1802 グッドニュースとバッドニュース 昨今の話題から

 昨今、新聞やテレビのニュースになるのは暗い話題がほとんどである。輸出管理の優遇措置を認める「ホワイト国」から韓国を除外したことをめぐる日韓の対立、愛知県での「表現の不自由展」の開催直後の中止、アメリカの相次ぐ銃乱射事件、北朝鮮による飛翔体(短距離ミサイル)発射……など、バッドニュースが占めている。そんな中で、女子ゴルフの全英オープンで優勝した20歳の渋野日向子選手の話題はグッドニュースだった。 「福音」という言葉がある。辞書を引くと「喜ばしい知らせ。うれしい便り」のほかに「キリスト教で、キリストによって人類が救済されるという喜ばしい知らせ。また、それを伝える教え」(大修館書店「明鏡国語辞典」)と出ている。福音はまさにグッドニュースなのである。しかし、2019年8月の世界と日本からは、そうしたうれしい便りはほとんど届かない。  きょうは8月6日。テレビでは広島の原爆の日の「平和記念式典」の中継をしていた。会場には外国人の姿が目立つ。小学6年生の男女2人による「平和への誓い」の一節が心に響いた。《国や文化や歴史、違いはたくさんあるけれど、大切なもの、大切な人を思う気持ちは同じです。みんなの「大切」を守りたい。「ありがとう」や「ごめんね」の言葉で認め合い許し合うこと、寄り添い、助け合うこと、相手を知り、違いを理解しようと努力すること。自分の周りを平和にすることは、私たち子どもにもできることです》  経済戦争状態になってしまった日韓関係を見るにつけ、この広島の子どもたちの言葉を互いの政…

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1800 酷使か登板回避か 大船渡監督が問う高校野球の在り方

 野球の好きな人なら、権藤博という投手のことを覚えているだろう。プロ野球、中日に入団した権藤は新人の年〈1961年〉に公式戦の半分以上に及ぶ69試合に投げ、35勝19敗(うち先発41試合、完投2、投球回数429回3分の1)という現代では考えられない超人的成績を残した。翌年も61試合に登板、30勝を挙げたのだが、3年目には肩を痛めたこともあって球威を失い、その後は活躍できなかった。甲子園への出場を目指す夏の高校野球岩手県決勝で、豪速球(最速163キロ)の佐々木朗希投手の登板を回避させた大船渡高校監督の采配に賛否の声が出ている時だけに、往年の権藤のことを頭に浮かべる野球ファンも多いはずだ。  権藤は登板過多、酷使により投手生命は短く、5年で210試合に登板、82勝60敗という寂しい成績に終わった悲劇の投手である。「太く短い」投手人生であり、その後内野手に転向したが成功しなかった。権藤は後に横浜の監督として日本一になるなど、指導者として名を残した。自身の体験から肩には寿命があり、酷使すれば必ず早く寿命が尽きてしまうという理論を持ち、コーチを務めた球団では徹底して少ない投球を教え込んだと、戸部良也は書いている(『プロ野球英雄伝説』講談社文庫)。先発投手は100球以下を基本原則とする、現代の米大リーグの先を行く指導法といもいえる。  夏の高校野球岩手県大会決勝で佐々木投手を「故障を防ぐ」という理由で登板させず、大敗してしまった国保陽平監督の采配に対し、野球評論家の張本勲さんがテレビ番組でかなり厳しい口調…

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1787 愉快な戦争はほかにないと子規 激しい日本語の野球用語 

「実際の戦争は危険多くして損失夥し ベース、ボール程愉快にてみちたる戦争は他になかるべし」。正岡子規は元気だった学生時代のころ野球に熱中し、随筆「筆まかせ」に、こんなふうに記した。子規が愉快な戦争と書いた野球だが、日本語の野球用語には解説者が「何とかならないかと思う」というほどの激しい言葉が使われている。  翻訳された野球用語の激しさについて語ったのは、元大リーガー(投手)の斎藤隆さんだ。大リーグの大谷翔平選手(エンゼルス)と前田健太投手(ドジャース)の対決となったNHKの米大リーグ試合中継で、斎藤さんが話すのを聞いて、なるほどと思った。確かに「殺」や「死」「盗」「暴」「邪」といったマイナスイメージの漢字が使われている。併殺(ダブルプレー、ゲッツー)、三重殺(トリプルプレー)、犠打(バント)、犠飛(犠牲フライ)、死球(デッドボール)、盗塁(スチール)、本盗(ホームスチール)、邪飛(ファウルフライ)、暴投(ワイルドピッチ)、一死、二死(ワンアウト、ツーアウト)、○○弾(○○ホームラン)……。  以上は思いつくままに書いてみたのだが、ふだん新聞のスポーツ面を何気なく見ていて、特に気にすることがない。長い間使われているためか、特に違和感はない。だが、斎藤さんに言うように、けっこうきつい言葉なのである。これに気が付いた斎藤さんは繊細な人なのだろう。野球用語はこの先変わるのだろうか。  ところで、子規は冒頭の言葉の前に野球の面白さについて書いている。 《運動にもなり しかも趣向の複雑…

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1782 絶対ではない人間の目 相次ぐ誤審の落とし穴

 ゴルフのように審判がいない競技もあるが、スポーツ界で審判は重要な役割を持っている。審判の判断に勝敗の行方が大きくかかわることが多く、「誤審」が話題になることも少なくない。人間の目は確かなようで間違いもあるため、最近はビデオ判定も珍しくない。サッカーのJリーグの誤審に続いて、大相撲でも夏場所13日目の栃ノ心と朝乃山戦で日本相撲協会に抗議が殺到する誤審(私はそう判断する)が起きた。50年前の横綱大鵬の大記録が途切れた際の誤審をきっかけにビデオ判定が導入されたといわれるが、今回も人間の目を優先した結果、落とし穴に落ち、相撲ファンに不信感を与えてしまった。  米大リーグをテレビで見ていると、「チャレンジ」という言葉が時々使われる。監督が審判の判定に異議を申し立てると、ビデオ判定員に確認を求めるのだ。2014年から採用された制度で日本のプロ野球でも監督が判定に対し映像によるリプレー検証を求める「リクエスト」という制度が2018年から実施されている。セーフかアウトか、本塁打かファールかなどで、判定が覆ることがしばしばある。  微妙な場面で人間の目が、見間違いを犯してしまうことがよく分かる。その典型が、今月17日に埼玉スタジアムで開催されたサッカーJ(1)リーグ、浦和レッズと湘南ベルマーレの試合のゴールの判定だった。前半31分、ベルマーレの選手によるシュートがゴールしたにもかかわらず、主審は右のポストに当たってゴールラインを割って反対側のサイドネットを揺らしたとして、得点を認めなかった。映像を見て…

