1746「魅力に満ちた伝統建築と風景のものがたり」続・坂の街首里にて(6)

 沖縄在住20年になる友人が、沖縄の建築物と風景を紹介するコラムを書き続けている。過日、その友人に会い懇談した。沖縄の魅力に惹かれて夫とともに本島中部の本部町に移住した友人はすっかり沖縄の人になっていた。  友人は馬渕和香さんといい、翻訳家の夫とともに23年前、埼玉県浦和市(現在のさいたま市)から奄美大島に移り住んだ。3年後、奄美大島から本部町のちゅら海水族館近くにある古民家に移り、20年になる。和香さんは沖縄の伝統建築に興味を持ち、既に朝日新聞デジタルに「沖縄建築パラダイス」という30回の連載コラムを書いている。  現在は「タイムス住宅新聞(沖縄タイムスの副読紙)ウェブマガジン」に「オキナワワンダーランド」というコラムを2016年4月から月1回のペースで連載、この1月で33回を数えた。コラムの説明には「沖縄の豊かな創造性の土壌から生まれた魔法のような魅力に満ちた建築と風景のものがたりを、馬渕和香さんが紹介します。」とあり、連載されたコラムの取材地は沖縄本島各地に及んでいる。「世界一小さくてやさしい美術館」(糸満市・6回目)や「石の家に息づく70年前の美術村」(那覇市・17回目)、「生まれ変わった戦前の泡盛屋」(名護市・32回目)等、沖縄に住んでいる人でも気が付かない魅力的な建物や風景、空間を分かりやすい記事と美しい写真で紹介している。  もちろん、自宅周辺の本部も登場する。13回目には陶芸家和田伸政さんの工房を紹介した「陶芸の楽しさ 沖縄でふたたび」を、24回目にはベネズエラ生…

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1739 一筋の道を歩んだ運慶 史実とフィクションを考える

 奈良東大寺は盧舎那仏(奈良の大仏)だけでなく、南大門の金剛力士立像(向かって左が阿形=あぎょう、右が吽形=うんぎょう)もよく知られている。この二王像は運慶・快慶(運慶の兄弟子)らによる鎌倉彫刻の傑作といわれる。梓澤要(本名・永田道子)の『荒仏師運慶』(新潮文庫)には、この二王像制作過程だけでなく、仏師として一筋の道を歩んだ運慶の生涯が活写されている。現代でも弛みなく一筋の道を進んでいる人は少なくないだろう。私の周囲にもそんな知人が存在する。  運慶は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて興福寺を中心に活動した仏師・康慶の子として生まれ、父の跡を継いで「慶派」一門を率いる大仏師になった。鎌倉幕府との関係も良好で、仏師としての力量は全国に知られるようになる。平氏の焼き討ちで壊滅的打撃を受けた東大寺の再建に心血を注いだ重源上人の依頼で二王像も制作する。 『仏教新発見 東大寺』(朝日新聞出版)にある二王像の写真を改めて見た。躍動感、存在感は圧倒的で「慶派」の力を示した作品といえる。従来はその作風から口を開いた阿形が快慶、口を結んだ吽形が運慶作とされてきた。しかし、1991年の解体修理の際、像内から墨書銘が発見され、阿形像は運慶と快慶が、吽形像は定覚(運慶の弟)と湛慶(運慶の長男)が中心になり、仏師を率いて作ったことが判明した。両像の制作を「慶派」が担当していることから、運慶は全体の総指揮(統括)も当たったと考えられている。  だが、梓澤は小説の中で阿形は快慶と定覚が、吽形は運慶と湛慶が…

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1668 被災地に流れる交響曲 自然との共生願って

 仙台の友人がアマチュアオーケストラで、ベートーベン(ベートヴェンとも表記)の交響曲6番「田園」を演奏したという。この曲は多くの人が知っていて、かつては同名の名曲喫茶店もあった。そのポピュラー性が嫌われるのだろうか、クラシック専門家の評価はそう高くない。だが、友人のブログを読んで久しぶりにCD(カラヤン指揮ベルリンフィル)を聴いてみると、懐かしさが蘇った。  山形に住む別の友人から「今は『さなぶり』です」というメールが届いた。田植えが終わった後のお祝いあるいは休日のことを言うのだが、水を張った田んぼに植えられた稲が風にそよぐ中、畦に立つ友人の姿を思い浮かべた。この友人は今、学芸員の取得を目指して学んでいる。素敵な定年後の目標だ。畔に立つ友人はイヤホンを耳に指しているかもしれない。聴いているのはベートベンのこの曲だろうか……。ベートべンは6番の初演の時、第1バイオリンのパート譜に「田舎での生活の思い出。絵画というよりも感情の表出」と書いたという。第5章から成るこの曲を聴いて、私は故郷の山や川、友人たちを思い出す。  仙台の友人のオーケストラは「仙台シンフォニエッタ」といい、友人は最近までコンサートマスターを務めていた。現在はその席を若い人に譲り、オーケストラの代表を務めながらバイオリンを弾いている。6月3日の定期演奏会は40回目の記念演奏家だった。以下、友人のブログから、この曲に関する部分を一部要約して引用する。 「休憩をはさんでベートヴェンの交響曲第6番『田園』。夏に向かうこの時…

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1665「人よ嗤え 我は我 」 ゴンゴラの詩に共感

 最近の世相を見ていると、スペインの詩人、ルイス・デ・ゴンゴラ(1561~1627)の詩を思い浮かべる。それは「人よ嗤え(わらえ) 我は我」で始まる短い詩だ。束の間、この詩を読み、浮世を忘れる。それほどに、いやなニュースが新聞紙面に載っている日々なのだ。  ゴンゴラはスペイン南部アンダルシア地方コルドバの名家に生まれ、聖職に就いた。だが、教会の仕事よりも詩作と世俗の生活を楽しんだ。初期の詩は音楽性と機知に富んだ分かりやすい作品が多かった。一方、後期になると難解な詩が多いことから評価されない時期が長く続き「光の詩人から闇(やみ)の詩人に転じた」と評された。20世紀になって再評価されたのだが、「人よ嗤え 我は我」の詩は前期の作品だ。   人よ嗤え    我は我  地上はいずこの国々も  政治の話に沸くがいい  わが毎日は軟かな    パンに焼き菓子  冬の朝ならリキュールと  蜜柑の砂糖煮  これある限り事もなし   人よ嗤え我は我                       (『筑摩世界文学大系・荒井正道訳』より)  この詩は古代メソポタミア時代の「ギルガメシュ叙事詩」からノーベル文学賞を受賞したアメリカの歌手、ボブ・ディランまで4000千年の詩の歴史を描いた高橋郁男著『詩のオデュッセイア』(コールサック社)の中にも紹介され、高橋さんは「日々のささやかな営みを慈しむ視線と洒脱な一面とがうかがえる」と評している。「これある限り事もなし」はイギリスの詩人ロバ…

