1927「本の表紙を変えただけでは」 理想の政治家像とは

 「本の表紙だけを変えても、中身が変わらなければ駄目だ」。自民党の総裁選のニュースを見ていたら、こう言って、総理大臣(首相)になるのを固辞した政治家がいたことを思い出した。私は政治家は嫌いだ。だが、当時この政治家の気骨ある姿勢に驚き、自民党にもこんな人物がいるのだと感心した。時代は変わって、今こうした政治家の存在を知らない。

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1923 刀折れ矢尽きた首相 現代の政治家が失ったこと

 本来なら有終の美を来年の東京五輪で飾るはずだった。だが、安倍首相は28日、辞任を表明した。持病の難病、潰瘍性大腸炎が再発したためだ。あと1年の任期を残しての辞任は、刀折れ矢尽きる状態といえるようだ。病によって精魂ともに尽き、政治のリーダーを続ける意欲がなくなったのだろう。(それほど懸命に政治に取り組んだとは思えない。取り巻きの官僚の言いなりになったにすぎないのではないか、裸の王様だった、という声も聞こえてくる)安倍政権の功罪は様々だ。私から見たら罪の方が大きい(うそが多かった)のだが、野党に力がないから次のリーダーも自民党の誰かがなるだろう。その条件は?

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1921 金に頼る政治家たちへ 寅さんの怒りの口上が聞こえる

「天に軌道があるごとく、人はそれぞれ自分の運命というものを持っております。とかく気合いだけの政治家はうわべはいいが、中身はない。金を使えば何でもできると思っていたら、そりゃあ、間違いだよ。な、そうだろう」。暑い日々、家に籠ってぼんやりと新聞の川柳を読んでいたら、映画『男はつらいよ』の、寅さんの切れ味のいい口上が聞こえるような気がしてきた。そうか、金に頼って不正が発覚した政治家たちをいまいましく思って、寅さんは声を掛けてきたのだ。先月も寅さんに怒られる夢を見た。最近、どうやら天国の寅さんは地上の人間たちの行状にイライラしているのもしれない。                

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1914 核の脅威依然減らず 安らかに眠ることができない時代

「安らかに眠るに核は多すぎる」 小栗和歌子さん作のこの川柳は、1975年9月号の「川柳 瓦版」に掲載されたものだ。「安らかに眠る」とは、広島の原爆慰霊碑(1952年建立)の碑文「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」(雑賀忠義広島大学教授が揮毫)にあり、よく知られている言葉だ。広島に続き、長崎に原爆が投下されて75年。この川柳から45年を経ても世界の核廃絶は一向に進まない。  6日の原爆の日。慰霊式典での松井広島市長の平和宣言と安倍首相のあいさつは、今年もかみ合わなかった。市長は平和宣言の中で国連の「核兵器不拡散条約」(NPT、1970年発効)と核兵器禁止条約(2017年に成立)について触れ、共に核兵器廃絶に不可欠な条約であり、日本政府には核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかり果たすためにも核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いを受け止めて、この条約の締約国となるよう訴えた。これに対し安倍首相は、「立場の異なる国々の橋渡し役に努め、各国の対話や行動を粘り強く促し、核兵器のない世界実現に向けた国際社会の取り組みをリードしていく」と述べたものの、核兵器禁止条約には全く触れなかった。  この条約は「核兵器の使用によって引き起こされる壊滅的な人道上の結末を深く懸念し、そのような兵器全廃の重大な必要性を認識し、廃絶こそがいかなる状況においても核兵器が二度と使われないことを保証する唯一の方法である」とし、開発から使用まで全面的に禁止することを目的にしている。2017年7月7…

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1911 私利私欲を憎め 小才子と小悪党がはびこる時代

 現代の日本社会を見ていると、小才子(こざいし)と小悪党が跋扈(ばっこ)し、私利私欲のために権力を動かしている者たちが大手を振って歩いている。これは独断と偏見だろうか。決してそうではないはずだ。コロナ禍に襲われた今年も残りは5カ月余になっている。このように書くのは気が早いと言われそうだが、災厄が早く去ることを願うが故のせっかちな表現をあえてしてみた。この間コロナで多くの人々が苦しむ中で、一部の人間は甘い汁を吸い、私利私欲のために走りまくったのは間違いない。  小才子は「小才の効く人、ちょっとした才知のある者」という意味だ。「残念ながら 今日 の日本の社会はこういう奴が沢山にあって、小才子 の天下になっている」(新渡戸稲造 『今世風の教育』)というように、人を誉める言葉ではなく、マイナス評価として使われる。この言葉で思い浮かぶのは、首相に忖度を続け全体への奉仕者であることを忘れた官僚の姿であり、小悪党といえばあの人、この人、あいつもそうだと何人かの政治家の顔がちらつく。毎日の新聞を読んでいてそうした話題が尽きないから、現代はまさに「悪貨は良貨を 駆逐する」グレシャムの法則を思わせる時代だと思う。  この法則は16世紀のイギリスの財政家・国王財政顧問トマス・グレシャム(1519~1579)がエリザベス女王(1世)に進言したといわれる経済法則だ。1つの国に価値の異なる2種類以上の貨幣が同一の額面で通用している場合、質の高い良貨は退蔵、溶解、国外への流出などにより市場から消え、悪質の貨幣だけが…

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1904「医」と「恥」から想起すること 国手が欲しい国は

