1909「人生は死に至る戦いになる」かみしめる芥川の言葉

 先日、俳優の三浦春馬さん(30)が自殺し、テレビのワイドショーでは連日過熱報道が続き、行き過ぎだという声も出ている。そんな折、今月24日が「河童忌」であることを思い出した。大正文壇の寵児といわれた芥川龍之介の命日(1927年7月24日)だ。芥川の死は、当時の社会に大きな衝撃を与え、後追い自殺をする若者が相次いだという。芥川が35歳で自死してから今年で93年。三浦さんを含めた著名人、さらに無名の人たちとの突然の別れは悲しく残念でならない。  芥川の命日の名称は生前好んで河童の絵を描き、『河童』という短編を残したことから命名されたそうだ。芥川は「我鬼」という俳号で俳句も嗜んでおり、命日は「河童忌」とともに「我鬼忌」とも呼ばれる。  図書館の片隅を占め河童の忌 丸山景子  河童忌や涙流して若かりき 山口青邨  茄子紺の空と暮れける我鬼忌かな 鈴木しげを  青年の黒髪永遠に我鬼忌かな 石塚友二  石塚の句のように、写真に残る芥川は面長で黒髪の長髪、知的な表情だ。芥川は遺書を5通残し、3通が公開されており、岩波書店の『芥川龍之介全集 23巻』に収録されている。そのうち「遺書」は親友の画家、小穴隆一(おあなりゅういち、1894~1966)に宛てたものといわれ、「僕等人間は一事件の為に容易に自殺などするものではない。僕は過去の生活の総決算の為に自殺するのである」というのが、その書き出しだ。芥川は服毒自殺をした。その理由は諸説あって定説はない。それほど、人が自死する動機は複雑なのだ。 …

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1864 桜の季節に届いた手紙「心は自由」「若者へ伝えること」

 春立つや子規より手紙漱石へ  榎本好宏  俳人の正岡子規と文豪、夏目漱石は頻繁に手紙を交わしたそうです。この句は立春の日、子規から漱石に手紙が届いた情景を描いています。立春から春の彼岸が過ぎ、新型コロナウイルスによる感染症が世界で爆発的に流行している中、私は最近、2通の手紙を受け取りました。ワクチンのない新しいウイルス感染症によって人類は不安な時代を迎えていますが、2通の手紙はこうした現状に立ち向かう勇気を与えてくれるものでした。  受け取った手紙の1通は、目の病気のため視力が衰えた知人からでした。その手紙には愛する人が10年の闘病の末に亡くなった経過が書かれ、最後には「目は不自由になりましたが、心は自由に、大切なものを見失わないで生きたいと思っております」と、記されていました。  人生には様々な別れがあります。知人の愛する人との別れの風景を思う時、切なさが込み上げてくるのです。そして、視力が衰えた現実を直視した上で到達した「心は自由に、大切なものを見失わない」という精神は、窮屈になりつつある現代の世相に警鐘を鳴らしているように思えてならないのです。  梨木香歩の『僕は、そして僕たちはどう生きるか』(岩波現代文庫)という本の最後に、以下のような言葉があります。 「そう、人が生きるために、群れは必要だ。強制や糾弾のない、許し合える、ゆるやかで温かい絆の群れが。人が一人になることも了解してくれる、離れていくことも認めてくれる、けど、いつでも迎えてくれる、そんな『いい…

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1861 自家撞着の政治家 知識を身につけていても

 人間は生きよと銀河流れをり 新感覚派の俳人といわれた上野泰(1918~1973)の句である。「スケールの大きな世界。すでにほろんだ星も含む銀河が『人間は生きよ』と語りかけながら流れていきます。心に何か悩みや屈託があったとしても、この涼やかな銀河の流れが浄化してくれそうです」(倉阪鬼一郎『元気が出る俳句』幻冬舎新書)という解釈を読むまでもなく、コロナウイルスと闘う地球への応援句だと受け止めたい。まさに元気の出る一句といえる。  17という短い文字で四季折々の森羅万象を表現する俳句は奥深い。俳句に取り組む人たちは、それほどに言葉を大事にしているのだ。一方で、言論の府といわれる国会で、自身の言葉を取り消す大臣が相次いでいる。福島選出の参院議員である森雅子法相は9日の参院予算委員会で、東京高検の黒川検事長の定年延長に絡み、検察官の勤務延長の解釈変更の理由(社会情勢の変化)を問われると「東日本大震災の時に検察官は、福島県いわき市から国民が、市民が、避難していないなかで最初に逃げた。そのときに身柄拘束している10数人を理由なく釈放して逃げた」と答弁した。その後、11日に開かれた衆院法務委員会でこの答弁を「この答弁をしたのは事実。個人的見解だった」と言い訳して撤回、委員会の審議が止まってしまった。  たまたま参院予算委の国会中継のテレビを見ていたが、この人は何を言っているのだろうかと思った。検事長の定年延長とは何の脈絡がない上、自身が検察官の属する法務省のトップなのに、このような感情的発言をした。…

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1848「昨日も今日も、そして明日」も 歩き続けること

  このところ、かなりの距離を歩いている。スマートフォンの歩数計アプリを見ると、正月三が日の歩数合計は5万歩だった。出かけることが多かったから特別だが、12月の1日当たりの平均は1万歩を超えている。歩くことは体調管理だけでなく物を考えるのに役立つから、寒い朝も苦ではない。 「私は歩いた、歩きつづけた、歩きたかったから、いや歩かなければならなかったから、いやいや歩かずにはゐられなかったから、歩いたのである、あるきつづけてゐるのである。きのふも歩いた、けふも歩いた、あすも歩かなければならない、あさつてもまた。――」  これは無季 自由律俳句(句の中に季語を入れない)で知られる放浪の俳人、種田山頭火の「歩々到着」(ちくま文庫『山頭火句集』より)という短文の随筆に出てくる言葉である。それほどに、山頭火は自分の足で各地を歩いた。この随筆の最後に山頭火は「どうしようもないワタシが歩いてをる」と結んでいるが、健脚がなかったら、放浪の俳人はいなかっただろう。山頭火が歩いた距離は想像するしかないが、途方もない距離に違いない。  歩くというキーワードで浮かぶのは、松尾芭蕉だろう。「奥の細道」を記した芭蕉は、約150日をかけて江戸から奥州、北陸道を経由して江戸に戻るという行程、約2400キロ(600里)を歩いた。現代人には「信じられない」という表現が適切な健脚ぶりである。現代は車社会だから、芭蕉ら昔の人に比べ現代人は歩くことが少ないことは間違いないだろう。  百科事典を見ると、アメリカで始まった…

