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zoom RSS 1727 日韓草の根交流半ばの死 ある記者の思い出 

<<   作成日時 : 2018/11/22 09:40   >>

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 日韓関係が危うい。韓国大法院の元徴用工に対する賠償判決、そして日韓両政府の合意で設立された慰安婦問題に対応する「和解・癒し財団」の韓国政府による解散表明は、嫌韓日本人を増加させている。こんな現状を見るにつけ、私は今年夏にこの世を去った一人の記者を思い出す。草の根交流を実践した人だった。

 この人は、共同通信の元記者の備前猛美さんである。8月19日、現代では高齢とは言えない69歳で亡くなった。以前、胆管がんという難しいがんを手術し、病を克服したはずだった。大分の支局長を2回務め、自身は秋田出身なのに九州をこよなく愛した。社会部記者として警視庁捜査一課や厚生労働省を担当し、健筆を振るいながら、ダジャレ(オヤジギャグ)を連発する、ユーモアに富んだ人だった。

 その備前さんがある時、韓国の文化賞をもらうことになりましたと言ってきた。そんな賞があることを彼は知らなかったそうだ。だから、それを聞いた私も当然、「何それ?」と思った。詳しい話は当時聞かなかった。だが最近、彼が書いた文章を読んでようやく経緯が分かった。草の根交流を実践してきたことに対する授与だったのだ。それは、彼と奥さんが一緒になって続けた無償の行動が認められたものだ。

 以下に備前さんがこの文化賞受賞について書いた一文を掲載する。

《2010年初冬の韓国。ソウルのホテルの大会議場で、政財界、文化、スポーツ関係者約千人を集めて「第17回韓日文化交流会」が開かれた。韓国の民間団体「韓日文化交流センター」(姜星財代表)の主催。メーンイベントの「文化賞」授与式で、私は日韓の12人とともに檀上に上がり、記念のトロフィーをいただいた。
 なぜ、私に。授与の知らせは突然の国際電話だった。同センターも、賞の存在も知らない私はその説明を聞くのに約5分。受賞理由を聞くのにさらにその2倍もの時間がかかった。日本側の受賞者はほかに川原秀城東大教授(現在は名誉教授。中国思想研究者で専門は東アジア儒学の研究)、ラモス瑠偉サッカー元日本代表ら。受賞式前夜にソウルで合流し、韓国料理店で前祝いをしたが、皆「当たり前のことをやってきただけ」を連発。それでやっと自分も受賞していいんだな、と納得したものだった。
 韓国とのご縁ができたのは15年前。ソウルの企業から都内の大学に社費留学していた実業家が、たまたま拙宅近くにウイークリーマンション住まいをしていて、某日、街頭で家内に「日本語を教えてほしい」と声掛けしたことがすべての始まり。そして、留学を終えて帰国した彼と親交は続いていた。ソウル東部の国鉄・地下鉄が交差する駅の複合ビル建設を彼が手掛け、今秋(2011年秋)、ついにグランドオープンする。「東京でお世話になったことが生きた」と感謝されている。
 また、釜山から関西の大学に入学した学生の身元保証人を引き受けたり、NHKの韓国語講座テキストにエッセーを連載していた方の原稿の校閲・添削、交流事業で来日した韓国視察団の報告書の添削など、できる範囲で微力を注いできた。いわば極小のお手伝いだ。文化賞授賞式当日、折しも同じソウルでG20サミットが開催されていた。私たちとは対極の極大の国際会議。外交は、時として国家間の障壁を一気に取り払うダイナミズムがある。日韓の文化開放もしかりだ。しかし、その底流に、市井の生活者たちの、知られざる気持ちの通い合いのようなものがあることも忘れてはならないだろう。 
 とまれ、翌日の「朝鮮日報」には文化賞授賞式とG20の記事が仲良く?掲載された。お土産にどっさり買い込んで帰国した。これで、老後が忙しくなった。体力、気力が続く限り日韓の草の根交流に奔走する覚悟だ。》

 現代の世界は「自分の国が1番」というトランプ流の政治がまかり通り、国際関係は難しい時代になっている。隣国韓国との関係も、ギクシャクとした状態が続いている。備前さんは溝が深まる日韓関係を憂慮しながら旅立ったのではないだろうか。彼は今年に入って体調を崩し、入退院を繰り返していたが、8月初めに退院し自宅で最期の時間を送ったそうだ。遺骨は大分の別府湾に散骨を望んでいたという。元記者の彼は、昨今の新聞に対して厳しい目を向けていた。ある会報に「新聞がおかしい 気概はあるのか」という文章を寄せたこともある。この中で彼は「最近の新聞にファイティングポーズ(戦う姿勢)が感じられない」と、後輩記者たちの奮起を促した。

 備前さんは私たちに一つの生き方を教えてくれた。それは「一番大切なことは単に生きることそのことではなくて、善く生きることである」(プラトン・『ソクラテスの弁明・クリトン』より)ということではないだろうか。(過日、元同僚たちと会い、備前さんの思い出話をした。このブログは備前さんへの追悼記です)

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