1912 電動でもペダルを漕いで! 2020年夏の小話

 「電動自転車というのに、ペダルを漕がないと動かないのかねえ?」 「乗るだけでは動きませんよ。バッテリーのスイッチを入れ、ペダルを漕ぐ必要があります」  このところ急速に普及している、いわゆる「電動自転車」をめぐる落語のような話を聞きました。新型コロナによって暗いニュースが続く中での笑い話のようにも思えますが、私自身の失敗を思い出させるやり取りでもありました。  先日のことです。ことし購入した電動自転車を点検してもらうため、自転車店に行きました。私の前に同じ電動自転車を押した高齢の男性が入って行き、店の人とやり取りを始めましたので、私の耳にも入ったのです。電動自転車は正しくは電動アシスト自転車といい、充電式のバッテリーを搭載し、ペダルを漕ぐ力を手助けしてくれるますので、走行が普通の自転車よりかなり楽になっています。そして、高齢の客と自転車店の店員のやり取りは次のように続いたのです。(以下、客と店で表記)  客「電動というからには、何もしなくとも動くと思っていたんだ。でも、動かないからペダルを漕いでみたら、重くてねえ。普通の自転車より疲れるよ」  店「それはバッテリーのスイッチを入れないからですよ。スイッチを入れてからペダルを漕ぐと、軽く進みますよ。お客様。ここのスイッチは入れていましたか。(ハンドル左側のバッテリーの電源スイッチのこと)入れてない! ほら、この電源を押してペダルを漕ぐと楽になりますよ」  客「この自転車を買ってから1カ月経つけど、走るのに重くて大変だった。ペダル…

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1897 五輪がもたらす栄光と挫折 アベベの太く短い人生

 東京五輪がコロナ禍により2021年に延期された。さらに大会の簡素化、再延期、中止といった五輪をめぐる議論が続いている。五輪は出場する選手にも大きな影響を与える。ティム・ジューダ著、秋山勝訳『アベベ・ビキラ』(草思社文庫)を読んだ。ローマと東京の2大会連続してマラソンで金メダルを獲得したアベベ。五輪によって人生が変わり、短い生涯となってしまったアベベを描いた本を読み終えて、五輪の功罪をあらためて考えさせられた。  前回の東京五輪は1964(昭和39)年の開催で、日本は経済の高度成長期にあった。この大会でアベベが優勝し、日本の円谷幸吉(円谷について書いた本はいろいろあるが、私はよく知られている沢木耕太郎の「長距離ランナーの遺書」よりも増山実の『空の走者たち』の方が取材が優れていると思う。後段の関連ブログ1754参照)は銅メダルに輝いた。円谷は次のメキシコ大会を目指すも体の故障で思うように走れず、自死してしまう悲劇の人になった。一方、エチオピア最後の皇帝の親衛隊兵士だったアベベは、スウェーデン人、オンニ・ニスカネン(この本はアベベとともに、エチオピアのために幅広く活動したニスカネンの波乱の生涯についても詳しく触れているが、このブログでは割愛)に見いだされ、1960(昭和35)年のローマ大会で無名ながらいきなり優勝する。しかも裸足で42・195キロを走り抜けるという、思いもよらないスタイルで世界の人々が度肝を抜かれるのだ。  この本には裸足で走った真相として、アベベの娘、ツァガエの本から次の…

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1883「 栄冠は君に輝く」を歌おう「今しかない」(2)完

 前回に続き、『今しかない』(埼玉県飯能市・介護老人保健施設飯能ケアセンター楠苑、石楠花の会発行)という小冊子に絡む話題を紹介する。夏の全国高校野球大会が春の選抜大会に続いて中止になった。楠苑は全国高校野球連盟(高野連)に対し、この冊子などとともに激励の手紙を送ったという。それには、歌の力を信じる人々の熱い思いが込められていたのだ。  同苑では、友人の大島和典さんも手伝っている「ハーモニカと一緒に歌いましょう」という催しをコロナ禍で休止するまで続けていた。その最後には、全員(約100人前後)でNHKの連続ドラマ「エール」のモデルである福島出身の古関裕而作曲、加賀大介作詞の「全国高等学校野球選手権大会の歌・栄冠は君に輝く」を歌うのが恒例になっているという。なぜなのだろう。ボランティアとしてハーモニカの演奏を続けている天本淳司さんが、参加者たちを鼓舞しようと、勢いがあって人を元気づけるこの曲を全員で合唱するよう提案、それが続いているのだそうだ。  この催しは毎月第2土曜日午後1時半から同2時半までの1時間開催され、利用者だけでなく地域の人々や協力者が一緒になり、童謡を中心としたリクエスト曲を天本さんのハーモニカの演奏に合わせて歌い、最後に必ず「栄冠は君に輝く」を歌うのだそうだ。これまで10年、101回続いた催しで欠かしたことはなく、この催しのテーマ曲ともいえる。コロナ禍によって20日、高校野球大会の中止が決まったが、この直前に中止の動きをニュースで知った斎藤八重子さんらは高野連あて激励の手…

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1878 私の運動不足解消法 トランポリンで読書

 新型コロナウイルスによる感染拡大によって、緊急事態宣言(4月7日)が出されて1カ月が過ぎた。コロナ以前はスポーツジムでトレーニングをしていたのだが、不要不急の外出は控えてほしいという呼び掛けに応じて、このところ人のあまりいない時間の散歩程度しか外出することはない。雨の日は散歩もままならない。そこで始めたのがトランポリンを使った読書だった。  トランポリンは、アメリカの体操選手が1930年代に考案したといわれ、スプリングが付いたカンバスシートを使って飛び上がったり、空中で回転技をしたりする体操用の器具である。2000年のシドニー大会から、トランポリン競技は五輪の正式種目になっている。私が買った器具の説明書には、5分間で約1キロを歩いた運動量になると書いてあった。  とはいえ素人の私は、この器具で飛んだり跳ねたりはしていない。トランポリン上で歩きながら読書したらどうだろうかと考えたのだ。器具は手すり付きのものをホームセンターで購入し、「書見台」は家族が日曜大工で作ってくれた。早速やってみると、普通に歩くよりトランポリンの上で交互に足を動かす(上下させる)方が運動になるようで、30分程度やるとかなり疲れる。これを1日合計1時間程度やると、歩数計も1万歩を超える。カロリーの消費量もまあまあだ。書見台の高さもちょうどよく、トランポリンのハンドルバーにつかまっていれば問題なく本を読むことができる。  日本では外出自粛ということで、禁止はされていないから、近所の遊歩道は散歩やジョギングの人が…

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1862 東京五輪とコロナ WHOに多額拠出の背景は?

