1929 文芸作品に見る少年たち 振り返る自分のあの時代

 最近、少年をテーマにした本を続けて読んだ。フィクションとノンフィクションに近いフィクション、ノンフィクションの3冊だ。読んだ順は馳星周『少年と犬』(文藝春秋)、高杉良『めぐみ園の夏』(新潮文庫)、佐藤優『十五の夏』(幻冬舎文庫)になる。それぞれの作品に出てくる少年の姿を想像しながら、遠くなった私自身の少年時代を振り返った。それにしても、佐藤優が15歳の高校1年生の夏に体験した東欧諸国一人旅は、私の想像を超えていた。

続きを読む

1928 「いつも一緒にいてね」それぞれの愛犬との別れ

 《僕(私)の嫌なところに行くときは、お願いだから一緒にいてよ。見ているのが辛いとか、見えないところでやってとか、そういうことは言わないでよ。そばにいてくれるだけでいろんなこと、頑張れるようになるんだ。愛してるよ。それを忘れないでね。》『少年と犬』(文藝春秋)で直木賞を受賞したのと同様、馳星周の犬をテーマにした『ソウルメイト』(集英社)には、物語に入る前に「犬の十戒」という英語の詩と馳の日本語訳が載っている。冒頭に紹介したのはその10番目である。

続きを読む

1925 アウシュヴィッツのオーケストラ 生き延びるための雲の糸

「人間の苦悩に語りかけ、悲しみを慰め、それをいやすよう働きかける力こそ、音楽のもつ最高の性質の一つだと信じる」。音楽評論家の吉田秀和は、『音楽の光と翳(かげ)』(中公文庫)で音楽の力について書いている。第2次大戦下、死が日常化したナチスの強制収容所でも音楽が流れ続けた。収容所で編成された女性オーケストラのメンバーによる本を読み、この本を原作にした同名の映画を見た。死の淵に立った彼女らにとって、音楽は生き延びるための雲の糸のような存在だった。戦後75年。世界各地の独裁国家には、憎むべき強制収容所が今も残っている。  

続きを読む

1923 刀折れ矢尽きた首相 現代の政治家が失ったこと

 本来なら有終の美を来年の東京五輪で飾るはずだった。だが、安倍首相は28日、辞任を表明した。持病の難病、潰瘍性大腸炎が再発したためだ。あと1年の任期を残しての辞任は、刀折れ矢尽きる状態といえるようだ。病によって精魂ともに尽き、政治のリーダーを続ける意欲がなくなったのだろう。(それほど懸命に政治に取り組んだとは思えない。取り巻きの官僚の言いなりになったにすぎないのではないか、裸の王様だった、という声も聞こえてくる)安倍政権の功罪は様々だ。私から見たら罪の方が大きい(うそが多かった)のだが、野党に力がないから次のリーダーも自民党の誰かがなるだろう。その条件は?

続きを読む

1916 別れの辛さと哀しみ 遠い空へと旅立った友人たちへ

    私らは別れるであらう 知ることもなしに   知られることもなく あの出会つた   雲のやうに 私らは忘れるであらう   水脈のやうに         (立原道造詩集「またある夜に」より・ハルキ文庫)  梅雨が明けたら、猛烈な暑さが続いている。そんな日々、友人、知人の訃報が相次いで届いた。人生は出会いと別れの繰り返しだ。そんなことは百も承知だとしても、懐かしい人たちとの別れは辛くて、悲しい。彼らは遠い空へと旅立った。  Aさんは、環境問題を専門に取材した。たばこの煙がもうもうする中で、彼よりも若い記者と2人で嫌煙権を主張した。当時の120人近い記者集団の中では異質だったが、Aさんの行動は正しかった。年末になると、宮崎の知り合いから車海老を取り寄せる注文を取った。多くの部員がそれを楽しみにしたことを忘れない。記者をやめた後、故郷の北海道に帰り、そばを作り、琉球空手を教えた。ひげを伸ばした姿を見ると、私はアイヌの人々を連想した。物静かな先輩だった。  Bさんは、防衛問題の専門記者だった。心優しく、悪を憎んだ。粘着質という言葉は彼のためにあると、私は思ったことがある。現在、もしこんな気骨がある人が記者活動をしていたら、現政権に激しく立ち向かったと想像する。足で稼ぎ、きちんとした論理を構成した質問に、官房長官もたじたじしたに違いない。晩年、病魔との闘いの連続だった。神が存在するなら、なぜ彼にこのような試練を与えたのか、答えを聞いてみたい。  Cさんは、ある政治家の孫…

続きを読む

1913「 シンプルに生きる日々」 作家のような心境にはなれない

 この時代をどう見るか。それは世代によっても、これまでの人生経験でも違うかもしれない。コロナ禍が世界各国で日々拡大し、死者が増え続ける事態に人類が試練に直面していると思う。私のこうした焦りは、戦争という修羅場を体験していないのが原因なのだろうか。作家の沢木耕太郎は「みんながこの状況を過度に恐れすぎている」と、「Yahoo!ニュース 特集編集部」のインタビューで答えている。だが、私は沢木のような心境にはなれない。  沢木がインタビューに答えたニュースを読んだ。『深夜特急』でノンフィクション作家としてデビューした沢木は、この分野だけでなく小説も手掛け、幅広い活動を続けている。冒頭の言葉の背景には、『深夜特急』の旅があるという。インドという混沌の国を歩いた沢木は、同書で以下のように書いている。「そのうちに、私にも単なる諦めとは違う妙な度胸がついてきた。天然痘ばかりでなく、コレラやペストといった流行り病がいくら猖獗(しょうけつ)を窮め、たとえ何十万人が死んだとしても、それ以上の数の人間が生まれてくる。そうやって、何千年もの間インドの人々は暮らしてきたのだ。この土地に足を踏み入れた以上、私にしたところで、その何十万人のうちのひとりにならないとも限らない。だがしかし、その時はその病気に『縁』があったと思うべきなのだ」  コロナ禍の中で、沢木は仕事中心の生活を送っていると述べた後「語弊があるかもしれませんが、ごくごくシンプルに、大したことではないんじゃないかなと思う」「仮に僕が、この新型ウイルスにか…

