1703 北海道大地震の体験 知人のブログから

 北海道に住む知人夫妻が、ブログに北海道胆振東部地震の体験記を書いている。自然災害が多発する日本列島に住む私たちに貴重な情報だ。以下に核心部分を紹介する。  オール電化生活の高齢者住宅に住む私達は、卓上コンロのガスボンベを求めて近隣のスーパーへ。全道路の信号機が停止しているので、慎重な運転で自動車を走行。交差点では、車を誘導する地元の警察官が立ち、あるいは、ドライバー同士の慎重な判断で、譲り合いながら車を進めます。まずは地元のセイコーマートへ。セコマでは、発電機を使いレジ処理を行っていました。水とガスボンベは売り切れだったので、ペットボトルのお茶を購入。車内の電源で携帯に充電しながら走行し、近隣のスーパーへ。  スーパー到着時には、すでに入店を待つ長い列が。時折、大粒の雨が降る中、待つこと2時間。待っている間、足が痛くて立っているのが苦痛と訴えるおばあちゃん。一方、「長く生きてきたけどこんなことは初めて。今までが幸運だったから、これまでの生活に感謝しなきゃね。我慢して待つしかないよ。がまん、がまん」とつぶやくおばあちゃん。館内は、停電で真っ暗。停電のためレジが使用不可。店員さんが、懐中電灯を持参して、お客様ひとりひとりに付き添い、購入したい品物のある場所へ案内していました。さらに、メモ帳に購入する品物の値段を書き入れながら、選んだ品物を買い物かごへ入れて、レジコーナへ。精算担当の方が、電卓で手計算しレシートを提出。「お釣りが不足しているので、できるだけ小銭でお願いします」と店員さん。別…

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1400 大災害で救助された人間と犬 5万年前からの家族 

今月10日、北関東を流れる鬼怒川の堤防が茨城県常総市で決壊した。濁流に襲われて街が消える状況を映したテレビ画面は2011年の東日本大震災を想起するものだった。屋根に取り残された年配の夫婦と思われる2人がそれぞれ犬を抱えて、自衛隊のヘリによって救助されるシーンもあった。2人にとって、この犬たちは家族と同じ存在だったのだろう。 東日本大震災で避難後家に残した犬を探しに戻って行方不明になった女性の話がいまも頭に残っている。常総の災害で2人とともに2匹の犬が救助されたことに心底、安堵した。 動物学者のコンラート・ローレンツによれば、人間が犬の飼育を始めたのは5万年前からだという(至誠堂『人、イヌにあう』)。それほど古い付き合いであり、犬を家族として生活している人たちは数多い。私も2年前の夏まではその一員だった。飼い犬が死んで2回の夏が過ぎたにもかかわらず飼い犬のことは忘れない。そして大震災の悲劇が蘇るのだ。 宮城県東松島市のTさん(79)。巨大地震のあと自宅近くのコミュニティセンターに避難したT夫妻は、このあとさらに高台のセンターに避難し、難を逃れる。自宅には7歳になる犬(コーギー)がいたが、慌てていたため犬は置いたままだった。2回目の避難所も水かさが増してきて、胸まで水につかる。必死に祈りながらの時間が過ぎていく。水がひき出し落ち着いたTさん周りを見ると、隣のいたはずの奥さんの姿がない。 近くにいた人に聞くと、「奥さんは残した犬が心配なので、家に戻ってみると言って外へ出た」という…

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1385 大災害から復興したオランダの古都  フェルメール・「デルフトの眺望」 

8月になった。部屋の絵カレンダーをめくると、今月は日本でも人気が高いヨハネス・フェルメール(1632~75)の風景画『デルフトの眺望』だった。フェルメールが自分の生まれ故郷、オランダ南ホラント州デルフトの朝の町並みを描いた作品だ。1660〜1661年ごろの作品といわれ、スヒー川の対岸から運河と市壁に囲まれた街並みを描いたものだ。マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』にも登場する美しい絵だ。 デルフトはロッテルダムとハーグ(デン・ハーグ)の中間にあり、現在の人口は10万人に満たない都市だが、古都として観光客を集めているという。フェルメールは、生涯のほとんどをこの街で過ごした。この街では、「デルフトの眺望」が描かれる前の1654年10月12日に火薬庫の爆発事故があり、数百人の死傷者を出し、街の北東部分の建物が吹き飛ばされた記録が残っている。死者の中には17世紀最大の画家といわれるレンブラントの一番弟子も含まれていたという。フェルメールの自宅は大きな被害を受けた教会の近くにあり、妻と11人の子どもも含めて難を逃れた。 こうした歴史的な事実もあって、この作品は街が美しく復活したことに対し、神に感謝を込めて描いたのではないかという説もあるが、真偽は分からない。大爆発に遭遇しながらデルフトはオランダ国内中から義援金が集められ、数年で復興したという。それは、内戦で破壊されたクロアチアのドブロブニクの街並みが、世界からのボランティアの協力で復活したことの先例のようにも思える。東日本…

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1326 照明の陰影 LEDと現代

いま、照明はLEDの全盛時代になった。だが、いまから40年前の1974年当時、日本社会は室内照明に陰影を大事にする「ほの暗い時代」を迎えつつあった。いまでは考えられないことだが、そんな時代があったことを懐かしく思い出している。 手元に、「深代惇郎の天声人語」(朝日新聞社、1976年9月)という本がある。この本の中で、深代は「ほの暗い時代」(1974.3.10)というコラムを書いている。要約すると、イギリスの電力不足による節電を心配した深代からの手紙に対しロンドンの友人から返事があり、「心配は無用、精神科の客が22%減った」と知らせてきた。深代は「ろうそくの下の暗い生活がストレスをなくし、心を落ち着かせるのだとしたら考えさせられる」と書き、「ほの暗さ」について日本の文化に当てはめて考察する。 谷崎潤一郎の『陰影礼讃』がそれを克明に論じたものと紹介したあと、家屋の構造に触れ、日本人が光と影に繊細な感受性を持っていると分析する。そして、陰影に敏感な日本で「白々としたけい光灯が普及したのは理解し難いことだ」と嘆き、その遠因として「『光が明るい世の中ほど世の中は明るい』といった戦後社会の鹿鳴館的心理だったにちがいない」と考える。 このコラムの終わりで、深代は「数年前から、昔の白熱球電球が売れ始めたという。室内照明に、陰影が大切にされてきたとも聞いた。人は『ともしび』を懐かしんでいる。『ほの暗い時代』の到来は、GNP信仰の崩れるタイミングと符合している」と結んでいる。 40年前を振り…

