1812 炎暑地獄の9月 台風去って難が来る

   9日未明に千葉市に上陸した台風15号は、最大瞬間風速57・5メートルを記録し、同じ千葉市に住む私は眠れぬ夜を明かした。台風のすごさはテレビの映像で知ってはいたが、それを目のあたりにした。あちこちで街路樹が倒れ、屋根のテレビのアンテナが横倒しになり、瓦も飛んでいる。屋根が飛んでしまったガレージもある。遊歩道にはけやきの倒木と飛ばされた枝が散乱している。夜になると、街の半分が停電で暗闇の世界になっていた。そして、1日が過ぎた。停電の家で暮らしている体操仲間は「炎暑地獄ですよ」と話した。  台風が去った後、9日の夕方になると、美しい夕焼けが広がった。それは、右足の大けがをした2年前の9月の夕焼けと匹敵する絶景だった。沖縄から近所に移ってきた娘は「沖縄と同じくらいきれいな夕焼けだ」と感心した。時間差はあるものの、自然は荒々しさと美しさを私たちに与えくれたのだ。まるで、ごめん、ごめん、さっきの乱暴は許してね、その代わりにきれいな空を見せてあげるね、とでも言うかのように……。  テレビや新聞で報道されているためか、昨日から今日にかけ、お見舞いの電話がかかり、メールが届いている。庭中を、飛んできた枯れ枝とけやきの葉が埋め尽くしたが、それ以外は特に被害はない。だから「お陰様で私のところは大丈夫です」という返事を繰り返した。「二百十日」という言葉がある。立春から210目(2019年は9月1日)のことをいい、このころは台風や風の強い日が多いといわれる。最近は春から台風がくるので、この言葉は死語にな…

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1811 ツバメ去り葛の花咲く 雲流れ行く季節に

 朝、調整池の周囲にある遊歩道を散歩していたら、多くのツバメが飛び回っていた。そういえば、七十二候の四十五候「玄鳥去(つばめさる)」は間もなく(18日)だ。ツバメは南へと帰る日のために、ことし生まれた子ツバメを訓練しているのだろうか。残暑が続くとはいえ、自然界はツバメだけでなく、次第に秋の装いへと移り始めていることに気が付く。  ツバメは神奈川県や千葉県で絶滅の恐れがある日本版レッドリストに指定されており、私の住む千葉市では「要保護生物」になっているという。それだけ都会からツバメが少なくなっているのだろう。とはいえ、近所の大型スーパーの出入り口の一つに、ツバメが巣をつくっていて、毎年ここで雛を育てているし、調整池の周辺でも見かけることが珍しくない。私の住む地域に限って言えば、ツバメは激減していないのかもしれない。  この遊歩道の傍らは、調整池と草地が広がっている。最近は予算が減らされ、役所の雑草の刈り取りは年1回しかない。そのため、いつしか繁殖力の強いツル性の葛が増え続け、遊歩道の一部まで葛が勢力を拡大してしまっている。始末が悪い雑草だと思っていたが、今朝この葛の花が咲いているのを見かけた。濃紺紫色の花穂である。葛は秋の七草のひとつで、花はまあまあきれいだ。葛を季題とした俳句も数多い。「山葛の風に動きて旅淋し」 正岡子規の句である。このように風情を感じる句が少なくないが、毎朝調整池でどんどん伸びる姿を見ているためか、私は葛を好きになれない。  調整池の遊歩道とは別に、この街には1…

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1810 心に残る木 9月、涼風を待ちながら

 知人の古屋裕子さんが日本気象協会のホームページ「tenki.jp」で、季節にまつわるコラムを担当している。直近は「さあ9月、『秋』への予感を感じるために!」と題し、「木」に関する話題を取り上げている。(「誰でも持っている心に残る木」「大木はやすらぎと信仰の場所」「木は生活に欠かすことのできない潤い」)分かりやすい言葉で書かれた古屋さんの珠玉のコラムを読みながら、私の心に残る木を考えた。  かつて私の生家の庭に、一本の古木があった。樹齢数百年の五葉松である。これが私の場合の「心に残る木」だ。この木については以前のブログで書いているが、改めて触れてみる。    樹高12、3メートルくらい、品があり、わが家の庭ではいちばん目立つ木だった。長い年月の風雪に耐え抜いた幹には、大きな空洞ができていた。ある年から、その穴にフクロウが住みついた。卵を産み、ヒナがそこからふ化した。ある日、私と兄は五葉松にはしごをかけ、フクロウがどこかに飛んで行っていないことを見越し(フクロウは夜行性といわれるが、昼に活動することもあるそうだ)、交互にはしごに乗ってフクロウの穴に手を突っ込んだ。中には卵が3、4個あり、私たちはその卵を取ってご飯にかけて食べてしまった。2人とも小学生でわんぱく盛りのころのことである。その後、フクロウがいつまでこの松に卵を産んだかは覚えていない。何年かが過ぎ、大きな台風でこの五葉松は根元から横倒しになった。  植木屋さんに頼んで、倒れた松は元に戻し、傷ついた幹と枝には保護用のわらが巻か…

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1803 涼を呼ぶ寒蝉鳴く 猛暑の中、秋を想う

 猛暑が続いている。暦の上では立秋(8月8日)が過ぎ、きょう13日は七十二候の「 寒蝉鳴」(かんせんなく)に当たり、盆入りである。寒蝉は「かんぜみ・かんせん」と読み、秋に鳴くセミであるヒグラシやツクツクボウシのことをいう。散歩コースの調整池の小さな森で朝夕、涼を呼ぶようにヒグラシが鳴いている。この鳴き声を聞くと、私は秋が近いことを感じる。とはいえ残暑は厳しい。今年の本格的秋の到来はいつになるのだろう。  手元にある七十二候の本には「寒蝉鳴(ひぐらしなく)」と紹介されているが、「寒蝉」について広辞苑には「秋の末に鳴く蝉。ツクツクボウシまたはヒグラシの古称か」とあり、大槻文彦・言海「つくつくぼうし」の項の最後にも「寒蝉」と記されている。民俗学の柳田国男は『野草雑記』で植物の土筆(ツクシ)について考察し、地域によってこの植物が「ツクツクボウシ」と呼ばれ、寒蝉=ツクツクボウシと同じ呼称であることを紹介している。このように寒蝉鳴のセミの古称は複数存在するのである。  七十二候はもともと古代中国で考案された季節を表す方式だが、日本では江戸時代に渋川春海(1639~1715。天文暦学者、囲碁棋士。冲方丁の小説『天地明察』は渋川の生涯を描いている)ら暦学者によって日本の気候風土に合うように改訂されたというから、江戸時代に立秋を過ぎてから鳴くことが多いヒグラシやツクツクボウシを「寒蝉鳴」という七十二候に含め、秋の到来を示す風物詩として言い伝えてきたのだろう。  書に倦むや蜩鳴いて飯遅し 正岡子規は…

