島の修道院の屋根を打つ雨を描いた作品といわれる。ショパンがマヨルカでこの曲を作曲したのは1839年1月のこと。地中海気候のこの島の冬は、日本とは反対に雨が多い季節だ。フランスの作家で男装の麗人ともいわれた恋人のジョルジュ・サンドとともにこの島に滞在したショパンは、肺結核を病んでいたとはいえ創作意欲は旺盛だったそうだ)  梅雨といえば、アジサイを思い浮かべる人は多いはず。この花が嫌いだという人もいるだろうが、雨の季節を彩る、6月の花の代表ともいっていい。それにして…

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1786 雨の季節に咲く蛍袋 路傍の花を見つめて

 散歩道で高齢の女性2人が話している。「あら、ホタルブクロがそこに咲いているわよ」「そうね。懐かしいわ。私の子どものころ、この花を『あめっぷりばな』、って言ってたのよ」「そうなの。面白い名前ね。私の学校帰りの道の両脇にもあって、これが咲くと、ああ梅雨に入ったと思ったものよ」  2人は追憶の日をたどるように、話を続けている。2人の邪魔をしないように、私は傍らをそおっと通り過ぎた。その先の斜面には、紫とそれよりも薄い紫の2種類のホタルブクロが雑草に混じって咲いていた。どことなく郷愁を感じる風情があり、私も既視感を抱いた。そう、私の通学路周辺にも今の季節になるとこの花がひっそりと咲いていたのだ。  ホタルブクロは雨の中で生き生きとする植物だ。「あめっぷりばな」という呼び方は、巧みな表現といっていい。ホタルブクロという名前の由来は「ぶら下がって咲く花を提灯に見立てて、提灯の古語である火垂を充てた」という説と「子供が花のなかにホタルを入れて遊んだから」という2つの説があるそうだ(NHK出版『里山の植物ハンドブック』より)。なるほど、後者なら確かに「蛍袋」になる。  私が子どものころ、夏になると蛍が飛び交うのが珍しくなかった。だが、残念ながら、この花の中にホタルを入れて遊んだ記憶はない。ただ、語源になっているのだから、いつの時代か、どこかの地域でそうした遊びをする子どもたちがいたのかもしれない。それを想像するだけで、風情を感じるのである。 「螢袋に山野の雨の匂ひかな」 細見綾子の句である。雨に濡れ…

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1784 いつくしみある地の夏 里山の風景を見る

 室生犀星の詩集『抒情小曲集』のなかの「小景異情」の「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」(その2より)はよく知られている。同じ詩集の「合掌」にも実は心に染みるものがある。福島の里山を訪ねて、その思いを深くした。   みやこに住めど   心に繁る深き田舎の夏ぞ   日を追ひては深む   いつくしみある地の夏ぞ      (ハルキ文庫『室生犀星詩集』「合掌」その2より)    福島県矢祭町は茨城県境の南端の町だ。人口は約5600人。清流久慈川に沿って田畑が広がる。ユズやコンニャクが名産で、町名にもなった矢祭山(標高382.7メートル)は4月に桜、5月にツツジが咲き、秋には紅葉が美しい景勝地だ。すぐ下を流れる久慈川のアユ漁は6月2日に解禁になった。里山は同町金沢地区にあり、人の手が入ることがなくなり、雑木や杉が生い茂り荒れ始めていた。その里山の再生が数年前から始まっていた。「来る里の杜」(くるりのもり、全体面積約6ヘクタール)と名付けられた3つの里山の再生活動は、寄付や助成金を基に生い茂った木々を伐採し、その中に遊歩道や東屋を造成、桜をはじめとする様々な花木を植樹するもので、町内や地元のボランティアによって進められた。  2017年3月から始まった植樹は▼ソメイヨシノ▼コブシ▼ロウバイ▼エドヒガンザクラ▼カワズザクラ▼カンヒザクラ▼神代アケボノザクラ▼オモイノママ▼ヒトツバタゴ▼サルスベリ▼オオヤマレンゲ▼ヤマツツジ▼ミツバツツジ▼ヒノデキリシマツツジ▼カツ…

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1779 桑の実は名物そばよりうまい 自然の活力感じる季節

