1981 自転車に乗るうれしさと怖さ 朔太郎の「日記」から

 私は雨の日を除いて1日に1回は自転車に乗る。いつ覚えたかは忘れたが、もう長い付き合いだ。窓の外に見える遊歩道でも、自転車が散歩の人たちの脇をすいすいと進んでいる。大人から子どもまで自転車はこの街の風景に溶け込んでいる。時々、詩人の萩原朔太郎の『自転車日記』(以下、日記と略)を読み返す。ひやひやしながら自転車をマスターしようとした詩人の姿が目に浮かび、「朔太郎よ、しっかり」と応援したくなる。

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1939 ある詩人の晩年 省察に明け暮れた山小屋生活

 太平洋戦争・日中戦争は全国民を巻き込み、知識人も例外ではなかった。戦後、戦争に加担したことに対し批判を受け、思い悩んだ知識人・芸術家は少なくない。作曲家の古関裕而をモデルにしたNHKの連続ドラマ『エール』で、主人公が戦後苦しむ姿はその一例を描いたものだろう。画家の藤田嗣治は日本を追われるようにフランスへと去り、一人の詩人は戦時中の行動に関して「深い省察」を余儀なくされ、岩手で山小屋生活を送った。最近、この詩人のことを書いた知人の短いエッセー『晩年・ある詩人』を読み直した。

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1916 別れの辛さと哀しみ 遠い空へと旅立った友人たちへ

    私らは別れるであらう 知ることもなしに   知られることもなく あの出会つた   雲のやうに 私らは忘れるであらう   水脈のやうに         (立原道造詩集「またある夜に」より・ハルキ文庫)  梅雨が明けたら、猛烈な暑さが続いている。そんな日々、友人、知人の訃報が相次いで届いた。人生は出会いと別れの繰り返しだ。そんなことは百も承知だとしても、懐かしい人たちとの別れは辛くて、悲しい。彼らは遠い空へと旅立った。  Aさんは、環境問題を専門に取材した。たばこの煙がもうもうする中で、彼よりも若い記者と2人で嫌煙権を主張した。当時の120人近い記者集団の中では異質だったが、Aさんの行動は正しかった。年末になると、宮崎の知り合いから車海老を取り寄せる注文を取った。多くの部員がそれを楽しみにしたことを忘れない。記者をやめた後、故郷の北海道に帰り、そばを作り、琉球空手を教えた。ひげを伸ばした姿を見ると、私はアイヌの人々を連想した。物静かな先輩だった。  Bさんは、防衛問題の専門記者だった。心優しく、悪を憎んだ。粘着質という言葉は彼のためにあると、私は思ったことがある。現在、もしこんな気骨がある人が記者活動をしていたら、現政権に激しく立ち向かったと想像する。足で稼ぎ、きちんとした論理を構成した質問に、官房長官もたじたじしたに違いない。晩年、病魔との闘いの連続だった。神が存在するなら、なぜ彼にこのような試練を与えたのか、答えを聞いてみたい。  Cさんは、ある政治家の孫…

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1887 蘇るか普通の日常 絵と詩に託す希望の光

  私の自宅前の遊歩道を散歩する人が少なくなったように感じる。昨25日、政府が新型コロナウイルスに関して北海道、埼玉、千葉、東京、神奈川の5都道県の緊急事態宣言を解除することを決め、長い間自宅勤務をしていた人たちが出勤したためだろうか。公園の人影もまばらになった。こんなとき体操仲間のNさんが体操広場の風景を描いた水彩画を見せてくれた。見慣れた風景である。コロナ禍が早く収まり、平凡な日常風景が戻ってほしいという祈りが込められているような1枚の絵に、心が和むのである。  アート小説という、絵画をテーマにした多くの作品を手掛けている作家の原田マハさんの「いちまいの絵』(集英社新書)という本に、以下のようなことが書かれている。 《1枚の絵はあるときは祈りの対象であった。またあるときには欲望の権化であった。そしてまたあるときには、革命であり、マニュフェストであり、魂の叫びであった》  確かに、人は1枚の絵を見て、様々な感懐を抱く。その人の境遇や取り巻く環境、感受性によって違いがあるのは当然だ。突然思いもよらぬ形でやってきた新しいウイルスに遭遇し何かに祈りたいという思いがあったとき、この絵に接した私は、つい祈りを感じたのだ。この絵の作者のNさんは以前、反対方向からの絵を描いた。今回は花壇をメーンとして、後方にマロニエの木が左右対称にあり、さらに一番後方真ん中にもマロニエの木を描く遠近技法によって絵を仕上げている。完成までに約3週間要したが、日々花が成長し変化する花壇の様子をどう描くかに苦労し…

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1856 美しき星空の下で 原民喜の詩とコロナ

 コロナウイルスが猛威を振るい出している中、ある会合に参加した。夕方から夜に続いた会合が終わり、自宅最寄りのJRの駅に着き、とぼとぼと歩き出した。しばらくしてやや疲れを感じ立ち止まった。ふと雲がない空を見上げると、星々がきらめいていた。今、日本を含め国際社会はコロナウイルスとの闘いに明け暮れている。空の星たちに言葉があったら「地球は悪戦苦闘の時代を迎えているが、まあ頑張りなさい」と、冷めたことを言うのかもしれない。  悪戦苦闘という言葉を象徴するのは、公立の小中高が3月2日から休校になるというニュースである。阪神淡路大震災や東日本大震災の被災地で、多くの学校が休校を余儀なくされたことがある。しかし、全国一斉に休校になるケースを私は知らない。それほど、事態は深刻さを増しているのだろう。唐突という言葉が当てはまる安倍首相の独断なのだろう。この政策が正しいかどうかは歴史が証明することになる。  それにしても、この人のやることは行き当たりばったりとしか思えない。江戸時代にあった「側近政治」が現代も繰り返されているのだろうか。  行き帰りの電車を表現すると、マスク姿の人々がスマートフォンにかじりついている。これが現代社会。この2つがないと、現代人から外れるのかもしれない。怒られるのを覚悟して言えば、久しぶりに電車を利用した私は不可思議な光景だと思ってしまった。  詩人で作家の原民喜の短い詩を思い浮かべる。原は被爆体験を描いた中編小説『夏の花』で知られている。何も知らずに、いきなりピカ…

