1965 世界の人々を鼓舞する少女 ロッカクアヤコの奇想の世界

 伊藤若冲は最近人気が急増している江戸時代の絵師です。高い写実性に加え、想像力を働かせた作品が特徴であることから「奇想の画家」と呼ばれているそうです。私は若冲の系譜を受け継ぐ現代の画家は「五百羅漢図」を描いた村上隆だと思っているのですが、最近その作品を初めて見た「ロッカクアヤコ」(本名、六角彩子=38)もまた、この流れの中で輝く一人ではないかという印象を持ちました。

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1924 秋風とともに第2波去るか シューベルトの歌曲を聴きながら

 新型コロナの感染拡大が止まらない。9月1日午後1時(日本時間)現在、世界の感染者は2540万5845人、死者は84万9389人(米・ジョンズ・ホプキンズ大まとめ)に達している。悔しいことだが、死者が100万人を超える日はそう遠くはないはずだ。コロナ禍の中で生活をしていると、人類の健康で文化的生活には災害や飢餓、戦争に加え、伝染病(感染症)が大きく立ちはだかっていることを強く感じるのは、私だけではないだろう。フランツ・シューベルト(1797~1828)の歌曲『死と乙女』(1817年作曲)の詩(マティアス・クラウディウス作)のように、死神がいるとしたら、新型コロナというウィルスを使って乙女に限らず多くの人々を死へとおびき寄せようとしているといっていい。

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1731 暮れ行く初冬の公園にて ゴッホの「糸杉」を想う

 大阪市の長居公園(東住吉区)のすぐ近くに住む友人は、この公園の夜明けの風景を中心にした写真をフェイスブックに載せている。最近は夜明けではなく、夕暮れの光景をアップしていた。そのキャプションには「烏舞う夕暮れ。11月27日夕、長居公園。ゴッホの絵を想起」とあった。それはゴッホが好んで描いた「糸杉」の絵と印象が似ている。暮れ行く初冬の公園の姿は、たしかにゴッホの世界を彷彿とさせるのだ。  手元にあるゴッホ関係の書籍を見ると、ゴッホは風景画を描く際、糸杉、麦畑、オリーブの木、小麦、ヒマワリを重要なモチーフにした。このうち「糸杉」の題で知られるのは1889年6月、南フランスのサン・レミ・ド・プロヴァンス(サン=レミ)にあるカトリック精神療養院「サン・ポール」に入院した直後に描かれた作品で、糸杉がキャンバスのほぼ半分を占めている。この地方で糸杉はどこにでもあり、ゴッホはサン=レミ時代「糸杉のある麦畑」「星月夜」などの作品にも特徴ある姿を取り入れている。  ゴッホは、サン=レミに移る前の15カ月、アルルに住んで旺盛な制作意欲を見せた。画家のゴーギャンと共同生活をしたが、個性がぶつかり合って破局を迎え、左耳の斜め下半分を切り落とすという「耳切り事件」を起こす。この後サン・レミに転地療養するのだが、意識の混濁や幻聴、幻視、自殺志向などの発作を繰り返していたという。こうした環境下、「糸杉」は描かれた。  糸杉はヒノキ科の常緑針葉高木で、大きなものは45メートルにも達するという。セイヨウヒノキとも…

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1729 ああ!妻を愛す 永遠の美を求める中山忠彦展

 中山忠彦は、日本の現代洋画界を代表する一人といわれる。ほとんどが自分の妻を描いた作品というユニークさを持つ画家である。千葉県立美術館(JR京葉線千葉みなとから徒歩で約10分)で開催中の「中山忠彦――永遠の美を求めて――」をのぞいた。それは驚きの展覧会だった。  驚いた理由は、展示されていたのがほぼ中山の妻、良江さんの絵だったからだ。次から次へと同じ女性を描いた作品が並んでいる。油彩画、版画、デッサンだけでなく、モデルとなった良江さんが着用したさまざまなドレス、帽子、扇子なども展示されている。  1935年に福岡県北九州市小倉区で生まれた中山は、高校卒業後文化勲章受章者の洋画家で、一貫して女性美を追求した伊藤清永(1911~2001)に師事、19歳で新日展に初出品(《窓辺》)して初入選、画家としての道を歩み始める。当初描いたのはほとんどが裸婦像だった。中山の画家としての運命を左右したのは良江さんだった。1963年、たまたま福島・会津への旅の途中の電車内で良江さんに会い、その美しさにひかれる。2年後に2人は結婚、その後は着衣の良江さんの絵を描き続けることになる。その結晶が今回展示されたおびただしい女性像だった。  結婚当時30歳だった中山は、現在83歳になる。当然ながら良江さんも同じ年輪を重ねた。順を追って作品を見ていくと、良江さんが微妙に変化していることに気が付く。だが、最近の作品を見ても「老い」は感じさせない。良江さんのドレス姿は違和感がなく、しかも年を増すごとに気品が漂うので…

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1728 ルーベンス展でセネカに出会う 晩秋の西洋美術館で 