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1456 カラヴァッジョの心の闇 逃亡犯の絵画芸術

殺人犯として追われるほど破天荒な生活をする一方、バロック絵画の創始者として名を残したのは、イタリアのミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571-1610)である。国立西洋美術館で開催中の「カラヴァッジョ展」(カラヴァッジョ作品10点と同時代の他の画家の作品の計51点を展示)をのぞいてみると、混雑度はそうひどくなかった。カラヴァッジョの作品には、彼が殺人事件を起こした直後に描いた《エマオの晩餐》(1606)も含まれ、闇の中に浮かび上がる5人の人物像が印象に残った。 ミラノで生まれたカラヴァッジョは、絵を学んだあとローマに出て、次第に名前が知られる存在となり、平明なリアリズムと劇的な明暗法によって人物を浮かび出させる画法でバロック絵画を開花させた画家と位置づけられている。ルーベンスやレンブラント、フェルメールら多くの画家に影響を与えたことはよく知られており、その様式を模倣、継承した画家たちはカラヴァジェスキ(カラヴァッジョ派)と呼ばれている。 画家として偉大な存在だったカラヴァッジョは、殺人者としての暗い側面を持っていた。ローマの夜の街を仲間とともに遊び歩き、暴行や武器の不法所持などを繰り返し、あげくの果てにチンピラの一人を剣で刺殺し、指名手配になる。郊外の山中に身をひそめた彼が、逃走資金を稼ぐために描いたのが《エマオの晩餐》だといわれる。 この絵は、復活したイエスがエマオに向かう2人の弟子の前に現れたというエピソードを基にしている。弟子は当初イエスが復活したことに気付か…

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1208 いまも色あせない芸術作品 モネとマーク・トゥインに触れる

 この1週間に2人の個性的な芸術家の世界を垣間見る時間を持った。フランスの画家・クロード・モネ(1840年11月14日―1926年12月5日)の作品を中心にした「「モネ、風景をみる眼」展(国立西洋美術館)を見、「トム・ソーヤの冒険」で知られる米国の作家・マーク・トゥイン(1835年11月30日―1910年4月21日)のノンフィクション作品「ヨーロッパ放浪記」(彩流社、上下巻)を読んだからだ。2人の作品に共通するのは、1世紀以上の年月が過ぎても色あせない新鮮さであり、自然や人間を見る眼の確かさではないだろうか。  印象派として知られ、「光の画家」といわれたモネは、日本でも人気が高く「睡蓮」や「積みわら」、「ルーアン大聖堂」、「国会議事堂」といった連作もある。今回の「風景をみる眼」展は、西洋美術館とポーラ美術館が所蔵しているモネと同時代の他の作家の作品約100点を展示し、モネの自然をみる眼の深化を探ろうという企画だ。晩年のモネは、睡蓮の大壁画(モネが死んだ翌年の1927年にフランス政府に寄贈され、パリ・オランジュリー美術館に展示された)の制作に没頭し、死の直前までこの作品に手を入れ続けたというから、生涯現役を貫いた画家だった。  一方、マーク・トゥインは、新聞に長期連載した「ヨーロッパ放浪記」が出版され、一躍脚光を浴び、現在では「19世紀の米国の文豪」といわれている。いまから138年前の1878年3月、マーク・トゥインはある小さなグループに交じってヨーロッパ旅行に出かける。ほとんどが自分の…

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1200 真贋入り混じった現代社会 別人が作曲した希望のシンフォニー

芸術作品の真贋問題でよく知られているのは古陶器の永仁の壺事件(1960年)だ。鎌倉時代の古瀬戸の傑作として国の重要文化財に指定された永仁二年の銘があった瓶子(へいし・壺の一種)が、実は陶芸家加藤唐九郎の現代作であることが発覚し、大騒動になった。この騒動があっても、制作に没頭した加藤の陶芸家としての名声は下がることはなく、逆に高まったといわれる。 希望のシンフォニーといわれる交響曲1番≪HIROSHIMA≫の作曲家として有名になった佐村河内守の曲は、別人が作曲したことが明らかになった。曲自体はオリジナルの作品としても、別人が作曲したのだから佐村河内作品としては「偽物」だった。加藤と違って、佐村河内に対する風当たりは強くなるのではないか。 音楽に疎い私は、NHKの特集番組を見てCDまで買った。不明を恥じるしかない。佐村河内のイメージは、まさに現代のベートーベンのようだった。全壟、黒ずくめの服装、サングラス、そして長髪。NHKの番組をはじめとするメディアの報道はそのイメージアップに大きな役割を果たした。現代人はイメージを利用した宣伝に弱い。その結果、いつしか彼は現代のベートーベンとしてもてはやされてしまった。その胡散臭さをだれも長い間見抜けなかったのだから、なかなかの演技派だったといっていい。 今回のように、音楽業界ではゴーストライターの噂は多いという。著名人がゴーストライターを使っていることはよく知られている。ウィキペディアで「ゴーストライター」の項を見て驚いたのは、数多くのゴ…

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1078 老いることはこうも悲しい 「山田洋次監督の「東京家族」

