1979「明日は明日の風が吹く」の日々 想像の旅へ出よう

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「明日は明日の風が吹く」の「明日」の読み方は文語的な「あす」ではなく、俗語風の「あした」だ。「明日のことなど何も分からない、そんな明日を心配しても始まらない」や「先のことを考えても仕方がない」という無責任、自棄的な意味がある一方で、「明日」という未来への期待があり、明日のことは明日の運命に任せて、今日の生活への努力をすべきだというのが原義ではないか(国文学者・池田弥三郎)という説もある。いずれにしても暗い話題が多い昨今、私はこの言葉を思い浮かべながら毎日を送っている。
 
 アルフレッド・ヒッチコックの映画『知りすぎていた男』の主題歌はドリス・デイが歌った「ケ・セラ・セラ」だった。この言葉はスペイン語由来の英語といわれ「なるようになるさ」という意味だそうだから、「明日は明日の風が吹く」と同義語と言えるかもしれない。面白い解釈で知られる新明解国語辞典(三省堂・第7版)には「『なるようになるさ』の意」に続き「世の中の物事はなるようにしかならないのだという、楽観的とも刹那的とも言える考え方」と出ている。ドリス・デイの歌声は懐かしい。歌い方は明るく「なるようになる」という投げやりなものより、どちらかといえば明日への希望を感じ取る。

 沖縄の言葉で「ナンクルナイサ」も「なんとかなる」「どうにかなる」という意味だそうだが、これ以上のニュアンスがあると仲村清司が『沖縄学』(新潮文庫)の中で書いている。「ナンクル」は「ひとりでに」とか「自然に」という意味があり、「ナンクルナイサ」は「くよくよと自分にとらわれなければ、おのずとなんとかなってしまうものだよ(だから、そんなに心配しなさんな)」と解釈できるというのだ。仲村は「あらゆる自己のはからい(自力)を捨てて、阿弥陀如来の本願を信じればおのずと救われるという親鸞の『絶対他力』の教えにも通じるような深い言葉だと思った」と、この言葉の深さに触れている。私は、まあ「大丈夫だよ」といった軽い言葉と思っていたが、そうではないようだ。

 手元に『旅に出たくなる世界地図』(帝国書院)という写真、イラスト・短い文章入りの地図がある。時々、適当に頁を開き、写真やイラストを見ながら「想像の旅」をする。映画『男はつらいよ』の主人公、寅さんは「風の吹くまま、気の向くまま」に旅をした。それは「明日は明日の風が吹く」的行動だった。私の想像の旅も寅さんに似ている。唐突だが、私はブッタ=釈迦にも「旅する人」のイメージを持つ。29歳で家を出たブッタは苦行、瞑想を経て35歳で悟りを開く。以後80歳で入滅するまでの45年間、伝道と布教の旅を続ける。旅の途中で食中毒を起こし、林の中で息を引き取るという経緯は、田口武男氏の『蘊蓄お釈迦様』(下記参照)に詳しいが、ブッタの足跡をたどることも、私の気ままな想像の旅に加えたいと思う。

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 『蘊蓄お釈迦様』

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