1887 蘇るか普通の日常 絵と詩に託す希望の光

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  私の自宅前の遊歩道を散歩する人が少なくなったように感じる。昨25日、政府が新型コロナウイルスに関して北海道、埼玉、千葉、東京、神奈川の5都道県の緊急事態宣言を解除することを決め、長い間自宅勤務をしていた人たちが出勤したためだろうか。公園の人影もまばらになった。こんなとき体操仲間のNさんが体操広場の風景を描いた水彩画を見せてくれた。見慣れた風景である。コロナ禍が早く収まり、平凡な日常風景が戻ってほしいという祈りが込められているような1枚の絵に、心が和むのである。

 アート小説という、絵画をテーマにした多くの作品を手掛けている作家の原田マハさんの「いちまいの絵』(集英社新書)という本に、以下のようなことが書かれている。

《1枚の絵はあるときは祈りの対象であった。またあるときには欲望の権化であった。そしてまたあるときには、革命であり、マニュフェストであり、魂の叫びであった》

 確かに、人は1枚の絵を見て、様々な感懐を抱く。その人の境遇や取り巻く環境、感受性によって違いがあるのは当然だ。突然思いもよらぬ形でやってきた新しいウイルスに遭遇し何かに祈りたいという思いがあったとき、この絵に接した私は、つい祈りを感じたのだ。この絵の作者のNさんは以前、反対方向からの絵を描いた。今回は花壇をメーンとして、後方にマロニエの木が左右対称にあり、さらに一番後方真ん中にもマロニエの木を描く遠近技法によって絵を仕上げている。完成までに約3週間要したが、日々花が成長し変化する花壇の様子をどう描くかに苦労したという。Nさんもまた、この絵を描きながらコロナ禍の収束を祈り続けたのだろうか。絵の右下には「公園の初夏を彩る花壇かな」という句が記されている。

『薇』(『薇』は薔薇=バラの薇、またはゼンマイの漢字ですが、『微』のかすかでひそかな意に草冠を付けたことで、生成の動きが表せたと思います=創刊号編集後記より)という詩誌の22号が届いた。埼玉と千葉在住の同人7人の詩と「小景」と題した短いエッセイが載っている。編集を担当している秋山公哉さんの後記は「強風にサクラが舞っている。花に嵐とはよく言ったが、今年の嵐はコロナウイルスだ」という書き出しだ。さらに後記の中に「新聞のコラムで『やすらえ、花や』(ブログ筆者注・4月2日付毎日新聞のコラム余録)というはやし言葉を知った。昔の人は舞い散るサクラが疫病神を四方に散らすと考え、花を鎮める神事が各地の神社に伝わっているのだそうだ。花もウイルスも地球上に生まれた生命。退治するのではなく、人と等しく共存を図らなくてはならないのだろう」という言葉がある。

 秋山さんが書くように、花もウイルスもこの地球に生まれた生命で、人類もその一部である。これまでの歴史は常にウイルスとの闘いであり、おびただしい人命が犠牲になった。新型コロナには既に世界で約549万人が感染し、約34万6000人を超える死者が出ている(米ジョンズ・ホプキンス大学、日本時間26日午後1時現在)。日本政府が緊急事態宣言を解除したからといって、世界的流行は当分収まりそうにない。まさにウイルスとの共存状態が続くことになる。日本にこの後第2波、第3波がやってくるという不安は消えない。

 秋山さんは最後に「願わくは、詩の言葉がその一助になるように、現実の力にはなれなくても優しい言葉でありたい」と記し、後記を結んでいる。秋山さんの書き方は謙遜だと思う。芸術や文化は、人間の弱った心を癒し、生きる希望や力を与えてくれるのだ。Nさんの絵を見、『薇』の同人たちの詩を読んで、沈みがちだった私の気持ちが晴れてきたことを記しておきたい。

 
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 写真
 1、体操仲間の絵
 2、モデルの花壇を中心にした体操広場
 3、人影が消えた散歩コースの公園

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