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1766 体は小さくても  貴景勝の可能性

  大相撲の貴景勝が大関に昇進することが決まった。平均身長184センチ、同体重164キロと大型化した大相撲の世界で、体重こそ170キロと平均を上回るものの、身長は175センチと決して大きくはない。スポーツは体の大小だけではないことを貴景勝の活躍が示している。 「その体で十両は無理といわれた。押し相撲で幕内は無理、三役は無理、大関は無理と言われた。そう言われても頑張れるし、美学じゃないがそれしか生き残る道はないと思っている」。テレビのインタビューを見ていたら貴景勝はこう言い、「次は上を目指す」と大関は通過点に過ぎないと口にした。大関伝達の使者に対しては「武士道精神を重んじ、感謝の気持ちと思いやりを忘れず、相撲道に精進してまいります」という口上を返した。彼の話を聞いていると、考え方がしっかりしている。22歳の若者を見直す思いでテレビを見た。  体が小さいといえば、大リーグのヒューストン・アストロズにホゼ・アルトゥーベ(ベネズエラ)という2塁手がいる。公表されている身長は5フィート6インチ(167・5cm)だ。実際はこれよりも小さい165cmという報道もある。いずれにしろ、現役メジャーリーグで最も身長が低い(体重は約75キロ)選手なのだ。しかし、この小さな体でこれまでに首位打者3回、盗塁王2回 MVP1回(アメリカンリーグ)を獲得し、「小さな巨人」と呼ばれている。  大柄が当然な相撲や野球の世界で、小さいといわれる自分の体を生かして活躍する2人を見ていて、力が湧く子どもたちも多いのでは…

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1764 日米で特別な存在に イチローの引退

 大リーグ・マリナーズのイチロー外野手(45)が東京ドームの開幕2戦目後、現役引退を表明した。13年目に入ったこのブログでイチローをこれまで6回取り上げている。それだけ、イチローは気になる存在だったといえる。人生には「特別な一瞬」があるが、21日夜の、東京ドームはイチローにとってまさにその時間だったといえる。  大リーグ、マリナーズとアスレチックスの試合は地上波の日本テレビが途中まで中継した。その後はBS(日本テレビ)放送のサブチャンネル(映像がかつてのアナログ放送のように粗い)で放送され、8回裏、一度ライトの守備に就いたイチローが交代すると、マリナーズの選手全員が守備位置を離れ、3塁側のベンチ前に戻ってイチローを出迎え、抱擁する場面が演出された。延長戦までもつれ込んだ試合が終わってからも観客は帰らず、しばらくしてイチローが再登場、ファンに何度も手を挙げて別れを告げた。 「人生の特別な一瞬というのは、本当は、ごくありふれた、なにげない、あるときの、ある一瞬の光景にすぎないだろう。(中略)ほとんど、なにがなく、あたりまえのように、そうと意識されないままに過ぎていったのに、ある一瞬の光景だけが、そこだけ切りぬかれたかのように、ずっと後になってから、人生の特別な一瞬として、ありありとした記憶となってもどってくる」(詩人、長田弘詩集『人生の特別な一瞬』晶文社・より)  日米4367安打(NPB1278、MLB3089)という不世出の記録を作り出したイチローにとって、思い出に残る場面は数多…

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1754 若者の未来奪った五輪の重圧 円谷幸吉の自死から51年

 東京五輪のマラソンで銅メダルを獲得した円谷幸吉が自殺をしたのは1968(昭和43)年1月9日のことである。27年の短い生涯だった。あれから51年の歳月が流れている。円谷の自殺に関しては当時から、次のメキシコ五輪で金メダルをという重圧を受ける中での腰の故障による不調、指導を受けていた自衛隊体育学校のコーチの左遷、結婚の破談が重なったことが要因との見方が強い。これを世に広めたのはベストセラー『深夜特急』の作者、沢木耕太郎のノンフィクション作品だった。最近、沢木の作品の内容に疑問を呈する小説を読み、後世まで批判に耐える作品を書くのは容易でないことを思い知らされた。  増山実著『空の走者たち』(ハルキ文庫、以下『走者』と表記)である。円谷が時空を超えて現れ、しかも実在の人物も重要場面で登場するフィクションだが、円谷の悲劇を描いた沢木のノンフィクション作品『敗れざる者たち』(文春文庫)の中の「長距離ランナーの遺書」(以下『遺書』と表記)についてもかなりの頁を割いている。それは批判といえる指摘が多かった。沢木は『遺書』の終わりの方でこんなふうに書いている。「円谷は最後まで『規矩の人』だった。円谷の生涯の美しさは、『規矩』に従うことの美しさであり、その無惨さも同様の無惨さである」。辞書には「規矩の規はコンパス、矩は物差しのこと。規準とするもの。手本。規則」(広辞苑)とあるから、円谷は生真面目な人だった沢木は考えたのだろう。そして、この見方を基本に、沢木は円谷の「自主性のなさ」「融通の利かなさ」「暗さ」を…

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1753 天に通じる肉親の言葉 池江選手の白血病公表

「人事を尽くして天命を待つ」というよく知られた言葉がある。「人としてできる限りのことをして、その結果は天の意思に任せるということ」(大修館書店・明鏡国語辞典)という意味だ。中国南宋時代の政治家で儒学者、胡寅(こいん)が記した『読史管見』にある「人事を尽くして天命に聴(まか)す」が出典といわれる。水泳の池江璃花子選手が白血病であることを公表したニュースを聞いて、この言葉を思い浮かべた人は少なくないだろう。  若さにあふれ、向かうところ敵なし。まさに天才スイマー。そんな18歳を突然、病魔が襲った。「白血病と診断されたとき、頭が真っ白になった」。昨年10月、横浜市で開催された白血病の骨髄移植に関するシンポジウムで、大学在学中に白血病になった元患者の若い女性がこう話していたことを忘れることができない。  オリンピックという大きな目標に向かって歩みを続けている時に、突然立ちはだかった病気という大きな壁。「私自身、未だに信じられず、混乱している状況です」というコメントを読んで、池江選手が元患者と同じく不安な日々を送っていることが容易に想像できる。    辞書によると、「天命」とは①天が人間に与えた使命。天の巡り合わせ②天から与えられた命、天の定めた人間の命、天寿③天が罰す罪、天罰――の3つの意味(物書堂・精選版日本国語大辞典)があるそうだ。②と同様に「変えようとしても変えることの出来ない、身に備わった運命」(三省堂・新明解国語辞典)という説明もある。だが、この世に生を享けた以上、生きるためにで…