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1738 歳末雑感 「接続狂の時代」について 

 チャップリンによる「黄金狂時代」(1925)「殺人狂時代」(1947)という2本の名画がありますね。この2本の映画の題名を彷彿とさせる言葉に出会いました。「接続狂の時代」です。詩人の高橋郁男さんが詩誌に連載している、小詩集で書いていました。これはまさに、スマートフォンに頼る現代社会の人々の姿をとらえた言葉ではないかと、私は思うのです。  高橋さんから、最近詩誌「コールサック」に連載中の小詩集『風信』12』が届きました。今回は最初に「味の十語」として、10の言葉とユニークな解説があり、8つ目に「うつむく」が選ばれ、そこに「接続狂の時代」が出ていたのです。 《朝、開いたパソコンの画面にうつむき 通り道でスマホにうつむき 段差でつまづきそうになり すれ違いで危うく身を躱(かわ)し 電車でまた スマホにうつむく 絶え間ない接続を求め続けて 直(ひた)むきに 俯(うつむ)きになる 「接続狂の時代」を象徴する 不気味な味です》  確かに、現代は人々が「うつむく」姿が常態化している時代といえるでしょう。先日、ソフトバンクの接続(通信)障害が発生し、大きなニュースになりましたね。スマホに頼りきった多くの人々は、その不便さを思い知ったはずです。歩きながら、あるいはひどいケースだと自転車に乗りながらスマホを見ている人がいますね。電車の中で座っている人たちの大半がスマホの画面を見ていることも珍しくありません。これらを表す言葉が「接続狂の時代」なのです。「接」という文字は、今年1年を表す漢字と考えても…

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1732 過去・現在・未来 詩誌『薇』から

 埼玉在住の詩人たちの同人詩誌『薇』の19号が届いたのを機会にこの詩誌のバックナンバーを取り出し、頁をめくってみた。創刊号に印象深い詩が掲載されていたことを思い出したからだ。この詩誌は2009年12月に創刊、年2回発行されている。今号は創刊時からのメンバーだった石原武さん追悼号となっており、この詩人の5つの詩のほか、メンバー8人の作品と「小景」というエッセーで石原さんをしのんでいる。  創刊号で私が強い印象を受けた北岡淳子さんの詩『未来へのことば』を紹介する前に、今号のことに少し触れてみたい。石原武さんという詩人のことである。石原さんは詩人・英文学者・翻訳家(元日本詩人クラブ会長、文教大学名誉教授)で、ことし3月20日に肺炎で死去した。87歳だった。『薇』の中心メンバーとして17号(2017年12月)まで作品を寄せていた。この号の『始末』という詩は、現代日本の断面を映し出している。   認知症の妻を連れて老人ホームの住人になった   早食いの男とテーブルを分け合う羽目になって   惨憺たる出発であった。   彼には会釈や挨拶という習慣もないらしく   配膳が済むとジロリと一瞥して猛然と食事に向かうのである   瞬く間に飯も汁も空にして   肴や野菜を飲み込むと 奇声を上げて車いすで退場するのである   彼に限らず老人たちは早食いが多い   負けまいとして私も妻も奮闘するが   いつも残飯を前にして敗残の日々である   ここまで走ってきて   これからこ…

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1685 害虫と益虫をめぐる勘違い 「こがねむし」の歌私見

 毎年、いまごろの暑い時期になると、庭のナツツバキ(シャラノキ)に昆虫がやってきて葉を食い荒らす。体長2・5センチほどの昆虫だ。背中は緑色に光っている。私はこの昆虫をカナブンだと思い込み、家族に「またカナブンが来ている」と話した。だが、調べてみると、カナブン(青銅色)は実は益虫であり、庭に来ていたのはコガネムシだった。この虫が題名になったよく知られている童謡があるが、こちらも実はこの虫を歌ったものではないようなのだ。 カナブンとコガネムシは同じコガネムシ科の昆虫だが、前者の幼虫は落ち葉などの腐植を食べ、良い土をつくることにつながる。また成虫(体長2センチ)はカブトムシやクワガタとともにクヌギなどの樹木に穴をあけずに樹液を吸って餌にする。こうしたことから、益虫の部類に属するという。これに対しコガネムシの幼虫は樹木や野菜の根を食べ、成虫は葉や花にを食べてしまい、樹木や野菜の生育に大きな影響を及ぼす害虫なのだという。  同じコガネムシ科とはいえ、害虫と益虫に分かれるのだから、自然界は不可思議で面白い。そして、コガネムシはまた童謡でも誤解されて登場する。野口雨情作詞、中山晋平作曲の「こがねむし」(1922、大正11年発表)という歌だ。  黄金虫は金持ちだ  金蔵建てた蔵建てた  飴屋で水飴買つて来た  黄金虫は金持ちだ  金蔵建てた蔵建てた  子供に水飴 なめさせた  だが、この詩の「黄金虫」は害虫のコガネムシではなく、玉虫のことだという説が有力だ。私も幼いころからこ…

