1922 早朝の二重(ふたえ)虹 天まで続く七色の階段

「こんな美しい虹を見たのは初めて」「二重の虹はなかなか見られないよね」。朝6時前、雨上がりの北西の空に虹が出ているのを見た。しかも二重の虹である。散歩を楽しむ人たちは、束の間の自然界のパノラマに見入っている。何かいいことがありそうな、そんな自然界からの朝の贈り物だった。

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1920 旭川を愛し続けた人 少し長い墓碑銘 

「せきれいの翔(かけ)りしあとの透明感 柴崎千鶴子」 せきれいは秋の季語で、水辺でよく見かける小鳥である。8月も残りわずか。暑さが和らぐころとされる二十四節気の「処暑」が過ぎ、朝夕、吹く風が涼しく感じるようになった。晩夏である。遊歩道に立つと、写真のような透明感のある風景が広がっている。空には今日も雲がない。そんな空を見上げながら、北の地に住んでいた先輩の旅立ちを偲んだ。

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1919 近づく新米の季節  玄関わきに田んぼあり

 今年も新米の便りが届く季節になった。散歩中に、近所の家の玄関わきで稲を栽培しているのを見つけた。水田というにはあまりにも小さい。高さ約30センチほどのコンクリートで囲った、1坪程度の小さな田んぼだ。中の稲は元気に育って実をつけ、頭を垂れている。ままごとのような田んぼでも、猛暑による熱中症を恐れコロナ禍にたじろぐ私たち人間を尻目に、自然界は実りの秋へと少しずつ移行を始めていることに気づかされるのだ。

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1918 夏の風物詩ヒマワリ物語 生きる力と悲しみの光と影

 ヒマワリの季節である。8月になって猛暑が続いている。そんな日々、この花は勢いよく空へ向かって咲き誇っている。「向日葵の百人力の黄なりけり」(加藤静夫)の句のように、この黄色い花がコロナ禍の世界の人々に力を与えてほしいと願ってもみる。よく知られているゴッホの《ひまわり》の絵もまた、その力強い筆致でコロナ禍におびえる私たちにエールを送ってくれていると思いたい。

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1903「星月夜」に一人歩いた少年時代 想像の旅フランス・長野・茨城・富山へ

 ゴッホが、代表作といわれる『星月夜』(外国語表記=英語・The starry night、フランス語・ La nuit étoilée、オランダ語:・De sterrennacht=いずれも邦訳は星の夜)を描いたのは1889年6月、南フランスサン・レミ・ド地方プロヴァンスにある修道院の精神病棟だった。日本では星月夜は「月は出ておらず、星の光で月夜のように明るく見える夜」のことを言い、秋の季語になっている。しかし、ゴッホの絵は夏に描いたもので、右上方に大きな三日月が描かれている。月が出ているのだから、日本でいえば星月夜ではない。だれがこのような日本語に訳したのだろうか。だが、この絵の題はセンスがよく、ロマンもあって違和感はない。  この絵は、部屋の東向きの窓から見える日の出前の村の風景を描いたものだという。ゴッホは弟テオへの手紙の中で絵について「今朝、太陽が昇る前に私は長い間、窓から非常に大きなモーニングスター(明けの明星・金星)以外は何もない村里を見た」と書いている。左下から延びる糸杉、右手には教会の尖塔や村の建物があり、背景には青黒い山並みがあり、上空には星々が輝く。中でも明けの明星がひときわ輝いている。星々の軌跡は渦を撒くように白く長く伸び、右上方には三日月が大きく描かれている。  日本各地には星空が美しい地域が点在している。例えば、長野県阿智村(中国残留孤児の救済に生涯をささげた山本慈昭さんが住職を務めた長岳寺はこの村にある)のもみじ平や茨城県と福島県境の茨城県常陸太田市里川町…

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1898 住みにくい世こそ芸術を 沖縄戦終結から75年の日に

 世界のコロナ禍は収まらず、1000万人感染(日本時間23日午前9時現在、感染者905万7555人、死者47万665人=米ジョンズ・ホプキンス大集計)という恐ろしい現実が近づいている。日本は梅雨、そして劣化という言葉を通り越したひどい政治状況の中で鬱陶しい日々が続いている。本当に「住みにくき世」になっている。そんな時、夏目漱石が『草枕』の冒頭部分で書いた芸術の効用を思い出した。そうだ、私たちの周りには本があり、絵があり、音楽があるではないか……と。  明治の世も文豪から見て、住みにくい世だったのだろう。そこで文豪は、芸術に目を向けることを提示したのだ。(以下、『草枕』から。私見では、現代の日本は「人でなしの国」に近い) 「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国に行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう」 「越すことがならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職ができて、ここに画家という使命が降(くだ)る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするがゆえに尊い」 「住みにくき世から、住みにくき煩(わずら)いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるいは音楽と彫刻である」  漱石が『草…