続きを読む

1911 私利私欲を憎め 小才子と小悪党がはびこる時代

 現代の日本社会を見ていると、小才子(こざいし)と小悪党が跋扈(ばっこ)し、私利私欲のために権力を動かしている者たちが大手を振って歩いている。これは独断と偏見だろうか。決してそうではないはずだ。コロナ禍に襲われた今年も残りは5カ月余になっている。このように書くのは気が早いと言われそうだが、災厄が早く去ることを願うが故のせっかちな表現をあえてしてみた。この間コロナで多くの人々が苦しむ中で、一部の人間は甘い汁を吸い、私利私欲のために走りまくったのは間違いない。  小才子は「小才の効く人、ちょっとした才知のある者」という意味だ。「残念ながら 今日 の日本の社会はこういう奴が沢山にあって、小才子 の天下になっている」(新渡戸稲造 『今世風の教育』)というように、人を誉める言葉ではなく、マイナス評価として使われる。この言葉で思い浮かぶのは、首相に忖度を続け全体への奉仕者であることを忘れた官僚の姿であり、小悪党といえばあの人、この人、あいつもそうだと何人かの政治家の顔がちらつく。毎日の新聞を読んでいてそうした話題が尽きないから、現代はまさに「悪貨は良貨を 駆逐する」グレシャムの法則を思わせる時代だと思う。  この法則は16世紀のイギリスの財政家・国王財政顧問トマス・グレシャム(1519~1579)がエリザベス女王(1世)に進言したといわれる経済法則だ。1つの国に価値の異なる2種類以上の貨幣が同一の額面で通用している場合、質の高い良貨は退蔵、溶解、国外への流出などにより市場から消え、悪質の貨幣だけが…

続きを読む

1910 奇跡を願うこのごろ 梅雨長し部屋に響くはモーツァルト

「奇跡」を辞書(広辞苑)で引くと、「(miracle)常識では考えられない神秘的な出来事。超自然的な現象で、宗教的真理の徴(しるし)と見なされるもの」とある。2020年の今年こそ、奇跡が起きてほしいと願う人が多いのではないだろうか。ある日突然、この地球から、新型コロナウイルスによる感染症が消えてなくなるという奇跡である。だが、どう見ても、この奇跡は起きそうにない。  かつて、私は奇跡に近い出来事に遭遇したことがある。太平洋戦争の激戦地だったガダルカナル島(現在のソロモン諸島国)に平和慰霊の公園が完成、この取材に行った際、高台の公園から町に下りるバスに乗った。そのバスがブレーキ故障のために曲がりくねった坂道を暴走し、そのままでは右側の谷に転落する可能性が強かった。谷は深いジャングルになっていて、バスが転落したら乗っていた35人全員の命はなかっただろう。しかし、危機が迫った時、運転手はバスを谷と反対の左側の切り立った崖にぶつけて止めようとした。バスは横転して止まり、30人が重軽傷を負ったが、死者はいなかった。    実は、助手席に乗っていたガダルカナル戦で生き残った人が大きな声で「レフトサイド!」と叫び、それを聞いた運転手が左にハンドルを切り、ジャングルへの転落は免れたのだった。運転手は右腕をなくす重傷だった。助手席の人は修羅場を経験していたから、危機的状況にあっても冷静で、あのような機転を利かせたのだろう。その後、この事故で死者が出なかったのは奇跡に近いと、記者仲間から言われた。あれからか…

続きを読む

1909「人生は死に至る戦いになる」かみしめる芥川の言葉

 先日、俳優の三浦春馬さん(30)が自殺し、テレビのワイドショーでは連日過熱報道が続き、行き過ぎだという声も出ている。そんな折、今月24日が「河童忌」であることを思い出した。大正文壇の寵児といわれた芥川龍之介の命日(1927年7月24日)だ。芥川の死は、当時の社会に大きな衝撃を与え、後追い自殺をする若者が相次いだという。芥川が35歳で自死してから今年で93年。三浦さんを含めた著名人、さらに無名の人たちとの突然の別れは悲しく残念でならない。  芥川の命日の名称は生前好んで河童の絵を描き、『河童』という短編を残したことから命名されたそうだ。芥川は「我鬼」という俳号で俳句も嗜んでおり、命日は「河童忌」とともに「我鬼忌」とも呼ばれる。  図書館の片隅を占め河童の忌 丸山景子  河童忌や涙流して若かりき 山口青邨  茄子紺の空と暮れける我鬼忌かな 鈴木しげを  青年の黒髪永遠に我鬼忌かな 石塚友二  石塚の句のように、写真に残る芥川は面長で黒髪の長髪、知的な表情だ。芥川は遺書を5通残し、3通が公開されており、岩波書店の『芥川龍之介全集 23巻』に収録されている。そのうち「遺書」は親友の画家、小穴隆一(おあなりゅういち、1894~1966)に宛てたものといわれ、「僕等人間は一事件の為に容易に自殺などするものではない。僕は過去の生活の総決算の為に自殺するのである」というのが、その書き出しだ。芥川は服毒自殺をした。その理由は諸説あって定説はない。それほど、人が自死する動機は複雑なのだ。 …