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1619 雪についての断章 私の体は首都圏仕様に 

 子どものころから雪景色は見慣れているはずだった。だが、久しぶりにかなりの雪が降り、一面が白銀の世界になると、やはり家から外に出てしまうのだ。それは放浪の俳人、種田山頭火の「雪をよろこぶ児らにふる雪うつくしき」の心境といっていい。朝、家族に「足元に気をつけて」と注意を受け、長靴で外を歩いた。  雪が降ると、三好達治と山村暮鳥の短い詩を思い浮かべる人は少なくないだろう。   太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪はふりつむ。     次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪はふりつむ。               (三好達治・測量船より)   きれいな    きれいな    雪だこと    畑も    屋根もまつ白だ    きれいでなくつてどうしませう    天からふつてきた雪だもの              (山村暮鳥・日本児童文学大系 第14巻より)  2つの詩は、牧歌的な雪の世界を連想させる。ところが、首都圏では雪は「天からのありがたくない贈りもの」になってしまうのだ。交通機関は乱れ、通勤通学の足は混乱する。足のリハビリを兼ねて通っている近所のスポーツジムは、ふだん車でやってくる人たちの姿がなく閑散としていた。幸い、4年前の大雪に比べ積雪量が少なく、日中に陽気でどんどん消えている。4年前はわが家の庭で35センチもあったが、今回は10センチくらいだったから、溶けるのも早いのだ。  かつて札幌で暮らしたことがある。雪が降り積もる中を平然と歩いていた記憶がある。今朝、近所の…

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1588 ある秋の詩 小詩集『風信』より

 このところ、私が住む関東南部は涼しい日が続いている。9月の初旬といえば、「残暑」という言葉通り、例年はまだエアコンに頼っているのだが、ことしはそうではない。秋の気配が例年より早く漂い始めているのである。そんな時、一つの詩を読んだ。その詩は「秋の野が奏でる交響詩『たわわ』で結ばれていた。  詩人でコラムニストの高橋郁男さん(元朝日新聞・天声人語筆者)は、詩誌「コールサック」に『風信』と題した小詩集を連載している。9月号に7回目が掲載された。この小詩集の意図について、高橋さんは1回目の末尾に「人と時代の営みの一端を、現実と想像の世界とを糾(あざな)いながら、散文詩風に綴ります。折々の、風の向きや風の便りをのせ『風信』のように」と書いている。  7回目末尾の詩と句を以下に掲げる。  秋の実りが  枝を撓(たわま)せる  カキといよりは柿に  ナシというよりは梨に  リンゴは林檎に  ブドウは葡萄となり  地球の芯の方を指しながら  それぞれに揺れている  秋の野が奏でる  交響詩「たわわ」    垂れる穂やたわわな季(とき)の栞かな ×××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××  『風信』7回目は、ロシアの古都、サンクトペテルブルクの地下鉄で女性から席を譲られた体験から始まる。ドストエフスキーが収監されていた要塞監獄を訪れた後のことだった。その後、この地下鉄で自爆テロがあったことに触れ、ドストエフスキ…

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1532 便利さで失ったもの 『薇』・詩人たちの考察 

 現代社会は便利さを追求するのが当たり前になっている。しかし、それによって、人間は楽になるかといえば、そうでもない。コンピューターは世の中の進歩に役立った。パソコンの導入によって企業の事務処理能力が格段に楽になったはずだが、仕事量は相変わらずだし、紙の消費量も減らない。便利さとは何だろうと考えるは私だけではないだろう。  最近届いた詩誌『薇 15号』の中で、2人の詩人も「便利」について短いエッセーを書いている。それを要約すると、「便利は不便」と題した秋山公哉さんのエッセーは、NHKの朝の連続ドラマで電化製品が主婦の負担を減らした話と電気洗濯機の思い出に触れたあと、鉄道の相互乗り入れ(高崎線の例)で便利になったはずなのに、路線が長くなったためトラブルが増え、遅れや運転中止の確率が倍以上になったこと、個人的には上野始発なら座れたのに座れなくなってしまったことなど、便利なはずの相互乗り入れが秋山さん個人には不便になったと記している。  東日本大震災のような停電が発生すると、オール電化では何もできなくなってしまうことに触れた秋山さんは、太古にこの地球にいたネアンデルタール人がなぜ滅びたのかに筆を進める。「恵まれた肉体が工夫を妨げたという説がある。肉体を便利と読み替えてみると、怖い」という結びを読んで、スマートホンに振り回される現代人の姿を思い浮かべた。 「便利さと引換に」というエッセーを書いているのは植村秋江さんだ。植村さんはNHK(Eテレ)の「日曜美術館」のファンで、再放送で見た「向井…

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1486 詩から想像する太古の歴史 最後のネアンデルタール人の哀愁

埼玉県在住の9人の詩人による『薇』という詩誌14号に「最後の一族」という秋山公哉さんの詩が載っている。ヒト属の一種といわれるネアンデルタール人のことを描いた詩である。偶然だが、イギリスの人類学者アリス・ロバーツの『人類20万年 遥かな旅路』(野中香方子訳、文春文庫)を読んでいる。現在進行形なのはこの本が分厚く、内容が濃いためだ。この本にもネアンデルタール人が絶滅したといわれるジブラルタルの旅が記されている。秋山さんの詩を読み、ロバーツの本の頁をめくり太古の歴史を考えた。 秋山さんの詩 「最後の一族」           スペインのジブラルタル半島で2万8千年前の           一族の生きた最後の痕跡が見つかった 満月であった 子が生まれた 名前というものはない 身体の下の方 小さな突起は判った 外は雪明り 母子の側で太い木が燃えていた 洞の中にかすかな気流が生まれる 月が満ちると生命が生まれ 風が動くと物語が始まる 一族は言葉を持たない 小さな風に声を乗せ 風の中に行く先を聞く 一族の長である父は死に 一族は旅に出た 母も死に 子は青年になった いつか 風の音が変った 満月であったが 子は生まれない 火は消え 風は何も語ってはくれない 大陸の突端で 青年の率いる一族が 小さな風を起こそうとしたが 世界は何も気付かなかった 可哀そうな ネアンデルタール人 ジブラルタルはスペインのイベリア半島…