 7月~8月開催予定の第32回東京五輪が、新型コロナウイルスによる感染症の世界的流行により揺れ動いている。選択肢は予定通りの開催か、延期か(1年あるいは2年)、中止かの3つだが、予定通りの開催は誰が見ても難しい状況にある。そんな中、日本政府が世界保健機関(WHO)に新型コロナ感染国への緊急支援用として新たに1億5500万ドル(為替レートの変動が激しいが、日本円で約165~約170億円)を寄付(拠出)したことが明らかになった。日本でもコロナ対策が急務の時に、多額の拠出金というニュースについて、その背景を考えた。  東京五輪をめぐってはこのところ様々な意見が報じられている。スポーツ行事はほとんど中止、延期を余儀なくされており、五輪開催も黄信号状態にある。大会組織委員会の高橋治之理事が各報道機関の取材に答えて延期の可能性を示唆したのは、観測気球という見方が強い。これに続いて国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長が、記者団に開催中止か延期の判断はWHOの勧告に従うと語ったと報じられた。この発言によってWHOの判断が注目を集めることになった。  新型コロナウイルス問題では、WHOの動きに世界から厳しい目が向けられている。エチオピア出身のテドロス事務局長の言動が中国寄りで、WHOの対応が後手に回っているように見えるからだ。多くの報道があるのでここで具体的なことは書かないが、テドロス氏は現地13日の記者会見で、新型コロナウイルス感染症への日本の対応について「安倍首相自ら先頭に立った、政府一丸と…

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1859 雷電が伝えたかったこと 猛稽古に込めた闘う姿勢

 凶作と飢餓、貧困に悪政が追い討ちをかけた天明・寛政年間(江戸時代)、相撲界にヒーローが現れた。古今無双の強さを誇った雷電為右衛門である。8日から始まった大相撲春場所(大阪)は無観客開催という異例の場所になった。テレビで歓声のない静寂な相撲中継を見ていて、雷電にまつわる一つのエピソードを思い出し、あらためてこのエピソードを書いた本を読み直した。  雷電は旧信濃の国大石村(現在の長野県東御市)に生まれ、通算254勝10敗2分14預5無41休(35場所)、勝率0・962の成績を残し、大相撲史上最強の力士と呼ばれている。飯島和一の『雷電本紀』(小学館)は雷電を主人公とした物語で、雷電が相撲の稽古によって飢餓に苦しむ故郷の人たちを奮い立たせた話が盛り込んである。  ある年、雷電は少年の弟子を連れ浅間山の噴火で冷害に見舞われた麓の村を訪れた。飢餓のため生きる希望を失った村人たちを前に、雷電は少年弟子にぶつかり稽古をつける。その稽古風景はすさまじい。ぶつかってくる弟子を容赦なくたたきつぶし、何度も何度も向かってくる弟子に対しものすごい形相で立ちはだかる。意識がもうろうとする中、必死にぶつかる弟子を村人たちは懸命に応援する。その声が聞こえたかのように、少年弟子はついに雷電を土俵から押し出す。    翌日、雷電の耳に鬨の声が聞こえてくる。村人たちが弓や竹やり、鎌、鍬を手にうさぎ、鹿、猪など山の動物たちを追いかけているのだった。雷電と弟子の激しいぶつかり稽古に、どんな状況にあっても必死に生きる姿勢の…

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1852 ヒーロー日替わり時代 幕尻力士優勝の珍事

 NHKがテレビとラジオで生中継するスポーツは、現在では大相撲くらいしかない。それほど大相撲は国民的人気スポーツの位置を占め続けているのかどうか、私にはよく分からない。大相撲初場所で幕内番付の一番下位である前頭西17枚目(いわゆる幕尻)の徳勝龍が休場した横綱を除いて最上位の東大関、貴景勝を結びの一番で下して優勝した。徳勝龍の活躍は評価するが、幕尻の力士が最上位と当たって勝ち、優勝したことはまさに「珍事」といっていい。こうした今場所を見ていて、大相撲界が危機に瀕しているように思えてならない。  初場所。優勝した徳勝龍と13勝2敗と大活躍した正代、小さな体で連日国技館を沸かした炎鵬を除けばこれといって目立った力士はいなかった。遠藤は途中で優勝レースから外れてしまった。白鵬と鶴竜の両横綱は早々に休場し、カド番の大関豪栄道も5勝10敗と大きく負け越し大関陥落が決まり、引退することになった。大関から落ち10勝を挙げれば戻るチャンスがあった関脇高安も負け越し、1人期待された大関貴景勝も組まれたらダメという脆さを見せて徳勝龍に完敗してしまった。優勝インタビューで「自分なんか優勝していいのでしょうか」と語ったが、この言葉は徳勝龍の謙虚さを示すと同時に今場所の混迷ぶりを物語っている。  これまでの角界は歴代、強さと華やかさを併せ持つヒーローがいた。幕内優勝43回という不世出の記録を達成している白鵬は休場が珍しくなくなり、強引な取り口の勝ち方が目立ち、ヒーローという呼び方はできない存在になってしまった…