続きを読む

1907「それを言っちゃあおしめえよ」 寅さんに怒られる

「それを言っちゃあおしめいよ」。寅さんが怒っている夢を見た。天国で楽しい生活を送っているはずの柴又の寅さん(山田洋次監督、渥美清主演「男はつらいよ」シリーズの主人公)は、いつもの、あのスタイルで、普段の柔和な表情とはかけ離れた厳しい顔で、コロナ禍に戸惑う私たちを叱咤しているのだった。政府はコロナ禍によって客足が途絶えた観光地対策のために、「Go Toキャンペーン」を前倒しで22日から始めることを公表した。これに対し危ぶむ声が強くなっている。寅さんはこれにも怒っているようだった。  そうか、寅さんでさえも、と思っていると、頭をガツンとやられた。俺はお前が思っていることなんて、お見通しなんだぞ、というわけである。妙な夢だった。寅さんが私にげんこつを振るったのは、天国から見ていて現代に生きる私たちがあまりにも不甲斐ない、その代表として私を覚醒させようとしたのかもしれないと、思った。  寅さんの夢から覚めた朝、新聞を開くと、やはりコロナ関係の記事が大半だった。緊急事態宣言解除後、収まるかに見えた感染のペースが、このところ再燃し危険な状態になっている。こんな中、政府がスタートさせようとしている「Go Toキャンペーン」に延期を求める声が出ていることを中心に、大きなスペースが割かれている。多くの観光地を持つ地方紙はどんな記事を載せているのか。調べてみると、ほとんどが社説でこの問題を取り上げ、実施時期の延期や、苦境に立つ事業者の直接支援策の必要性を訴えている。そんな地方の声に政府は聴く耳を持たないの…

続きを読む

1906 気になることを調べる楽しみ「紫陽花、曲師、風呂」について

 新聞を広げると、このところ毎日暗いニュースが紙面を埋め尽くしている。世の中の動きを正確に伝えるのが使命だから、紙面が豪雨被害、コロナ禍を中心になるのは当然なことだ。そして、豪雨の被害者やコロナで亡くなった人たちを思うと、気持ちが落ち込んでしまう。少しでも気持ちを落ち着かせようと、本棚からたまたま並んでいた3冊の本を手に取った。「本を読む楽しみ」を味わおうと思ったからである。  まず初めに頁を開いた本は、中村幸弘『難読語の由来』(角川文庫ソフィア)だった。この中で、梅雨の季節を象徴する花「紫陽花」について中村の解説を読んだ。以下はその概略。 「この熟語訓(熟語に訓読みを当てたもの)は古くから見られる。『和名抄』(和名類聚抄、平安時代に作られた辞書)には、「紫陽花 白氏文集律詩に紫陽花と云う 阿豆佐為(あづさゐ)」とある。現代訳にすると、中国唐時代の白楽天の詩文集である『白氏文集』、の律詩の中に『紫陽花』とあり、その「紫陽花」に相当する日本語があづさゐだ、という意味だ。     「あじさい」(という平仮名)はもっと古く、上代の文献の中にもある。「あじさゐの八重咲くごとく彌(や)つ世をいまわが背子(せこ)見つつ偲(しの)はむ」(万葉集。紫陽花が八重に咲くように、幾重にも栄えておいでください、わが君よ、私はその立派さを仰いで讃嘆いたしましょう)である。  その本文には万葉仮名で「阿豆佐為」と書かれているが、解説には「味狭藍(あじさゐ)とある。「味」は褒める言葉で、「狭藍」は青い花の色を言…

続きを読む

1905 アメリカへ社会の病根の深さを抉った本 対岸の火事視できない日本

 アメリカ中西部ミネソタ州の白人警官による黒人男性暴行死事件(ことし5月発生)に抗議するデモが全米に拡大している。この背景にあるのは、言うまでもなく人種差別と深刻な格差社会である。その象徴のような存在に思えるトランプ大統領を「金儲けと貪欲一辺倒の時代のリーダー」と断じる本を知人が薦めてくれた。ジョセフ・E.スティグリッツ著、山田美明訳『プログレッシブ キャピタリズム 中流という生き方はまだ死んでいない 』(東洋経済)である。最近、ジョン・ボルトン前米大統領補佐官とトランプの姪、メアリ・トランプによる相次ぐ暴露本が話題になっているが、その前に出版されたスティグリッツの本はアメリカ社会の病根の深さを抉り出し、アメリカンドリームの幻想を断ち切るものだ。  スティグリッツは2001年にノーベル経済学賞を受賞した経済学者(コロンビア大学教授)で、ミクロ経済学(注1)の論客として知られている。タイム誌の「世界でもっとも影響力のある100人」に選ばれたこともある。本書は1970年代以降のアメリカ流資本主義(グローバル化と脱工業化→金融化)は行き詰まっているという視点から論を進め、この弊害が富裕層と貧困層の格差の拡大という分断社会を招いたと説いている。  資本主義の基本は自由競争だが、スティグリッツによれば、アメリカ経済はごく少数の企業が市場を支配し、利益を独占し続けている。これらは「反トラスト法」(注2)を弱体化させたことにより実現したもので、本書は市場での分配が労働者の不利にならないよう、緩くなっ…

続きを読む

1904「医」と「恥」から想起すること 国手が欲しい国は

 山形県酒田市出身の詩人吉野弘(1926~2014))の詩『漢字遊び』の中に「医」「恥」という短い作品がある。コロナ禍の現代を端的に表すような詩を読んで、私は漢字の妙を感じ、同時に多くの政治家の顔を思い浮かべた。  吉野の「医」は以下の通り。     「医」の中に「矢」があります   病む者へ、まずは矢のように駆けつける心情   そして、矢が的の中心を射当てるように   “ズバリ的中”の診断をするのが身上――ちなみに   国の病気を治す名手が「国手」――今一番欲しい人  (ブログ筆者注・「国手」とは。国を医する名手の意。名医。名人の医師。また、医師の敬称。以上広辞苑)  朝刊に「移動自粛『不要』菅氏が都に反論」(朝日)という見出しの、全文12行のベタ記事が載っていた。このところ毎日100人を超える感染者を出している東京のコロナ対策として、小池都知事が都外への不要不急の移動自粛を要請したことに対し、菅官房長官が記者会見で「移動自粛を要請する必要はない」と反論した、という内容だ。これを読んだ読者は、どちらを信じたらいいのか戸惑うだろう。緊急事態宣言解除後、感染者が増え続ける事態に対し、官房長官発言は経済優先の国の方針を踏襲したものだろう。だが、それでコロナ対策がうまく行くのかどうか全く分からない。このままで本当に大丈夫なのだろうかと危惧する。  コロナ担当の西村という経済再生担当相も危なっかしい。きょうの衆院内閣委員会で「危機感を持って対応する」といういつもの言葉を…