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1790 マロニエ広場にて 一枚の絵にゴッホを想う

  近所にマロニエ(セイヨウトチノキ)に囲まれた広場がある。その数は約20本。広場の中心には円型の花壇があり、毎朝花壇を囲むように多くの人が集まってラジオ体操をやっている。私もその1人である。既にマロニエの花は終わり、緑の葉が私たちを包み込んでいるように見える。体操仲間の1人がこの風景を絵に描いた。色とりどりの花が咲く花壇の後ろに4本のマロニエが立っている。私は絵を見せてもらいながら、ゴッホもマロニエの花を描いたことを思い出した。  ゴッホは、「花咲く……」という題の絵を何枚か残している。「花咲くアーモンドの枝」「花咲く梨の木」「花咲く桃の木」「花咲くアンズの木々」「花咲く薔薇の茂み」そして「花咲くマロニエの枝」だ。マロニエの絵は、ゴッホが亡くなったフランス・パリ近郊の村、オーヴェル=シュル=オワーズで過ごした最晩年に描いたものだ。ほんのりと赤みを帯びた白い花と緑の葉、背景にゴッホの特徴であるうねりながら渦巻くような(のたうつような筆遣いと表現する研究者もいる)真っ青な空が描かれている。  アルルでゴーギャンとの共同生活が破綻し精神を病んだゴッホは、転地したサン=レミでも耳切り事件を起こす。この後さらに転地療養のため友人の紹介でサン=レミからオーヴェル=シュル=オワーズに移った。1890年5月17日のことである。マロニエの花が真っ盛りのころだ。「オーヴェルは美しい。とりわけ美しいのは、近頃次第に少なくなって来ている古い草屋根が沢山あることだ」と、弟のテオ宛の手紙でこの村の美しさを書…

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1789 雨の日に聴く音楽 アジサイ寺を訪ねる

 きょうは朝から雨が降っていて湿度は高い。ただ、午後になっても気温は約21度と肌寒いくらいだ。それにしても梅雨空はうっとうしい。CDでショパンの「雨だれ」(前奏曲15番 変ニ長調)をかけてみたら、気分がさらに重苦しくなった。仕方なく別のCDをかけ直した。モーツァルトだ。ショパンには悪いが、雨の日もやはりモーツァルトだと思う。 「雨だれ」について仙台在住の作家、佐伯一麦が『読むクラシック』(集英社新書)の中で、私と同じことを書いている。佐伯は高校生のころ、雨が降ると家に引きこもりたくなって学校を休み、この曲に耳を傾けたそうだ。ところが、大人になると……。「正直の所、今はあまり好まなくなってしまった。そもそも雨だれとは、他人が付けた名前で、そう名付けたくなるのも無理もないけれど、この曲から受ける雨の感じは、いかにも重苦しすぎる。悪夢の名残のように、こちらにつきまとって離れない気配がある」(ブログ筆者注。スペイン、マジョルカ=マヨルカ島の修道院の屋根を打つ雨を描いた作品といわれる。ショパンがマヨルカでこの曲を作曲したのは1839年1月のこと。地中海気候のこの島の冬は、日本とは反対に雨が多い季節だ。フランスの作家で男装の麗人ともいわれた恋人のジョルジュ・サンドとともにこの島に滞在したショパンは、肺結核を病んでいたとはいえ創作意欲は旺盛だったそうだ)  梅雨といえば、アジサイを思い浮かべる人は多いはず。この花が嫌いだという人もいるだろうが、雨の季節を彩る、6月の花の代表ともいっていい。それにして…

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1786 雨の季節に咲く蛍袋 路傍の花を見つめて

 散歩道で高齢の女性2人が話している。「あら、ホタルブクロがそこに咲いているわよ」「そうね。懐かしいわ。私の子どものころ、この花を『あめっぷりばな』、って言ってたのよ」「そうなの。面白い名前ね。私の学校帰りの道の両脇にもあって、これが咲くと、ああ梅雨に入ったと思ったものよ」  2人は追憶の日をたどるように、話を続けている。2人の邪魔をしないように、私は傍らをそおっと通り過ぎた。その先の斜面には、紫とそれよりも薄い紫の2種類のホタルブクロが雑草に混じって咲いていた。どことなく郷愁を感じる風情があり、私も既視感を抱いた。そう、私の通学路周辺にも今の季節になるとこの花がひっそりと咲いていたのだ。  ホタルブクロは雨の中で生き生きとする植物だ。「あめっぷりばな」という呼び方は、巧みな表現といっていい。ホタルブクロという名前の由来は「ぶら下がって咲く花を提灯に見立てて、提灯の古語である火垂を充てた」という説と「子供が花のなかにホタルを入れて遊んだから」という2つの説があるそうだ(NHK出版『里山の植物ハンドブック』より)。なるほど、後者なら確かに「蛍袋」になる。  私が子どものころ、夏になると蛍が飛び交うのが珍しくなかった。だが、残念ながら、この花の中にホタルを入れて遊んだ記憶はない。ただ、語源になっているのだから、いつの時代か、どこかの地域でそうした遊びをする子どもたちがいたのかもしれない。それを想像するだけで、風情を感じるのである。 「螢袋に山野の雨の匂ひかな」 細見綾子の句である。雨に濡れ…

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1779 桑の実は名物そばよりうまい 自然の活力感じる季節