 自然を愛好する人にとって、忙しく楽しい季節である。山歩きが趣味の山形の友人からは珍しいタケノコ「ネマガリダケ(月山筍)」が送られてきて、彼の山歩き姿を思い浮かべながら、旬の味を堪能した。自然の活力を最も感じる季節、病と闘いながら旺盛な食欲を発揮し続けた正岡子規の随筆を読み、庭の一隅の桑の実を観察した。もう少しでこの実も熟れ始める。  子規の随筆は「桑の実を食いし事」(『ホトトギス』第4巻第7号)という、信州(長野県)旅行の思い出を記した短文だ。要約すると、次のようになる。 「蚕の季節の旅行だったため、桑畑はどこも茂っており、木曽へ入ると山と川との間の狭い地面が皆桑畑だった。桑畑の囲いのところには大きな桑があり、真黒な実がたくさんなっていた。これは見逃す手はないと手に取り食べ始めた。桑の実は世間の人はあまり食べないが、そのうまさはほかに比べるものがないほどいい味をしている。食べ出してから一瞬の時もやめず、桑の老木が見えるところに入り込んで貪った。何升食べたか分からないほどで、そんなことがあったため、この日は6里程度しか歩けなかった。寝覚の里(寝覚の床=木曽郡上松)へ行くと、名物のそばを勧められたが、腹いっぱいで食べられなかった。この日は昼飯も食べなかった。木曽の桑の実は寝覚そばよりうまい名物だ」  子規の食いしん坊ぶりを彷彿とさせる一文だといえる。私も子どものころ、生家の桑畑で熟した実を食べ、唇や舌を真っ赤にしたことが何度かあるが、子規のようにうまいとは思わなかった。だが、最近そ…

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1776 ほてんど餅って知ってますか 柏餅のことです

 きょうは「こどもの日」で、端午の節句である。ラジオ体操で一緒になった人と柏餅のことを話していたら、「私の方では柏の葉ではなく、『ほてんど』の葉を使うので『ほてんど餅』というんですよ」と教えてくれた。中国地方出身というこの人は、帰り道この植物を教えてくれた。それは「サルトリイバラ」という全国に分布する植物で、山口県では「ほてんど」と呼ばれるそうだ。柏餅でも地域によって利用する葉が違うのだから、日本には幅広い食文化があるのだと感心した。  柏餅を食べる習慣は日本で生まれたならわしで、柏の木(ブナ科)は新芽が出るまで古い葉が落ちないことから「跡継ぎが途絶えず、子孫繁栄」につながり、家系が絶えない縁起のいい食べ物になった――と、歳時記に出ていた。柏餅の呼び方は地域によって違いがあるそうだ。本来の柏の葉を使った柏餅のほかに、サルトリイバラの葉の方で作ったものの呼び方は数多く「ほてんど餅」「ばらっぱ餅」「かしゃんば」「いばらだんご」「しばもち」「ひきごもち」「かたらもち」「かんからもち」(以上、日本調理科学会誌より)などがあるのだが、これは一例にすぎず、もっとある。サルトリイバラの呼び方が地域によって異なるのが、その理由のようだ。西日本ではこの葉を使ったもの自体を柏餅と呼ぶこともあるそうだ。  海野厚作詞、中山晋平作曲の「背くらべ」という童謡は、この季節の曲で、誰でも知っているだろう。  1   柱のきずは おととしの  五月五日の 背くらべ  粽(ちまき)たべたべ 兄さんが  計って…

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1772 大聖堂火災で歴史遺産を考える 世界の人の目は

 パリの世界遺産、ノートルダム大聖堂(寺院)で火災が発生、尖塔が崩壊するなど、大きなダメージを受けた。フランス各界や海外からこれまでに1000億円を超える寄付の申し出があり、フランスのマクロン大統領は、5年で再建を目指すと語った。大聖堂がパリのシンボルだったからこれほど大きな話題を集め、人類の歴史の中で作り上げられた文化遺産がいかに貴重であるかを考える機会にもなった。  キリスト教については門外漢であり、大聖堂についての知識はほとんどない。以前、イギリスの作家、ケン・フォレットの長編小説『大聖堂』(前編と後編で全6冊)を読んだり、旅行でノートルダム大聖堂を含む著名な大聖堂を見たりして、キリスト教関係者にとって大聖堂はかけがいのない存在だと、少しだけ理解したつもりだが……。  ノートルダムは、フランス語で「われらの貴婦人(聖母マリアのこと)」という意味だそうで、この名前の大聖堂は各地にあり、大学も何校か存在する。手元の西洋建築史の本を見ると、フランスのパリやランス、アミアン、ランのノートルダム大聖堂は12世紀後半から15世紀まで続いたフランス発祥のゴシック建築様式の理想形だという。マクロン大統領はパリの大聖堂を5年で再建すると言明した。しかし5年といえば突貫工事である。そうした理想の様式を短時間で再現できるのだろうかと、疑問に思う。  今回は火事による被災だったが、これまでに多くの文化遺産が戦争によって危機にさらされた。ユーゴ内戦によって赤い屋根が並ぶクロアチア・ドブロブニク旧市街…

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1771 生命力を感じる新緑と桜 子規とドナルド・キーンもまた