 好天に恵まれた過日、晩秋の上野公園を歩いた。3つの美術館で開催中の展覧会のどれかを見るべく早めに家を出た。10時過ぎにはJR上野駅の改札口を出て、美術館に向かった。しかし、2つの美術館は長い行列が続いていた。結局、入ることができたのは3番目と考えていた国立西洋美術館の「ルーベンス展」だった。美術の秋、興味がある展覧会を催している美術館に入るのも容易ではないという日本。名画ファンが多いということなのだろう。  上野駅を降りてまず目指したのは、東京都美術館だった。「ムンク展」で、かつて見た「叫び」を再度見ようと思った。だが既に長い列ができていて、チケットを買うだけで1時間待ちと言われて断念した。次に上野の森美術館に向かう。「フェルメール展」だから、たぶんこちらも無理かと思いつつ、到着すると、11時半からの分しか空いていないと言われた。1時間15分待ちである。短気な私は並ぶのは嫌いだから、ここも断念した。  その結果、最終的に入ったのが西洋美術館だった。正門には「フェルメール展」を意識してか、常設展にある「フェルメールに帰属」するという『聖プラクセディス』の案内表示も出ている。上野の森美術館に入れない方はこちらへどうぞ、という意味かと思ったりした。さて、ルーベンス(1577~1640)展である。西洋文化史家の中野京子は「色彩と光の豊穣、人物描写の的確さ、ドラマティックな瞬間の切り取りは、まさに天才の名に恥じない」(『名画の謎 旧約・新約聖書篇・文春文庫)と、旧フランドル(ベルギー西部とオラ…

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1698 戦争に翻弄された世界のフジタ 2枚の戦争画は何を語るのか

 太平洋戦争中、画家たちは軍部の依頼・指示によって国民の戦意高揚を意図する絵を描いた。エコール・ド・パリの画家として知られる藤田嗣治もその一人だった。東京都美術館で開催中の「藤田嗣治展」で、そのうちの2枚を見た。彼を有名にさせた「乳白色の画」とは異なる迫真性に富んだ作品だ。あの戦争が終わって73年。意外にも、この2枚の大作の前で足を止める人はあまりいなかった。     その絵は『アッツ島玉砕』(1943年作)と『サイパン島同胞臣節を全うす』(1945年作)である。北アメリカのアッツ島は1942年6月、日本軍がミッドウェー作戦の陽動作戦のためにキスカ島とともに占領し、熱田島と改称した島だ。翌43年5月12日から米軍との間で激しい戦闘があり、日本軍守備隊2600人が戦死し、大本営は初めて「玉砕」という言葉を使い、この島での日本軍の全滅を発表をした。  また、サイパン島は北マリアナ諸島にあり、第一次世界大戦で日本軍がドイツ軍を放逐。1920年から日本の委任統治領となり、軍の司令部が置かれ、沖縄出身者を中心に3万人近い民間人が暮らしていた。1944年6月、連合軍が上陸、日本軍との間で激しい戦闘が続き、日本軍は3万人が戦死して全滅した。戦いに巻き込まれた住民は自決したり、バンザイ・クリフという崖から海に投身したりするなどして8000~1万人が死亡した。サイパンを奪還した米軍は、日本本土を爆撃するB29爆撃機の発進基地とし、以降日本全国が空襲に見舞われるようになる。  2枚の絵はこうした戦争の…

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1626 歴史への旅 天平の傑作「葛井寺・千手観音坐像」を見る

 人は仏像を見ながら、何を思うのだろう。2月14日から東京国立博物館平成館で始まった「仁和寺と御室派のみほとけ ――天平と真言密教の名宝――」特別展を見た。特別展には、天平時代に当時の唐(中国)から伝わった今では珍しい「脱乾漆造」の千手観音が展示されていた。そういえば奈良・唐招提寺を創建した鑑真和上は天平期に苦難の末、日本にやってきた唐の高僧で、唐招提寺の本尊盧遮那仏坐像もやはり脱乾漆造である。2つの仏像は何らかの縁があるのだろうか。私は遥か昔に仏像づくりに励んだ人たちを思い、また3・11の犠牲者の霊安かれと願いながら像の前にたたずんだ。  仁和寺は京都府右京区御室にあり、宇多天皇時代が888(仁和4)年に完成した真言密教の寺院である。出家した天皇が室(庵)に住んだことから「御室」と呼ばれるようになった。仁和寺を総本山に、全国790の寺で形成される真言宗の派が御室派といわれ、大阪・藤井寺市の葛井寺(ふじいでら、寺伝によると、創建は725=神亀2年)もその1つだ。葛井寺には国宝千手観音菩薩坐像(像高150センチ)があり、この特別展の中で入館者が特に立ち止まる時間が長い仏像だった。  千手観音は正式には「千手千眼観自在菩薩」といい、千の手と千の目を持った観音のことだが、実際には42本の手(合掌した2本手以外に40本)を持つ仏像がほとんどという。葛井寺の仏像は奈良時代後期(天平)に制作され(寺伝によると、唐の仏工・稽文会、稽首勲父子が制作)、1041本の手(合掌する両手とは別に大手が40本、…

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1563 ナチに捕えられた画家の大作 ミュシャの『スラヴ叙事詩』

 チェコ出身でよく知られているのは、音楽家のアントニン・ドヴォルザーク(1841~1904)である。音楽評論家の吉田秀和は「ボヘミアの田舎の貧しい肉屋の息子は、両親からほかに何の財産も与えられなくても、音楽というものをいっぱい持って、世の中に生まれてきた」(新潮文庫『私の好きな曲』)と書いている。吉田が高く評価したドヴォルザークに比べれば、グラフィックデザイナーで画家のアルフォンス・ミュシャ(1860~1939)の知名度はそれほどではない。だが、吉田風にいえば、ミュシャは美術という才能を持ってこの世に誕生した天才の一人だった。  国立新美術館で開催中の「ミュシャ展」を見た。同じ美術館で、前回書いた草間彌生展が開かれているが、どちらも甲乙つけがたいほど大勢の入場者でにぎわっていた。私はこれまでミュシャの大作『スラヴ叙事詩』の存在を知らなかった。たまたまNHKの特集番組を見てこの画家に興味を抱いた。  ミュシャはポスター制作者として一世を風靡した。ハプスブルク家が支配する旧オーストリア帝国モラヴィア・イヴァンチツェ(現在はチェコ)で生まれ、子どものころから絵がうまかった。中学校を中退、働きながら、あるいはパトロンを得てチェコのデザイン学校やミュンヘン、パリの美術学校で学んだ。世に出るきっかけになったのは、1895年に制作した舞台女優のサラ・ベルナールの芝居用ポスター「ジスモンダ」だった。たまたま年末だったため著名な画家は休暇でパリを留守にしていて、ミュシャが頼まれた。華やかなポスターは評判…