 自然を愛好する人にとって、忙しく楽しい季節である。山歩きが趣味の山形の友人からは珍しいタケノコ「ネマガリダケ(月山筍)」が送られてきて、彼の山歩き姿を思い浮かべながら、旬の味を堪能した。自然の活力を最も感じる季節、病と闘いながら旺盛な食欲を発揮し続けた正岡子規の随筆を読み、庭の一隅の桑の実を観察した。もう少しでこの実も熟れ始める。  子規の随筆は「桑の実を食いし事」(『ホトトギス』第4巻第7号)という、信州(長野県)旅行の思い出を記した短文だ。要約すると、次のようになる。 「蚕の季節の旅行だったため、桑畑はどこも茂っており、木曽へ入ると山と川との間の狭い地面が皆桑畑だった。桑畑の囲いのところには大きな桑があり、真黒な実がたくさんなっていた。これは見逃す手はないと手に取り食べ始めた。桑の実は世間の人はあまり食べないが、そのうまさはほかに比べるものがないほどいい味をしている。食べ出してから一瞬の時もやめず、桑の老木が見えるところに入り込んで貪った。何升食べたか分からないほどで、そんなことがあったため、この日は6里程度しか歩けなかった。寝覚の里(寝覚の床=木曽郡上松)へ行くと、名物のそばを勧められたが、腹いっぱいで食べられなかった。この日は昼飯も食べなかった。木曽の桑の実は寝覚そばよりうまい名物だ」  子規の食いしん坊ぶりを彷彿とさせる一文だといえる。私も子どものころ、生家の桑畑で熟した実を食べ、唇や舌を真っ赤にしたことが何度かあるが、子規のようにうまいとは思わなかった。だが、最近そ…

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1776 ほてんど餅って知ってますか 柏餅のことです

 きょうは「こどもの日」で、端午の節句である。ラジオ体操で一緒になった人と柏餅のことを話していたら、「私の方では柏の葉ではなく、『ほてんど』の葉を使うので『ほてんど餅』というんですよ」と教えてくれた。中国地方出身というこの人は、帰り道この植物を教えてくれた。それは「サルトリイバラ」という全国に分布する植物で、山口県では「ほてんど」と呼ばれるそうだ。柏餅でも地域によって利用する葉が違うのだから、日本には幅広い食文化があるのだと感心した。  柏餅を食べる習慣は日本で生まれたならわしで、柏の木(ブナ科)は新芽が出るまで古い葉が落ちないことから「跡継ぎが途絶えず、子孫繁栄」につながり、家系が絶えない縁起のいい食べ物になった――と、歳時記に出ていた。柏餅の呼び方は地域によって違いがあるそうだ。本来の柏の葉を使った柏餅のほかに、サルトリイバラの葉の方で作ったものの呼び方は数多く「ほてんど餅」「ばらっぱ餅」「かしゃんば」「いばらだんご」「しばもち」「ひきごもち」「かたらもち」「かんからもち」(以上、日本調理科学会誌より)などがあるのだが、これは一例にすぎず、もっとある。サルトリイバラの呼び方が地域によって異なるのが、その理由のようだ。西日本ではこの葉を使ったもの自体を柏餅と呼ぶこともあるそうだ。  海野厚作詞、中山晋平作曲の「背くらべ」という童謡は、この季節の曲で、誰でも知っているだろう。  1   柱のきずは おととしの  五月五日の 背くらべ  粽(ちまき)たべたべ 兄さんが  計って…

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1771 生命力を感じる新緑と桜 子規とドナルド・キーンもまた

 私が住む首都圏は現在、新緑、若葉の季節である。街路樹のクスノキの緑が萌え、生け垣のベニカナメの赤い新芽がまぶしいこのごろだ。新緑、若葉の2つは俳句では「夏」の季語になる。しかし立夏はまだ先(5月6日)で、今は春爛漫というのが適切な時期になる。時代ともに季節感覚が、少しずつずれてしまっているのだろう。  手元の角川俳句歳時記には「春に芽吹いた木々が5月ごろに新葉を拡げるさまは美しい」(若葉)、「初夏の若葉のあざやかな緑」(新緑)――と出ている。いずれも5月ごろの季節を想定した書き方である。東北や北海道ではちょうどこの記述が適当だろうが、関東以南にはややそぐわなくない表現だと思われる。  それは別にして、新緑と若葉と聞いて人は何を感じるだろうか。私はどうしても「生命力」をイメージする。樹木が冬の眠りから覚めて活動を再開する姿に、生命の息吹を感じるからだ。詩人の大岡信は、日本の春の象徴である桜について「『前線』ということばが花では桜についてだけ言われますが、桜は動くもの、散るもの、しかしそれは同時に生命力をあらわしていて、桜を詠んだ詩歌がそういうことを示すものが多いのは当然だとおもいます」(『瑞穂の国うた』新潮文庫)と書いている。  3月が別れの季節の色合いが濃いのに対し、4月は大岡が書くように、生命力が前面に出る季節なのだ。34年という短い生涯にもかかわらず、挑戦する姿勢を忘れなかった俳句の正岡子規の生き方に私は強靭な命の輝きを感じ取る。先ごろ96歳で亡くなったドナルド・キーンは『…

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1768 東京も千葉も福島も桜の季節 「人はいかに生きるべきか」

 かつては「桜前線が北上」という言葉が一般的だった。だが昨今、この言葉はあまり使われなくなった。異常気象といわれた世界の気象がいまや恒常化してしまい、東京と福岡の桜の開花日が同じになっている。自然界も異常を普通にしてしまう「トランプ現象」と足並みをそろえてしまっているようだ。私の住む千葉がまだ満開の一方で、原発事故から8年が経た福島でも美しい桜の季節を迎えている。福島の人たちはどのような思いでこの季節を送るのだろう。  共同通信社の現在の福島支局長は、ロシア問題専門の私の信頼する佐藤親賢という後輩記者だ。佐藤記者が最近、書いた社内文書を読む機会があった。福島の現状を紹介した後、彼の思いを書いていた。私はその文章に惹かれた。 「人はいかに生きるべきかという問いに、全ての人が向き合っているわけではあるまい。しかし震災・原発事故を経験したことで、自分はこれからどう生きたらいいのかを考えさせられた人がたくさんいた。福島の記者たちが日々取材しているのは、そういう人々の思いである。原子力災害にどう向き合うか。急速な過疎化と高齢化にどう対応するか。どんなやり方でエネルギーを、そして安全な食料を確保するのか。福島は、こうした課題についての『学びの場』になったらいい。県外や国外から視察を受け入れ、自分たちの苦しい経験を分かち合い、今後予想される災害や課題への解決策を共に考える。いまだに続く『風評被害』もその中で克服されていくに違いない」 「人はいかに生きるべきか」という後輩のこの問いに、私はどう答…

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1767辞書を引きながら…… 無常を感じる新元号発表の日