 私が住む首都圏は現在、新緑、若葉の季節である。街路樹のクスノキの緑が萌え、生け垣のベニカナメの赤い新芽がまぶしいこのごろだ。新緑、若葉の2つは俳句では「夏」の季語になる。しかし立夏はまだ先(5月6日)で、今は春爛漫というのが適切な時期になる。時代ともに季節感覚が、少しずつずれてしまっているのだろう。  手元の角川俳句歳時記には「春に芽吹いた木々が5月ごろに新葉を拡げるさまは美しい」(若葉)、「初夏の若葉のあざやかな緑」(新緑)――と出ている。いずれも5月ごろの季節を想定した書き方である。東北や北海道ではちょうどこの記述が適当だろうが、関東以南にはややそぐわなくない表現だと思われる。  それは別にして、新緑と若葉と聞いて人は何を感じるだろうか。私はどうしても「生命力」をイメージする。樹木が冬の眠りから覚めて活動を再開する姿に、生命の息吹を感じるからだ。詩人の大岡信は、日本の春の象徴である桜について「『前線』ということばが花では桜についてだけ言われますが、桜は動くもの、散るもの、しかしそれは同時に生命力をあらわしていて、桜を詠んだ詩歌がそういうことを示すものが多いのは当然だとおもいます」(『瑞穂の国うた』新潮文庫)と書いている。  3月が別れの季節の色合いが濃いのに対し、4月は大岡が書くように、生命力が前面に出る季節なのだ。34年という短い生涯にもかかわらず、挑戦する姿勢を忘れなかった俳句の正岡子規の生き方に私は強靭な命の輝きを感じ取る。先ごろ96歳で亡くなったドナルド・キーンは『…

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1768 東京も千葉も福島も桜の季節 「人はいかに生きるべきか」

 かつては「桜前線が北上」という言葉が一般的だった。だが昨今、この言葉はあまり使われなくなった。異常気象といわれた世界の気象がいまや恒常化してしまい、東京と福岡の桜の開花日が同じになっている。自然界も異常を普通にしてしまう「トランプ現象」と足並みをそろえてしまっているようだ。私の住む千葉がまだ満開の一方で、原発事故から8年が経た福島でも美しい桜の季節を迎えている。福島の人たちはどのような思いでこの季節を送るのだろう。  共同通信社の現在の福島支局長は、ロシア問題専門の私の信頼する佐藤親賢という後輩記者だ。佐藤記者が最近、書いた社内文書を読む機会があった。福島の現状を紹介した後、彼の思いを書いていた。私はその文章に惹かれた。 「人はいかに生きるべきかという問いに、全ての人が向き合っているわけではあるまい。しかし震災・原発事故を経験したことで、自分はこれからどう生きたらいいのかを考えさせられた人がたくさんいた。福島の記者たちが日々取材しているのは、そういう人々の思いである。原子力災害にどう向き合うか。急速な過疎化と高齢化にどう対応するか。どんなやり方でエネルギーを、そして安全な食料を確保するのか。福島は、こうした課題についての『学びの場』になったらいい。県外や国外から視察を受け入れ、自分たちの苦しい経験を分かち合い、今後予想される災害や課題への解決策を共に考える。いまだに続く『風評被害』もその中で克服されていくに違いない」 「人はいかに生きるべきか」という後輩のこの問いに、私はどう答…

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1765 春眠暁を覚える? 雉を見に行く 

「雉が増えすぎて困るから、野良猫がいた方がいいって言ってる人がいる」「それはおかしいよね」ラジオ体操仲間が、こんなことを話していた。その場所は私の散歩コースに当たり、なるほどこの数年、よく雉を見かける。それにしても「増えすぎる」とはどういうことなのだろうと思った。 「春眠暁を覚えず」(中国唐代の詩人、孟浩然の詩「春暁」=春はよく眠ることができるから、夜明けに気づかず寝坊してしまう)の季節だが、現実には寝坊するのはもったいない光の季節がやってきた。近所の公園広場で続いている朝のラジオ体操は、寒い季節になると極端に参加者が少なくなる。冬季の日曜日には10人に満たないときもある。夏場の最盛期には40人ほどになるから、その落差は大きい。しかし3月になると休んでいた参加者が次第に戻ってきて、20人近くになってきた。寝坊よりも朝のすがすがしい空気を吸いたいという人が増えてきたのだ。  ラジオ体操が終わると、急ぎ足で散歩に向かう人たちの姿があった。その一部は私の散歩コースでもある調整池まで雉を見に行くという。先ほど、雉のことを話題にしていた人たちだ。辞典を見てみると、雉は日本古来のもの(1947年に国鳥に指定)と高麗雉と呼ぶ外来種のものがいて、特に後者は繁殖力が強く、増えすぎているという話もある。私はたまたま望遠レンズ付きのカメラを持っていたので、後ろに付いていき、美しい姿をした一羽の雄雉を撮影した。その画像は掲載した写真だが、どう見ても日本固有の雉のように見える。  この周辺では野良猫に餌を…