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1325 思い浮かべる漢字は「遠」 旅、選挙、大震災……

庭から出ると遊歩道がある。その植え込みの中から、一本だけ背が高くなった水仙の花が咲いた。自然の生命力が、悪条件を乗り越えて花を咲かせたようだ。正岡子規は「水仙の僅に咲て年くれぬ」(明治30年)という俳句をつくっている。きょうは23日だから、ことしも残り8日しかない。そんな年の暮れに、ことしの私自身を漢字一字に当てはめて振り返ると「遠」を思い浮かべるのだ。 日本漢字検定協会がその年の世相を表す漢字を公募し、今年は「税」と決まったと先日発表された。消費税が5%から8%に上がったことを反映したわけで、あまりいい印象ではない。では私自身が考えた「遠」は、どんな意味があるのだろう。 ことし3月、旅行で南米を初めて訪れた。日本から往復で4万キロ、行き帰りで飛行機を10回乗り継ぐというきついスケジュールだった。文字通り、「遠い旅」を経験した。しかし、「遠い道のり」を経て行き着いた先には「イグアスの滝」、「マチュピチュ」、「ナスカの地上絵」があり、その景観をいまも時々思い出す。マユピチュでは遺構を案内するように、美しい蝶が舞っているのに遭遇した。 衆議院が唐突に解散され、12月14日に総選挙があった。発表になった投票率は52・32%で戦後最低だった。棄権した有権者にとって選挙は「遠い存在」なのだろう。政治不信、無関心がこのような結果に至ったのだろうが、だれかが喜んでいるのではないだろうか。 東日本大震災から3年9カ月が過ぎた。昨今は被災地のことはあまり報道されず、あの大震災は政治家にとって…

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1324 津波で亡くなった息子供養の観音像 友人のブログから

東日本大震災で、息子2人を亡くした仙台市宮城野区の父親が自力で観音像を建てたという話を友人がブログで紹介している。「舟要観音(しゅうようかんのん)」という2人の名前が由来という観音像には、「2人の息子さんや同地区の300人余の犠牲者に対する慰霊というだけでなく、人々の暮らしの記憶が刻まれたふるさと・蒲生の再生への願いが込められている」と友人は記している。東日本大震災から3年9カ月、復興の道のりが険しい中、被災地は厳しい冬を迎えている。 以下、友人のブログ「震災日誌 in 仙台」から観音像の話を紹介する。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「12月17日 仙台市蒲生 ”津波で2人の息子が犠牲に” 慰霊と地域再生の願いこめ 観音像を独力で建立」 仙台市宮城野区蒲生の干潟にほど近くに、このほど高さ4メートルの観音像が建立された。笹谷由夫さんが津波で流された自宅跡に独力で建てた。台座から2,1メートルの高さの観音様が穏やかな表情で海の方向を向いて立つ。名付けて「舟要観音(しゅうようかんのん)」。 3・11の大震災。自宅にいた長男の舟一(しゅういち)さん(当時・20)、次男の要二(ようじ)さん(当時・19)が津波にのまれて亡くなった。二人は近くに住む77歳の叔母の家に向かったと後で知った。一人暮らしで体が不自由だった。助けようとし…

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1318 「がんばっぺ までいな村」 原発事故で全村避難の飯舘村が絵本に

東日本大震災から3年8カ月が過ぎた。東京電力福島第1原発事故で、避難した福島の人々の多くは依然として故郷に帰る見通しがつかないまま、むなしい日々を過ごしている。その中に全村避難となった飯舘村の人たちが含まれている。日本のふるさとのような存在の飯舘の震災の前と後を描いた絵本が出版され、絵を描いたかとーゆーこさんの「原画展」が16日まで東京・秋葉原の画廊で開催された。 飯舘村のことは、このブログ(下記の通り)で何度も書いている。『までい』という方言で知られた農村だ。「手間ひま惜しまず、ていねいに、心をこめて、つつましくという意味で、古くから、この村で大切にされてきた言葉」(絵本より)が示すように、大震災がなければ、村の人たちは、美しい自然のなかでつつまして生きてきたはずだった。 しかし、原発のメルトダウンという大事故によって村に放射能が容赦なく降り注いだ。絵本『がんばっぺ までいな村』(シーズ出版、税込1500円)は、飯舘の事故前の姿から村の人たちが泣きながら故郷を離れていく姿、全国からの励まし、クリスマスや成人式の様子、いつか村へ戻りたいという願い―などを絵と文(英文も)で表現した。 飯舘村長夫人の菅野允子さんが文を書き、絵は絵本作家のかとーゆーこさんが描いた。最初の場面には「飯舘村は、自然のゆたかな 美しい村だった。風も 空気も 村の人たちも ゆっくり ほっこり やさしい村だった。みんなで力をあわせて までいに くらしていた」と書かれ、桃源郷のような飯舘が紹介されている。だが、飯…

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1206 3・11、最前線の初動は インタビュー集「『命の道』を切り開く」

「降る雪が雨へと変わり、氷が解け出すころのこと。昔からこの季節は農耕の準備をはじめる目安」―きょう19日は24節気の「雨水」に当たる。立春が過ぎ、雨水、啓蟄を経て春分へと季節は向かっていく。 2月も残り9日になったが、ことしは未曽有ともいえる大雪を記録した2月として歴史に記されることになるだろう。この大雪は各地に大きな被害をもたらし、現在も後遺症が続いている。この豪雪に対し、政府が「豪雪非常災害対策本部」を設置したのは18日のことだった。「初動対策が遅い」という新聞報道や野党の批判は的外れではない。 大災害といえば、あの東日本大震災からあと20日で丸3年が経過する。しかし被災地の復興は程遠く、原発事故の福島の人たちの避難生活に終止符を打つ見通しは立たない。そんな時、友人が執筆した東日本大震災直後、被災地の土木関係者がどのようにして道路や港湾を復旧させたのかに焦点を絞った「『命の道』を切り開く 3・11最前線の初動 13人の証言」(発行・一般社団法人建設コンサルタンツ協会)という本が届いた。 元共同通信記者で東京都市大学講師の角田光男さんが国土交通省東北地方整備局、ヘリコプターによるさまざまな航空事業をしている東邦航空、被災地にある土木建設会社、岩手県釜石市の防災担当者、釜石市の神社の宮司ら13人にインタビューし、大震災当時の状況や復旧への取り組みを再現したものだ。 「啓開」という耳慣れない言葉がこの本で目に付いた。「けいかい」と読み、自衛隊や消防、警察の救援チームが被災地に…