 新聞、テレビが大騒ぎをしていた新元号が「令和」と決まった。多くの人たちは西暦表記に慣れているので、元号が替わっても何の影響もないが、元号とは何なのだろう。「元号法」という法律もあるが、よく分からない。「令」も何となく違和感がある。  元号法は2つの条文しかない。「1、元号は、政令で定める。2、元号は、皇位の継承があった場合に限り改める。」(三省堂『新六法』)これだけである。法律にはその法律を定めた意義や目的が掲げられているのだが、なぜか元号法にはない。仕方なく、辞書を引いてみた。  新明解国語辞典(三省堂)では「その天皇在位の象徴として、年に付ける名称。[明治以降は一代一元に定められた]」とあり、広辞苑(岩波書店)には「年号に同じ」という説明が書かれていた。広辞苑で「年号」を引くと、「皇帝が時をも支配するという思想から中国・漢の武帝の時に「建元」(西暦紀元前140年)としたのが始まりで、日本では645年に「大化」としたのが最初。天皇が制定権を持ち、即位や祥瑞(めでたいこと)、災異(天変地異)その他によりしばしば改めたが、明治以降は一世一元となり、1979年公布の元号法も、皇位の継承があった場合に限ると規定」(一部略)――とあった。こうした歴史の経緯や元号法の規定を見ても明らかのように、元号は天皇制と密接につながっていることが理解できる。  新元号の「令和」に関しては、万葉集の大伴旅人の梅の花の歌の序文(新春例月、気淑風和)が典拠という解説が新聞にあり、「和」については特に説明…

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1765 春眠暁を覚える? 雉を見に行く 

「雉が増えすぎて困るから、野良猫がいた方がいいって言ってる人がいる」「それはおかしいよね」ラジオ体操仲間が、こんなことを話していた。その場所は私の散歩コースに当たり、なるほどこの数年、よく雉を見かける。それにしても「増えすぎる」とはどういうことなのだろうと思った。 「春眠暁を覚えず」(中国唐代の詩人、孟浩然の詩「春暁」=春はよく眠ることができるから、夜明けに気づかず寝坊してしまう)の季節だが、現実には寝坊するのはもったいない光の季節がやってきた。近所の公園広場で続いている朝のラジオ体操は、寒い季節になると極端に参加者が少なくなる。冬季の日曜日には10人に満たないときもある。夏場の最盛期には40人ほどになるから、その落差は大きい。しかし3月になると休んでいた参加者が次第に戻ってきて、20人近くになってきた。寝坊よりも朝のすがすがしい空気を吸いたいという人が増えてきたのだ。  ラジオ体操が終わると、急ぎ足で散歩に向かう人たちの姿があった。その一部は私の散歩コースでもある調整池まで雉を見に行くという。先ほど、雉のことを話題にしていた人たちだ。辞典を見てみると、雉は日本古来のもの(1947年に国鳥に指定)と高麗雉と呼ぶ外来種のものがいて、特に後者は繁殖力が強く、増えすぎているという話もある。私はたまたま望遠レンズ付きのカメラを持っていたので、後ろに付いていき、美しい姿をした一羽の雄雉を撮影した。その画像は掲載した写真だが、どう見ても日本固有の雉のように見える。  この周辺では野良猫に餌を…

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1759 桜の季節そこまで 四季の美しさ見つめて

 シンガポールから東京にやってきた19歳の留学生が「初めて四季の美しさに目覚めた」ということを書いた新聞の投書を読んだ。「日本は四季がはっきりしていて、自然が美しい」といわれる。しかし、そうした環境に身を置くと、ついそれが普通と思ってしまいがちだ。この留学生のような瑞々しい感覚を取り戻す機会が間もなくやってくる。桜の季節である。  投書によると、この留学生は東京に住んで人生初の秋の季節を体験したのだそうだ。シンガポールは赤道直下で365日が真夏なのである。イチョウ並木のある街では木々が風に吹かれる音を聞き、落ち葉が道路を黄色く染めているのを見て「こんな絶景が日常にあるなんて」と感動し、道路の真ん中に立ち止まってしまったという。投書の後段がいい。「いつも前向きで一生懸命な日本の方々に少し立ち止まって自然のプロセスを味わってほしい」「効率性のためゆとりを犠牲にしている方が多いと思う。仕事や勉強に追われるあなた、たまには周りの景色を鑑賞してみませんか?」  私たちの日常に、この留学生が見たような風景は珍しくない。だが、がむしゃらに先を急ぐあまりにそれを見過ごしてしまい、無感動の日々を送ってしまうのだ。気象庁の発表によると、ことしの桜の開花は例年より早くなる予想で、無感動な人でもつい立ち止まって花を見上げてしまう日が近づいている。初めての桜をこの留学生も楽しみにしているに違いない。桜は昔からその美しさとともに無常観も漂っているとされていて、さまざまな和歌にも謳われている。西行の「願はくは 花の…

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1752『メロディに咲いた花たち』 人々に愛される四季の花と歌の本

 花をテーマにした歌は少なくない。四季折々の花を歌ったメロディは心を和ませてくれる。そうした花の歌を集めた『メロディに咲いた花たち』(三和書籍)という本が、このほど出版された。この本には歌の紹介に合わせてさまざまな花の写真も掲載されている。この頁の写真、「アザミ」(本では平仮名)の花は以前の私のブログに載せたものを提供したものだ。それにしても詩(詞)の題材として、多くの花が人々に愛されることをこの本は教えてくれる。  この本に出ている花は日本で咲いている90種である。日本ほど四季がはっきりしている国は珍しいといわれるが、四季に合わせ咲く花もバラエティに富んでいる。だれでも、季節の花とその花に合わせた歌を思い浮かべることができるだろう。これらの花の歌のほか、季節を問わず花をテーマにした歌(たとえば、森山良子さんが歌った「この広い野原いっぱい」やSMAPの「世界に一つだけの花」など)を加えた456の歌(ジャンルは童謡、唱歌、民謡、歌謡曲、フォーク、ロック、ニューミュージック、J-POPまで幅広い)が紹介されている。  アザミは俳句では春の季語になるが、この本では夏の花の中に織り込まれている。掲載されたのは①「あざみの歌」(詞・横井弘、曲・八洲秀章、1949年)、②「アザミ譲のララバイ」(詞・曲=中島みゆき、1975年)、そして③「少年時代」(詞・曲=井上陽水、1990年)の3曲である。以下のように簡単な紹介もある  ①NHKの番組『ラジオ歌謡』で放送され、後に伊藤久男の歌でレコード化…