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1759 桜の季節そこまで 四季の美しさ見つめて

 シンガポールから東京にやってきた19歳の留学生が「初めて四季の美しさに目覚めた」ということを書いた新聞の投書を読んだ。「日本は四季がはっきりしていて、自然が美しい」といわれる。しかし、そうした環境に身を置くと、ついそれが普通と思ってしまいがちだ。この留学生のような瑞々しい感覚を取り戻す機会が間もなくやってくる。桜の季節である。  投書によると、この留学生は東京に住んで人生初の秋の季節を体験したのだそうだ。シンガポールは赤道直下で365日が真夏なのである。イチョウ並木のある街では木々が風に吹かれる音を聞き、落ち葉が道路を黄色く染めているのを見て「こんな絶景が日常にあるなんて」と感動し、道路の真ん中に立ち止まってしまったという。投書の後段がいい。「いつも前向きで一生懸命な日本の方々に少し立ち止まって自然のプロセスを味わってほしい」「効率性のためゆとりを犠牲にしている方が多いと思う。仕事や勉強に追われるあなた、たまには周りの景色を鑑賞してみませんか?」  私たちの日常に、この留学生が見たような風景は珍しくない。だが、がむしゃらに先を急ぐあまりにそれを見過ごしてしまい、無感動の日々を送ってしまうのだ。気象庁の発表によると、ことしの桜の開花は例年より早くなる予想で、無感動な人でもつい立ち止まって花を見上げてしまう日が近づいている。初めての桜をこの留学生も楽しみにしているに違いない。桜は昔からその美しさとともに無常観も漂っているとされていて、さまざまな和歌にも謳われている。西行の「願はくは 花の…

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1758 ほろ苦い青春の一コマ 肘折こけしで蘇る

 先日、友人たちとの会合で懐かしい地名を聞いた。「肘折」(ひじおり)という知る人ぞ知る地域だ。山形県最上郡大蔵村にあり、温泉とこけしで知られている。日本でも有数の豪雪地帯で多いときは4メートルを超すというが、今日現在の積雪量は約2・3メートルだから、この冬は雪が少ないようだ。私の家には数本のこけしがあり、その中に「肘折 庫治」と書かれた1本も含まれている。肘折系こけし工人で著名な奥山庫治の初期の作品なのだが、このこけしを見る度にほろ苦い経験を思い出す。  今から45年前に遡る。1974(昭和49)年4月のことである。大蔵村赤松地区の松山(標高170メートル)が崩れ、土砂は住宅20棟を飲み込み、下敷きになった住民17人が死亡、13人が重軽傷を負う惨事になった。当時、共同通信社の駆け出し記者として仙台支社に勤務していた私は、他の記者やカメラマンとともにこの事故現場に急行し、数日間不眠不休で取材に当たった。  現場の山形県は山形支局のカバー内にあるのだが、支局は記者の数が少なく大きな事件事故が発生すると、仙台支社から応援に行くシステムになっていた。それは今も変わらないはずだ。私はこの年の3月、福島支局がカバーする福島県三島町で発生した国道の土砂崩れ事故現場にも駆け付けた。建設中だった国道の防護壁が雪解けのため崩れ落ち、通行中のマイクロバスと乗用車2台を直撃、8人が死亡、2人が重軽傷を負ったのだ。三島町は福島県会津地方にある豪雪地帯で、車で取材に向かう道路の両脇にはうず高く雪が積もっていた。 …

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1752『メロディに咲いた花たち』 人々に愛される四季の花と歌の本

 花をテーマにした歌は少なくない。四季折々の花を歌ったメロディは心を和ませてくれる。そうした花の歌を集めた『メロディに咲いた花たち』(三和書籍)という本が、このほど出版された。この本には歌の紹介に合わせてさまざまな花の写真も掲載されている。この頁の写真、「アザミ」(本では平仮名)の花は以前の私のブログに載せたものを提供したものだ。それにしても詩(詞)の題材として、多くの花が人々に愛されることをこの本は教えてくれる。  この本に出ている花は日本で咲いている90種である。日本ほど四季がはっきりしている国は珍しいといわれるが、四季に合わせ咲く花もバラエティに富んでいる。だれでも、季節の花とその花に合わせた歌を思い浮かべることができるだろう。これらの花の歌のほか、季節を問わず花をテーマにした歌(たとえば、森山良子さんが歌った「この広い野原いっぱい」やSMAPの「世界に一つだけの花」など)を加えた456の歌(ジャンルは童謡、唱歌、民謡、歌謡曲、フォーク、ロック、ニューミュージック、J-POPまで幅広い)が紹介されている。  アザミは俳句では春の季語になるが、この本では夏の花の中に織り込まれている。掲載されたのは①「あざみの歌」(詞・横井弘、曲・八洲秀章、1949年)、②「アザミ譲のララバイ」(詞・曲=中島みゆき、1975年)、そして③「少年時代」(詞・曲=井上陽水、1990年)の3曲である。以下のように簡単な紹介もある  ①NHKの番組『ラジオ歌謡』で放送され、後に伊藤久男の歌でレコード化…