 山形県酒田市出身の詩人吉野弘(1926~2014))の詩『漢字遊び』の中に「医」「恥」という短い作品がある。コロナ禍の現代を端的に表すような詩を読んで、私は漢字の妙を感じ、同時に多くの政治家の顔を思い浮かべた。  吉野の「医」は以下の通り。     「医」の中に「矢」があります   病む者へ、まずは矢のように駆けつける心情   そして、矢が的の中心を射当てるように   “ズバリ的中”の診断をするのが身上――ちなみに   国の病気を治す名手が「国手」――今一番欲しい人  (ブログ筆者注・「国手」とは。国を医する名手の意。名医。名人の医師。また、医師の敬称。以上広辞苑)  朝刊に「移動自粛『不要』菅氏が都に反論」(朝日)という見出しの、全文12行のベタ記事が載っていた。このところ毎日100人を超える感染者を出している東京のコロナ対策として、小池都知事が都外への不要不急の移動自粛を要請したことに対し、菅官房長官が記者会見で「移動自粛を要請する必要はない」と反論した、という内容だ。これを読んだ読者は、どちらを信じたらいいのか戸惑うだろう。緊急事態宣言解除後、感染者が増え続ける事態に対し、官房長官発言は経済優先の国の方針を踏襲したものだろう。だが、それでコロナ対策がうまく行くのかどうか全く分からない。このままで本当に大丈夫なのだろうかと危惧する。  コロナ担当の西村という経済再生担当相も危なっかしい。きょうの衆院内閣委員会で「危機感を持って対応する」といういつもの言葉を…

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1901 富山平野は「野に遺賢あり」 中国古典の言葉から

「野(や)に遺賢(いけん)なし」。中国の古典「書経」(尚書)のうち「 大禹謨(だいうぼ)にある故事である。「民間に埋もれている賢人はいない。すぐれた人物が登用されて政治を行い、国家が安定しているさまをいう」(三省堂・大辞林)という意味だ。現代日本の政治にこの言葉が当てはまるかだろうか。私はそうとは思わない。日本だけでなく、海外諸国に目を向けても首をかしげざるを得ない情けない状況が続いている。  ここに出てくる「大禹謨」というのは、今から約4000年前の紀元前1900年ごろに、夏王朝(伝説、実在説双方に分かれる)を創設した禹という人物の政策(はかりごと)のことをいう。禹は黄河の氾濫を収めた功績により帝位を受け、中国最初の王朝を創設し民を安定させたといわれる伝説の英雄である。  作家の陳舜臣は『中国五千年』(平凡社)という中国の歴史を書いた本の中で、禹を神話時代の人と記している。陳によると、「名君が名宰相を得て、国運を盛んにするというのも、中国史の一つのパターン」であり、禹は益という人物(賢者)に政治を任せて成功したという伝承があるそうだ。禹は現在の浙江省会稽で巡幸中に死んだとされ、後継者に益を指名したが、益が遠慮したため禹の子の啓が王位に付き、夏の世襲王朝(17王、14世)が続くことになったという。 「野に遺賢なし」ではなく、「野に遺賢あり」という言葉が宮本輝の『田園発港行き自転車』(集英社文庫)という長編小説に使われていた。富山平野で流水客土(赤土を水と混合し用水路を通して水田に…

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1900 コロナ感染者1000万人超 壮大なる無駄遣いアベノマスク 「ブログ1900回!」

 ブログ「小径を行く」は今回で1900回です。初めてから14年。ここまで到達しました。この記念すべき回にコロナ感染対策の「アベノマスク」、感染者1000万人について書いてみました。これも歴史なのでしょうか。  政府が新型コロナ感染拡大防止を目的として全世帯に配布(1世帯当たり2枚、計1億3千万枚)をした「アベノマスク」といわれる布マスクを利用している人を見たことがない。不思議な話である。私の家に届いたのは、安倍首相がマスクを配りますと、記者会見で宣言してから1か月半後の6月15日のことだった。周辺の家庭にも同時期に届いているはずだが散歩、ラジオ体操、日常の買い物、電車での買い物や通勤……。家族に聞いてもこれらの範囲内でこのマスクの人はいまだに見かけない。首相だけがつけている不思議なマスクは、新型コロナに右往左往した時代の象徴として、多くの人の記憶に残るだろう。  一時期マスクは店頭から消えたから、記者会見でマスクを配るという首相発言に期待を持った人もいるだろう。だが、その期待は裏切られた。マスクは小さいし、容易に届かない。届いたものは汚れているものも含まれていた。多くの世帯に届いたころは、ほとんどの店頭に様々なマスクが並んでいた。しかも日本は梅雨。布製のマスクは付けているだけで苦しいから合わない。(まだ届いていない地区もあるという) 「次なる流行にも十分反応できるよう、布マスクを多くの国民が保有することに意義がある」。菅官房長官の言葉は第2波の際に使ってほしいという言い訳にしか聞…

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1899 あの閃光が忘れえようか  広島を覆う暗雲

  あの閃光が忘れえようか   瞬時に街頭の三万は消え   圧しつぶされた暗闇の底で   五万の悲鳴は絶え    峠三吉の「八月六日」という詩は、こんな書き出しで、以下原爆投下後の広島の惨状を綴っています。あと1カ月余で、広島に原爆が投下されて75年になります。その広島は今、原爆とは異なる黒い雲に覆われているのです。前法務大臣河井克行、案里夫妻による公選法違反(買収)容疑事件であることは言うまでもありません。  案里氏が昨年夏(7月21日投開票)の参院選に立候補した際、広島県内の首長や議員ら94人に2570万円をばらまいた疑いが濃厚になっているのです。渡した疑いが持たれる夫妻は東京地検特捜部に逮捕され、もらった方も次々にその事実を認め、市長をやめるという人や、頭を丸刈りにして市長続投を主張する人など、さまざまな関連ニュースが続いています。「金権選挙」という言葉を思い出しました。  試みに「故事ことわざ辞典」(東京堂出版)で「金」にまつわる故事を引いてみました。たくさんあります。このうち、負の側面が強いと思われることわざを記してみましょう。  金があれば馬鹿も旦那 金があるおかげで、ばかがだんなといわれて世間をとおること  金が敵 金銭がわざわいのもと。金銭のために身を滅ぼす。金銭のために不和や反目を生じやすい  金が物言う 金銭の力で世間のことは解決できるのをいう  金で面(つら)を張る 金銭の力でむりやりに反対者をおさえつけること  金の切れ目が縁の切れ目…