続きを読む

1897 五輪がもたらす栄光と挫折 アベベの太く短い人生

 東京五輪がコロナ禍により2021年に延期された。さらに大会の簡素化、再延期、中止といった五輪をめぐる議論が続いている。五輪は出場する選手にも大きな影響を与える。ティム・ジューダ著、秋山勝訳『アベベ・ビキラ』(草思社文庫)を読んだ。ローマと東京の2大会連続してマラソンで金メダルを獲得したアベベ。五輪によって人生が変わり、短い生涯となってしまったアベベを描いた本を読み終えて、五輪の功罪をあらためて考えさせられた。  前回の東京五輪は1964(昭和39)年の開催で、日本は経済の高度成長期にあった。この大会でアベベが優勝し、日本の円谷幸吉(円谷について書いた本はいろいろあるが、私はよく知られている沢木耕太郎の「長距離ランナーの遺書」よりも増山実の『空の走者たち』の方が取材が優れていると思う。後段の関連ブログ1754参照)は銅メダルに輝いた。円谷は次のメキシコ大会を目指すも体の故障で思うように走れず、自死してしまう悲劇の人になった。一方、エチオピア最後の皇帝の親衛隊兵士だったアベベは、スウェーデン人、オンニ・ニスカネン(この本はアベベとともに、エチオピアのために幅広く活動したニスカネンの波乱の生涯についても詳しく触れているが、このブログでは割愛)に見いだされ、1960(昭和35)年のローマ大会で無名ながらいきなり優勝する。しかも裸足で42・195キロを走り抜けるという、思いもよらないスタイルで世界の人々が度肝を抜かれるのだ。  この本には裸足で走った真相として、アベベの娘、ツァガエの本から次の…

続きを読む

1893 東北から九州への想像の旅 潜伏キリシタンを描いた『守教』を読みながら

 私の地図を見ながらの想像の旅は続いている。今回は、東北から九州へと移る。潜伏キリシタンあるいは隠れキリシタンという言葉がある。江戸幕府が禁教令を布告し、キリスト教徒を弾圧した後も、ひそかに信仰を続けた信者のことで、2018年6月、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に認定された。この言葉を聞くと、潜伏キリシタンといえば長崎や天草(熊本県)を連想する。しかし、この地方以外の福岡県筑後平野北部にもキリスト教の信仰を守り続けた人々がいたのである。  箒木蓬生の小説『守教』(新潮文庫)は、この地区をモデルにしている。福岡県三井郡大刀洗町。小郡市や久留米市に隣接し、かつて高橋という村だったこの町に、国の重要文化財、今村天主堂がある。この小説は戦国キリシタン大名、大友宗麟の命を受け、筑後・高橋組(高橋村=現大刀洗町)の大庄屋になる一万田右馬助の代から始まり、その後のキリシタンへの弾圧時代のひとりの前庄屋の殉教を経て、明治初期に禁教が解かれ、さらに今村カトリック教会(天主堂)が建てられるまでの「今村信徒」の300年の歴史を克明に追った大河小説だ。  小説はフィクションだから、史実と異なる設定もある。伊達騒動を描いた山本周五郎の『樅の木は残った』は、その典型といえる。史実では評定の場で反対派を殺害、悪人といわれる原田甲斐だが、周五郎は独自の解釈で自らを犠牲にして伊達藩を救った人物として描いた。この小説を原作にしたNHKの大河ドラマが放映されたこともあり、原田甲斐=悪人というこれま…

続きを読む

1892 青春の地は金峰の麓村 地図を見ながらの想像の旅(2)

  閑古啼くこゝは金峰の麓村 山形県鶴岡市生まれの作家、藤沢周平(1927~1997)の句(『藤沢周平句集』文春文庫)である。藤沢の死後、主に鶴岡で集められた色紙や短冊などに見られた7句のうちの1句で、藤沢は鶴岡師範学校を出た後、当時の湯田川村立湯田川中学校(現在は鶴岡市立鶴岡第四中学校へ統合)の教師(国語と社会)をしていたことがある。後に、この村の風景を思い出しながら、こんな句をつくった。若い教師時代、藤沢はどのような思いで故郷の山を見ていたのだろう。地図を見ながらの私の想像の旅は続いている。  30歳代、庄内地方を放浪した森敦は、芥川賞を受賞した『月山』の中で次のように庄内にある山について記している。「月山は、遥かな庄内平野の北限に、富士に似た山裾を海に曳く鳥海山と対峙して、右に朝日連峰を覗かせながら金峰山を侍らせ、左に鳥海山へと延びる山々を連亙させて、臥した牛の背のように悠揚として空に曳くながい稜線から、雪崩れるごとくその山腹を平野へと落としている」。ここに登場する3つの山のうち金峰山(きんぼうさん、471メートル)が、若い時代の藤沢が見慣れた山だった。  金峰山は鶴岡市の南部にある信仰の山として知られ、山頂に金峯神社がある。山頂や登山道から庄内平野が広がるのが見え、鶴岡市民にとっては憩いの山だそうだ。「閑古鳥」は郭公(かっこう)の別名で「閑古鳥が鳴く」は「物寂しいさま」の意味だから、藤沢は湯田川温泉で知られる村の風景を、こんな風に思い出し、自作の句にしたのだろう。同じ「金峰山」…