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1896 地図の旅、札幌へ そこはアカシアの季節

 地図を見ながら想像の旅を続けている。山形を出発した旅は九州へと移り、さらに沖縄を経てヨーロッパまで行った。今回はヨーロッパから帰国し、北海道へと歩を進める。想像の旅だから、強行軍でも疲れることはない。札幌の知人のフェースブックを見ていたら、「アカシアの季節」という文字が飛び込んできた。そうか、あの白い花が札幌の街を包んでいるのかと想像した。新型コロナの感染者は東京と北海道で連日発生している。遠い空の下で、知人たちはどのような生活を送っているのだろう。  私はこれまでの人生で2回、合わせて3年半札幌で暮らしたことがある。地名を聞くと、ある程度はどのあたりかを想像することができる。「陽気で人なつっこく進歩的」が北海道人の気質だそうで、そうした人たちと知り合いになり、北海道は第二の故郷と自称している。人だけでなく、自然にも魅了された。アカシア(アカシヤとも表記)の花もその一つだった。  知人はフェースブックに「アカシアの季節」と題しこの花の2枚の写真とともに以下のような文を載せている。「一気にアカシアの花が咲いた。初夏の訪れ。風薫り、リラ冷えはもうない。何故か花房が小さい。かつては手に取ると肘にかかるほど豊かだったが、今、手のひらに載ってしまう。これも温暖化のせい?……の花が咲いてた「この道」、……の花の下で「赤いハンカチ」、……の雨に打たれて「アカシアの雨がやむ時」……記憶に刻まれた歌、歌……その季節に浸る」。詩的で素敵な文章だ。  私もアザミの花の写真を提供した『メロディに咲い…

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1892 青春の地は金峰の麓村 地図を見ながらの想像の旅(2)

  閑古啼くこゝは金峰の麓村 山形県鶴岡市生まれの作家、藤沢周平(1927~1997)の句(『藤沢周平句集』文春文庫)である。藤沢の死後、主に鶴岡で集められた色紙や短冊などに見られた7句のうちの1句で、藤沢は鶴岡師範学校を出た後、当時の湯田川村立湯田川中学校(現在は鶴岡市立鶴岡第四中学校へ統合)の教師(国語と社会)をしていたことがある。後に、この村の風景を思い出しながら、こんな句をつくった。若い教師時代、藤沢はどのような思いで故郷の山を見ていたのだろう。地図を見ながらの私の想像の旅は続いている。  30歳代、庄内地方を放浪した森敦は、芥川賞を受賞した『月山』の中で次のように庄内にある山について記している。「月山は、遥かな庄内平野の北限に、富士に似た山裾を海に曳く鳥海山と対峙して、右に朝日連峰を覗かせながら金峰山を侍らせ、左に鳥海山へと延びる山々を連亙させて、臥した牛の背のように悠揚として空に曳くながい稜線から、雪崩れるごとくその山腹を平野へと落としている」。ここに登場する3つの山のうち金峰山(きんぼうさん、471メートル)が、若い時代の藤沢が見慣れた山だった。  金峰山は鶴岡市の南部にある信仰の山として知られ、山頂に金峯神社がある。山頂や登山道から庄内平野が広がるのが見え、鶴岡市民にとっては憩いの山だそうだ。「閑古鳥」は郭公(かっこう)の別名で「閑古鳥が鳴く」は「物寂しいさま」の意味だから、藤沢は湯田川温泉で知られる村の風景を、こんな風に思い出し、自作の句にしたのだろう。同じ「金峰山」…

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1890 空いっぱいに広がる山の輝き・さやけき鳥海へ 想像の旅(1)

 ここにして浪の上なるみちのくの鳥海山はさやけき山ぞ 山形出身の歌人、斎藤茂吉の歌集「白き山」(1949=昭和24年)に収められている山形、秋田県境にある鳥海山(標高2236メートル)を称えた歌である。名作『日本百名山』(新潮社)で、深田久弥は「名山と呼ばれるにはいろいろの見地があるが、山容秀麗という資格では、鳥海山は他に落ちない。眼路限りなく拡がった庄内平野の北の果てに、毅然とそびえ立ったこの山を眺めると、昔から東北第一の名峰とあがめられてきたことも納得できる」と記している。山形の県北地域に住む友人から、美しい鳥海の写真が届いた。茂吉の歌を味わいつつ、地図を見ながらつかの間、鳥海への想像の旅をした。  鳥海は標高が東北で1、2位を争う高峰(トップは福島県の燧ヶ岳=ひうちがたけ=で2356メートル。鳥海は2番目)とはいえ、茂吉が生れたのは山形県南東部の南村山郡金瓶村(現在の上山市金瓶)だったから、家から鳥海を見ることはできなかっただろう。ただ、茂吉の心の中には、故郷の山としての鳥海が大きな位置を占めていたに違いない。深田久弥は「東北地方の山の多くは、東北人の気質のようにガッシリと重厚、時には鈍重という感じさえ受けるが、鳥海にはその重さがない。颯爽としている。酒田あたりから望むと、むしろスマートと言いたいほどである」と、この山の特徴を書いている。  友人が送ってきた写真は「赤鳥海」と「白鳥海」というキャプションが付いている。前者は夕日に赤く染まる風景で、後者は真っ青な空の下、残雪が白く輝…

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1879 5月の風に吹かれて タケノコとイノシシの話

 世界も日本もコロナ禍によって、大きな打撃を受けている。命が、生活が奪われていく。だが、自然界はこうした人間界とは無縁のようだ。散歩コースでは野ばらやアザミが咲いている。蛇の姿も見かけた。季節は巡り、二十四節気の一つ、立夏(ことしは5月5日)から1週間が過ぎた。さわやかな5月である。季節の便りのタケノコが友人から届いたと思ったら、故郷からも送られてきた。旬の味である。  山形の友人が送ってきたのは「月山タケノコ」だった。昨年もいただいたので、この味は忘れない。月山(1984m)は山岳信仰で知られる出羽三山(ほかに羽黒山と湯殿山)の主峰である。このタケノコはその麓で採れるほか北海道から東北の山地に自生しており、根元が湾曲するため根曲がり竹と呼ばれる笹のタケノコだ。アクが少ないうえ、独特の風味と甘みがあり、月山周辺のものは特に味がいいことで人気があるそうだ。届いた時、たまたま居合わせた小学4年生の孫娘とさっとゆでたタケノコの皮をはぐのを手伝いながら、味見をしてみた。確かに何もつけないでも甘くてうまい。マヨネーズや味噌をつけてもいい味だ。孫娘も嬉しそうに食べている。  同じ日、私の実家のある福島から、孟宗竹のタケノコが届いた。こちらは太めのタケノコで、月山のものとは風味も味も異なる。昔からアク抜きをしなくとも食べられる品質だと記憶している。適度に歯ごたえがあって、私はこのタケノコを食べると、東北にも5月がきたことを実感したものだ。かつては、食べきれないほどのタケノコが出た、この孟宗竹の竹林も…

