1923 刀折れ矢尽きた首相 現代の政治家が失ったこと

 本来なら有終の美を来年の東京五輪で飾るはずだった。だが、安倍首相は28日、辞任を表明した。持病の難病、潰瘍性大腸炎が再発したためだ。あと1年の任期を残しての辞任は、刀折れ矢尽きる状態といえるようだ。病によって精魂ともに尽き、政治のリーダーを続ける意欲がなくなったのだろう。(それほど懸命に政治に取り組んだとは思えない。取り巻きの官僚の言いなりになったにすぎないのではないか、裸の王様だった、という声も聞こえてくる)安倍政権の功罪は様々だ。私から見たら罪の方が大きい(うそが多かった)のだが、野党に力がないから次のリーダーも自民党の誰かがなるだろう。その条件は?

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1922 早朝の二重(ふたえ)虹 天まで続く七色の階段

「こんな美しい虹を見たのは初めて」「二重の虹はなかなか見られないよね」。朝6時前、雨上がりの北西の空に虹が出ているのを見た。しかも二重の虹である。散歩を楽しむ人たちは、束の間の自然界のパノラマに見入っている。何かいいことがありそうな、そんな自然界からの朝の贈り物だった。

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1921 金に頼る政治家たちへ 寅さんの怒りの口上が聞こえる

「天に軌道があるごとく、人はそれぞれ自分の運命というものを持っております。とかく気合いだけの政治家はうわべはいいが、中身はない。金を使えば何でもできると思っていたら、そりゃあ、間違いだよ。な、そうだろう」。暑い日々、家に籠ってぼんやりと新聞の川柳を読んでいたら、映画『男はつらいよ』の、寅さんの切れ味のいい口上が聞こえるような気がしてきた。そうか、金に頼って不正が発覚した政治家たちをいまいましく思って、寅さんは声を掛けてきたのだ。先月も寅さんに怒られる夢を見た。最近、どうやら天国の寅さんは地上の人間たちの行状にイライラしているのもしれない。                

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1920 旭川を愛し続けた人 少し長い墓碑銘 

「せきれいの翔(かけ)りしあとの透明感 柴崎千鶴子」 せきれいは秋の季語で、水辺でよく見かける小鳥である。8月も残りわずか。暑さが和らぐころとされる二十四節気の「処暑」が過ぎ、朝夕、吹く風が涼しく感じるようになった。晩夏である。遊歩道に立つと、写真のような透明感のある風景が広がっている。空には今日も雲がない。そんな空を見上げながら、北の地に住んでいた先輩の旅立ちを偲んだ。

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1919 近づく新米の季節  玄関わきに田んぼあり

 今年も新米の便りが届く季節になった。散歩中に、近所の家の玄関わきで稲を栽培しているのを見つけた。水田というにはあまりにも小さい。高さ約30センチほどのコンクリートで囲った、1坪程度の小さな田んぼだ。中の稲は元気に育って実をつけ、頭を垂れている。ままごとのような田んぼでも、猛暑による熱中症を恐れコロナ禍にたじろぐ私たち人間を尻目に、自然界は実りの秋へと少しずつ移行を始めていることに気づかされるのだ。

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1918 夏の風物詩ヒマワリ物語 生きる力と悲しみの光と影

 ヒマワリの季節である。8月になって猛暑が続いている。そんな日々、この花は勢いよく空へ向かって咲き誇っている。「向日葵の百人力の黄なりけり」(加藤静夫)の句のように、この黄色い花がコロナ禍の世界の人々に力を与えてほしいと願ってもみる。よく知られているゴッホの《ひまわり》の絵もまた、その力強い筆致でコロナ禍におびえる私たちにエールを送ってくれていると思いたい。

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1917 8年間に6000キロを徒歩移動 過酷な運命を生き抜いた記録

 今年5月、このブログで「今しかない」(埼玉県飯能市の介護老人保健施設、楠苑・石楠花の会発行)という小冊子を紹介した。この中に「「私の人生は複雑で中国に居たんです。抑留されて8年間いました。野戦病院だったから、ロシアの国境近くから南の広東まで6000キロ歩いて移動したこと、助け合いながら一緒に歩いた友達を思い出します」と書いた女性がいた。この女性が記憶を頼りに記した「中国抑留の記録」を読んだ。75年前の8月、突然それまでの人生が暗転し、それから8年間中国に残り、共産党軍(八路軍=人民解放軍)と行動を共にした記録である。「中国革命に参加して」という副題が付いた記録を読むと、過酷な運命と闘いながら懸命に生き抜いた若い女性の姿が蘇るのである。(やや長いが、お付き合いください)