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1094 手ごわい敵を抱えて 南海トラフ巨大地震、固定観念を捨てて

大げさに考えると、日本はこの巨大地震が起きたら国家が破たんし、沈没状態になってしまう―。日本の太平洋沿岸に延びる南海トラフでマグニチュード(M)9・1の地震が起きると、最悪で220兆3000億円という途方もない被害が出るという想定を国の有識者会議が発表した。このニュースに衝撃を受けたのは、私だけではないだろう。千年に1回以下の頻度らしいとはいえ、2年前の東日本大震災を経験した日本人には、不気味な数字だ。 この巨大地震については昨年夏、死者32万3000人、全壊・焼失建物238万6000棟という想定が発表されており、経済面の損失を今回数字にしたものだそうだ。小松左京のSF小説「日本沈没」が刊行されたのは1973年(昭和48)だから、ことしでちょうど40年になる。映画にもなり、SFとはいえ大災害と縁が切れない日本列島の近未来を象徴する作品として、ベストセラーになった。その後、1995年(平成7)に阪神淡路大震災、2011年(平成23)に東日本大震災と22年―16年間隔で大災害が発生した。 2つの大震災は全く予測できない中で発生、被害は甚大だった。その反動か、東日本大震災以降、地震学者はさまざまな地震の予測を発表している。その中でも南海トラフ巨大地震は最大の被害想定になった。2012年度の日本の当初予算は、一般会計が90兆円、補正予算が13兆円だから、この巨大地震の経済被害は国の予算の倍(つまり2年分)になる。国内総生産(GDP)の42%、東日本大震災の10倍を超える被害想定は「最悪の場…

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1063 絵のモデルになりました2 歳末のhanaのつぶやき

お父さんが家族に一枚の絵を見せて「どう、hanaに似てるだろう」と、自慢していました。それが、この絵です。あれ!どこかで見た写真にそっくりだと思いませんか。そうです。この16日のブログに載せてある私をモデルにした絵だそうです。 きょう、お父さんは銀座3丁目で開かれている「いのちをみつける犬」という写真展を見に行きました。その会場には、筑波大学の芸術専門群3年生で日本画を専攻している本橋夏子さんが「愛犬の似顔絵」描きのボランティアとして詰めていたそうです。絵のうまさに感動したお父さんは、私が写ったブログの写真を見せ、この絵を描いてもらったそうです。 この写真展は、名前の通り、災害の現場に出てがれきの中などに閉じ込められた人たちを探す活動をする「救助犬」を取り上げたものです。救助犬を訓練しているNPO救助犬訓練士協会という団体が、救助犬の存在をもっと世の中に知ってもらおうという目的で開いたのだとお父さんは家族に説明していました。 写真展には昨年の東日本大震災の現場をはじめ、いろいろな災害現場で活躍する私の仲間の姿があったそうです。震災の時には訓練士協会の人たちは直後に宮城県に入り、自衛隊と一緒に生存者の捜索活動をしました。亘理町の荒浜では住宅の2階に取り残されて助けを待っていた80歳代の老夫婦を見つけて救助しましたが、そのあとは生存者を発見することはできなかったようです。 「早く現場に行かなければ、生きている人を探すのは大変なんだ。時間との勝負なんだよ」というのがお…

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986 原発にクラゲは想定外なのか 海外の発電所も被害

国論を2分しながら、野田首相の強引な政治主導で再稼働した関電大飯原発3号機の海水取水口に大量のクラゲが発生し、稼働に影響があるというニュースが流れた。 福島の事故の後遺症が癒えないまま再稼働した大飯原発だが、自然界を甘くみてはならない、自然界には、まさしく人智の及ばない何かがあることを痛感する。それを野田首相は理解しているのだろうか。 原発事故をめぐって「想定外」という言葉が東電、経産省、原子力関係学者らから連発された。想定していなかった津波に襲われたという言い訳だった。今回の大量クラゲの発生も想定外だとしたら、馬鹿げた話である。 日本海では、かなり前からエチゼンクラゲという巨大クラゲが発生し、水産業に影響を与えているとして問題になっているそうだ。日本沿岸だけでなく、昨年7月には地中海に面するイスラエルの火力発電所が大量発生した直径50センチの大型クラゲのためトラブル起きていたというのだ。 この火力発電所は冷却用水として海水を使用している。ところが、海水から流れ込んだクラゲが取り込み口のフィルターに詰まり冷却システムにトラブルが発生してしまったのだ。まるで大飯の前触れみたいな現象だった。これを伝えた外電は、火力発電所の職員は大量のクラゲの除去作業に連日連夜追われ、さらにクラゲの悪臭に参っていると伝えている。 人間の営みに対する自然界の反発と言ったら大げさだろうか。決してそうではないと思う。寺田寅彦や中谷宇吉郎のように物の見方が幅広い科学者は少なくない。しかし、今回…

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984 東電の非常識 受刑者への賠償と浪江町へのでたらめ回答