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1750 厳寒の朝の話題 ジャーナリズムの原点

 今朝の最低気温は氷点下1度で、この冬の最低を記録した。寒い地方の人から見れば、千葉はその程度なのといわれるかもしれないが、やはり体にこたえる。毎朝、近所の広場で続いている6時半からのラジオ体操の参加者は、真夏だと約40人いる。それなのに今朝は9人しかいなかった。  朝6時に家を出て、近くの遊歩道を歩いている。春から秋まではこの時間は明るくなっていて、街灯のない調整池周囲の遊歩道を回る。冬の間は街灯のある別の遊歩道を歩くコースに切り替えた。東南の空に右斜め上から月、木星、金星の順で輝いている。見事な天体ショーである。ノルディックウォーキング用のポールを使って歩き始めると、10分もすると、体が温まってくる。犬の散歩、ジョギングの人もいる。  途中、開花している紅梅が目に入った。沖縄では「寒緋桜」(緋寒桜ともいう)が咲いたというニュースが出ていたが、こうした寒い季節でも自然界は確実に春に向かって息づいていることを感じる。今朝、配達された新聞を見ると、厚生労働省による「毎月勤労統計」の不正問題が一面に載っていた。特別監査委員会の外部識者が実施した同省の幹部への聞き取り調査に官房長が同席し、質問までしたという。これを許した外部識者もどうかしていると思う。読者の声欄には「政治、官僚、国の制度の劣化」を嘆く声が出ていた。創造力・想像力が欠如し、柔軟な発想ができなくなってしまった組織に未来はないことをこのニュースは如実に物語っている。  一方、スポーツ面には全豪オープンで優勝した大坂なおみ選手…

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1734 生きている化石の木が紅葉 街路樹の新興勢力・メタセコイア

 手元に『巨樹』(八木下博著・講談社現代新書)という本がある。日本各地に存在するイチョウ、ケヤキ、カツラ、マツ、スギ、クスノキ、トチ、サクラなどの大木を紹介したものだ。この中に高さが25メートル~30メートルのメタセコイア(和名、アケボノスギ)はない。実はこの木は前述の木々に比べると、日本では比較的新しい木なのだという。針葉樹ながら紅葉が美しいメタセコイアとは、どんな木なのだろう。  近所の公園を歩いていたら、メタセコイアが赤く色づいていた。落葉する直前なのだろう。カメラを構えるのは私だけではなかった。まっすぐに空に向かって伸びる円錐形の姿は凛としていて、見ていて気持ちがいい。近くの街にはこの並木道があるが、最近は全国でこの木が街路樹のほか公園や学校に植えられており、目にする人も多いだろう。  しかし、実はこの木は太平洋戦争が始まった1940年に、一人の化石学者によって化石が発見されたことから、新しい歴史が始まったのだそうだ。 〈この人は三木茂・元大阪市立大教授(1901~1974)といい、岐阜県や兵庫県、和歌山県の粘土層から発見したセコイア(高さ80メートル以上になる巨樹)に似た未知の植物の化石を「メタセコイア」と名付け、1941年9月に発表した。この植物はかつて分布していた日本を含む北半球では大昔に絶滅したものといわれていたが、4年後の1945年、中国・四川省磨刀渓村(現在の湖北省利川市)で、森林調査隊によって「ご神木」扱いとなって生育している大木が発見された。  この…

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1731 暮れ行く初冬の公園にて ゴッホの「糸杉」を想う

 大阪市の長居公園(東住吉区)のすぐ近くに住む友人は、この公園の夜明けの風景を中心にした写真をフェイスブックに載せている。最近は夜明けではなく、夕暮れの光景をアップしていた。そのキャプションには「烏舞う夕暮れ。11月27日夕、長居公園。ゴッホの絵を想起」とあった。それはゴッホが好んで描いた「糸杉」の絵と印象が似ている。暮れ行く初冬の公園の姿は、たしかにゴッホの世界を彷彿とさせるのだ。  手元にあるゴッホ関係の書籍を見ると、ゴッホは風景画を描く際、糸杉、麦畑、オリーブの木、小麦、ヒマワリを重要なモチーフにした。このうち「糸杉」の題で知られるのは1889年6月、南フランスのサン・レミ・ド・プロヴァンス(サン=レミ)にあるカトリック精神療養院「サン・ポール」に入院した直後に描かれた作品で、糸杉がキャンバスのほぼ半分を占めている。この地方で糸杉はどこにでもあり、ゴッホはサン=レミ時代「糸杉のある麦畑」「星月夜」などの作品にも特徴ある姿を取り入れている。  ゴッホは、サン=レミに移る前の15カ月、アルルに住んで旺盛な制作意欲を見せた。画家のゴーギャンと共同生活をしたが、個性がぶつかり合って破局を迎え、左耳の斜め下半分を切り落とすという「耳切り事件」を起こす。この後サン・レミに転地療養するのだが、意識の混濁や幻聴、幻視、自殺志向などの発作を繰り返していたという。こうした環境下、「糸杉」は描かれた。  糸杉はヒノキ科の常緑針葉高木で、大きなものは45メートルにも達するという。セイヨウヒノキとも…

