著者は元共同通信社の社会部記者である。現役時代、粘り強い取材で知られていた。その片鱗がこの本にも生かされている。学術書といっていいほど多くの資料(中でも岩波書店の辞書「広辞苑」が多用されている)を駆使し、釈迦の生涯を多彩なエピソードを交えながら、硬軟織り交ぜ分かりやすく描いている。例えば「いろはうた(伊呂波歌)」の由来=涅槃経の偈(げ。経文で仏徳をたたえ、教理を説く詩のこと)の和訳、村上春樹の『ノルウェーの森』に出てくる般若心経の中の言葉など、著者の幅広い知識がこの本で随所に見ることができるのが楽しい。また、仏教に関する言葉の意味を知るうえで辞書的役割を果たすはずだ。
しかし、この本は単なる釈迦の紹介本ではない。釈迦をめぐる人物に対する見解も注目に値する。中でも、伝奇小説「西遊記」の中心人物に描かれている唐僧、三蔵法師(玄奘=げんじょう)に対する著者の見解は厳しい。例えば、釈迦=ブッダ生誕にまつわる言葉として玄奘が紹介したといわれる「天上天下唯我独尊」(ブッダは生まれた直後に、北に向かって7歩進んで立ち、右手を天に、左手を地に指して、宇宙間に私より尊い者はないと宣言した、という)について、この本では「盗用」という見解を記している。詳細は省くが、玄奘は中国呉時代の僧、支謙の句「天上天下唯我為尊」のうち「為尊」を「独尊」に一字直して盗用したのだと著者は記し、「玄奘は皇帝から翻訳場と多数の訳経僧を提供され、国家的プロジェクトとして多くの仏典を漢訳します。中でも『大般若経』が有名です。興味深い旅行記によって『天上天下唯我独尊』も流布しました。しかし梵文原典からの引用ではなく、古い漢訳からパクリだったということを知ったら『インド人もびっくり』です。いえ、天国にいるブッダも苦笑いでしょう」と批判している。「西域・インド旅行では果敢に行動した玄奘が意外や、翻訳や著述に関しては姑息なことをする僧だったとは」とも書いている。
冒頭の「ぎゃてい、ぎゃてい、ぎゃてい、ぎゃてい、はらぎゃてい……」は「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸によく往ける者よ、悟りよ幸あれ」という意味だ。ヘッセと同じくクリスチャンである著者の「私は仏教とキリスト教の二重国籍者なので最後は十字架に思いを馳せ、涅槃へ歩むことになるでしょう」というあとがきがいい。こうした柔軟な宗教感覚がないから、国際社会の混迷が続いているのだ。わがままを言わせてもらえば、この電子書籍を紙の本で読みたいと思う。
最近、たまたま成道会(じょうどうえ、臘八会=ろうはちえ、とも)について耳にした。悲しい話である。成道会については、当然この本でも詳しく触れられている。近所のご主人が急死した。長男は禅宗の僧侶で名前を聞けば、多くの人に知られた寺にいる。この寺では12月1日から成道会が行われていた。成道会は釈迦が瞑想を始めて悟りに到達した日(12月8日)に行う法会だが、近所の家出身の僧侶がいる寺では12月1日から8日間座禅の成道会を行うのが恒例で、法会に参加していた彼は最終日に父親の悲報を聞いた。釈迦が悟りを開いた日に父親の死の急報。予期せぬことだったから、僧侶になってかなり修行したとはいえ「動揺した」と言うのは当然のことだと思う。彼にとって成道会は生涯忘れることができない1日になったのだ。
以前、ヘルマンヘッセ(高橋健二訳)の『「シッ ダールタ」』(新潮文庫)という作品を読んだことがある。釈迦と同名の主人公は、仏門の途中ブッダと出会い、悟りに達していることを認めつつ弟子にはならずに一般社会に戻り、遊女を知り、事業にも成功する。しかし、心は虚しく、すべてを捨て旅に出、川の渡し守に弟子入りする。その後年老いて悟りの境地に達する、という物語である。当時、釈迦について知識はほとんどなかった。だが、今回、電子書籍を読み終えて、ヘッセの本を読み返したくなった。
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