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1724 59歳まで投げ抜いた伝説の投手 その名はサチェル・ペイジ 

 日本ハムから大リーグ(MLB)のエンゼルスに移籍し、投手と打者の「二刀流」で活躍した大谷翔平の新人王受賞が決まった。何よりのことである。大谷と比較されるのは、大リーグ史上最もよく知られているベーブルースだろう。ルースは、二刀流から出発し、打者に専念して大打者の道を歩んだ。ルースほど有名ではないが、大リーグで59歳までプレーした大投手がいたことを知る人はそう多くはないかもしれない。サチェル・ペイジという伝説の投手である。将来、大谷もペイジのように伝説の選手になるだろうか。  サチェル・ペイジは1982年6月8日に亡くなった。その時の死亡記事(AP・SW=共同)が佐山和夫『史上最高の投手はだれか』(潮出版)という本に紹介されている。記事によると、サチェル・ペイジは、ミズーリ州カンザスシティの病院で心臓病のため亡くなった。推定年齢は75歳。主な活躍の舞台は1920~40年代の黒人リーグで、ほとんど記録は残っていない。だが、練習試合で対戦したことがある火の玉投手といわれたMLBのボブ・フェラー(通算266勝)は「自分の速球がチェンジアップ(ストレートと同じフォームから投げるが、速球よりも格段に低速なボール)に見えるほどペイジの球は速かった」といい、ペイジの投球を見た人のほとんどが「自分が見た中で最も素晴らしい投手」と語っている。  黒人リーグで活躍したペイジはジャッキー・ロビンソンが有色人種の大リーグ入りを切り開いたことで1948年、42歳の時に初めて大リーグのインディアンスに入った。最後の…

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1719 痛ましい駅伝選手 這ってでものタスキリレー

 10月21日に開催された全日本実業団対抗女子駅伝の予選会で、中継地点目前で倒れた岩谷産業の2区、飯田怜が約200~300メートルを這いながら進んだ。飯田は右足を骨折し、両ひざからは血が流れていた。繰り返しこのシーンがテレビで放映されている。痛ましい限りである。このところスポーツ界をめぐる暗い話題が尽きない。スポーツとは何なんだろうと思う。  かつて早稲田大学で瀬古俊彦という名ランナーを育てた中村清監督は、厳しい指導で知られた。自身も早大で箱根駅伝に出場した作家の黒木亮は『冬の喝采』(講談社文庫)という自伝的小説の中で、中村の激しさを書いている。中継地点近くになってラストスパートしている主人公の金山(黒木の本名)に対し、「根性あるのか!」「死んでしまえ!」「おらおらおらーっ!」と罵詈雑言を吐く。もちろん選手の力を引き出そうとする思いから出た言葉である。  卒業する金山らに対しての中村のあいさつで、レースでの罵詈雑言は愛の鞭だったことが分かる。「競走部を強くし、諸君を臙脂(同大学のスクールカラー)のユニフォームに恥じない選手のためにするためではあったが、中村の至らなさで、ご迷惑をかけたかもわかりません。しかし、『若い頃に流さなかなった汗は、年老いてから涙となって流れる』とも申します……」  現代では中村の指導法はパワハラと受け止められるかもしれない。体操女子選手のパワハラ問題で、コーチから体罰を受けた選手が「コーチを信頼している。引き続き指導を受けたい」と記者会見で話しているのを見…

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1704 大谷の二刀流復活記念日は? けがとの闘い1年を振り返る

 俵万智の歌集『サラダ記念日』(河出書房)が280万部というベストセラーになったのは、31年前の1987年のことだった。歌集には題名となった「『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」の短歌が収められていて、「記念日」という言葉が強く印象に残った。さて、きょう13日は私にとってもある記念日なのである。  それはあまり思い出したくない記念日だ。昨年9月13日夕、右足の大腿四頭筋断裂というけがをしたことはこのブログでも触れている。あれから1年になった「記念日」なのである。手術・1カ月の入院、リハビリを経てほぼ完治に近い状態になった。得難い体験だったし、繰り返したくない体験でもあった。  人は加齢とともに体のさまざまな部分に勤続疲労ともいえる不調が出てくる。それは致し方がないことだが、私の場合は公園のぬかるんでいた斜面で写真を撮影している際、足を滑らせ転倒するという過失によってのけがだった。10月中旬まで入院し、平日は午前午後で3回、土日、祝日は2回のリハビリを続け、退院後も12月末までリハビリに通い理学療法士のお世話になった。並行して近所のスポーツジムでマシンを使って筋肉トレーニングを始めた。当初、痛めた右足は真っすぐ伸ばすことはできるが、膝を折ることはなかなかできなかった。  1月からはジムでのリハビリ(筋力トレーニングと水泳)のほか、朝夕の散歩を日課にした。朝の散歩の仕上げはラジオ体操だ。こうした毎日の繰り返しで次第に右足は回復、膝を折ることも可能になった。時々痛…

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1697 社会現象になった金足農 「ベースボールの今日も暮れけり」

