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zoom RSS 1547 優れた人との出会いが花の時代 『わたしの渡世日記』から

<<   作成日時 : 2017/02/21 11:51   >>

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「人は老いて、ふと我が来し方を振り返ってみたとき、かならず闇夜に灯を見たような、心あたたまる経験を、自分も幾つか持っていることに気づくだろう。それがその人の『花の時代』である。(中略)私の場合でいうならば、優れた人間に出会った時期をこそ、私の花の時代と呼びたい」

 子役から長い間、女優として第一線で活躍し、文筆家としても知られた故高峰秀子(1924〜2010)は著書『わたしの渡世日記』(新潮文庫)で、こんなことを書いている。高峰は女優の仕事が忙しく、入学した文化学院を1年で中退していて、本人は「子供のころから、映画の撮影所ぐらしの他はなにも知らぬ存ぜぬままで、トシだけは人並みに重ねた私が、いかに世の常識からハミ出し欠陥人間『できそこない人間』であるかは、誰よりも私自身が身にしみて承知している」と謙遜する。だが、この作品を読んで、私は高峰という人がとても「知らぬ存ぜぬ」人でなかったことを理解した。

 この作品の解説で、沢木耕太郎は「(極めて男性的な筆致で書かれた)この一級の自伝を読んで、これは本当に高峰秀子が書いたものなのだろうかと、多くの人が考えただろうことを私もまた考えた」と書いている。しかし、沢木はこの作品は高峰自身が書いていることに気がつき、そして「ここには、『文章のうまい女優』がいるのではなく、単にひとりの『文章家』がいるだけなのだと認めざるを得なくなったのだ。とにかく、うまかった。言いたいことを言いたいように書く。容易そうに見えてこれほど難しいことはないのに、文筆家としての高峰秀子はいとも簡単にその困難を突破していってしまう」と、驚く。同感である。

 昨年亡くなったピアニストの中村紘子(1944〜2016)も『チャイコフスキー・コンクール』(大宅賞受賞、中央公論)や『ピアニストという蛮族がいる』(文藝春秋)という作品で、その骨太な筆致が強烈な印象を与えた。高峰も中村も超一流の本業を持ち、文筆家という点でも優れた作品を残した。2人はもともと文筆の才能を持ちながら、たまたま別の職業に就いたということなのかもしれない。

 ところで、冒頭に掲げた高峰の言葉、『花の時代』、優れた人間に出会った時期を考えてみると、私の場合も思い当たりがある。若い時代に厳しい人に出会った。人生の達人だった。この人の存在なしに、いまの私はなかったかもしれないと思う。それからかなりときを経て、日本各地を回り多くの人に話を聞く機会に恵まれた。そのほとんどが優れた人たちだった。最初の出会いが「前期花の時代」だったとすれば、後の出会いは「後期花の時代」だった。

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