テーマ:都市

1896 地図の旅、札幌へ そこはアカシアの季節

 地図を見ながら想像の旅を続けている。山形を出発した旅は九州へと移り、さらに沖縄を経てヨーロッパまで行った。今回はヨーロッパから帰国し、北海道へと歩を進める。想像の旅だから、強行軍でも疲れることはない。札幌の知人のフェースブックを見ていたら、「アカシアの季節」という文字が飛び込んできた。そうか、あの白い花が札幌の街を包んでいるのかと想像…

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1876「人生は一行のボードレールにもしかない」か 『阿弥陀堂だより』から

 コロナ禍による緊急事態宣言の期限がさらに延長されることが確定的で、外出自粛の日々が続くことになる。これまで経験したことがない状況の中で一日をどう送るか、人それぞれに工夫をしているはずだ。物理的、心理的に閉塞感に覆われた時、読書をする人も少なくないだろう。そして人はどんな本を読み、どんな作品に救われたのだろう。私は知人から届いた映画評を…

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1851 新型コロナウイルスにどう立ち向かう『ペスト』の人々を思う

 人口が1100万人を超える中国湖北省の大都市、武漢市の公共交通機関は23日午前から全ての運行を停止した。同市で発生した新型のコロナウイルスによる罹患者は拡大を続けており、同市は事実上の閉鎖状態になった。人類の歴史はウイルスとの闘いでもある。今回の発生源はコウモリや市場で売買された野生の蛇など諸説あるが、ウイルスは人類の想像を超えた繁殖…

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1836 北海道に魅せられた画家 後藤純男展にて

「美瑛の町役場の屋上から、私は秋晴れの東南の空に十勝連峰を眺めた。主峰十勝岳を中央にして、その右にホロカメットク山、三峰山、富良野岳、その左に美瑛岳、美瑛富士、オプタクシケ山。眺め飽きることがなかった」。深田久弥は名著『日本百名山』の中で、北海道の十勝岳についてこのように記した。  日本画家の後藤純男もこの雄大な風景に惹かれ、北海…

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1820 繰り返すドーハの悲劇 過酷!深夜の世界陸上

「ドーハの悲劇」は、1993年10月28日、中東カタールの首都ドーハで開催されたサッカーW杯アジア地区最終予選最終節の試合で、イラク代表と戦っていた日本代表がロスタイムに同点ゴールを入れられ、W杯初出場を逃したことを指す言葉である。現在、同じドーハで開催中の世界陸上の競技をテレビで見ながら、この言葉が蘇ってしまった。スポーツ関係者は、と…

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1795 前倒し夏休みなのに 梅雨寒続く7月

 梅雨寒や背中合わせの駅の椅子 村上喜代子  梅雨寒の気候が続いている。昨年の今頃は猛暑になっていたが、今夏は天候不順で肌寒い日がなかなか終わらない。私の住む千葉市の市立小中校(165校)は、例年より1週間繰り上げて夏休みになる。3連休だから、実質的にきょう13日から8月いっぱいまでの長い休みである。前倒しの理由は予算不足を補うた…

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1785 都市の風景の変化を描く 街を歩く詩人

「記者は足で稼ぐ」あるいは「足で書け」といわれます。現場に行き、当事者に話を聞き、自分の目で見たことを記事にするという、報道機関の基本です。高橋郁男さんが詩誌「コールサック」に『風信』という小詩集を連載していることは、以前このブログでも紹介しました。6月号に掲載された14回目も街を歩き、観察した事象を小詩集にまとめています。…

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1784 いつくしみある地の夏 里山の風景を見る

 室生犀星の詩集『抒情小曲集』のなかの「小景異情」の「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」(その2より)はよく知られている。同じ詩集の「合掌」にも実は心に染みるものがある。福島の里山を訪ねて、その思いを深くした。   みやこに住めど   心に繁る深き田舎の夏ぞ   日を追ひては深む   いつくしみある地の…

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1783 岡倉天心が愛した五浦 六角堂を訪ねる

「人は己を美しくして初めて、美に近づく権利が生まれる」 日本近代美術の先駆者、岡倉天心(本名、覚三、1863~1913)が、『茶の本』(岩波文庫)の中で、芸術表現について明かした一節の中にこんな言葉がある。天心は晩年、太平洋を臨む福島県境の茨城県大津町五浦(いづら、現在の北茨城市大津町五浦)に居を構え、美術史家、美術評論家として日本の美…

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1775「恐れてはならぬ」時代 改元の日に思うこと

 30年と4カ月続いた平成という元号が4月30日で終わり、5月1日から令和になった。改元の経験はこれで2回になる。私が生まれた昭和は遠くなりつつある感が深い。昭和は戦争という負のイメージとともに、戦後の経済復興という力強い歩みの側面もあった。これに対し平成は多くの国民が踊ろされてしまったバブル経済が崩壊し、以後、少子高齢化社会の進行を背…