老いるということは、こうも悲しいのだろうか。この映画を見て、そう思った。人は喜んで老いているわけではない。だが、だれもがいつしか老いていき、社会からも家族からも余計な存在として扱われてしまう。 一人暮らしを選択した主人公(橋爪功)のラストシーンを見て「遠い親戚より近くの他人」という言葉を思い出した。その訳は、映画を見ていただければ分かるだろう。 最後の画面に「この映画を小津安二郎監督に捧げます」とあったように、この映画は名匠といわれた小津監督の「東京物語」をモチーフにしたものだ。あらすじは少しだけ変えてある。東京物語では原節子演じる薄幸の女性が、この作品では蒼井優という次男(妻夫木聡)の心優しい恋人役になっている。 元は一つの家族であっても、子どもは成長し新しい家族を作り巣立っていく。そして、家族が大事となる。日本は核家族化社会といわれて久しい。この映画は、高齢化社会の現代で老人がどのように生きていけばいいのかを考えさせられる作品といっていい。 東京で暮らす人たちは一生懸命に生きている。しかし、年老いた両親がやってきたときくらいは、忙しさを忘れて優しく接してほしいと思う。山田監督からの、こんなメッセージが伝わってくる。 映画でそれを実践したのは、3人きょうだいの中で一番出来が悪いといわれていた次男であり、その恋人だった。橋爪は瀬戸内の島で妻(吉行和子)の葬式の後も残っていてくれた次男の恋人に感謝の気持ちを込めて、妻が愛用していた時計を贈るのだった。 ラストシ…

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1074 子どもは風の子 山頭火「雪をよろこぶ児らにふる雪うつくしき」

子どものころ、「子どもは風の子、大人は火の子」ということわざを聞いたことがある。いまでは、あまり通用しないかもしれない。 その意味は、「子供が冬の寒風もいとわずに、元気に戸外で遊ぶことをいうたとえ」だそうだ。大人は子どものころを忘れて、暖かい家の中の炬燵に潜り込んでいる様子が浮かびあがる。 きのう、首都圏は大雪に見舞われた。小さな庭で、家族が雪だるまをつくった。初めのうち、外へ出るのを渋っていた1歳11ヵ月の小さな家族の一人は、無理やり庭に連れ出されて雪遊びを始めると夢中になった。1時間近く、みんなで雪だるまを2つつくって、家に入ろうとするが、「もう1回」と主張して、庭から離れない。 雪遊びの味を知ったら、この小さな女の子でさえ、寒さを忘れるのだ。私も子どもの頃、雪が降るのが待ち遠しかった。冬、空がどんよりと曇ると、雪よ早く降れと願った。近所の坂道で、手製の竹スキーを駆使して滑りまくることができるからだ。雪のあとは、鼻水が出て体が冷えてもスキー遊びはやめなかった。それでも、風邪は引かなかった。 しかし、現代の子どもはそうは行かない。もう1回を繰り返した1歳11カ月は一夜明けて、39度の熱を出してしまった。いつもは元気いっぱいで、通称「あらしちゃん」というのだが、以前に引いた風邪が完全に回復していなかったために、それがぶり返したようだ。 そんなわけで彼女は、居間から残念そうな顔をして庭の雪だるまとそこにやってきた野鳥を飽きずに眺めている。庭の外の通学路も雪に覆われて…

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1071 文芸全般に挑み続けた太く短い生涯 ドナルド・キーンの「正岡子規」 年末年始の本(3)

日本文学と日本研究で知られる米国人のドナルド・キーン(90)が東日本大震災後、日本国籍を取得して、日本に永住したことに感銘を受けた人は多かったのではないか。その近著である「正岡子規」(新潮社、角地幸男訳)は、結核と闘いながら俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆と文芸全般に挑み続けた子規の34年の短い生涯を、豊富な資料を駆使して分析、評価した評伝だ。 正岡子規は司馬遼太郎のベストセラー小説「坂の上の雲」にも日露戦争で名を残した秋山真之、兄の秋山好古とともに登場する。NHKでこの小説がドラマ化されたこともあり、子規は家庭でも知られた存在になった。ドラマの子規は印象が強かったが、この評伝を読んであらためて彼の精神力の強さに畏敬の念を持った。 評伝は文芸誌「新潮」に2011年1月号から12月号まで連載したものだ。この間、東日本大震災が日本を震撼させた。病床で句を詠み、評論を書くことをやめない子規の生涯を書くことによって、キーンは被災者・日本人に対し、支援の思いを送り続けたのではないか。様々なエピソードや交友関係が描かれ、松山藩の「士族の子」として生まれ、泣き味噌といわれた子どもの頃から、辞世の句を詠って世を去るまで子規の太くて短い生涯が解き明かされていく。 ふだん、本を読んで付箋はつけないが、この本だけは気になった文章がある頁に付箋をつけたものだ。親友、夏目漱石が子規宛の手紙の中で示した文章論は、時代を経ても的を射ている。「総じて文章の妙は、胸中の思想を飾り気なく平明率直に語るところにあ…

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1068 遠い初富士を見る 「小寒」の散歩道

「初富士のかなしきまでに遠きかな」 山口青邨 暮れに子宮摘出の手術をした我が家の犬は術後の経過が優れない。長い散歩には付き合わせることができないので、このところ一人で散歩をしている。きょう5日は「小寒」。寒いのは当然だ。高台の道を歩いていると、遠くに雪を抱いた富士山が見える。通りがかったデイケアセンターの車が止まって、乗っている高齢者に日本一の山を見せていた。悲しきまでに遠い富士の姿に、高齢者は何を思ったのだろうか。 評論家の山本健吉は、この句について「遠く小さく、雪の日に映えた清らかな山容を見出したのである。『かなしきまでに』に深い感情が籠っている」と、絶妙な解説をしている。 日本の代表的俳人である正岡子規(1867・10・14-1902・9・19)は、画家の中村不折との交遊について触れた「畫」(明治33年)という随筆で「俳句に富士山を入れると俗な句になり易い。松の句もあるが、松の句には俗なのが多く、返って冬木立の句に雅なのが多い」という俳句論を述べている。 しかし、子規自身「寒けれど富士見る旅は羨まし」(親友の夏目漱石が東京から松山に帰るときに送ったはなむけの句)など、富士山を題材にした句を数多く残している。 明治23(1890)年には、五百木瓢亭とともに富士山に関する俳句や和歌などを古書から書き写した『富士のよせがき』を出しており、富士山への畏敬は強かったのではないか。 山口青邨(1892・5・10-1988・12・15)は、名随筆家として知られる寺田…