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1439 2月の風景 枯木立ににぶい日光

「二月はやはだかの木々に日をそそぐ」(長谷川素逝) きょうから2月である。寒い地域では、霜柱と氷柱が珍しくない季節だ。だが、4日は立春だから、日の出も次第に早くなり、光の季節である春の足音が近づいている。長谷川素逝の句(早いものでもう2月だ。葉が落ちた木々に注ぐ日の光も次第に増している=筆者)は、そうした2月の風景を見事に表している。 とはいえ極端な寒波によって多くの地域で大雪が降り、北国の春はまだ遠い。札幌で計3年半の生活を送ったことがある。一晩で青空駐車の車が埋まってしまうドカ雪は幾度か経験し、雪には慣れた積もりだった。だが、2014年2月8日から9日の首都圏の大雪には驚いた。何しろ私の自宅のある千葉市の観測地点で1966年の統計開始以来最大の32センチの積雪(わが家では35センチ)を記録したからだ。 この冬も1月の寒波で東京や埼玉、神奈川に雪が降り、交通機関が大混乱に陥り、通勤のために電車を5時間待つ人々の姿もテレビで放映された。しかし、私の家周辺ではありがたいことに一昨年の大雪以降、ほとんど雪らしい雪は降らない。そして――。2月になった。 窓を開けると、遊歩道の街路樹が見える。葉を落としたはだかのけやきである。枝にはムクドリが2羽止まっている。その姿は美しいとはいえず、余計に寒々さを感じてしまう。だが、この遊歩道を少し歩いて行くと、紅梅が満開で梅の花も咲き始めている。やはり、春が近いのである。 夭折した詩人、立原道造(1914~39)の『浅き春に寄せて』という詩があ…

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1425 山桜に寄せて 詩「さざめきの後で」

季節外れだが、先日、千葉県佐倉市のDIC川村美術館の広大な敷地内で桜が咲いているのを見た。狂い咲きではなく、「十月桜」か「冬桜」という種類らしい。桜の代表といえば、もちろん染井吉野とだれもが思い浮かべるだろう。だが、かつては「染井吉野は最も堕落した品種であり、本来の桜は山桜や里桜である」と主張した研究者もいるし、現在も山桜の方が好きだという人も少なくない。先日届いた詩誌『薇』の中でも、一人の詩人が山桜への思いを書いている。 桜の聖地といわれる奈良・吉野山の桜はほとんどが山桜(シロヤマザクラ)である。ダムに沈む運命にあった荘川桜(岐阜県)を救った笹部新太郎(水上勉の小説『桜守』のモデル)は、桜とは山桜であるという信念を持ち、全国の桜の大半が染井吉野に占められている現状を嘆き「このままでは日本の桜は滅びてしまう」という危機感から山桜苗の育成に生涯をささげた。 ところで『薇』は私の知人である飯島正治さんらが2009年に創刊した40頁前後の詩誌で、飯島さんの死去後も秋山公哉さんら9人の同人で運営している。近刊の13号では、ふくもりいくこさんの「さざめきの後で」という詩が冒頭に載っている。 染井吉野は  花冷えの中を咲き継ぎ  華やかな装いを脱ぎ散らしている さざめきの後で  温もりに包まれながら  朝の雫色を潜ませ  柔らかに咲き初めるひかえめな桜 幽かな紅をさし 里山の風に揺れる この季節が嫌い 春の嵐のように 鋭く呟く 最愛の人を失くした季節に 思いを巡…

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1424 「詩とは何か」 詩論『詩のオデュッセイア―』が最終回

詩人・コラムニストの高橋郁男さんが詩誌「コールサック」(コールサック社、年4回発行)で連載していた詩論『詩のオデュッセイア―』が、近刊の84号(2015年12月)で最終回(9回)を迎えた。人類の歴史とともに編まれてきた数多くの詩を、寸感を添えて紹介してきた連載の最終回は、「詩とは何かについて」考察したものだ。 「人生は一行のボオドレエルにも若か(し)ない」という芥川龍之介の言葉から始まった詩論には、「ギルガメシュからディランまで、時に磨かれた古今東西の詩句・4千年の旅」という副題の通り、古代メソポタミアの王、ギルガメシュ伝説を描いたギルガメシュ叙事詩(最古の写本は紀元前2000年ごろとみられる)から現代人である米国のミュージシャン、ボブ・ディランの『風に吹かれて』まで、おびただしい内外の詩・詩人が登場する。 そのうえで、高橋さんは改めて詩とは何かを最終章として書いている。高橋さんが思い巡らせた言葉は次のようなものである。(一部略) ・詩は、万物の有様を言葉によって映し出す「鏡」である。 ・詩は、各の魂の故郷への限りない「ダイビング」である。 ・詩は、各の、内と外に向けた「手旗信号」である。 ・詩は、悠久の時と無窮の空との間に翻る「旗」である。 ・詩は、遥か彼方に超高速で静止する「天体」である。 ・詩は、波に意味を洗われた言葉が打ち寄せる「渚」である。 ・詩は、現実の世界に立ち現れた「波乱」である。 ・詩は、現実との擦れ合いで生まれた「熱」である。 ・詩は、「時の旅…

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1180 荘子・胡蝶の夢に惹かれて ある詩人を偲んだ絶唱

