1952 自分の言葉・色で語りかける絵画 晩鐘からマスクまで

「詩人が何にもましてひどく苦しめられている欠陥物で、この世の屑ともいうべきものは、言葉である。ときおり詩人は、言葉を――というよりはむしろ、この粗末な道具を用いて仕事をするように生まれついた自分自身を本当に憎み、非難し、呪うことがある。羨望の思いで詩人は、画家や音楽家のことを考える。画家は自分の言葉である色で、北極からアフリカまでの人間すべてが等しく理解できるように語りかけることができるし、音楽家もまた同じように、その音ですべての人間の言葉を語り、あやつることができる」  

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1951 男たちはどんな顔? 険しく卑しくもの欲しげでずる賢くなっていないか

「男たちはいい顔をしているだろうか。女の目から見てどう映るか」。男にとって耳の痛いことを書いた文章を読んだ。では日本の首相、アメリカの大統領は、いい顔をしているだろうか。考え込まざるを得ないのは、私だけではないはずだ。逆に、ニュージーランドやフィンランドの女性首相は、まっすぐな瞳をした、品のあるいい顔をしている。    

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1950 散歩の途次にて 見上げる空に不安と希望が

「私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして坐した。その後半は黒板を後にして立った。黒板に向って一回転をなしたといえば、それで私の伝記は尽きるのである」。哲学者、西田幾多郎(『続思索と体験・続思索と体験以後』は、自身の半生をこんなふうに書いている。学問の道を貫いた人の、何とも簡潔な表現ではないかと思う。    

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1949 時無草~行く秋に

「時無草」(ときなしぐさ)という名前の草はない。詩人の室生犀星と友人の萩原朔太郎は、詩の中にこの言葉を使っている。季節外れに芽吹いた草のことを犀星がイメージして詩にしたといわれ、朔太郎も使った、造語といえる。つい先日、散歩の途中、枯れた雑草の中で、紫色の小さな花が咲いているのを見た。名前は知らない。私にとって、その花は時無草のように思えた。  

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1948 世界が疫癘に病みたり デフォーが伝えるペスト・パニック

 ロンドンが疫癘(えきれい)に病みたり、  時に1665年、  鬼籍に入る者(注・死者のこと)の数(かず)10万、  されど、われ生きながらえてあり。              H.F.  ダニエル・デフォー著/平井正穂訳『ペスト』(中公文庫)は、この短い詩で終わっている。  

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1947 政治は国民を指導し取り締まるもの? 辞書作りは盤根錯節

 時々、辞書の頁をめくる。結構面白いことが載っている。最近、アメリカの大統領選挙、日本の学術会議委員任免拒否問題が連日新聞に載っている。いずれもが政治ニュースだ。そこで、「政治」について辞書を引いてみる。中にはユニークな説明もあり、考えさせられる時間を送ることになった。  

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1946 朝焼けに向かう風見鶏 耳袋を外して音楽を聴く

 今朝は「朝焼け」が見えました。これは日の出間際の東の空が赤く染まる現象で、夏に多いため俳句では夏の季語になっています。近所の屋根の上の風見鶏が、この空に向かって何かを話しかけているような光景が目の前に広がっていました。少し足を延すと公園の木々の葉が赤や黄となり、芝生の緑とのコントラストに見とれてしまうほどでした。

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1945 トランプ氏は「魚を与える」人? 出典は何か

「トランプのやっていることを見ていると、『魚を与えるのではなく、魚の捕り方を教えよ』ということわざを思い出したよ」。テレビで米大統領選の投開票直前の特集番組で、白人男性がこんなふうに、トランプ大統領の4年間の政治について語っていた。含蓄のある言葉だが、出典は何だろうか。老子の言葉という説もあるが、裏付けるものはない。  

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1944 柿を愛する人は「まっすぐな道でさみしい」

 少し寒さが増してきているこのごろ。とはいえ、いい季節であることは間違いない。さすらいの自由律句の俳人、種田山頭火の句を読む。「何おもふともなく柿の葉のおちることしきり」。葉が落ちて赤い実だけの柿が目立つようになった。柿を含め、果物もおいしい季節である。山頭火が道端にある柿の木から実を取って、食べながら歩く姿を想像する。  

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1943 『里の秋』の光景 椰子の実の島の父思う歌

 朝のラジオ体操で第1、第2の合間に首の運動がある。その時のピアノ伴奏は季節に合わせた曲が多い。この秋、ラジオからよく流れるのは『里の秋』(作詞斎藤信夫、作曲海沼實)だ。母と子が囲炉裏端で栗の実を煮ている、というのが1番の歌詞。だが、2、3番はややそうした牧歌的風景とは異なる内容なのだ。なぜか。とりあえず、3番までの歌詞を読んでみる。  

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