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1773 憎しみの連鎖 スリランカ大統領と鎌倉大仏

 スリランカ(かつてのセイロン)最大の都市、コロンボで同時多発テロがあり、22日午後7時現在日本人を含む290人が死亡し、450人以上が負傷した。スリランカといえば、日本の戦後史に残る政治家がいた。鎌倉大仏殿高徳院境内に「人はただ愛によってのみ憎しみを越えられる。人は憎しみによっては憎しみを越えられない」(英語: Hatred ceas…

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1772 大聖堂火災で歴史遺産を考える 世界の人の目は

 パリの世界遺産、ノートルダム大聖堂(寺院)で火災が発生、尖塔が崩壊するなど、大きなダメージを受けた。フランス各界や海外からこれまでに1000億円を超える寄付の申し出があり、フランスのマクロン大統領は、5年で再建を目指すと語った。大聖堂がパリのシンボルだったからこれほど大きな話題を集め、人類の歴史の中で作り上げられた文化遺産がいかに貴重…

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1770 新札デザイン・2千円・守礼の門は 司馬遼太郎の沖縄への思い

 2024年度から紙幣(1万円、5千円、千円)のデザインが変更になると政府が発表した。唯一、2千円は変わらない。普段、私はお札のデザインを気にしていないが、かつて1万円については「聖徳太子」という別称があったことを記憶している。表紙の聖徳太子がそれだけなじんでいたのだ。現在の1万円の顔は福沢諭吉であり、今度は渋沢栄一になるという。「しぶ…

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1749 本土作家が描いた苦闘する沖縄の姿 真藤順丈『宝島』を読む

 沖縄には「ナンクルナイサ」(どうにかなる、何とかなるから大丈夫)という言葉がある。だが、この本を読んで、言葉の響きは軽くてもその意味は重いのではないかと考えた。それほどに本土に住む私でも胸が苦しくなるほど、沖縄は米軍と日本政府に苦しめられたことが理解できるからだ。それに抗った若者を描いたのが直木賞を受賞したこの作品である。賞の選考委員…

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1748「崎山公園」雑感 続・坂の街首里にて(7)完

 坂の街首里から約3週間ぶりに平坦な千葉に戻ってきた。首里の街は急な上り下りが多く、しかも雨の日は石畳が滑りやすく、歩くことにかなり気を使った。体も疲れやすかった。そんな日々を過ごし、わが家周辺を歩くと、妙に足が軽い。スポーツジムで鍛える必要がないほど、首里での生活は筋力トレーニングになったようだ。  日本には美しい坂が各地にある…

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1746「魅力に満ちた伝統建築と風景のものがたり」続・坂の街首里にて(6)

 沖縄在住20年になる友人が、沖縄の建築物と風景を紹介するコラムを書き続けている。過日、その友人に会い懇談した。沖縄の魅力に惹かれて夫とともに本島中部の本部町に移住した友人はすっかり沖縄の人になっていた。  友人は馬渕和香さんといい、翻訳家の夫とともに23年前、埼玉県浦和市(現在のさいたま市)から奄美大島に移り住んだ。3年後、奄美…

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1745「美しく花開くためには」 続・坂の街首里にて(5)

「むせび哭く み魂の散りしか この丘に かすかにひびく 遠き海鳴り」――悲しみを歌ったこの短歌があるのは、沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園だ。この公園にはこれまで何度か足を運んだ。しかし、高台にある各都道府県の碑には初めて行った。そこは私たち以外には人影はなかった。遥か遠くに神が宿る島といわれる久高島が見えた。  平和祈念公園には…

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1744 辺戸岬の「復帰闘争碑」 続・坂の街首里にて(4)

 沖縄本島最北端の辺戸岬に行った。首里から車で約2時間半。断崖の下に広がる冬の海は白波を立て、以前見たような既視感を抱いた。そうだ。ユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬と印象が似ているのだ。ロカ岬にはポルトガルの国民詩人といわれるルイス・デ・カモンイスの詩の一節「「ここに地終わり海始まる」が刻まれた十字架の石碑が建っていた。一方、辺…

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1743 琉球王朝の初春儀式を見る 続・坂の街首里にて(3)

 新年を首里で迎えた。すぐ近くの首里城では約450年続いた琉球王朝時代に行われていた正月の儀式が公開された。初もうでは首里城周辺の3つの寺を回った。私の干支・酉年にちなむ寺で引いたおみくじは大吉だった。さて、今年の世相はどうなるのだろう。沖縄の2つの新聞の社説は「[辺野古 重大局面に]国会で説明責任果たせ」(沖縄タイムス)、「新年を迎え…

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1742 沖縄の正史と 稗史 続・首里の坂道にて(2)

 歴史には正史と 稗史(はいし)・外史がある。正史は権力を持った側が自分の都合のいいように書いたといっていい。権力側=正義、反権力側=悪――という構図である。その構図が真実かどうかは分からない。普天間基地移転と名護市辺野古への新基地建設問題は、後世の人にはどのように受け止められるのだろう。  世界遺産に指定されている座喜味城(ざき…