続きを読む

1891 アルメイダの共助の精神 「大分の育児院と牛乳の記念碑」再掲

 帚木蓬生の『守教』(新潮文庫)は福岡県大刀洗町の国の重要文化財、今村天主堂が建つまでの長い背景(戦国時代から明治まで約300年間)を記した大河小説だ。この上巻に、九州で布教活動をした一人のポルトガル人が登場する。ルイス・デ・アルメイダである。私は2009年大分を訪れた際、県庁近くの公園で「育児院と牛乳の記念碑」というアルメイダを顕彰した碑を見つけた。アルメイダは共助の精神でキリスト教の布教活動と医師としての奉仕活動に生涯を送った人物だ。新型コロナウイルスをめぐって、米中の対立が深まっている。こんな時だからこそ、アルメイダの「共助の精神」が求められるのだ。以下は第448回のブログ再掲。     大分市内の県庁近くの遊歩公園に「育児院と牛乳の記念碑」という変わった碑がある。その碑には以下のような文章が記されている。  ここ府内(大分市)に日本最初の洋式病院を建てたポルトガルの青年医師アルメイダは、わが国に初めてキリスト教を伝えたザビエルが去って3年後の1555年には既に府内に来ていた。当時日本は戦乱が続き、国民の中には貧窮のあまり嬰児を殺す習慣があった。これを知ったアルメイダは自費で育児院を建て、これらの嬰児を収容し、乳母と牝牛を置いて牛乳で育てた。これは近世に於ける福祉事業の先駆である。(『守教』上巻に、アルメイダの業績が詳しく紹介されている)  アルメイダはルイス・デ・アルメイダという医師免許を持ったポルトガルの商人だ。地元大分や福祉・医療関係者には知られた存在かもしれないが、一…

続きを読む

1890 空いっぱいに広がる山の輝き・さやけき鳥海へ 想像の旅(1)

 ここにして浪の上なるみちのくの鳥海山はさやけき山ぞ 山形出身の歌人、斎藤茂吉の歌集「白き山」(1949=昭和24年)に収められている山形、秋田県境にある鳥海山(標高2236メートル)を称えた歌である。名作『日本百名山』(新潮社)で、深田久弥は「名山と呼ばれるにはいろいろの見地があるが、山容秀麗という資格では、鳥海山は他に落ちない。眼路限りなく拡がった庄内平野の北の果てに、毅然とそびえ立ったこの山を眺めると、昔から東北第一の名峰とあがめられてきたことも納得できる」と記している。山形の県北地域に住む友人から、美しい鳥海の写真が届いた。茂吉の歌を味わいつつ、地図を見ながらつかの間、鳥海への想像の旅をした。  鳥海は標高が東北で1、2位を争う高峰(トップは福島県の燧ヶ岳=ひうちがたけ=で2356メートル。鳥海は2番目)とはいえ、茂吉が生れたのは山形県南東部の南村山郡金瓶村(現在の上山市金瓶)だったから、家から鳥海を見ることはできなかっただろう。ただ、茂吉の心の中には、故郷の山としての鳥海が大きな位置を占めていたに違いない。深田久弥は「東北地方の山の多くは、東北人の気質のようにガッシリと重厚、時には鈍重という感じさえ受けるが、鳥海にはその重さがない。颯爽としている。酒田あたりから望むと、むしろスマートと言いたいほどである」と、この山の特徴を書いている。  友人が送ってきた写真は「赤鳥海」と「白鳥海」というキャプションが付いている。前者は夕日に赤く染まる風景で、後者は真っ青な空の下、残雪が白く輝…

続きを読む

1889 信頼性を失った新聞の衰退 インテグリティを尊重せよ

 新聞の契約更新にきた販売店の人に「コロナで折り込み広告も少なくなって大変でしょう」と聞いてみた。すると「うちはそんなにありませんが、コロナの感染拡大で新聞を取るのをやめる人がかなり出ています。折り込みの減少でやめた店(販売店)もありますよ」と、苦渋の表情で話してくれた。そんな矢先に東京高検検事長と産経、朝日の記者たちが賭けマージャンをしていたことが発覚し、検事長は辞職した。新聞の信頼性にかかわるニュースであり、販売への影響(部数減)は少なくないだろう。  本棚にあった藤田博司、我孫子和夫共著『ジャーナリズムの規範と倫理』(新聞通信調査会)という本を取り出し、読み直した。「信頼性を確保するために」というサブタイトルが付いており、日米のジャーナリズムの実情を点検し、日本のジャーナリズムへの提言も掲載されている。首相とメディア各社首脳との会食についても触れている。検事長と記者の賭けマージャンは権力と新聞との癒着として批判を浴びているが、この本にもある通り首相とメディア首脳との癒着の実態も問題視されなければならない。やや長いが、その主要部分を以下に掲げる。 《2013年のメディアと権力の力関係を如実に示していたのは、第2次政権として復活した安倍晋三首相とメディア各社首脳との(見掛けだけにせよ)親密な付き合い振りだった。前年の暮れに政権の座についた安倍首相は、1月早々から読売新聞、朝日新聞、共同通信など日本の主要メディアの会長、社長らを相次いで招き、会食していた。招待された主要メディア首脳の…