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1494 雄々しい高橋英吉の《海の三部作》 被災地作品展を見る

 私が高橋英吉という彫刻家の名前を知ったのは、もう36年前のことになる。だが、その作品を見る機会がないまま長い歳月が過ぎてしまった。先日、東京藝大美術館に足を運び、そこで高橋の作品に初めて接した。海に生きる雄々しい漁夫をテーマにした代表作の木彫作品《海の三部作》の《潮音》《黒潮閑日》《漁夫像》が目の前にある。その作品の前で立ち止まり、私は初めて高橋の家族と出会った当時のことを思い出した。  1911年に石巻市で生まれた高橋は、東京美術学校(現在の東京藝大)で木彫を学び、彫刻家として将来を期待される作品の制作を続けた。だが、太平洋戦争に応召し1942年11月、多くの餓死者を出したガダルカナルの戦いにより31歳で戦死、彫刻家としての才能は南の島で断ち切られてしまった。  私は36年前の1980年10月、取材でソロモン諸島国の首都ホニアラがあるガダルカナル島を訪れた。財団法人南太平洋戦没者慰霊協会(当時)が島を見渡す丘の上に「ソロモン平和慰霊公苑」をつくり、戦没者の慰霊碑と高橋の作品のうち《潮音》のブロンズ像を建立した。式典には高橋の未亡人の澄江さんと一人娘の幸子さん(版画家)や高橋を知る石巻の人たちも混じっていて、私は若くして戦火に散った彫刻家がいたことを知った。  高橋は石巻の網元の家の末っ子(五男三女)に生まれ、東京美術学校を出た後、家業が傾いたため南氷洋の捕鯨船で半年働いた。この体験を基に桂の木を使った《海の三部作》が生まれた。平和慰霊公苑の一角に建立された《潮音》のブロンズ像…

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1492 コルビュジエの思想 世界遺産になる西洋美術館

建築家、安藤忠雄氏の愛犬の名前は「ル・コルビュジエ」というそうだ。どこかで聞いた名前だ。そう、フランスの20世紀を代表する同名の建築家(1887年10月6日―1965年8月27日)である。上野の国立西洋美術館を含め、彼が設計した建物が世界文化遺産への登録が確実になったというニュースが流れて間もなく1カ月になる。コンクリートの建物は現代では珍しくはない。それを広めたのはル・コルビュジエだった。 手元に近代建築史の本がある。第二次大戦後、世界の建築界は2人の建築家によって花が開いたという。その一人はル・コルビュジエであり、もう一人はミース・ファン・デル・ローエ(1886年3月27日―1969年8月17日)である。ミースはドイツ出身でナチスから逃れてアメリカに亡命し、モダニズムの建築を手がけ建築界に大きな影響を与えた。一方、スイス出身でフランスを中心に活動したル・コルビュジエは、打ちっ放しのコンクリートが特徴のさまざまな建築物を残した。その一つが国立西洋美術館だった。 同館はコルビュジエが設計した国内唯一の建物であり、実業家で美術収集家、松方幸次郎(弟の松方三郎は、登山家で元共同通信社専務理事)が収集した絵画を中心とした美術品(松方コレクション)が第2次世界大戦後、フランスから返還されたことを契機として建てられ、1959年(コルビュジエは1955年に来日して、西洋美術館を設計した)に完成した。 西洋美術館には、何度か足を運び、あるいはその前を通ったことは数知れない。典型的なコンクリート…

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1487 嫌われる鳥でも ヒヨドリが玄関脇に営巣

野鳥の中で、ヒヨドリは全体が灰色と姿も美しさとは程遠く、鳴き声もピーヨ、ピーヨとやかましい。冬、庭のガーデンテーブルにミカンを置くとメジロがやってくるが、ヒヨドリがついてきてメジロを追い払って、食べ尽くしてしまう。そんなヒヨドリを好きだという人はそういないのではないか。私もヒヨドリは好きになれない。だが、最近、このヒヨドリと付き合う日々が続いている。 それは、私の家の玄関横にあるカクレミノの木にヒヨドリが巣をつくり、卵を産み、親鳥がそれを抱えているからだ。ヒヨドリは留鳥で分布は日本国内であるため、外国人にとっては珍しい鳥のようだ。富山県砺波市は2005年、ヒヨドリを市の鳥に指定している。それだけ、砺波市にはヒヨドリが多いのだろう。市のHPにはヒヨドリの説明がある。 「ヒヨドリは、市内全域に生息しており、四季を通じて見られる身近な野鳥と言え、木々が茂っている環境なら何処にでもいる鳥です。砺波地方では、一般的に子育てのシーズンは低山帯で暮らし、秋から春にかけては平野部にいることが多いので、屋敷林でもよく見かけることが出来ます。大きさは中型(ハトより少し小さめ)で全体の色はシルバーグレー、ピイーピイーとかピイ~ヨピイ~ヨと甲高い声で鳴きます。甘いものを好むので椿や桜の花の蜜を吸いに来ますし、木や草の実も良く食べます。種子の運び屋さんとして、森づくりにも一役かっています」 「鵯(ヒヨドリ)の花吸いに来る夜明けかな」(酒井抱一) ヒヨドリは糖分を好む鳥で、ツバキやサクラなどの花の蜜を…