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1741 歳末雑感 続・坂の街首里にて(1)

 那覇の首里にいる。最高気温16度と寒く、風も強い年末だ。そんな中、居酒屋のオープンテラスで、夕食のひと時を送った。沖縄の人たちも寒そうにしながら道を歩いている。テレビでは、北海道や日本海側の地方の雪の景色を映し出している。  年末年始を自宅から離れて過ごすのは、かなり久しぶりだ。年中無休のメディアに勤務していたから、いつでも呼び…

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1725 けやきの遊歩道無残 紅葉奪った塩害

 街路樹のけやきの葉の色がことしはおかしい。例年なら赤や黄、茶の3色に紅葉して美しい秋を演出するのだが、ことしに限って美しさが失われてしまった。よく観察してみるとほとんどの葉が褐色(こげ茶色)になっている。文字通り枯れ葉といった印象なのだ。その原因は台風による塩害だと思われる。この街に住んで30年以上になるが、初めての現象に出会った。 …

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1702 繰り返す自然災害 想定外からブラックアウトへ

「予(われ)、ものの心を知れりしより、四十(よそじ)あまりの春秋(しゅんしう)をおくれる間に、世の不思議を見ること、ややたびたびなりぬ(「私は物事の分別がつくようになったころから、40余年の歳月を送ってきた。その間に常識ではあり得ないような、さまざまなことを見ることが度々あった」  6日、最大震度7という大地震が北海道(胆振東部地…

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1678 絶望的状況の中でも タイの少年たちへ

 タイ北部チェンライ郊外のタムルアンという洞窟でサッカーチームの少年12人とコーチ1人の計13人が不明になって2日で9日となる。昼夜を徹しても救助活動が続いているが、大量にたまった濁水で作業は難航しているという。このニュースを見て、2010年にチリで起きた鉱山の落盤事故を思い浮かべた。それは絶望的状況に置かれても、人間の強い生命力を示す…

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1667 「ここに地終わり海始まる」 心揺さぶられる言葉

「ここに地終わり海始まる」ポルトガルの国民詩人ルイス・デ・カモンイス(1525?-1580)の詩の一節だ。リスボンの西シントラ地方のロカ岬はユーラシア大陸の西の果てといわれ、140メートルの断崖の上に十字架がある石碑が建っている。そこにはこの言葉が刻まれている。混沌とした時代。なぜかこの言葉が心を打つ。  作家の宮本輝は、同名の小…

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1665「人よ嗤え 我は我 」 ゴンゴラの詩に共感

 最近の世相を見ていると、スペインの詩人、ルイス・デ・ゴンゴラ(1561~1627)の詩を思い浮かべる。それは「人よ嗤え(わらえ) 我は我」で始まる短い詩だ。束の間、この詩を読み、浮世を忘れる。それほどに、いやなニュースが新聞紙面に載っている日々なのだ。  ゴンゴラはスペイン南部アンダルシア地方コルドバの名家に生まれ、聖職に就いた…

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1661 坂の街首里にて(10)完 沖縄の心・芭蕉布

  沖縄を歌った曲で「芭蕉布」(吉川安一作詞、普久原恒男作曲)は、詩の美しさ、曲のさわやかさで知られている。私も好きな歌の一つである。自宅に帰った後、首里の坂道、階段、石畳を思い出しながら、この曲をあらためて聞いた。夜、BS放送にチャンネルを合わすと、偶然だろうが、芭蕉布の織り方の特集をやっていた。  芭蕉布は、糸芭蕉という沖縄に…

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1660 旅行記を読む楽しみ 知人の四川高地行

 旅行記といえば、どんな本を思い浮かべるだろう。イザベラ・バード『日本紀行』(あるいは『日本奥地紀行』)、沢木耕太郎『深夜特急』、司馬遼太郎『街道を行く』、ジュール・ヴェルヌ『80日間世界一周』(小説)あたりか。最近、中国・四川省を旅した知人から、旅行記が送られてきた。知人らしく中国の現状分析もあって、格調ある記録だ。コーヒーを飲みな…

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1659 坂の街首里にて(9) 土地の香がする琉球泡盛

 沖縄の酒といえば琉球泡盛といっていい。ふだんこの酒とは縁がない。だが、首里に滞在している間、琉球泡盛を飲んだ。焼酎と共通する個性を感じ、これまでほとんど口にしなかったこの酒に親しんだ。振り返ると、郷に入っては郷に従えということを、酒で実践した日々だった。  滞在していた首里の家のすぐ近所に、「瑞泉酒造」という1887(明治20)…

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1658 坂の街首里にて(8) タイル画の道

 首里は石段と坂の街であり、石畳の通りもある。滞在した住宅も丘の途中にあって、坂を上り下りして日常生活を営んでいる。首里の街を下って行き、那覇のメーンストリートともいえる国際通りにたどり着く。ここまで来ると、平たんな道が続いている。ここから少し歩いたところに、タイル画の通りがあった。色とりどりのタイル画を埋め込んである焼き物の街だった。…

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