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1832 季節は秋から冬へ ラガーの勝ち歌みじかけれ

 散歩コースの遊歩道から調整池を見ていると、このところ毎日のように霧が出ていて、美しい風景を演出している。今朝も昨日に続き霧が出ていた。茜色に染まった雲と紅葉が始まった森、赤いとんがり屋根の小学校、その下に薄く広がる白い波のような霧が見事なコントラストを描いている。今年の立冬は明日8日(金)。悪いニュースが相次いだ2019年だが、この風景を見ていたら気分は爽快になった。  立冬の初候は「山茶始めて開く」(つばきはじめてひらく)である。候には「つばき」とあるのだが、ツバキ科の山茶花(サザンカ)のことを言うのだそうだ。私の家の山茶花はまだつぼみだが、隣の家のこの花は既に咲いている。まさに山茶花の季節がやってきたといえる。日中預かっている小型犬は、陽だまりが恋しいのか、窓際に身を置き陽光を浴びてのんびり昼寝を楽しんでいる。  今年は自然災害の多発など悪いニュースが多かった。そんな中、先日終わったラグビーのワールドカップに勇気づけられた人も少なくなかったかもしれない。友人もそのひとりである。今回のワールドカップで日本代表がベスト8まで勝ち進んだこともあり、私を含め多くの人がにわかラグビーファンになった。友人は学生時代に女性のラグビーチームに所属し、兄もラグビーの選手だったこともあって私のようなにわかファンと違って、ワールドカップを心待ちにしていたようだ。  友人にとって、今年は星回りが悪かった。母親と親友、さらに愛犬(ゴールデンリトリートバー)が相次いでこの世を去り、これまでにない悲しみ…

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1831 日本メディアとイングランドチームに喝 ラグビーW杯余聞

 日本開催で盛り上がったラグビーのワールドカップ(W杯)。2日に横浜国際総合競技場で行われた決勝で南アフリカがイングランドを32-12で下し、3大会ぶり3度目の優勝を飾った。その表彰式でイングランドチームが取った行動に批判が集まっている。海外メディアが報じたことで問題が大きくなったが、これに気が付かなかったのか、ロンドン発でカバーするという恥ずかしい結果を残した報道機関もあった。  テレビで決勝を観戦していた。表彰式が始まると、まず準優勝のイングランドの選手たちがビル・ボーモント・ワールドラグビー会長(元イングランド、ブリティッシュ・ライオンズ主将)から銀メダルを首に掛けてもらった。しかし、ロックのマロ・イトジェは首に掛けることを拒否して、手で受け取るのが映っていた。彼以外にも掛けられたメダルをすぐに首から外す選手もいた。テレビは優勝した南アチームを中心に映していたため正確な人数は不明だが、南アチームが金メダルをもらっている間に映し出された映像では、イングランドのかなりの選手はメダルを首から外していた。優勝するという姿勢で試合に臨んだものの、完敗してしまった悔しさの表れなのだろうが、見ていて不愉快だった。  ラグビーはイングランド(英国)中部のラグビーという町にあるパブリックスクール、ラグビー校で生まれたといわれる。同校が紳士を養成する学校として発展した経緯もあり、ラグビーは紳士のスポーツというのが代名詞である。試合が終わると、激しく戦った両チームはノーサイド(試合が終わると、敵味方の…

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1826 ラグビーは小説 サッカーはノンフィクションという比喩

「たとえていうなら、小説はラグビーで、ノンフィクションはサッカーということになろうか」新聞記者出身の故ノンフィクション作家、本田靖晴は『複眼で見よ』(河出文庫)というジャーナリズム・メディア論をテーマにした本の中で、小説とノンフィクションの違いについてこう表現した。日本で開催されているラグビーのワールドカップで日本チームはベスト8まで勝ち進んだ。これまでの4試合を見ていて、本田が言う「小説はラグビー」という比喩が分かるような気がした。それだけラグビーは、手に汗を握るほど面白い。  本田はこんなふうに続ける。「小説家はいくらでも想像力を広げることができるが、ノンフィクション作家は同じ手を使うことができない。ひたすら事実の片々の蒐集に手間と時間をかけ、それを積み上げていく。サッカーは、人間の意のままに動く両手の使用をあえて禁止することにより、わずかな点差を競い合うゲームとなって、ラグビーとは違った緊迫感をもたらす。“手”をしばられたノンフィクションの書き手が目指すのも、不自由を区切り抜けた末のゴールポストである」  たしかに、ゴールキーパーを除いて原則両手を使わないサッカーは、ラグビーに比べると荒々しさはなく、静の球技とさえ感じてしまう。ただボールの奪い合いは緊迫感が伴って、それが魅力なのだ。本田に言わせると、一方のラグビーは「想像力を広げることができる球技」なのだろう。タックルやスクラム、ラック、モールといった力感あふれるシステムもあり、トライを目指して突き進もうとするゲームは、まさに物…

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1822 400勝達成の裏で 金田に贈る川上の言葉

 プロ野球で大選手(大打者)にして大監督といえば、川上哲治と野村克也の2人だろう。6日に86歳で亡くなった金田正一は、前人未到といわれる400勝を達成し日本では最高の投手といえる。ロッテを率い日本一も経験したが、監督の力量としては川上と野村には及ばない。金田は選手としての晩年巨人に移り、川上の指揮下に入った。その時、管理野球を実践していた川上は金田にどう接したのだろう。そのエピソードがいかにも川上らしいのだ。  川上は著書『遺書』(文春文庫)に「大物選手の使い方」と題して、そのいきさつを記している。金田は1965(昭和40)年、国鉄から巨人に移籍した。弱小球団国鉄でそれまでに353勝を挙げている大投手だった。当時、巨人はON(王と長嶋)を中心にしたチームで、川上は天皇と呼ばれるワンマン型の大投手、金田に自分勝手に動かれては歯車が狂い兼ねないと心配した。普通なら、ONと一緒にチームプレーに注意しながらやってくれというところだが、川上はそうは言わず逆転の発想で金田に告げたという。 「キミはこのジャイアンツで400勝するんだ。だれもなし得なかった大目標に、このジャイアンツで挑戦してもらいたい。キミのような大投手が同じジャイアンツのユニホームを着て、この大目標のためにやるとなると、これはすべての他の選手のお手本になるはずだ。なんでもキミの好きなように、いいようにやってくれ。キミがやることに悪いものがあるはずがない。しかし、ウチの連中は、キミのような大投手の物の考え方、練習方法、自己管理のどれひ…