詩人の飯島正治さんが亡くなって3年が過ぎた。亡くなる1年前の2009年から飯島さんが中心になって発刊した詩誌「薇」の第9号が手元に届いた。9人の同人による詩と「小景」という短いエッセーが掲載されている。言葉と向き合う達人たちの詩の中で、ふくもり いくこさんの「胡蝶の夢」が心に残った。荘子をめぐるやりとりを記し、飯島さんを偲んだものだ。 (以下、ふくもりさんの詩) 《先生の夢を聞きそびれてしまった 夏の気配のさきがけの日 「私は荘子が好きでねぇ」 痛む身をよじり まといつくものの予感を払うように きっぱり言われた 「荘子」を知らず 入手した「荘子物語」は書棚に並んだまま ひもとく前に訃報が届き それっきりになってしまった あれから三年 眠れない夜 促がされ誘われるように手に取る 「荘子」と先生はどこで繋がるのか なぜ「荘子」が好きと言われたのか 「荘子物語」の中に先生を索ねる 「雨ニモマケズ」の賢治精神を 話す程に熱くなっていく私に 「無理しなくていいんですよ あるがまま自然に生きなさい ひとつのものに縛られないで」と 先生の声が聞こえるような気がする けれど 組織や権威の中に縛られ 思うように動けなかったのは先生の方ではなかったろうか 先生こそあるがまま自然体でいきたかったはず 先生の夢は何だったのだろうか 今なら話の続きができるかもしれない 幻のようなあの日のテーブルを挟んで 何の縛りもなく無為自然に生きた「荘子」は ある日 蝶になった夢を見たとい…

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1082 御嶽に向かって 犬山城の天守にて

このブログにリンクしている「消えがてのうた part2」の中で、「石垣を登ったはなし」(2012年5月16日)というaostaさんの子どものころの思い出話が載っている。詩情あふれる文章と高島城(長野県諏訪市)と桜の写真は、何度見ても作者の感性の豊かさを感じさせる。 愛知県の犬山城に行き天守に登った。眼下にはパノラマの風景が広がる。犬山の街の反対側にはゆったり流れる木曽川と岐阜県各務原の街並みがあり、その背後には白い嶺の御嶽がそびえていた。そんな風景を見ながら、犬山の街でもaostaさんと同様、城を遊び相手に育った子どもたちがいるに違いないと思った。 犬山城は、別名「白帝城」とも呼ばれているそうだ。物の本によると、江戸時代の儒者・荻生徂徠(おぎゅう・そらい)がこの城が木曽川沿いの丘の上にあることから、長江(揚子江)流域の丘にあった白帝城を詠った李白の詩「早發白帝城」(早に白帝城を発す)にちなんで付けたのだという。 これまでいろいろな城を見た。国宝に指定されているのは世界遺産としても知られる姫路城のほか犬山城、そして松本城、彦根城の4つである。いずれも劣らぬ美しさを誇っている。このうち松本城には20 数年前に行き、次いで姫路、彦根と行き、最後が犬山城だった。これらの城を抱える4つの市は姫路(約53万人)、松本(24万人)、彦根(11万人)、犬山(7万人)と人口規模ではかなり異なっている。だが、いずれもが「城」があってこその街なのである。 夕方到着したためか、犬山城には人影が…

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1080 「いのちの賛歌」とアルジェリア人質事件の被害者たち 尊厳・最高の価値のはずなのに

友人のブログ「冬尋坊日記」の最新の記事にマザー・テレサの「いのちの賛歌」という詩のことが出ていた。その詩を読みながら、アルジェリアのイスラム武装勢力による人質事件のことを考えた。現地でプラント建設に当たっていた日本人を含む多くの命がこの事件で失われたからだ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ いのちは美、感嘆しよう  いのちはチャンス、活用しよう  いのちは仕合わせ、味わおう  いのちは夢、実現させよう  いのちはチャレンジ、受けて立とう  いのちが義務、果たして尽くそう いのちは遊び、楽しもう  いのちは尊厳、大事にしよう  いのちは富、保ち続けよう  いのちは愛、与え合おう  いのちは神秘、黙想しよう いのちは約束、守り抜こう  いのちは悲哀、乗り越えよう  いのちは賛歌、歌い上げよう いのちは闘い、立ち向かおう  いのちは冒険、取り組もう  いのちは報い、感謝して受けよう いのちはいのち、最高の価値とみなそう ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 政府は亡くなったことが確認された日本人7人の身元を発表していないが、メディアには2人のことが出ていた。そのうちの1人、伊藤文博…

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1061 「アン」シリーズとは異なる世界 モンゴメリの苦悩をちりばめた最後の作品

 カナダのプリンス・エドワード島を舞台に、ひたむきに生きる少女を描いた「赤毛のアン」シリーズの作家、ルーシー・モード・モンゴメリ(1874・11・30~1942・4・24)は67歳で生涯を閉じた。病死といわれていたが、近年孫娘が自殺だったことを明らかにしている。遺作である「アンの想い出の日々」(新潮文庫・上下、村岡美枝訳)は、晩年のモンゴメリの苦悩をちりばめたようなテーマを織り込んだ短編と詩が、明るくひたむきさが印象に残るアンシリーズとは異なる世界を作り出している。  アンシリーズは、世界各国で読み継がれているベストセラーで、5000万部以上売れたという。まさに人類の文化遺産的存在といっていい。しかし、作者のモンゴメリは、家庭的には恵まれなかった。夫は結婚8年後にうつ病を発症、モンゴメリは夫を看護しながら子ども2人を育て、作家活動も続けた。第一次世界大戦(1914-1918)も経験したモンゴメリは「アンの娘リラ」という作品で、銃後の人々の不安や悲しみを訴えた。  モンゴメリのこの後の作品は、1974年に「The Road to Yesterday」としてカナダで短編集が出版されたが、構成や内容にかなり手が加えられていたという。15の短編小説、41篇の詩とその詩に関するブライス家の会話を入れた本書の原本が2009年11月出版された「The Blythes are Quoted」で、第一次世界大戦を境に第1部と第2部に分かれ、第1部は大戦前、第2部は大戦後から第2次世界大戦の勃発までを背景…