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1877 絶望の裏返しには希望が 東野圭吾『クスノキの番人』を読む

 古来、日本には神が木に依り付くという言い伝えがあった。全国の樹齢が千年以上という巨樹は御神木として、多くの人々の信仰の対象になった。東野圭吾の近刊『クスノキの番人』(実業之日本社)は、御神木である巨樹のクスノキに何かを求めようとする人たちと、そうした人たちをクスノキに案内することになった若者の物語だ。ベストセラーを連発するこの著者の作品はほとんど読んだことはない。2008年の『さまよう刃』を読んで以来である。この著者の作品の多くは推理小説だそうだが、近作は違っていた。それは……。  私が日本一の巨木といわれる鹿児島県蒲生町の「蒲生のクス』を見に行ったのは、2010年1月初めのことだ。森林ボランティアたちを取材した後、鹿児島空港に行く途中、少し時間があるため立ち寄った。八幡神社境内の西南にそそり立つこの巨樹は、樹高が30メートル以上もあり、近寄り難い雰囲気があった。詳しくは当時のブログ(下段、関連ブログから)に譲るが、それまで見てきた数多くの樹々とは違い、神々しさを感じた。  この木自体は本州、四国、九州、済州島、沖縄、中国南部、インドシナからの暖帯から亜熱帯に分布するが、古来各地に植栽されているので自然分布地域はよくわからないとされおり、我が国の樹木の中では最も巨木になる性質をもった木である」(八木弘『巨樹』講談社現代新書)という。  さて、東野の近作である。「多くは推理小説だそうだが、近作は違っていた」と上述した。確かに、殺人や誘拐、強盗、あるいは高齢者をだます「オレオレ詐欺…

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1874 窓をあけよう 風は冷たくとも

 前回に続いて、詩の話です。大分県出身のクリスチャンで詩人、江口榛一(1914~1979)の「窓をあけよう」をこのブログで取り上げたのは8年前の2012年のことでした。あらためてこの詩を読み返してみました。最近の社会情勢に合致するような言葉が、この詩には含まれていました。   窓をあけよう。   窓をあけると風がはいる。   風はいつも新しい。   地球をひと回りしてきた風だ。   その風を深呼吸のように吸っていると   心が空のように広くなる。   海のように豊かになる。  新型コロナウイルスの感染拡大のために、部屋の窓、電車の窓を開けて換気することが求められています。換気の悪い密閉空間は感染リスクの一つといわれ、クラスター(集団感染)の恐れがあるそうです。実際に密閉空間ともいえるライブハウスでクラスターが発生したことがニュースになりました。  テレワークができない人は少なくありません。自宅勤務なしに電車通勤をしている家族によると、このところ利用する電車の窓は必ず開けられているそうです。窓から入り込む風は冷たくとも、我慢して乗り続ける日々だそうです。私は、そんな時こそ江口の詩を思い浮かべるのはどうだろうと思うのです。  このブログを書いている部屋の南側の窓を開けました。窓の外には、新緑が目に優しいけやきの街路樹に囲まれた遊歩道が見えます。外出自粛が続いているせいでしょうか、人影はそうありません。時折、散歩やジョギングの人が通り過ぎて行きます。犬の散歩や自転車の…

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1867 ライラックがもう開花 地球温暖化ここにも

 つつましき春めぐり来てリラ咲けり 水原秋櫻子      近所を散歩していたら、ライラック(リラ)の花が咲いているのを見つけた。まだ4月に入ったばかりだから、例年よりもかなり早い開花だ。空は青く澄み渡り、紫色の花からは微かな香りが漂ってくる。世界を覆う新型コロナウイルス感染症の猛威という現実を忘れ、つかの間美しい花に見入った。  札幌で暮らしたことがある。街の中心にある大通公園には約400本のライラックが植えられており、毎年5月の下旬にライラック祭が開かれている。ことしも5月20日~31日の開催が予定されている。この花を見ると長い冬の終わりを実感したが、ことしは予定通り祭りが開かれるだろうかと危惧する。(このブログをアップしたあと、中止が決定した。6月のよさこいソーラン祭りも同様に中止が決まったという)  ライラックといえば、花の絵を好んで描いたゴッホの《ライラックの茂み》という作品を思い浮かべ、インターネットで検索して絵を見てみた。自然のエネルギーを感じさせるゴッホ特有の劇的な表現が目に付き、絵から花の香りが漂ってくるような錯覚さえ抱いた。フランスのアルルに住んだゴッホは、同居したゴーギャンとの芸術感の違いから自分の左耳の下部を切り取るという事件を起こし、1889年5月サン=レミの精神療養院に収容された。療養院の室内から庭を見ながら、《アイリス》などとともにこの絵を描いたという。(現在はロシア・サンクトペテルブルクにある国立エルミタージュー美術館が所蔵)  療養院でゴッホは…

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1865 マロニエとクスノキの対話 困難な時代だからこそ

