1654 坂の街首里にて(4)「全身詩人」吉増剛造展を見る

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 吉増剛造は「全身詩人」と呼ばれている。変わった呼び方だが、沖縄県立博物館・美術館で開催中の「涯(ハ)テノ詩聲(ウタゴエ) 詩人吉増剛造展」を見て、合点がいった。言葉としての詩だけでなく、写真や映像、造形まで活動範囲は広く、沖縄にも接点があるという。

「毎年のように初夏、今年は盛夏に、沖縄を訪ねるようになって、ラジオからながれてくる沖縄の深い歌声を聞くことに、乾いた耳を、鼓膜を、すこし濡らすようにしている。それでも、その鼓膜の渇きにも微妙な変化があって、八重山の古謡に耳をすまそうとしているその耳の奥で次にくる歌声をさがしているらしい」(『螺旋歌』「キングランドリーの御主人渡久地さんが、……」より)

 このように活字化された詩のほかに、活字化される前に様々な土地での体験や考えを書き入れた原文集も展示され、詩人の苦闘の跡がうかがえる。吉増はフィルムカメラでフィルムを1本撮影した後、それを巻き戻して再びカメラに入れて撮影を繰り返すという多重露光写真の手法で日本や世界を回った。その結果、異なる場所が一枚の写真となり、不思議な空間が生み出されたことでも知られる。那覇、普天間、コザなど沖縄各地で撮影したものに、他の地域の光景を重ね合わせた写真も展示されている。

 新聞のコラムには「捉えがたい沖縄の姿に真摯(しんし)に向き合う姿勢が伝わる」(沖縄タイムス)という紹介があったが、凡人の私には写真の意味するところがよく分からない。あえていえば、米軍基地問題が混沌としたままの沖縄の過去、現在、未来の姿を写し出そうとした意図が込められているのかもしれない。

 吉増の作品に影響を与えたといわれる関連の展示にも、私は興味を覚えた。例えば写真家の中平卓馬、森山大道、荒木経惟らの作品も展示され、作家の中上健次の原稿もあった。びっしりと原稿用紙を埋め尽くした文字群は異様に見えた。作家、島尾敏雄の原稿や写真、萩原朔太郎の原稿、石川啄木の手紙と原稿、芥川龍之介の河童の書画、芭蕉と蕪村、良寛の掛け軸と書などからは、吉増の芸術家としての知的好奇心の旺盛さを感じた。
 
 沖縄県立博物館・美術館(那覇市おもろまち)は博物館と美術館が複合したもので、2007年11月にオープンした古い城をイメージさせる建物だ。もともと博物館は首里にあった。しかし老朽化したため現在の地に移転し、同時に美術館が併設されたのだそうだ。私は美術館で吉増展と常設展を見た後、博物館にも入った。双方とも小中学生が入館していて、興味ある展示の前でメモをする姿が目についた。沖縄の子どもたちは、解釈が難しい吉増の詩や写真を見て、どのように思い、感じたのだろう。感受性の強い子どもたちだからこそ、吉増の芸術を受け止めたのではないだろうか。(続く)

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