続きを読む

1886 8月9日を忘れた政府関係者 『長崎の鐘』に寄せて

 2021年8月9日を東京五輪閉会翌日として「祝日」にする法案を政府が考えたそうだ。この日は長崎に原爆が投下された日である。祝日にするのはそぐわないのは自明の理ではないか。さすがに自民党議員からも「ありえない」という異論が出て、閉会式の日の8日日曜日を祝日として、9日を振替休日にすることで調整を進めている――という記事を読んだ。この日の重要さを忘れてしまったか、あるいはそこまで考えが及ばなかったのだろうかと、薄ら寒さを覚えてしまった。このニュースは、国民の思いとかけ離れた官僚と政府の姿をくっきりと映し出している。  1945(昭和20)年8月9日午前11時2分、3日前の広島に続き、原爆(ファットマン)が米軍のB29(ボックスカー)によって長崎市に投下され、市民24万人のうち、7万3884人が死亡、7万4909人が重軽傷を負った。原爆症による死者は後を絶たず、多くの市民を今も苦しめている。第1の投下目標は福岡県小倉市だったが、天候不良のため予備目標だった視界良好の長崎市に変更されたのだ。  福島出身の作曲家、古関裕而の代表作として長崎原爆を歌った『長崎の鐘』(1949年4月発売)が挙げられる。爆心地から500メートル離れた浦上天主堂も一瞬に倒壊したが、2つあった大聖堂のアンジェラスの鐘の1つは、後に30メートル離れた瓦礫の中から無傷で発見された。この歌は原爆によって妻を失い、自らも被ばくした長崎医科大学の医師、永井隆博士が書いた「長崎の鐘」や「この子を残して」などの随筆を読んだサトウハチ…

続きを読む

1885 新聞離れ助長が心配 検事長と新聞記者の麻雀

 新聞はかつて第4の権力といわれるほど影響力が大きかった。現在でも以前ほどではないが、新聞の力は侮れない。だが、インターネットの普及もあって若い世代の新聞離れが顕著であり、新聞業界が斜陽産業の道を歩んでいることは、誰しもが認めることだろう。それに追い打ちをかけるような事態が起きた。東京高検の黒川弘務検事長がコロナ禍によって外出自粛が求められている最中に、産経新聞記者の自宅で他の産経社会部記者、朝日新聞の社員(元社会部記者)と賭けマージャンをしていたことを週刊文春が報じ、黒川検事長は22日付で辞任したニュースである。黒川氏と麻雀に興じていた新聞記者の行為は、新聞の信用を失墜させ、ますます新聞離れに拍車をかけることになるかもしれないと、心配する。  新聞記者は取材対象に食い込まなければ、いいネタはとれないという。しかし、それが行き過ぎ取材相手と癒着、取り込まれてしまう記者もいる。担当する派閥の政治家と一体となるような言動をする政治部記者もいると聞く。社会部記者は権力と一線を画し、常に批判精神を忘れないが取材活動の基本であるはずだが、黒川事件の新聞記事を読んで、社会部記者も堕落したと思った。首相をも逮捕する権力を持つ高検の検事長が違法ともいえる法律の解釈変更によって定年が延長され、それを追認するような検察庁法の改定(改正ではない)が国会に提案され、しかも世はコロナ禍によって外出制限・三密を避けてほしいと政府が要請している時期に、この為体(ていたらく=みっともない有様)である。週刊文春によると、今回…

続きを読む

1880 専門医の厳しい言葉 辛い入院生活を描いた斎藤茂吉

「犯罪的です」。新型コロナに関するテレビを見ていたら、大相撲の三段目力士、勝武士さん(28)がこの感染症で亡くなったことに関して、専門医はこう話し、さらに「人災です」と強い口調で国の姿勢を批判した。つい最近まで新型コロナに感染しているかどうか、帰国者・接触者相談センターにPCR検査を受けるための相談・目安として「「風邪の症状や37.5度以上の発熱が4日日以上続く」項目が入っていた。この項目が足かせとなり、なかなかPCR検査が受けられないという状況が続き、勝武士さんの死というニュースに接した専門医は、厚労省に向けて堪忍袋の緒が切れたように強い言葉を発したのだろうと思う。  この目安は、2月17日に厚労省から事務連絡という形で都道府県・指定都市 ・中 核 市に出されたもので、現場ではPCR検査を受けさせるべきかどうかの判断材料となったのは言うまでもない。これによって体調不良でも、我慢を強いられた人も少なくないだろう。入院が遅れ、命を失った勝武士さんのケースはまさにこれに該当する。  厚労省はこの基準がコロナによる死者増につながるのではないかという批判が強まったため、今月8日にこの項目を削除するという通知を全国に出した。これに関する記者会見で加藤厚労相は「基準ではない。あくまで目安であり、それを国民が誤解していた」と語ったのだ。厚労省の責任回避ともいえる官僚的発言といっていい。  加藤厚労相は、記者会見や国会で通知の内容は「基準」ではなく「目安」だったと説明した。辞書を見ると目安とは「…

続きを読む

1877 絶望の裏返しには希望が 東野圭吾『クスノキの番人』を読む

 古来、日本には神が木に依り付くという言い伝えがあった。全国の樹齢が千年以上という巨樹は御神木として、多くの人々の信仰の対象になった。東野圭吾の近刊『クスノキの番人』(実業之日本社)は、御神木である巨樹のクスノキに何かを求めようとする人たちと、そうした人たちをクスノキに案内することになった若者の物語だ。ベストセラーを連発するこの著者の作品はほとんど読んだことはない。2008年の『さまよう刃』を読んで以来である。この著者の作品の多くは推理小説だそうだが、近作は違っていた。それは……。  私が日本一の巨木といわれる鹿児島県蒲生町の「蒲生のクス』を見に行ったのは、2010年1月初めのことだ。森林ボランティアたちを取材した後、鹿児島空港に行く途中、少し時間があるため立ち寄った。八幡神社境内の西南にそそり立つこの巨樹は、樹高が30メートル以上もあり、近寄り難い雰囲気があった。詳しくは当時のブログ(下段、関連ブログから)に譲るが、それまで見てきた数多くの樹々とは違い、神々しさを感じた。  この木自体は本州、四国、九州、済州島、沖縄、中国南部、インドシナからの暖帯から亜熱帯に分布するが、古来各地に植栽されているので自然分布地域はよくわからないとされおり、我が国の樹木の中では最も巨木になる性質をもった木である」(八木弘『巨樹』講談社現代新書)という。  さて、東野の近作である。「多くは推理小説だそうだが、近作は違っていた」と上述した。確かに、殺人や誘拐、強盗、あるいは高齢者をだます「オレオレ詐欺…