 3月もきょうで終わり。木々も芽吹き始める季節である。私が体操広場と呼ぶ広場にあるマロニエ(トチノキ)も少しずつ葉を出しつつある。葉の出し方は個体差があり、新緑が美しい木もあれば、まだ全く芽吹きのない木もある。明日から4月、広場は急速に緑に包まれる。そう、4月は「生命力」を感じる季節なのだ。2年前のブログでキンモクセイとけやきの架空対談をお届けした。ことしはマロニエと近くにあるクスノキの架空対話(マロニエは「マ」、クスノキは「ク」と表記)を聞いてみた。  マ クスノキさんもいよいよ葉が入れ替わり始めましたね。私たち落葉樹と違って、クスノキさんたち常緑樹は姿かたちがきれいですね。  ク マロニエさんの新緑が出始めるころは、ああ春がきたと感じて、私たちから見ていてもうらやましいくらいだよ。  マ そうですか。そうそう。このところ、私たちが植えられている広場に子どもたちの姿が目立ちますね。新型コロナウイルス感染症の流行で学校が休校になり、引き続き春休みに入っているので、平日でも子どもたちが遊んでいますよ。  ク 私の近くにあるベンチでは、定年になったと見える高齢者が座って、よくおしゃべりをしているよ。今朝も2人で難しい話をしていたな。  マ どんな話ですか。  ク 1人が新聞に載っていた、京都大学名誉教授の佐伯啓思という人の「異論のススメ」について話していたんだ。この人は保守派で知られる人で以前は産経新聞の常連執筆者だったそうだ。今朝の朝日新聞の朝刊には「現代文明かく…

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1860 東日本大震災から9年 被災地訪問記再掲

 きょうで東日本大震災から9年になる。9年という歳月は日本社会に様々な変化をもたらした。大震災のあと私が初めて被災地に入ったのは岩手県だった。以下に当時、別の媒体に書いた訪問記を再掲する。(政治は民主党から自民党政権に代わり、第2次安倍政権は現在も続く長期政権になった。 今、日本だけでなく世界では新型コロナウイルスとの闘いに目が向けられている。そうした中で安倍政権の危うさが顕著になっている。原発事故の福島の後遺症はあまりにも大きく、浜通り地方の原状回復の見通しは立っていない) 「被災地で感じる胸の痛み それでも人間は……」  長い人生では様々な事象に出会い、驚くことも少なくなる。感性や感受性が次第に鈍くなるからだろうか。そうしたことを意識していた矢先の東日本大震災だった。テレビの映像や新聞、雑誌、インターネットの写真を見て震えるほどの衝撃を受けた。その衝撃度は現地に入ってさらに増した。震災から1カ月以上が過ぎ、被災地ではがれきの撤去が始まり、街の復興を目指して動き出していた。日本人に突き付けられた大災害の痛みを感じながら、岩手県の被災地を歩いた。  高度1万メートル以上で飛ぶ飛行機の窓から三陸の町や村がかすかに見える。建物はマッチ箱のようだ。自然界で人間の営みははかなく心もとないことを実感する。その営みは自然の脅威にさらされると、もろくも壊されてしまう。悔しいのだが、その典型が今回の大震災だったと認めざるを得ない。だが、はかない存在の人間は、実はしたたかで簡単には降伏しないエネル…

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1850 人類登場時代のチバニアン 地質年代に日本名認定

   国際地質科学連合は17日、千葉県市原市にある約77万4000~12万9000年前の地質時代を「チバニアン」(千葉時代)と呼ぶことを決めたという。地質年代に日本の地名が付くのは初めてのことである。ここまで至るには一部学者による反対行動などの紆余曲折があったが、「チバニアン」は世界的な地質名として認知されたことになる。私は4年近く前、この場所に行き、ブログに記した。この機会に当時のブログを以下に再掲する。  千葉の養老渓谷に出掛けたことがある人は多いだろう。自然が美しく、温泉もある。そこにもう一つの隠れた名所があることを最近知った。地質学的に貴重な場所で、地質学の専門用語でいうと「地球磁場逆転期の地層」と呼ぶ。養老渓谷から流れ出ている養老川沿いの崖面(露頭)にあり、ことし8月末から9月初めにかけて開催される地質学の交際会議でこの場所が磁場逆転期の地層として「国際模式地」に選ばれるかもしれない。その現場を地球の驚異を感じながら歩いた。  かつては地球の地磁気の向きは南北逆だったという。地磁気というのは、地球が示す磁気的現象で、地球を大きな磁石に見立てたときのN極とS極の向きはこれまで何度も逆転、最後の磁気逆転の時期は約77万年前だったと、国立極地研究所などの研究グループが2015年5月に発表している。その磁場逆転した証拠とした地層が養老川沿いの崖面(千葉セクション)だ。  この場所に行くには、養老渓谷に向かう県道から少し外れて右に上った市原市の田淵会館が目印になる。地区…

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1849 福島の昆虫や野鳥に異変か「慢」の時代への警鐘

 福島に住むジャーナリストの大先輩から届いた賀状に気になることが書かれていた。昨年からトンボが飛んでいない、コオロギの鳴き声も聞こえない、セミの声は弱々しい、ホタルの光も印象が薄い……。昆虫だけでなくスズメやツバメなどの野鳥の数も減ったように思う、というのである。間もなく東京電力福島原発事故から9年。福島に何かが起きているのだろうか。  大先輩は、福島の自然界の最近の実態に触れたあと、こんなふうに記している。「放射能の数値は懸命な除染活動もあり、自然放射能の数値範囲に入るようになりました。しかし9年という時の積み重ねの影響が、無防備の昆虫や野鳥に出てきたのかと心が重くなる。高齢による視力の衰え、聴力もおぼつかなくなったせいとは思いつつ、杞憂であることを祈りたい」  私も「杞憂」であってほしいと思う。日本人は「熱しやすく冷めやすい国民性」といわれ、あの3・11を忘れてしまった人は少なくないのではないか。だが、福島は原発事故以前の姿に戻ることはない。大先輩の賀状を読みながら、宮沢賢治が教え子に送った書簡で「慢」という言葉を記したことを思い出した。  私のかういふ惨めな失敗はたゞもう今日の時代一般の巨きな病、「慢」といふものの一支流に過って身を加へたことに原因します。  この書簡は、自身を振り返っての賢治自身の反省と同時に、「『慢』がはびこりがちな時代への文明批評的な響きも感じられる」(高橋郁男『渚と修羅』コールサック社より)という。大先輩の不安は、健忘症ともいえる私たち多くの日…