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1885 新聞離れ助長が心配 検事長と新聞記者の麻雀

 新聞はかつて第4の権力といわれるほど影響力が大きかった。現在でも以前ほどではないが、新聞の力は侮れない。だが、インターネットの普及もあって若い世代の新聞離れが顕著であり、新聞業界が斜陽産業の道を歩んでいることは、誰しもが認めることだろう。それに追い打ちをかけるような事態が起きた。東京高検の黒川弘務検事長がコロナ禍によって外出自粛が求められている最中に、産経新聞記者の自宅で他の産経社会部記者、朝日新聞の社員(元社会部記者)と賭けマージャンをしていたことを週刊文春が報じ、黒川検事長は22日付で辞任したニュースである。黒川氏と麻雀に興じていた新聞記者の行為は、新聞の信用を失墜させ、ますます新聞離れに拍車をかけることになるかもしれないと、心配する。  新聞記者は取材対象に食い込まなければ、いいネタはとれないという。しかし、それが行き過ぎ取材相手と癒着、取り込まれてしまう記者もいる。担当する派閥の政治家と一体となるような言動をする政治部記者もいると聞く。社会部記者は権力と一線を画し、常に批判精神を忘れないが取材活動の基本であるはずだが、黒川事件の新聞記事を読んで、社会部記者も堕落したと思った。首相をも逮捕する権力を持つ高検の検事長が違法ともいえる法律の解釈変更によって定年が延長され、それを追認するような検察庁法の改定(改正ではない)が国会に提案され、しかも世はコロナ禍によって外出制限・三密を避けてほしいと政府が要請している時期に、この為体(ていたらく=みっともない有様)である。週刊文春によると、今回…

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1881 何をやっているのか日本の政治 床屋談義から

「今の日本の政治は何をやっているんでしょうね。本当にだめですねえ」。行き付けの床屋で、椅子に座ったとたん、鋏を持った理髪師がこんなことを私に言った。以前なら、私も感想を述べ「床屋談義」となるのだが、何しろコロナ禍が続く時期であり、「そうですね」と短く答えるだけにとどめた。髪を切ってもらいながら、私は理髪師が何を言いたかったのだろうかと考えた。そういえば、このところ新聞やテレビではコロナの話題のほかに、国会の呆れた動きが報道されており、理髪師はこのことも話したかったのだろうと推量した。  呆れた動きというのは、言うまでもなく国会の委員会で野党党首が「火事場泥棒のようだ」と指摘した、検察庁法改定案(あえて改正案とは書かない)を政府が成立させようとしていることだ。新型コロナのために全国に緊急事態宣言が出され、国民が外出自粛や営業休止をしている中で、それこそ不要不急の法案を通そうという政府の動きは、火事場泥棒といわれても仕方がないだろう。  1月末の黒川弘務東京高検検事長の検察庁法を無視した突然の定年延長と、検察官も国家公務員法による定年延長制度が適用されるという強引な法解釈の変更(これまでは検察官の定年は検察庁法に規定され、検事・検事長は63歳、検事総長のみが65歳と定められていた)に続き、法の改定によって検事長ら検察幹部を定年になっても政府の裁量でその職にとどめることができるという規定を新設するという。そして、政権に近いといわれる黒川氏は半年の定年延長によって、次の検事総長に起用されるので…

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1878 私の運動不足解消法 トランポリンで読書

 新型コロナウイルスによる感染拡大によって、緊急事態宣言(4月7日)が出されて1カ月が過ぎた。コロナ以前はスポーツジムでトレーニングをしていたのだが、不要不急の外出は控えてほしいという呼び掛けに応じて、このところ人のあまりいない時間の散歩程度しか外出することはない。雨の日は散歩もままならない。そこで始めたのがトランポリンを使った読書だった。  トランポリンは、アメリカの体操選手が1930年代に考案したといわれ、スプリングが付いたカンバスシートを使って飛び上がったり、空中で回転技をしたりする体操用の器具である。2000年のシドニー大会から、トランポリン競技は五輪の正式種目になっている。私が買った器具の説明書には、5分間で約1キロを歩いた運動量になると書いてあった。  とはいえ素人の私は、この器具で飛んだり跳ねたりはしていない。トランポリン上で歩きながら読書したらどうだろうかと考えたのだ。器具は手すり付きのものをホームセンターで購入し、「書見台」は家族が日曜大工で作ってくれた。早速やってみると、普通に歩くよりトランポリンの上で交互に足を動かす(上下させる)方が運動になるようで、30分程度やるとかなり疲れる。これを1日合計1時間程度やると、歩数計も1万歩を超える。カロリーの消費量もまあまあだ。書見台の高さもちょうどよく、トランポリンのハンドルバーにつかまっていれば問題なく本を読むことができる。  日本では外出自粛ということで、禁止はされていないから、近所の遊歩道は散歩やジョギングの人が…

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1862 東京五輪とコロナ WHOに多額拠出の背景は?

