1989 1本の花の物語 幻の「海棠の歌」

 庭に1本だけある海棠の花が満開になった。昨年よりかなり早い。歳時記の本の説明には「4~5月に薄紅色の花をつけた花柄が長くうつむきかげんになるのをしばしば美女にたとえる」(角川学芸出版『俳句歳時記』)とあり、庭の一角が華やかに見える。題名や歌詞に花を取り入れた歌は数多く、かつて海棠も歌になったことがある。この歌をめぐって悲しいエピソードがあった。それは一本の花の物語といえる。   

続きを読む

1982 子どもの目は常に幸福 ラオスでの出会い

「目は心の窓」ということわざがある。マスク姿が常態化している日々。これまで以上に、相手の目元が気になる人が多いのではないか。国会中継をテレビで見ていると、政治家の目は暗いし虚ろな目もある。それに比べれば、子どもの目はきれいで気持ちがいい。     

続きを読む

1981 自転車に乗るうれしさと怖さ 朔太郎の「日記」から

 私は雨の日を除いて1日に1回は自転車に乗る。いつ覚えたかは忘れたが、もう長い付き合いだ。窓の外に見える遊歩道でも、自転車が散歩の人たちの脇をすいすいと進んでいる。大人から子どもまで自転車はこの街の風景に溶け込んでいる。時々、詩人の萩原朔太郎の『自転車日記』(以下、日記と略)を読み返す。ひやひやしながら自転車をマスターしようとした詩人の姿が目に浮かび、「朔太郎よ、しっかり」と応援したくなる。

続きを読む

1980 聖書にも「明日のことは思い悩むな」地図で旅するイエスの足跡

 友人には物知りがいる。昨日のブログを見たというある友人は、同じような言葉なら新約聖書にもある、と教えてくれた。早速、本棚奥から「日本聖書協会」発行の『新約聖書 詩編つき 新共同訳』を出してみた。それは「マタイによる福音書」(マタイ伝)6章の中の「思い悩むな」の最後(34節)に書かれている。古今東西、この精神は生きているのだ。    

続きを読む

1979「明日は明日の風が吹く」の日々 想像の旅へ出よう

「明日は明日の風が吹く」の「明日」の読み方は文語的な「あす」ではなく、俗語風の「あした」だ。「明日のことなど何も分からない、そんな明日を心配しても始まらない」や「先のことを考えても仕方がない」という無責任、自棄的な意味がある一方で、「明日」という未来への期待があり、明日のことは明日の運命に任せて、今日の生活への努力をすべきだというのが原義ではないか(国文学者・池田弥三郎)という説もある。いずれにしても暗い話題が多い昨今、私はこの言葉を思い浮かべながら毎日を送っている。    

続きを読む

1977 困難な未来予測 あなたは悲観的、楽観的?

 現在の地球は混沌とした時代が続いていて、未来を予測することは難しい。できれば、楽観的に生きたいと思う。「21世紀の世界は、人間が未来を語るときに、今ほど暗い疑いを持つことのない世の中になるでしょう」(『深代惇郎の天声人語』朝日新聞)。46年前の朝日新聞の天声人語で筆者の深代は楽天的な見通しを書いた。だが、残念ながらこの予言は当たっているとはいえない。では、コロナ禍後の世界はどう変わるのだろう。(写真・霧に包まれた調整池と日の出の風景)    

続きを読む

1976 かつての長老・翁が老醜に 若者よ奮起して

「老醜」という言葉があります。「年をとって顔や姿、心が醜くなる」という意味ですね。「老醜をさらす」とも言います。年をとって醜くなった顔や姿、心を人前に出し、恥をかく、ということです。昨今、内外でこの言葉通りの行いをする人たちが目に付きますね。そんな姿を見る度にある短歌を思い出すのです。  

続きを読む

1971 ラッセルの警告が現実に 人類に未来はあるか

「人類に未来があるか、あるいは破滅か。その解答の出ないまま私は死んでいく。ただ私の最後の言葉として遺したいのは、人類がこの地球に生き残りたいと思うならば、核兵器を全廃しなければならない」。イギリスの哲学者、バートランド・ラッセル(1872~1970)は、97歳でこの世を去る直前、このような言葉で核兵器全廃を訴えた。ラッセルが亡くなって半世紀が過ぎた。核兵器禁止条約がようやく発効したとはいえ、依然、地球上には多くの核兵器が存在し、廃絶の道のりは険しく遠い。やや大げさかもしれないが、本当に人類に未来はあるのだろうかと思う。    