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1051 心に残る福美ちゃんの絵 小児がんの子どもたちの絵画展にて

11月もきょう30日で終わり、明日から師走に入る。日本人は楽しいことには気が早いのか、街ではもうクリスマスツリーを見かける。そのクリスマスツリーを自分の目で見ることを夢見ながら、病床で絵を描いた少女がいた。石川福美ちゃんだ。横浜のみなとみらいにあるパシフィコ横浜で開催中の「小児がんの子どもたちの絵画展」(公益財団法人がんの子どもを守る会主催、44点を展示)をのぞいた。その中の一枚が福美ちゃんの作品だった。 福美ちゃんの絵との初めての出会いは、4年前の2008年11月14日だった。千葉・幕張メッセで開かれた同じ、小児がんの子どもたちの絵画展に出品された作品の中で、福美ちゃんの絵に目を奪われた。当時のことを別の媒体(現代の風景という連載コラムの1回目)で書いた(79回目にも福美ちゃんのことに触れている)。少し長いが、以下に再掲する。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ★1支え合う小さな命 小児がんの子どもたち 21世紀は、なにやら混沌とした時代だ。科学技術は進化を続けているのに、人間の心は進化しない。争いごとがやまない時代を私たちはどう送ればいいのだろうか。この地球に生まれてきた以上、人を思いやる心といのちを大事にしたい。 そんな思いで現代の風景を文字で描いてみる。 私は2008年11月14日の午後、東京駅からJR京葉線に乗…

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1050 ベスト1の小説「ことり」 メルヘンながら現実社会を投影

ことしも残すところ1カ月余になった。種々雑多な本を読んだ中で、私にとってこれまでのベスト1は、小川洋子著「ことり」である。同じ作者の作品で映画にもなった「博士の愛した数式」も心に残る1冊だったが、それと並ぶ上質な小説だと思う。朝日新聞の文芸批評には「小さな人生に寄り添う」という見出しでこの作品が紹介されたが、メルヘン的でもあり、あるいは孤独感が漂う現実の社会を投影したような、不思議な作品だ。 小説は「小鳥の小父さん」と呼ばれるゲストハウス管理人の物語だ。冒頭、主人公の小鳥小父さんが死後数日して発見される話から始まり、彼がなぜ小鳥小父さんという呼び方をされるようになるか続いていく。大学教授の父親は家では無口で、夕食後には庭に作った小さな小屋に閉じこもる。 小鳥の小父さんには小鳥の鳴き声に似た「ポーポー語」という独自の言葉しか話さない兄がいた。兄弟を愛した母は早くに亡くなり、父親も海で事故死する。兄と2人きりになった小父さんはゲストハウスの管理人をしながら、家に閉じこもる兄の面倒をみる。その兄が亡くなった後、彼は近くの幼稚園の小鳥小屋の掃除を引き受け、いつしか小鳥の小父さんと呼ばれるようになる。 小鳥小屋の掃除のほか小父さんは、図書館で小鳥の本を借りて読むのが趣味だ。頭痛の湿布を買うために通い続ける薬局もある。図書館の若い司書に思いを寄せたこともある。公園で知り合った怪しげな鈴虫老人も出てくる。淡々とした日常の中で幼稚園の少女へのわいせつ事件が起き、小父さんにも疑いの目が向けられ、小…

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1048 夕焼けの雲の下にいる福美ちゃんへ あるコメントへの返事

「出会った人たちの言葉(3)に対し、うれしいコメントがあった。後段の「どんな悩みも隠さないで」の石川福美ちゃんのお母さんからだった。福美ちゃんは小児がんで短い生涯を閉じた。そして、娘を亡くしたお母さんは喪失感の中、心の葛藤と闘い苦しい日々を送ったことは想像に難くない。コメントには苦しみを克服したお母さんの姿が凝縮されている。 以前、百田宗治の「夕やけの雲の下に」という詩について、子ども時代の外国への憧憬の気持ちを表していると書いたことがある。だが、コメントを読んで、実は石川福美ちゃんたちこそ、この詩にふさわしいと気が付いた。 石川福美ちゃんについては、2回このブログで取り上げている。1回目は2008年11月14日の「けなげな子どもたち」、2回目は2009年2月7日の「心の中で輝く2人の少女」である。石川福美ちゃんがどんな少女だったか、理解していただけるだろう。 2回目のブログから3年9カ月が過ぎた。出会った人たちの言葉は、これまで6年の間にさまざまな機会に出会った人たちの印象に残る言葉を記したもので、福美ちゃんのことにも触れている。福美ちゃんのお母さんからのコメントは以下の通りだ。 《「石川ふくみ相談会」・・・福美の母です。福美にあいたくて苦しくてどうしようもなかった時、涙で滲んだ画面の向こうに福美がいました。一生懸命に生き抜いた福美の心を受け止めて下さり、本当にありがとうございました。寂しくなると「小経を行く」を開いては癒され頑張ってくることができました。 もうすぐ…

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844 心に響く「歌」と「絵」 やすらぎをもたらす2つの美

