1902 手塚治虫が想像した21世紀 「モーツァルトは古くない」

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「鉄腕アトム」の作者、手塚治虫(1928~1989)は、21世紀とはどんな世紀と考えていたのだろうか。「原子の子、アトム」というキャラクターを漫画に描いた天才だから、私のような凡人とは異なる世紀を夢見ていたに違いない。人類を苦しめる新型コロナウイルスの出現まで考えていたかどうか知る術はないが、手塚なら救世主を生み出したかもしれないと思ったりする。

「このオペラが21世紀にたとえ火星上で、人工太陽の照明のもとに地球植民地歌劇団によって演ぜられても決して古くないと信じる」。これは『音楽の手帖 モーツァルト』(青土社)に「フィガロの結婚と私」と題して、手塚が寄稿したエッセーの中に出てくる言葉である。

 このエッセーの中で、手塚はフィガロの結婚とロッシーニの「セヴィリアの理髪師」について「すべてが天下太平で、幸福感に充ちている」と記したあと、「フィガロの結婚」に関し冒頭のような評価をし、「それはモーツァルトの音楽が古典などを通り越して永遠だからで、その理由はやはり驚異的なオリジナリティをふまえたポピュラリティ(大衆性)だと思う」と続けている。手塚は子ども時代、宝塚歌劇団のある兵庫県宝塚で育ち、小さいころから男装の麗人が出てくる歌劇には慣れ親しんでおり、アニメ『リボンの騎士』の主役は男装の麗人である「フィガロの結婚」のケルビーノをモデルにしたという。

 手塚の「フィガロの結婚」への思い入れは相当強いことがこのエッセーで分かるのだが、それはさておき、20世紀の終わり近くに死んだ手塚は、その後の人類の科学の進歩をどこまで信じていたのだろう。20世紀は人類が宇宙に目を向けた世紀であり、21世紀中には人類が火星に住み、人工太陽が輝いていると想像したとしてもおかしくない。そこで「フィガロの結婚」が演じられて、聴衆に新たな感動を与える。それほどモーツァルトの作品は、時代が変わっても新鮮さを失わないということを手塚は伝えたかったようだ。

 現在の地球は新型コロナウイルスが猛威を振るっている。そんな現実の中で、火星に人が住み、演奏会が開かれる日が近いと想像することは難しい。後世、21世紀の明と暗の代表的なものはどんな出来事になるのかまだ見当がつかない。それはそれとして――。以下の詩のような思い出を持っている人は少なくないだろう。

 中学の音楽室でピアノが鳴っている。
 生徒たちは、男も女も
 両手を膝に、目をすえて、
 きらめくような、流れるような、
 音の造形に聴き入っている。
 外は秋晴れの安曇平、
 青い常念と黄ばんだアカシア。
 自然にも形成と傾聴のあるこの田舎で、
 新任の若い女の先生が孜々(しし、一生懸命に)として
 モーツァルトのみごとなロンド(輪舞曲)を弾いている。
                       (尾崎喜八『田舎のモーツァルト』)

 新任の若い先生のピアノを聴いた生徒たちは、手塚と同様、大人になってもモーツァルトに親しんでいるに違いない。多くの人が似たような経験をしている。私もその一人である。

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