福島第一原発事故をめぐって、東京電力が福島刑務所の受刑者80人余に1人当たり8万円の賠償金を払っていたというニュースを産経新聞の報道で知った。受刑者といえども、同じ人間である以上、法的には賠償金をもらってもいいのだろう。だが、刑務所内にいる受刑者が精神的苦痛や被爆の恐怖を味わったのだろうか。そうとは思えない。東電という会社の常識のなさを感じる。 福島刑務所には大震災当時1700人の受刑者が収監され、このうち口コミで賠償の話を知った80人超が賠償金を請求したという。例によって、人権派の弁護士は「倍賞を受ける権利は全受刑者にある」と主張するが、そうだろうか。だれが見ても非常識なのであり、その理由はここでは省略する。 東電の常識のなさを報じる小さなニュースが東京新聞に載っていた。昨夜の民放でやっていたので、朝刊に載るかと思っていたら、東京新聞にしか出ていなかった。それもベタ記事扱いだった。 新しい東電の下河辺会長と広瀬社長が、3日午前全町避難をしている福島県浪江町(役場機能を二本松市に移転)の馬場町長を訪問した。馬場町長は原発事故当時の東電からの連絡について、このほど公表された東電の事故報告書の内容に疑義があると、回答を求めていたが、広瀬氏らは手ぶらで訪問したという。 激怒した町長の態度を見た新社長は夕方再訪問、「昨年3月13日に東電社員が原発の状況を説明した」と回答した。これに対し町長は「全くのでたらめ。だれも説明は受けていない。企業倫理は全くない」と、刑事告発するという考…

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982 無力が悔しい 福井晴敏著「小説・震災後」を読んで

「このどうしようもない世界で、これから生きていかなきゃなんないのはおれたちだ。返せよ、未来を」。福井晴敏の「小説・震災後」の中で、高校生の長男が父親に向かってこう叫ぶ場面がある。東日本大震災と東電福島原発の事故発生後の東京のサラリーマン家庭をめぐる小説は、大震災と原発事故という事実を前提に描かれ、3・11以後の日本の姿を振り返る材料になる。 この「未来を返せ」という言葉は、原発事故で避難を強いられた福島の人たちの共通する思いなのではないか。もう子どもを産めない体になってしまったのではないかと不安な気持ちを持ち続ける若い女性、生まれ育った故郷を追われ、友だちと別れ別れになった子どもたち。第二次大戦当時英国の指導者だったチャーチルは、米国の原爆開発成功の報を聞いて、「原爆ってやつは(人類に対する)第2の神罰だ」(仲晃著、黙殺より)と述べている。原子の火を人間が手に入れたことで、第2の神罰が下るかもしれないとチャーチル流の文学的表現(チャーチルはノーベル文学賞を受賞している)で警告したのである。 原子の火という、踏み込んではならない領域を侵したことにより、多くの子どもたちの未来が奪われたのは周知の事実だが、先ごろ終わった電力会社の株主総会を含めて、電力会社からの言葉からは次代を生きることになる子どもたちを思いやるものは全くない。 私たち戦後生まれの世代は、未来を求めて生きてきた。敗戦によってゼロからのスタートをした日本は、卓越した技術力と前を向き続ける楽天さがあった。その結果、世界…

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981 風化してはならない大震災 どじょうの習性は神経質で隠れること 首相との共通項は

東日本大震災からまだ1年3カ月余しか経ていない。大震災は津波被害だけでなく、それによって原発事故が福島の人たちに牙をむいた。原発は人類にとって神の火なのか悪魔の火なのかよく分からなかった。 しかし東京電力という独占企業が運用していた福島原発の事故は、神の火と思われた原発が大きなほころびをすると悪魔の火になることを実証した。それにもかかわらず、7月1日からは停止していた関電大飯原発3号機が再稼働する。津波の最大の被災地、宮城・石巻では津波の猛威を示した「巨大缶詰」の解体作業が6月の最終日のきょう30日から始まった。歴史的な大震災が「風化」へと向かっているのだろうか。 石巻の沿岸部は、津波に襲われ、甚大な被害が出た。水産加工会社、木の屋石巻水産の魚油タンクとして使われていた高さ10・8メートル、容量1千トンの鯨の大和煮のデザインをした巨大缶詰は、300メートルも流され、県道の中央分離帯に横倒しになった。全体に赤色で目立つこの巨大缶詰は、大震災の凄まじさを象徴するものとして、保存を求める声も少なくなかったと聞く。一方で、これを見ると津波を思い出すと、撤去してほしいという要望もあったそうだ。 木の屋石巻水産は、流された缶詰を集め、泥を落として再販売したことで知られ、会社を挙げて復興に向けて取り組んでいる。その経緯は岸田浩和さんが「缶闘記」という動画にまとめている。 私も石巻に行った際、道路の中央分離帯に横たわる巨大缶詰や泥にまみれた缶詰を洗う人たちの現場を見て、巨大津波のエネルギー…

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975 日本沈没への不安 ある若者の憂い

「このままでは日本は沈没してしまうのではないか」。希望して入った組織で意欲的に働く若い女性から、最近こんな言葉を聞いた。政治も経済も行き詰まっていて、閉塞社会がどんどん進行しているのではないかと危惧しているのだ。特に昨今の政治状況はひどすぎると言う。 「社会保障と税の一体改革」とぶち上げた民主党・野田政権は、党内のまとまりの悪さを引きずり、自民党と公明党にすり寄って、社会保障の改革は置き去りにして、消費税の増税にだけ軸足を移した感がある。 提出した関連の法案は相次ぐ自公の修正要求に屈して骨抜き状態だ。野田首相が選挙の時の演説で「消費税5%分の税金に天下り法人がぶら下がっている。シロアリがたかっている。シロアリ退治しないで消費税を上げるんですか」と、消費税の増税に反対していたのは、ご承知の通りだ。そのくだりは知り合いの冬尋坊さんのブログに詳しい。 昨今の政界や国会の動きを見ていると「朝令暮改」や「談合」という言葉が浮かんでくる。池井戸潤の「鉄の骨」(講談社文庫)という小説の中で、談合を繰り返す大手ゼネコン関係者が「談合は必要悪だ」と語る記述があった。自公との妥協は、野田政権にとって必要悪の事柄なのだろう。それに自民党は悪乗りしている印象だ。 責任の取り方が不明確で安全対策も確立しない中で、野田首相は関西電力大飯原発の再稼働へと動き、今度は運転40年を超えた原発は廃炉にするという政府の方針(原子力規制関連法案)を自民党の要求で修正することで合意したという。2つの動きを見てい…

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947 表皮をそがれた柿、切り倒された桃の木 原発事故で果樹の名産地が危機