続きを読む

1967 コロナ対策でアジア最大の失敗国になる恐れ カタカナ用語氾濫の中で

「日本はコロナ対策でアジア最大の失敗国になりつつある」「ウイズコロナという政策は愚策」――ある学者の政府のコロナ対策に関する評価だ。客観的な見方だと思う。しかし、こうした声が首相官邸、政府与党には届かないのだろうか。危機のときだからこそ、政治家は異論、批判に耳を傾けるべきだと思う。それができないから、日本のコロナ対策は行き詰っているのではないか。  

続きを読む

1966 今の日本に必要なものは 半藤一利が残した言葉

 今の日本に必要なのは何か? 12日に90歳で亡くなったノンフィクション作家の半藤一利は、『昭和史 戦後篇』(平凡社)で5つの項目を挙げている。コロナで後手、後手に回る政府の対応策を見ていると、そのほとんどが欠けているように思えてならない。その5項目とは……。(以下、その要約。カッコ内は私の昨今の世相に対する感想=独断と偏見です)

続きを読む

1964 1年前の不安が現実に 文明人と野蛮人の勇気の違い 

 新型コロナウイルス感染症の発生地といわれる中国武漢市が封鎖になったのは、2020年1月23日だった。あれから間もなく1年になる。私がこのブログで新型コロナのことを初めて書いたのも、この日だった。当時のブログを読み返すと、「新型コロナウイルスが人類共通の闘いに発展することがないことを願うばかりだ」と書いている。この不安が現実のものになってしまった。そして日本は第3波に襲われ、首都圏1都3県に2度目の緊急事態宣言が出された。

続きを読む

1961 言葉の軽重 2020年の終わりに

 フランスの詩人、ステファンヌ・マラルメ(1842~98)は「詩は言葉で書く」と、教えたそうです。当たり前のことですが、言葉を発することはなかなか難しいものですね。2020年、今年ほど言葉が重く、あるいは逆に軽く感じたことはありません。新型コロナの感染拡大を防ごうと呼び掛ける世界の為政者たちの言葉の響きには、大きな差があったと思うのです。

続きを読む

1960 潔癖症を見習おう 鏡花の逸話を笑ってはならない

 明治から昭和初期に活躍した作家の泉鏡花(1873~1939)は、『高野聖』や『婦系図』など、幻想的な作品を発表した。もし、鏡花が現代に生きていたら、コロナ対策の大家になっていたかもしれないと、想像する。鏡花は病的といえるほど、不潔を嫌う潔癖症だったからだ。アルコールが飛んでしまうほどグラグラ煮立たせた日本酒を飲んだという逸話も残っている。コロナの第3波が続く日々、鏡花のことを笑うことはできない。    

続きを読む

1955 2020年の読書から 2人の女性作家の伝記小説

 日本の新刊本は、年間約7万2000部(20019年、出版指標年報)発行されている。多くの本は書店に並んでも注目されずに、いつの間にか消えて行く運命にある。新聞の書評欄を見ても、興味をそそられる本はあまりない。というより、慌てて買わなくともいずれ近いうちに文庫本として再発行されるから、このところ新刊本はほとんど買わない。そんな読書生活。例外的に今年は2人の女性作家の新刊長編を読んだ。乃南アサの『チーム・オベリベリ』(講談社・667頁)と、村山由香の『風よあらしよ』(集英社・651頁)の2冊。前者は北海道十勝地方開拓の困難な始まりの歴史、後者は関東大震災直後に無政府主義者、大杉栄とともに憲兵大尉、甘粕正彦らに殺された内縁の妻伊藤野枝の骨太の生涯を描いた、評伝的要素が味わえる作品だ。以下は、2冊の独断と偏見の読後感です。    

続きを読む

1954 コロナに負けない言葉の力 志賀直哉と詩誌『薇』と

 コロナ禍の日々。時間はたっぷりある。考える時間があり余っているはずだ。だが、世の中の動きに戸惑い、気分が晴れない日が続いている。そんな時、手に取った志賀直哉の『暗夜行路』の一節に、そうかと思わせる言葉があった。その言葉は、私たち後世に生きる者への警告なのだろうか。    

続きを読む

1953 小説を読む楽しみ 開高健の眼力

 「小説は無益であるからこそ、貴重である。何もかもが、有効であり、有益であったならば、この世はもう空中分解してしまう」。ベトナム戦争取材記や釣り紀行で知られる作家の開高健(1930~89)の小説に対する見方((大阪市での教職員対象の講演録・28日付朝日より)だ。小説は無益だから読まないと公言する人もいるが、私は無益、有益を考えては読まない。まあ、面白ければいいし、暇を持て余すより、小説を読んだ方がいいと思うから、相変わらずランダムに選んだ本を読み続けている。    