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1483 静かな秋田の市立美術館 若冲展とは別の世界

先日、秋田市立千秋美術館の「最後の印象派」展を見た。20世紀初頭のパリで活躍した画家たちの絵80点を集めたものだ。入場者はそう多くはなく、ゆったりと時間が流れる中でじっくり絵を見ることができた。一方、上野の東京都美術館で開催中の伊藤若冲展は、多くの人が詰めかけ、入場待ちの長い列ができているという。それは異常な光景としか思えない。 千秋美術館は、1989年にオープンし、戦後ニューヨークを中心に「幽玄主義」という抽象画で活躍した岡田謙三の作品を常設展示していることで知られる。すぐ近くには藤田嗣治の秋田の四季を描いた「秋田の行事」が展示された秋田県立美術館がある。印象派は19世紀後半のフランスを中心に活動したグループで、セザンヌやモネ、ルノワールといった著名な画家がいる。そうしたグループのスタイルを継承し、自然の中の光の表現を探求したのがエドモン・アマン=ジャン、アンリ・ル・シダネル、オーギュスト・ロダンら「最後の印象派」といわれる画家たちだ。この画家たちは前衛的活動に参加しなかったため、美術史の中で埋もれてしまったが、近年になって再評価されつつあるという。私はアンリ・マルタンの《野原を行く少女》の前で、多くの時間を割いた。野原を歩く少女。手には赤いバラ。花びらが少女の下半身から後方に流れている。少女は何を夢見ているのか―。 東京都美術館に長い行列ができている伊藤若冲も、最近急に人気になった画家である。若冲は米国で評価され、その後に日本で再評価されたという経緯がある。日本を含め東洋の美術品を…

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1480 誰にも弱点・アキレス腱が 人を知るために

旧聞に属するが、女子マラソンの野口みずき(37)と男子水泳(平泳ぎ)の北島康介(33)という、オリンピックの金メダリストが相次いで現役を引退した。一方、大相撲界では、幕内最高齢の安美錦(37)がアキレス腱断裂で3日目から休場し、引退の危機に立たされた。満身創痍で戦い続ける安美錦の復活を願うばかりだ。 スポーツ選手は、自分以外の相手との戦い、記録との戦いだけでなく、けがと加齢による肉体の衰えとの戦いがある。野口は優勝したアテネ五輪に続く北京五輪の代表に選ばれながら、左足太ももの肉離れで出場を辞退し、その後出場したマラソンで優勝はできなかった。左アキレス腱を痛めていたといわれるが、それでも37歳まで走り続けた。 アキレス腱の由来であるアキレス(ラテン語)とは、ギリシャ神話で俊足の英雄として出てくるアキレウスのことで、ホメーロスの作品として伝わる2大叙事詩のうちの一つ『イーリアス』の主人公のことである。アキレウスは王家に生まれ、赤子の時に肉体を不死身にするステュクスという冥府の川に全身を浸されるが、母親がつかんでいたかかとが水に浸からず、そこ(アキレス腱)が急所となる。 トロイア戦争(紀元前13世紀ごろ)で活躍したものの戦争の最中、相手が射た弓矢が左のかかとに当たり、これがもとで命を落としたという。芥川龍之介は箴言集『侏儒の言葉』(岩波文庫)の中で「アキレス」と題して「希臘(ギリシャ)の英雄アキレスは踵(かかと)だけ不死身ではなかつたさうである。――即ちアキレスを知る為にはアキレスの踵…

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1479 街路樹の下を歩きながら 文章は簡単ならざるべからず

大型連休が終わった。熊本の被災地では、依然避難所暮らしを余儀なくされている人が少なくない。一方で、被災地以外では多くの人がどこかに出掛け緑の季節を楽しんだのだろう。それがこの季節の習わしだ。以前は私も同じ行動をとっていた。だが、最近は違う。主に本を読み、体を動かして時間を送っている。緑が増した街路樹の下を歩きながら、読んだ本の内容を反芻することもある。 この間、3冊の本を読んだ。いずれも筆者の個性がうるさいくらいに伝わる本だった。以下にその寸評。 内田樹『街場の文体論』(文春文庫) 神戸女学院大学の教授を務めた内田の最終講義を基にした文章論。大学の先生の博覧強記ぶりを感じる。ただ、癖があり過ぎて途中で本を捨てたくなった。内田が村上春樹を評価していることに、なるほどと思う。言葉とは「魂から出る」「生身から生まれる」という結論。分かるようで分からない。 原田マハ『楽園のカンヴァス』(新潮文庫) 「税関吏」といわれたフランスの画家、アンリ・ルソー(1844~1910)の代表作「夢」に酷似した作品をめぐる美術ミステリー。日本人女性研究者とニューヨーク近代美術館のキュレーター(学芸員)の対決を軸に物語は進んでいく。原田自身もキュレーターを経験しているだけに美術に詳しい。アンリ・ルソーの魅力を十分に引き出している。 狩野博幸『若冲』(角川ソフィア文庫) 上野の東京都美術館で現在「若冲展」が開催中だ。江戸時代、京都で活動した若冲は明治以降忘れられた存在になった。それが最近になって脚光…

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1475 若冲作品の原画を見る 静嘉堂文庫美術館を訪ねて