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1725 けやきの遊歩道無残 紅葉奪った塩害

 街路樹のけやきの葉の色がことしはおかしい。例年なら赤や黄、茶の3色に紅葉して美しい秋を演出するのだが、ことしに限って美しさが失われてしまった。よく観察してみるとほとんどの葉が褐色(こげ茶色)になっている。文字通り枯れ葉といった印象なのだ。その原因は台風による塩害だと思われる。この街に住んで30年以上になるが、初めての現象に出会った。  私が住む千葉市はことし9月30日夜、台風24号が通過した。この台風は9月21日にマリアナ諸島で発生したあと、海面水温の高い所を進んだことから猛烈な勢力に発達した。29日には沖縄付近を「非常に強い」勢力で通過し、その後は北東へ進んだ。30日午後8時ごろに非常に強い勢力を保ったまま、和歌山県田辺市付近に上陸、その後近畿から中部、関東、東北を縦断し、北海道東部の沖合へと進み、10月1日に温帯低気圧に変わった。非常に強い勢力で台風が上陸したのは、21号(9月4日、徳島県南部に上陸し近畿地方を中心に大きな被害を出した)に続いて2個目。非常に強い勢力の台風が1年に2個上陸するのは、統計を取り始めてから初めてだったという。  沖縄から東北にかけて広く記録的な暴風となり、関東でも八王子で最大瞬間風速45.6メートルを観測し、全国で大規模停電があり、首都圏では倒木などで鉄道の運転見合わせが相次いでことは記憶に新しい。沿岸部ではこの強風に乗って多量の海塩粒子が運ばれ、ケヤキの葉もやられてしまったようだ。台風が過ぎたあと車を洗っている人が多かった。車も風で飛んできた海塩粒子…

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1720 公園のベンチが書斎に 秋の日の読書の楽しみ

 近所の公園ベンチで読書をした。秋の日差しが優しく、ぽかぽかと暖かい。時々、近くの林からヒヨドリのさえずりが聞こえてくる。歩いている人はほとんどなく、さらに眠くもならないから、頁はどんどん進む。なかなかいい環境だ。これまで多くの読書時間は、通勤の行き帰りの電車の中だった。かなりの喧騒状態でも、読書に集中すれば音は気にならない。この環境とは逆の中で、秋の日の1時間を送った。  読んだのは、仙台出身の作家、佐伯一麦の『空にみずうみ』(中公文庫)という小説だ。佐伯はいまでは数少ない私小説の作家といえる。この作品は小説家と染色家夫妻の日常をさりげない筆致で記した印象が深く、野生植物を中心にした植物園、野草園(小説では市名は出てないが、仙台市)近くに住む主人公夫妻の1年間の日常を四季折々の自然(特に樹木や草花、昆虫など)や食べ物(栃餅やタケノコのこと)、近隣の人たちとの触れ合いを織り交ぜ、淡々と描いている。  私は以前、仙台で暮らしたことがある。もちろん野草園にも何度も行ったことがある。だから、この小説に親しみのようなものを感じながら読むことができた。終始静かな日常が描かれ、最後まで盛り上がりはない。だが、じっくり読んでみると、実に味わい深く、日常の描写もきめ細かい。主人公が好きな欅についての「春の芽吹きから、若葉が萌え出、青葉を繁らせ、秋には紅や黄に葉の色を変え、最後に金色に輝いてから落葉しはじめ、裸木となるまで、一日として同じ姿をしていることはない」という表現のように、含蓄ある言葉が並んでい…

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1718 花野を見ながら 今は風物詩のセイダカアワダチソウ

