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zoom RSS 1669 大谷と職業病 スポーツ選手のけがとの闘い(3)

<<   作成日時 : 2018/06/10 18:36   >>

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 野球の投手にとって肘の損傷は「職業病」といっていい。これまで多くの投手がこのけがに苦しみ、野球人生を途中で断念した投手も少なくない。大リーグに行き、エンゼルスで投打の二刀流に挑んでいる大谷翔平(23)が右肘の内側副靱帯(じんたい)を損傷し、10日間の故障者リストに入ったという。大谷にとって試練の時を迎えたといっていい。

 日本球界で大活躍し、大リーグに進んだ投手のうち松坂大輔は右肩の故障だけでなく肘痛もあり、大リーグ在籍8年で56勝しかできなかった。パーリーグに復帰したが、ソフトバンクでも0勝に終わり、今季中日でようやく復調の気配を見せている。ダルビッシュ有は、右肘の手術を受け2015年のシーズンを棒に振っているし、その後芳しい成績は残していない。田中将大も右肘痛をPPP注射(自己多血小板血漿療法)という療法で何とかしのいでいるのが現状だ。こうした大投手たちが、投手の職業病克服に苦しんでいるのを見ても、大谷の肘痛との闘いは楽観視できない。

 スポーツ選手にとって、けがとの闘いは宿命だ。スケートの羽生結弦はけがを克服し冬季五輪で2連覇したが、こうしたケースは稀といっていい。野球だけでなく、スポーツで大選手といわれる存在になるには、けがをしないことが大きな条件だろう。プロ野球の場合、超一流にランクされる「投手の200勝」、「打者の2000本安打」を達成した選手は長い間、現役を続けた選手ばかりである。けがをしないか、けがを克服してこの勲章を得るのだ。けがをしな選手の代表は、何と言ってもイチローだろう。

 かつて南海(現在のソフトバンク)に杉浦忠というアンダースローの大投手がいた。立教大学からプロに入り、1958年27勝、59年38勝、60年31勝と現在では到底考えられない大記録を達成した。しかし61年、20勝をした後、右腕に血行障害(動脈閉塞)が出て、東大病院で手術を受けた。それでも62年にシーズン途中から復帰し14勝、63年14勝、64年20勝を挙げた。その後勝ち星は一桁代に落ち、1970年を最後に引退した。『プロ野球英雄伝説』(講談社文庫)で戸部良也は「現役13年間で187勝をマークした。右腕を手術してからでも71勝を挙げている。当時は『名球会』などはなかったから、200勝にこだわらなかったのだろうが、静かに燃え尽きた大投手の姿は、いつまでも大阪のファンにはチームは消えても残像となっている」と書いている。

 医療技術は当時と比較して格段に進んでいる。杉浦のように、手術後蘇って活躍した選手がいるのだから、悲観することはないのかもしれない。大谷といえば引き合いにされるのは1914年、レッドソックスの投手としてデビューし、その後1920年からヤンキースの打者として活躍、野球界の歴史的ヒーローになったベーブ・ルースだ。アメリカ野球の歴史を描いた内田隆三著『ベースボールの夢』(岩波新書)によると、当時のファンは、ルースに対し自分の理想とは隔絶した「魔神」の幻像を求め、ルースは本塁打を連発してそれに応えた。二刀流を追求する大谷にファンが求めるのも、同様に常識を超えた活躍だろう。大谷がけがを克服してファンの夢に応えることができるかどうか神のみぞ知ることだが、稀有な才能が挫折することなく伸びてほしいと願うばかりだ。

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