原発事故で福島県の田村市や川内村の一部に設定された警戒区域が解除になり、一部の住民が一時帰宅したというニュースが流れた。しかし、住民が元通りの生活に戻ることができるという保証は全くない。この地区よりも北部の伊達市はホットスポットといわれる地区があり、知人から最近の様子を知らせてきた。果樹の街である伊達も、原発事故によって手ひどい打撃を受けていることを思い知った。 以下は知人の報告だ。 ≪伊達市の梁川町は干し柿(アンポ柿と呼ばれる)の産地である。しかし、その柿から国の基準を超える放射性物質が検出され、昨年は生産も出荷もできなかった。柿の木の表皮には放射性物質が付着しているため、市内の柿畑では表皮のはがれた柿の木が目立ち、樹木は白くて白樺と見間違うほどだ。それはこれまで見たことがない異様な光景だ。特に、山舟生地区に向かう道沿いは、そうした光景が広がっている。 この地区は五十沢地区、富野地区と同じように、昔からアンポ柿の生産で知られている。地区の人の話では、昨年は柿の残留放射線が高く、干し柿はすべて出荷制限がかかったという。表皮にも放射性物質が付着しているため、表皮を剥ぐことになったが、表皮を剥いだ高圧洗浄機の水は、畑に落ちているため、根から放射性物質を吸い上げないとも限らず、ことしも実がなってみないと、出荷できるかどうか分からない―という。 伊達市は、全体が桃の産地で、皇室に献上する桃を生産している農家もある。春には辺り一面が桃の花に覆われ、「ピーチロード」と呼ばれる道路も…

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943 ある贈る言葉 原発事故福島の小学校の卒業式

以前、ラオスに同行した宍戸仙助さんは、現在原発事故で多くの県民が避難生活を送っている福島県の小学校で校長をしている。宍戸さんが校長をしている伊達市立富野小学校は、きょう卒業式を迎えた。在籍児童は33人、このうち8人が6年間の学び舎を去った。卒業式で宍戸さんは、次のような言葉を贈った。この中で宍戸さんが訴えた5つの理想が実現する社会づくり(あるいは復活)を、卒業生をはじめとする子どもたちに目指してほしいと思う。 ご来賓の皆様方、そして、保護者の皆様と25人の在校生の皆さんに見守られ、136年の歴史と伝統を誇る本校の卒業生として巣立つ、8人(式辞ではもちろん実名)のみなさん卒業、おめでとうございます。 今、1人ひとりに卒業証書をお渡ししました。皆さんは、小学校6カ年の全課程を修了し、数々の思い出と中学校への大きな期待に胸を膨らませ、今、富野小学校を巣立とうとしています。 その多くの思い出の中でも、昨年3月の東日本大震災、そして原発事故は、記憶にも新しく、また、忘れることのできないことの一つでしょう。2万人もの人の命が失われた今回の大地震、津波、そして原発事故。幸い富野小学校では、全員無事でしたが、被災地では、お父さんが、お母さんが、全員が津波に襲われた家族もあったのです。多くのかけがえのない命が失われ、さらには、かけがえのない故郷が奪われました。自然の力は、人間の力の及ばない、はるかに大きなものなのです。 昨年から、私たちが生きているために本当に必要なものは何か、本当に…

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942 春を告げるメロディー 心弾む季節は遠く…

ことしは「早春賦」という歌=春は名のみの 風の寒さや 谷のうぐいす 歌は思えど 時にあらずと 声もたてず 時にあらずと 声もたてず=のように、春が来るのが遅い。 うぐいすは「春告鳥」とも言うが、うぐいすが鳴かないと春が来た感じがしない。ようやく今朝、うぐいすの鳴き声を聞いた。初音である。春が近づいていることを実感する。 例年なら2月下旬には聞いているので、かなりの遅刻である。うぐいすさんはどこでさぼっていたのでしょうか…。犬の散歩をしていて、いつもの調整池の脇の雑木林から一鳴き、二鳴き遠慮がちな春を告げるメロディーが耳に入った。今朝は暖かい。例年、3月のいまごろは、こんなふうだと気がついた。 室生犀星が「鶯のうた」という面白い詩を書いている。 ≪春はいいね けれど春は おなかがへるね 金平糖のやうな 虫がゐないかね。 春はいいね 枝からすべっても いたくないね。 朝から泣いてゐると 声がだんだんよくなる。 ひと声なくと 隣近所の庭が明るくなる。(動物詩集より)≫ 散歩コースのうぐいすは、どんなことを思いながら鳴いているのだろう。うぐいすの鳴き声につられるように、街路樹の白モクレンの花芽もかなり膨らんできている。間違いなく、春が刻一刻近付いてきていることを示している。 先日、原発事故で不安が続く福島県を歩いた。まだ冬が居座り、冷たい風に体が震えた。話を聞いた一人は南相馬に住み、家族は北海道に避難して逆単身赴任状態だと言っていた。この家族が一緒に生活できる日が…

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941 もう1度ゆきたい場所 大震災から1年

詩人の長田弘さんは「もう一度ゆきたい場所」という文章(詩文集=詩的エッセー・人生の特別な一瞬)を書いている。その文章の冒頭で「かなわないと知っている。けれども、もう一度ゆきたい場所は、もう二度とゆくことのできない場所だ」と記し、続いてその場所は自分が学んだ学校であると、学校に対するさまざまな思いを書いている。「学校ほど故郷のイメージを叶える場所は、たぶんない」という長田さんの思いに共感を覚える。東日本大震災から一年。被災地の多くの学校も、特別な場所になった。 学校は津波から逃れた住民たちの避難場所になった。着の身着のままの被災者たちは、学校の体育館などで肩を寄せ合い、忘れることができないつらい時間を送った。そこでは、子どもたちが健気に食事や掃除やその他、さまざまな仕事を手伝った。宮城県女川町の女川第1小学校では、被災者の一人の橋本雅生君という自閉症の中学2年生がピアノをひいて、被災者の心を癒したことがニュースになった。 そのほかこんな話もあった。岩手県山田町の避難所では10人の小学生がお年寄りたちのために肩もみ隊をつくり、仙台の避難所ではプールの水を汲んでトイレの掃除をし 支援物資にプラカードを張り、配付を手伝った。茨城県では暴走族の少年たちが暴走をやめて避難所の荷物運びを買って出た。宮城県気仙沼では子どもたちが避難所で「ファイト新聞」を発行した。 もちろんこれだけはない。多くの学校の避難所で子どもたちが活躍し、疲れ切った大人たちを慰めたに違いない。一方、原発事故で故郷を離れ…