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1820 繰り返すドーハの悲劇 過酷!深夜の世界陸上

「ドーハの悲劇」は、1993年10月28日、中東カタールの首都ドーハで開催されたサッカーW杯アジア地区最終予選最終節の試合で、イラク代表と戦っていた日本代表がロスタイムに同点ゴールを入れられ、W杯初出場を逃したことを指す言葉である。現在、同じドーハで開催中の世界陸上の競技をテレビで見ながら、この言葉が蘇ってしまった。スポーツ関係者は、ともすれば「アスリートファースト」(選手が最高の力を発揮するため、環境を整えること)というが、深夜にスタートするマラソンや競歩選手たちの苦しい表情を見ていると、その言葉は嘘としか思えない。  既に実施された女子マラソン(現地時間9月27日)、男女の50キロ競歩(同28日)、女子20キロ競歩(同30日)は現地時間の真夜中(午後11時半、あるいは午後11時59分)のスタートという異常な時間設定だった。日中は40度を超えるという気温のため、異例の深夜時間の実施になったという。それでも女子マラソンのスタート時間の気温は32・7度、湿度73・3%という過酷な環境になった。競歩もほぼ似た条件だった。この結果、女子マラソンは出場した68人中28人が途中棄権し、完走率は過去最低の58・8%という不名誉な記録になった。46人が出た男子50キロ競歩(鈴木雄介選手が4時間4分20秒で優勝)は18人が棄権、こちらも完歩率は60・8%にとどまった。  選手やコーチからは「これまで出場したレースで一番過酷だった」「昼間にやっていたら、死人が出たかもしれない。2度とこういうレースを走ら…

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1802 グッドニュースとバッドニュース 昨今の話題から

 昨今、新聞やテレビのニュースになるのは暗い話題がほとんどである。輸出管理の優遇措置を認める「ホワイト国」から韓国を除外したことをめぐる日韓の対立、愛知県での「表現の不自由展」の開催直後の中止、アメリカの相次ぐ銃乱射事件、北朝鮮による飛翔体(短距離ミサイル)発射……など、バッドニュースが占めている。そんな中で、女子ゴルフの全英オープンで優勝した20歳の渋野日向子選手の話題はグッドニュースだった。 「福音」という言葉がある。辞書を引くと「喜ばしい知らせ。うれしい便り」のほかに「キリスト教で、キリストによって人類が救済されるという喜ばしい知らせ。また、それを伝える教え」(大修館書店「明鏡国語辞典」)と出ている。福音はまさにグッドニュースなのである。しかし、2019年8月の世界と日本からは、そうしたうれしい便りはほとんど届かない。  きょうは8月6日。テレビでは広島の原爆の日の「平和記念式典」の中継をしていた。会場には外国人の姿が目立つ。小学6年生の男女2人による「平和への誓い」の一節が心に響いた。《国や文化や歴史、違いはたくさんあるけれど、大切なもの、大切な人を思う気持ちは同じです。みんなの「大切」を守りたい。「ありがとう」や「ごめんね」の言葉で認め合い許し合うこと、寄り添い、助け合うこと、相手を知り、違いを理解しようと努力すること。自分の周りを平和にすることは、私たち子どもにもできることです》  経済戦争状態になってしまった日韓関係を見るにつけ、この広島の子どもたちの言葉を互いの政…

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1800 酷使か登板回避か 大船渡監督が問う高校野球の在り方

 野球の好きな人なら、権藤博という投手のことを覚えているだろう。プロ野球、中日に入団した権藤は新人の年〈1961年〉に公式戦の半分以上に及ぶ69試合に投げ、35勝19敗(うち先発41試合、完投2、投球回数429回3分の1)という現代では考えられない超人的成績を残した。翌年も61試合に登板、30勝を挙げたのだが、3年目には肩を痛めたこともあって球威を失い、その後は活躍できなかった。甲子園への出場を目指す夏の高校野球岩手県決勝で、豪速球(最速163キロ)の佐々木朗希投手の登板を回避させた大船渡高校監督の采配に賛否の声が出ている時だけに、往年の権藤のことを頭に浮かべる野球ファンも多いはずだ。  権藤は登板過多、酷使により投手生命は短く、5年で210試合に登板、82勝60敗という寂しい成績に終わった悲劇の投手である。「太く短い」投手人生であり、その後内野手に転向したが成功しなかった。権藤は後に横浜の監督として日本一になるなど、指導者として名を残した。自身の体験から肩には寿命があり、酷使すれば必ず早く寿命が尽きてしまうという理論を持ち、コーチを務めた球団では徹底して少ない投球を教え込んだと、戸部良也は書いている(『プロ野球英雄伝説』講談社文庫)。先発投手は100球以下を基本原則とする、現代の米大リーグの先を行く指導法といもいえる。  夏の高校野球岩手県大会決勝で佐々木投手を「故障を防ぐ」という理由で登板させず、大敗してしまった国保陽平監督の采配に対し、野球評論家の張本勲さんがテレビ番組でかなり厳しい口調…

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1787 愉快な戦争はほかにないと子規 激しい日本語の野球用語 

「実際の戦争は危険多くして損失夥し ベース、ボール程愉快にてみちたる戦争は他になかるべし」。正岡子規は元気だった学生時代のころ野球に熱中し、随筆「筆まかせ」に、こんなふうに記した。子規が愉快な戦争と書いた野球だが、日本語の野球用語には解説者が「何とかならないかと思う」というほどの激しい言葉が使われている。  翻訳された野球用語の激しさについて語ったのは、元大リーガー(投手)の斎藤隆さんだ。大リーグの大谷翔平選手(エンゼルス)と前田健太投手(ドジャース)の対決となったNHKの米大リーグ試合中継で、斎藤さんが話すのを聞いて、なるほどと思った。確かに「殺」や「死」「盗」「暴」「邪」といったマイナスイメージの漢字が使われている。併殺(ダブルプレー、ゲッツー)、三重殺(トリプルプレー)、犠打(バント)、犠飛(犠牲フライ)、死球(デッドボール)、盗塁(スチール)、本盗(ホームスチール)、邪飛(ファウルフライ)、暴投(ワイルドピッチ)、一死、二死(ワンアウト、ツーアウト)、○○弾(○○ホームラン)……。  以上は思いつくままに書いてみたのだが、ふだん新聞のスポーツ面を何気なく見ていて、特に気にすることがない。長い間使われているためか、特に違和感はない。だが、斎藤さんに言うように、けっこうきつい言葉なのである。これに気が付いた斎藤さんは繊細な人なのだろう。野球用語はこの先変わるのだろうか。  ところで、子規は冒頭の言葉の前に野球の面白さについて書いている。 《運動にもなり しかも趣向の複雑…