伊藤若冲(1716~1800)が「「巧妙無比」と言った絵が私の目の前にあった。それは仏画「釈迦三尊像」のうちの2幅「文殊・普賢像」であり、先日見たばかりの若冲の絵と重ね合わせた。東京・世田谷の静嘉堂文庫美術館に出掛けた。東急田園都市線の二子玉川駅からバスで8分~10分の住宅街。大通りから小径に入り、坂道を200メートルほど上ると緑に包まれた静かな環境の静嘉堂文庫に併設された美術館があった。 この美術館ではいま、運慶作ではないかと話題になった(結局未確認)仏像の修理完成披露の特別展が開かれていた。私の目的はこれらの仏像ではなく14世紀作といわれる2幅の仏画「文殊・普賢像」だった。この絵を模写した伊藤若冲の作品は、現在上野の東京都美術館で開催中の「伊藤若冲展」で見たばかりだった。 「文殊・普賢像」は米国・クリーブランド美術館が所蔵している釈迦像と合わせ「釈迦三尊像」と呼ばれ、作者は張思恭という伝説の画家だ。元あるいは高麗仏画の絵師だった可能性が指摘されているが、よく分かっていない。いずれにしてもこの絵は中国あるいは朝鮮半島から京都の東福寺に伝わり、歳月を経て日本と米国に分かれて保存されている。江戸時代の絵師である若冲は、何らかのつて東福寺にそろっていた「釈迦三尊像」を模写する機会を得たのだろう。 若冲が模写した作品は若冲の支援者でもあった大典顕常の相国寺(京都)に寄進され、現在に至っている。模写であるから、構成に大きな変化はない。ただ、若冲作品の方が輪郭がくっきりとし、仏の衣服など青…

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1472 奇想の画家の系譜 伊藤若冲から村上隆へ

伊藤若沖(1716~1800)は江戸時代の絵師で高い写実性に加え、想像力を働かせた作品が特徴であることから、「奇想の画家」と呼ばれている。東京都美術館で22日から始まった生誕300年記念の「伊藤若冲展」はまさかと思えるほどの人が詰めかけ、ゆっくり絵を鑑賞する余裕がないほどのにぎわいだった。若冲は最近注目の画家だというが、それにしてもどうしてこんなに人気があるのだろう。 なかなか列が進まなかったのが、米国の収集家ジョー・プライスが集めた「鳥獣花木図屏風」である。ようやくこの絵の前にたどり着き、眺めていたら最近まで六本木の森美術館で展示されていた村上隆の「五百羅漢図」のことが頭に浮かんだ。水木しげるの漫画に登場するようなユーモラスな顔をした羅漢たちが描かれた大作だが、想像力を働かせた作品であり、村上も「奇想の現代画家」といってもおかしくはない。そうか、奇想の画家の系譜は300年の時を経て、受け継がれていたのだと思う。85歳で亡くなった若冲は、京都・伏見の石峰寺に墓がある。この寺には若冲が下絵を描き、石工に彫らせた五百羅漢像がある。それぞれが個性的な表情を持っていて、村上隆の作品と共通性があると私は感じる。 「鳥獣花木図屏風」は升目描き(約1センチ間隔で引かれた細い線でつくられる升目に地色を塗って方眼の升目を埋めていき、同系色の濃さの違う絵具で色調を変えて立体感をつくり出す技法)といわれる作品で、8万6千個の升目を埋めたもので原色をふんだんに使い、さまざまな動物と花が描かれ、中央に正面を向い…

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1471 新緑の季節なのに…… 4月の読書から

熊本、大分で大きな地震が続いている。新緑の季節。地震がなければこの地域の人々も木々の緑に心を癒されていたはずである。だが、いまは揺れにおびえながら地震が早く収まることを念じる日々だろう。そんな昨今、私が読んだ中に2冊の震災関連本がある。以下は辞書、地図も含めて4月になって読んだ(見た)本の寸評。 柳田邦男『終わらない原発事故「日本病」』(新潮文庫)著者は災害や事故、命の問題を書き続けるノンフィクション作家である。2000年代に入ってからの災害・事故をめぐる評論とエッセイをまとめた本で、著者は社会システムが病む「日本病」が蔓延していることを警告している。その典型が東京電力福島原発事故だった。著者は「災害・事故の分析作業では被害者の視点からの欠陥分析が重要」と指摘する。まさにその通りなのだが、そうした視点は行政、企業には欠けている。明らかになった三菱自動車による燃費偽装も、日本病の範疇に入る。 天童荒太『ムーンナイト・ダイバー』(文藝春秋)海に潜り、津波で流された品々を引き揚げるダイバーとそれを求める人々。放射能に汚染された福島の海の底には何があるのか。不慮の死に遭遇した人々を悼む目的で全国を放浪する青年を描いた『悼む人』の著者が、東日本大震災をテーマに書いたフィクション。被災地ではこうした話が、少なくないのかもしれない。 桐野夏生『水の眠り灰の夢』(文春文庫)1964年の東京五輪の前に起きた草加次郎を名乗る犯人による爆破や脅迫、狙撃事件(いずれも未解決で時効成立)がテーマ。地下鉄爆…

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1468 続カラヴァッジョ 新たな「ユーディット」との出会い 

東京・上野の国立西洋美術館で開催中の「カラヴァッジョ展」には、世界公開が初めてという《法悦のマグダラのマリア》(注1)が展示されている。2014年に発見され、真筆と鑑定された作品だ。カラヴァッジョは鮮烈な光と濃い闇のコントラストを効果的に用いる劇的な明暗法によってバロック絵画の先駆者と言われる一方、殺人事件を起こして逃亡生活を続けるなど波乱の生涯を送った。逃亡中に描いたというこの作品に続いて、新たにフランスで発見された絵がカラヴァッジョ作の可能性が高いと鑑定されたというから、カラヴァッジョファンには楽しみが増えたことになる。 《法悦のマグダラのマリア》は、カラヴァッジョがチンピラグループとのいざこざから殺人を犯してローマを逃亡、近郊の町で身を隠していた1606年の夏に描いたとみられ、同じころの作品に《エマオの晩餐》(注2)がある。《法悦のマグダラのマリア》は、1610年にイタリアのポルト・エルコレという小さな港町で熱病によって死んだ際、荷物の中にこの絵があったとされるが、紛失。その後2014年になって個人のコレクションの中にあったのが今回展示された作品で、鑑定の結果カラヴァッジョ作とされた。 ロイター通信(注3)によれば、2年前フランス南西部のトゥールーズ近郊の民家で天井の雨漏りを点検していたこの家の人がこれまで開けたことがなかった屋根裏のドアを壊したところその裏に一枚の絵が見つかった。旧約聖書の外典にあるユーディットがアッシリアの司令官、ホロフェルネスの首を切断する有名な場面(≪ホロ…