 6時前に調整池周りの遊歩道を歩いていると、黄色い花野(花畑)が目の前に広がっていた。この季節の風物詩ともなった帰化植物のセイダカアワダチソウが満開を迎えたのだ。朝日俳壇に「逝きし子と手をつなぎゆく花野かな」(尼崎市・ほりもとちか)という句があった。さみしい句である。私も満開のセイダカアワダチソウの花野を見ながら、今は亡き犬のことを思った。  朝日俳壇でこの句を選んだ大串章さんは「花野を歩いていると、亡子の手の感触がよみがえる。心にしみる句」と評した。母の思いが伝わる句である。母と子が手をつないで、お花畑をのんびりと歩いている。小さな子は母親に「あの花の名前は?」「私はこの花が好き」というようなことを言っているのかもしれない。そんな幸せな日は失われてしまった。だが、懸命に母の手を頼りにする小さな手の感触は、年月が過ぎても忘れることはできない。この句からはそんな情景を想起する。  私の散歩コースの調整池の遊歩道は今の季節、朝方には霧や靄が発生する。歩いているうち次第にそれらが消え、調整池と周辺の雑草地帯が鮮明に見える。そして、今朝はセイダカアワダチソウの花が黄色い絨毯のように咲き誇っていた。それを見た私は「朝靄が晴れて眩しき花野かな」なんて句を口走った。目の前を15歳になるというラブラドールレトリーバーが足をふらつかせながら歩いている。この犬種にしては長生きだ。しかし、目の前の老犬の姿は痛ましく、わが家で飼っていたゴールデンレトリーバーのありし日の姿が脳裏に蘇った。  わがやの犬は…

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1715 くろがねの秋の風鈴 瀟殺(しょうさつ)とした音色を聞く

 作家の故藤沢周平は、人口に膾炙(かいしゃ)する=世の人々の評判になって知れ渡ること=俳句の一つとして飯田蛇笏(1885~1962)の句を挙げている。「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」である。夏が終わり、秋になっても軒に吊るしたままの鉄の風鈴が風に吹かれて鳴っている。夏の風鈴よりも深みがある音は、秋の訪れを感じさせる―というような意味だろうか。藤沢は秋になっても隣家から聞こえる風鈴の音を聞いて、蛇笏の句を思ったそうだ。だが、昨今は風鈴を仕舞い忘れると、「風情を感じるのはあなただけで騒音ですよ」と苦情が出る恐れがあるから、難しい世の中だ。  藤沢が隣家の風鈴を聞いたのは新しい家に転居した直後のことで、それから10年ほどが過ぎると風鈴は聞こえなくなったという。藤沢は「10年といえば、どのような理由であれ、ひとつの風鈴が鳴らなくなるのに十分な歳月であるように思われる」(随筆「心に残る秀句」より)と書いている。確かにそうだろう。藤沢は、隣家から聞こえる秋の風鈴を「瀟殺(しょうさつ)とした音いろに聞こえた」と表現し、この音色を聞いて蛇笏の句を思ったのだという。「瀟殺」とは、もの寂しいさま、秋の終わりの景色などを指す言葉である。  例外といっていいかもしれないが、私の部屋の窓際の風鈴は10年以上吊るしたままである。軒下ではないから傷んでもいないので、その音色を聞くことは可能である。試しに揺らしてみると、透明感が漂う高音がする。この風鈴は「くろがねの風鈴」といってよく、材料は香川県の磬石(けいせき=学…

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1712 読書の秋 乱読・つんどく

 急に涼しくなり読書の秋を迎えた。このところフィクション、ノンフィクションの区別なく興味があれば読んでいる。以下は9月から最近までに読んだ本(再読も含む)の寸評。  ▽前川喜平ほか『教育のなかのマイノリティを語る』(明石書店)  前川氏は元文科事務次官で、退官後一貫して安倍内閣の姿勢を厳しく批判していることは周知の通りである。この本は、前川氏と教育関係者6人の対談集だ。6人はサブタイトルにあるように、マイノリティ(社会的少数派)といわれる人たちの教育に従事してきた専門家で、「高校中退」「夜間中学」「ニューカマー(新参者、最近日本に移り住んだ外国人)の子どもたち」「LGBT」「沖縄の歴史教育」が対談のテーマである。  対談者の一人、善元幸夫氏は長い間、東京都江戸川区立葛西小学校日本語学級で中国残留孤児など中国や韓国からの帰国者の子弟を教え、その後新宿区立大久保小学校日本語国際学級でニューカマーの子どもたちを担当した(https://hanako61.at.webry.info/201404/article_5.html)。羽根つき餃子で知られる蒲田「你好」の経営者八木功さんも、善元さんから日本語も学んだ一人だ。善元さんを含めた6人の話は説得力があり、前川氏の聞き上手もあって、教育界の問題点が明らかになっている。前川氏は「文科省はマイノリティの現実を知らない」と明かしている。教育勅語について「現代風解釈やアレンジした形で、道徳などに使うことができる分野は十分にある」と、時代…