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1834 それぞれに思い描く心の風景 シルクロードと月の沙漠

 歌詞がロマンチックな「月の沙漠」は、昭和、平成を経て令和になった現代まで長く歌い継がれている童謡である。この秋、中国・シルクロードを旅した知人が、月の沙漠を連想する場所に立ち、旅行記の中で書いている。日本には千葉県のリゾート地、御宿町の御宿海岸に「月の沙漠記念館」があるが、この童謡の舞台は人それぞれに思い描くことができるのだろう。  シルクロードの旅で知人がこの童謡を思い浮かべたのは、莫高窟で知られる敦煌の「鳴沙山」でのことだという。ここは高さ100メートル以上の巨大な砂山で、知人は同行の友人とともに赤いゴム長靴を履いて天辺まで登った。下山すると観光客を乗せた約20頭の駱駝が一列になって山裾を進んで行くのが見えた。陽は陰り始め、黄昏の少し曇った空に三日月が出掛かっている。「この景は童謡『月の沙漠』を思い起こさせる。♪金と銀との鞍置いて、二つ並んで行きました♪――のあれである」と書いた知人は「月あれば“月の沙漠”ぞ鳴沙山」という句をつくった。  シルクロード=駱駝といえば日本画家、平山郁夫の「パルミラ遺跡を行く」が知られる。ラクダに乗った隊商を描いた「朝」「夜」の絵は、内戦が続きISによって破壊され、世界に衝撃を与えたシリアの世界遺産、パルミラ遺跡を描いた。平山の絵はパルミラの遺跡を背景に、隊商がゆっくり進んで行く(「朝」は右から左へ。「夜」は左から右へ向かっている)光景が描かれ、平和だった時代を思い起こさせる。特に月が遺跡の後方に輝く「夜」(平山郁夫シルクロード美術館)の絵は、月の沙…

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1832 季節は秋から冬へ ラガーの勝ち歌みじかけれ

 散歩コースの遊歩道から調整池を見ていると、このところ毎日のように霧が出ていて、美しい風景を演出している。今朝も昨日に続き霧が出ていた。茜色に染まった雲と紅葉が始まった森、赤いとんがり屋根の小学校、その下に薄く広がる白い波のような霧が見事なコントラストを描いている。今年の立冬は明日8日(金)。悪いニュースが相次いだ2019年だが、この風景を見ていたら気分は爽快になった。  立冬の初候は「山茶始めて開く」(つばきはじめてひらく)である。候には「つばき」とあるのだが、ツバキ科の山茶花(サザンカ)のことを言うのだそうだ。私の家の山茶花はまだつぼみだが、隣の家のこの花は既に咲いている。まさに山茶花の季節がやってきたといえる。日中預かっている小型犬は、陽だまりが恋しいのか、窓際に身を置き陽光を浴びてのんびり昼寝を楽しんでいる。  今年は自然災害の多発など悪いニュースが多かった。そんな中、先日終わったラグビーのワールドカップに勇気づけられた人も少なくなかったかもしれない。友人もそのひとりである。今回のワールドカップで日本代表がベスト8まで勝ち進んだこともあり、私を含め多くの人がにわかラグビーファンになった。友人は学生時代に女性のラグビーチームに所属し、兄もラグビーの選手だったこともあって私のようなにわかファンと違って、ワールドカップを心待ちにしていたようだ。  友人にとって、今年は星回りが悪かった。母親と親友、さらに愛犬(ゴールデンリトリートバー)が相次いでこの世を去り、これまでにない悲しみ…

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1819 おいおい! 関西電力よ  理不尽・不正義まかり通る時代

「おいおい、どうなっているの?」と言いたいほどの、驚いたニュース。関西電力会長、社長ら20人に原発立地の福井県高浜町の元助役から3億2000万円分の金品が渡されていた。逆の場合ならありそうなことだが、こうした資金還流もあるのだからびっくりだ。金沢国税局の税務調査で明らかになった前代未聞の原発マネーの還流。関西の人々はどう受け止めるのだろう。  今のところこの資金の流れは、原発関連の建設会社などの顧問を務めていた元助役(ことし3月に90歳で死去)が、関電の原発関係部門幹部を中心にばらまいていたことが判明している。建設会社には関電から巨額の工事資金が流れているはずだから、まさしく原発マネーの還流といっていい。記者会見する岩根茂樹という社長の表情を見ていたら、何度も何度も目をぱちくりさせている。後ろめたさがありありだ。「返却が困難な状況があった」と説明したが、相手が亡くなっているから、言いつくろうことはできる。だが、それを信じる人は少ないだろう。堕ちて、堕ちた。賄賂にまみれ、腐臭が漂う電力会社はどこへ行くのか。  金沢国税局の税務調査に対し修正申告をしたのは昨年らしいから、関電の関係者はまさか、今になって漏れるとは思っていなかったかもしれない。しかし、「天網恢恢疎にして漏らさず」(「老子」73章。天の張る網は広い。粗いように見えるが、悪人を網の目から漏らすことはなく、悪事を行えば天罰を被る)である。それを関電の幹部たちは、思い知ったはずである。  経団連会長を務める日立製作所の中西宏明…

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1807 戻らぬ父の遺骨と労苦の母 俳句と小説に見る戦争

