1246 憂鬱な季節でも 梅雨には読書を

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 気象庁主任技術専門官の宮尾孝さんが書いた「雨と日本人」(MARUZEN BOOKS)という本を読んだ。今は雨とは一番縁が深い季節である。このところ、梅雨の晴れ間がのぞいて、憂鬱さは少し解消されたが、やはり、この季節はうっとうしい。石原とか鈴木とかいう政治家(屋)たちの妄言・暴言がこれに輪をかけている。紫陽花が咲いていなければ、さらに気持ちが落ち込むのではないかとさえ思ってしまう。
 
 宮尾さんの本によれば、日本人はこんな憂鬱な季節は早く過ぎ去ってほしいという願望を持ち、良寛和尚でさえその気持ちを漢詩に託したと紹介している。

  回首五十有余年 人間是非一夢中 
  山房五月黄梅雨 半夜蕭蕭灑虚窓
  頭を回(めぐ)らせば 五十有余年 人間(じんかん)の是非は 一夢の中(うち)
  山房五月 黄梅の雨 半夜蕭蕭虚窓(はんやしょうしょうこそう)に灑(そそ)ぐ

 「気持ちがすっかり沈んでしまう時候。思わず人生を振り返ってしまう。蕭々と降る梅雨時の雨が、山房の虚ろな窓に灑ぐ。濡れた窓に映る自分の顔は、孤独感と憂鬱に満ちている……」(同書)

 良寛より時代は過ぎて。日本近代詩の父といわれる萩原朔太郎の純情小曲集という詩集の中に「こゝろ」という詩がある。

  こゝろをばなにたとへん
  こゝろはあぢさいの花
  もゝいろに咲く日はあれど
  うすむらさきの思い出ばかりはせんなくて。
 
  こゝろはまた夕やみの園生のふきあげ
  音なき音の歩むひゞきにはひとつによりて悲しめど 
  あゝこのこゝろをばなにゝたとへん。

  こゝろは二人の旅びと
  されど道づれのたとえて物いふことなければ
  わがこゝろはいつもさびしきなり。

 彷徨する自分の心を、色が変化して咲き続ける紫陽花にたとえて表現し、結語の「わがこゝろはいつもさびしきなり」の通り、朔太郎の深い孤独感が伝わってくる詩である。

 紫陽花の末一色となりにけり 一茶

 七変化といわれるように、紫陽花は咲き始めから次第に色が変化していく。最終的には一色となり、散っていくという一茶の句もやはりさびしさを感じさせる。

 最近はそうでもない品種もあるが、在来種は色が移り変わる。それゆえに「移り気」などというありがたくない花言葉もつけられているが、紫陽花に責任があるわけではない。

 あじさゐや仕舞のつかぬ昼の酒 岩間乙二

 乙二は白石(宮城県白石市)生まれの江戸時代後期の俳人。紫陽花が咲く季節。昼酒を飲み始めたら、いつになっても終わらないという気持ちもよく分かる。

  紫陽花の花おもくしておのづから傾く見ればやさしかりけり 松村英一

 歌人の松村はこんな心優しい短歌を残した。

 郵便局では、既に暑中見舞いのはがきを売り出している。夏至(ことしは6月21日)から小暑(梅雨があけるころ、ことしは7月7日)まで出すのが梅雨見舞い、小暑から立秋(同8月7日)までが暑中見舞い、立秋以降は残暑見舞いだそうだ。しかし、小暑を過ぎても雨が続く場合、暑中見舞いは梅雨明けを待った方がいいという。
 
 梅雨明けはいつ頃になるのか。気象庁の統計では関東地方は昨年が7月6日ごろ(平年は7月21日ごろ)とかなり早かった。しかしこの夏はエルニーニョ現象(南米・ペルー沿岸にかけての広い海域で海面水温が平年に比べて高くなり、その状態が1年程度続く現象)が発生する可能性があり、その影響で梅雨明けが遅れそうだという予測が出ている。仕方がないから、読書を楽しむことにしよう。

 写真は「隅田の花火」という紫陽花

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