続きを読む

1952 自分の言葉・色で語りかける絵画 晩鐘からマスクまで

「詩人が何にもましてひどく苦しめられている欠陥物で、この世の屑ともいうべきものは、言葉である。ときおり詩人は、言葉を――というよりはむしろ、この粗末な道具を用いて仕事をするように生まれついた自分自身を本当に憎み、非難し、呪うことがある。羨望の思いで詩人は、画家や音楽家のことを考える。画家は自分の言葉である色で、北極からアフリカまでの人間すべてが等しく理解できるように語りかけることができるし、音楽家もまた同じように、その音ですべての人間の言葉を語り、あやつることができる」  

続きを読む

1950 散歩の途次にて 見上げる空に不安と希望が

「私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして坐した。その後半は黒板を後にして立った。黒板に向って一回転をなしたといえば、それで私の伝記は尽きるのである」。哲学者、西田幾多郎(『続思索と体験・続思索と体験以後』は、自身の半生をこんなふうに書いている。学問の道を貫いた人の、何とも簡潔な表現ではないかと思う。    

続きを読む

1948 世界が疫癘に病みたり デフォーが伝えるペスト・パニック

 ロンドンが疫癘(えきれい)に病みたり、  時に1665年、  鬼籍に入る者(注・死者のこと)の数(かず)10万、  されど、われ生きながらえてあり。              H.F.  ダニエル・デフォー著/平井正穂訳『ペスト』(中公文庫)は、この短い詩で終わっている。  

続きを読む

1947 政治は国民を指導し取り締まるもの? 辞書作りは盤根錯節

 時々、辞書の頁をめくる。結構面白いことが載っている。最近、アメリカの大統領選挙、日本の学術会議委員任免拒否問題が連日新聞に載っている。いずれもが政治ニュースだ。そこで、「政治」について辞書を引いてみる。中にはユニークな説明もあり、考えさせられる時間を送ることになった。  

続きを読む

1945 トランプ氏は「魚を与える」人? 出典は何か

「トランプのやっていることを見ていると、『魚を与えるのではなく、魚の捕り方を教えよ』ということわざを思い出したよ」。テレビで米大統領選の投開票直前の特集番組で、白人男性がこんなふうに、トランプ大統領の4年間の政治について語っていた。含蓄のある言葉だが、出典は何だろうか。老子の言葉という説もあるが、裏付けるものはない。  

続きを読む

1942 感染症の災厄を乗り越えて「アン」シリーズ4に見る希望の展開

 内外ともにコロナ禍により経済的、精神的に追い詰められている人が少なくない。これまで多くの感染症が人類を襲った。ウイルスとの闘いは果てしがない。かつて、インドだけで1年に300万人が死亡したという恐るべき感染症が天然痘だった。この忌むべき感染症を、人間関係の橋渡し役とした作品を書いたのはカナダの作家、L・M・モンゴメリだ。

続きを読む

1938 嫌な時代と嫌な奴ら 好学の士いずこ

 アインシュタインと湯川秀樹はだれでも知っている理論物理学者で、ノーベル賞受賞者だ。米国のプリンストン高等研究所(ニュージャージー州プリンストン)に縁があり、親しい間柄だった。この研究所の創設にかかわり、初代所長になったのがエイブラハム・フレクスナー(1866~1959)である。    

続きを読む

1935 俯瞰(ふかん)って何ですか 庶民は政治を見ている

「総合的、俯瞰的観点に立って判断した」。日本学術会議の会員任命をめぐって、同会議から推薦された105人のうち6人が任命から外された問題で、加藤官房長官と菅首相は同じ説明を繰り返している。俯瞰は、高いところから見るという物理的意味と、物事を広い視野で見る、すなわち客観的に物事の全体像をとらえること――という2つの意味がある。この場合は後者を使っているのだろうが、どう見ても納得いく説明ではない。

続きを読む

1930 教養ある人間の条件 チェーホフの手紙から

 ロシアの文豪、アントン・チェーホフは多くの手紙を書いたことで知られる。中でも実の兄あての教養に関する手紙は辛辣で、面白い。27歳だったチェーホフは、少しだけ年上の兄を「天才」と持ち上げたあと、1つだけ欠点があると書く。それは「無教養」だと指摘し、教養ある人間の条件として8項目を挙げる。その中で私が気に入ったのは4の「うそをつかない」ことだ。あなたはどうですか。