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1030 放浪の旅の本を読む 「悼む人Ⅱ」と「山頭火句集」

最近、読んだ2冊の本について書く。天童荒太の直木賞受賞作「悼む人」の続編「静人日記 悼む人Ⅱ」(文春文庫)と、漂泊の俳人といわれた種田山頭火の「山頭火句集」(ちくま文庫)である。 前者は事故や事件で命を亡くした人を悼むために放浪する若い青年の日記であり、後者は放浪の旅を長く続け、尾崎放哉とともに自由律俳句(季語や五・七・五という俳句の約束事を無視し、自身のリズム感を重んじる)の代表的俳人といわれた山頭火の自由な雰囲気を持つ句と随筆が入っている。 「悼む人」については、小説としてリアリティを感じないという批判もある。その続編の「静人日記」に目を通す。悼む人を読んでいない人には彼の行動(仕事をやめ、見ず知らずの人たちが死んだ場所に行き、その人を悼んだ上、死者のことを胸に刻む)は、理解しにくいだろうと思う。 天童は、こうした批判にこたえるかのように、一人暮らしの女性が静人を諭す話を最後の方の日記に挿入している。 「もうやめなさい。このような旅は、もうつづけることはおよしなさい。あなたの行為はあまりにも重く、人としての分を超えている気がします。このままでは、心もからだももちませんよ。あなただけでなく、あなたに関わる周囲の人々をも、つらくしかねないでしょう」と。だが静人の旅は終わらない。 この本には、天童が東日本大震災の2カ月半後に被災地・岩手県陸前高田市と大船渡市を訪問した感想を記した「可視と不可視のはざまで―悼む人、被災地にて―」という文章が載っている。作家らしい冷静な…

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1025 トルコの小さな物語(8) 音楽家には鬼門のフランクフルト 税関に芸術は通じない時代なのか

 海外を旅したことは、そう多くはない。テロ、ハイジャック、密輸防止のためとは分かっているが、空港での検査はやはり不愉快だ。スリランカのコロンボ空港(正式名称・バンダラナイケ国際空港)では、税関職員を装った(あるいは税関職員かもしれない)男に財布の中から5万円を抜き取られてしまった。ドイツのフランクフルト国際空港の手荷物検査では、ショルダーバッグの中身をばらまかれた。そのフランクフルトはいま、音楽家には鬼門の空港になりつつある。  ことし8月中旬、ベルギー在住の日本人バイオリニスト・堀米ゆず子さん(54)がフランクフルト国際空港に手荷物扱いで持ち込んだ時価1億円といわれるバイオリンの名器ガルネリが税関当局に押収された。脱税調査のため証拠として押収したという税関当局のコメントがあったが、国際的な抗議活動もあり、9月20日になって税関当局は返還を決めた。  フランクフルトのしたたかさ、頑固さはまだ続いている。ドイツ在住で日系(父親がドイツ人、母親は日本人)の若手バイオリニスト・有希・マヌエラ・ヤンケさん(26)が日本財団から貸与され、演奏活動に使っている名器・ストラディバリウスを税関に押収された。9月28日に日本での演奏活動を終えてドイツに帰国した際、バイオリンを税関で押収され、関税として1億2000万円を請求されたが、今月になって無償で返還されたそうだ。  このニュースは続報がある。ドイツ財務省が税関当局にバイオリンの返還を指示したのに対し、税関当局が反発、職員が検察当局に脱税行為を…

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1012 ああフェルメールよ 残暑の中の絵画展にて 

日本人のフェルメール(ヨハネス・フェルメール、オランダ、1632-1675)好きは相当なものだと思う。「真珠の耳飾りの少女」と「真珠の耳飾りの女」(こちらもパンフには少女とあったが)という2つの作品が展示された上野の森にある東京都美術館と国立西洋美術館は、人であふれていた。 以前、フェルメールの作品を見たこともあって、もう一度と思い東京都美術館に行ってみた。残暑の中、チケットを持った人たちが長い列を作っていて、最後尾には入場まで50分待ちという表示板を持った係員がいた。リニューアルオープン記念として、オランダの王立絵画館として知られるマウリッツハイス展を6月から開催し、9月17日が最終日だ。 この中にフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」(青いターバンの少女)があり、人気を集めているのだ。チケットを買うだけでも大変らしいと聞いて、長い列に加わることは断念し、JR上野駅近くにある国立西洋美術館に向かった。 ここではベルリン国立美術館展として、フェルメールやレンブラントの作品107点を展示していた。もらったパンフにはこちらの絵も「真珠の耳飾りの少女」と書いてあるが、インターネットなどで調べてみると、「少女」というより「女」の方が一般的に使われているようだ。多くの人の後について、地下の展示室を回ると、ひときわ人だかりが目立つ絵があった。 それがフェルメールの「真珠の耳飾りの女」で、サイズは51・2センチ×45・1センチと目立たない大きさだ。「左側から光が差し込む室内に立つ女性」…

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1011 共通する叫び・ムンクと飛鳥さんの絵 東日本大震災から1年半に思う