続きを読む

1876「人生は一行のボードレールにもしかない」か 『阿弥陀堂だより』から

 コロナ禍による緊急事態宣言の期限がさらに延長されることが確定的で、外出自粛の日々が続くことになる。これまで経験したことがない状況の中で一日をどう送るか、人それぞれに工夫をしているはずだ。物理的、心理的に閉塞感に覆われた時、読書をする人も少なくないだろう。そして人はどんな本を読み、どんな作品に救われたのだろう。私は知人から届いた映画評を契機に懐かしい本を再読し、新たな読書欲が湧いてきた。 「人生は一行のボードレールにも若(し)かない」(人生は、ボードレールの書いた、たった一行の詩の価値もない=芥川龍之介『或阿呆の一生』より)  このよく知られた言葉が出てくる作品を再読した。南木佳士の『阿弥陀堂だより』(文藝春秋)である。知人が以前に書いたという、この作品を原作とした同名の題の映画評を送ってくれたからだ。この本を最初に読んだのは1995年夏のことだった。あれから25年の歳月が流れている。新人賞を取ったもののその後これといった作品が書けない小説家の夫と、がんの専門医として注目を集める存在になりながら心の病に侵され、医師としての自信を喪失した妻は、夫の故郷である緑濃い山間の村(谷中村)へと移り住む。そこで小さな阿弥陀堂を守る老女と、老女から話を聞いて村の広報に「阿弥陀堂だより」と題した短い話を連載する、喉のがんにより言葉を発することができなくなった若い女性と出会う。村の美しい四季の中で、生と死をテーマにした物語は進行していく。  この作品は『7人の侍』で知られる黒澤明に長く師事した小泉…

続きを読む

1875 『ヴェニスに死す』を読む 繰り返される当局の愚行

 ノーベル賞を受賞したドイツの作家トーマス・マンの『ヴェニスに死す』(1913年作)は、50歳になった主人公の男性作家グスタフ・アッシェンバッハが旅行で滞在していたイタリア・ヴェニス(イタリア語ではベネチア。ヴェニスは英語読み)で、ポーランド貴族の美しい少年、タッジオに惹かれるという同性愛をテーマにした中編小説だ。映画化もされ、マーラーの交響曲5番第4楽章アダージェットがテーマ曲として使われた。主人公は滞在先のヴェニスでコレラによって不慮の死を遂げるのだが、新型コロナウイルスによって街全体が封鎖された現在のヴェニスとなぜか二重写しになる。  先日、NHKのBS放送で「そして街から人が消えた~封鎖都市・ベネチア(NHKの表記)~」という特集番組を見た。世界中から多くの観光客が集まる、ヴェニスの仮面カーニバルの最中に新型コロナウイルスの感染が拡大し、街が封鎖されるまでを丹念に追ったドキュメンタリー番組だ。NHKの番組案内には「カーニバルは突如中止。だが感染の勢いは止まらず、3月8日ベネチアは封鎖され、街から人が消えた。じつはベネチアは、14世紀に疫病ペストの大流行に耐え、街を復興させた歴史を持つ。人々は新型コロナをペストの悲劇と重ね合わせ、どんなに辛くとも前を向こうとしていた。その一部始終を記録した」とあった。災厄に襲われたヴェニスの変わりように、このウイルスの怖さを感じたのは、私だけではあるまい。 『ヴェニスに死す』の主人公アッシェンバッハは、 ミュンヘンから最初はアドリア海沿岸の保養地…

続きを読む

1874 窓をあけよう 風は冷たくとも

 前回に続いて、詩の話です。大分県出身のクリスチャンで詩人、江口榛一(1914~1979)の「窓をあけよう」をこのブログで取り上げたのは8年前の2012年のことでした。あらためてこの詩を読み返してみました。最近の社会情勢に合致するような言葉が、この詩には含まれていました。   窓をあけよう。   窓をあけると風がはいる。   風はいつも新しい。   地球をひと回りしてきた風だ。   その風を深呼吸のように吸っていると   心が空のように広くなる。   海のように豊かになる。  新型コロナウイルスの感染拡大のために、部屋の窓、電車の窓を開けて換気することが求められています。換気の悪い密閉空間は感染リスクの一つといわれ、クラスター(集団感染)の恐れがあるそうです。実際に密閉空間ともいえるライブハウスでクラスターが発生したことがニュースになりました。  テレワークができない人は少なくありません。自宅勤務なしに電車通勤をしている家族によると、このところ利用する電車の窓は必ず開けられているそうです。窓から入り込む風は冷たくとも、我慢して乗り続ける日々だそうです。私は、そんな時こそ江口の詩を思い浮かべるのはどうだろうと思うのです。  このブログを書いている部屋の南側の窓を開けました。窓の外には、新緑が目に優しいけやきの街路樹に囲まれた遊歩道が見えます。外出自粛が続いているせいでしょうか、人影はそうありません。時折、散歩やジョギングの人が通り過ぎて行きます。犬の散歩や自転車の…

続きを読む

1873 地図で旅する コロナ禍自粛の日々に

 新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため「他県への移動自粛を」や「越境しての来県を自粛を」と、自治体が呼び掛けている。他県ナンバーの車をチエックしている自治体、営業自粛の呼び掛けに応じず、営業を続けるパチンコ店の名前を知事が公表したというニュースも流れ、海外への旅行もできない。「コロナ自粛」の日々が続く中で、地図を見る楽しみがあったことを思い出した。地図を見て、頭の中で空想の旅をするのである。  これを教えてくれたのは、詩人の長田弘さん(1939~2015)だ。長田さんの『人生の特別な一瞬』(晶文社)という詩集に「地図を旅する」という詩が載っている。  《どこへもゆかない旅。動かない旅。   ただ、ここにいるだけの旅。しかし、どこへもゆかないで、どこ  へでも自在にゆける旅。   動かないで、知らないところへ自由にゆける旅。ただ、ここにい  るだけで、いつでもどんなところにもいることができる旅。   ふっと、そういう旅をしたくなると、大きな地図帳をひらく。大  きくて、ぶあつくて、詳しくて、しかも印刷のとても鮮やかな地図  帳を二冊、日本地図帳と世界地図帳を一冊ずつ。   インターネットの地図の時代のいまも、好きなのはその二冊の重  たい地図帳だ。   机の上ではなく、地図帳は、床にひろげる。  最初に偶然目にとめたところから、道をえらび、まず全体を俯瞰  するように眺める。地形がまるで立体のように見えてきたら、大き  な拡大鏡を手に、道をたどってゆく。地図を…