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1710 荒々しさ増す地球の気象 『空白の天気図』再読

 台風24号が去った。きょうから10月。とはいうものの、手元の温度計は30度を超えている。25号も発生したというから、ことしは台風の当たり年といえる。昭和以降の被害が甚大だった台風を「3大台風」と呼んでいるという。室戸台風(1934年9月21日)、枕崎台風(1945年9月17日)、伊勢湾台風(1959年9月26日)である。このうち、枕崎台風は鹿児島県枕崎市の名前が付いているが、被害は広島県の方が大きかった。なぜなのだろう。  枕崎台風は、1945年9月17日、鹿児島県川辺郡枕崎町(現在の枕崎市)付近に上陸後、九州を縦断。さらに広島市の西約15キロの地点を通り、北東に進んだ。今回の台風と同様、各地で激しい雨が降り、洪水や山崩れなどが続出、死者2473人、行方不明者1283人という大きな被害を出した。特に広島県では呉市を中心に死者・行方不明者が2000人を超え、台風が上陸した九州全部よりも多い犠牲者が出た。この背景には、原爆投下による混乱のため防災対策が取れなかったことが挙げられている。  ノンフィクション作家、柳田邦男は『空白の天気図』(1975年、新潮社)という枕崎台風をテーマにした作品を書いている。この台風の犠牲者が、広島県に集中したなぞを探ったものだ。柳田がこの作品に取り組んだのは、広島原爆については多くの記録や文学作品、学術論文があるのに、直後に広島を襲った枕崎台風については記録が少なく、「戦争の時代と戦後史との接点にある、この事件の知られざる部分に光を当ててみたい」(同書あとが…

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1708 不思議なキンモクセイの香り 郷愁を呼ぶ季節

 ことしも庭のキンモクセイの花が咲き始めた。花よりも、独特の香りで開花を知った人は多いのではないか。実は私もそうだった。植物の花はさまざまな香り(におい)がある。その香りは虫を呼び、受粉を助けてもらう働きがあるのだが、キンモクセイの花には虫(蝶類)が寄らないという。なぜなのだろう。    キンモクセイの花は若い女性が発するのと似たγ―デカラクトンという甘い香りのほか、何種類かの香りの成分があるのだそうだ。広島大の研究者はこの「γ―デカラクトン」という物質を昆虫が嫌うのではないかと推測している。たしかに、私はキンモクセイの花に蝶や蜂が寄っているのを見たことがない。甘くても昆虫類にとって嫌なにおいなのだろうか。  以前のブログで『失われた時を求めて』のことを書いたことがある。フランスの作家マルセル・プルースト(1871~1922)の20世紀を代表するといわれるこの長編小説には、主人公がマドレーヌ(フランス発祥の焼き菓子)を紅茶に浸したとき、その香りをきっかけとして幼いころの記憶が鮮やかに蘇るという描写がある。この有名な場面から、心理学や精神医学の世界では「プルースト効果」という言葉があるそうだ。ブログにはこのことに触れ、私の場合は濃いお茶を飲みながら羊羹を食べているときのにおいから幼い時代を思い出すことがあると、プルーストファンから叱れるようなことを書いた。  私のことは別にして、キンモクセイの香りから、幼少期の秋の日の一コマを鮮やかに脳裏に浮かべる人も多いかもしれないと思ったりする。…

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1705 秋の気配そこまで 野草と月とそばの季節に

 9月も半ば。これまで味わったことがないような猛暑、酷暑の夏が過ぎて、秋の気配が漂ってきた。コオロギの鳴き声も次第大きくなり、エアコンに頼らず、自然の風の中で生活ができるのはとてもうれしい。そんな一夕、正岡子規が好きな人たちが集まって開いている句会があった。今回で15回を数える。兼題、席題とも秋にふさわしいものだった。集まった人たちは日本の詩情に触れながら、一足早い秋を味わった。(俳句は末尾に掲載)  兼題は「野分(のわき)・二百十日」「月」「秋薊(あざみ)」の3つ、席題は「新蕎麦・蕎麦の花」である。「野分」は、野の草を吹き分ける風のことで、二百十日・二百二十日前後に吹く暴風や台風を言う。文学的表現といってよく、気象予報士は使うかもしれないが、最近のニュースでこの表現を見たことはない。夏目漱石が「野分」(中編)と「二百十日」(ほぼ会話文だけで構成の短編)という2つの短編を書いていることはよく知られている。このほか以前読んだ山本周五郎の短編集『おごそかな渇き』を思い出した。この中にも「野分」という、下町の娘と武家の家に庶子として生まれた若者の恋を描いた人情物の作品がある。  自由律俳句の代表的な俳人、種田山頭火は「白い花」という随筆の冒頭「私は木花よりも草花を愛する。春の花より秋の花が好きだ。西洋種はあまり好かない。野草を愛する」と書いている。「秋薊」も山頭火が愛した秋の野草の一つだろうか。私の散歩コースである調整池の周囲には「オトコエシ」の花が咲く。黄色い花の「オミナエシ」に比べると、…

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