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1782 絶対ではない人間の目 相次ぐ誤審の落とし穴

 ゴルフのように審判がいない競技もあるが、スポーツ界で審判は重要な役割を持っている。審判の判断に勝敗の行方が大きくかかわることが多く、「誤審」が話題になることも少なくない。人間の目は確かなようで間違いもあるため、最近はビデオ判定も珍しくない。サッカーのJリーグの誤審に続いて、大相撲でも夏場所13日目の栃ノ心と朝乃山戦で日本相撲協会に抗議が殺到する誤審(私はそう判断する)が起きた。50年前の横綱大鵬の大記録が途切れた際の誤審をきっかけにビデオ判定が導入されたといわれるが、今回も人間の目を優先した結果、落とし穴に落ち、相撲ファンに不信感を与えてしまった。  米大リーグをテレビで見ていると、「チャレンジ」という言葉が時々使われる。監督が審判の判定に異議を申し立てると、ビデオ判定員に確認を求めるのだ。2014年から採用された制度で日本のプロ野球でも監督が判定に対し映像によるリプレー検証を求める「リクエスト」という制度が2018年から実施されている。セーフかアウトか、本塁打かファールかなどで、判定が覆ることがしばしばある。  微妙な場面で人間の目が、見間違いを犯してしまうことがよく分かる。その典型が、今月17日に埼玉スタジアムで開催されたサッカーJ(1)リーグ、浦和レッズと湘南ベルマーレの試合のゴールの判定だった。前半31分、ベルマーレの選手によるシュートがゴールしたにもかかわらず、主審は右のポストに当たってゴールラインを割って反対側のサイドネットを揺らしたとして、得点を認めなかった。映像を見て…

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1766 体は小さくても  貴景勝の可能性

  大相撲の貴景勝が大関に昇進することが決まった。平均身長184センチ、同体重164キロと大型化した大相撲の世界で、体重こそ170キロと平均を上回るものの、身長は175センチと決して大きくはない。スポーツは体の大小だけではないことを貴景勝の活躍が示している。 「その体で十両は無理といわれた。押し相撲で幕内は無理、三役は無理、大関は無理と言われた。そう言われても頑張れるし、美学じゃないがそれしか生き残る道はないと思っている」。テレビのインタビューを見ていたら貴景勝はこう言い、「次は上を目指す」と大関は通過点に過ぎないと口にした。大関伝達の使者に対しては「武士道精神を重んじ、感謝の気持ちと思いやりを忘れず、相撲道に精進してまいります」という口上を返した。彼の話を聞いていると、考え方がしっかりしている。22歳の若者を見直す思いでテレビを見た。  体が小さいといえば、大リーグのヒューストン・アストロズにホゼ・アルトゥーベ(ベネズエラ)という2塁手がいる。公表されている身長は5フィート6インチ(167・5cm)だ。実際はこれよりも小さい165cmという報道もある。いずれにしろ、現役メジャーリーグで最も身長が低い(体重は約75キロ)選手なのだ。しかし、この小さな体でこれまでに首位打者3回、盗塁王2回 MVP1回(アメリカンリーグ)を獲得し、「小さな巨人」と呼ばれている。  大柄が当然な相撲や野球の世界で、小さいといわれる自分の体を生かして活躍する2人を見ていて、力が湧く子どもたちも多いのでは…

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1764 日米で特別な存在に イチローの引退

 大リーグ・マリナーズのイチロー外野手(45)が東京ドームの開幕2戦目後、現役引退を表明した。13年目に入ったこのブログでイチローをこれまで6回取り上げている。それだけ、イチローは気になる存在だったといえる。人生には「特別な一瞬」があるが、21日夜の、東京ドームはイチローにとってまさにその時間だったといえる。  大リーグ、マリナーズとアスレチックスの試合は地上波の日本テレビが途中まで中継した。その後はBS(日本テレビ)放送のサブチャンネル(映像がかつてのアナログ放送のように粗い)で放送され、8回裏、一度ライトの守備に就いたイチローが交代すると、マリナーズの選手全員が守備位置を離れ、3塁側のベンチ前に戻ってイチローを出迎え、抱擁する場面が演出された。延長戦までもつれ込んだ試合が終わってからも観客は帰らず、しばらくしてイチローが再登場、ファンに何度も手を挙げて別れを告げた。 「人生の特別な一瞬というのは、本当は、ごくありふれた、なにげない、あるときの、ある一瞬の光景にすぎないだろう。(中略)ほとんど、なにがなく、あたりまえのように、そうと意識されないままに過ぎていったのに、ある一瞬の光景だけが、そこだけ切りぬかれたかのように、ずっと後になってから、人生の特別な一瞬として、ありありとした記憶となってもどってくる」(詩人、長田弘詩集『人生の特別な一瞬』晶文社・より)  日米4367安打(NPB1278、MLB3089)という不世出の記録を作り出したイチローにとって、思い出に残る場面は数多…

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1754 若者の未来奪った五輪の重圧 円谷幸吉の自死から51年

 東京五輪のマラソンで銅メダルを獲得した円谷幸吉が自殺をしたのは1968(昭和43)年1月9日のことである。27年の短い生涯だった。あれから51年の歳月が流れている。円谷の自殺に関しては当時から、次のメキシコ五輪で金メダルをという重圧を受ける中での腰の故障による不調、指導を受けていた自衛隊体育学校のコーチの左遷、結婚の破談が重なったことが要因との見方が強い。これを世に広めたのはベストセラー『深夜特急』の作者、沢木耕太郎のノンフィクション作品だった。最近、沢木の作品の内容に疑問を呈する小説を読み、後世まで批判に耐える作品を書くのは容易でないことを思い知らされた。  増山実著『空の走者たち』(ハルキ文庫、以下『走者』と表記)である。円谷が時空を超えて現れ、しかも実在の人物も重要場面で登場するフィクションだが、円谷の悲劇を描いた沢木のノンフィクション作品『敗れざる者たち』(文春文庫)の中の「長距離ランナーの遺書」(以下『遺書』と表記)についてもかなりの頁を割いている。それは批判といえる指摘が多かった。沢木は『遺書』の終わりの方でこんなふうに書いている。「円谷は最後まで『規矩の人』だった。円谷の生涯の美しさは、『規矩』に従うことの美しさであり、その無惨さも同様の無惨さである」。辞書には「規矩の規はコンパス、矩は物差しのこと。規準とするもの。手本。規則」(広辞苑)とあるから、円谷は生真面目な人だったと沢木は考えたのだろう。そして、この見方を基本に、沢木は円谷の「自主性のなさ」「融通の利かなさ」「暗さ」…