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940 津波、そして仮設に住宅に暮らして ある高齢者の1年 

3月に入って、被災地を歩いた。宮城県東松島市で仮設住宅に暮らす一人の高齢者から話を聞いた。それは、絶望と希望という言葉に象徴される話だった。大津波に自宅が襲われ、長年連れ添った妻を亡くした宮城県東松島市の武田政夫さん(76)だ。武田さんのこの1年を紹介する。明日で、あの日から1年になる。 ≪あの日のこと≫ 3月11日のことはよく覚えています。地震が起きた時、私は東松島市野蒜の自宅でテレビを見て いました。家内(千代子さん=72)は私の隣で病院に持っていく雑巾を縫っていました。家内は大病した時に命を助けてもらったお礼にと、老人介護で使う雑 巾を差し入れていました。午後2時46分に大きな揺れがあり、これは津波が来ると思った私は、家内と一緒に家から250メートルのコミュニティセンターに 避難しました。 当時、離れて住んでいる二男の家の犬(7歳の雄のコーギー)を預かっており、家内は犬もと言いましたが、いまは犬どころではないと2人で逃 げたのです。前の副市長さんの家にも声を掛けましたが、大丈夫なので避難しないと言ってついて来ませんでした。このお宅は3人全員が亡くなってしまいまし た。 センターの下には鳴瀬川が流れており、津波があったらここから水が入ってくると思い、入り口の戸を閉めてくださいと叫びました。しばらくして、案の定津波 が来ました。みるみるうちに水が増え、一緒にいた2人のおばあさんがその渦に巻かれて流されました。2人は助かりましたが、水は次第に増え床から1メート ルまで水…

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933 厳寒・凍結の北上川 芭蕉が歩いた一関街道

石巻市から登米市に車で行った。一関街道(国道45号~342号=宮城県石巻市から登米市を経て岩手県一関市に至るルート)を北へ向かう。道の左側には、北上川がある。本当は「流れている」と書くべきところなのだが、川は凍結し、スケートリンクのような状態になっている。 ニュースでは最低気温が氷点下10度以下を記録したというから、川が凍ってもおかしくはない。それにしてもこんな風景を見たのは何年ぶりか。大寒波を実感する。 この街道は、かつて芭蕉が平泉を目指して歩いた。芭蕉は仙台から奥州街道を外れ、塩釜、松島、石巻へと足を進め、この街道に入り、一関を目指した。1689年(元禄2年)5月のことである。322年後、この周辺地域は巨大地震と津波のため、様相が大きく変わってしまった。 北上川は岩手県から宮城県を流れる長さ249キロの東北最大、国内4番目に長い川だ。洪水防止のため登米市で2つに分かれ、一つは石巻市の追波湾に流れる新北上川で、旧北上川は昔からの流れである石巻湾へと注いでいるのだ。3月11日、津波は追波湾から新北上川(本流)を50キロ先まで遡ったことが東北大の調査で判明しており、大震災の津波がいかにすさまじかったか想像できる。 私が凍結した川面を見たのは本流の方で、石巻市桃生町の山間部である。登米市に入ると、氷は次第に解け、青い水が見えるようになった。芭蕉はこの川の色を見ながら歩いたのだろう。写真を撮るため短時間だけ外に出たが、風が冷たく手がかじかんだ。 一方、記録的な寒波に見舞…

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926 言葉の海に生きる 震災を語る2冊の本

東日本大震災を書いた2人の芥川賞作家の本を読んだ。順に書くと玄侑宗久の「福島に生きる」と辺見庸の「瓦礫の中から言葉を」だ。 玄侑は文字通り福島に生まれ、いまも福島の三春で生活をしている。後者の辺見は同じ被災地でも、津波の被害が最大だった宮城県の石巻で生まれ育ち、いまは故郷を離れている。玄侑と辺見では辺見の方が12歳年上だ。しかし、若い僧侶の玄侑の本からは静かな怒りを感じ、年長の辺見の本からは激しい怒りが伝わる。 玄侑は、前の菅内閣に請われて東日本大震災復興構想会議委員に就任し、復興策を提言した。「これまでになかった問題を無数に抱えた福島は、今や明らかに日本のフロンティアである。ここから、放射線医療も研究も、あるいは新しいエネルギーや食糧問題などについても、多くの技術革新が生まれてくるに違いない」と、この本の中で玄侑は言う。 そうありたいと思うが、野田内閣の実態を見ていると、玄侑の思いはたやすくは達成しないのではないか。それは「18歳以下の子どもの医療費を無料に」という福島県知事の野田首相への要望がほぼ実現しないことでも実証された。 辺見は新聞記者時代から言葉を大事にした。故郷が、ゆかりの人たちが津波にさらわれて、姿形がなくなった。さすがの辺見も失語症のような状態が長く続いたことをこの本で知った。 このブログのリンク集にある「風を待ちながら」の筆者である「空さん」は、以前の私のブログ「東日本大震災と文学・詩 比喩が成り立たない」に次のようなコメントを寄せてくれた。 …

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924 1%のひらめきと99%の努力 卓球・福原の初優勝に驚く

いまあるかどうかは分からないが、かつて会社の保養所や温泉旅館には娯楽施設として卓球台があった。下手なもの同士がのんびりと小さなボールを返し合う。「ピンポン」という言葉を聞くと、そうした光景を連想する。そのピンポンを日本語では卓球という。テーブルを使って、テニスと同じようなゲームをするので「テーブルテニス」―「卓球」と名付けたのだそうだ。卓球の全日本選手権をテレビで見た。福原愛選手(23)が優勝したが、初優勝と聞いて驚いた。 福原は幼いころから卓球の天才少女といわれ、特にテレビメディアに追いかけられ続けた。中国にも渡り、実力も次第についた。これまでのテレビの騒ぎっぷりからみて10代でとうに日本チャンピオンになっていたと錯覚していた。だが、ベスト4が過去最高で、決勝進出、優勝とも今回が初めてだという。決勝の相手だった石川佳純(18)の方は、昨年高校生ながら全日本で優勝しているので、福原は石川にもう勝てないのではないかと言われていたようだ。 たまたま準決勝の実力者、平野早矢香の試合から見たのだが、福原の積極戦法は平野を圧倒し(4―0)、石川も叩きのめした(4―1)。解説者は「福原のバックハンドがいい」といっていたが、たしかに気持ちがいいくらいにいいボールが返り、相手はついていけない。 「かつての天才、いまはただの人」という言葉がある。子どものころ、天才と思われるほどの才能がありながら大人になると伸び悩み、普通の人と何ら変わりがないという人は世間には少なくない。一方で「大器晩成」とい…