 7月~8月開催予定の第32回東京五輪が、新型コロナウイルスによる感染症の世界的流行により揺れ動いている。選択肢は予定通りの開催か、延期か(1年あるいは2年)、中止かの3つだが、予定通りの開催は誰が見ても難しい状況にある。そんな中、日本政府が世界保健機関(WHO)に新型コロナ感染国への緊急支援用として新たに1億5500万ドル(為替レートの変動が激しいが、日本円で約165~約170億円)を寄付(拠出)したことが明らかになった。日本でもコロナ対策が急務の時に、多額の拠出金というニュースについて、その背景を考えた。  東京五輪をめぐってはこのところ様々な意見が報じられている。スポーツ行事はほとんど中止、延期を余儀なくされており、五輪開催も黄信号状態にある。大会組織委員会の高橋治之理事が各報道機関の取材に答えて延期の可能性を示唆したのは、観測気球という見方が強い。これに続いて国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長が、記者団に開催中止か延期の判断はWHOの勧告に従うと語ったと報じられた。この発言によってWHOの判断が注目を集めることになった。  新型コロナウイルス問題では、WHOの動きに世界から厳しい目が向けられている。エチオピア出身のテドロス事務局長の言動が中国寄りで、WHOの対応が後手に回っているように見えるからだ。多くの報道があるのでここで具体的なことは書かないが、テドロス氏は現地13日の記者会見で、新型コロナウイルス感染症への日本の対応について「安倍首相自ら先頭に立った、政府一丸と…

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1861 自家撞着の政治家 知識を身につけていても

 人間は生きよと銀河流れをり 新感覚派の俳人といわれた上野泰(1918~1973)の句である。「スケールの大きな世界。すでにほろんだ星も含む銀河が『人間は生きよ』と語りかけながら流れていきます。心に何か悩みや屈託があったとしても、この涼やかな銀河の流れが浄化してくれそうです」(倉阪鬼一郎『元気が出る俳句』幻冬舎新書)という解釈を読むまでもなく、コロナウイルスと闘う地球への応援句だと受け止めたい。まさに元気の出る一句といえる。  17という短い文字で四季折々の森羅万象を表現する俳句は奥深い。俳句に取り組む人たちは、それほどに言葉を大事にしているのだ。一方で、言論の府といわれる国会で、自身の言葉を取り消す大臣が相次いでいる。福島選出の参院議員である森雅子法相は9日の参院予算委員会で、東京高検の黒川検事長の定年延長に絡み、検察官の勤務延長の解釈変更の理由(社会情勢の変化)を問われると「東日本大震災の時に検察官は、福島県いわき市から国民が、市民が、避難していないなかで最初に逃げた。そのときに身柄拘束している10数人を理由なく釈放して逃げた」と答弁した。その後、11日に開かれた衆院法務委員会でこの答弁を「この答弁をしたのは事実。個人的見解だった」と言い訳して撤回、委員会の審議が止まってしまった。  たまたま参院予算委の国会中継のテレビを見ていたが、この人は何を言っているのだろうかと思った。検事長の定年延長とは何の脈絡がない上、自身が検察官の属する法務省のトップなのに、このような感情的発言をした。…

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1855 修羅場に出る人間の本性 喫茶店の会話から

 最近、新聞を読んでいて米国の政治家・物理学者ベンジャミン・フランクリンの言葉を思い浮かべることが多い。今朝もそうだった。この言葉を「実践している」(皮肉です)に違いない政治家や官僚のことが朝刊に出ていた。私だけでなく普通に生きている人にとって恥ずべき事柄と思うのだが、どうもそうでもない日本人が増殖しているようだ。行きつけの喫茶店でお茶を飲んでいたら、私と同じように思っている人がいることを知った。近くの席で2人の高齢者(いずれも75歳前後の男性。Bさんの方が年上らしいことが2人の言葉遣いで分かった)が話しているのを耳にした。それは以下のような会話だった。  A こんな言葉を知っていますか。「理性のある動物、人間とは、まことに都合のいいものである。したいと思うことなら、何にだって理由を見つけることも、理窟をつけることもできるのだから」  B ああ、アメリカのフランクリンの言葉だよね。昔、自伝を読んだことがあるので覚えていたんだ。  A  今日の朝刊を読んでいましたら、政治家も官僚も何をやっているのかと腹が立ってしまいましたよ。本当に自分たちがしたいことに理屈をつけているんですから……。  B  そうだね。この新聞(店にあった全国紙)を見ると、Aさんの言う通りだね。「新型コロナウイルス感染対策本部会合に小泉環境相ら閣僚3人欠席」とか「東京高検検事長の定年延長で人事院局長が答弁撤回」、「『桜を見る会』問題で首相答弁の信頼性揺らぐ」、「女性官僚と出張し隣同士の部屋を行き来できるコネ…

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1843 姑息な政府答弁書 反社会勢力の定義困難とは……

「姑息」(こそく)という言葉がある。辞書には「(『姑』はほんのちょっとの間、『息』はやむ、やすむの意から)一時のまにあわせに物事を行うさま。その場しのぎ」(旺文社・国語辞典)とある。これに加え、「俗に卑怯なさま」(広辞苑)、「近年『その場だけの間に合わせ』であることから、『ひきょうなさま、正々堂々と取り組まないさま』の意で用いられることがある」(小学館・デジタル大事典)――そうだ。政府が「反社会的勢力」という言葉について「定義は困難」という答弁書を閣議決定した。このニュースを聞いて、「姑息だな」と思った人は少なくないだろう。  報道によると、 政府は10日、首相主催の「桜を見る会」に「反社会的勢力」関係者が出席していたとされる問題に絡み、立憲民主党議員の「反社会的勢力の定義」に関する質問主意書に対し、「形態が多様であり、時々の社会情勢に応じて変化しうるから、あらかじめ限定的、統一的に定義することは困難」とする答弁書を閣議決定したという。政府は2007年、「反社会的勢力」について「暴力、威力と詐欺的手法を駆使して経済的利益を追求する集団・個人」と定義しているのに、今回、なぜ定義は困難としたのだろう。反社会勢力関係者が桜を見る会に出ていたことがはっきりすれば政権にとってダメージになるから、こんな馬鹿げた答弁書をまとめたとしか思えない。招待者名簿は廃棄したというが、出てこないとも限らないので、予防線を張ったのだろうか。  菅官房長官は10日の記者会見で「2007年の指針は何だったのか」と問わ…