続きを読む

1872 にぎやかな群衆はいずこへ 東京五輪は開催できるのか

 私はスポーツが好きだ。見るのも私自身がやるのを含めて嫌いではない。新型コロナウイルスによる感染症がスポーツ界にも大きな影響を与えている。無観客で可能な競馬や競輪、ボートレースなどを除いて、ほとんどのスポーツは世界的に中止になる異常な状態が続いている。1年を延期した東京五輪・パラリンピックも予定通り開催できるかどうか、全く予測できない。こんな時に、IOCと日本政府の間の延期に伴う経費の負担問題がニュースになった。これをめぐって、ネットでは多くの人が五輪・パラリンピックを中止すべきだと書き込んでいる。  人は外を歩くのが好きだ。家にこもっていると、精神衛生上もよくない。だが、仕方ない。萩原朔太郎の詩「群集の中を歩く」という状況は、今の都会では許されない。三密(密閉、密集、密接)防止の戒めがあるからだ。  あらためて朔太郎の詩を読む。  私はいつも都会をもとめる  都会のにぎやかな群集の中に居ることをもとめる  群集はおほきな感情をもつた浪のやうなものだ  どこへでも流れゆくひとつのさかんな意志と愛欲とのぐる   うぷだ (中略)  おほきな群集の中にもまれてゆくのはどんなに楽しいことか  みよこの群集のながれてゆくありさまを (以下略)  朔太郎の詩のような風景が、一刻も早く戻ることを願わざるを得ない。  話は変わる。志賀直哉の小説「流行感冒」を読んだ。新潮文庫の『小僧の神様・城の崎にて』(新潮文庫)に収録された短編だ。スペイン風邪が世界的に猛威を振るっ…

続きを読む

1871 順境と逆境と 緊急事態宣言の中で

 逆境の反対語は順境である。前者は「思うようにならず苦労の多い境遇」(広辞苑)、後者は「万事が都合よく運んでいる境遇。恵まれた幸せな境遇」(同)という意味だ。ベーコンの『随想集(5)』(岩波文庫)には「順境の特性は節制であり、逆境のそれは堅忍である」とある。新型コロナウイルスの世界的感染拡大という事態に見舞われた現代は、人類にとって逆境であり、まさに耐えしのぶ時なのだと思う。  緊急事態宣言の対象地域が全国に拡大した。雨の土曜日、私の家の前の遊歩道に人影はほとんどない。仕事以外の人たちはほとんど家にこもっているのだろう。コロナ感染が拡大する以前、幅広い活動をしていた知人たちも外出を避けているようだ。映画のDVDを数本借り、その原作を読み返しているという知人、文庫本をまとめて購入し「籠城に備えた」という知人、カメラで撮影した風景写真を取り出し、俳句をつくっている知人もいる。  私と言えば、散歩のほかは読書に多くの時間を費やしている。最近読んだのは大木毅『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』(岩波新書)、飯嶋和一『神無き月十番目の夜』(小学館文庫)で、今は星野博美『コンニャク屋漂流記』(文春文庫)を手に取っている。大木の本は第二次大戦のヒトラー・ドイツとスターリン・ソ連との戦争を多角的に描いたもので、その悲惨な実態に衝撃を受ける。第二次大戦といえば日本軍部による展望なき戦いに目が奪われるがちだが、同じ地球上でおびただしい血が流れる絶滅戦争が繰り広げられていたことを思い知らされた。この作品は2020年の…

続きを読む

1870 何といふ怖しい時代  山村暮鳥の「新聞紙の詩」から

 群馬県出身の詩人で児童文学者、山村暮鳥(1884~1924)の作品に「新聞紙の詩」という詩がある。それは、新型コロナウイルスによる感染症が大流行をしている昨今の内外の現象を表現したような、何とも気になる内容なのだ。暮鳥の詩の中には「一日のはじめに於て」のように、明るいものも少なくない。だが、「新聞紙の詩」は、厳しい現実を直視したといえる作品で、現代に生きる私たちにも訴える力がある。    新聞紙の詩  けふ此頃の新聞紙をみろ  此の血みどろの活字をみろ  目をみひらいて讀め  これが世界の現象(ありさま)である  これが今では人間の日日の生活となつたのだ  これが人類の生活であるか  これが人間の仕事であるか  ああ慘酷に巣くはれた人間種族  何といふ怖しい時代であらう  牙を鳴らして噛合ふ  此の呪はれた人間をみろ  全世界を手にとるやうにみせる一枚の新聞紙  その隅から隅まで目をとほせ  活字の下をほじくつてみろ  その何處かに赭土の痩せた穀物畠はないか  注意せよ  そしてその畝畝の間にしのびかくれて  世界のことなどは何も知らず  よしんばこれが人間の終焉(をはり)であればとて  貧しい農夫はわれと妻子のくふ穀物を作らねばならない  そこに殘つた原始の時代  そこから再び世界は息をふきかへすのだ  おお黄金色(こがねいろ)した穀物畠の幻想  此の黄金色した幻想に實のる希望(のぞみ)よ  この詩は1918(大正7)年に刊行された詩…

続きを読む