1838 事実の記録に徹する 日航ジャンボ機事故を追跡取材した記者

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 世の中で起きている様々な事象は「事実」と「真実」がある。手元の広辞苑には「事実」は「実際に起こった事柄」とあり、「真実」は「表現されたものの内容にうそ偽りがないこと。また、本当のこと。偽りのないものと認識された事柄。特に、物事の奥深くにひそむ本質的な事柄」と記されている。最近、「日航ジャンボ機事故は謀略か?」と題する講演を聞いて、冒頭の2つのことについて考えさせられた。

 講演したのは、昨年夏『日航機123便墜落 最後の証言』(平凡社新書)という本を出版した共同通信外信部(次長)の堀越豊裕記者だ。1985年8月12日、乗客509人、乗員15人の計524人が乗った日本航空のボーイング747機(いわゆるジャンボ機)が群馬県御巣鷹の尾根に墜落、520人が亡くなった。単独機では史上最悪の航空機事故といわれるが、米側関係者らへのインタビューを基にこの惨事の原因に焦点を当てたのがこの本だ。事故発生当時、社会部に属していた私もこの事故の取材かかわり、記者生活の中でも忘れることができない取材の一つになった。

 運輸省(現在の国土交通省)に設置された航空機事故調査委員会の最終報告書は、この事故について概略以下のように推論している。該当のジャンボ機は、御巣鷹に墜落する7年前、大阪空港(伊丹)に着陸の際、機体後部の下部を滑走路に接触させるしりもち事故を起こしていた。この事故によって、後部圧力隔壁の下半分が壊れた。ボーイング社の修理チームが修理に当たったが、圧力隔壁の全体を交換せず、下半分だけを新しいものに替え、古い上半分とリベット接合した。この接合が不十分だったため、強度が不足して圧力隔壁が破断し、客室から噴出した与圧空気によって内圧が急激に高まり、垂直尾翼が吹き飛び、油圧配管(4系統全部)も全損し操縦不能になった、というのである。

 堀越記者は事故当時高校生だったから事故の取材とは縁がなかった。その後共同通信に入り、外信部記者としてニューヨークとワシントン支局に在籍した。米国では航空機事故が多発し、ハドソン川の奇跡といわれるUSエアウェイズ1549便不時着水事故などもあり、航空機事故への関心が強くなったという。さらに日航ジャンボ機事故から30年(2015年)という節目には、国内の前橋支局の若い記者と連携しながら米国での関係者の取材を担当した。

 その内容は詳しく本の中で紹介されているので、ここでは省くが、米運輸安全委員会(NTSB)のシュリード元調査官、ボーイング社のシュロンツ元社長、米司法省の元検事のキャンドラー弁護士らへのインタビューで幾つかの注目すべき発言を引き出す。例えば日本側が公表する前にニューヨーク・タイムズに墜落の原因は「修理ミス」との記事出たのだが、これは事故が固有の問題で同型機への安全性をアピールするため意図的にリークしたという証言のほか、来日した調査チームの米大使館での打ち合わせで修理ミスが発表されると、ボーイングの担当者は泣いていたなど、事故=修理ミス説を裏付ける内容が関係者の口から語られる。

 本を書くに当たって、当然ながら国内取材もやり、自衛隊による謀略という推論を本にまとめた著者にもインタビューしている。そうした取材を重ねた堀越記者は、講演で「謀略論は非科学的で、そうした本はノンフィクションとして排除すべきだ」と語った。堀越記者は本の中で「事故原因をめぐってはいまだに諸説がある。だが、事故機を造り、修理ミスを犯し、事故調査に深く関与した米国側で聞いて回ると、圧力隔壁主因説以外には考えにくい。米国側の認識を知ってもらうことで、撃墜・誤射説までもが浮上する現状に終止符が打たれればいいと願う」と記した。

 だが、講演後の質問で謀略論を信じているかのような聴衆の発言もあった。日航ジャンボ機が御巣鷹に墜落したのは事実である。ただ、この事故の「奥深くにひそむ本質的な事柄」=ここでは事故の原因、真相解明が果たして十分だったのかと、思わざるを得ない。群馬県警による捜査も米側の協力が得られず、ボーイング社の修理担当者さえ特定できなかった。業務上過失致死傷容疑で日航や運輸省関係者20人を書類送検したものの、全員が不起訴となり、結局あれだけの犠牲者を出した事故なのにだれもが刑事責任を問われなかったのだ。謀略論の本が売れるのは、そうした背景があるのではないか。真実は事実を積み上げたうえで解明されるものだ。残念ながら事故調の調査、群馬県警の捜査は事実の積み上げが足りなかった。国の壁を超えることはできなかったのだ。

 1966年に日本で短期間に3つの航空機事故が続いた。この連続事故を『マッハの恐怖』(フジ出版社)という記録にまとめ、大宅ノンフィクション賞を受賞した柳田邦男は、作品初めの「著者ノート」で「事故死――それは、たった1人の命であっても耐えがたくつらいことであるのに、133人もの命が瞬時に消えてしまったのだ。しかもそれだけではなかった。犠牲者は64人、さらに124人とつづいたのだ。一体どうしたというのだろうか。まるで狂ったような事態の中から、ひとりの記者として何をつかみだせばよいのか、私の感情は昂ぶり困惑した。そうした中で、私にできたこと、それは氾濫する感情をおさえて、事実の記録に徹することからはじめることであった」と書いている。堀越記者の本も、同様に事実の記録に徹したものだといえる。こうした取材姿勢の記者が存在するメディアは、フェイクニュースとは無縁である。(注・関西電力高浜原発をめぐり、関電幹部らが福井県高浜町の元助役から金品を受け取ったというスクープをしたのは堀越記者が勤務する共同通信社である)

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