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1840 続「語るに落ちる」人権意識欠如 「桜を見る会」名簿廃棄の首相答弁

 昨年6月、このブログで「語るに落ちる」という言葉(ことわざ)を使い、政治家の言動について書いたことがある。残念ながら、その後もこのことわざ通りの動きが政治の世界では続いている。連日、ニュースで取り上げられている「首相と桜を見る会」に関する安倍首相・菅官房長官の言い訳(質問に対する答弁というより、この言葉の方が適切だ)もこの範疇に入る。その極めつけは障害者雇用を弁解の材料にしたことで、弱者を利用した最悪の答弁といえる。  12月2日に開かれた参院本会議。野党議員(共産・の宮本徹議員)が資料要求した5月9日に、内閣府が名簿を廃棄したとの経緯(実態は慌ててシュレッダーに掛けたのではないか、後付けに悪知恵を働かせたのだろうと、誰もが思うはずだ)についての質問に対し、首相は「シュレッダーの空き状況や、担当である障害者雇用の短時間勤務職員の勤務時間等との調整を行った」と答弁し、「野党議員からの資料要求とは無関係」としていた。官房長官も4日の記者会見で首相答弁について「名簿廃棄は『予約から作業まで時間がかかり過ぎだ』と国会で疑問視されたので、作業を予定していた方が障害者雇用の職員で無理なく余裕を持って作業できる時間を確保する必要があったことを説明したのだ」と補足した。  これでは「障害者雇用の枠で採用した職員のせいで廃棄作業が遅れた」と、責任を障害者に押し付けているとしか思えない。「桜を見る会」招待者名簿の廃棄作業は共産党の宮本徹議員から資料要求を受けた1時間後に開始したと内閣府は説明し、首相は「…

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1825 あの川もこの川も氾濫 想像力欠如の楽観主義

 千曲川や多摩川、阿武隈川、那珂川という著名な川から、耳慣れない川まで数えることができないほどの河川が氾濫した。台風19号による未曽有の大雨は関東甲信越、東北を中心に甚大な被害を及ぼした。被害の全容はまだ分からない。浸水被害を伝えるテレビの映像を見ながら、台風15号に続く自然の脅威に身をすくめる思いの時間を送っているのは私だけではないだろう。  台風をめぐっては、多くのニュースが流れている。浸水し孤立が続く地区もあり、停電、断水の地区も少なくない。ワールドカップラグビーに出場したカナダチームが、試合が中止になった岩手県釜石市で被災地区の泥のかき出しなどのボランティア活動をしたニュースがあった一方で、東京消防庁から出動したヘリが福島県いわき市で高齢の女性を救助作業中、安全金具を付け忘れ高さ40メートルから落下させてしまい、女性が亡くなる悲劇も伝えられた。  今朝(15日)の段階で死者は60人以上となり、行方不明者も数多い。堤防の決壊個所は37河川、52カ所に及んでいる。こうした被害の実情からしても「予測されていたことから比べると、(被害は)まずまずに収まったという感じ」「日本がひっくり返るような災害から比べれば」(13日の自民党緊急役員会で二階俊博幹事長)という発言は、想像力を欠いた妄言としか言いようがない。  嵐や地震の直後にはその被害の実情は分からない。だから、軽々な発言は控えるべきなのだ。千曲川の堤防決壊の映像を見ればこの後どうなるのかと想像はできるはずで、決して「まずまず収…

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1809「おりた記者」から作家になった井上靖 適材適所のおかしさ

 このブログで時々言葉について書いてきた。今回は「常套(じょうとう)語」である。「套」は内閣告示の常用漢字表にないことから、報道各社の用語集(たとえば共同通信記者ハンドブック)では、これを「決まり文句」に言い換えることになっている。しかし、ここでは決まり文句ではなく常套語の方を使うことにする)今回は、大臣人事などでよく聞かれる「適材適所」という四文字熟語について考えてみたい。常套語の典型だと思うからだ。  先日、自民党所属の上野宏史厚労政務官が外国人労働者の残留資格をめぐる口利き疑惑で辞任した。自身は「法令に反する口利きをした事実はない」というコメントを出したものの、記者会見など公の場での説明はしないままである。大臣や政務官の人事がある度に、首相や官房長官は「適材適所」を口にする。だが、上野氏を含めて不適材と見ていい人事が繰り返されていることは、枚挙にいとまがない。  朝刊には驚くべき人事が掲載されていた。政府が30日の閣議で、読売新聞グループ本社会長の白石興二郎氏をスイス大使に充てる人事を決めたというのである。官房長官は記者会見での質問に「適材適所」と説明したという。民主党の菅内閣当時(2010年6月)、北京大使に総合商社、伊藤忠の元会長(当時は顧問)丹羽宇一郎氏、ギリシャ大使に野村証券顧問の戸田博史氏を充てたことがあり、民間からの大使起用もあり得るのだろう。  しかし、白石氏の場合、権力の監視役という使命を持つ報道機関のトップ(30日付で読売会長は退任したとのこと)だった人物…

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1804 政治の身勝手さ感じる8月 民意との乖離のあいさつ

 広島、長崎の原爆の日と終戦の日を送って、74年前の出来事をそれぞれに思い出した人が多いだろう。共通するのは、戦争は2度と繰り返してはならないということだと思う。原爆犠牲者の慰霊式典(広島は平和記念式典=広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式、長崎は平和祈念式典)と終戦の日の全国戦没者追悼式の安倍首相のあいさつを聞いていて、民意と違っていることに違和感を覚えた。政治とは民意を反映するはずなのに、どうみても違うからだ。  広島、長崎の式典で、両市の市長は平和宣言の中で日本政府が背を向けている核兵器禁止条約に、唯一の被爆国として署名することを求めた。だが、安倍首相はあいさつで、この条約に触れることはなく、核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努めると述べた。式典後の記者会見では「条約は保有国、非保有国の立場の隔たりを深め、核兵器のない世界の実現を遠ざける。わが国のアプローチと異なる」と語った。では具体的に核兵器国と非核兵器国の橋渡し(仲介役)として、何をやったのだろうか。米国の核の傘の下で、米国の動向を上目遣いに見ているばかりで何もしていないのが実態といえるだろう。  被爆地の人々は、核なき世界を求めているのが民意なのに、それを認めようとしない姿勢は沖縄・名護への米軍飛行場建設問題と共通するものだ。終戦の日の式典では、天皇陛下が「ここに過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」と、戦争に対する「反省」を「おことば」の中に入れていた。一方の首相は、アジア諸国への加…