「刀折れ矢尽きる」あるいは「弓折れ矢尽きる」というのだろうか。甲子園の夏の高校野球決勝、大阪桐蔭―金足農戦(12-3で大阪桐蔭が優勝。春夏連覇の2回という新記録を達成)をテレビで見ていて、この故事を思い浮かべた。「戦う手段が完全になくなる。物事を続ける方策が全くなくなる」(広辞苑)という意味だが、それでも劣勢に立たされた金足農は最後まであきらめなかった。閉会式の途中、甲子園球場の外野席後方に虹が出た。それは優勝した大阪桐蔭よりも台風の目ならぬ「大会の目」になった金足農ナインを祝福しているように私には見えた。  たまたまだが若い時分、秋田で暮らしたことがある。妻は秋田生まれで、妻の妹の一人は金足農出身だ。そんな私的事情もあって、甲子園で金足農の試合があると必ずテレビの前に座り、ハラハラしながら見続けた。大会が始まるまで、この高校がどんなチームか全く知らなかった。新聞には吉田投手が大会屈指の投手とは紹介されていたが、ここまでやるとは思いもしなかった。  これまでの金足農選手たちの奮闘は、多くのメディアで報道されている。秋田の街のフィーバーぶりもテレビで毎日話題になっている。暗い話題が多い昨今、山口の周防大島で行方不明になった2歳の藤本理稀ちゃんを見つけた大分のボランティア、尾畠春夫さん(78)とともに、ワイドショーが飛び付く題材になったのだろう。それにしても、高校野球がこれほど社会現象になったのは久しぶりのことではないか。  100回大会ということで、これまで活躍した松井をはじめ…

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1693 高校野球美談の陰で 猛暑が及ぼす甲子園記念大会への影響

 異常な暑さの中で甲子園の夏の高校野球大会が続いている。熱中症で足がけいれんした左翼手に相手校の3塁コーチの選手が駆け寄り、冷却スプレーで冷やしてやった、というニュースが美談として報じられている。これだけでなく、今大会は暑さのために毎日のように足がつる選手が続出している。さらに暑さが審判の判断にも影響しているとしか思えない「誤審」も目立っている。  夏の甲子園大会を主催する朝日新聞は今回が100回の記念大会ということで、地区予選前から大々的に高校野球に大きく紙面を割いてきた。スポーツ紙顔負けの扱いで、紙面を開いて何事かと思うほどだ。甲子園大会でも当然その紙面構成は変わらない。だが命の危険を及ぼすような、高温が続く中での大会。体力のある若い高校生でも熱中症にやられてしまうケースが少なくない。  こんな異常な夏。まだ序盤戦なのに、試合結果に影響を及ぼす2回の大きな誤審が出ているのだ。大会初日の8月5日。慶応高校(北神奈川)と中越(新潟)戦。2-2で迎えた中越8回表の攻撃。1死1、3塁で打者がバントをしようとしてやめたあと、3塁にいたランナーが飛び出した。慶応の捕手が3塁にボールを投げ、3塁手がベースに戻ろうとしてたランナーにタッチ、3塁審判はアウトを宣告した。しかし、テレビの画面を見るとタッチはしておらず、空タッチだった。3塁手のいかにもタッチしたというアピールに惑わされたとしか思えないアウトの宣告だった。結局中越は2死1塁となり、そのあとの打者がアウトになって無得点、慶応は9回裏にサヨナ…

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1687 孤軍奮闘の御嶽海 甘えの横綱たち

 3人の横綱だけでなく、新大関の栃ノ心までけがで休場した大相撲名古屋場所。14日目で関脇御嶽海が初優勝を決めた。それに対し残った大関2人は元気がなく、ようやくカド番を脱した。それでも人気があるから、相撲協会は危機感を持っていないのかもしれないが、大相撲史上に残る寂しい場所といっていい。背景には横綱の甘えがあるように思えてならない。  大相撲の横綱は、休場しても横綱から陥落・降格することはない。昔からの慣例だ。これに関するきちんとした制度はなく、1958(昭和33)年に横綱審議会が公表した横綱昇進基準(内規)4が運用されているようだ。それは以下のような内容だ。 《横綱が次の各項に該当する場合は、よく調査したうえ、全委員の3分2以上の決議により、激励、注意、引退勧告などをする。横綱の格下げ、およびこれに準ずる制度は取りあげない。  • 休場の多い場合。ただし、休場が連続するときでも、ケガや病気の内容によつて再帰の可能性があると認めた場合には治療に専念させることがある。  • 横綱としての体面を汚した場合。  • 横綱として非常に不成績であり、その位に耐えないと認めた場合。》  横綱になって皆勤した場所が1場所しかない稀勢の里をはじめ、今場所途中休場した白鵬、鶴竜とも最初の項目が適用されるから、降格はない。それだけ横綱は特別な存在なのだ。それにしても最近の横綱は安易に休み過ぎる。スポーツにけがは付き物だ。特に相手と戦う相撲を含め、格闘技は特にけ…

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1671 サッカーの祭典と子規 苦しみは仁王の足の如し

 サッカーW杯ロシア大会が始まった。テレビニュースを見て、なぜかワクワク感があることに気づいた。それは同じように4年に1回開催されるオリンピック(夏、冬2年の間隔)の開幕とほぼ似た感覚だ。これは私だけでなく、スポーツを愛好する多くの人に共通するものなのかもしれない。  サッカーのテレビ中継は日本代表の試合は見るが、それ以外(Jリーグ)はほとんど見ない。熱心なサッカーファンではない。だが、W杯となると、一時的ながらサッカーファンになってしまうのだ。日本チームはW杯の出場を決めながら、このほど突然ハリルホジッチ監督が解任され、大騒ぎになった。最近の不振や選手とのコミュニケーション不足が理由だという。  W杯目前にして指揮官が代わったのだから、冷静に見れば大会での日本チームの活躍は期待できない。本番前のテストを兼ねた2試合は得点ゼロで敗戦、ようやく3戦目のパラグアイ戦に勝ち、少しだけ希望の光が見えてきた感がある。とはいえ、大会では苦戦が予想されている。外国チームのような飛び抜けた選手はいないのだからそれも仕方がないことだろう。ブラジル五輪の男子400メートルリレーで日本チームが銀メダルを獲得したように、固いチームワークで善戦するのだろうか。  W杯のスペイン――ポルトガル戦をテレビで見た。スペインは直前に監督を解任したばかりだった。ポルトガルのロナウドがハットトリックを達成した。最初のペナルティは、わざと倒れたように見えた。それは別にしても、この試合を見ていてワクワク感がした。これがス…

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1669 大谷と職業病 スポーツ選手のけがとの闘い(3)