 8月16日のブログ「1804 政治の身勝手さ感じる8月 民意との乖離のあいさつ」の中で「戦没者の遺骨収集問題に触れた安倍首相の挨拶はうわべだけの誠意にしか聞こえなかった」と書いた。25日付朝日新聞の俳壇に「父の骨なほジャングルに敗戦忌」という句が載っていた。終戦から74年が過ぎても戦争の傷跡が消えないことを、この句は物語っている。  この句は、熊本県合志市の坂田美代子さんが投稿し、選者の1人大串章さんが第1句に選んだ。大串さんは「第1句。同時投稿の句に『それからの母の労苦や敗戦日』がある。父母への思いは尽きない」と評した。南洋のジャングルに果てた父親、その遺骨は今も戻っていない。父の戦死後、母の苦労は並大抵ではなかった。敗戦忌、あるいは敗戦日になると、その悲しみが蘇る……。2つの句からは、坂田さんの慟哭が聞こえてくるようだ。戦争で最愛の人たちを亡くし、今も同じ思いの人は少なくない。  浅田次郎の戦争をテーマにした6編の短編集『帰郷』(集英社文庫)を読んだ。第43回大佛次郎賞を受賞した反戦小説集である。その最後の「無言歌」に印象的場面がちりばめられている。西太平洋で索敵行動中に事故を起こした特殊潜航艇の中で、海軍予備学生2人(香田と沢渡)が、それぞれの夢について語り合っている。その末尾のセリフである。 「俺は、ひとつだけ誇りに思う」 「しゃらくさいことは言いなさんなよ」 「いや、この死にざまだよ。戦死だろうが殉職だろうがかまうものか。俺は人を傷つけず、人に傷つけられずに人生をおえ…

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1803 涼を呼ぶ寒蝉鳴く 猛暑の中、秋を想う

 猛暑が続いている。暦の上では立秋(8月8日)が過ぎ、きょう13日は七十二候の「 寒蝉鳴」(かんせんなく)に当たり、盆入りである。寒蝉は「かんぜみ・かんせん」と読み、秋に鳴くセミであるヒグラシやツクツクボウシのことをいう。散歩コースの調整池の小さな森で朝夕、涼を呼ぶようにヒグラシが鳴いている。この鳴き声を聞くと、私は秋が近いことを感じる。とはいえ残暑は厳しい。今年の本格的秋の到来はいつになるのだろう。  手元にある七十二候の本には「寒蝉鳴(ひぐらしなく)」と紹介されているが、「寒蝉」について広辞苑には「秋の末に鳴く蝉。ツクツクボウシまたはヒグラシの古称か」とあり、大槻文彦・言海「つくつくぼうし」の項の最後にも「寒蝉」と記されている。民俗学の柳田国男は『野草雑記』で植物の土筆(ツクシ)について考察し、地域によってこの植物が「ツクツクボウシ」と呼ばれ、寒蝉=ツクツクボウシと同じ呼称であることを紹介している。このように寒蝉鳴のセミの古称は複数存在するのである。  七十二候はもともと古代中国で考案された季節を表す方式だが、日本では江戸時代に渋川春海(1639~1715。天文暦学者、囲碁棋士。冲方丁の小説『天地明察』は渋川の生涯を描いている)ら暦学者によって日本の気候風土に合うように改訂されたというから、江戸時代に立秋を過ぎてから鳴くことが多いヒグラシやツクツクボウシを「寒蝉鳴」という七十二候に含め、秋の到来を示す風物詩として言い伝えてきたのだろう。  書に倦むや蜩鳴いて飯遅し 正岡子規は…

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1791 続スティグマ助長の責任は 熊本地裁のハンセン病家族集団訴訟

 熊本地裁は28日、ハンセン病元患者の家族の集団訴訟で、国に責任があるという判決を言い渡した。当然のことである。国の誤った隔離政策で差別を受け、家族の離散などを強いられたとしてハンセン病の元患者の家族561人が国を相手に損害賠償と謝罪を求めた裁判で、総額3億7675万円の支払いを命じたのだ。2001年5月、同じ熊本地裁は元患者への賠償を命じる判決を出した。国が控訴せず、この判決が確定したのは当時の小泉首相の政治判断だった。今回政府はどう対応するのだろう。「大阪城にエレベーターをつけてしまったのは大きなミス」と語った安倍首相だけに期待は?である。  以前書いたハンセン病に関するブログから、隔離政策の歴史に関する部分を読み直してみた。以下のように書いてある。 《日本では1907(明治40)年に制定された「癩予防ニ関スル件」(法律第11号)によってハンセン病患者を強制隔離する人権無視の政策が始まった。この法律は1931(昭和6)年に「癩予防法」(旧法)となり、さらに1953(昭和28)年に「らい予防法」(新法)と改められたが、ハンセン病患者排除の思想を継承し、ハンセン病患者は国立の療養所(全国13カ所)に強制的に入れられ、社会と隔絶された生活を送らなければならなかった。1998(平成8)年になってようやく「らい予防法」が廃止になった。この後、鹿児島県と熊本県の2つの療養所の入所者が起こした国家賠償請求訴訟で熊本地裁は2001(平成13)年5月11日、①旧法(癩予防法)を1953年まで廃止しな…

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1786 雨の季節に咲く蛍袋 路傍の花を見つめて

 散歩道で高齢の女性2人が話している。「あら、ホタルブクロがそこに咲いているわよ」「そうね。懐かしいわ。私の子どものころ、この花を『あめっぷりばな』、って言ってたのよ」「そうなの。面白い名前ね。私の学校帰りの道の両脇にもあって、これが咲くと、ああ梅雨に入ったと思ったものよ」  2人は追憶の日をたどるように、話を続けている。2人の邪魔をしないように、私は傍らをそおっと通り過ぎた。その先の斜面には、紫とそれよりも薄い紫の2種類のホタルブクロが雑草に混じって咲いていた。どことなく郷愁を感じる風情があり、私も既視感を抱いた。そう、私の通学路周辺にも今の季節になるとこの花がひっそりと咲いていたのだ。  ホタルブクロは雨の中で生き生きとする植物だ。「あめっぷりばな」という呼び方は、巧みな表現といっていい。ホタルブクロという名前の由来は「ぶら下がって咲く花を提灯に見立てて、提灯の古語である火垂を充てた」という説と「子供が花のなかにホタルを入れて遊んだから」という2つの説があるそうだ(NHK出版『里山の植物ハンドブック』より)。なるほど、後者なら確かに「蛍袋」になる。  私が子どものころ、夏になると蛍が飛び交うのが珍しくなかった。だが、残念ながら、この花の中にホタルを入れて遊んだ記憶はない。ただ、語源になっているのだから、いつの時代か、どこかの地域でそうした遊びをする子どもたちがいたのかもしれない。それを想像するだけで、風情を感じるのである。 「螢袋に山野の雨の匂ひかな」 細見綾子の句である。雨に濡れ…