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1750 厳寒の朝の話題 ジャーナリズムの原点

 今朝の最低気温は氷点下1度で、この冬の最低を記録した。寒い地方の人から見れば、千葉はその程度なのといわれるかもしれないが、やはり体にこたえる。毎朝、近所の広場で続いている6時半からのラジオ体操の参加者は、真夏だと約40人いる。それなのに今朝は9人しかいなかった。  朝6時に家を出て、近くの遊歩道を歩いている。春から秋まではこの時間は明るくなっていて、街灯のない調整池周囲の遊歩道を回る。冬の間は街灯のある別の遊歩道を歩くコースに切り替えた。東南の空に右斜め上から月、木星、金星の順で輝いている。見事な天体ショーである。ノルディックウォーキング用のポールを使って歩き始めると、10分もすると、体が温まってくる。犬の散歩、ジョギングの人もいる。  途中、開花している紅梅が目に入った。沖縄では「寒緋桜」(緋寒桜ともいう)が咲いたというニュースが出ていたが、こうした寒い季節でも自然界は確実に春に向かって息づいていることを感じる。今朝、配達された新聞を見ると、厚生労働省による「毎月勤労統計」の不正問題が一面に載っていた。特別監査委員会の外部識者が実施した同省の幹部への聞き取り調査に官房長が同席し、質問までしたという。これを許した外部識者もどうかしていると思う。読者の声欄には「政治、官僚、国の制度の劣化」を嘆く声が出ていた。創造力・想像力が欠如し、柔軟な発想ができなくなってしまった組織に未来はないことをこのニュースは如実に物語っている。  一方、スポーツ面には全豪オープンで優勝した大坂なおみ選手…

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1725 けやきの遊歩道無残 紅葉奪った塩害

 街路樹のけやきの葉の色がことしはおかしい。例年なら赤や黄、茶の3色に紅葉して美しい秋を演出するのだが、ことしに限って美しさが失われてしまった。よく観察してみるとほとんどの葉が褐色(こげ茶色)になっている。文字通り枯れ葉といった印象なのだ。その原因は台風による塩害だと思われる。この街に住んで30年以上になるが、初めての現象に出会った。  私が住む千葉市はことし9月30日夜、台風24号が通過した。この台風は9月21日にマリアナ諸島で発生したあと、海面水温の高い所を進んだことから猛烈な勢力に発達した。29日には沖縄付近を「非常に強い」勢力で通過し、その後は北東へ進んだ。30日午後8時ごろに非常に強い勢力を保ったまま、和歌山県田辺市付近に上陸、その後近畿から中部、関東、東北を縦断し、北海道東部の沖合へと進み、10月1日に温帯低気圧に変わった。非常に強い勢力で台風が上陸したのは、21号(9月4日、徳島県南部に上陸し近畿地方を中心に大きな被害を出した)に続いて2個目。非常に強い勢力の台風が1年に2個上陸するのは、統計を取り始めてから初めてだったという。  沖縄から東北にかけて広く記録的な暴風となり、関東でも八王子で最大瞬間風速45.6メートルを観測し、全国で大規模停電があり、首都圏では倒木などで鉄道の運転見合わせが相次いでことは記憶に新しい。沿岸部ではこの強風に乗って多量の海塩粒子が運ばれ、ケヤキの葉もやられてしまったようだ。台風が過ぎたあと車を洗っている人が多かった。車も風で飛んできた海塩粒子…

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1708 不思議なキンモクセイの香り 郷愁を呼ぶ季節

 ことしも庭のキンモクセイの花が咲き始めた。花よりも、独特の香りで開花を知った人は多いのではないか。実は私もそうだった。植物の花はさまざまな香り(におい)がある。その香りは虫を呼び、受粉を助けてもらう働きがあるのだが、キンモクセイの花には虫(蝶類)が寄らないという。なぜなのだろう。    キンモクセイの花は若い女性が発するのと似たγ―デカラクトンという甘い香りのほか、何種類かの香りの成分があるのだそうだ。広島大の研究者はこの「γ―デカラクトン」という物質を昆虫が嫌うのではないかと推測している。たしかに、私はキンモクセイの花に蝶や蜂が寄っているのを見たことがない。甘くても昆虫類にとって嫌なにおいなのだろうか。  以前のブログで『失われた時を求めて』のことを書いたことがある。フランスの作家マルセル・プルースト(1871~1922)の20世紀を代表するといわれるこの長編小説には、主人公がマドレーヌ(フランス発祥の焼き菓子)を紅茶に浸したとき、その香りをきっかけとして幼いころの記憶が鮮やかに蘇るという描写がある。この有名な場面から、心理学や精神医学の世界では「プルースト効果」という言葉があるそうだ。ブログにはこのことに触れ、私の場合は濃いお茶を飲みながら羊羹を食べているときのにおいから幼い時代を思い出すことがあると、プルーストファンから叱れるようなことを書いた。  私のことは別にして、キンモクセイの香りから、幼少期の秋の日の一コマを鮮やかに脳裏に浮かべる人も多いかもしれないと思ったりする。…

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1705 秋の気配そこまで 野草と月とそばの季節に

 9月も半ば。これまで味わったことがないような猛暑、酷暑の夏が過ぎて、秋の気配が漂ってきた。コオロギの鳴き声も次第大きくなり、エアコンに頼らず、自然の風の中で生活ができるのはとてもうれしい。そんな一夕、正岡子規が好きな人たちが集まって開いている句会があった。今回で15回を数える。兼題、席題とも秋にふさわしいものだった。集まった人たちは日本の詩情に触れながら、一足早い秋を味わった。(俳句は末尾に掲載)  兼題は「野分(のわき)・二百十日」「月」「秋薊(あざみ)」の3つ、席題は「新蕎麦・蕎麦の花」である。「野分」は、野の草を吹き分ける風のことで、二百十日・二百二十日前後に吹く暴風や台風を言う。文学的表現といってよく、気象予報士は使うかもしれないが、最近のニュースでこの表現を見たことはない。夏目漱石が「野分」(中編)と「二百十日」(ほぼ会話文だけで構成の短編)という2つの短編を書いていることはよく知られている。このほか以前読んだ山本周五郎の短編集『おごそかな渇き』を思い出した。この中にも「野分」という、下町の娘と武家の家に庶子として生まれた若者の恋を描いた人情物の作品がある。  自由律俳句の代表的な俳人、種田山頭火は「白い花」という随筆の冒頭「私は木花よりも草花を愛する。春の花より秋の花が好きだ。西洋種はあまり好かない。野草を愛する」と書いている。「秋薊」も山頭火が愛した秋の野草の一つだろうか。私の散歩コースである調整池の周囲には「オトコエシ」の花が咲く。黄色い花の「オミナエシ」に比べると、…