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1798 チャーチルとジョンソン 英国首相の未来

 ウィンストン・チャーチルといえば、英国の元首相で20世紀を代表する政治家の1人といっていいだろう。政治家でありながら、1953年には「第二次大戦回顧録」を中心とする著作活動でノーベル文学賞を受賞している文人でもあった。欧州連合(EU)からの離脱問題で揺れている英国の新しい首相に離脱強硬派で「英国版トランプ」といわれるボリス・ジョンソンが就任した。若い時代、新聞記者だったというジョンソンは、チャーチルのような歴史に名を残す宰相になれるのだろうか。(敬称略)  国内各紙の報道によると、ジョンソンは米国のニューヨークで生まれで、ロンドンにある中高一貫校の名門イートン校からオックスフォード大学に進み、卒業後高級紙(英国は高級紙という日本の朝日、読売、毎日のような一般紙と、タブロイド判の大衆紙に区別されている)タイムズに入社、新聞記者の道を歩み始めた。だが、駆け出し時代、歴史家の発言を捏造したことが発覚、1年で解雇された。それでも次に安価な高級紙といわれるデーリー・テレグラフに再就職し、EUの前身を取材するブリュッセル(ベルギー)特派員になり、不正確で過激な記事を書き続けたという。この後、政治家に転身しロンドン市長も務めているから政治家として一定の力量はあるのだろう。  人を見た目で判断してはならないことは言うまでもない。だが、人間の本性は外見に出てしまう。それは米国のトランプを見れば一目瞭然であり、ジョンソンにも言える。破天荒、ハッタリともいえる思い切った言動が大衆の人気を集める所以なのだろうが、ど…

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1794 新聞と誤報について ハンセン病家族訴訟・政府が控訴断念

 朝の新聞を見ていたら、「ハンセン病家族訴訟控訴へ」という記事が一面トップに出ていた。朝日新聞だ。ところが、朝のNHKや民放のニュース、共同通信の記事は「控訴断念の方針固める」と正反対になっている。どちらかが誤報なのだろうと思っていたら、安倍首相が会見し「控訴断念」を発表したから、朝日の記事は誤報だった。それにしてもこのような正反対の裁判の記事が出たのはなぜなのだろう。朝日の記者は詰めの取材が甘かったか、だまされたのだろう。  ハンセン病家族集団訴訟は、6月28日に熊本地裁で判決があった。ハンセン病の元患者の家族561人が国に損害賠償と謝罪を求めたもので、判決で裁判所は隔離という差別政策をとった国の責任を認め、総額3億7675万円(1人当たり143万~33万円)の支払いを命じた。これに対し、朝日新聞は9日付の朝刊一面トップで「政府は控訴して高裁で争う方針を固めた。一方、家族に対する経済的支援は別途、検討する。政府関係者が8日、明らかにした。国側の責任を広く認めた判決は受け入れなれないものの、家族への人権侵害を認め、支援が必要と判断した」という記事を掲載した。  ほかの新聞朝刊にこの記事は出ていない。事実なら朝日の特ダネ記事といえた。ところが、冒頭に書いたように、この記事の後追い取材をしたと思われる各報道機関は、正反対に「控訴断念」を流している。NHKは「安倍首相が決断」とも付け加えた。私の経験からしても往々にして後追いの方が正しいことが多いから、朝日の記事は間違いなのだろう。どうして、こうした…

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1792 新聞記者とは 映画と本から考える

 かつて新聞記者は若者の憧れの職業の一つだった。だが、最近そうした話は聞かない。背景にはインターネットの発達や若者の活字離れなどがあり、新聞自体が難しい時代に直面していることを示している結果なのだろう。そんな時、『新聞記者』という題名に惹かれて、一本の映画を見た。つい最近まで、新聞紙上をにぎわした森友学園・加計学園疑惑を彷彿させるような事件が描かれていた。映画を見た後、私は本棚からメディアに関する数冊の本を取り出し、頁をめくった。  映画は女性記者、吉岡(シム・ウンギョン)が勤める新聞社の社会部に、政権の大学新設計画に対する極秘情報がFAXで届き、デスクの指示を受けた女性記者が取材を始めるところから始まる。秘密情報を追う女性記者と、内調(内閣情報調査室)に勤務し、マスコミをコントロールする業務に疑問を抱く若手官僚、杉原(松坂桃李)の仕事に対する葛藤を軸に展開する。映画にはパソコン画面を通じて鼎談番組(映画の原作『新聞記者』の著者である東京新聞望月衣塑子記者、元文部科学省事務次官・前川喜平氏、元ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏、司会は新聞労連委員長・南彰氏)の動画が出てきて、それがこの映画のドキュメント的要素を強くしている。  政府の機密を暴こうとして、調査報道に懸命に取り組む記者(吉岡)、先輩官僚の自殺によってその自殺に不審を抱き始め吉岡と接点を持つ杉原の動きはサスペンス的要素が濃く、普段は映画の途中で居眠りをする私も吉岡を応援する思いで画面に見入った。最終段階で…

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1791 続スティグマ助長の責任は 熊本地裁のハンセン病家族集団訴訟