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1785 都市の風景の変化を描く 街を歩く詩人

「記者は足で稼ぐ」あるいは「足で書け」といわれます。現場に行き、当事者に話を聞き、自分の目で見たことを記事にするという、報道機関の基本です。高橋郁男さんが詩誌「コールサック」に『風信』という小詩集を連載していることは、以前このブログでも紹介しました。6月号に掲載された14回目も街を歩き、観察した事象を小詩集にまとめています。元新聞記者(朝日の天声人語筆者)の高橋さんらしい、足で稼いだ作品を読んで、私も東京の街を歩きたくなりました。  日記風に書かれた今号に出てくる街は芭蕉ゆかりの深川と隅田川。場内市場が豊洲に移転した築地場外市場、六本木の東京ミッドタウンと国立競技場近くの青山通り、そして霞ヶ関の国会議事堂です。小詩集には芭蕉と井原西鶴、関孝和(江戸時代の数学者)、ニュートン、デカルトという歴史上の著名人の考察が加えられています。この人々を考えるキーワードは「自由な探求と鋭い透視」です。  芭蕉と西鶴の特徴を高橋さんは以下のように記しています。  動の西鶴に 静の芭蕉  派手な西鶴に寂びの芭蕉  表向きは対照的な両人だが  それぞれの営為には 相通ずるところが透けて見える  それは「自由な探求と鋭い透視」  芭蕉は 人の生について 深く自由な探求と透視を続け   俳諧を 時代を超える芸術にまで至らしめた  西鶴は 建前や柵(しがらみ)から自由な生の探求と透視を続け  浮世草子を 時代を超える芸術にまで至らしめた     街を歩けば出会いがあります…

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1771 生命力を感じる新緑と桜 子規とドナルド・キーンもまた

 私が住む首都圏は現在、新緑、若葉の季節である。街路樹のクスノキの緑が萌え、生け垣のベニカナメの赤い新芽がまぶしいこのごろだ。新緑、若葉の2つは俳句では「夏」の季語になる。しかし立夏はまだ先(5月6日)で、今は春爛漫というのが適切な時期になる。時代ともに季節感覚が、少しずつずれてしまっているのだろう。  手元の角川俳句歳時記には「春に芽吹いた木々が5月ごろに新葉を拡げるさまは美しい」(若葉)、「初夏の若葉のあざやかな緑」(新緑)――と出ている。いずれも5月ごろの季節を想定した書き方である。東北や北海道ではちょうどこの記述が適当だろうが、関東以南にはややそぐわなくない表現だと思われる。  それは別にして、新緑と若葉と聞いて人は何を感じるだろうか。私はどうしても「生命力」をイメージする。樹木が冬の眠りから覚めて活動を再開する姿に、生命の息吹を感じるからだ。詩人の大岡信は、日本の春の象徴である桜について「『前線』ということばが花では桜についてだけ言われますが、桜は動くもの、散るもの、しかしそれは同時に生命力をあらわしていて、桜を詠んだ詩歌がそういうことを示すものが多いのは当然だとおもいます」(『瑞穂の国うた』新潮文庫)と書いている。  3月が別れの季節の色合いが濃いのに対し、4月は大岡が書くように、生命力が前面に出る季節なのだ。34年という短い生涯にもかかわらず、挑戦する姿勢を忘れなかった俳句の正岡子規の生き方に私は強靭な命の輝きを感じ取る。先ごろ96歳で亡くなったドナルド・キーンは『…

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1718 花野を見ながら 今は風物詩のセイタカアワダチソウ

 6時前に調整池周りの遊歩道を歩いていると、黄色い花野(花畑)が目の前に広がっていた。この季節の風物詩ともなった帰化植物のセイタカアワダチソウが満開を迎えたのだ。朝日俳壇に「逝きし子と手をつなぎゆく花野かな」(尼崎市・ほりもとちか)という句があった。さみしい句である。私も満開のセイタカアワダチソウの花野を見ながら、今は亡き犬のことを思った。  朝日俳壇でこの句を選んだ大串章さんは「花野を歩いていると、亡子の手の感触がよみがえる。心にしみる句」と評した。母の思いが伝わる句である。母と子が手をつないで、お花畑をのんびりと歩いている。小さな子は母親に「あの花の名前は?」「私はこの花が好き」というようなことを言っているのかもしれない。そんな幸せな日は失われてしまった。だが、懸命に母の手を頼りにする小さな手の感触は、年月が過ぎても忘れることはできない。この句からはそんな情景を想起する。  私の散歩コースの調整池の遊歩道は今の季節、朝方には霧や靄が発生する。歩いているうち次第にそれらが消え、調整池と周辺の雑草地帯が鮮明に見える。そして、今朝はセイタカアワダチソウの花が黄色い絨毯のように咲き誇っていた。それを見た私は「朝靄が晴れて眩しき花野かな」なんて句を口走った。目の前を15歳になるというラブラドールレトリーバーが足をふらつかせながら歩いている。この犬種にしては長生きだ。しかし、目の前の老犬の姿は痛ましく、わが家で飼っていたゴールデンレトリーバーのありし日の姿が脳裏に蘇った。  わがやの犬は…

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1705 秋の気配そこまで 野草と月とそばの季節に

 9月も半ば。これまで味わったことがないような猛暑、酷暑の夏が過ぎて、秋の気配が漂ってきた。コオロギの鳴き声も次第大きくなり、エアコンに頼らず、自然の風の中で生活ができるのはとてもうれしい。そんな一夕、正岡子規が好きな人たちが集まって開いている句会があった。今回で15回を数える。兼題、席題とも秋にふさわしいものだった。集まった人たちは日本の詩情に触れながら、一足早い秋を味わった。(俳句は末尾に掲載)  兼題は「野分(のわき)・二百十日」「月」「秋薊(あざみ)」の3つ、席題は「新蕎麦・蕎麦の花」である。「野分」は、野の草を吹き分ける風のことで、二百十日・二百二十日前後に吹く暴風や台風を言う。文学的表現といってよく、気象予報士は使うかもしれないが、最近のニュースでこの表現を見たことはない。夏目漱石が「野分」(中編)と「二百十日」(ほぼ会話文だけで構成の短編)という2つの短編を書いていることはよく知られている。このほか以前読んだ山本周五郎の短編集『おごそかな渇き』を思い出した。この中にも「野分」という、下町の娘と武家の家に庶子として生まれた若者の恋を描いた人情物の作品がある。  自由律俳句の代表的な俳人、種田山頭火は「白い花」という随筆の冒頭「私は木花よりも草花を愛する。春の花より秋の花が好きだ。西洋種はあまり好かない。野草を愛する」と書いている。「秋薊」も山頭火が愛した秋の野草の一つだろうか。私の散歩コースである調整池の周囲には「オトコエシ」の花が咲く。黄色い花の「オミナエシ」に比べると、…