 野球の投手にとって肘の損傷は「職業病」といっていい。これまで多くの投手がこのけがに苦しみ、野球人生を途中で断念した投手も少なくない。大リーグに行き、エンゼルスで投打の二刀流に挑んでいる大谷翔平(23)が右肘の内側副靱帯(じんたい)を損傷し、10日間の故障者リストに入ったという。大谷にとって試練の時を迎えたといっていい。  日本球界で大活躍し、大リーグに進んだ投手のうち松坂大輔は右肩の故障だけでなく肘痛もあり、大リーグ在籍8年で56勝しかできなかった。パーリーグに復帰したが、ソフトバンクでも0勝に終わり、今季中日でようやく復調の気配を見せている。ダルビッシュ有は、右肘の手術を受け2015年のシーズンを棒に振っているし、その後芳しい成績は残していない。田中将大も右肘痛をPPP注射(自己多血小板血漿療法)という療法で何とかしのいでいるのが現状だ。こうした大投手たちが、投手の職業病克服に苦しんでいるのを見ても、大谷の肘痛との闘いは楽観視できない。  スポーツ選手にとって、けがとの闘いは宿命だ。スケートの羽生結弦はけがを克服し冬季五輪で2連覇したが、こうしたケースは稀といっていい。野球だけでなく、スポーツで大選手といわれる存在になるには、けがをしないことが大きな条件だろう。プロ野球の場合、超一流にランクされる「投手の200勝」、「打者の2000本安打」を達成した選手は長い間、現役を続けた選手ばかりである。けがをしないか、けがを克服してこの勲章を得るのだ。けがをしな選手の代表は、何と言ってもイチ…

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1650 人を動かす言葉 鉄人衣笠さんと政治家

 2215試合というプロ野球の連続試合出場記録を持ち、国民栄誉賞を受賞した元広島カープの衣笠祥雄さんが亡くなった。71歳だった。「鉄人」といわれた衣笠さんは17シーズン、全試合に出続けた。長い年月だ。その間、欠場の危機を乗り越えたのは優れた体力だけでなく、強い気力があったからなのだろう。そんな衣笠さんが病魔に勝てなかったのは残念でならない。  衣笠さんにもピンチがあったという。1つは巨人の投手、西本聖から死球を受け、左肩甲骨骨折というけがをした時(1979年8月1日)だ。だが、翌日の試合には肩にテーピングをして出場したのだから、尋常ではない、頑健な体を持っていたのだろう。京都に住む母親が亡くなった時も、欠場の瀬戸際だったという。  当時、広島カープは大分の遠征試合があり、衣笠さんは前夜のゲームが終わったあと、車と列車を乗り継いで京都に駆け付け葬儀に出た。そして、再び大分に戻り、一睡もせずにその夜のナイターに出たのだ。衣笠さんは当時を振り返り「もし僕がゲームを休んでも、母は決して喜ばなかったと思う。こうしてプレーする姿を見せるのが、最も親孝行になると思っている」(戸部良也『プロ野球英雄伝説』講談社学術文庫)と語ったそうだ。  スポーツをテーマにしたノンフィクションの名著といわれる山際淳司の『スローカーブを、もう一球』(角川文庫)にも衣笠さんが少しだけ登場する。この本には、野球伝説の一つにもなっている江夏豊の1979年11月4日の日本シリーズ広島―近鉄第7戦の姿を描いた「江夏の21球…

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1645 走ることの意味 わずか150メートルでも

 遊歩道を歩いていると、走っている人が目につく。もちろん、私のように散歩をしている人の方が多いのだが、足取りも軽く走っている人を見ると、つい私も走りたくなる。だが、そうは行かない。右足の故障が完全には回復していないから、無理はできない。それでもやってみた。結果はどうだっただろう。  昨年9月、右足の膝周辺の大腿四頭筋断裂というけがをして、病院に入院して手術を受けた。それから間もなく7カ月になる。けがの前は、当然のようにジョギングもできたし、歩くことに全く違和感はなかった。足は丈夫だったから、このような状況(手術、1カ月の入院、リハビリ……)に陥るとは想像もしていなかった。想定外だったのだ。  退院後も昨年いっぱいリハビリに通い、理学療法士の世話になった。並行してスポーツジムでマシンを使って自主的にリハビリを続けている。朝日新聞に「続・元気のひけつ 太ももを鍛える」という記事(14日付朝刊)が載っていた。それによると、筋肉は25歳~30歳をピークに減り始め、特に40~50歳から太ももの筋肉は減り方が激しく、何もしないと80歳で30歳の半分ぐらいに減ってしまう(筋生理学専門の石井直方東大教授)という。私の場合、太ももだけでなく右足全体の筋力が激しく落ちていた。マシンを使うとそれが分かった。負荷を一番低く設定しなければ、マシンが使えなかったのだ。これではいけない。  そんな思いを抱え、継続してマシンや階段踏みのリハビリを続けた。その結果なのだろう。最近次第に筋力がついてきたことを実感す…

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1630 続・けがとの闘い 五輪選手のスポーツ人生

「今度のオリンピックに人生をかけた」。平昌冬季五輪男子フィギュアスケート金メダルの羽生結弦のこの言葉を聞いて、スポーツ選手のオリンピックに対する意気込みの強さを感じたのは、私だけではないだろう。羽生は、けがの回復が順調ではなく、痛み止めの薬を飲みながら試合に臨んだのだという。昨年9月に右足のけがをし、まだ完全回復には程遠い状況にある私は、羽生をはじめとしてけがとの闘いを克服した選手たちに畏敬の念を抱いた。  昨年11月、4回転ルッツという難しいジャンプの練習中に転倒し、右足首靱帯を損傷した羽生は、その後のNHK杯、全日本選手権を欠場、五輪の出場も危ぶまれた。しかし、その懸念を晴らして、平昌大会でソチ大会に続く金メダルを獲得した。だが羽生の右足は実は回復していなかったことが、26日放送のNHK特集や27日の外国特派員協会の会見で明らかにされた。けがをした右足首の痛みは20~30%しか回復せず、痛み止めの薬を服用して五輪に出たのだという。冒頭の言葉はその思いを凝縮したものといっていい。  かつて、夏のバルセロナ大会(1992年)水泳200メートル平泳ぎで14歳の若さで優勝した岩崎恭子は「いままで生きてきた中で一番幸せです」という名言を残したが、羽生の言葉も岩崎のこの言葉と重なる。あるスポーツ評論家はテレビ番組で「スポーツの中に人生がある」とコメントしていたが、確かに羽生だけでなく、それぞれの選手のスポーツ人生は物語になるようだ。 「相対性理論」で知られるドイツの物理学者アルベルト・ア…