きょうで東日本大震災から1年半が過ぎた。先日、大きな被害を受けた宮城県石巻市の沿岸部に行ってきた。がれきが撤去された中心部から沿岸部に入ると、津波で壊されたままの数多くの廃屋がそのまま残っていた。人が戻ることがないこの地区が将来どのような姿になるのか、よく分からない。責任を放棄したような昨今の政治の姿をみていると、被災地の復興は、生易しいものではないと考え込んでしまう。 「市長は力がないし、市役所の職員は昼間からパチンコをやっているのだから、この街の復興は進まないよ」。「石巻の復興は進んでいるか」という質問に対し、タクシーの運転手さんは、こう答えてくれた。沿岸部の工場は操業を再開したところもあるが、廃屋が延々と続く風景を見ると、復興の道のりが遠いと思わざるを得なかった。ましてや原発事故の福島の復興はもっと険しい。原発難民は明日への希望が持てない避難生活が続くだろう。 あきれたことに政界は駆け引きを繰り返して、消費税増税法案のみを成立させただけで残る重要法案をほとんど審議せずに、国会は閉会。責任放棄、無責任政治がまかり通る時代になってしまった。そして民主党、自民党とも党首選び(民主の代表選、自民党の総裁選)に明け暮れている。こんな政治の姿に虚しさを感じるのは、私だけではないだろう。 明日12日、岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」が伐採されるという。この後、一本松は9分割されて名古屋市の工場に送られ、幹はくり抜いて防腐処理し、カーボン製の心棒を入れる作業のあと、来年2月中ごろコン…

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987 寺田寅彦と正岡子規 高知県立文学館の「川と文学」展にて

高知市にある高知県立文学館をのぞいた。「川と文学」という企画展が開かれていた。高知出身の作家や高知にゆかりのある作家、高知を舞台にした文学作品に関しての資料が展示されていた。それにしても高知県にゆかりのある文学者の多いことに驚いた。 井伏鱒二、大原富枝、寺田寅彦、吉井勇、安岡章太郎、笹山久三、宮尾登美子、山本一力、坂東眞砂子、有川浩・・・。多士済々なのだ。文学館で入場券を買うと、抽選がありますといわれ、くじを引くと、一枚の絵ハガキが当たった。それは寺田寅彦の「つるばら」という壺に入ったばらの絵だった。 川と文学の展示室には宮尾登美子の直筆の原稿が展示されていた。その原稿は力強く、勢いのある文字でつづられていた。その文字からは、宮尾のまっすぐな精神を感じた。ちなみに高知生まれの宮尾は、「宮尾版 平家物語」を書くために、5年間北海道の伊達市で生活をした。その縁で伊達には「宮尾登美子文学記念館」がある。 川と文学という企画展である。高知には四万十川、仁淀川という名流があり、文学者たちは、この川を題材にして多くの作品を書いたのだ。もちろん、宮尾登美子にも「仁淀川」があり、笹山久三は郵便局で働きながら「四万十川」という6部にわたる名作を書いた。 この企画展の隣に「寺田寅彦記念室」があり、絵はがきの絵もあった。物理学者と随筆家として知られている寅彦は、好奇心旺盛な人物だったらしく、音楽にも興味を示した。バイオリンやチェロも演奏したという。それが記念室に展示されていた。当然のように、絵も…

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974 不来方のお城にて 旅の友とともに「ドーン」「天地明察」「苦役列車」

「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心」 盛岡に行ってきた。梅雨の晴れ間、盛岡城跡公園から市内を見ると、後方に雪を抱いた岩手山がそびえている。 公園をぶらつくと、有名な石川啄木の歌碑の汚れを落としているボランティアの姿があった。少年時代の啄木は学校をさぼり、この一角で文学書や哲学書に読みふけったという。そんな往時の啄木の姿が金田一京助の書による歌碑からは伝わる。 20代のころ仙台に住んでいた。仙台を拠点に東北地方各地を歩いた。当然盛岡にも足を延ばし、わんこそばにも挑戦した。以来、盛岡には10回近く立ち寄っている。雪の城跡公園も経験している。東北新幹線の「はやて」に乗ると、東京から盛岡まで(約500キロ)は2時間25分前後しかかからない。そんな旅に持っていったのは、読みかけの「ドーン」(平野啓一郎)、「天地明察」(上下、沖方丁)、「苦役列車」(西村賢太)の文庫本だった。私にとって文庫本は旅の友なのである。 「ドーン」は、読みかけというよりも、残り数ページであり、瞬く間に読み終えた。近未来。米国の大統領選挙をめぐって、米国による人類初の有人火星探査船で起きた女性宇宙飛行士の妊娠と人工中絶問題が一代スキャンダルとして各方面にさまざまな波紋を投げかけていく。その中心になるのが日本人宇宙飛行士だ。武田将明は「何と貪欲な小説だろう。未来の宇宙旅行あり、男女の不義と不和あり、アメリカ大統領選をめぐる情報戦があり、テロとの戦いがあり、ホーソーン『緋文字』ばりの告白をめぐる葛藤があ…

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973 人生讃歌・画家の夢 シャガールの愛をめぐる追想展

「愛の画家」といわれるマルク・シャガール展が日本橋・高島屋で開かれている。日本未公開作品を中心にした「愛をめぐる追想」という名前がついた企画展だ。 一方、長崎県美術館でもほぼ同期間に「愛の物語」というシャガール展が開催中で、97歳まで生きたシャガールがおびただしい作品を残したことがうかがわれる。高島屋の方には、93歳の時の「画家の夢」という作品が展示されている。「人生讃歌」ともいうべき、人の心を和ませる絵だ。 私がシャガールを意識したのは、1978年に公開された東映の「冬の華」という映画である。高倉健が主演したこの映画は、降旗康男がメガホンを取り、脚本は「北の国から」の倉本聰が担当した。暴力団の抗争をテーマにしたもので、北大路欣也や池上季実子が出演している。映画の詳しいストーリーは忘れたが、暴力団の組長がシャガールの絵を見せて自慢している場面があり、こんな階層の会話にシャガールをさりげなく取り入れた倉本のセンスに驚いたことを覚えている。 シャガールは、帝政ロシア時代のヴィテブスク(現在のベラルーシ、ヴィーツェプスク)で1887年7月7日に生まれた東欧系ユダヤ人で、ロシアよりもベルリン、パリでの生活が長く、第二次大戦中はアメリカに亡命した。フランスに戻ってからは、南フランスのバンスやサン・ポール・ド・バンスに住み、1985年3月28日に97歳で亡くなっている。高島屋に展示されたのはスイスの個人所蔵家のもので、さまざまな愛をテーマにした作品だという。 色彩が独特で、人間のほ…