ことしは本当にため息を吐いた。それは私だけではないはずだ。多くの日本人が行く末を不安に思い、東日本大震災で避難生活を余儀なくされている人たちのニュースに接し、体に悪いため息を吐いている。それは、まだ当分続くだろう。 そうした悩める魂を救うのは、何だろうか。そんなことを考えていて、たまたまささやかながら心温まる時間を送った。そこには「歌」と「絵画」というやすらぎをもたらす美があった。 「歌」の方は、このブログで以前に紹介した福島県矢祭町立東舘小学校の「校歌」だった。東舘小は、戦後十数年、校歌が歌われない時代があった。その後、校歌が作られて昭和49年の創立百周年まで歌われ続けた。ところが、この記念式典で昔の卒業生は自分たちが習った校歌だとして別の歌を歌った。 校歌が2つあったことになる。古い方の楽譜が見つかり、作詞・作曲者は山本正夫という音楽家だったことが判明する。こうして2つあった校歌は、古い方が歌われることになる。その校歌はラオスに渡り、山岳部の小学校の校歌になったこともこのブログで報告している。 その後、現在の宍戸仙助校長はPTA会長らの協力で山本の人となりを調べ、山本の孫の晴美さんが東京で幼稚園長をしていることを突き止め、今月14日には、晴美さんを呼んで「校歌制定記念音楽会」を小学校の体育館で開いた。 演奏したのは郡山市を中心に活動しているアンサンブル・コライネのメンバーよる木管四重奏(フルート・渡辺聡美さん、オーボエ・菅野泰寛さん、クラリネット・武田洋之さん、フ…

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833 怒っている海よ でも負けない人間の力

海についての詩を読んだ。「怒っている海」という百田宗治の詩だ。人間に津波という形の牙をむいた海。それでも、海を見つめてしまう。百田はこの詩を通じて、何を言いたかったのだろう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ある日 ぼくは海を見に行った。 海はひどく怒って、 ぼくをめがけて白い大きな波をたたきこんだ。 波はぼくよりも背が高かった。 しぶきがぼくの顔や肩にかかった。 ぼくは怒っている海のしぶきのなかで、 しばらくじっとようすを見ていた。 海の怒りは、遠い灰色にくもった沖のほうから   はじまり、 今にもこの陸地を呑みこんでしまいそうだ。 小舟が一そう波のあいだにもまれていて、 とおい半島のさきに白い燈台が見えた。 あのなかに人がいて仕事をしているのだなと  おもうと、 ぼくは海にまけない人間の力を感じた。 怒れ、怒れ。 腹のすむまで怒れ。 ぼくは海にむかってそう言った。 ぼくは海にまけない人間になって 海から帰った。 ぼくをおっかけるように  海がまだ松ばやしのなかでがなっていた。 (巽聖歌著「詩の味わい方」より) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ きょうは…

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795 心に太陽を 避難所の人々へ

朝から昼まで窓ガラスは曇っていた。外は冷えているのだ。地震と津波と原発事故の被災地も真冬の冷え込みだ。彼岸とはいえ春はまだ遠い。避難所の暮らしをしている想像もつかない多数の人たちに、何と言葉を掛ければいいのか。 そんなことを考えていた時、人生の大先輩の詩を思い出した。それはドイツの詩人、ツェーザル・フライシュレン(1864-1920)の「心に太陽を持て」である。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 心に太陽を持て。あらしが ふこうと、ふぶきが こようと、天には黒くも、地には争いが絶えなかろうと、いつも心に太陽を持て。 くちびるに歌を持て。軽く、ほがらかに、自分のつとめ、自分のくらしに、よしや苦労が絶えなかろうと、いつも、くちびるに歌を持て。 苦しんでいる人、なやんでいる人には、こう、はげましてやろう。「勇気を失うな。くちびるに歌を持て。心に太陽を持て。」(山本有三訳) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 山本有三は、詩と同じ題名の本を出版した。20篇の記録、評伝、逸話を「胸に響く話」としてまとめたのだという。 いま、日本は未曾有の危機に瀕している。絶望という名の「負の道」が大きく迫ってきている。生き残った人たちはそこへ足を踏み入れてはならない。避難者にはこれからも苦難の道が続くだろう。でも、つらくて悲しくとも、心に太陽を持てば、生きる力がいつかは湧いてくるはず…

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787 光の春、ウグイスの初音と花粉症と 心弾む散歩の季節

毎朝6時ちょっと過ぎたころ、犬とともに散歩に出る。散歩コースの調整池周辺の小さな森から、ウグイスの鳴き声が聞こえるようになったのはつい先日のことだった。 「ウグイスが初めて鳴くのをどう表現するんだっけ」「ああそうだ。初音だった」なんてことを犬に話しかけながら歩いたのだった。 太陽の輝きが日々増して行き、花々が咲き誇る嬉しい季節がやってくる。だが、この時期は花粉症という現代病と闘う多くの日本人にとって憂鬱な季節なのである。 詩人で児童文学者だった百田宗治(1893-1955)に「光」という詩がある。 自分はのぼってゆく。どこまでもつゞく階段、黄金の階段。 自分はのぼってゆく。光は遠い。真実の太陽の光。 自分はのぼってゆく。どこまでもつゞく階段、黄金の階段。 ―光は遠い。 しかし光は溢れてゐる、光はそこにあふれてゐる。 季節は不明だが、光の春にこの詩を書いてもおかしくはないと思った。百田が生きた明治から大正、昭和という時代、日本は幾多の困難に直面した。しかし当時の日本の春には「花粉症」という忌まわしい病はなかったはずだ。 それがいつしか、春になると私の家族を含めた多くの日本人が約3カ月、苦しい日々を送ることを強いられるようになってしまった。 花粉症に対する研究、対症療法は年々進んでいる。だが、個人差があって容易に苦痛を取り除く対策はない。電車の中でマスクをした人が急に増えた。 そうしたマスクの人たちが携帯電話の画面に見入る不気味とも思える光景はも…

