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zoom RSS 1772 大聖堂火災で歴史遺産を考える 世界の人の目は

<<   作成日時 : 2019/04/18 10:56   >>

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 パリの世界遺産、ノートルダム大聖堂(寺院)で火災が発生、尖塔が崩壊するなど、大きなダメージを受けた。フランス各界や海外からこれまでに1000億円を超える寄付の申し出があり、フランスのマクロン大統領は、5年で再建を目指すと語った。大聖堂がパリのシンボルだったからこれほど大きな話題を集め、人類の歴史の中で作り上げられた文化遺産がいかに貴重であるかを考える機会にもなった。

 キリスト教については門外漢であり、大聖堂についての知識はほとんどない。以前、イギリスの作家、ケン・フォレットの長編小説『大聖堂』(前編と後編で全6冊)を読んだり、旅行でノートルダム大聖堂を含む著名な大聖堂を見たりして、キリスト教関係者にとって大聖堂はかけがいのない存在だと、少しだけ理解したつもりだが……。

 ノートルダムは、フランス語で「われらの貴婦人(聖母マリアのこと)」という意味だそうで、この名前の大聖堂は各地にあり、大学も何校か存在する。手元の西洋建築史の本を見ると、フランスのパリやランス、アミアン、ランのノートルダム大聖堂は12世紀後半から15世紀まで続いたフランス発祥のゴシック建築様式の理想形だという。マクロン大統領はパリの大聖堂を5年で再建すると言明した。しかし5年といえば突貫工事である。そうした理想の様式を短時間で再現できるのだろうかと、疑問に思う。

 今回は火事による被災だったが、これまでに多くの文化遺産が戦争によって危機にさらされた。ユーゴ内戦によって赤い屋根が並ぶクロアチア・ドブロブニク旧市街の美しい街並みが破壊され、カンボジアのアンコールワットも同様だった。近年ではイラクのハトラ遺跡がISによって攻撃され、シリアのパルミラ遺跡も内戦とISの攻撃によって被災した。

 ドブロブニクやアンコールワットは国際的支援の輪によって復旧し、世界から多くの観光客が詰めかける観光スポットになった。その一方で観光客があふれてしまい、入場制限を余儀なくされる事態になっているという。

 文化的遺産を国際的協力で救済する運動は1960年代、エジプトのアスワン・ハイ・ダム建設により、ダム湖に水没するヌビア遺跡を救済しようというユネスコの提唱で始まった。この後、ストックホルムの国連人間環境会議(1972)で危機に瀕する自然遺産保護の決議、ユネスコ総会の「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)」の採択(1972)と発効(1975)へと続き、多くの世界遺産が誕生した。その一方で、これがなぜ世界遺産かという?マークの付く遺産もある。

 世界遺産が人類にとって貴重な存在であることは言うまでもない。ノートルダム大聖堂再建にこれだけの寄付の申し出があるのはその証でもあるだろう。私はそんなニュースを見ながら、難民や貧困にあえぐ人々にもう少し世界の目が向いていいのではないかと思ってしまうのだ。

 
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写真1、焼失前の大聖堂(筆者撮影)
2、近所の公園でたわしのような白い花が咲いた「ウワミズザクラ」
(バラ科、ウワミズザクラ属。北海道から九州に分布する落葉高木。つぼみの塩漬けを杏仁子と呼び、酒の肴にする。実は果実酒=NHK出版「里山の植物ハンドブック」より)
3、たわしのような花

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