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953 絵のモデルになりました hanaの4月のつぶやき 9歳のゴールデンレトリーバーです

「一芸に秀でる者は多芸に通ずということわざがある。ある分野を極めた人は他の分野でも優れた才能を発揮することができるという意味だよ」。 旅行先から、大きな荷物を持って帰ってきたお父さんが、その荷物をほどきながら、こんなことを言っていました。ひもとビニールを外すと、写真のような絵が出てきました。私を描いたものだそうです。絵を見ながらお父さんは、こんなことわざを話してくれたのです。 その絵は、6年前このブログに載った私の写真を見たお父さんの友だちが描いてくれたものです。ついに私も絵のモデルになったのですよ。絵を見て変な気持がして、ついワンとほえてしまいました。 あの年、4歳の私はようやく暑い夏が終わってのんびりと2階から外を見ていました。それを家族が後ろから撮影してくれたのです。その写真が「hanaのつぶやき」という題名で「小径を行く」というこのブログに掲載されたのです。 6年前、私は元気いっぱいでした。あれからいろいろなことがありました。家族の中に女の子が増えたのは去年1月で、その後3月には恐ろしいことが起きました。1年が過ぎて女の子はもう歩き出しています。遊びに来ると平気で私に触り、おもちゃみたいに扱います。最初のころは嫌でしたが、いまはもう慣れてしまって遊びに来てくれるのが楽しみになりました。 絵を描いてくれた、お父さんの友だちは中国に住んでいたことがあるそうです。中国では書道を習っていて、日本の文部科学省のような仕事をしている中国科学院が主催した書道展でも入選し…

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868 「凛」として生きる日本へ 平松礼二の「祈り」を見る

3・11は、多くの日本人に打撃を与えた。被災地の人々だけでなく、被災地から離れて生きる私たちもその例外ではない。日本画家の平松礼二は、大震災被災者への思いを「2011311-日本の祈り」という作品に込めたのだという。荒れ狂う海に囲まれ、花で埋め尽くされた富士山を描いた大作の前で「本当に日本に明るい未来はあるのだろうか」と考えた。 名古屋に行く機会があり、電車の待ち時間の間に市内を歩いていると、白川公園の名古屋市美術館前にさしかかり「平松礼二展」という看板が目に入った。月刊文藝春秋の表紙絵を担当した画家だ。日本画に凝っている友人を思い出しながらチケットを買って、展示会場に入った。 平松の作品を見て、人間の生涯は多彩であることを痛感した。平松は師と仰いだ横山操の影響で日本画家、川端龍子(躍動する水の世界を描き続けた)が始めた青龍社に属し、日本画の革新を志した。その後、苦闘の末ライフワークの「路」シリーズに至り、さらに近年は印象派のモネに傾倒しつつ、「華麗な」自分の世界を確立しつつあるという。 「路」シリーズに「路―『この道』を唄いながら」という1989年の作品があった。桜が満開の季節、月が浮かんだ夜の山里の景色なのだろうか。「この道」は、北原白秋作詞、山田耕筰作曲で1927年(昭和2)に発表された童謡だ。この歌に寄せる平松の心象風景が美しくて、涙が出そうになる。 最後に展示されていたのが「2011311-日本の祈り」(縦1・8メートル、横4・2メートル)である。この展覧会の…

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860 高貴な氷河の青い色 北欧じゃがいも紀行・5

地球の温暖化によって、北極の氷が溶け出しているというニュースが時々流れる。それによって将来、地球上の生態系に大きな影響を与えるのではないかという議論が続いている。ノルウェーの氷河を見ながらこの氷も次第に溶けているのではないかと思い、麓の川に手を入れてみた。当然のようにかなり冷たい。 ソグネフィヨルドの麓にあるホテルから、2つの氷河を訪ねた。ボイヤ、スープレッヘの両氷河だ。双方とも岩山に氷河が残っている。麓には水量が豊かな川が流れている。見た目には、氷河が温暖化で溶け出しているのかどうかは分からない。真夏の観光シーズンを外れているせいか観光客の姿は少ない。 これらの氷河は悠久の歴史を送ってきた。ここにやってくるいろいろな国々の人たちの反応を見てきたのだろうか。白い色に青味がかったその姿は、高貴である。 日本でも、高山地帯で雪渓は珍しくはない。谷川岳は雪渓のすぐ近くまで行くことができる。その下を流れる川の水の冷たさを手が覚えている。氷河と雪渓の違いは、氷河が氷の圧力で移動する氷の塊であるのに対し、雪渓は雪が固まり夏でも解けないもののことである。 昨年11月、、立山カルデラ砂防博物館(富山県立山町)の学芸員が北アルプス立山連峰・雄山(3003メートル)の雪渓で見つかった氷の塊「氷体」が8月下旬からの約1カ月間に最大で30センチ移動したことなどを根拠に、日本初の氷河である可能性が高いとシンポジウムで発表したことが話題になった。本当に日本にも氷河が存在するのだろうか。 以前、ア…

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856 原発事故を想起するムンクの「叫び」 北欧じゃがいも紀行・1

ノルウェーの首都、オスロの中心部にある国立美術館でエドヴァルド・ムンクの油絵「叫び」を見た。世の中の不幸を一身に背負ったような、独特なタッチの人物と赤く染まったフィヨルドの夕景が不気味であり、つい福島原発事故で避難を余儀なくされた人たちの姿を連想してしまった。 この絵はいまから118年前の1893年に描かれた。子どものころに母親を亡くし、さらに少年時代には姉もこの世を去ったという悲しい過去を持つムンクは、「愛」と「死」がもたらす「不安」をテーマに「生命のフリーズ」という作品群を残した。その中で「叫び」は最も知られた作品だ。以前、上野の国立西洋美術館でムンク展を見たことがあるが、あまりにも人が多くて、一つ一つの絵をじっくり味わうことはできなかった。(この展覧会には叫びは出展されなかった) その時と比べると、オスロの方はそんなに混雑していないので、足を止めてゆっくりと絵を眺めることができる。ムンクが生きた時代のノルウェーは、スウェーデンの支配下から独立へと歩んだ。そのころ日本は明治時代であり、日露戦争でロシアを破っている。 ムンクの日記によれば、叫びは彼自身の体験を作品化したものだ。(以下、この絵に関する日記の抜粋) 《夕暮れ時、私は2人の友人と共に歩いていた。すると、突然空が血のような赤に染まり、私は立ちすくみ、疲れ果ててフェンスに寄りかかった。それは血と炎の舌が青黒いフィヨルドと街に覆い被さるようだった。友は歩き続けたが、私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。そ…