 熊本地裁は28日、ハンセン病元患者の家族の集団訴訟で、国に責任があるという判決を言い渡した。当然のことである。国の誤った隔離政策で差別を受け、家族の離散などを強いられたとしてハンセン病の元患者の家族561人が国を相手に損害賠償と謝罪を求めた裁判で、総額3億7675万円の支払いを命じたのだ。2001年5月、同じ熊本地裁は元患者への賠償を命じる判決を出した。国が控訴せず、この判決が確定したのは当時の小泉首相の政治判断だった。今回政府はどう対応するのだろう。「大阪城にエレベーターをつけてしまったのは大きなミス」と語った安倍首相だけに期待は?である。  以前書いたハンセン病に関するブログから、隔離政策の歴史に関する部分を読み直してみた。以下のように書いてある。 《日本では1907(明治40)年に制定された「癩予防ニ関スル件」(法律第11号)によってハンセン病患者を強制隔離する人権無視の政策が始まった。この法律は1931(昭和6)年に「癩予防法」(旧法)となり、さらに1953(昭和28)年に「らい予防法」(新法)と改められたが、ハンセン病患者排除の思想を継承し、ハンセン病患者は国立の療養所(全国13カ所)に強制的に入れられ、社会と隔絶された生活を送らなければならなかった。1998(平成8)年になってようやく「らい予防法」が廃止になった。この後、鹿児島県と熊本県の2つの療養所の入所者が起こした国家賠償請求訴訟で熊本地裁は2001(平成13)年5月11日、①旧法(癩予防法)を1953年まで廃止しな…

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1760 言葉が泣いている 検討から真摯へ

 昨今、政治家の常套(じょうとう)語として使われるのは「真摯」だ。以前から国会で使われている常套語の代表ともいえる「検討」という言葉の影が薄くなったほどである。本来「まじめでひたむきなこと」という意味の真摯が、いい加減な言葉として使われているようで残念でならない。折角の言葉も使われ方次第で、品位を失ってしまう典型といっていい。  国会の審議でよく聞かれる「検討します」という言葉は「よく調べて、対策を講じる」はずなのに、質問をはぐらかすために答える「何もやらない」という意味に使われることがほとんどだ。あいまいな意味の役人用語でもある。与党の質問には「前向きに検討します」という答弁が目立つのだが、野党の質問に対してはまともに答えないから、最近は「検討します」という言葉自体、あまり聞かれない。 「真摯」の方は、森友・加計問題や沖縄の辺野古新基地問題で政府首脳が連発している。その裏でどう見ても真摯とは思えない言動が明らかだから、その姿勢は実は「ふまじめでいい加減」に見える。2月の辺野古基地建設の是非をめぐる沖縄県の県民投票で、建設反対票が7割以上という結果が出た後、安倍首相は「真摯に受け止め、沖縄の基地負担軽減に取り組む」と発言した。だが、県民投票の翌日から土砂投入が再開され、玉城デニー知事との会談では「世界で一番危険といわれる普天間の状況を置き去りできない」と語るだけで、県民投票の結果を考慮しない頑なな姿勢を続けている。いわば無視といっていい。  そして、沖縄では「真摯」とは程遠い問題…

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1751 聖書と日本の政界 北の空を凝視する風見鶏

 近所に地区の集会所があり、屋根に風見鶏の飾り物が付いている。風見鶏は鶏をかたどった風向計・魔除けのことで、ヨーロッパでは教会や住宅の屋根に取り付けられていて珍しくないという。だが、周辺ではここ以外にあまり見かけない。神戸あたりは多いのかもしれない。なかなか風情があるのに日本では「政界の風見鶏」というように、芳しくない意味に使われ、風見鶏にとって迷惑なことに違いない。最近もこの言葉を連想させるニュースに接し、気分が悪くなった。  百科事典には、教会で風見鶏を付けるのは、「キリストとの関係を3度否認したペトロ(ペテロともいう)を目覚めさせた雄鶏の記念という」(マイペディア)とある。ペトロはキリストの最初の信者。十二信徒の代表格といわれ、ローマ帝国の暴君ネロによって殉教した。手元にある聖書を見ると、ペトロとキリストの関係が記されていた。それによると、キリストは最後の晩餐の際、ペトロに対し「あなたは今夜、鶏が2度鳴く前に、3度私のことを知らないと言うだろう」と離反を予告した。実際にキリストが捕まったとき、ペトロは鶏が1回鳴いている間に3回関係を否定し、鶏が2回目に鳴くとキリストの言葉を思い出し、羞恥のために泣き出したという。  ペトロを改心させた鶏を記念しているわけだから、風見鶏は意義ある存在なのだ。だが、日本の政界では元首相の中曽根康弘氏を「政界の風見鶏」と呼んだように、この言葉の好感度は高くなかった。風見鶏は風の方向によって向きが変わるから、定見を持たず政治の流れ・風向きで都合のいいよう…

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1578 「長い物には巻かれよ」 守った人と守らなかった人

「長い物には巻かれよ」という言葉は「目上の人や勢力のある人には争うより従っている方が得である」(広辞苑)という意味だ。官僚の世界で、この言葉を守った人と守らなかった人の2つの例が日本と韓国で最近話題になった。どちらが多くの人に受け入れられるかは、言うまでもないだろう。  今朝の新聞には安倍政権を揺るがせた森友学園の籠池泰典理事長夫妻が、国の補助金受給に絡む詐欺容疑で大阪地検特捜部に逮捕されたことが大きく掲載されている。しかし、この問題は大阪豊中市の国有地が格安で森友学園の小学校用地として売却されたことが疑惑の中心だ。   だが、財務省の理財局長だった佐川宣寿氏は国会答弁で野党側の追及に対し、明確な答弁をせず、事実確認のための記録は残っていないと提出を一切拒否、「長い物には巻かれよ」の姿勢を貫いた。その忠節ぶりが評価されたのか、7月5日付で国税庁長官に栄進した。佐川氏は就任後間もなく1カ月になるが、担当記者に所信を明らかにする就任会見も開いていないという。何を彼は恐れているのだろうか。(追記・国税庁は8月8日、佐川氏の就任会見はしないと記者クラブに伝えた。逃げ隠れする徴税の責任者を国民はどう思うだろう)  佐川氏と反対の行動をとったのは韓国の官僚である。新しく就任した文在寅(ムン・ジェイン)大統領に抜擢された慮泰剛(ノ・テガン)・文化体育観光省第二次官がその人だ。朝日新聞のソウル特派員メモによれば、同氏は文化体育観光部体育局長だった4年前に、前大統領朴槿恵(パク・クネ)氏の支援者、…

