1098 洗礼名は日本26聖人が由来 キリスト教信徒になった友人

画像
 大阪に住む69歳の友人がことしの復活祭の前日の3月30日、カトリックの洗礼を受け、クリスチャンになった。洗礼名は「パウロ・ルドビコ」(あるいはルドヴィコと)という。

「パウロ」は新約聖書の著者の1人といわれ、初期キリスト教の理論家の名前で、「パウロ」という名前のローマ法王は、何人もいた。長崎で殉教した「日本26聖人」の中に「パウロ三木」と「パウロ茨木」いう人物と「ルドビコ茨木」という12歳の少年が含まれており、友人の洗礼名の由来はこの3人の名前だそうだ。

 スペイン人のフランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝えたのは、1549年(天文18)のことだ。ザビエルが日本に入ったのは現在の鹿児島県南さつま市の坊津町からで、その796年前の753年(天平勝宝5)には唐(現在の中国)の僧、鑑真が坊津の浜から上陸している。私も以前、鹿児島の南端にあるこの町を訪ね、悠久の歴史に浸ったことがある。
 
 それはさておきザビエルがやってきてから48年後、キリスト教信者への弾圧事件が起きる。時は1596年(慶長元年)、豊臣秀吉が天下を取った時代だ。当時、日本には30万人のキリスト教信者がいたといわれる。

 この年の12月、秀吉の突然の命令によって大坂・京都に住む外国人宣教師6人と日本人信者18人が捕えられ、長崎へ送られたのだ。途中さらに2人の信者が囚人の列に加わり、計26人は1597年2月、長崎の西坂の丘で処刑された。西坂の丘はJR長崎駅近くのNHK長崎放送局裏にある小高い丘のことで、反対方向にある南山手町の大浦天主堂は、フランス人神父によって26人の殉教者に捧げるために建設工事が進められ、1865年(元治2)に完成した。この3年前の1862年、26人は当時のローマ教皇(法王)ピウス9世によって「聖人」の列に加えられたため、以来「日本26聖人」と呼ばれるようになった。

 秀吉のキリスト教信者への弾圧は、1596年10月、土佐沖に漂着したスペイン船・サン=フェリペ号事件がきっかけといわれる。事件の概要は下記の通りである。

 友人が洗礼名の由来とする2人のうち「パウロ三木」は戦国武将だった父の影響で洗礼を受け、イエズス会の宣教師になる。処刑される際、処刑を命じた豊臣秀吉や処刑にかかわったすべての人を許したい、という言葉を残したことがポルトガルの宣教師、ルイス・フロイスの「日本史」の中に記されているそうだ。ちなみに日本26聖人の中には、「ルドビコ茨木」の父親の「パウロ茨木」(職業は桶屋)も入っており友人は、「パウロ」という名前に強い印象を受けたようだ。

 一方、「ルドビコ茨木」は、26人中最年少の12歳で、京都の修道院で病人たちの世話をしていたところを捕えられたという。26人は京都で耳を切り落とされて市中を引き回されたあと、裸足にぼろぼろの着衣姿で手を後ろに縛られ寒風が吹く中を長崎に護送された。ルドビコに同情した役人が「踏み絵をして信仰を捨てれば、命を助ける」と話すと、少年が「つかの間の命と永遠の命を取り替えるわけにはいかない」と断ったというエピソードも伝えられている。

 友人は日本のカトリックの歴史を調べ、秀吉の弾圧に遭った26聖人の中の3人に注目したのだ。特にルドビコ少年の純真さに心がひかれたのだろうか。69歳になっても少年の心を失わない友人に、この洗礼名はふさわしいと思うのだ。

 私は2008年10月の晴れた日、大浦天主堂に行った。そこで急な階段を下りてくる結婚式を終えたばかりのカップルに出会った。400年以上も昔、薄幸な少年が短い生涯を終えた西坂の丘を望む天主堂で結婚式を挙げた2人は、屈託のない笑顔を見せていた。2人は少年の分まで幸せに生きているだろうか。

画像

 写真 長崎の大浦天主堂と結婚式を終えたカップル

「付記」サン・フェリペ号事件
 メキシコ・フィリピン間航行のスペイン船サン・フェリペ号は、1596年7月マニラを出港し暴風雨のため10月19日(慶長1年8月28日)土佐浦戸に漂着した。この報は早速領主長宗我部元親より豊臣秀吉に伝えられ,船長ランデーチョも秀吉に使者を遣わし保護を求めた。秀吉は奉行増田長盛を派遣して積荷を没収させたが,この処置に航海長が抗議してスペインの征服事業につき大言壮語し,あるいはポルトガル人がサン・フェリペ号漂着に関しスペイン人の日本征服とマニラからの渡航修道士との関係につき讒言(ざんげん)したため,当時畿内で公然と布教していたフランシスコ会修道士らが捕らわれ,翌年2月の二十六聖人の殉教となったと考えられている。 (世界大百科事典)


342 2人の先人を思う 長崎の天主堂にて

448 育児院と牛乳 アルメイダの精神



この記事へのコメント

  • 舟越保武の二十六聖人像が目に焼き付いています。
    (韓国からわざわざ訪ねる方が多いように感じます)
    遊歩さんのページから長崎の町のたたずまいを思い出します。
    それにしてもご友人の話から、この時代に信仰があるとは
    何と素晴らしいことかと思います。
    2013年03月31日 17:12
  • 遊歩

    空さん
    ありがとうございます。ソウルには、ルドビコ茨木ら3人の碑があるそうですね。長崎を歩くと、歴史を考えることが多いですね。友人は純粋がゆえに新しい道を歩んだのだと思います。うらやましい限りです。
    2013年03月31日 20:10