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847 2月の印象 国立新美術館の日美展を見る

東京・乃木坂の国立新美術館で開催されている「第12回日美絵画展」をのぞいた。友人の田口武男さんの作品がが日本画部門の秀作に選ばれ、展示されたからだ。 公益財団法人国際文化カレッジの主催で入選した2000点を展示するという大きな美術展だった。田口さんの作品は「2月の印象」と題し、水仙と鳩を前面に、背景に京都の山を描き自然の力強さを感じさせる。 2月という季節は、田口さんにも私にも縁がある。実は2人が生まれた月であり、1年の違い(私が1年遅い)はあるが、誕生日が同じなのだ。だから、田口さんはこの季節に、創作意欲がふだんにも増してわいたのだと想像する。 彼は以前、書の世界に魅入られ、そして、いまは絵にのめりこんでいる。別の友人は「田口さんは天才だ」と評したが、人間には隠された才能があるのだと思う。彼は3年後に、日展入選を目指すと言っている。有言実行である。 会場を見ていると、大賞、準大賞に次いで最優秀賞のコーナーがあり、その中の「絵手紙部門」が目にとまった。要するに、絵はがき部門である。最優秀に選ばれたのは東京都の松浦マリ子さんの4枚で「今、力を合わせる時」という題がついていた。 松浦さんの絵手紙作品は、1枚目が「被災者の皆様へ」というもので「深い悲しみと不安を胸に秘め乍ら、時には笑顔とありがとうの言葉での対応にむねがいっぱいになります。ずっと応援を続けてゆきます」という文章と、水仙の花を描いている。2枚目は「ボランティアの皆様へ」とあり、「被災者の方々の疲れを自分のものと…

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844 心に響く「歌」と「絵」 やすらぎをもたらす2つの美

ことしは本当にため息を吐いた。それは私だけではないはずだ。多くの日本人が行く末を不安に思い、東日本大震災で避難生活を余儀なくされている人たちのニュースに接し、体に悪いため息を吐いている。それは、まだ当分続くだろう。 そうした悩める魂を救うのは、何だろうか。そんなことを考えていて、たまたまささやかながら心温まる時間を送った。そこには「歌」と「絵画」というやすらぎをもたらす美があった。 「歌」の方は、このブログで以前に紹介した福島県矢祭町立東舘小学校の「校歌」だった。東舘小は、戦後十数年、校歌が歌われない時代があった。その後、校歌が作られて昭和49年の創立百周年まで歌われ続けた。ところが、この記念式典で昔の卒業生は自分たちが習った校歌だとして別の歌を歌った。 校歌が2つあったことになる。古い方の楽譜が見つかり、作詞・作曲者は山本正夫という音楽家だったことが判明する。こうして2つあった校歌は、古い方が歌われることになる。その校歌はラオスに渡り、山岳部の小学校の校歌になったこともこのブログで報告している。 その後、現在の宍戸仙助校長はPTA会長らの協力で山本の人となりを調べ、山本の孫の晴美さんが東京で幼稚園長をしていることを突き止め、今月14日には、晴美さんを呼んで「校歌制定記念音楽会」を小学校の体育館で開いた。 演奏したのは郡山市を中心に活動しているアンサンブル・コライネのメンバーよる木管四重奏(フルート・渡辺聡美さん、オーボエ・菅野泰寛さん、クラリネット・武田洋之さん、フ…

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831 友人の受賞に笑顔を戻したい 日美展の「2月の印象」

正直なところ、東日本大震災以来、心の底から笑ったことはない。体に悪いと知りつつ、被災地のこと、原発事故のことを思うと軽々に笑うことはできないと思ってしまうのだ。「笑いの自粛」みたいな感覚なのか。 退陣を迫られ「ペテン師」と言われても、土俵際の粘りを続ける菅首相。最近の会合や被災地の視察で笑顔を見せ、会合ではVサインさえして見せたことに政治家とは宇宙人みたいなものだという思いを抱き、それでも「何をやっているのか」と、常識を疑った。 大震災から3カ月と1週間以上が過ぎた。だが、私の心は晴れず、うつうつとして一日を送ることが多い。そんなときに、関西に住む友人からうれしいメールがあり、飛び上がった。「福島の実家(私の生家は原発から約80キロの地点にある)は震災と原発余波で大変ですね」と題したメールだった。 それによると、友人は、公募の第12回日美展に出品し、それが「秀作」として入選した。8月5日に表彰式があり、4日から13日まで六本木の国立新美術館で友人の作品を含めた入選作品が展示されるという。 友人は、以前は書をたしなみ、私に掛け軸を贈ってくれた。在外の日本人会の書道展で最優勝に輝いたこともある。それが、いつしか書から絵の世界に興味が移り、最近は日本画を描いていると聞いた。絵の題材を求めて、京都にもしばしば通っているらしい。 秀作になった作品は「水仙と鳩」を描き、「2月の印象」と題したそうだ。見ていないので、あくまで想像だが、京都の風景をモチーフにこの作品を描いたのだろうか…