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1590 難を乗り切れ スポーツ選手とけがの闘い 

 前回のブログで紹介した陸上競技の桐生は、大記録を達成した後「肉離れしたらしゃあないと思ってスタートしたら、思い切り出られた。けがなく終わってよかった」と、述懐している。この言葉から、スポーツ選手にとって、試合に出ることはけがとの闘いであることがよく分かる。大相撲の秋場所で、横綱3人だけでなく、人気力士の大関高安と幕内宇良が休場した。あまりにもけがが多いのはどうしたわけだろう。  大リーグで大記録を続けるイチローは、外野守備の間に体を動かし、43歳とは思えない柔軟な体を維持している。イチローがけがをしたとは聞いたことがない。大選手はけがをしないことで、長い間現役でプレーする。その結果、偉大な記録をつくることができるのだ。その典型がイチローであり、王だった。    最近でこそ休場が目立つようになった相撲の白鵬も、少し前まではけがが少なく、39回優勝という大記録を達成した。そんな白鵬も加齢とともにけがの回復が遅れ、今場所も休場している。新聞によると、力士のけがが多くなったのは準備運動であるしこを踏まなくなったことや、本場所の間の地方巡業が増えて力士たちが疲れていることなどが背景にあるという。力士たちの体重増という大型化によって、大きな体を支える足を必然的に痛める結果になっているのかもしれない。  伝統の大学箱根駅伝の山登りで、東洋大学当時、3度区間記録を更新し「山の神」と言われた柏原竜二(富士通)は、アキレス腱の故障がたたって社会人になってからは力を発揮できないまま、ことし3月、現役を…

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1574 宇良の涙 小さな大力士の道へ

 大相撲で小さい体の前頭4枚目、宇良が横綱日馬富士に勝った。テレビのインタビューで涙を流した宇良を見て、誰しも「よくやった」と思ったに違いない。つい数年前(大学2年生当時)60数キロしかなかった宇良が横綱に勝った事実は、人には不可能がないことを教えてくれる。  宇良は大阪府出身だ。父親が沖縄県国頭村の出身であり、沖縄にはこの名字が珍しくないという。宇良は沖縄の血受け継いでいるのだろう。手元に2冊の本がある。森岡浩「名字の謎」(新潮OH!文庫)によると、沖縄の名字はほとんどが地名に由来するという。沖縄県には「国頭郡国頭村宇良」という地名があるから、宇良は沖縄と縁が深い名前なのである。  宇良はNHKテレビの「とったり、という技を掛けましたが」というインタビュー対し、涙を流しながら「夢中だったので覚えていない」と話した。懸命な戦いの中で必死に技を掛け、それが見事に勝利につながったといえよう。  相撲は格闘技である。格闘技のスポーツの多くはボクシングやレスリングのよう体重別で戦うレールになっている。相撲はそれを採用せず大きな力士と小さな力士が戦うから、「小よく大を制す」、あるいは「柔よく剛を制す」という醍醐味を見せてくれるのだ。相撲とともにかつてこの言葉がよく使われた柔道は、体重別競技となり、相撲だけが伝統を守っている。  現在の角界は大きな体が珍しくない。宇良は身長が173センチとはいえ、体重が137キロもあるから、一般人に比べたら巨漢といえる。だが、角界では小さい方で、体重が…

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1556 浅田真央の引退 記憶に残る美しい演技

 フィギュアスケートの浅田真央が引退を表明した。26歳であり、10代の若い選手が台頭するフィギュアスケート界ではベテランの年齢に達し、ついに燃え尽きたといっていい。数えてみると、このブログで浅田をテーマに9回書いている。個人についてこれだけ書くということは、浅田がいかにスポーツ選手として優れ、魅力があったかということだと思う。  このブログは11年目に入っている。初めて浅田のことを書いたのは2007年3月、世界選手権で銀メダルを獲得した時のことだった(ブログ1)。インタビューを受けた浅田は、銀メダルの悔しさにトイレで泣いたことに触れ、「なんか、だんだん年をとっていくごとに涙もろくなっちゃって……。昔は人前で泣くのは我慢してたんですけど、最近は止まらなくて」と話した。当時、浅田は16歳だったから、正直この発言に驚き、ブログに取り上げたことを覚えている。  翌2008年12月、浅田は韓国で行われたグランプリファイナルで、ライバルのキム・ヨナ(韓国)を破って逆転優勝した。この時もゴルフの石川とともに浅田を紹介し、「奇をてらわない正統派」の選手と書いた(ブログ2)。  09年になると、浅田は一転して不調となり、キム・ヨナに差をつけられる形となり、グランプリファイナルにも出場できなかった。このためか11月には「浅田真央の試練 挫折を乗り越えて」というブログを書いている(ブログ3)。しかし、この年12月の全日本選手権では不調を克服して優勝、バンクーバー冬季五輪代表に選ばれた。私は当時、水仙に…

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1552 手負い稀勢の里の優勝  底知れぬ人間の力

 大相撲春場所で左肩周辺にけがをし、優勝は絶望とみられた横綱稀勢の里が大関照ノ富士との対戦で勝ち、2敗同士で並んだ優勝決定戦でも連破、2場所連続2回目の優勝を果たした。NHKの実況中継で解説の北の富士さんは勝つという予想はしなかった。専門家も相撲ファンも同じ気持ちだっただろう。それほど13日目に日馬富士に負け、土俵の外に転落したあとの痛がりようは尋常ではなかった。稀勢の里は手負いになった。それでも、人間には底知れぬ力があることを新横綱は示してくれたといえる。  スポーツ選手はけがとの戦いである。一流選手はけがも少ない。野球のイチローはその典型だ。王や長島、落合、野村、金田、張本等々、歴史に残るプロ野球選手はけがをすることは少ない。最近でこそ、横綱白鵬も休場が目立つが、白鵬もけがをしない力士の代表格だった。  稀勢の里の場合もこれまで休場したのは2014年1月場所(初場所)の千秋楽の一日だけである。右足親指の故障が原因だが、15年間相撲をとっていて、休んだのはこの日だけというから、稀勢の里は頑健な体の持ち主なのだ。来場所以降、けがを克服できれば真に強い横綱になることは間違いにない。  手負いという言葉では、大阪の森友学園の籠池泰典氏のことを連想する。安倍首相と精神的土壌は同じ人物で、戦前回帰のようは教育勅語を幼児教育に導入し、さらに小学校を創設して同様の教育を進めようと考えていた。安倍首相もそれに賛同し、昭恵夫人が一時名誉校長に就任した。だが、国有地を小学校用地として常識を超える格…