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1463 旅で感じるもの ミャンマーはアジアの楽園になれるのか

放浪の旅に明け暮れた自由律の俳人、種田山頭火は、「道は前にある、まっすぐに行かう(行こう)」が信念だった。そして、「句を磨くことは人を磨くことであり、人のかがやきは句のかがやきとなる。人を離れて道はなく、道を離れて人はない」(『山頭火句集』・ちくま文庫所蔵の随筆「道」より)と書いている。放浪の旅をしながらも、山頭火が人生の深淵を考え続けたことがうかがえる。旅というものはさまざまなことを考え、感じる機会でもあるのだ。 知人がミャンマーを旅した。竹山道雄の『ビルマの竪琴』で知られ、昨今の急速な経済開発は「アジア最後のフロンティア」ともいわれる。さらにアウン・サン・スーチーさんが率いる国民民主連盟(NLD)が総選挙に圧勝し、長く続いた軍事政権に代わってミャンマーのかじ取り役を担うことになり、国際的にも注目を集めている国だ。 ミャンマーには、バガンという世界三大仏教遺跡の1つがある。他の2つはカンボジア・アンコールワットとインドネシア・ボロブドゥールで、双方とも世界文化遺産に指定されている。大小3000前後の仏塔があり、規模的には2つの遺跡に勝るとも劣らないバガン遺跡は、世界遺産に登録されていない。世界遺産は人類にとってかけがいのないものだが、ISが一時占拠し、アサド政権が奪還したというシリアのパルミラ遺跡のように、思想的理由で破壊にさらされる遺跡もある。管理が行き届かず、危機遺産リストに入る遺跡も増えている。 崩壊の危機にあったアンコールワットやボロブドゥール遺跡は、国際的協力で修理作…

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1398 カッサンドルと亀倉雄策と 五輪のエンブレムをめぐって

白地に赤い太陽と黄金の五輪マークを組み合わせた第18回東京五輪(1964年)の大会シンボルマーク(エンブレムのこと)の制作者、亀倉雄策(1915~1997)はフランス人グラフィックデザイナー、アドルフ・ムーロン・カッサンドル(1901~1968)を尊敬していたという。カッサンドルは「絵画はそれ自身で目的になるが、ポスター(広告)は売り手と公衆のコミュニケーションの手段にすぎない」という言葉を残している。彼は、見る者に衝撃を与えることが制作のポリシーだったという。その意味でも、亀倉の作品は日本だけでなく世界中に強い衝撃を与えた。 2020年の東京大会のエンブレム取り下げで話題の佐野研二郎氏は、ことし2月に第17回亀倉雄策賞を受賞している。この賞は、亀倉氏の遺族からの寄付を基に創設され、毎年『Graphic Design in Japan』応募作品の中から選ばれるもので、佐野氏の作品は「HOKUSAI_LINE」」という北斎漫画インスパイア展に出品したもので、受賞理由として「佐野氏のこれまでとは違う新たな一面が見られる」、「細やかで不思議な表現」(日本グラフィックデザイナー協会HP)などが挙げられている。 受賞の言葉で、佐野氏は亀倉の「シンプル、明快、太く」を目標にしてきたことを書いた後、「デザインはシンプルで深い。考え、それを超えるべく手を動かし、また考え、また手を動かす。邪念はいらない。デザインは思想だ。簡単に。深く。明快に。太く。でも簡単に」と続けている。五輪のエンブレムもそれを狙っ…

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1385 大災害から復興したオランダの古都  フェルメール・「デルフトの眺望」 

8月になった。部屋の絵カレンダーをめくると、今月は日本でも人気が高いヨハネス・フェルメール(1632~75)の風景画『デルフトの眺望』だった。フェルメールが自分の生まれ故郷、オランダ南ホラント州デルフトの朝の町並みを描いた作品だ。1660〜1661年ごろの作品といわれ、スヒー川の対岸から運河と市壁に囲まれた街並みを描いたものだ。マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』にも登場する美しい絵だ。 デルフトはロッテルダムとハーグ(デン・ハーグ)の中間にあり、現在の人口は10万人に満たない都市だが、古都として観光客を集めているという。フェルメールは、生涯のほとんどをこの街で過ごした。この街では、「デルフトの眺望」が描かれる前の1654年10月12日に火薬庫の爆発事故があり、数百人の死傷者を出し、街の北東部分の建物が吹き飛ばされた記録が残っている。死者の中には17世紀最大の画家といわれるレンブラントの一番弟子も含まれていたという。フェルメールの自宅は大きな被害を受けた教会の近くにあり、妻と11人の子どもも含めて難を逃れた。 こうした歴史的な事実もあって、この作品は街が美しく復活したことに対し、神に感謝を込めて描いたのではないかという説もあるが、真偽は分からない。大爆発に遭遇しながらデルフトはオランダ国内中から義援金が集められ、数年で復興したという。それは、内戦で破壊されたクロアチアのドブロブニクの街並みが、世界からのボランティアの協力で復活したことの先例のようにも思える。東日本…

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1377 光の画家フェルメールと帰属作品  西洋美術館の『聖プラクセディス』