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404 若い画家とオペラ歌手家田紀子さん 優雅な時間

詩人の飯島正治さんには、画家になった誠さんという自慢(私の想像だが)の息子がいる。その誠さんが京橋の画廊で「記憶と光彩」という個展を開いた。 2月の終わりの夕方、画廊に向かった。ほっそりとした青年が1人、画廊に立っている。どことなく父親の正治さんと雰囲気が似ているなと思い、声をかけると誠さんだった。 外は冷雨が降っている。午前中はぼたん雪が舞っていた。寒さをこらえて画廊の中に一歩足を踏み入れると、そこは春のそよ風に頬をなでられるような空間が広がり、気持ちが落ち着いた。 琵琶湖や日本海、小さな小屋など、日本の風景を丁寧に描いた作品が展示されている。サムホール判の小さな作品から50号までのどれもが誠さんの心象風景を描き出している。強烈さはない。淡い色彩からこの画家の心の優しさが伝わる。 会場で誠さんにあれこれ質問しながら、作品を鑑賞していると雰囲気のある1人の女性が入ってきた。彼女と誠さんは懐かしそうに話をしている。旧知の人らしい。鑑賞を終えてあいさつをする。ソプラノ歌手の家田紀子さんだった。藤原歌劇団のプリマドンナだ。 家田さんの話が面白かった。私が鮫島由美子さんは急に太りましたねと、不躾な質問をすると、家田さんは「オペラ歌手は歌ったあとで、達成感に満たされると同時におなかがすごくすいてしまうの」と話し出した。 その結果、食事がおいしくて、もりもり食べてしまうというのだ。なるほど、そうかと感心した。さらに、知人が最近オペラ教室に入って発表会をやりましたというと…

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275 人は何のために生きるのか 根源に迫る汐留のアウトサイダーアート展

東京・汐留の松下電工ミュージアムで24日から「アール・ブリュット/交差する魂」と題したささやかな展覧会が開かれている。アウトサイダーアートといわれ、正規の美術教育を受けていない人たちの作品展だ。同じ会場で開かれたアウトサイダーアートのフォーラムに参加し「人は何のために生きるのか」と考え続けた。 以前のブログ(3月12日)で、滋賀県近江八幡市の「ボーダレスアートNO-MA」の作品展を「衝撃の美術展」として紹介した。スイス・ローザンヌの世界的なアウトサイダーアートコレクションである「アール・ブリュット」と連携した作品展だった。あれから、2ヵ月半。早春から夏へと季節は移ろっている。旭川で始まり、滋賀県に引き継がれたこの美術展が東京にやってきたのだ。 その衝撃を再び経験したあと、アール・ブリュットのリュシエンヌ・ペリー館長の講演に耳を傾け、さらに絵本作家のはたよしこさんと文化功労者の画家、野見山暁治さん(88)とのトークを聴いた。 隣では、通訳の勉強をしているという友人がペリー館長のフランス語を懸命にメモしている。私も通訳者のメモを取っているが、実は冒頭の疑問が頭を占めていた。ペリー館長によると、アウトサイダーアートの作家は障害者を含めて社会から排除された人々で、正規の美術教育を受けず、自分の作品を他者に認めてもらおうとはしない。ただ、心の赴くままに作品を制作するのだという。ペリー館長の説に従うと、彼らは無私の精神で作品に取り組んでいるのだろうか。 野見山さんはこうした人た…

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263 東山魁夷の世界との出会い

東京から水戸に向かい、水戸でJR水郡線に乗り換え、奥久慈地方(茨城県北部-福島県南部)を旅した。 ソメイヨシノは終わっている。だが沿線には八重桜やカスミ桜が咲き、新緑の山は遠くが霞み、東山魁夷の絵を見ているような錯覚さえ覚える。 奥久慈地方は、茨城県の常陸太田から大宮、大子を経て福島県矢祭、塙、棚倉、石川、浅川、鮫川に至る久慈川流域の地方をいう。 鮎で知られる久慈川の上流に位置し、水郡線が久慈川を縫うようにして走っている。沿線には袋田の滝や大子温泉、桜の名所の矢祭山がある。 かつては本数も多かったこの鉄道も、沿線町村の過疎化により利用者数が激減し、いまでは2時間に1本程度しか走っていない。 水戸駅を出た気動車は、乗客はまあまあだ。しかし、北上するにつれて次第にまばらになっていく。それと比例するように、窓外の風景は自然一色となる。 なだらかな曲線を描いた山並みが続く。緑が果てしない。目にやわらかい。どこかで見たような思いに浸る。「既視感」というやつだ。 時折、久慈川の清流にかかる鉄橋を越える。途中下車して、川原に寝転び、昼寝をしたいと夢想する。桜の季節はこの地方もかなりの人出があるようだ。それが終わると人影は少なく、木々は静謐な中で緑の濃さを増していく。 緑は人の心を落ち着かせる。どこを向いても緑があふれる環境の中で一泊し、去りがたい思いで再び水郡線に乗る。これまでの人生では、落ち着きのない日々を過ごしたと思う。しかし、いま心は平穏だ。 東京…

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239 衝撃の美術展 近江八幡の障害者アートを見る

ランニングシャツに半ズボン、背中にリュックを背負って日本全国を放浪しながら、個性あふれる絵を描いた山下清画伯は有名だ。その才能はだれにも愛された。 その山下画伯以上か同等の才能を持ち、自分のために作品を作り出す人々がいま注目を集めている。アウトサイダーアートやボーダレスアートといわれる独特の感性の作品を制作しているのである。 滋賀県近江八幡市にそうした作品を展示する「ボーダレスアートNO-MA」があり、いまスイス・ローザンヌの世界的な障害者アートコレクションである「アール・ブリュット」と連携して日本と海外の作家の作品が展示されている。 過日、この作品を見て衝撃を受けた。どこまでも鋭く、忠実に対象に迫る作品、あるいは自分のイメージをとことんまで追求した作品。絵画だけではなく、インドの田舎にある石像も飾られている。 人間は不思議な動物だと思う。IQという健常者を対象にしたものでは計り知れない何かがだれにでも備わっているのだと実感した。 夕刻、この美術展の関係者が集まって、JR近江八幡駅近くのホテルでレセプションがあった。ここで、この芸術を芯から理解しているアールブリュットのリュシエンヌ・ペリー館長の言動に触れ、感心させられた。 関係者のあいさつの後、この会合に出席していた障害者アートの作家3人が壇上に呼ばれ、あいさつをすることになった。1人目はたどたどしく話をした。しかし、後の2人はうまく話ができなかった。 館長は「彼らは言葉でコミュニケーションをとるので…

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