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1700 初秋の風物詩 マロニエの実落下が続く遊歩道

 私の家の前は遊歩道になっていて、街路樹としてのけやきの大木がある。そのけやき通りを東に歩いていくと、街路樹は数本のクスノキとなり、さらにその次にはマロニエ(セイヨウトチノキ)が植えられている。9月になった。マロニエの実が次々に落ちてきて、気を付けないと頭に当たる。遊歩道はマロニエの実と剥がれた皮が転々としていて、初秋の風物詩を演出している。  マロニエは私が参加しているラジオ体操広場にもある。この広場は遊歩道とつながっていて、毎日40人前後が集まってラジオ体操をする。学校の夏休み中は数人の子どもが参加していた。だが、途中でその数が減り、最後まで残ったのは小学校1年生の小さな女の子1人だった。マロニエの実は8月下旬から少しずつ落ち始めていて、女の子はある日小さな手いっぱいに実を集めて家に持ち帰った。栗の実と思ったようだった。だが、母親から「栗とは違うよ。庭に埋めなさい」と言われたそうで、次の日から集めるのはやめた。夏休みが終わって女の子は姿を見せなくなった。そして遊歩道と体操広場には落ちた実がかなり目立つようになった。  以前、スロバキアの首都、ブラスチラバでちょうどマロニエの実が落ちている公園を歩き、風情を感じた。だが、遊歩道もそうだが、トチノキやマロニエが街路樹となっている場合、実が落ちる時期、歩行者はけっこう歩きにくいのではないかと思われる。マロニエの通りで知られるパリのシャンゼリゼ通りにはマロニエが街路樹として植えられ、秋にはかなりの実が落下し、歩行者の頭を直撃することがあるそ…

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1690 台風一過の午後のひととき プレーヤーに入れたCDはあの曲

 台風一過、暑さが戻ってきた。こんな時にはCDを聴いて少しでも暑さを忘れたいと思う。プレーヤーに入れたのは、チャイコフスキーの「弦楽セレナード」(ネヴィル・マリナー指揮、アカデミー室内管弦楽団)だった。実は昨日、友人が演奏者として参加したコンサートでこの曲を聴く予定だった。しかし台風が接近したのに加え急用ができてしまい、出かけることを断念した。そのため、この曲をかけようと思ったのだ。  友人は首都圏のある都市の市民オーケストラでバイオリン奏者として活動している。昨日はその定期公演会で、この曲やモーツァルトの交響曲41番「ジュピター」を演奏した。「弦楽セレナード」は1881年にチャイコフスキーがモーツァルトを意識してつくったといわれるが、いずれにしても明るくて幸福感に満ちた曲である。これから12年後の1893年に完成した交響曲6番「悲愴」は極めて憂愁に満ちた曲であり、私はこのCDをプレーヤーに入れるのをためらうことがある。友人は別の活動のために、しばらくオーケストラを休団するという。だから、今回のコンサートは特別の意味があったに違いない。そして、この曲とモーツァルトの41番は思い出に残る演奏になったのではないか。  作家でクラッシック音楽を愛好する佐伯一麦(さえきかずみ)は『読むクラッシック』(集英社新書)の中で、デンマークで出会ったタクシー運転手のことを書いている。佐伯がペンネームに「麦」を使っているのは、麦畑を多く描いたゴッホから取ったのだそうだ。「麦畑のように、誰にとってもありふれ…

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1689 邯鄲の昼寝 覚める時まで真に生きたい

「イタリアやスペインでは〇〇は四季を通じて行われ、一つの文化である」。これは角川俳句大歳時記(角川学芸出版)に出ている、ある季語の解説の一部だ。賢明な方はすぐにあれかと思い至るはずだ。そうです。「〇〇」は「昼寝」でした。この夏は猛暑を超えた酷暑が続いている。それだけに昼寝は疲労回復のためにも必要なのかもしれない。 「足しびれて邯鄲(かんたん)の昼寝夢さめぬ」正岡子規  これは「邯鄲の夢」という「人生の栄枯盛衰のはかないことのたとえ」を意味する中国に伝わる言葉を使った俳句である。唐代の沈既済の小説、「枕中記」(ちんちゅうき)に出てくる。小説は「盧生という青年が、邯鄲(現在の河北省南部の都市)で道士呂翁から不思議な枕を借りて寝たところ、次第に立身して富貴を極めたが、目覚めると、枕頭の黄粱(こうりょう=オオアワの別名)がまだ煮えないほど短い間の夢であった」(広辞苑)という内容。この話を子規は巧みに俳句に取り入れたのだ。  芥川龍之介は「邯鄲の夢」をテーマにした『黄粱夢』というショートショート(掌編小説ともいわれる)を書いている。その最後で盧生は以下のようなセリフを吐く。「夢だから、なお生きたいのです。あの夢のさめたように、この夢もさめる時が来るでしょう。その時が来るまでの間、私は真に生きたと云えるほど生きたいのです。あなたはそう思いませんか」  夢というのは寝ている間に見る幻覚だけでなく、自分の将来にやってみたいと思う願望や理想のことも言う。この句を作った子規や掌編小説を書いた芥川は…