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1697 社会現象になった金足農 「ベースボールの今日も暮れけり」

「刀折れ矢尽きる」あるいは「弓折れ矢尽きる」というのだろうか。甲子園の夏の高校野球決勝、大阪桐蔭―金足農戦(12-3で大阪桐蔭が優勝。春夏連覇の2回という新記録を達成)をテレビで見ていて、この故事を思い浮かべた。「戦う手段が完全になくなる。物事を続ける方策が全くなくなる」(広辞苑)という意味だが、それでも劣勢に立たされた金足農は最後まであきらめなかった。閉会式の途中、甲子園球場の外野席後方に虹が出た。それは優勝した大阪桐蔭よりも台風の目ならぬ「大会の目」になった金足農ナインを祝福しているように私には見えた。  たまたまだが若い時分、秋田で暮らしたことがある。妻は秋田生まれで、妻の妹の一人は金足農出身だ。そんな私的事情もあって、甲子園で金足農の試合があると必ずテレビの前に座り、ハラハラしながら見続けた。大会が始まるまで、この高校がどんなチームか全く知らなかった。新聞には吉田投手が大会屈指の投手とは紹介されていたが、ここまでやるとは思いもしなかった。  これまでの金足農選手たちの奮闘は、多くのメディアで報道されている。秋田の街のフィーバーぶりもテレビで毎日話題になっている。暗い話題が多い昨今、山口の周防大島で行方不明になった2歳の藤本理稀ちゃんを見つけた大分のボランティア、尾畠春夫さん(78)とともに、ワイドショーが飛び付く題材になったのだろう。それにしても、高校野球がこれほど社会現象になったのは久しぶりのことではないか。  100回大会ということで、これまで活躍した松井をはじめ…

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1686 夕焼けの中で 郷愁誘う自然の芸術

 私は夕焼けを見るのが好きだ。なぜ? 大空に展開する自然の芸術に陶酔する時間がたまらないのかもしれない。昨日の夕、久しぶりにこの風景に出会った。猛暑続きの日々、夕焼けは翌日の好天の予兆だそうだ。その通り、きょうも朝から暑い。  昨夕、エアコンが効いた部屋からふと外を見ると、西の空が赤く染まっている。すると私は無意識の行動をした。コンパクトカメラを持って外に飛び出したのだ。歩いて数分の調整池のベストポジションに向かう。調整池の一角の森とその後ろに小学校のとんがり屋根が見える場所だ。そこには美しい夕景が展開していた。カメラを構える私の横にはスマートフォンを持った若い女性がいて、夕焼けに向かってシャッターを押している。  写真を撮りながら、昨年9月この場所でやらかした失敗を思い出した。あの日も同じように西の空には絶景ともいえる夕焼けが広がっていた。この風景を写真に収めるのに夢中になった私は、遊歩道と上の公園との間の斜面で繰り返しカメラのシャッターを押していた。その最中にぬかるんでいた場所で足を滑らせて転んでしまった。その結果、右足の大腿四頭筋断裂という大けがをして入院、手術という思わぬ事態を招いたのだった。家族からは「年甲斐もなく」と揶揄され続けるが、弁解のしようもない。そんな失敗があったから、今回は撮影場所には気を付けた。足元に注意し、危ないところには行かない。  夕焼けは、なぜか郷愁を誘うらしい。空を見上げていると子どものころを思い出し、童謡「夕焼小焼」(中村雨紅咲作詞、草川信作曲…

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1642 「玄鳥至る」(つばめきたる)ころに 子ども時代の苦い思い出 

 南からの強風が吹き荒れたと思ったら、急に木々の葉の緑が濃くなってきた。二十四節気でいう「清明」のころであり、七十二候の初候「玄鳥至る」(つばめきたる)に当たる。散歩コースの調整池周辺にも間もなくツバメが姿を現すだろう。ツバメといえば、冬の間東南アジアあたりで過ごし、数千キロの旅をして日本にやってくる春を告げる使者的な野鳥だ。私は子どものころツバメが大好きだったにもかかわらず、あるいたずらをしてしまった。いまでもツバメを見ると、その苦い思い出が蘇る。  私の生家では当初、長屋門の軒下にツバメが巣をつくった。しかし、この巣に産んだ卵は、蛇の青大将に飲まれてしまったり、あるいはひなが生まれても猫に食べられてしまったりして、ツバメの子どもが育つのは大変だった。この場所は危険と察知したのか、いつのころから巣は本宅の軒下に移った。だが、ここも同じことが繰り返された。私が小学3年生になったころ、ツバメは開け放しになった座敷の天井に巣をつくった。ここなら安全と思ったのだろう。飼い猫にも狙われにくかった。ひなが数羽生まれ、母親や姉たちは巣から落ちてくる糞掃除が日課になった。  翌年、母はこの場所に天井から竹でつくった円座という夏の敷物を吊ってやった。天井の巣から糞が落ちてもここにたまるから、畳は汚れない。毎日掃除をしなくても済みそうだった。昼間の親ツバメの出入りはうっとうしいが、子ツバメの成長を見るのは家族の楽しみだった。翌年もツバメの季節になると、母は同じ作業をしてやり、ツバメたちも当然のように座…

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1629 俳句は健康の源 金子兜太さん逝く

「俳句は健康の源になる」と言ったのは、20日に98歳で亡くなった俳人、金子兜太さんだ。太平洋戦争で海軍主計中尉として南洋のトラック島で敗戦を迎え捕虜生活を送った金子さんは、戦後日本銀行に勤めながら俳人としての道を歩んだ。当然ながら多くの死に接したに違いない。だから、平和と命の大切さを強く思い続けたのだろう。  金子さんは俳句入門書『俳句の作り方が面白いほどわかる本』(中経文庫)の中で、先に亡くなった奥さんのことを書いている。奥さんも俳句をやっていたが、病気で一時入院したときに俳句をやめてしまった。ただ、主治医がいい先生だったため、奥さんは生きようとする気力を取り戻し再び俳句をつくるようになった。それによって、奥さんは目に見えて血色がよくなり、病状が回復に向かったという。  このような奥さんの在りし日の姿を思い出しながら、金子さんは俳句について概略以下のように書いている。「日々の感情の機微が率直に表現できるから自分の思いも伝えられるし、書くことによって解放感が得られる。病気のときの慰めにもなるし、生きがいにつながる」「俳句をつくるときは日常のものを一生懸命とらえようと集中し体力、気力を養う。これが健康の基本であり、命の働きを元気づける」「私も俳句が健康を養っていると感じる。朝、目が覚めたときに庭を眺めながら俳句を考えていると、体の芯からもりもりと気力がわいてくる」これが金子さんが長寿を全うした源泉なのだろう。  85歳になる私の長姉も俳句をやっている。時々だが、いい句ができたと言っ…