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1753 天に通じる肉親の言葉 池江選手の白血病公表

「人事を尽くして天命を待つ」というよく知られた言葉がある。「人としてできる限りのことをして、その結果は天の意思に任せるということ」(大修館書店・明鏡国語辞典)という意味だ。中国南宋時代の政治家で儒学者、胡寅(こいん)が記した『読史管見』にある「人事を尽くして天命に聴(まか)す」が出典といわれる。水泳の池江璃花子選手が白血病であることを公表したニュースを聞いて、この言葉を思い浮かべた人は少なくないだろう。  若さにあふれ、向かうところ敵なし。まさに天才スイマー。そんな18歳を突然、病魔が襲った。「白血病と診断されたとき、頭が真っ白になった」。昨年10月、横浜市で開催された白血病の骨髄移植に関するシンポジウムで、大学在学中に白血病になった元患者の若い女性がこう話していたことを忘れることができない。  オリンピックという大きな目標に向かって歩みを続けている時に、突然立ちはだかった病気という大きな壁。「私自身、未だに信じられず、混乱している状況です」というコメントを読んで、池江選手が元患者と同じく不安な日々を送っていることが容易に想像できる。    辞書によると、「天命」とは①天が人間に与えた使命。天の巡り合わせ②天から与えられた命、天の定めた人間の命、天寿③天が罰す罪、天罰――の3つの意味(物書堂・精選版日本国語大辞典)があるそうだ。②と同様に「変えようとしても変えることの出来ない、身に備わった運命」(三省堂・新明解国語辞典)という説明もある。だが、この世に生を享けた以上、生きるためにで…

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1724 59歳まで投げ抜いた伝説の投手 その名はサチェル・ペイジ 

 日本ハムから大リーグ(MLB)のエンゼルスに移籍し、投手と打者の「二刀流」で活躍した大谷翔平の新人王受賞が決まった。何よりのことである。大谷と比較されるのは、大リーグ史上最もよく知られているベーブルースだろう。ルースは、二刀流から出発し、打者に専念して大打者の道を歩んだ。ルースほど有名ではないが、大リーグで59歳までプレーした大投手がいたことを知る人はそう多くはないかもしれない。サチェル・ペイジという伝説の投手である。将来、大谷もペイジのように伝説の選手になるだろうか。  サチェル・ペイジは1982年6月8日に亡くなった。その時の死亡記事(AP・SW=共同)が佐山和夫『史上最高の投手はだれか』(潮出版)という本に紹介されている。記事によると、サチェル・ペイジは、ミズーリ州カンザスシティの病院で心臓病のため亡くなった。推定年齢は75歳。主な活躍の舞台は1920~40年代の黒人リーグで、ほとんど記録は残っていない。だが、練習試合で対戦したことがある火の玉投手といわれたMLBのボブ・フェラー(通算266勝)は「自分の速球がチェンジアップ(ストレートと同じフォームから投げるが、速球よりも格段に低速なボール)に見えるほどペイジの球は速かった」といい、ペイジの投球を見た人のほとんどが「自分が見た中で最も素晴らしい投手」と語っている。  黒人リーグで活躍したペイジはジャッキー・ロビンソンが有色人種の大リーグ入りを切り開いたことで1948年、42歳の時に初めて大リーグのインディアンスに入った。最後の…

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1719 痛ましい駅伝選手 這ってでものタスキリレー

 10月21日に開催された全日本実業団対抗女子駅伝の予選会で、中継地点目前で倒れた岩谷産業の2区、飯田怜が約200~300メートルを這いながら進んだ。飯田は右足を骨折し、両ひざからは血が流れていた。繰り返しこのシーンがテレビで放映されている。痛ましい限りである。このところスポーツ界をめぐる暗い話題が尽きない。スポーツとは何なんだろうと思う。  かつて早稲田大学で瀬古俊彦という名ランナーを育てた中村清監督は、厳しい指導で知られた。自身も早大で箱根駅伝に出場した作家の黒木亮は『冬の喝采』(講談社文庫)という自伝的小説の中で、中村の激しさを書いている。中継地点近くになってラストスパートしている主人公の金山(黒木の本名)に対し、「根性あるのか!」「死んでしまえ!」「おらおらおらーっ!」と罵詈雑言を吐く。もちろん選手の力を引き出そうとする思いから出た言葉である。  卒業する金山らに対しての中村のあいさつで、レースでの罵詈雑言は愛の鞭だったことが分かる。「競走部を強くし、諸君を臙脂(同大学のスクールカラー)のユニフォームに恥じない選手のためにするためではあったが、中村の至らなさで、ご迷惑をかけたかもわかりません。しかし、『若い頃に流さなかなった汗は、年老いてから涙となって流れる』とも申します……」  現代では中村の指導法はパワハラと受け止められるかもしれない。体操女子選手のパワハラ問題で、コーチから体罰を受けた選手が「コーチを信頼している。引き続き指導を受けたい」と記者会見で話しているのを見…

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1704 大谷の二刀流復活記念日は? けがとの闘い1年を振り返る

 俵万智の歌集『サラダ記念日』(河出書房)が280万部というベストセラーになったのは、31年前の1987年のことだった。歌集には題名となった「『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」の短歌が収められていて、「記念日」という言葉が強く印象に残った。さて、きょう13日は私にとってもある記念日なのである。  それはあまり思い出したくない記念日だ。昨年9月13日夕、右足の大腿四頭筋断裂というけがをしたことはこのブログでも触れている。あれから1年になった「記念日」なのである。手術・1カ月の入院、リハビリを経てほぼ完治に近い状態になった。得難い体験だったし、繰り返したくない体験でもあった。  人は加齢とともに体のさまざまな部分に勤続疲労ともいえる不調が出てくる。それは致し方がないことだが、私の場合は公園のぬかるんでいた斜面で写真を撮影している際、足を滑らせ転倒するという過失によってのけがだった。10月中旬まで入院し、平日は午前午後で3回、土日、祝日は2回のリハビリを続け、退院後も12月末までリハビリに通い理学療法士のお世話になった。並行して近所のスポーツジムでマシンを使って筋肉トレーニングを始めた。当初、痛めた右足は真っすぐ伸ばすことはできるが、膝を折ることはなかなかできなかった。  1月からはジムでのリハビリ(筋力トレーニングと水泳)のほか、朝夕の散歩を日課にした。朝の散歩の仕上げはラジオ体操だ。こうした毎日の繰り返しで次第に右足は回復、膝を折ることも可能になった。時々痛…