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1571 きのふの誠けふの嘘 アジサイの季節に

 紫陽花やきのふの誠けふの嘘 正岡子規 アジサイの季節である。最近は種類も多いが、この花で思い浮かぶのは色が変化することだ。子規はそのことを意識して人の付き合い方についての比喩的な句をつくったのだろう。安倍首相の獣医学部をめぐる言動は子規の句通りである。  安倍首相は6月24日の神戸での講演で、「1校に限定して特区を認めた中途半端な妥協が、結果として国民的な疑念を招く一因となった。今治市だけに限定する必要は全くない。地域に関係なく、2校でも3校でも、意欲ある所にはどんどん新設を認めていく」と述べた。今治市に計画されている加計学園の獣医学部新設認可問題で、安倍首相だけでなくその側近も野党の批判に対し「一切関わっていないし、その立場にはない」と否定的立場をとってきた。  だが、今回の発言はこの言葉を覆し、国家戦略特区の最終決定者である首相の立場は「何でもできる」と明言したものだといえる。通常国会閉会後の 記者会見で安倍首相は加計問題に関する批判に答え、「信なくば立たずであり、何か指摘があればその都度、真摯に説明責任を果たしていく」とも述べている。その直後萩生田官房副長官の関与を示す文書の存在を文科省が発表したにも関わらず、その後何ら説明をする場をつくることはない。 「信なくば立たず」は論語の「顔淵第十二」の「七」に出てくる。子貢という弟子の質問に対する孔子の「民無心不立」(民 信ずる無くんばたたず)という言葉が由来である。子貢の為政者の心構えとはという質問に対し、孔子は「民の生活の安…

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1403 きょうは子規のへちま忌 「言葉はこの世の屑」なのか

正岡子規は1902年(明治35)9月19日に闘病の末、34歳で亡くなった。113年前のきょうのことだ。糸瓜忌である。子規の死を知った親友、夏目漱石の句と子規最後の句は9月1日のブログで紹介した。明日20日は彼岸の入り、子規の句集を読み直した。子規の句に「一日は何をしたやら秋の暮れ」がある。子規にとって、それはどんな秋の一日だったのだろう。 「秋の日はつるべ落とし、それにしてもきょう一日、いったい何をしていたんだろう。いいねえ、こんな一日も。」(正岡子規著、天野祐吉編『笑う子規』ちくま文庫)天野の解釈だ。 少しだけ残暑がぶり返したきょう。こうした、いかにものんびりとした思いで一日を送ることができた人は少ないのではないか。日本の将来に暗雲が湧くことを予感する集団的自衛権行使を認める法案が国会で成立したからである。 「詩人が何よりもましてひどく苦しめられている欠陥物で、この世の屑ともいうべきものは、言葉である」 「自分がもっている以上のものを人に見せる者がペテン師であるとするならば、詩人というものは決してペテン師にはなりえない。なにしろ詩人は、自分が見せたいと思うものの十分の一、百分の一でさえも見せることができず、自分の言葉を聞く者が自分の言ったことのほんの表面だけでも、それに近い意味だけでも、ほんのおおよそだけでも理解し、少なくとも最も重要なところでひどい誤解さえしなければ、もう満足せざるをえないからである」 ドイツ生まれの詩人、作家のヘルマン・ヘッセは「言葉」と題したエ…

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1402 道義なき現代政治 安保法制に憲政の神様を思う

憲政の神様といわれた政治家がかつて存在した。尾崎行雄(咢堂)である。1912年(大正元)、犬養毅(1932年の5・15事件で暗殺)とともに第一次護憲運動を行い、組閣したばかりの長州閥、桂太郎内閣を総辞職に追い込んだことで知られる硬骨漢である。尾崎は1939年(昭和14)、千葉県銚子市の旧伏見宮家別荘の瑞鶴荘を訪れた際に「朝またき 彼方の岸は アメリカと聞きて爪立つ おはしまのはし」という歌を詠んでいる。   「まだ夜が明けきらない時間、対岸はアメリカだと聞いて、ベランダの手すりの端に爪先立って眺めている」という意味だ。 軍部の横暴を見聞きしていた尾崎は米国との戦争を予感していたのだろうか。だから、こんな歌を詠んだのかもしれない。尾崎がこの歌を詠んでから2年後、日本は米国を初めとする連合国と無謀な戦争を始めたことは言うまでもない。 きょうの午後、参院の安全保障関連法案特別委員会の鴻池委員長に対する不信任案の賛否の討論、そのあとの強行採決(採決したのかどうか非常に疑わしい)といわれるだまし討ちのような動きをテレビで見ていた。野党議員が討論の演説をする後ろで自民党議員がこそこそやり、席を立ったりする姿が映し出されていた。みんな目つきが悪い。そして、いきなり採決とされる騒ぎが起きた。委員長を囲んだのは、特別委員会の委員ではない自民党議員だったという。これが良識の府の議員の姿だった。 この法案は誰が見ても米国に追随するもので、憲法学者や最高裁判所判事経験者、元法制局長官が口をそろえて憲…

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