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1619 雪についての断章 私の体は首都圏仕様に 

 子どものころから雪景色は見慣れているはずだった。だが、久しぶりにかなりの雪が降り、一面が白銀の世界になると、やはり家から外に出てしまうのだ。それは放浪の俳人、種田山頭火の「雪をよろこぶ児らにふる雪うつくしき」の心境といっていい。朝、家族に「足元に気をつけて」と注意を受け、長靴で外を歩いた。  雪が降ると、三好達治と山村暮鳥の短い詩を思い浮かべる人は少なくないだろう。   太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪はふりつむ。     次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪はふりつむ。               (三好達治・測量船より)   きれいな    きれいな    雪だこと    畑も    屋根もまつ白だ    きれいでなくつてどうしませう    天からふつてきた雪だもの              (山村暮鳥・日本児童文学大系 第14巻より)  2つの詩は、牧歌的な雪の世界を連想させる。ところが、首都圏では雪は「天からのありがたくない贈りもの」になってしまうのだ。交通機関は乱れ、通勤通学の足は混乱する。足のリハビリを兼ねて通っている近所のスポーツジムは、ふだん車でやってくる人たちの姿がなく閑散としていた。幸い、4年前の大雪に比べ積雪量が少なく、日中に陽気でどんどん消えている。4年前はわが家の庭で35センチもあったが、今回は10センチくらいだったから、溶けるのも早いのだ。  かつて札幌で暮らしたことがある。雪が降り積もる中を平然と歩いていた記憶がある。今朝、近所の…

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1604 生を愛し日々を楽しむ 冬木立の中で

 12月ともなると、遊歩道の街路樹のけやきもほぼ葉を落とした。我が家のすぐ前にある2本だけがなぜか、頑張って赤茶けた葉を3分の1ほど残している。しかし、間もなくこの木の葉も落ちてしまい、遊歩道は「冬木立」の風景になるだろう。「妻逝きて我に見えたり冬木立」。知人が詠んだ句からは寂寥感、孤独感が伝わる。  喪中の便りが届く季節である。この知人のように、伴侶や肉親を亡くしたという知らせを見ると、人生のせつなさを感じる。同じ世代の集まりがあると、病気の話が必ず話題になる。そんなときこそ、吉田兼好の「徒然草」の言葉通りの生き方をしたいと思うのだ。  第93段の後半に以下のような言葉がある。《されば、人死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや》  エッセイストの木村耕一さんは、これを「今、生きている、この喜びを、日々、楽しもうではありませんか」(『こころを彩る徒然草』一万年堂出版)と意訳し、国語学者の武田友宏さんは「人間誰しも死ぬのがいやならば、だからこそ、今ある命を愛するべきなのだ。命ながらえる喜びを、毎日たいせつに楽しまなくてはいけない」(『徒然草』角川ソフィア文庫)と解説している。  9月から10月にかけて1カ月弱、けがで入院生活を送った。病院には寝たきり状態の患者も少なくなかった。そうした人たちの姿を垣間見ただけに、退院して元の生活に戻ることができた喜びは大きかった。そして、兼好の言葉が身にしみるのだ。  冒頭の俳句は、私も参加している句会の兼題「冬木立…

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1595 リハビリと読書 秋雨はさびしい

 既に書いたように、足のけがで1カ月近く入院した。その間、やることと言えば、一日3回(土日は2回)のリハビリと3度の食事ぐらいだから、消灯(午後9時)までに時間はかなりある。テレビは、ニュースもワイドショーも、希望の党と小池氏のことに集中していて、見るのもあきた。結局、本を読んで時間を送った。けがをしたのはつらいことだったが、病院での生活は知的楽しみの時間でもあった。  前回取り上げた大佛次郎の『パリ燃ゆ』(朝日新聞)は、いつか読もうと思いつつ、長い年月本棚奥に眠っていた長編だった。こうした機会がなければ読み終えることがなかったかもしれない。次に遠藤周作関係を家族から持ってきてもらい『王妃マリー・アントワネット」(新潮文庫、上下)、『イエスの生涯』(新潮文庫)、『王国への道 山田長政(新潮文庫)の4冊を読み、さらに以下の本を読み終えた。  松岡圭祐『八月十五日に吹く風』(講談社文庫)、ディケンズ『大いなる遺産』(新潮文庫、上下)、藤沢周平『藤沢周平句集』(文春文庫)、小坂井澄『人間の分際 神父・岩下壮一』(聖母文庫)―である。  遠藤周作やディケンズについてはいまさら触れる必要はないだろう。松岡の作品は、太平洋戦争当時、アリューシャン列島キスカ島に進駐した日本軍兵士、5000人を玉砕させずに撤退させたという事実に基づいた物語である。当時粗末にされたはずの命が尊重された稀有な例なのだ。松岡といえば、ミステリーシリーズで知られた作家で、私はほかの作品は読んだことはない。  岩下…