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643 言葉と向き合う達人たち 詩誌「・薇2」を読む

友人の飯島正治さんが主宰する詩誌「薇(び)2」が届いた。飯島さんら10人の詩人の詩と、「小景」という短文が載っている。 言葉の達人たちの詩と文章を読み返しながら、この人たちはどんな思いで「言葉」と向き合っているのだろうかと考えた。私は酒を飲んだ後に、痺れた頭でこうしたブログを書いている。そうした姿勢の私には、薇の詩人たちはまぶしく輝いて見えるのだ。 杜みち子さんの「繋留(けいりゅう)点」という詩。冒頭に「この冬一番の冷え込みと報じられた日 朝から一行の詩も書けない」とある。そして、杜さんの日常描写が続き、末尾で「その冬いちばん寒い日 一行の詩も書かなかった」と結んでいる。アルコールに酔って駄文を書いている私には、杜さんという女性のひた向きさがうらやましくさえ感じた。 飯島さんの「更地」という詩には、内心驚いた。飯島さんが勤めていた新聞社が郊外に移転し、その跡地は更地になっていて、ブルドーザーのキャタピラの痕が付いている。更地を見ながら、飯島さんはその新聞社時代を振り返る。 「電話が鳴る 通信社のスピーカーが叫ぶ 記事モニターが途切れなく続く おびただしい事件や事故が流れていく」 私は飯島さんが勤務した新聞社が移転したことは聞いていたが、かつての本社が更地になったことを飯島さんの詩で初めて知った。 植村秋江さんの「歩く」という詩も気に入った。「草の匂いが わたしを誘う 無性に歩きたい日がある」という書き出しで植村さんは、歩くことへのこだわりを書いている。小景で…

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638 バラに吹く微風 レンガの庭で

このところの休みは、庭づくりに励んでいる。もともと芝生の庭だったが、山を切り崩して造成した土地に建てた家のため、粘土質の土は水はけが悪く、芝生の伸びはよくない。 歩く場所は芝生がなくなり、土がむき出しになってしまった。そこで、頑張ってこの庭を変えてみようと思った。家族と相談して、レンガを入れようということになった。 ホームセンターに通い、レンガを買い、車で運ぶ。100個のレンガを運ぶのに4回かかった。土を掘り、底石の砂利を入れ、底をならしてレンガを置く。この作業で3週間を要した。 レンガは重いし、庭づくりに欠かせない砂も軽くはない。家族とともにこの3週間、土日はこの作業の繰り返しで、体の節々が痛い。 きょうになって、ようや90%完成した。残るはレンガとレンガの間に置く芝生なのだが、どのホームセンターにも満足な高麗芝は売っていない。もう芝生を植える季節ではないのだ。(満足なと書いたが、1つ目のホームセンターではほとんど枯れた状態のものを1束50円で売っていた。通常は300円程度なので、6分の1の値段だ。もう1軒は598円という高い値段で姫高麗という種類を売っていたが) ほぼ完成したレンガの庭に置いたガーデンセットの椅子に座って、満開のつるバラを眺める。心が落ち着くひと時だ。 14世紀のペルシアの詩人ハーフィズは、バラの香気について書いている。(黒柳恒男訳) 微風が薔薇の花を恵みの水で洗ったとき 書物に目を通していても ひねくれた私を呼んでくれ …

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555 詩人が考える言葉とは 詩集「薇」から

 「薇」(び)という漢字は、植物のゼンマイのことであり、「薔薇」(バラ)の「薇」にも使われる。その「薇」の冠をつけた「詩誌」が詩人の飯島正治さんから届いた。8人の詩人の詩と小文を掲載した38頁の創刊号だ。私は詩のことはよく分からない。しかし、言葉を大事にする人々の「心」がどの詩からも伝わってくる。  編集を担当した飯島さんは後記で「『薇』は薔薇の薇、またゼンマイの漢字ですが、『微』のかすかでひそかな意に草冠を付けたことで、生成の動きが表せたと思います。創作者として地道に、内実はビビッドでありたいという思いを込めることができました」と書いている。早速、飯島さんの「山村の記録」という詩をじっくり読んだ。中国・雲南省に旅したときの思い出を詩にまとめたようだ。村の長老と話をする飯島さん。その情景が浮かんでくる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  雲南シーサンパナの高地 山の斜面の鳥居のような門をくぐると ハニ族の村だ  村長の李さんが 家の前で坂道の路肩を直している 白いシャツにメガネ 日本の日焼けしたおじさんと変わらない  李さんは囲炉裏で湯を沸かし 自家製のプーアール茶をすすめる ベランダには朝摘んだ茶葉が干してある   ここの茶はおいしいねぇ、と言うと 一族五十六代目の誇り高い顔になる 李は少数民族同化の中国名 実際はハニ族…

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375 この世はすべてよし ブラウニングからの贈り物

2008年の大みそかだ。イギリスの詩人、ロバート・ブラウニング(1812―1889)の詩を多くの人に贈ろうと思う。それは「神は天にあり、この世はすべてよし」である。モンゴメリの「赤毛のアン」のラストに引用されていることでも知られ「ピッパが通る」という劇詩の最後の2行がこの言葉なのだ。  「この世の中はすべて神の摂理で動いており、誠実に生きれば、道は必ず開ける」と解釈することができるという。  日本では上田敏が「春の朝(あした)」という詩に訳して、教科書にも出ている。  (上田敏の訳詩「春の朝」) 時は春、 日は朝(あした、 朝は七時、 片岡に露みちて、 揚雲雀(あげひばり)なのりいで、 蝸牛(かたつむり)枝に這(は)ひ、 神、そらに知ろしめす。 すべて世は事も無し。 ブラウニン…

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