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1839 冬の朝のアーチ状芸術 虹の彼方に何が……

 今朝は天気雨が降った。そのあと調整池の上には見事なアーチ状の虹が出た。虹は、雨上がりの時などに太陽と反対方向に現れる色のついた光の輪であり、太陽の光が雨滴の中で屈折して反射して発生するものだ。虹については世界で様々な言い伝えがあり、虹を指差すと悪いことが起きると信じている地域もあるそうだが、一方で虹に夢や希望を託す人も多いかもしれない。  虹=希望、夢というイメージを植え付けたのは、『虹の彼方に』(オーバー・ザ・レインボー)という歌の影響が大きいと思われる。この歌は、アメリカの児童文学作品『オズの魔法使い』(ライマン・ フランク・ボーム著)が原作の、同名のミュージカル映画(1939年)の劇中歌で、映画の大ヒットとともに世界的に有名になった。「どこかに虹の彼方に 空高くに 夢の国があると いつか子守歌で聞いたわ この虹の向こうの 空は青く そこで信じた夢は すべて叶えられるの(英語版の意訳。以下略)」という詞のあの歌である。虹の彼方に何かがあると夢見た子どものころが、妙に懐かしい。  虹は夏に多く発生するため、俳句では夏の季語である。「虹立つも消ゆるも音を立てずして」(山口波津女)の句の通り、今朝の虹もいつの間にか出て、しばらくして消えてしまった。だが、その美しさに登校中の子どもたちが歓声を上げ、遅刻するよと母親らしき人から叱られている姿もあった。こんな日は少し遅れてもいいんじゃないかと、私は勝手に思ったりした。  虹を描いた西洋美術の作品としては、ピーテル・パウル・ルーベンス(…

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1835 季節外れマロニエの緑葉 人生至宝の植物に異変

  ラジオ体操をやっている広場に約20本のマロニエ(セイヨウトチノキ)がある。ほとんどの木が葉を落としつつあるのに、なぜか1本だけ青々と葉が茂っている。桜の花が季節外れに咲いたなどという話は聞いたり、実際に見たりすることがあるが、季節外れにマロニエの葉が茂るのを見たのは初めてだ。気候変動の影響だろうか。今年は植物も戸惑う年といえるようだ。  マロニエは春に芽吹き、初夏には白やピンクの花が咲き、秋になると実をつけ、ラジオ体操をやっている人の近くに実が落ちることもある。晩秋には葉が色づき、近くのけやきよりも早くに落葉する。木によって少しのずれはあるものの、このパターンは変わらない。ところが、今年9月になって1本が早めに落葉したと思ったら、新しい葉が出始め、10月中には全体が緑の葉で覆われたのだ。 「季節外れに葉を出すなんてどうしたんでしょうね」 「今年の夏は長梅雨が続き、明けたら急に暑くなったんで、季節感がなくなってしまったのかもしれないですね」  ラジオ体操仲間は、こんなふうに話している。さらにこの秋、私の住む千葉市は台風15号、19号の上陸、21号に伴う記録的大雨で大きな影響を受けた。体操広場近くのけやきの木が強風で折れたりしたから、夏から秋にかけての気候変動にマロニエの木もこれから活動の時期だと勘違いし、季節外れに葉を出してしまったのだろうか。落葉樹は気温が低くなると根の働きが鈍くなり、水分も十分に取れなくなるため古い葉を落として冬を越す。新しい葉が茂ってしまったマロニエはも…

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1829 本を繰り返し読むこと ヘッセ『郷愁』とともに

 高橋健二訳・ヘルマン・ヘッセの『郷愁』(新潮文庫)は、まさしく名著である。アルプスの高山に囲まれ、美しい湖水風景が広がるスイス山間部の小さな村に生まれ、成長するペーター・カーメンチントという主人公の自己形成史ともいえる、透明感にあふれる作品を再読した。自然の抒情的描写と自己考察で進行する作品は、初めて読んだ昔とは異なる感慨を与えてくれた。  この作品は1904年に書かれたヘッセの処女作といわれ、世界で多くの人に読まれている。スイス湖水地方のニミコン(実在の村ではなく、モデルは諸説がある)で生まれたペーターは自然の中で育ち、勉學に優れたことから村を出て高校に進み、さらにチューリヒの大学で学ぶ。卒業後も故郷には帰らず、文筆活動に入る。この間に各地を旅し、バーゼルに移り住み、様々な人々と巡り会う。大学の親友の突然の死や失恋、指物師一家との交流。指物師の妻の弟で障害を持つボッピとの共同生活と彼の死を経て、ペーターは故郷へと戻り、年老いた父親と暮らし始める。 「人間が自然から得たものではなく、自分自身の精神からつくり出したたくさんの世界の中で、書物の世界は最も広汎で高い価値を持つものである」(『ヘッセの読書術』・草思社文庫の中のエッセー「本の魔力」より)と、ヘッセは書いている。27日から読書週間(11月9日まで)が始まった。若者の読書時間が少なくなっていると言われる中で、ヘッセの『郷愁』は、手に取ることを勧めたい一冊といえる青春の書なのだ。  原題は「ペーター・カーメンチント」という主人…