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1542 名横綱への道 稀勢の里の魅力

 大相撲初場所で大関稀勢の里が初優勝(14勝1敗)し、横綱昇進が決定的になった。優勝インタビューで稀勢の里は「自分の相撲を信じて、一生懸命どんどん稽古して、また強くなって皆さんにいい姿を見せられるように頑張りたいです」と語った。これまで以上に強くなりたいという言葉やよしである。  稀勢の里は愚直、不器用な力持ちというイメージがある。それは江戸時代の雷電爲右エ門という大力士を彷彿させる。雷電の強さは古今無双といわれる。すさまじいけいこを重ね、全力で相手に立ち向かい、力でねじ伏せ、突き飛ばし、投げ倒し、土俵にたたきつける。容赦をしない取り口だった。圧倒的強さだったにもかかわらず横綱にはならず、大関のままで引退した。その真相は分からないが、雷電も不器用な力持ちだったという。  一方、稀勢の里と同じ茨城県出身の名横綱に第19代横綱常陸山がいる。常陸山は横綱時代の1907年8月、弟子3人とともに米国を訪問、セオドア・ルーズベルト大統領(第26代)と会見、ホワイトハウスで横綱の土俵入りを披露した。この後翌年3月まで米国各地で大相撲の普及活動を続けたという。当時は年2場所時代(1月と5月場所)で、当然1月場所は全休となったが、国際性豊かな力士だったといえる。相撲では相手に攻めさせてから組み止めて倒す「横綱相撲」の型をつくった大力士であり、圧倒的に強い横綱だったといわれる。  雷電、常陸山に共通するのは、弟子に激しい稽古を強いたことである。常陸山は青竹のステッキを持って稽古を見守り、稽古を怠った…

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1507 銀メダリストのフェアプレー精神 最後で内村に逆転されたが……

このところオリンピックからフェアプレー精神は失われ、勝つことが最優先になっている印象が強い。だが、開催中のブラジル・リオ五輪でフェアプレー精神が健在であることを知り、心が和んだ。それは日本時間11日早朝(現地時間10日夕)に行われたリオ五輪の体操男子個人総合で内村航平(27)が、トップに立っていたウクライナのオレグ・ベルニャエフ(22)を最後の演技種目・鉄棒で逆転し、ロンドン大会に続いて2連覇を飾った試合後の話である。 5種目を終わって、ベルニャエフと内村の差は0・901点あった。それまでのベルニャエフの演技を見ていると、内村とはいえ最後の鉄棒でこの差を逆転するのはかなり難しいと思われた。だが、内村の演技は完璧に近く、一方のベルニャエフは演技の内容も内村より劣り、着地も乱れた。それが大逆転(鉄棒の点数は内村が15・800、ベルニャエフが14・800。総得点で0・0099の点差)につながったと報道されている。 内村自身も「個人総合で今回ほど負けるんじゃないか、と思った試合はなかった」と語ったというから、まさに「大逆転」だった。そんな経過もあって試合後の記者会見で内村に対し、外国人記者から「審判はあなたに親しみを感じているから、高い点数が出たのではないか」という質問が出たという。内村は「そんなことは思ってない。みんな公平にジャッジをしてもらっている」と答えたが、隣のベルニャエフは聞かれていないのに「審判も個人のフィーリングは持っているだろうが、スコアに対してはフェアで神聖なもの。航平さんは…

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1506 野球界の光と影 イチローの3000本とAロッドの引退

8日(現地時間7日)大リーグ、マーリンズのイチローが3000本安打を達成した。一方、3000本安打を打っているヤンキースのアレックス・ロドリゲスが引退を表明した。2人は対照的な打者だった。「細くて小さなプレーヤーが、巧みなバットコントロールで安打製造機となり、塁に出れば走りまくる、またライトの守備では、しばしば美技を見せるうえに、矢のような送球で走者を刺したり、釘付けにする」(戸部良也『プロ野球英雄伝説』講談社学術文庫)イチローに対し、豪快なホームランバッターで巨額の移籍金や薬物使用で出場停止が話題にもなったAロッド。たまたま同じ日の2人の大打者に関するニュースは、野球界の光と影を見る思いを抱かせた。 かつて「メジャーリーグは異次元の領域にあり、徹底した肉体改造なしではたどりつけない神話的は彼岸」(内田隆三『ベスボールの夢』岩波新書)と考えられた。だが、村上雅則(ジャイアンツ、1964~65)以来途絶えていた日本人の大リーガーとして、近鉄の野茂英雄が1995年にドジャースに所属し大活躍すると、異次元の領域に挑戦する選手が続出した。イチローもその一人であり、大リーグで傑出した働きをした日本人選手としては野茂とイチローを挙げることができる。中でもイチローはひときわ輝いている。 イチローの野球選手としての歩みが様々な本や雑誌に書かれている。中でも日本のオリックス時代に仰木彬監督との出会いが大打者として開花したことに、人間の運命のようなものを感じるのだ。入団当時の土井正三監督はかつて巨人のV9…

