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zoom RSS 1526 文革時代の寒村の悲しみ 曹乃謙著『闇夜におまえを思ってもどうにもならない』

<<   作成日時 : 2016/11/12 12:37   >>

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画像  人間は欲望を求める動物である。「食欲、睡眠欲、性欲」が3大欲望といわれるそうだが、このほかにも物欲、金銭欲、名誉欲と欲望は果てしない。だが、その欲望を満たすことできない存在も少なくない。曹乃謙著(杉本万里子訳)『闇夜におまえを思ってもどうにもならない』(論創社)は、睡眠欲を除いてほとんどの欲望を満たすことができない、寒村の人々を描いたユーモアとペーソスが入り混じった独特の文体の小説である。

 副題に「温家窰村(ウュンジャーヤオ)の風景」とあるように、中国山西省のある農村をモデルにした、文革時代(1966〜76)の人民公社が舞台になっている。29話の短編と1つの中編(30話)から構成される物語は、性欲が強い若者を軸に、老人から子どもまで約50人の村人が登場する。会計係という権力者の顔色をうかがいながら生きざるをえない村人たちが織りなす物語は、一見、荒唐無稽とも思える展開が続く。村人たちの言葉は乱暴で、粗野である。

  30話になって、物語は悲劇へと発展する。貧しくて嫁がもらえない性欲の強い若者は、せっかく働いたレンガ工場で女子トイレを盗み見たことが発覚して追放され、家に戻ると母親が下放幹部と関係しているのを見てしまう。若者は下放幹部を追い出し、母親を強姦するが、戻ってきた兄たちに捕まり、口の中にロバの糞を詰められ、戸板に寝たままの状態で縛り付けられて放置され、死んでしまう。家族は、死んだ若者に亡霊の嫁を娶らせるのだ。29話まで読み進めて、このような悲劇が待ち構えているとは考えてもいなかった。それだけに、ラストシーンは哀切であり、予想外の展開だ。

 この作品に出てくる話は、文革時代の中国の貧しい農村でほぼ起きたことと言っていい。訳者によれば、作者の曹乃謙は山西省大同市の警察官で、仕事の傍ら小説を書いている。文革時代、警察官である彼は、都市部から下放されてきた学生たちを引率して、山西省の農村に1年間滞在し、農民と交流する。その経験がこの小説に生かされたのだという。

 この作品を読んで、吉野せいの『洟をたらした神』を思い出した。福島県いわき市の農家のおばあちゃんである吉野が75歳で出版した、農民の暮らしの記録である。フィクションとノンフィクションの違いがあっても、2つの作品に共通するのは、貧しくてもたくましく生きる人々が描かれていることだろうか。

 曹乃謙の作品は、性にまつわる露骨で赤裸々な表現や農民の難解な言葉が多い。日本では分からない用語も出てくるが、それらには適切で短い説明がついている。房光による挿絵も味がある。訳者は著者に問い合わせを繰り返したようだ。それに対し「私の小説は、あなたを困らせているようですね」と著者から半ばあきれられたと、訳者はあとがきで書いている。中国語に堪能な訳者だが、翻訳した作品の出版は今回が初めてという。私は中国語ができないから、曹乃謙の文体は分からない。しかし、この作品を読んで、簡潔な文体であることがうかがえるし、訳者としての力量の高さを感じるのである。


 訳者は元共同通信記者で文革時代に北京に住み、中学、高校時代、「工場で学び、農村で学び、軍隊で学ぶ」という共産党政権のスローガンによって、北京郊外の農村で働いたことがある。そうした体験が、寒村を舞台にしたこの作品の翻訳にも生かされたのではないだろうか。
 
 現代の中国は、経済発展が目覚ましい。40数年前、貧しくて夢を持つことができなかった温家窰の人々は、どう変わったのだろうかと思う。たまたま今年9月、知人らとともに中国を訪問する機会があった。かつて知人は内モンゴルの包頭に近い薩拉斉という町に住んだ。知人によると、町は大きく変わっていて昔の面影は全くないという。地図を見ると、この小説のモデルになった村も内モンゴルに近い。民話の世界のような村は、まだ残っているのだろうか。


 以下の写真 今朝の遊歩道の風景。けやきが色づき美しい。

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