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1916 別れの辛さと哀しみ 遠い空へと旅立った友人たちへ

    私らは別れるであらう 知ることもなしに   知られることもなく あの出会つた   雲のやうに 私らは忘れるであらう   水脈のやうに         (立原道造詩集「またある夜に」より・ハルキ文庫)  梅雨が明けたら、猛烈な暑さが続いている。そんな日々、友人、知人の訃報が相次いで届いた。人生は出会いと別れの繰り返しだ。そんなことは百も承知だとしても、懐かしい人たちとの別れは辛くて、悲しい。彼らは遠い空へと旅立った。  Aさんは、環境問題を専門に取材した。たばこの煙がもうもうする中で、彼よりも若い記者と2人で嫌煙権を主張した。当時の120人近い記者集団の中では異質だったが、Aさんの行動は正しかった。年末になると、宮崎の知り合いから車海老を取り寄せる注文を取った。多くの部員がそれを楽しみにしたことを忘れない。記者をやめた後、故郷の北海道に帰り、そばを作り、琉球空手を教えた。ひげを伸ばした姿を見ると、私はアイヌの人々を連想した。物静かな先輩だった。  Bさんは、防衛問題の専門記者だった。心優しく、悪を憎んだ。粘着質という言葉は彼のためにあると、私は思ったことがある。現在、もしこんな気骨がある人が記者活動をしていたら、現政権に激しく立ち向かったと想像する。足で稼ぎ、きちんとした論理を構成した質問に、官房長官もたじたじしたに違いない。晩年、病魔との闘いの連続だった。神が存在するなら、なぜ彼にこのような試練を与えたのか、答えを聞いてみたい。  Cさんは、ある政治家の孫…

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1915 20年後の新聞 紙の媒体は残るのか

「20年後も(新聞が)印刷されているとしたら、私には大変な驚きだ」。アメリカの代表的新聞であるニューヨーク・タイムズ(NYT)のマーク・トンプソン最高経営責任者(CEO)の発言を聞いて、驚く人、悲しむ人、当然だという人……さまざまな感想があるだろう。私は思う。というより願いである。新聞は必ず残る、と。でも、それは神のみぞ知るである。  トンプソン氏はCNBCテレビ(米国のニュース専門放送局)のインタビューで冒頭のような言葉で、20年後に紙の新聞はなくなることを予測した。報道によると、NYTの契約者数は6月で84万部。コロナ禍によって広告収入が半減したが、デジタル(電子新聞)での契約数は570万になっていて、この4~6月期の売り上げはデジタルの方が紙媒体よりも上回ったという。米国やオーストラリアで地方紙が廃刊に追い込まれたニュースも目にした。新聞業界には今、猛烈な逆風が吹いているのだ。  ドイツ出身の金細工師であり、印刷業者だったグーテンベルクが印刷に改良を加え、活版印刷を発明したのは15世紀のことである。活版印刷は紙媒体の発達に多大な貢献をし、新聞の発行部数増、発達にも寄与した。そして、今ライバルとして登場した電子媒体によって、紙媒体は苦戦を強いられ、NYT・CEOのような紙媒体の衰退を予測する人も少なくない。  世界ではコロナ禍による広告の激減が新聞経営に大きな打撃を与え、日本の新聞も例外ではないと思われる。日本新聞協会によると、日本の新聞発行部数は2019年が3781万124…

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1914 核の脅威依然減らず 安らかに眠ることができない時代