続きを読む

1929 文芸作品に見る少年たち 振り返る自分のあの時代

 最近、少年をテーマにした本を続けて読んだ。フィクションとノンフィクションに近いフィクション、ノンフィクションの3冊だ。読んだ順は馳星周『少年と犬』(文藝春秋)、高杉良『めぐみ園の夏』(新潮文庫)、佐藤優『十五の夏』(幻冬舎文庫)になる。それぞれの作品に出てくる少年の姿を想像しながら、遠くなった私自身の少年時代を振り返った。それにしても、佐藤優が15歳の高校1年生の夏に体験した東欧諸国一人旅は、私の想像を超えていた。

続きを読む

1928「いつも一緒にいてね」それぞれの愛犬との別れ

 《僕(私)の嫌なところに行くときは、お願いだから一緒にいてよ。見ているのが辛いとか、見えないところでやってとか、そういうことは言わないでよ。そばにいてくれるだけでいろんなこと、頑張れるようになるんだ。愛してるよ。それを忘れないでね。》『少年と犬』(文藝春秋)で直木賞を受賞したのと同様、馳星周の犬をテーマにした『ソウルメイト』(集英社)には、物語に入る前に「犬の十戒」という英語の詩と馳の日本語訳が載っている。冒頭に紹介したのはその10番目である。

続きを読む

1925 アウシュヴィッツのオーケストラ 生き延びるための雲の糸

「人間の苦悩に語りかけ、悲しみを慰め、それをいやすよう働きかける力こそ、音楽のもつ最高の性質の一つだと信じる」。音楽評論家の吉田秀和は、『音楽の光と翳(かげ)』(中公文庫)で音楽の力について書いている。第2次大戦下、死が日常化したナチスの強制収容所でも音楽が流れ続けた。収容所で編成された女性オーケストラのメンバーによる本を読み、この本を原作にした同名の映画を見た。死の淵に立った彼女らにとって、音楽は生き延びるための雲の糸のような存在だった。戦後75年。世界各地の独裁国家には、憎むべき強制収容所が今も残っている。  

続きを読む

1923 刀折れ矢尽きた首相 現代の政治家が失ったこと

 本来なら有終の美を来年の東京五輪で飾るはずだった。だが、安倍首相は28日、辞任を表明した。持病の難病、潰瘍性大腸炎が再発したためだ。あと1年の任期を残しての辞任は、刀折れ矢尽きる状態といえるようだ。病によって精魂ともに尽き、政治のリーダーを続ける意欲がなくなったのだろう。(それほど懸命に政治に取り組んだとは思えない。取り巻きの官僚の言いなりになったにすぎないのではないか、裸の王様だった、という声も聞こえてくる)安倍政権の功罪は様々だ。私から見たら罪の方が大きい(うそが多かった)のだが、野党に力がないから次のリーダーも自民党の誰かがなるだろう。その条件は?

続きを読む

1916 別れの辛さと哀しみ 遠い空へと旅立った友人たちへ

    私らは別れるであらう 知ることもなしに   知られることもなく あの出会つた   雲のやうに 私らは忘れるであらう   水脈のやうに         (立原道造詩集「またある夜に」より・ハルキ文庫)  梅雨が明けたら、猛烈な暑さが続いている。そんな日々、友人、知人の訃報が相次いで届いた。人生は出会いと別れの繰り返しだ。そんなことは百も承知だとしても、懐かしい人たちとの別れは辛くて、悲しい。彼らは遠い空へと旅立った。  Aさんは、環境問題を専門に取材した。たばこの煙がもうもうする中で、彼よりも若い記者と2人で嫌煙権を主張した。当時の120人近い記者集団の中では異質だったが、Aさんの行動は正しかった。年末になると、宮崎の知り合いから車海老を取り寄せる注文を取った。多くの部員がそれを楽しみにしたことを忘れない。記者をやめた後、故郷の北海道に帰り、そばを作り、琉球空手を教えた。ひげを伸ばした姿を見ると、私はアイヌの人々を連想した。物静かな先輩だった。  Bさんは、防衛問題の専門記者だった。心優しく、悪を憎んだ。粘着質という言葉は彼のためにあると、私は思ったことがある。現在、もしこんな気骨がある人が記者活動をしていたら、現政権に激しく立ち向かったと想像する。足で稼ぎ、きちんとした論理を構成した質問に、官房長官もたじたじしたに違いない。晩年、病魔との闘いの連続だった。神が存在するなら、なぜ彼にこのような試練を与えたのか、答えを聞いてみたい。  Cさんは、ある政治家の孫…

続きを読む