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1504 千代の富士挽歌 風は過ぎ行く人生の声

8月になった。ことしの立秋は7日だから、暦の上での夏はきょうを含めてあと6日しかない。とはいえ、心地よい秋の風が吹くのはまだだいぶ先のことだ。盛夏の昨7月31日、大相撲で初めて国民栄誉賞を受賞した第58代横綱千代の富士が亡くなった。61歳という早すぎる死を悼みながら、国技館で初めて千代の富士を見た時のことを思い出した。 当時、千代の富士は幕内の力士だった。のちに呼ばれる「ウルフ」というニックネームはついていなかった。身長183センチ、体重120キロと大型化が進む角界では小兵であり、左肩の脱臼という慢性的けがを抱えていた。だが、土俵に上がった千代の富士は肌の色艶がよく、全身が輝いていた。力感あふれる取り口からはオーラを感じ、彼の周りに一陣の涼風が吹いた印象を抱いた。 あまり注目されなかった千代の富士は、その後肩の脱臼癖を克服、力を付けて横綱に昇進し、31回の優勝を飾る大力士になった。「小よく大を制する」という言葉の通りの活躍ぶりに大きな人気が集まり、相撲界のヒーローになった。だが、その晩年は不遇であり、寂しいものだった。その理由はさまざまな説が流れているが、ここでは書かない。 《飄然(ひょうぜん)として何処(いづく)よりともなく来(きた)り、飄然として何処へともなく去る。初(はじめ)なく、終(おわり)を知らず、蕭々(しょうしょう)として過ぐれば、人の膓(はらわた)を断(た)つ。風は、過ぎ行く人生の声なり。》 千代の富士の訃報を聞いて、徳富蘆花の「自然と人生」の一文が頭に浮かん…

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1502 あすなろ物語 横綱目指す稀勢の里

大相撲の大関・稀勢の里は名古屋場所も優勝できなかった。夏場所と名古屋場所で連続して「綱取り」の場所といわれながら優勝できずに場所を終えている。辛口の解説者、北の富士さんは「稀勢の里を横綱にさせたい後援会の会長になりたいくらいだ」と広言する。歯がゆくても横綱になるだけの力量があるのは、いまは稀勢の里しかいないから、そう言うのだろう。そんな稀勢の里には「アスナロ」の言葉がぴったりする。 「アスナロ」は漢字で「翌檜」と書く。ヒノキ科の常緑高木で、この名前は「明日はヒノキになろう」という意味を持つ。井上靖の小説「あすなろ物語」を読んだことがある。伊豆の小さな村で血縁のない祖母と土蔵で暮らした少年が成長し、新聞記者になる道程を描いた井上の自伝的作品である。井上はこの作品で、明日こそヒノキになろうと思いながらそれが果たせないアスナロに託して、主人公の苦闘する姿を描いている。 稀勢の里の現在は、ヒノキ(横綱)になろうと挑戦しながら、果たせないアスナロ(大関)の姿を連想させる。稀勢の里が横綱への道半ばで悪路に苦労しているころ、プロ野球広島カープの黒田博樹投手(41)が日米通算200勝を達成した。プロ野球の投手にとって、相撲の横綱になったと同様の価値がある記録である。その黒田は大リーグ、ヤンキースのエース格にまで上り詰めた大投手になりながら、カープに復帰した。 しかし、これまでの野球人生は苦労の連続だった。そんな黒田は「耐雪梅花麗」(雪に耐えて梅花麗し)という漢詩の一節(西郷隆盛が甥に贈った漢詩)…

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1462 白鵬のアイデンティティーは 大阪のファンのブーイングに思う

「アイデンティティー」と言う言葉が一般的に使われている。日本語でいえば、やや難しいが、共同体への帰属意識ということだろう。大相撲春場所で優勝し、インタビューで涙を見せた白鵬の姿を見てこの言葉を思い浮かべた。優勝を決める日馬富士との対戦で、左に変わってあっさり勝った白鵬に対し、横綱相撲とはだれもが思わなかった。だから、大阪府立体育館の相撲ファンは大きなブーイングを浴びせた。 今回で優勝36回。今後だれもが追いつくことは難しい記録である。だが、白鵬の最近の場所は衰えを感じさせた。終盤になるともろさが出て、3場所連続して優勝を逃していた。その衰えを隠すように、今場所はできる限り早い時間に勝負する姿勢を徹底した。その結果、圧倒的と思える強さを取り戻した。 その一方で荒っぽい相撲も目立った。かち上げといわれ、腕で相手の顎を突き上げる戦法が目立ち、張り手も常用した。そして、土俵を割った相手を土俵外に突き飛ばす、だめ押しも目に余り、審判部から注意を受けるほどだった。同じモンゴル出身の元横綱朝青龍に似てきたという声もある。 白鵬はモンゴルからやってきて異文化の日本相撲界の頂点に立ち、前人未到の成績を残している。日本人力士ならとうに国民栄誉賞を受けてもいいだけの存在だ。だが、あまりにも強すぎるが故に、その言動に対し批判も少なくない。横綱は「心技体」を備えるのが理想だという。心も技も体も下の地位の力士の見本になれというのだ。 外国人の白鵬が日本人の心の深奥まで理解できるかどうか。それを求めるの…

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1440 人間の心を蝕む覚せい剤 元プロ野球スター選手・清原の逮捕

プロ野球で活躍した・清原和博(48)が覚せい剤取締法違反容疑で警視庁に逮捕された。覚せい剤をはじめとする禁止薬物が日本社会にはびこっていることを象徴したものだ。2009年8月、人気女優が覚せい剤事件で逮捕された。この時、私は覚せい剤についての一本のコラムを書いた。以下に再掲する。 《女優のAが覚せい剤を使ったとして逮捕された。彼女の前に逮捕された夫から勧められて、手を出したと供述していると報道されている。そろいもそろって、思慮分別をなくした夫婦としか言いようがない。覚せい剤の恐ろしさだけでなく、彼女は覚せい剤に手を出したことによって、身の破滅を招いてしまった。さらに多くの人たちに迷惑をかけ、社会にどれほどの悪影響を及ぼすかを考えることができなかったとしたら、社会人失格だ。 薬物依存症者のリハビリに取り組んでいる「ダルク」という団体がある。日本で初めてダルク(現在の東京ダルク)を1985年に開設したのが近藤恒夫・日本ダルク代表・NPOアパリ理事長だ。近藤さんはあるインタビューで「22年間ダルクを運営してきたが、薬物依存からの回復率は決して高くない。これまでも10人中7人はリハビリ途中で死んだり、刑務所に戻っちゃったりしている」と述べている。薬物依存になると、回復するのは困難であるということなのだ。 近藤さんのダルク設立までの半生は、平坦なものではなかった。30歳ころに覚せい剤に手を出して以来、クスリに溺れ、37歳の時には精神病院に入る。それでも覚せい剤と縁が切れずに39歳で逮捕され…

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