「安らかに眠るに核は多すぎる」 小栗和歌子さん作のこの川柳は、1975年9月号の「川柳 瓦版」に掲載されたものだ。「安らかに眠る」とは、広島の原爆慰霊碑(1952年建立)の碑文「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」(雑賀忠義広島大学教授が揮毫)にあり、よく知られている言葉だ。広島に続き、長崎に原爆が投下されて75年。この川柳から45年を経ても世界の核廃絶は一向に進まない。  6日の原爆の日。慰霊式典での松井広島市長の平和宣言と安倍首相のあいさつは、今年もかみ合わなかった。市長は平和宣言の中で国連の「核兵器不拡散条約」(NPT、1970年発効)と核兵器禁止条約(2017年に成立)について触れ、共に核兵器廃絶に不可欠な条約であり、日本政府には核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかり果たすためにも核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いを受け止めて、この条約の締約国となるよう訴えた。これに対し安倍首相は、「立場の異なる国々の橋渡し役に努め、各国の対話や行動を粘り強く促し、核兵器のない世界実現に向けた国際社会の取り組みをリードしていく」と述べたものの、核兵器禁止条約には全く触れなかった。  この条約は「核兵器の使用によって引き起こされる壊滅的な人道上の結末を深く懸念し、そのような兵器全廃の重大な必要性を認識し、廃絶こそがいかなる状況においても核兵器が二度と使われないことを保証する唯一の方法である」とし、開発から使用まで全面的に禁止することを目的にしている。2017年7月7…

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1913「 シンプルに生きる日々」 作家のような心境にはなれない

 この時代をどう見るか。それは世代によっても、これまでの人生経験でも違うかもしれない。コロナ禍が世界各国で日々拡大し、死者が増え続ける事態に人類が試練に直面していると思う。私のこうした焦りは、戦争という修羅場を体験していないのが原因なのだろうか。作家の沢木耕太郎は「みんながこの状況を過度に恐れすぎている」と、「Yahoo!ニュース 特集編集部」のインタビューで答えている。だが、私は沢木のような心境にはなれない。  沢木がインタビューに答えたニュースを読んだ。『深夜特急』でノンフィクション作家としてデビューした沢木は、この分野だけでなく小説も手掛け、幅広い活動を続けている。冒頭の言葉の背景には、『深夜特急』の旅があるという。インドという混沌の国を歩いた沢木は、同書で以下のように書いている。「そのうちに、私にも単なる諦めとは違う妙な度胸がついてきた。天然痘ばかりでなく、コレラやペストといった流行り病がいくら猖獗(しょうけつ)を窮め、たとえ何十万人が死んだとしても、それ以上の数の人間が生まれてくる。そうやって、何千年もの間インドの人々は暮らしてきたのだ。この土地に足を踏み入れた以上、私にしたところで、その何十万人のうちのひとりにならないとも限らない。だがしかし、その時はその病気に『縁』があったと思うべきなのだ」  コロナ禍の中で、沢木は仕事中心の生活を送っていると述べた後「語弊があるかもしれませんが、ごくごくシンプルに、大したことではないんじゃないかなと思う」「仮に僕が、この新型ウイルスにか…

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1912 電動でもペダルを漕いで! 2020年夏の小話

 「電動自転車というのに、ペダルを漕がないと動かないのかねえ?」 「乗るだけでは動きませんよ。バッテリーのスイッチを入れ、ペダルを漕ぐ必要があります」  このところ急速に普及している、いわゆる「電動自転車」をめぐる落語のような話を聞きました。新型コロナによって暗いニュースが続く中での笑い話のようにも思えますが、私自身の失敗を思い出させるやり取りでもありました。  先日のことです。ことし購入した電動自転車を点検してもらうため、自転車店に行きました。私の前に同じ電動自転車を押した高齢の男性が入って行き、店の人とやり取りを始めましたので、私の耳にも入ったのです。電動自転車は正しくは電動アシスト自転車といい、充電式のバッテリーを搭載し、ペダルを漕ぐ力を手助けしてくれるますので、走行が普通の自転車よりかなり楽になっています。そして、高齢の客と自転車店の店員のやり取りは次のように続いたのです。(以下、客と店で表記)  客「電動というからには、何もしなくとも動くと思っていたんだ。でも、動かないからペダルを漕いでみたら、重くてねえ。普通の自転車より疲れるよ」  店「それはバッテリーのスイッチを入れないからですよ。スイッチを入れてからペダルを漕ぐと、軽く進みますよ。お客様。ここのスイッチは入れていましたか。(ハンドル左側のバッテリーの電源スイッチのこと)入れてない! ほら、この電源を押してペダルを漕ぐと楽になりますよ」  客「この自転車を買ってから1カ月経つけど、走るのに重くて大変だった。ペダル…

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