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1579 大暑を乗り切ろう 国民的文芸に親しむ

「大暑」の季節である。熱気が体全体にまとわりつくほど蒸し暑い。一雨ほしいと思っていたら、滴が降ってきた。そんな一日、ある句会に参加した。「現代の俳人で歴史に残るのはこの人しかいない」と、句会の主宰者が評価する金子兜太は「俳句は、日本人にとって特徴的な国民文芸である」というのが持論だ。句会に出て、私もこの言葉の意味をかみしめた。  今回の兼題は「祭、花火」「木下闇、夕立」「冷奴、冷酒」で、席題は「季節の花」である。以下は主な投句。  「祭、花火」  笛太鼓いつ途絶へしか祭果つ  遠花火家郷に父母のなかりけり  放たれし花火無限へまっしぐら  全天に刹那の光大花火  夏至祭や白夜の街も輪で踊り  馴れ初めに想いを馳せる遠花火  「木下闇、夕立」  森洗い樹々蘇る夕立かな  義経の主従往きけり木下闇  夕立に折り畳み傘触れる肩  図書館を夕立上がりの父子出づる  夕立に打たれ佇む野良の猫  大夕立妻の呼ぶ声フォルテッシモ  夕立や虹のトンネル新幹線※  「冷奴、冷酒」  津軽三味聴いて津軽の冷やし酒  清貧に生き来て二人冷奴  絹肌の崩れたるまま冷奴  宵の口老妻も居て冷し酒  涼しさや薩摩切子に冷やし酒※  「季節の花」  水芭蕉はたちの頃のモノローム  農水路草の繁みに夏あざみ  沼巡る人を送りし水芭蕉  (※印は季重なりだが、好評だった)  花火の思い出話を少し。  幼いころ、旧盆になると毎年の楽しみは母に手を引かれ…

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1571 きのふの誠けふの嘘 アジサイの季節に

 紫陽花やきのふの誠けふの嘘 正岡子規 アジサイの季節である。最近は種類も多いが、この花で思い浮かぶのは色が変化することだ。子規はそのことを意識して人の付き合い方についての比喩的な句をつくったのだろう。安倍首相の獣医学部をめぐる言動は子規の句通りである。  安倍首相は6月24日の神戸での講演で、「1校に限定して特区を認めた中途半端な妥協が、結果として国民的な疑念を招く一因となった。今治市だけに限定する必要は全くない。地域に関係なく、2校でも3校でも、意欲ある所にはどんどん新設を認めていく」と述べた。今治市に計画されている加計学園の獣医学部新設認可問題で、安倍首相だけでなくその側近も野党の批判に対し「一切関わっていないし、その立場にはない」と否定的立場をとってきた。  だが、今回の発言はこの言葉を覆し、国家戦略特区の最終決定者である首相の立場は「何でもできる」と明言したものだといえる。通常国会閉会後の 記者会見で安倍首相は加計問題に関する批判に答え、「信なくば立たずであり、何か指摘があればその都度、真摯に説明責任を果たしていく」とも述べている。その直後萩生田官房副長官の関与を示す文書の存在を文科省が発表したにも関わらず、その後何ら説明をする場をつくることはない。 「信なくば立たず」は論語の「顔淵第十二」の「七」に出てくる。子貢という弟子の質問に対する孔子の「民無心不立」(民 信ずる無くんばたたず)という言葉が由来である。子貢の為政者の心構えとはという質問に対し、孔子は「民の生活の安…

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1569 目に優しい花菖蒲 一茶を思う一日

 むらさきも濃し白も濃し花菖蒲 京極杜藻  うつむくは一花もあらず花菖蒲 長谷川秋子  近所の自然公園にある湿地で花菖蒲が見事に咲いた。その花は前掲の俳句の通り色はあくまで濃く、どの花も下を向いてはいない。歳時記によると、原種は野花菖蒲で江戸時代初期に改良された国産の園芸種だという。梅雨の晴れ間の陽光を浴びながら咲き続ける国産の花は、目に優しい。  生涯で2万を超える俳句をつくった江戸時代の俳諧師、小林一茶は花菖蒲やあやめを季題にした9句を残している。(以下はそのうちの3句)  足首の埃たゝいて花さうぶ (あしくびの ほこりたたいて はなしょうぶ)  うしろ日のいら ~ しさよ花あやめ (うしろびの いらいらしさよ はなあやめ)  見るうちに日のさしにけり花せふぶ(みるうちに ひのさしにけり はなしょうぶ)  藤沢周平は『一茶』(文春文庫)の中で一茶の句について「一度一茶の句を読むと、そのなかの何ほどかは、強く心をとらえてきて記憶に残る。しかもある親密な感情といったものと一緒に残る。(中略)それはなぜかといえば、一茶はわれわれにもごくわかりやすい言葉で、句を作っているからだと思う」と感想を記し、さらに「誤解をまねく言い方かもしれないが、現代俳句よりもわかりやすい言葉で、一茶は句をつくっている。形も平明で、中身も平明である」とも述べている。  そして、この人物像を「難解さや典雅な気取りとは無縁の、われわれの本音や私生活にごく近似した生活や感情を作品…

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1565 5月の風に 春から夏へのバトンタッチ

 今年の立夏は5日だった。ゴールデンウィークはほぼいい天気の日が続いた。それが終わると、天気はぐずついている。沖縄は間もなく梅雨に入るという。春から夏への移行の季節になった。旬の食べ物はタケノコである。故郷の竹林のことを思い出した。  この季節、七二候によれば「竹笋生ず」という。「たけのこが、ひょっこり出てくるころ。伸びすぎないうちに、とれたてを味わいましょう」(白井明大『日本の七十二候を楽しむ』東邦出版)とあるように、タケノコは新鮮なうちに食べるのが一番おいしいのは誰でも知っている。それほどにタケノコの成長は早く、すぐに食べごろを逸してしまう。  筍を茹でてやさしき時間かな 後藤立夫  タケノコを茹でる時間はどれほどなのだろう。普通はあくを抜くために、米ぬかと唐辛子を入れた鍋で1時間半程度必要だという。そんなことは知らずに子どものころから、家の近くにあった孟宗竹の竹林から採ってきたタケノコを食べていた。  ここで思い出を一つ。ある時、都市部に住む友人とわが家の竹林にタケノコを採りに行った。私は普段着、彼はワイシャツにネクタイ姿。さすがにネクタイは外したが、腕まくりしたワイシャツにはカフスボタンが付いたままだった。彼は持っていったスコップで懸命にタケノコを掘った。十分収穫できて、私たちは満足して家に戻った。  しばらくして、彼は右腕のカフスボタンがないことに気付いた。就職するときに母親からプレゼントされた特別なものらしく、私たちは竹林に戻り、なくしたカフスボタンを必死…