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923 震災の不条理訴える2枚の写真 高倉健さんが持ち歩く宝物とは

80歳になった高倉健さんが6年ぶりに出演する映画が8月に公開されるという。撮影中、高倉さんは台本に東日本大震災直後に撮影された1枚の少年の写真を貼り付けて持ち歩いていると新聞に出ていた。 その写真を見ると「ギュッと気合が入る」のだそうだ。東日本大震災の被災地で撮影された写真には心に迫るものが少なくない。高倉さんの心をとらえた少年の写真と、ママへと題したもう1枚の少女の写真からは、不条理な災害に遭遇した被災地で生きる子供たちの健気さが伝わってくる。 高倉さんが持ち歩いている写真は、共同通信のカメラマンが3月14日に宮城県気仙沼市で撮影。「がれきの中で水を運ぶ少年」と題して配信された。ジャンパーを着て、長靴姿の少年が両手に大きなペットボトルを持ち、がれきの中を歩いている。歯を食いしばるように、口元を引き締めている。 高倉さんはこの写真を北海道新聞で見て、「うわっ」と感じ「宝物」として切り抜き、この写真を見るのが日課になっている。高倉さんと少年の写真の話は最近共同通信から「残骸の中を歩く少年の姿胸に 被災地思い新作に主演」という見出しで配信され、私も読んだ。 もう1枚の少女の写真は「ままへ」と題して、読売新聞の3月31日朝刊の1面に掲載された。読売のカメラマンは、震災から1週間後、岩手県宮古市の漁村で両親と妹を失った4歳の愛海ちゃんという少女に出会った。その後、愛海ちゃんに時々会いに行くと、ある日、「ママに手紙を書く」と話し、大学ノートに色鉛筆で手紙を書き始めた。それが「まま…

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922 あの日あの時私は何をしていたか 阪神淡路大震災から17年

きょうで阪神淡路大震災(1995年1月17日)から17年になった。長い歳月が流れたにもかかわらず、あの日のことはよく覚えている。人は自分の生涯で「忘れることができない」幾日かを持っている。喜びと悲しみの個人史であり、昨年の3月11日は現代に生きる日本人、とりわけ東日本に住む人にとって長く心に刻まれる悲しみの一日になったのではないか。 17年前当時、埼玉県浦和市(さいたま市)に単身赴任をしていた。1月17日昼に船橋市内で予定されていた同僚の葬式に参列するため、前夜から自宅に戻っていて自宅のテレビで大地震が兵庫県を中心に発生したことを知った。この日は同僚の葬儀に参列してから、浦和に戻り、夜には定年退職した先輩の送別会が開かれた虎ノ門の国立教育会館に向かった。 2人とも南極観測隊に同行した経歴があり、地震や台風などの自然災害を専門に担当していた。同僚は40代半ばでがんに侵され、闘病と職場復帰を何度か繰り返し、つい数日前に息を引き取った。一方、神戸に数年前に住んでいた先輩は60歳の定年を迎え、こんなあいさつをした。 「きょうは神戸で大変な地震が起きた。このような日に送別会を開いてもらって恐縮に思う。昼にはM君の葬式があったが、私も彼も地震を含めて自然災害問題を中心に取材してきた。神戸の大地震は因縁めいたものを感じるのだ。私は神戸にも住んだことがあり、現地の様子が心配でならない。後輩の皆さんの健闘を後方から見守りたい」 いま、日本人の平均寿命は男性が79・64歳、女性が86・39歳だ…

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912 太陽の戯れに出会った友人 元荒川の幻日現象

「幻日」(げんじつ)という現象があることは知っていた。しかし、それを自分の目で見たことはない。埼玉に住む友人がこの現象を見て、カメラに収めた。友人自身も興奮したという幻日。東日本大震災という歴史的大災害とともに、2011年の象徴的出来事として彼の心に深く刻まれたに違いない。 元日の朝、犬と散歩をしていて太陽の上に東から南に伸びる茜色の細い雲を見た。それをカメラで撮影し「奇跡のような初日の出 輝く飛行機雲に幸あれと祈る」というブログをアップした。ブログには「太平洋から羽田に向かう旅客機によって発生したと思われる」と書いた。しかし、いま考えるとあの雲がはたして飛行機雲だったのだろうかと思う。 私が撮影した場所よりも40キロくらい離れたところでも、同じような雲を目撃した人がいたのである。飛行機雲がそんなに広範囲に見えるのかどうか分からない。あるいは、今年の大災害を告げる警告の意味を持つ自然現象だったのかもしれない。 友人が見たのは太陽柱と3つの幻日で、ことし10月19日午後5時すぎ、埼玉県越谷市相模町の元荒川(利根川水系)に架かる不動橋で撮影したのだという。友人が歩いていると、スルスルッと光が伸びてあっという間に天に届いた。中に幻の太陽が3つ見え、本当の太陽は建築中のビルの左脇あたりの雲の中にあった。太陽柱は4、5分で消えたが、友人はいつも持ち歩いている全自動カメラのシャッターを何度も押し、珍しい現象を記録することができたのだそうだ。 幻日を辞書で調べると「太陽の両側にあらわ…

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911 命はいつか尽きるのだが… 高田の一本松・わが家の五葉松に思う