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1828 ただ過ぎに過ぐるもの 優勢なセイタカアワダチソウ

 散歩コースの遊歩道から調整池を見ると、池の周辺の野原は黄色い花で埋め尽くされている。言わずと知れた外来植物のセイタカアワダチソウである。例年、この花とススキは生存競争を繰り返しているのだが、今年は外来植物の方が圧倒的に優勢だ。この道を歩き続けてかなり長い。そして、2つの植物の生態の変化に飽きることはない。  手元の百科事典によると、セイタカアワダチソウは北米原産の帰化植物で、キク科の多年草。茎は直立し、高さ2~3メートルになり、土手や荒地に群落を作る。10~11月、多数の黄色の頭花を大きな円錐花序につける。切り花用として持ち込まれたが、繁殖力が強いのが特徴で、今では全国どこでもこの花を見ることができる。  これまでもこのブログで何回かこの花について取り上げているので、詳しい生態については省略するが、天敵ともいえるススキとの戦いで今年は、この花が勝ったようだ。本来ならススキは中秋の名月の後も天を衝く勢いで残っている。しかし、相次いで上陸した台風(15号と19号)によって細長い茎は吹き飛ばされてしまい、見る影もなくなった。それに対しセイタカアワダチソウはしぶとく耐え、弱ったススキを相手にせず、わが世の春ならぬわが世の秋を謳歌しているのである。 「ただ過ぎに過ぐるもの 帆かけたる舟。人の齢。春、夏、秋、冬。」(ブログ筆者の現代訳・何もしなくとも一方的に過ぎて行くもの。それは帆掛け舟=帆を上げて風に乗って進む船=であり、人の年齢、そして春、夏、秋、冬という四季である)    清少納…

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1825 あの川もこの川も氾濫 想像力欠如の楽観主義

 千曲川や多摩川、阿武隈川、那珂川という著名な川から、耳慣れない川まで数えることができないほどの河川が氾濫した。台風19号による未曽有の大雨は関東甲信越、東北を中心に甚大な被害を及ぼした。被害の全容はまだ分からない。浸水被害を伝えるテレビの映像を見ながら、台風15号に続く自然の脅威に身をすくめる思いの時間を送っているのは私だけではないだろう。  台風をめぐっては、多くのニュースが流れている。浸水し孤立が続く地区もあり、停電、断水の地区も少なくない。ワールドカップラグビーに出場したカナダチームが、試合が中止になった岩手県釜石市で被災地区の泥のかき出しなどのボランティア活動をしたニュースがあった一方で、東京消防庁から出動したヘリが福島県いわき市で高齢の女性を救助作業中、安全金具を付け忘れ高さ40メートルから落下させてしまい、女性が亡くなる悲劇も伝えられた。  今朝(15日)の段階で死者は60人以上となり、行方不明者も数多い。堤防の決壊個所は37河川、52カ所に及んでいる。こうした被害の実情からしても「予測されていたことから比べると、(被害は)まずまずに収まったという感じ」「日本がひっくり返るような災害から比べれば」(13日の自民党緊急役員会で二階俊博幹事長)という発言は、想像力を欠いた妄言としか言いようがない。  嵐や地震の直後にはその被害の実情は分からない。だから、軽々な発言は控えるべきなのだ。千曲川の堤防決壊の映像を見ればこの後どうなるのかと想像はできるはずで、決して「まずまず収…

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1818 地球温暖化に背を向ける大人への警鐘 グレタさんの訴え

 16歳の少女の訴えを全世界の大人はどう受け止めたのだろうか。23日にニューヨークの国連本部で開かれた気候行動サミット。一番注目を集めたのは16歳の少女、スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさんの大人への怒りを込めたスピーチだった。地球温暖化に背を向ける政治家・大人が数多く存在する中で、グレタさんの訴えが空振りにならないことを願うばかりである。  グレタさんはスピーチで「生態系は崩壊しつつあります。私たちは、大量絶滅の始まりにいるのです」「若者たちはあなた方の裏切りに気付き始めています。未来の世代の目は、あなた方に向けられています。もしあなた方が私たちを裏切ることを選ぶなら、私は言います、あなたたちを絶対に許さないと」などと訴え、「How dare you」という言葉を4回使った。新聞記事やテレビニュースでは、文脈から「よくもそんなことが言えますね」や「よくもそんなことができますね」と、日本語に翻訳されている。いずれにしろ大人への不信感を示したものと受け止めなければならない。  国連本部のスピーチといえば、イスラム過激派タリバンによって頭を銃撃され、奇跡的に命を取りとめたパキスタン(イギリス在住)のマララ・ユスフザイさんのことを思い出す。同じ16歳だったマララさんは、2013年7月12日、国連本部でスピーチし「学校に行けない子どもたちのために1冊の本と1本のペンを」と訴えた。この後、2014年に17歳でノーベル平和賞を受賞、世界的に影響力を持った少女となった。  今回のグレ…