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1697 社会現象になった金足農 「ベースボールの今日も暮れけり」

「刀折れ矢尽きる」あるいは「弓折れ矢尽きる」というのだろうか。甲子園の夏の高校野球決勝、大阪桐蔭―金足農戦(12-3で大阪桐蔭が優勝。春夏連覇の2回という新記録を達成)をテレビで見ていて、この故事を思い浮かべた。「戦う手段が完全になくなる。物事を続ける方策が全くなくなる」(広辞苑)という意味だが、それでも劣勢に立たされた金足農は最後まであきらめなかった。閉会式の途中、甲子園球場の外野席後方に虹が出た。それは優勝した大阪桐蔭よりも台風の目ならぬ「大会の目」になった金足農ナインを祝福しているように私には見えた。  たまたまだが若い時分、秋田で暮らしたことがある。妻は秋田生まれで、妻の妹の一人は金足農出身だ。そんな私的事情もあって、甲子園で金足農の試合があると必ずテレビの前に座り、ハラハラしながら見続けた。大会が始まるまで、この高校がどんなチームか全く知らなかった。新聞には吉田投手が大会屈指の投手とは紹介されていたが、ここまでやるとは思いもしなかった。  これまでの金足農選手たちの奮闘は、多くのメディアで報道されている。秋田の街のフィーバーぶりもテレビで毎日話題になっている。暗い話題が多い昨今、山口の周防大島で行方不明になった2歳の藤本理稀ちゃんを見つけた大分のボランティア、尾畠春夫さん(78)とともに、ワイドショーが飛び付く題材になったのだろう。それにしても、高校野球がこれほど社会現象になったのは久しぶりのことではないか。  100回大会ということで、これまで活躍した松井をはじめ…

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1693 高校野球美談の陰で 猛暑が及ぼす甲子園記念大会への影響

 異常な暑さの中で甲子園の夏の高校野球大会が続いている。熱中症で足がけいれんした左翼手に相手校の3塁コーチの選手が駆け寄り、冷却スプレーで冷やしてやった、というニュースが美談として報じられている。これだけでなく、今大会は暑さのために毎日のように足がつる選手が続出している。さらに暑さが審判の判断にも影響しているとしか思えない「誤審」も目立っている。  夏の甲子園大会を主催する朝日新聞は今回が100回の記念大会ということで、地区予選前から大々的に高校野球に大きく紙面を割いてきた。スポーツ紙顔負けの扱いで、紙面を開いて何事かと思うほどだ。甲子園大会でも当然その紙面構成は変わらない。だが命の危険を及ぼすような、高温が続く中での大会。体力のある若い高校生でも熱中症にやられてしまうケースが少なくない。  こんな異常な夏。まだ序盤戦なのに、試合結果に影響を及ぼす2回の大きな誤審が出ているのだ。大会初日の8月5日。慶応高校(北神奈川)と中越(新潟)戦。2-2で迎えた中越8回表の攻撃。1死1、3塁で打者がバントをしようとしてやめたあと、3塁にいたランナーが飛び出した。慶応の捕手が3塁にボールを投げ、3塁手がベースに戻ろうとしてたランナーにタッチ、3塁審判はアウトを宣告した。しかし、テレビの画面を見るとタッチはしておらず、空タッチだった。3塁手のいかにもタッチしたというアピールに惑わされたとしか思えないアウトの宣告だった。結局中越は2死1塁となり、そのあとの打者がアウトになって無得点、慶応は9回裏にサヨナ…

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1687 孤軍奮闘の御嶽海 甘えの横綱たち

 3人の横綱だけでなく、新大関の栃ノ心までけがで休場した大相撲名古屋場所。14日目で関脇御嶽海が初優勝を決めた。それに対し残った大関2人は元気がなく、ようやくカド番を脱した。それでも人気があるから、相撲協会は危機感を持っていないのかもしれないが、大相撲史上に残る寂しい場所といっていい。背景には横綱の甘えがあるように思えてならない。  大相撲の横綱は、休場しても横綱から陥落・降格することはない。昔からの慣例だ。これに関するきちんとした制度はなく、1958(昭和33)年に横綱審議会が公表した横綱昇進基準(内規)4が運用されているようだ。それは以下のような内容だ。 《横綱が次の各項に該当する場合は、よく調査したうえ、全委員の3分2以上の決議により、激励、注意、引退勧告などをする。横綱の格下げ、およびこれに準ずる制度は取りあげない。  • 休場の多い場合。ただし、休場が連続するときでも、ケガや病気の内容によつて再帰の可能性があると認めた場合には治療に専念させることがある。  • 横綱としての体面を汚した場合。  • 横綱として非常に不成績であり、その位に耐えないと認めた場合。》  横綱になって皆勤した場所が1場所しかない稀勢の里をはじめ、今場所途中休場した白鵬、鶴竜とも最初の項目が適用されるから、降格はない。それだけ横綱は特別な存在なのだ。それにしても最近の横綱は安易に休み過ぎる。スポーツにけがは付き物だ。特に相手と戦う相撲を含め、格闘技は特にけ…