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1688 観測史上最高の「激暑」 心配な東京五輪

 近所の自治会の掲示板に、夏休みの子どもたちの「ラジオ体操」や「そうめん流し大会」中止の案内が出ていた。長引く猛暑の影響だ。散歩をしていると干からびたミミズの多くの死骸が目に付き、街路樹からはうるさいほどのセミの鳴き声が聞こえる。大暑の23日、埼玉県熊谷市では午後2時過ぎ、観測史上最高の41・1度を記録した。風呂に入っているような温度である。テレビのアナウンサーは「各地で命に関わる危険な暑さになっている。熱中症に厳重に警戒してください」と、呼び掛けている。異常な猛暑(酷暑、溽暑、炎暑ともいうらしい。私は激暑と名付けた)が日本列島を襲っている。2年後の夏、東京で開催される五輪が心配だ。  一度だけ熱中症になったことがある。真夏に屋外のコートでテニスをやっていて、急に体がふらつき、吐き気がしてきた。慌ててテニスをやめた。コートが家の近所だったため、すぐに家に帰り、冷たいシャワーを浴び横になった。2時間ぐらいして何とか回復したが、あの気持ちの悪さはよく覚えている。以後は炎天下の行動には気を付けている。今夏、全国で熱中症による犠牲者が後を絶たない。特に夜になって救急車で運ばれる高齢者が多いという。  毎年、夏の気温が上がり続けている。2年後の東京はどんな気候で五輪を迎えるのだろう。地球の温暖化現象が確実に進んでいるのだから、厳しい予測をせざるを得ない。特に長時間の戸外競技、マラソンと競歩の選手は気の毒だ。マラソンは予定した時間を30分早めて午前7時のスタートになると決まったそうだが、専門家が「…

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1647 公園に復活したキンラン 植物は天然の賜

 近所の公園でキンランの花が咲いているのを見た。かつてはそう珍しくない山野草だったという。90年代ごろから減少し、地域によっては絶滅危惧種にも指定されているが、最近は少しずつ復活しているようだ。  キンランはラン科の多年草だ。久保田修著『散歩で出会う花』(新潮文庫)によると、キンランは丘陵地の雑木林で、林床にササなどが生えないように手入れされた場所や林縁などにあり、花は黄色で斜め上を向いて咲き、花弁は半開するという。この花が減ったのは、山野草ブームによる盗掘や里山の荒廃(下刈りがされなくなって、林床にササや低木が繁茂した)が背景にあるといわれる。この花の自生に、人間の生活が大きくかかわっていたのだ。  キンランが生えている公園は、もともと原生林だった。そこを整備して公園にしたためキンランは姿を消したが、周辺が踏み荒らされなかったので復活を遂げたようだ。数えてみると、10数本あった。植物学者の牧野富太郎は「植物に取り囲まれているわれらは、このうえもない幸福である。こんな罪のない、且つ美点に満ちた植物は、他の何物も比することのできない天然の賜である」(『植物知識』と述べた。キンランの可憐な姿を見ると、牧野の思いが伝わる。  立原道造の抒情詩「ひとり林に……」を読み返した。以下はその書き出しだ。  だれも 見てゐないのに  咲いてゐる 花と花  だれも きいてゐないのに  啼いてゐる 鳥と鳥  キンランは人工栽培には向いていない。育てるには「外菌根」といわれる菌類があ…

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1642 「玄鳥至る」(つばめきたる)ころに 子ども時代の苦い思い出 

 南からの強風が吹き荒れたと思ったら、急に木々の葉の緑が濃くなってきた。二十四節気でいう「清明」のころであり、七十二候の初候「玄鳥至る」(つばめきたる)に当たる。散歩コースの調整池周辺にも間もなくツバメが姿を現すだろう。ツバメといえば、冬の間東南アジアあたりで過ごし、数千キロの旅をして日本にやってくる春を告げる使者的な野鳥だ。私は子どものころツバメが大好きだったにもかかわらず、あるいたずらをしてしまった。いまでもツバメを見ると、その苦い思い出が蘇る。  私の生家では当初、長屋門の軒下にツバメが巣をつくった。しかし、この巣に産んだ卵は、蛇の青大将に飲まれてしまったり、あるいはひなが生まれても猫に食べられてしまったりして、ツバメの子どもが育つのは大変だった。この場所は危険と察知したのか、いつのころから巣は本宅の軒下に移った。だが、ここも同じことが繰り返された。私が小学3年生になったころ、ツバメは開け放しになった座敷の天井に巣をつくった。ここなら安全と思ったのだろう。飼い猫にも狙われにくかった。ひなが数羽生まれ、母親や姉たちは巣から落ちてくる糞掃除が日課になった。  翌年、母はこの場所に天井から竹でつくった円座という夏の敷物を吊ってやった。天井の巣から糞が落ちてもここにたまるから、畳は汚れない。毎日掃除をしなくても済みそうだった。昼間の親ツバメの出入りはうっとうしいが、子ツバメの成長を見るのは家族の楽しみだった。翌年もツバメの季節になると、母は同じ作業をしてやり、ツバメたちも当然のように座…

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1640 ヤマザクラに登った少年時代 被災地も桜の季節

 満開の花のことばは風が言ふ 俳誌「沖」の編集長だった林翔の句である。この句からは、満開になった桜の花が風に吹かれてざわめいている光景を思い浮かべることができる。4月になった。部屋のカレンダーをめくったら奈良・吉野山の風景が広がっている。吉野の桜も風に吹かれ、ざわめいているようだ。  田中秀明著『桜信仰と日本人』(青春出版社)によると、吉野山には約10万本の桜がある。その種類は日本中で圧倒的に多いソメイヨシノではなく、山野に自生していた野生品種のヤマザクラだという。ソメイヨシノは花が散った後に葉が出てくるが、ヤマザクラは開花と同時に葉が出るのが特徴で、花弁は5枚である。京都や奈良ではヤマザクラこそが桜と思っている人が多いようだ。水上勉は、桜の保護のために生涯を送った庭師を主人公とした『桜守』(新潮文庫)の中で、桜研究者に「ソメイヨシノは最も堕落した品種であり、本来の日本の桜はヤマザクラやサトザクラである」と言わせている。  私にとって幼いころの桜の思い出も、実はヤマザクラだった。生家の裏山には大きな1本のヤマザクラがあったからだ。4月の中旬ごろになると、ヤマザクラが登下校する私を見守ってくれるように、咲き誇っていた。ヤマザクラは寿命が長く、樹齢数百年というものも珍しくはないという。裏山の1本も樹高が30メートル近い大木だったから、かなりの樹齢だったに違いない。  やんちゃだった小学校高学年のころ、この木に登ったことがある。てっぺん近くまで登ると、富士山が見えると思い込んでいたのだ…