先日、岩手県陸前高田市の高田松原の「奇跡の一本松」が海水などの浸食で根が損傷してしまったため、保存を断念するというニュースが流れた。東日本大震災の復興のシンボルといわれただけに残念でならない。動植物を問わず命はいずれ尽きるものだから、仕方がないことなのかもしれない。それでも、やはり悔しいと思う。 知人から、25年前の高田松原の写真を送ってもらった。ここには7万本の松があったという。写真からはそんな美しい松原を想像することができる。だが、この松原が巨大な津波に襲われ、根こそぎ海の藻屑になり、残ったのはたった1本だけだった。保存のためにあらゆる手立てが取られたにもかかわらず、塩水によって根が腐り、枯死状態に至った。自然の過酷さを物語るつらいニュースだ。 私が生まれ育った家の庭にも、思い出に残る松があった。種類は「五葉松」で、樹齢数百年という老木だった。樹高は12、3メートルくらい。品があり、わが家の庭ではいちばん目立つ木だった。幹は長い年月の風雪に耐えていたが、いつの間にか、大きな空洞ができていた。 ある年から、その穴にふくろうが住みついた。卵を産み、ヒナがそこからふ化したらしい。数年後のある日の朝、私と兄は五葉松にはしごをかけた。ふくろうがどこかに飛んで行っていないことを見越し、交互にはしごに乗ってふくろうの穴に手を突っ込んだ。中には卵があった。その卵は3つくらいあり、私たちは卵を取り、朝食に卵かけご飯にして食べてしまった。その後、ふくろうがいつまでこの松に卵を産んだかは覚えて…

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909 大震災で示された子どもたちの潜在力  マイナスイメージの払拭を

現代の子どもたちは無気力で、夢がない…。こんな見方が根強い。最近、福岡のNPOが発行した「ふくおか子ども白書」を見た。その中のアンケート(1600人の小中高生が対象)は、そんなイメージを裏付ける結果だった。 「疲れやすい」「学校に行き気がしない」「将来への夢や希望がない」というマイナスイメージの質問にそうだと答えた子どもの確率が高かったのだ。 私の子ども時代に比べ、いまの子どもは忙しすぎることは間違いない。便利な時代なのに、どうしたのだろうと思う。いわば「自己肯定感」がない子どもが増えているのだという。 だが、子どもには潜在的な力があると、早大文学学術院の増山均教授(教育学)は言う。増山さんは最近の講演で、こんなことを話した。 《3・11の東日本大震災は子どもの可能性を示した。被災地ではライフラインが断絶し、学校もなくなった。そんな中避難所で真っ先に立ちあがったのは子どもたちだった。岩手県山田町の避難所では10人の小学生がお年寄りたちのために肩もみ隊をつくった。仙台の避難所ではプールの水を汲んでトイレの掃除をし、支援物資にプラカードを張り、配付を手伝った。宮城県女川町の避難所では自閉症の子どもがピアノを弾いて被災者を慰めた。 茨城県では暴走族の少年たちが暴走をやめて避難所の荷物運びを買って出た。宮城県気仙沼では、子どもたちが避難所で「ファイト新聞」を発行し続けた。日本の子どもたちが集団行動を求めなくなったといわれて久しいが、こうした事例をみると、子どもたちが集団の組織…

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908 2011年の暮れに思う 震災の「東日本よ」

今年も1年を回顧する時期になった。3月11日の東日本大震災を置いて、語るべき言葉はない。以下は「東日本よ」をキーワードに書いた震災被災地・被災者への私の思いである。 ひ 「悲劇」が日本列島を襲った。マグニチュード9.0という巨大地震。それに続く大津波が太平洋岸の街々をなめ尽くし、原発事故が追い打ちをかけた。悲痛な声が各所で飛び交った。あの日、首都東京は「光の春」の 陽光が差し込み、穏やかな午後を迎えていた。午後2時46分という巨大地震が発生した「あの時」のことをだれもが忘れることはできまい。 ビルの中の6階に いた。これまでの人生でこれほど激しく長い揺れを経験したことはなかった。恐怖であった。自宅に帰ることができない「帰宅難民」の一人になった。被災地で は多くの人たちが津波に流されて亡くなり、行方不明になった。その数は1万9386人(12月2日現在)に達する。ことしの干支は「ウサギ」だった。方位 は東の方向を指し「草木が地面を覆う」が由来といわれるが、皮肉にも東日本が大災害に見舞われ、草木を含めて居住空間は根こそぎ奪われてしまった。被災地 は酷寒の冬を迎えた。仮設住宅や避難所で暮らす人々の健康を祈らずにいられない。 が 「がれき」が被災地を覆い尽くしていた。その 中を自衛隊、消防、警察の人たちが懸命に救助活動を続けた。数多くのボランティアが被災地に入りがれきを取り除き、被災者の心の支えになった。がれきは 「かわらと小石。破壊された建造物の破片」と「値打ちのないもの、つまらないもの…

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907 東日本大震災と文学・詩 比喩が成り立たない 

「震災以後、なかなか詩が書けない」と、新聞記者で詩人の秋山公哉さんが詩誌「薇」5号で書いている。「薇」は昨年亡くなった飯島正治さんが主宰していた同人誌で、飯島さん亡き後も発行されている。今回は、東日本大震災に触れた秋山さんらの詩も載っている。その後に続くエッセーで、秋山さんは震災に直面した一人の詩人の心境を「なかなか詩が書けない」という表現で記したのだ。 私自身、震災後しばらく文章を書く気持ちが起きない日々が続いた。テレビや新聞で被災地の実情は理解できても、自分の目で現地の姿を見ない限りは、納得ができないと思っていた。1カ月後、被災地に入り、すさまじい被害の実態を五感で受け止めた。 「薇」5の中には中尾敏康さんの「入日」という亡き愛犬を思う詩があった。 ポチよ お前の夢を見なくなって久しい 憐れな遠吠えを 猫の額ほどもない庭に埋めて 泡立つおまえの記憶も はるか稜線にかすもうとしていた お前の塚においた ガラスのコップがひっくり返るまでは ポチよ おまえの知らない 春の地鳴りは 後生大事にしまっておいた ため息を門外に吐き出し 断碑に刻んだ泥の群れは 雑木林に巣くうたましいと 生者の体温を引きちぎり 折れた橋の下に投げこんだ そして地平は揺りもどされて ざらつく肌を 海へいそがせた ポチよ おまえは地の揺れを怖がった ひとたび揺れると どこにいてもおまえは俺をさがした 尻尾を巻き身を顫わせ 涎をたらし呻いてしがみついた ポチよ おまえは知らなくてよかった なお戦…

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