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1815 米大統領とオオカミ少年 ハリケーン進路騒動

 古代ギリシア(紀元前6世紀ごろ)の寓話作家イソップ(アイソーポス)の『イソップ寓話集』は、様々な事象を寓話(教訓や風刺を含めたたとえ話)にしたものだ。その中にある「オオカミ少年」(あるいは「嘘をつく子ども」)の話は、よく知られている。朝刊の国際欄にこの話を連想させる記事が載っていた。オオカミ少年のように思えるのは、またしても米国のトランプ大統領だった。  またしても、という表現を使ったのは、トランプ氏がこれまで何度もツイッターで騒動を起こしてきたからだ。今回もお騒がせに使われたのは、ツイッターだった。新聞報道によると、今月上旬、米東部にハリケーン・ドリアン接近したが、トランプ氏は1日、ツイッターで上陸が予想されたフロリダ州だけでなく西側にあるアラバマ州も「直撃して予想以上の被害が出そうだ」と、警告した。  当時、同州に被害が出ることは予想されておらず、国立気象局の地元事務所は直後、「アラバマはドリアンの影響は受けない」という否定のツイッターを発信した。結果的に気象局の予想通り、アラバマで被害はなかった。このため米国メディアが「トランプ氏のツイートは不正確」と批判すると、トランプ氏は自分が正しいと主張し、批判報道を「フェイクだ」と攻撃しているのだ。  騒ぎに輪をかけたのは、国立気象局を所管する米海洋大気局(NOAA)が無署名でトランプ氏を支持する声明を発表したことだ。これに対しても米メディアは、政府高官がNOAAの幹部に解任をちらつかせながら対応を迫ったということなど、具体的事実…

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1814 北海道に生きた農民画家 神田日勝作品集から

 絶筆の馬が嘶く(いななく)夏の空 農民画家といわれた神田日勝さんが32歳でこの世を去ったのは、1970年8月25日のことである。絶筆となった絵は、この句(妻の神田美砂呼=本名ミサ子さん作)にあるように馬をモチーフにした作品(未完成)だった。私がこの画家を知ったのは初めて北海道に暮らした時で、30年近く前だった。その後、この画家のことは忘れていたのだが、最近になって美術館の図書室でたまたま1冊の本に出会い、中央画壇では知られていない農民画家のことを思い出した。  その本は『神田日勝 作品集成』(神田日勝記念美術館=鹿追町教育委員会)という題が付いた神田さんの作品集で、今年3月に発行された。神田さんが亡くなって49年が過ぎたが、その力強い作品は見る者に生きる力を与えてくれるのである。作品集に寄せた手記でミサ子さんは、夫との絵に関するやり取りを書いている。このやりとりから、神田さんにとって絵を描くことは、生きる上で欠かすことができないものであることが理解できる。 「絵を描きたいって、どんな気持ち?」 「他人のことは解らないが、僕にとっては生理現象かな」(ミサ子さんは、テレビのインタビューで排泄のようなものと話していた)  神田さんは1937年12月に東京・練馬で4人きょうだい(2人の姉と兄が1人)の次男として生まれ、太平洋戦争で東京大空襲に遭った。終戦の前日である1945年8月14日、一家は十勝平野の鹿追町に移住する。中学時代から、のちに東京芸大に進んだ兄一明さん(元北海道教育大学…

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1813 天災と人災「小径を行く」14年目に

   台風15号によって私の住む千葉県は甚大な被害を受けた。中でも大規模停電は、昨年北海道地震で起きた「ブラックアウト」の再現かと思わせた。東京電力によると、全面復旧にはまだかなりの時間を要するという。これほど深刻な災害が起きているのに、なぜかこの日本はのんびりとしている。新聞やテレビを見て私はため息をつくばかりだ。  被害が深刻化している最中、安倍内閣の改造があり、新聞はそのニュースでもちきりだった。どう見ても、取り巻きと政治家歴が長いだけの実績不明の人たちが登用されている。ホープといわれる小泉進次郎氏が環境相(兼内閣府特命大臣)に起用され、直後に福島県を訪れ、前任者の原田義昭氏の発言(10日の記者会見で、東京電力福島第1原発の放射性物質トリチウムを含んだ処理水について「所管を外れるが、思い切って放出して希釈するしか方法がないと思っている」と述べた)を謝罪した。得意のパフォーマンスである。彼が弁明することではなく、原田氏の問題のはずである。謝られた福島県も当惑しただろう。  この後、ヤフーがファッション通販サイトZOZOTOWNを買収し、ZOZOの創設者、前澤友作氏が代表取締役社長を退任するニュースが大きく扱われた。同時に前澤氏が自身の保有株を売却し、2400億円を手にすると報じられた。世の中にはこんな人もいるのである。停電によって炎暑地獄に暮らす人々とは別世界の話であり、不快になって途中でテレビを消した。  ブラックアウトは、電力会社の管内全域が停電することを言う。今回の千…

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1812 炎暑地獄の9月 台風去って難が来る

   9日未明に千葉市に上陸した台風15号は、最大瞬間風速57・5メートルを記録し、同じ千葉市に住む私は眠れぬ夜を明かした。台風のすごさはテレビの映像で知ってはいたが、それを目のあたりにした。あちこちで街路樹が倒れ、屋根のテレビのアンテナが横倒しになり、瓦も飛んでいる。屋根が飛んでしまったガレージもある。遊歩道にはけやきの倒木と飛ばされた枝が散乱している。夜になると、街の半分が停電で暗闇の世界になっていた。そして、1日が過ぎた。停電の家で暮らしている体操仲間は「炎暑地獄ですよ」と話した。  台風が去った後、9日の夕方になると、美しい夕焼けが広がった。それは、右足の大けがをした2年前の9月の夕焼けと匹敵する絶景だった。沖縄から近所に移ってきた娘は「沖縄と同じくらいきれいな夕焼けだ」と感心した。時間差はあるものの、自然は荒々しさと美しさを私たちに与えくれたのだ。まるで、ごめん、ごめん、さっきの乱暴は許してね、その代わりにきれいな空を見せてあげるね、とでも言うかのように……。  テレビや新聞で報道されているためか、昨日から今日にかけ、お見舞いの電話がかかり、メールが届いている。庭中を、飛んできた枯れ枝とけやきの葉が埋め尽くしたが、それ以外は特に被害はない。だから「お陰様で私のところは大丈夫です」という返事を繰り返した。「二百十日」という言葉がある。立春から210目(2019年は9月1日)のことをいい、このころは台風や風の強い日が多いといわれる。最近は春から台風がくるので、この言葉は死語にな…