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1635 霧の朝に初音聞く 幻想の世界を歩く

 急に暖かくなったと思ったら、けさウグイスの初音を聞いたた。朝6時過ぎ、調整池を周回する遊歩道を歩いた。調整池周辺は濃い霧に包まれていた。その霧を突き破るように、うぐいすの鳴き声が耳に飛び込んできた。日記を見ると、早い年だと2月20日ごろ、遅い年では5月3日に聞いたと書いてある。ことしの初音の時期は、例年通りなのだろう。  それにしても、霧の風景はなかなか幻想的だ。少し時間が過ぎると、霧の向こうから太陽が顔を出した。その景色を見ながら東日本大震災があった2011年の9月、ノルウェーで経験した霧の朝を思い出した。ノルウェーで2番目に長いハダンゲル・フィヨルド(全長179キロ)を臨むウルヴィックのホテルに泊まった翌朝のことである。ホテルの周辺を散歩した。前日、ホテルの前には透明感のあるフィヨルドがあった。だが、濃い霧がフィヨルドを包み込んでいて、あたりは幻想の世界になっていた。  私はしばらく護岸にたたずんだ。すると、次第に霧が晴れてきて、フィヨルドが見えてきた。透明感が広がるフィヨルに、小さ舟が浮かんでいる。鮮やかな朱色の舟に人影はない。まるで夢を見ているようだった。美しい風景に私はかなりの時間見とれていた。  この後、首都オスロに行き、国立美術館でエドヴァルド・ムンクの油絵「叫び」を見る機会があった。この絵にフィヨルドが描かれているのは周知の通りだが、大震災から半年しか経ていないため、原発事故の被災者を想起して身震いしたことを覚えている。  調整池の霧は、散歩を終えるころか…

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1633 変わりゆく気仙沼大島 「空に海に胎動のとき」に

「空に海に胎動のときがめぐりきたらむ 春一番の潮けむり」  この歌の作者は、宮城県気仙沼市の大島で漁業を営みながら短歌を作り続けた小野寺文男さんで、歌集『冬の渚』に収められている。大島は7年前の東日本大震災で大きな被害を受け、30人の死者不明者が出た。この震災のとき島民の足となった小型臨時連絡船が間もなく廃業になるという新聞記事が出ていた。3月は「空に海に胎動のとき」なのだが、明日は3・11から7年目。心は晴れない。  気仙沼市の大島は8・5平方キロの東北最大の島であり、約2500人が住んでいる。小野寺さんは漁業のほかに民宿も営み、私も何度か利用したことがある。しかし、大震災で海岸近くにあった小野寺さんの民宿は津波に流されてしまった。小野寺さん家族は高台に避難して無事だったが、その後民宿を再開したという話は聞かない。  震災で孤立した島民の足になったのは、菅原進さんの「ひまわり」という小型連絡船だった。津波が来たとき菅原さんはこの船を沖合まで避難させ流失を免れ、震災の2日後から気仙沼本土と島の間を夜間に無償で往復させ、孤立した島民の力になった。菅原さんは、ひまわりを避難させた際「おい、ひまわり、頑張れ。お前が死ぬ時は俺も死ぬ時だ」といって踏ん張ったことは、島民の間でよく知られている。  現在、気仙沼と大島の間には長さ356メートル(橋脚間の長さは297メートル)のアーチ橋が建築中で、2019年春までに完成する予定だ。そんな事情もあって菅原さんは廃業を決めたのだという。 …

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1631春を告げるフキノトウ 心弾む萌黄色 

 近所に小さな森がある。その森に最近フキノトウ(蕗の薹)が大きくなっているのが、散歩コースの遊歩道からも見える。そこまで行くにはかなり斜面を下る必要があってかなり危険なため、誰も取りに行かない。そして、日に日に薹が立ち一面が白くなっていく。春の到来だ。 「われわれの食卓にいかにも春らしい香気を添えるものなら、蕗の薹にまさるものはない。(中略)春待つ心にしもとおる香り。それは不粋なローマ人が回春のために用いたという処女の生き血の風呂よりも、われわれには効き目のある回春の秘香かも知れない」。文芸評論家、杉本秀太郎の「蕗の薹」に寄せる言葉(講談社学術文庫『花ごよみ』から)である。杉本が言うように、フキノトウはそんな香気があり、さらに食べるとほんのりとした苦味がある。この苦味を受け付けないという人がいれば、その逆にこれがたまらないという人もいる。その意味では好き嫌いが激しい植物といえる。  ちなみにフキノトウはフキのつぼみのことで、フキノトウが大きくなったものは「フキの姑」と呼ぶという。杉本は「嫁に小言ばかり多い姑は、にがみが強すぎて野暮な蕗の薹である」と記している。世の中には苦味の強いものを好む人もいるだろうし、核家族化で嫁と姑の関係もかなり変化しているから、この言葉は死語に近いのかもしれない。  歳時記には「枯れ色の野の中にぽつりとこの萌黄色(もえぎいろ)の花芽を見つけると、春の訪れを感じて心がはずむ」(角川俳句歳時記)とあり、明治の俳人、西島麦南の「雪国の春こそきつれ蕗の薹」という…

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1617 地の下では春の支度が…… 角界は厳寒期

 きょうまでは「小寒」で、明日20日から「大寒」。1年で最も寒い時期である。天気予報では22日には寒波が来て、大雪が降るかもしれないという。そんな厳寒期でも、花壇ではパンジー、ビオラ、水仙、クリスマスローズたちが気を吐いている。この季節が過ぎると、光の春が次第に近づいてくるのだ。それにしても、昨今話題なのは角界が厳寒期にあることだ。白鵬に続き稀勢の里まで休場し、日馬富士の不祥事による引退騒動が尾を引いているのだ。  白鵬は優勝回数40回を記録した文字通りの「大横綱」だが、専門家や横綱審議委員会の指摘のように、大鵬の32回を超えた後あたりから、立ち合いに張り手やかち上げという手段を使うようになった。相撲は格闘技であり、こうした技は禁じ手になっていないから、いいではないかという声もある。その一方、横審の委員たちのように「横綱にふさわしくない」という意見もある。今場所、白鵬はその立ち合いをやめた結果、4日目までに2敗をして、5日目から休場してしまった。場所前には、日馬富士の貴ノ岩に対する暴行の席に居合わせ、暴力を見過ごしたとして横綱鶴竜とともに減給処分を受けており、立ち会いの武器を封印され、相撲に全力を注ぐという気持ちになれなかったに違いない。  稀勢の里の場合は、昨年春場所(大阪)で痛めた左胸付近が完治しないまま出場を繰り返し、途中休場に何度も追い込まれた。今場所も同じ繰り返しで、5日目までに4敗をして5場所連続しての休場(秋場所は全休)に追い込まれた。私は昨年9月、右足の大腿四頭筋断裂と…

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