961 社会現象を投影した2本の映画 「ハーメルン」と「わが母の記」

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連休に入って2本の映画を見た。双方とも内容は社会派に属し、ともに映像が美しい心に残る作品だった。BSフジで放映された「ハーメルン」(プレカット=縮小版)と話題の「わが母の記」である。

前者は福島県奥会津の廃校を舞台に人口の一極集中化現象が進み、地方から若者が消えることに警鐘を鳴らした坪川拓史監督の「映像詩」ともいえる映画だった。役所広司、樹木希林、宮崎あおいが出演した後者は、作家・井上靖の自伝的小説を映画化した認知症になった母親をめぐる家族の話であり、2本とも現代の日本社会を投影した作品といっていい。

「ハーメルン」の多くは、福島県大沼郡昭和村の廃校・旧喰丸小学校で撮影されたという。こちらも西島秀俊や倍賞千恵子、坂本長利ら演技派として知られる俳優陣が出演し、しかも奥会津の心に染みる四季が背景として出てくる。この作品がなぜプレカット版としてBS放送で上映されたのかは知るすべはないが、映画館の大スクリーンで見たら映像の美しさは倍増するのではないか。

昨年11月、昭和村を訪れた。晩秋の色が濃く、旧喰丸小のイチョウの葉が半分以上落ち、校庭は黄金色に輝いていた。この直前、映画が撮影されたと聞いた。廃校はかつて日本各地にあった典型的な木造校舎で、小学生時代にタイムスリップしたいと思ったほど、郷愁を感じた。人口の減少で閉校・廃校となり消えていく運命の学校が増えている。特に地方の山間部では顕著である。

昭和村を訪問した際は、原発事故の後に撮影されたためラストで廃校が解体されるという映画のストーリーは暗いので、変更になったと聞いた。しかし、プレカット版はそのままになっていることを記して置く。

ストーリーを少しだけ紹介する。廃校に住む元校長(坂本)のところに、ある日この小学校の卒業生の青年(西島)がやってくる。彼は担任の女先生が大事にしていたバロックの名曲・パッヘルベルのカノンが流れる「からくり時計」を盗み、閉校式の時にみんなで埋めたタイムカプセルの中に入れたという過去を引きずっていた。坪川監督は、この映画について「弱いものを切り捨てる時代に歴史と共に生き、土地の記憶を大切に想い、寄り添ってきた人々がいる福島から映画を発信したいと思った」と述べている。その意図は十分に伝わってくる。

「わが母の記」は井上靖の同名の自伝的小説を原田眞人監督が映画化した。生きてきた記憶を次第に失っていく母を見つめた小説「わが母の記」は、老いていく母親を通じて井上の老いや死への思いを描いたものだ。井上は幼いころ伊豆で過ごした体験を「しろばんば」という小説に書いている。洪作という少年が実の両親と別れ、曾祖父の妾だった「おぬいばあさん」と伊豆の土蔵の中で暮らす話で、井上の代表的作品といっていい。

映画は井上(伊上洪作・役所広司)が子ども時代になぜ両親と離れて、土蔵生活をしたのかを解き明かしていく。樹木との介護生活に役所、宮崎あおい(三女役)ら一家が翻弄されながら、家族の大事さを再確認するという映画である。自分を棄てたと思っていた母親が、子供のころに書いた息子の詩を大切に持ち、口ずさむ場面はこの映画のクライマックスであり、樹木が軽井沢の別荘を夜間に抜け出し、近くの神社でたくさんのろうそくの灯明をともすシーンは幻想的で美しい。

認知症という高齢化社会の現実が前面に出てくる重いテーマの映画だが、全編にユーモア感が漂っていて暗さはない。別所と宮崎を相手に、認知症の母親役を演じた樹木希林が光っている。69歳となり老女役が自然になってきた、といったら失礼だろうか。彼女はあるインタビューで「認知症の役はだれもがやりたがらないので、私に回ってくる」といって笑っていたそうだ。

静岡県長泉町のクレマチスの丘にある井上靖文学館によると、井上は「自分が死んで30年経っても残る作品は『しろばんば』、『わが母の記』、『孔子』の3作品だ」と、亡くなる直前、当時の文学館職員に伝えたそうだ。井上が亡くなったのは1991年1月だから、すでに21年が過ぎた。映画を見た人は、大作家の言葉の確かさを感じることができるはずだ。



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写真は、いずれも奥会津の晩秋の風景。1枚目が旧喰丸小の校舎。2、3枚目はスイスの風景のようにも見える。

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