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1671 サッカーの祭典と子規 苦しみは仁王の足の如し

 サッカーW杯ロシア大会が始まった。テレビニュースを見て、なぜかワクワク感があることに気づいた。それは同じように4年に1回開催されるオリンピック(夏、冬2年の間隔)の開幕とほぼ似た感覚だ。これは私だけでなく、スポーツを愛好する多くの人に共通するものなのかもしれない。  サッカーのテレビ中継は日本代表の試合は見るが、それ以外(Jリーグ)はほとんど見ない。熱心なサッカーファンではない。だが、W杯となると、一時的ながらサッカーファンになってしまうのだ。日本チームはW杯の出場を決めながら、このほど突然ハリルホジッチ監督が解任され、大騒ぎになった。最近の不振や選手とのコミュニケーション不足が理由だという。  W杯目前にして指揮官が代わったのだから、冷静に見れば大会での日本チームの活躍は期待できない。本番前のテストを兼ねた2試合は得点ゼロで敗戦、ようやく3戦目のパラグアイ戦に勝ち、少しだけ希望の光が見えてきた感がある。とはいえ、大会では苦戦が予想されている。外国チームのような飛び抜けた選手はいないのだからそれも仕方がないことだろう。ブラジル五輪の男子400メートルリレーで日本チームが銀メダルを獲得したように、固いチームワークで善戦するのだろうか。  W杯のスペイン――ポルトガル戦をテレビで見た。スペインは直前に監督を解任したばかりだった。ポルトガルのロナウドがハットトリックを達成した。最初のペナルティは、わざと倒れたように見えた。それは別にしても、この試合を見ていてワクワク感がした。これがス…

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1669 大谷と職業病 スポーツ選手のけがとの闘い(3)

 野球の投手にとって肘の損傷は「職業病」といっていい。これまで多くの投手がこのけがに苦しみ、野球人生を途中で断念した投手も少なくない。大リーグに行き、エンゼルスで投打の二刀流に挑んでいる大谷翔平(23)が右肘の内側副靱帯(じんたい)を損傷し、10日間の故障者リストに入ったという。大谷にとって試練の時を迎えたといっていい。  日本球界で大活躍し、大リーグに進んだ投手のうち松坂大輔は右肩の故障だけでなく肘痛もあり、大リーグ在籍8年で56勝しかできなかった。パーリーグに復帰したが、ソフトバンクでも0勝に終わり、今季中日でようやく復調の気配を見せている。ダルビッシュ有は、右肘の手術を受け2015年のシーズンを棒に振っているし、その後芳しい成績は残していない。田中将大も右肘痛をPPP注射(自己多血小板血漿療法)という療法で何とかしのいでいるのが現状だ。こうした大投手たちが、投手の職業病克服に苦しんでいるのを見ても、大谷の肘痛との闘いは楽観視できない。  スポーツ選手にとって、けがとの闘いは宿命だ。スケートの羽生結弦はけがを克服し冬季五輪で2連覇したが、こうしたケースは稀といっていい。野球だけでなく、スポーツで大選手といわれる存在になるには、けがをしないことが大きな条件だろう。プロ野球の場合、超一流にランクされる「投手の200勝」、「打者の2000本安打」を達成した選手は長い間、現役を続けた選手ばかりである。けがをしないか、けがを克服してこの勲章を得るのだ。けがをしな選手の代表は、何と言ってもイチ…

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1650 人を動かす言葉 鉄人衣笠さんと政治家

 2215試合というプロ野球の連続試合出場記録を持ち、国民栄誉賞を受賞した元広島カープの衣笠祥雄さんが亡くなった。71歳だった。「鉄人」といわれた衣笠さんは17シーズン、全試合に出続けた。長い年月だ。その間、欠場の危機を乗り越えたのは優れた体力だけでなく、強い気力があったからなのだろう。そんな衣笠さんが病魔に勝てなかったのは残念でならない。  衣笠さんにもピンチがあったという。1つは巨人の投手、西本聖から死球を受け、左肩甲骨骨折というけがをした時(1979年8月1日)だ。だが、翌日の試合には肩にテーピングをして出場したのだから、尋常ではない、頑健な体を持っていたのだろう。京都に住む母親が亡くなった時も、欠場の瀬戸際だったという。  当時、広島カープは大分の遠征試合があり、衣笠さんは前夜のゲームが終わったあと、車と列車を乗り継いで京都に駆け付け葬儀に出た。そして、再び大分に戻り、一睡もせずにその夜のナイターに出たのだ。衣笠さんは当時を振り返り「もし僕がゲームを休んでも、母は決して喜ばなかったと思う。こうしてプレーする姿を見せるのが、最も親孝行になると思っている」(戸部良也『プロ野球英雄伝説』講談社学術文庫)と語ったそうだ。  スポーツをテーマにしたノンフィクションの名著といわれる山際淳司の『スローカーブを、もう一球』(角川文庫)にも衣笠さんが少しだけ登場する。この本には、野球伝説の一つにもなっている江夏豊の1979年11月4日の日本シリーズ広島―近鉄第7戦の姿を描いた「江夏の21球…

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1645 走ることの意味 わずか150メートルでも

 遊歩道を歩いていると、走っている人が目につく。もちろん、私のように散歩をしている人の方が多いのだが、足取りも軽く走っている人を見ると、つい私も走りたくなる。だが、そうは行かない。右足の故障が完全には回復していないから、無理はできない。それでもやってみた。結果はどうだっただろう。  昨年9月、右足の膝周辺の大腿四頭筋断裂というけがをして、病院に入院して手術を受けた。それから間もなく7カ月になる。けがの前は、当然のようにジョギングもできたし、歩くことに全く違和感はなかった。足は丈夫だったから、このような状況(手術、1カ月の入院、リハビリ……)に陥るとは想像もしていなかった。想定外だったのだ。  退院後も昨年いっぱいリハビリに通い、理学療法士の世話になった。並行してスポーツジムでマシンを使って自主的にリハビリを続けている。朝日新聞に「続・元気のひけつ 太ももを鍛える」という記事(14日付朝刊)が載っていた。それによると、筋肉は25歳~30歳をピークに減り始め、特に40~50歳から太ももの筋肉は減り方が激しく、何もしないと80歳で30歳の半分ぐらいに減ってしまう(筋生理学専門の石井直方東大教授)という。私の場合、太ももだけでなく右足全体の筋力が激しく落ちていた。マシンを使うとそれが分かった。負荷を一番低く設定しなければ、マシンが使えなかったのだ。これではいけない。  そんな思いを抱え、継続してマシンや階段踏みのリハビリを続けた。その結果なのだろう。最近次第に筋力がついてきたことを実感す…

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