     東京・上野の国立西洋美術館の常設展に「フェルメールに帰属」という作品がことし3月から展示されている。『聖プラクセディス』という、オランダの画家ヨハネス・フェルメール(1632-75)が若き日、イタリアの画家、フェリーチェ・フィルケレッリ(1605-60)の同じ主題の作品を模写した可能性が指摘されている聖女を描いた作品だ。 「光の画家」といわれるフェルメールらしさを示すように、フィルケレッリのものより、明暗がはっきりした作品だ。  フェメールは日本ではかなりの人気があり、これまでの彼の作品展は多くの人でにぎわい、じっくり見ることができなかったことを覚えている。だが、この絵の存在はあまり知られていないらしく、この絵の前に長く立ち止まる人はいなかった。  この作品については、西洋美術館がB5版の用紙1枚(表と裏)に2枚の写真とともに解説を記したものを配布している。その解説には「帰属作品」は、1969年に初めてフェルメールへの帰属が提唱され、その後ワシントン・ナショナル・ギャラリーの学芸員でフェルメール研究の専門家アーサー・ウィーロックがそれを補強する論文を発表したことで、よく知られるようになったと書かれている。その理由としてウィーロックは画面に記された署名と年記を挙げ、それによって23歳の時に描いた作品とする見方ができるというのである。  新聞報道によれば、この絵はアメリカ・プリンストンのバーバラ・ピアセッカ・ジョンソ…

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1322 冬本番、春を待つ心 東山魁夷展にて

東京・恵比寿の山種美術館で開催中の「東山魁夷と日本の四季」という特別展をのぞいた。東山魁夷(1908~1999)が亡くなってことしで15年になる。以前、東山魁夷の絵は東京世田谷にある長谷川町子美術館と竹橋の東京国立近代美術館で見ているが、何回見ても気持ちが落ち着く。来館者の多くは同じ思いでやってきたのかもしれない。 長谷川町子美術館所蔵の「春を呼ぶ丘」も展示されていた。1972年(昭和47)に北海道の大地をイメージして制作された畑の中を白い裸馬が1頭歩いている作品には「丘の上に並ぶからまつ。僅かに芽吹く雑木林。黒々とした耕土に、鮮やかな麦の緑。蕭条(しゃくじょう)とした冬の山野が、春の声に呼び覚される時、大地の鼓動が聴こえる」という説明があった。本格的な冬がやってきた。春が待ち遠しいと思うのは、気がはやすぎるか。 それはさておき、今回の展示の中には東山魁夷のほか、著名な日本画家の絵も含まれている。その中で、橋本明治の「朝陽桜」(1970年作)という一枚が気になった。1968年に建てられた皇居宮殿には、東山魁夷ら当時の日本画壇の最高峰にたつ画家たちの作品が飾られたが、山種美術館が同趣作品の制作を依頼、所蔵しており、それらが5年ぶりに公開され、橋本作品も含まれていた。 橋本は、1970年10月に同館で開催された『日本の四季』展図録に、この作品について、以下のように(概略・原文はですます調)記している。 ここに完成した桜の図は、新宮殿と同じく福島県三春町で写生した滝桜をもとに構図…

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733 一枚の絵に既視感 千葉のホキ美術館にて

過日、ある美術館に入った私は一枚の絵の前で「既視感」を持った。それはつい最近オープンした「ホキ美術館」でのことだった。 この美術館は名前からして変わっている。展示内容も「写実絵画専門」なのだという。写実絵画の代表的な作者としてクールベ、コロー、ドーミエ(いずれもフランス)が有名だ。日本でも岸田劉生がこの分野でも名をなしている。 変わった名前と書いたが「ホキ」というのは、館長の保木将夫氏の名字なのである。医療関連製品メーカー「ホキメディカル」の創設者で、写実絵画に魅入られた保木氏がコレクションを展示するために、地上1階、地下2階の美術館を造り、この3日にオープンしたのだ。 保木氏は40人の作家が描いた300点の写実絵画を所蔵しており、うち163点が常設展示され、多くの人でにぎわっていた。チケットを買って館内に入ろうとすると、館長の保木氏自らパンフレットを渡してくれた。館内に入ると、「いいなあ」「どうしてこんなに精密に描けるのかなあ」「写真よりいいよ」といった声が聞こえる。その通りだと思った。 一枚一枚ゆっくりと鑑賞し、「朝・トレド・雨上がり」という岩本行雄の作品の前で釘づけになった。トレドは首都・マドリードにも近いスペイン中部の町で中世の姿を残した街並みが評価され、タホ川に囲まれた旧市街は世界遺産に登録されている。ギリシャ人のエル・グレコがここに住み、トレドの街並みを描いた何枚かの作品を残している。岩本の絵を見ながら昨年秋スペインを旅し、トレドにも足を踏み入れたことを思い出し…

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515 巨匠の国は落書き天国 スペイン・ポルトガルの旅(2)

 ピカソの「ゲルニカ」という大作の前からなかなか立ち去ることができなかった。マドリードのソフィア王妃芸術センター2階にこの作品は展示されている。縦3・5メートル、横7・8メートルの巨大なものだ。(市内で見かけたユニークな落書き)  スペイン内戦の際にフランコ将軍側を支援したナチスドイツが小都市ゲルニカを無差別に空爆した。その報を聞いたピカソが怒りの意思を込めて描いたとされる絵だ。死んだ子を抱きながら泣いている母親や天に救いを求める人、狂ったようにいなないている様子の馬など、絵全体からは戦争の悲惨さが伝わる。スペインにはこのピカソをはじめ、ゴヤ、エル・グレコ、レンブラント、ベラスケスと、絵画の天才、巨匠が多い。そんな絵画の国で、あらゆる場所で落書きが目に付いた。スペインは「落書き天国」といっても過言ではない。  スペイン第二の都市は、バルセロナだ。この街の高台にあるガウディ設計のグエル公園に行く途中、落書きを自由にさせるという通りがあった。その通りのわきには、長い壁が続いており、いろいろな落書きが書かれている。落書きのコンテストをやっているようなものなのだ。ほかの場所のものに比べれば、質も高いように思える。  それにしても、スペインの街は落書きが多い。出来立てのビルの壁やシャッターに堂々と様々な落書きが書かれている。空きビルの多くはそうした被害を受けており、各地で見かけた落書きにはほとんど芸術性はないようだった。芸術センターやプラド美術館を案内してくれたガイドさんは「ピカソの絵は子…