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1541 列島に限りなく降る雪 天から送られた手紙

「汽車の八方に通じて居る國としては、日本のやうに雪の多く降る國も珍しい」 民俗学者、柳田國男は『雪國の春』の中で、こんなことを書いている。  現在日本列島は大雪が続いている。まさに柳田國男の言う通りである。日本を訪れ、広島に入ったオーストラリア人が「日本がこんなに雪が降る国とは知らなかった」と話したとテレビのニュースでやっていた。出発したオーストラリアは真夏だけに、その落差に驚いたのだろう。  この正月、北海道から届いた年賀状には雪について触れたものが多かった。「大雪にバテ気味です」「大雪と闘っています」「雪に埋もれています」「びっくりする大雪で本を友に冬眠中です」などと添え書きがあった。私自身、かつて札幌で暮らし、一晩で1メートル近い積雪を経験している。だから知人、友人たちが雪と格闘していることが実感できるのだ。雪との格闘は北海道に限らない。日本海側の過疎地帯の高齢者たちも、この大雪の中、耐えながら暮らしているのだ。  1963年1月から2月にかけて、新潟県から京都府にかけての日本海側と岐阜県山間部が大雪に見舞われ。「三八豪雪」といわれ、死者228人、行方不明者3人を出す大きな天災になった。その再来にならないことを祈りたい。 「限りなく降る雪何をもたらすや」 明治から昭和にかけて医師として働きながら俳句を作り続けた西東三鬼の句である。雪国に住む人たちにとって、いま降り続く雪に対し、たしかに「限りなく……」という思いを持っているだろう。 「雪は天から送られた手紙である…

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1539 寒風が吹いても 強き言葉で

 3が日休んでいた近所の公園のラジオ体操が再開になった。この季節の6時半はまだ完全に夜が明け切らず、薄暗い。周囲の街路灯が点いたままだ。ラジオに合わせて体を動かし始める。冷えが少しずつ消えて行く。手足を伸ばしながら世の中はどう変わっていくのだろうかと、考えた。  昨日の朝、調整池周囲の遊歩道を散歩していると、遊歩道脇にあるトイレの入り口近くで毛布が盛り上がっているのが見えた。普段は何もないトイレなのにおかしい、ひょっとしたら死体かもしれないと思い、持っていたウォーキング用のポールで毛布の上からそうっと突いてみた。すると、ピクリと毛布の下の物が動いた。ホームレスが寝ていたのだ。  気温は3、4度。毛布を掛けていても相当寒いだろう。それにしても、こんな郊外にホームレスがいることが驚きだった。数年前の比較的あたたかい季節には見かけた。しかし、真冬は初めてだ。  2008年の暮れ、家を失った人たちのために、日比谷公園でNPOによる炊き出しとテント村(年越し派遣村)の活動があった。ホームレスの問題はその後あまりメディアには出ていないが、格差社会が益々進行しているから、深刻度は増しているのではないか。 「寒風に少女はつよき言葉持つ 右城暮石(高知県出身の俳人」  倉坂鬼一郎は『元気が出る俳句』(幻冬舎新書)で「吹きすさぶ風の音にも負けず、少女は『つよき言葉』を発します。その懸命な声や表情から元気が伝わってくる句ですが、少女がどんな言葉を発したのか、伝えられることはありません。どこかが…

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1529 初雪にしてこんなに積もるとは 冬の歌を聴く

 まだ11月は1週間あるというのに、初雪が降り、数センチは積もった。わが家周辺は一面銀世界の様相を呈し、折角咲き始めた皇帝ダリアの花はしぼみ雪の重みで枝が折れそうだ。11月に雪が降り、しかも積もるなんて、驚くばかりである。  初雪にして一尺となることも 三村純也 北海道など、地域によってはこの句のような降り方もあるだろう。しかし、私が住む千葉で初雪がこんなに積もったのを見るのは初めてだ。これも気象変動の影響なのだろうか。 「雪」という歌がある。小学校で習い、覚えている人も多いだろう。作詞、作曲者とも不詳とされる名曲である。   1  雪やこんこ 霰(あられ)やこんこ  降っては降っては ずんずん積る  山も野原も綿帽子かぶり  枯れ木残らず花が咲く   2  雪やこんこ 霰やこんこ  降っても降っても まだ降りやまぬ  犬は喜び庭駆けまわり  猫は火燵(こたつ)で丸くなる  ここに出てくる「こんこ」の意味は、「降れ降れ」や「ここに降れ」「もっと降れ」など、諸説あるという。いずれにしても、雪が降ることを前向きにとらえているとみることができる。私が住む周辺では、昨冬は暖冬で積雪がなかった。それが一転して、今冬はこの有様である。だから「雪やこんこ」とは到底歌えない、というのが今の心境だ。  ネットには、この曲は「新世界より」(交響曲9番ホ短調)で知られるドボルザークの「聖書の歌」という歌曲集の「10番」ではないかという指摘もある。「10番」を聴いてみると確かに…

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1528 自然公園の晩秋風景 狙いはカワセミとカメラ老人

 かざす手のうら透き通るもみぢかな 大江 丸  立冬(11月6日)はとうに過ぎている。暦の上では冬なのだが、晩秋というのが実感である。木々の葉が赤や黄色に色づき、落ちる寸前の美しさを誇っているようだ。この季節、高野辰之作詞、岡野貞一作曲の「紅葉」という歌を思い出す人も多いだろう。105年前の1911年(明治44)から歌われている名曲である。なぜ、いまも歌い継がれているのだろう。  秋の夕日に照る山紅葉  濃いも薄いも数ある中に  松をいろどる楓や蔦は  山のふもとの裾模様  渓(たに)の流れに散り浮く紅葉  波にゆられて離れて寄って  赤や黄色の色様々に  水の上にも織る錦  作詞者の高野は、この3年後に「兎追ひし彼の山」でよく知られている「故郷」の詩も書いている。北信濃といわれる長野県豊田村(現在の中野市)出身である。猪瀬直樹は『唱歌誕生 ふるさとを創った男』の中で、「この詩(「紅葉」)が日本人に歌いつがれているのは、前半の賑やかなシーンと後半の散華のシーンをふたつに分け、コントラストを描き出しているせいかではないか」と解説している。  猪瀬は、さらにこう続ける。 「北信濃の四季は、頂点と谷底が明瞭なのだ。幾重にも連なる青い峰々が朧に霞んだ月をひきたてるころ、桜は満を持して蕾を膨らませている。山裾の渓流に浮かぶ紅葉のはかなさがきわだつ晩秋、愁えるいとまもなく豪雪が襲い、風景を一変させるのである」 「紅葉」の詩は、信越本線熊ノ平(昭和38年に廃駅)…

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