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1811 ツバメ去り葛の花咲く 雲流れ行く季節に

 朝、調整池の周囲にある遊歩道を散歩していたら、多くのツバメが飛び回っていた。そういえば、七十二候の四十五候「玄鳥去(つばめさる)」は間もなく(18日)だ。ツバメは南へと帰る日のために、ことし生まれた子ツバメを訓練しているのだろうか。残暑が続くとはいえ、自然界はツバメだけでなく、次第に秋の装いへと移り始めていることに気が付く。  ツバメは神奈川県や千葉県で絶滅の恐れがある日本版レッドリストに指定されており、私の住む千葉市では「要保護生物」になっているという。それだけ都会からツバメが少なくなっているのだろう。とはいえ、近所の大型スーパーの出入り口の一つに、ツバメが巣をつくっていて、毎年ここで雛を育てているし、調整池の周辺でも見かけることが珍しくない。私の住む地域に限って言えば、ツバメは激減していないのかもしれない。  この遊歩道の傍らは、調整池と草地が広がっている。最近は予算が減らされ、役所の雑草の刈り取りは年1回しかない。そのため、いつしか繁殖力の強いツル性の葛が増え続け、遊歩道の一部まで葛が勢力を拡大してしまっている。始末が悪い雑草だと思っていたが、今朝この葛の花が咲いているのを見かけた。濃紺紫色の花穂である。葛は秋の七草のひとつで、花はまあまあきれいだ。葛を季題とした俳句も数多い。「山葛の風に動きて旅淋し」 正岡子規の句である。このように風情を感じる句が少なくないが、毎朝調整池でどんどん伸びる姿を見ているためか、私は葛を好きになれない。  調整池の遊歩道とは別に、この街には1…

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1803 涼を呼ぶ寒蝉鳴く 猛暑の中、秋を想う

 猛暑が続いている。暦の上では立秋(8月8日)が過ぎ、きょう13日は七十二候の「 寒蝉鳴」(かんせんなく)に当たり、盆入りである。寒蝉は「かんぜみ・かんせん」と読み、秋に鳴くセミであるヒグラシやツクツクボウシのことをいう。散歩コースの調整池の小さな森で朝夕、涼を呼ぶようにヒグラシが鳴いている。この鳴き声を聞くと、私は秋が近いことを感じる。とはいえ残暑は厳しい。今年の本格的秋の到来はいつになるのだろう。  手元にある七十二候の本には「寒蝉鳴(ひぐらしなく)」と紹介されているが、「寒蝉」について広辞苑には「秋の末に鳴く蝉。ツクツクボウシまたはヒグラシの古称か」とあり、大槻文彦・言海「つくつくぼうし」の項の最後にも「寒蝉」と記されている。民俗学の柳田国男は『野草雑記』で植物の土筆(ツクシ)について考察し、地域によってこの植物が「ツクツクボウシ」と呼ばれ、寒蝉=ツクツクボウシと同じ呼称であることを紹介している。このように寒蝉鳴のセミの古称は複数存在するのである。  七十二候はもともと古代中国で考案された季節を表す方式だが、日本では江戸時代に渋川春海(1639~1715。天文暦学者、囲碁棋士。冲方丁の小説『天地明察』は渋川の生涯を描いている)ら暦学者によって日本の気候風土に合うように改訂されたというから、江戸時代に立秋を過ぎてから鳴くことが多いヒグラシやツクツクボウシを「寒蝉鳴」という七十二候に含め、秋の到来を示す風物詩として言い伝えてきたのだろう。  書に倦むや蜩鳴いて飯遅し 正岡子規は…

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1795 前倒し夏休みなのに 梅雨寒続く7月

 梅雨寒や背中合わせの駅の椅子 村上喜代子  梅雨寒の気候が続いている。昨年の今頃は猛暑になっていたが、今夏は天候不順で肌寒い日がなかなか終わらない。私の住む千葉市の市立小中校(165校)は、例年より1週間繰り上げて夏休みになる。3連休だから、実質的にきょう13日から8月いっぱいまでの長い休みである。前倒しの理由は予算不足を補うための苦肉の策だという。  実は千葉市の小中校にはエアコンの設備がなかった。市長も市議会も校舎の老朽化対策が優先だといって、子どもたちに我慢を強いてきた。市議会ではエアコン設置を求める請願に対し、自分たちは涼しい議場にいるにもかかわらず強い精神力・忍耐力を養うためにエアコンは不要という何とも前時代的な意見で不採択にした経緯もある。だが、昨年の猛暑により文科省からエアコン設置を求める通達が出され、千葉市も渋々ながら設置を決めた。  しかし、予算の関係もあって工事がなかなか進まず、結果的に代替え手段として夏休みの前倒しを決めたのだ。だが、皮肉なことに今夏は梅雨が長引き、しかも冷夏の状況が続いていて、夏休み前倒しの意味は薄らいでしまった。一度決めた以上はそれを変更するという柔軟さは役所(教育委員会)にないから仕方がないのかもしれないが、子どもたちの長い夏休みにお母さんたちも戸惑っていることだろう。  旧暦七十二候で、いまごろは「小暑 (次候)蓮始めて開く」とされている。そういえば、私の住む街に通ずる道の脇に昔ながらの池があり、蓮の花が咲いている。千葉市の千葉公園蓮池に…

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