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357 けなげな子どもたち 小児がん患者の絵画展で涙

千葉の幕張メッセで14日から始まった小児がん学会の会場一角で「命の輝き」を訴える絵画展が開かれた。 「財団法人 がんの子供を守る会」が10年前から毎年実施しているささやかな展覧会だ。この展覧会をのぞいて、あるポスターの前でくぎ付けになり、涙を隠すのに苦労した。急性白血病のため8歳で亡くなった静岡県伊東市の石川福美さんの作品だ。 福美さんはたった一人で医師から小児がんの告知を受けた。入院して苦しい治療の間、家に帰りたいと叫び続けた。小康状態になり、4人部屋に入った彼女は、同じようにがんと闘う幼い友達を得る。そして、精神的に大人になった彼女は悩み事を抱えた人たちの相談を受けることを思い立つ。悩み事を受け付けることを知らせるポスターが今回展示された。 (ポスターは大部分平仮名だが、読みやすくするため漢字も入れて再現する) 石川ふくみそうだん会 皆さん悩みってどこで作るのでしょう。知ってますか、それは心と気持ち!たった二つの見えないものがそんないやなものを作ってしまうのです。時によってうれしい幸せを運ぶことも、どんな悩みがあっても隠さずに言ってください。悩みを1つ抱えると、10個、20個、悩みが増えますよ。人生一つ、命一つ、悩みや困ったことを抱えて生きるのはもったいない。せっかくもらった命だから、楽しく、悩みや困ったことのない人生に。 これが8歳の少女が書いた文章だ。素晴らしいではないか。当然、彼女の元には、相談者が押しかける。相談は秘密ということで、両親は直接彼女か…

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354 詩的な旅エッセー 伊集院静「旅行鞄にはなびら」

風邪が長引き、一日中横になっている。そんな時に手に取ったのがこの本だ。ヨーロッパを中心に、花を求め絵画を鑑賞する旅をテーマにした伊集院静のエッセー集「旅行鞄にはなびら」だ。 短い25本のエッセーはどれもが詩的であり、随所で小説家の鋭い観察力を味わうことができる。頁をめくっていくと、熱でぼんやりした頭でもエッセーの中に出てくる光景が想像できて、いい時間の過ごし方ができた。 車窓から、道端にぽつんと咲く一本の花木に目が止まった時、「おや、こんな土地に梅の花が……」と思わず声を出した。(ゴッホとアーモンド) こんな書き出しから、短いエッセーの一つひとつに、伊集院の花と絵画への思いが凝縮されている。 伊集院が毎年利用しているパリのホテルの美しい女性マネージャー、セシルとルーヴル美術館に行く「すずらんの微笑」がいい。ある年、伊集院にすずらんの花をプレゼントしてくれたか彼女がホテルをやめることになったといい伊集院をルーヴルに誘う。 伊集院は絵の説明役をしながらルーヴルを回っていると、一つの絵を見て彼女は、口数の少ない父親の部屋に複製画が飾られていたと思い出話をする。ルーヴルを出て、食事の時に彼女は「若い時に父がこのルーヴルにやってきて、この絵の前に立っていたのじゃないかしらと思ったの」「私…若者だった父のうしろ姿を見たの…」と話しながら、涙を流した。すずらんの花とセシルの思い出をつづったこのエッセーを読むと、だれでもがルーヴルに行きたくなるはずだ。 若者に対する小説家の…

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344 フェルメール展はラッシュ並みの人出 ある日の上野の森

10月の上野公園は、さわやかな季節とあってかなりの人出でにぎわっている。JRを降りて動物園方向へと歩くと、右手に「国立西洋美術館」がある。 フランスの設計家ル・コルビュジエによる建物は、世界遺産候補となり来年9月にその可否が決まる。そんなことをこの建物の前を通って、初めて知った。さらに動物園方向に進み右方向に足を向けると、東京都美術館があった。ここではいま人気のオランダの作家「フェルメール展」が開かれており、ラッシュアワーの電車のような混雑ぶりを経験した。 フェルメールは、17世紀にオランダ・ハーグ近くのデルフトという小都市で生まれ、30数点しか残さない寡作の画家だったが、10数年前から世界的に急に脚光を浴びるようになり、今回はそのうち7点が都美術館で展示された。ほかにも同じ時代に活躍したデルフトの画家たちの作品が展示されたので、多くのファンが集まったのだ。 「光の天才画家とデルフトの巨匠たち」というのが今回の展覧会のキャッチフレーズだが、フェルメール研究者の小林頼子目白大学教授は、この画家の人気の理由を「作品に光学画像を思わせる特徴があることも現代人の心をとらえるのかもしれない」と分析する。さらに、作品数が少なく、希少性が高いことが人気の理由でもあるそうだ。ということは、一挙に7点もの作品が集まった今回は、人気が出るのは当たり前なのかもしれない。 それにしても、あまりにも人が多くて、1つの絵の前でじっくり眺める余裕はない。一番の傑作といわれる「ワイングラスを持つ娘」に…

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